研究資料に戻る ヴェーダ固有名詞・事項索引Vedic Index of Names and Subjects

Uの部

Ukṣan§

Ukṣan. Go を見よ。

Ukṣaṇyāyana§

Ukṣaṇyāyana は Ṛgveda1 の Dānastuti(「贈与の讃」)において Harayāṇa および Suṣāman とともに言及されている。Ludwig2 はこの三者が同一人物であると考える。Roth3 は動詞 ukṣaṇyati4 および形容詞 ukṣaṇyu5 のうちに Ukṣan 自身への言及を見出す。

  • 1viii. 25, 22.
  • 2Translation of the Rigveda, 3, 162, 270.
  • 3St. Petersburg Dictionary, s.v.
  • 4Rv. viii. 26, 9.
  • 5Rv. viii. 23, 16.

Ukṣṇo-randhra Kāvya§

Ukṣṇo-randhra Kāvya は Pañcaviṃśa Brāhmaṇa(xiii. 9, 19)において聖仙として言及されている。1

  • 1Cf. Max Müller, Sacred Books of the East, 32, 397.

Ukhā§

Ukhā は Ṛgveda1 以降「煮炊きの壺」を表す通常の語であり、通例は祭祀に関連して言及される。それは粘土製(mṛṇ-mayī)であった。2 Sthālī をも見よ。

  • 1i. 162, 13. 15; iii. 53, 22; Av. xii. 3, 23; Taittirīya Saṃhitā, v. 1, 6, 3 等。
  • 2Vājasaneyi Saṃhitā, xi. 59; Taittirīya Saṃhitā, iv. 1, 5, 4. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 253, 271.

Ugra§

Ugra は Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad の一箇所1 において専門的な意味を持つように見え、「権限を有する者」、あるいは Max Müller の訳によれば「警吏」を指す。Roth2 は Ṛgveda の一箇所3 と比較するが、そこではこの語は単に「力ある者」という一般的な意味を持つにすぎない。Böhtlingk4 はその Upaniṣad の訳においてこの語を単なる形容詞として扱う。

  • 1iv. 3, 37. 38.
  • 2St. Petersburg Dictionary, s.v.
  • 3vii. 38, 6.
  • 4p. 66(pratyenasaḥ とともに)。

Ugra-deva§

Ugra-deva は Ṛgveda1 において Turvaśa および Yadu とともに、明らかに力ある庇護者として言及されている。この名は Pañcaviṃśa Brāhmaṇa2 および Taittirīya Āraṇyaka3 にも現れ、そこでは彼は Rājani と称され、癩者(kilāsa)と呼ばれている。

  • 1i. 36, 18(Ugrādeva)。
  • 2xiv. 3, 17; xxiii. 16, 11.
  • 3v. 4, 12. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 147; Roth, St. Petersburg Dictionary, s.v. 同氏は Rv. の当該箇所においてこの語を形容詞的に解すべきであると示唆する。

Ugra-sena§

Ugra-sena は Śatapatha Brāhmaṇa(xiii. 5, 4, 3)に、またそこに引かれる Gāthā に言及されており、Bhīmasena および Śrutasena とともに Pārikṣitīya であり Janamejaya の兄弟であるとされる。この兄弟たちは馬祀によって罪より浄められた。

Uccaiḥ-śravas Kaupayeya§

Uccaiḥ-śravas Kaupayeya は Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa(iii. 29, 1-3)において Kuru 族の王として、また Keśin の母方の伯父として現れる。彼と Kuru 族との関係は、UpamaśravasKuruśravaṇa の子であったという事実によって裏づけられる。両名は著しく類似しているからである。

Uc-chīrṣaka§

Uc-chīrṣaka. ── Kauṣītaki Upaniṣad(i. 5)における寝台(paryaṅka)の記述に現れるこの語1 は、明らかに頭のための枕を指す。Āsandī をも見よ。

  • 1Cf. Weber, Indische Studien, 1, 403; Zimmer, Altindisches Leben, 155.

Uttara Kuru§

Uttara Kuru. ── 叙事詩および後代の文献において神話的な役割を演ずる Uttara Kuru 族は、Aitareya Brāhmaṇa1 においてはなお歴史的な民族であり、そこでは Himālaya の彼方(pareṇa Himavantam)に位置づけられている。しかし別の箇所2 においては、Uttara Kuru の地は Vāsiṣṭha Sātyahavya によって神々の地(deva-kṣetra)であると述べられている。だが Jānaṃtapi Atyarāti はこれを征服しようと切望していたのであるから、それはなお全面的に神話的なわけではない。北方の Kuru 族が Kaśmīr に定住していたという Zimmer の見解を容れるのは道理にかなう。とりわけ Kurukṣetra は、Kaśmīr から進出した諸部族が自然に見出されうる地域だからである。Cf. Udīcyas.

  • 1viii. 14.
  • 2viii. 23. Cf. Weber, Indische Studien, 1, 165; Zimmer, Altindisches Leben, 101, 102; Hopkins, Journal of the American Oriental Society, 13, 75, n.

Uttara Madra§

Uttara Madra は、Aitareya Brāhmaṇa1 において Uttara Kuru 族とともに Himālaya の彼方に住む者として言及される部族の名である。Zimmer2 は、Vaṃśa Brāhmaṇa3 において Kāmboja AupamanyavaMadragāra の弟子であることを指摘し、そこから

Kamboja 族と Madra 族とが空間的に遠く隔たっていなかったと推論する。この結論は Kāmboja 族のありうべき位置からして、まったく道理にかなっている。4

  • 1viii. 14.
  • 2Altindisches Leben, 102.
  • 3Indische Studien, 4, 371.
  • 4Pargiter, Journal of the Royal Asiatic Society, 1908, p. 332 の地図を見よ。Cf. Weber, Indische Studien, 1, 165.

Ut-tāna Āṅgirasa§

Ut-tāna Āṅgirasa は Taittirīya Brāhmaṇa1 において、あらゆる善きものを受け取りながらも害されることのなかった半ば神話的な人物として言及されている。それは Sāyaṇa2 の説明によれば、彼が実は大地の一形態であったからである。彼の名は Kāṭhaka Saṃhitā3、Pañcaviṃśa Brāhmaṇa4、Taittirīya Āraṇyaka5 にも現れる。

  • 1ii. 3, 2, 5. Cf. ii. 2, 5, 3.
  • 2Taittirīya Brāhmaṇa, ii. 3, 2, 5 について。
  • 3ix. 9.
  • 4i. 8, 11.
  • 5iii. 10, 2. 3.

Udag-ayana§

Udag-ayana. Sūrya を見よ。

Ud-aṅka Śaulbāyana§

Ud-aṅka Śaulbāyana. ── Brahman についての彼の見解 ── 彼はそれを生気(prāṇa)と同一視した ── が Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad(iv. 1, 3)に言及されている。したがって彼は Videha の Janaka と同時代の人であったことになる。彼はまた Taittirīya Saṃhitā(vii. 5, 4, 2)においても、Daśarātra の儀礼が Sattra(「祭会」)の繁栄ないし最良の部分であると主張した者として言及されている。

Ud-añcana§

Ud-añcana. ── Ṛgveda1 においては比喩的にのみ現れるこの語は、Brāhmaṇa 文献2 においては「桶」ないし「手桶」を意味する。

  • 1v. 44, 13(dhiyāṃ udañcanaḥ,「祈りの尽きせぬ泉」)。
  • 2Aitareya Brāhmaṇa, vii. 32; Śatapatha Brāhmaṇa, iv. 3, 5, 21.

Udamaya Ātreya§

Udamaya Ātreya は Aitareya Brāhmaṇa(viii. 22)において Aṅga Vairocana の Purohita すなわち家門の祭官として言及されている。

Udara Śāṇḍilya§

Udara Śāṇḍilya は Chāndogya Upaniṣad1 において師として、また Vaṃśa Brāhmaṇa2 において Atidhanvan Śaunaka の弟子として言及されている。

  • 1i. 9, 3.
  • 2Indische Studien, 4, 384.

Udala§

Udala は Vaiśvāmitra の一人であり、Pañcaviṃśa Brāhmaṇa(xiv. 11, 33)において或る Sāman の作者たる聖仙として言及されている。

Ud-āja§

Ud-āja は Maitrāyaṇī Saṃhitā1 において、勝利の後(saṃgrāmaṃ jitvā)に王が取る戦利品の分け前を指すのに用いられる語である。Delbrück2 によるこの解釈は、von Schroeder3 が与え Böhtlingk4 が容れた「進軍」というより古い訳に対して、明らかに正しい。かくして Udāja は Homeros における γέρας に精確に対応する。この意味は、Kāṭhaka5 および Kapiṣṭhala6 両 Saṃhitā の異読である Nirāja にもよく適合する。

  • 1i. 10, 16; iv. 3, 1.
  • 2Festgruss an Böhtlingk, 25.
  • 3Maitrāyaṇī Saṃhitā, 1, xv.
  • 4Dictionary, s.v.
  • 5xxviii. 3.
  • 6xliv. 3.

Udāna§

Udāna は、五つの生気(Prāṇa)が数え上げられる場合、通常はその第五である。1 時には2 第二として現れ、Prāṇa に続き、Vyāna ないし Samāna がこれに続く。また3 単に Prāṇa と対置されることもあれば、単に Prāṇa と Apāna に続くこともある。4 Śatapatha Brāhmaṇa5 においては食物を消化する息として扱われ、この観念は後代の Upaniṣad6 にも辿りうる。他方それはまた、喉を通って昇る風とみなされ7、死に際して霊魂を導き出すものともされる。8

  • 1例えば Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 12, 9; Kāṭhaka Saṃhitā, v. 4; 10; Śatapatha Brāhmaṇa, ix. 2, 2, 5; xi. 8, 3, 6(Prāṇa, Vyāna, Apāna, Udāna, Samāna の順); Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, i. 5, 3; iii. 4, 1(Samāna が省かれる); iii. 9, 26; Chāndogya Upaniṣad, iii. 13, 5; v. 23, 1. 2; Aitareya Āraṇyaka, ii. 3, 3 等。
  • 2Vājasaneyi Saṃhitā, i. 20; vii. 27; Śatapatha Brāhmaṇa, ix. 4, 2, 10 等(Vyāna とともに); Aitareya Brāhmaṇa, i. 7, 2(Samāna とともに)。
  • 3Vājasaneyi Saṃhitā, vi. 20; Śatapatha Brāhmaṇa, iv. 1, 2, 2; ix. 2, 4, 5 等。
  • 4Śāṅkhāyana Āraṇyaka, viii. 8; xi. 1.
  • 5xi. 2, 4, 5.
  • 6Maitrāyaṇī Upaniṣad, ii. 6.
  • 7Amṛtabindu Upaniṣad, 34.
  • 8Praśna Upaniṣad, iii. 7. Cf. Deussen, Philosophy of the Upaniṣads, 280.

Ud-īcyas§

Ud-īcyas. ── 北方の地のバラモンたちが Śatapatha Brāhmaṇa1 において、Svaidāyana Śaunaka を代弁者として Kurupañcāla のバラモン Uddālaka Āruṇi と論争し、彼を打ち負かした者として言及されている。彼らと Kurupañcāla 族との関係は、

同じ Brāhmaṇa2 において北方の言語が Kurupañcāla のそれと類似していると言及されていることからも窺われる。北方人の言語はまたその純粋さによって名高かった。それゆえ Kauṣītaki Brāhmaṇa3 によれば、バラモンたちは学習の目的で北方へ赴くのを常とした。また仏教文献においては、Takṣaśilā(Gandhāra における)の学派が学生の集う地として名高い。4 おそらくまた、Franke5 の示唆するように、サンスクリットは Kaśmīr において特に発展したのであろう。Kuru をも見よ。

  • 1xi. 4, 1, 1. Cf. Gopatha Brāhmaṇa, i. 3, 6.
  • 2iii. 2, 3, 15. Cf. Weber, Indische Studien, 1, 191; Lévi, La Doctrine du Sacrifice, 35.
  • 3vii. 6. Cf. Weber, op. cit., 1, 153; 2, 309.
  • 4Rhys Davids, Buddhist India, 8, 28, 203.
  • 5Cf. Pāli und Sanskrit(1902), 88, 89.

Udumbara§

Udumbara. ── Ficus glomerata を指すこの名は Ṛgveda には現れないが、Atharvaveda1 以降しばしば見出される。あらゆる種類の儀礼的目的のために、その材が絶えず用いられた。祭柱(yūpa)2 と祭祀用の匙3 はこれで作られ、Udumbara の護符も言及されている。4 その材は、AśvatthaNyagrodhaPlakṣa といった他の無花果類の材と同じく、祭祀における使用に適したものとみなされた。5 その実の甘美さは Aitareya Brāhmaṇa6 に言及されており、そこではそれが Madhu と同列に置かれている。同書ではまた、年に三度実を結ぶとも語られている。7 Udumbara の森が Pañcaviṃśa Brāhmaṇa8 に言及されている。

  • 1xix. 31, 1; Taittirīya Saṃhitā, ii. 1, 1, 6 等; Śatapatha Brāhmaṇa, iii. 2, 1, 33; vii. 4, 1, 38 等。
  • 2Taittirīya Saṃhitā, ii. 1, 1, 6.
  • 3Ibid., v. 4, 7, 3.
  • 4Atharvaveda, xix. 31, 1.
  • 5Taittirīya Saṃhitā, iii. 4, 8, 4.
  • 6vii. 15.
  • 7v. 24.
  • 8xvi. 6, 4. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 59.

Uddālaka Āruṇi§

Uddālaka Āruṇi. ── Aruṇa の子 Uddālaka は、ヴェーダ期の最も傑出した師の一人である。Śatapatha Brāhmaṇa1 によれば、彼は Kurupañcāla のバラモンであった。この記述は、彼が Kauśāmbī の Proti Kausurubindi の師であったこと2、また彼の子

Śvetaketu が Pañcāla 族の間で論争しているのが見出されること3 によって裏づけられる。彼は父 Aruṇa の弟子であり4、また Madra 国の Patañcala Kāpya5 の弟子でもあった。他方、彼は名高い Yājñavalkya6 Vājasaneya および Kauṣītaki7 の師であったが、前者は他の箇所8 においては彼を沈黙させた者として描かれている。彼は Prācīnayogya Śauceya9 を論争において打ち負かし、また明らかに Bhadrasena Ājātaśatrava10 をも打ち負かした。もっとも、ここでの本文はその名を Āraṇi と読んでいるように見える。彼は Gautama であり11、しばしばそのように言及される。儀礼および哲学の問題における権威として、彼は父称 Āruṇi の名で Śatapatha Brāhmaṇa12、Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad13、Chāndogya Upaniṣad14 において繰り返し言及され、また時に Aitareya15、Kauṣītaki16、Ṣaḍviṃśa17 の諸 Brāhmaṇa、ならびに Kauṣītaki Upaniṣad18 においても言及されている。Geldner19 によれば、Maitrāyaṇī Saṃhitā においては彼は言及されず、ただ父 Aruṇa のみが言及される。Weber20 によれば、彼の名は Pañcaviṃśa Brāhmaṇa には現れない。しかし Kāṭhaka Saṃhitā21 においては、彼は Āruṇi として Divodāsa Bhaimaseni と同時代の人として知られており、Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa22 においては Vāsiṣṭha Caikitāneya に仕える者として言及されている。Taittirīya の伝承においては彼はほとんど現れない。Taittirīya Saṃhitā23 には Kusurubinda Auddālaki への言及があり、また Taittirīya Brāhmaṇa24 によれば Naciketas は Vājaśravasa Gautama の子であって、

この者は Sāyaṇa25 によって Uddālaka であるとされている。しかし Naciketas の挿話はいささか非現実的であるから、血縁関係を証するうえで歴史的価値を有するものとはみなしえない。Aruṇa は Taittirīya Saṃhitā に知られている。Uddālaka の実の子は名高い Śvetaketu であり、Āpastamba26 は彼が自らの時代においては Avara すなわち後代の権威であったと明示的に報じている。これは Āruṇi の年代にとって重要な記述である。

  • 1xi. 4, 1, 2. Cf. Gopatha Brāhmaṇa, i. 3, 6.
  • 2xii. 2, 2, 13.
  • 3Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, vi. 1, 1; Chāndogya Upaniṣad, v. 3, 1.
  • 4Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, vi. 4, 33(両伝本において)。
  • 5Ibid., iii. 7, 1.
  • 6Ibid., vi. 3, 15; 4, 33.
  • 7Śāṅkhāyana Āraṇyaka, xv.
  • 8Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, iii. 7, 31.
  • 9Śatapatha Brāhmaṇa, xi. 5, 3, 1 et seq.
  • 10v. 5, 5, 14. Eggeling, Sacred Books of the East, 41, 141 は Āraṇi とする。Āruṇi が意味されていると解するには年代上の困難がある。Ājātaśatrava はおそらく Ajātaśatru の後裔であったに違いなく、Ajātaśatru は Janaka と同時代の人であり(Kauṣītaki Upaniṣad, iv. 1 を見よ)、Janaka はまた Āruṇi の弟子 Yājñavalkya の庇護者であったからである。しかしこの困難は決定的なものではない。
  • 11Śatapatha Brāhmaṇa, xi. 5, 3, 2; Kauṣītaki Upaniṣad, i. 1.
  • 12i. 1, 2, 11; ii. 2, 1, 34; iii. 3, 4, 19; iv. 4, 8, 9; xi. 2, 6, 12.
  • 13iii. 5, 1.
  • 14iii. 11, 4; v. 11, 2; 17, 1; vi. 8, 1.
  • 15viii. 7.
  • 16xxvi. 4.
  • 17i. 6.
  • 18i. 1 et seq.
  • 19Vedische Studien, 3, 146.
  • 20Indian Literature, 69. ただし cf. xxiii. 1, 5.
  • 21vii. 8. Cf. viii. 6.
  • 22i. 42, 1.
  • 23vii. 2, 2, 1(後期に属する箇所)。
  • 24iii. 11, 8, 1 et seq.
  • 25Taittirīya Brāhmaṇa, loc. cit. について。Cf. Kāṭhaka Upaniṣad, i. 11.
  • 26Bühler, Sacred Books of the East, 2, xxxviii; Keith, Aitareya Āraṇyaka, 39 を見よ。 Cf. Weber, Indische Studien, 1, 170, n.; 2, 201, 202; Oldenberg, Buddha, 396, n.; Eggeling, Sacred Books of the East, 12, xl., xli.

Uddālakāyana§

Uddālakāyana は Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad の Kāṇva 伝本に含まれる第二の Vaṃśa(師の一覧)(iv. 6, 2)において Jābālāyana の弟子として言及されている。

Udra§

Udra は、Yajurveda の諸 Saṃhitā1 に与えられた Aśvamedha における犠牲獣の一覧にのみ現れる動物の名である。Mahīdhara2 によればそれは蟹であった。しかし Taittirīya Saṃhitā への注釈3 がこれを水猫と呼んでいることから、それが獺であったことは疑いえない。

  • 1Taittirīya Saṃhitā, v. 5, 20, 1; Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 14, 18; Vājasaneyi Saṃhitā, xxiv. 37.
  • 2Vājasaneyi Saṃhitā, loc. cit. について。
  • 3Loc. cit. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 95, 96; Schrader, Prehistoric Antiquities, 247. Udrin は Baudhāyana Śrauta Sūtra, ii. 5 に現れる。

Uddhi§

Uddhi1 は戦車の或る部分を指し、おそらく座席であるが2、Roth3 によれば車軸の上に載る枠である。

  • 1Av. viii. 8, 22; Śatapatha Brāhmaṇa, xii. 2, 2, 2; Aitareya Āraṇyaka, ii. 3, 8.
  • 2Whitney の Translation of the Atharvaveda, 506; Eggeling, Sacred Books of the East, 44, 149 はかく解する。
  • 3St. Petersburg Dictionary, s.v.

Upa-ketu§

Upa-ketu は Kāṭhaka Saṃhitā(xiii. 1)に言及される人物の名である。

Upa-kosala Kāmalāyana§

Upa-kosala Kāmalāyana は Chāndogya Upaniṣad(iv. 10, 1; 14, 1)において師として、また Satyakāma Jābāla の弟子として言及されている。

Upa-kvasa§

Upa-kvasa は Atharvaveda(vi. 50, 2)における、種子を害する有害な昆虫の名である。しかし Sāyaṇa はこの語を複数形の形容詞(a-pakvasaḥ = a-dagdhāḥ)と読む。ただし Paippalāda 伝本は upakvasaḥ の形を支持する。

(訳注:原書は a-dagdāḥ と印刷するが、a-dagdhāḥ の誤植と判断して訂正した。)

  • Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 237; Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, 486; Whitney の Translation of the Atharvaveda, 318.

Upa-gu Sauśravasa§

Upa-gu Sauśravasa は Pañcaviṃśa Brāhmaṇa(xiv. 6, 8)において Kutsa Aurava の Purohita として言及されており、Indra に敬礼を捧げたがゆえに Kutsa によって殺された。

  • Cf. Hillebrandt, Vedische Mythologie, 3, 268; Hopkins, Transactions of the Connecticut Academy of Arts and Sciences, 15, 57.

Upa-cit§

Upa-cit は Vājasaneyi Saṃhitā1 において疾病の名として現れる。Roth2 はこれを「腫脹」と訳し、Bloomfield3Apacit と同一視する。

  • 1xii. 97.
  • 2St. Petersburg Dictionary, s.v.
  • 3Proceedings of the American Oriental Society, October, 1887, xviii.

Upa-jihvikā, Upa-jīkā, Upa-dīkā§

Upa-jihvikā, Upa-jīkā, Upa-dīkā はいずれも一種の蟻を指す同一語の異形である。1 Atharvaveda2 においては、これらの蟻に治癒の効能を有する水に達する力が帰されている。それゆえこれらは毒に対するあらゆる種類の呪法に用いられた。その治癒力への信仰は疑いなく、蟻塚の土がその水を含むという周知の性質に由来するものであった。

  • 1Upajihvikā は Rv. viii. 102, 21 における形。upajīkā は Av. ii. 3, 4; vi. 100, 2 における形であるが、Paippalāda 伝本では両箇所とも upacīkāupadīkā は Taittirīya Brāhmaṇa, i. 1, 3, 4; Taittirīya Āraṇyaka, v. 1, 4; 10, 9; Śatapatha Brāhmaṇa, xiv. 1, 1, 8 における形。
  • 2vi. 100, 2. Cf. Bloomfield, American Journal of Philology, 7, 482 et seq.; Hymns of the Atharvaveda, 511; Whitney の Translation of the Atharvaveda, 41, 354; Bergaigne and Henry, Manuel Védique, 153.

Upa-dhāna§

Upa-dhāna は Atharvaveda(xiv. 2, 65)において座席(Āsandī)の「褥」を指す。これは他の文献における Upabarhaṇa に対応する。

Upa-dhi§

Upa-dhi は Ṛgveda1 および Atharvaveda2 にそれぞれ一度ずつ、Pradhi とともに現れ、戦車の車輪の一部を指す。いかなる部分が意味されているかを正確に決することは不可能である。Roth3、Zimmer4、Bloomfield5 はこの語が輻(や)を総称するものと考える点で一致している。Whitney6 はこれをありそうにないと考え、そこに無輻の一枚板の車輪の呼称を見ることを選び、Pradhi がおそらく輪縁で、Upadhi がその余の部分であるとする。他の可能性7 としては、Upadhi が輞(わ)の下の縁であるか、あるいは輪帯(通常は Pavi)と対比された輞そのものであるかである。

  • 1ii. 39, 4.
  • 2vi. 70, 3.
  • 3St. Petersburg Dictionary, s.v.
  • 4Altindisches Leben, 248(Atharvaveda の箇所を無視している)。
  • 5Hymns of the Atharvaveda, 493.
  • 6Translation of the Atharvaveda, 334.
  • 7Bloomfield, loc. cit.

Upa-niṣad§

Upa-niṣad は Brāhmaṇa 文献1 においては通常、何らかの語ないし本文の「秘められた意味」を指し、時には遊行者の「秘められた規則」を指す。しかし Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad2 においては、すでに複数形で一群の著作の呼称として用いられており、それは疑いなく実際に存在し、主題とその扱いの性質において Upaniṣad 類に類似するものであった。同様に Taittirīya Upaniṣad の諸節は ity upaniṣad という語で終わる。Aitareya Āraṇyaka3 はその第三部を「Saṃhitā の Upaniṣad」という標題をもって始めており、この標題は Śāṅkhāyana Āraṇyaka4 にも現れる。この語の正確な原義は不確かである。Max Müller5 によって採られ以後通例となった自然な語源解釈は、この語がまず弟子の座会を意味し、そこから秘教的教説を、次いで秘教的教説についての著作の標題を意味するとする。しかし Oldenberg6 は、この語の用法を

「崇拝」というより古い意味に遡らせる(upāsana と比較せよ)。Deussen7 は原義が「秘められた語」であり、次いで「秘められた本文」、そして「秘められた意義」であったと考えるが、この意味の順序はありそうにない。Hopkins8 は Upaniṣad が補助的な論書を指すと示唆するが、この意味は「秘められた意味」という一般的な用法 ── 他のいかなる用法よりもはるかに頻繁である ── を自然に説明しない。

  • 1Śatapatha Brāhmaṇa, x. 3, 5, 12; 4, 5, 1; 5, 1, 1; xii. 2, 2, 23 等; Chāndogya Upaniṣad, i. 1, 10; 13, 4; viii. 8, 4. 5; Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, ii. 1, 20; iv. 2, 1; v. 5, 3; Aitareya Āraṇyaka, iii. 1, 6; 2, 5; Kauṣītaki Upaniṣad, ii. 1 等。
  • 2ii. 4, 10; iv. 1, 2; 5, 11.
  • 3iii. 1, 1.
  • 4vii. 2. Cf. Taittirīya Upaniṣad, i. 3, 1.
  • 5Sacred Books of the East, 1, xxxiii et seq. Cf. St. Petersburg Dictionary, s.v.; Macdonell, Sanskrit Literature, 204.
  • 6Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 50, 457; 54, 70; Die Literatur des alten Indien, 72.
  • 7Philosophy of the Upaniṣads, 16 et seq.
  • 8Religions of India, 218.

Upa-pati§

Upa-pati、「情夫」は、Vājasaneyi Saṃhitā1 において Jāra「恋人」とともに、人身供犠(puruṣamedha)における犠牲者として言及されている。

  • 1xxx. 9; Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 4, 4, 1.

Upa-barhaṇa§

Upa-barhaṇa は「枕」ないし「褥」、とりわけ座席(āsandī)のそれを指し、Ṛgveda1、Atharvaveda2、Brāhmaṇa 文献3 に現れる。女性形 Upabarhaṇī は Ṛgveda に同じ意味で見出されるが、大地について比喩的に用いられている。

  • 1x. 85, 7.
  • 2ix. 5, 28; xii. 2, 19. 20; xv. 3, 7.
  • 3Aitareya Brāhmaṇa, viii. 12; Śatapatha Brāhmaṇa, xiii. 8, 4, 10; Kauṣītaki Upaniṣad, i. 5; Taittirīya Brāhmaṇa, i. 1, 6, 10; 6, 8, 9; Kāṭhaka Saṃhitā, xxviii. 4 等。

Upa-manthanī§

Upa-manthanī は Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad1 において「攪拌の棒」を指すのに用いられる。Vājasaneyi Saṃhitā2 においては「攪拌する者」(upamanthitṛ)が人身供犠(puruṣamedha)における犠牲者の一覧に含まれており、また動詞 upa-manth は液体を攪拌ないし混和することについてしばしば用いられる。3

  • 1vi. 3, 13.
  • 2xxx. 12; Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 4, 8, 1.
  • 3Taittirīya Brāhmaṇa, i. 6, 8, 4. 5; Śatapatha Brāhmaṇa, ii. 6, 1, 6; Chāndogya Upaniṣad, v. 2, 4.

Upa-manyu§

Upa-manyu は Ludwig1 によれば Ṛgveda2 における人物の名であるが、Roth3 によって単なる形容辞と説明されるほうがより蓋然性が高い。

  • 1Translation of the Rigveda, 3, 113.
  • 2i. 102, 9.
  • 3St. Petersburg Dictionary, s.v.

Upama-śravas§

Upama-śravas は Ṛgveda の一讃歌1 において Kuruśravaṇa の子、Medhātithi の孫として言及されている。しかしそこでの彼への言及の正確な意味合いは不確かである。Bṛhaddevatā2 によれば ── Ludwig3 および Lanman4 もこれに従う ── 詩人はこの讃歌において、祖父 Medhātithi の死について Upamaśravas を慰めている。他方 Geldner5 は、詩人 ── Kavaṣa Ailūṣa であった ── が庇護者の子 Upamaśravas によって虐待され、溝ないし井戸に投げ込まれ、そこで嘆きと憐れみを乞う訴えを発したのだと考える。しかしこれについては十分な証拠がなく、Bṛhaddevatā の伝承のほうが堅実であるように思われる。

  • 1x. 33, 6. 7.
  • 2vii. 35. 36、Macdonell の注とともに。
  • 3Translation of the Rigveda, 3, 165.
  • 4Sanskrit Reader, 386, 389.
  • 5Vedische Studien, 2, 150, n.

Upa-mit§

Upa-mit は Ṛgveda1 に二度、Atharvaveda2 に一度、家屋の或る部分の呼称として現れる。Ṛgveda の諸箇所からは、この語が直立した柱を意味することにほとんど疑いの余地がない。Atharvaveda においてそれが Parimit および Pratimit と併記されていることから、後者の語が ── おそらくは斜めに寄りかかることによって ── Upamit を支える梁を指し、他方 Parimit が Upamit 同士を水平に連結する梁を指す、という結論が自然である。しかしこれらの解釈は推測の域を出ない。Gṛha をも見よ。

  • 1i. 59, 1; iv. 5, 1.
  • 2ix. 3, 1. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 153; Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, 596; Whitney, Translation of the Atharvaveda, 525.

Upara§

Upara は Pischel1 によれば一般に「石」を意味するが、Soma 草を他の石(adri, grāvan)で搗いて汁を搾り出すために載せた石の専門的な名称である。この語は稀であり、Ṛgveda2 に三度、Atharvaveda3 に一度現れるのみである。

  • 1Vedische Studien, 1, 109. これは upala の形の意味である(Vājasaneyi Saṃhitā, xxv. 8 等)。
  • 2i. 79, 3; x. 94, 5; 175, 3.
  • 3vi. 49, 3. Cf. Hillebrandt, Vedische Mythologie, 1, 154; Whitney, Translation of the Atharvaveda, 317; von Schroeder, Mysterium und Mimus, 414.

Upala-prakṣiṇī§

Upala-prakṣiṇī は Ṛgveda1 に一度現れ、そこでは或る女性の生業を指し、詩人(kāru)である彼女の子の生業、および医師(bhiṣaj)である彼女の子の父の生業と対比されている。Yāska2 はこの語を「挽き割り粉を作る女」(saktu-kārikā)と訳し、Roth3、Grassmann4、Zimmer5 その他もこれを穀物を挽く作業と結びつける。しかし Pischel6 は、穀物が二つの石の間で挽かれたのではなく、石の上で杵(dṛṣad)によって搗かれたことを指摘し、Upala-prakṣiṇī が Soma を搾るのを助けた女性を指すと考える(cf. Upara)。von Schroeder7 は、upala を穀物が入れられて杵で搗かれた臼とみなすことに何ら支障がないとより正しく指摘し、この語を字義通りに「(下の)石に(穀物を)満たす者」と訳す。

  • 1ix. 112, 3.
  • 2Nirukta, vi. 5.
  • 3St. Petersburg Dictionary, s.v.
  • 4Ibid., s.v.,「上の(下の)碾き臼に合わせる者」。
  • 5Altindisches Leben, 269. Cf. Hillebrandt, Vedaschrestomathie, s.v. 同氏は pṛc を「満たす」の意に取り、この複合語を「上の碾き臼を満たす者」と説明するが、この解釈はそのままでは理解しがたい。
  • 6Vedische Studien, 1, 308-310.
  • 7Mysterium und Mimus, 412 et seq. von Schroeder は歌い手の母が言及されているという見解を容れないが、この箇所の語法から他の結論を引き出すことは不可能と思われる。またこの語を穀母(corn-mother)に関わるものとする彼自身の説明はきわめてありそうにない。cf. Keith, Journal of the Royal Asiatic Society, 1909, 204.

Upalā§

Upalā は Brāhmaṇa 文献1 において、Dṛṣad を臼として杵のように用いられた上方のより小さな「石」を指しうる。これに対し、諸 Saṃhitā における Upara はむしろ臼を指し、Dṛṣad が杵を指す。ただし Dṛṣad を見よ。

  • 1Śatapatha Brāhmaṇa, i. 1, 1, 22; ii. 1, 14, 17; ii. 2, 2, 1 等。 Cf. von Schroeder, Mysterium und Mimus, 413, n. 3.

Upa-vāka§

Upa-vāka は Vājasaneyi Saṃhitā1 および Brāhmaṇa 文献2 において一種の穀物、すなわち Wrightia antidysenterica、後に Indra-yava として知られるものの呼称として現れる。注釈者 Mahīdhara3 は単にこれをより一般的な語である Yava で注解する。

Vājasaneyi Saṃhitā によれば、それは粥(karambha)の主要な成分をなした。また Upavāka の挽き割り粉(saktavaḥ)が Śatapatha Brāhmaṇa4 に言及されている。

  • 1xix. 22; 90; xxi. 30(「癒すもの」として)。
  • 2Śatapatha Brāhmaṇa, xii. 7, 1, 3; 2, 9 等。
  • 3Vājasaneyi Saṃhitā, xix. 22 について。
  • 4xii. 9, 1, 5. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 240, 270.

Upa-veśi§

Upa-veśi は Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad の Vaṃśa(師の一覧)(vi. 5, 3、両伝本において)において Kuśri の弟子として言及されている。Aupaveśi をも見よ。

Upa-śrī, Upa-śraya§

Upa-śrī, Upa-śraya は同一語の二つの読みである。前者は Kauṣītaki Upaniṣad1 の一伝本に見出され、他方後者はおそらく同 Upaniṣad の別伝本2 の読みであり、また Atharvaveda の一箇所3 における読みであることは確実である。もっともその本文は apaśrayaḥ とし、Roth4 はこれを可能な読みとして容れている。いずれの場合においても、この語は明らかに寝台(Atharvaveda においては Āsandī、Kauṣītaki Upaniṣad においては Paryaṅka)に関わる何かを意味する。Aufrecht5、Roth6、Max Müller7 はこれを「掛布」ないし「褥」と訳すが、Whitney8 がそれは「支え」ないしそれに類するものを意味するに違いないと主張するのは、明らかに正しいと思われる。

  • 1i. 5.
  • 2Keith, Śāṅkhāyana Āraṇyaka, 20, n. 3 を見よ。
  • 3xv. 3, 8. Cf. Whitney の訳における注。
  • 4St. Petersburg Dictionary, s.v. なお Böhtlingk, Dictionary, s.v. もこれに従っている。
  • 5Indische Studien, 1, 131.
  • 6S.v. apaśraya.
  • 7Sacred Books of the East, 1, 278.
  • 8Translation of the Atharvaveda, 777. Cf. Weber, Indische Studien, 1, 402; Zimmer, Altindisches Leben, 155.

Upa-staraṇa§

Upa-staraṇa は Kauṣītaki Upaniṣad1 における寝台(Paryaṅka)の記述において「掛布」を指し、Ṛgveda2 においても比喩的に用いられてこの意味を持つ。Atharvaveda3 においても同じ意味を持つと思われる。しかし Whitney4 はこれを「寝台」と訳す。もっとも彼は、別の箇所6 における平行語 Āstaraṇa を「褥」と訳している。5

  • 1i. 5.
  • 2ix. 69, 5.
  • 3v. 19, 12.
  • 4Translation of the Atharvaveda, 254.
  • 5Ibid., 776.
  • 6xv. 3, 7. Cf. Weber, Indische Studien, 1, 403; Zimmer, Altindisches Leben, 155.

Upa-sti§

Upa-sti は Ṛgveda1 においても Atharvaveda2 においても「従属者」を指す。それは後代の叙事詩3 において、Vaiśya の上位二階級への従属が動詞 upa-sthā「下に立つ」「支える」によって表されるのと同様である。この語はまた同じ意味で Sti の形でも現れるが、Ṛgveda4 においてのみである。この語が含意する従属の正確な性質はまったく不確かである。Zimmer5 は、この「従属者」がギリシア人・ローマ人・ゲルマン人におけると同じく、王の被護民となった敗れたアーリヤ諸部族の成員であったと推測し、この語がおそらく賭博によって自由を失った者をも含んでいたと考える。6 Atharvaveda7 の証拠は、Upasti のうちに戦車作り(ratha-kāra)、鍛冶(takṣan)、御者(sūta)、隊長(grāma-ṇī)が含まれていたことを示す。他方 Ṛgveda の諸箇所は、「臣民」(sti)が民全体であるという可能性を否定する。それゆえ、彼らが王の本来の被護民であり、隷属的ではないが、通常の住民と対比して王に特別の関係で結びつけられていたと想定するのは妥当である。彼らのうちには Zimmer の示唆する諸階層のみならず、他の氏族からの亡命者や、王への奉仕によって立身を求める野心ある者といった、より高い要素も十分に含まれていたであろう。実際 Sūta と Grāmaṇī とは、そのようなものとして王家の官職者であり、Atharvaveda8 に記述されるように、王を作る者であって自ら王ではなかった。Taittirīya Saṃhitā9、Taittirīya Brāhmaṇa10、Kāṭhaka11 におけるこの語の用法は純粋に比喩的であり、それが現れる Ṛgveda の一箇所においても同様である。Atharvaveda の Paippalāda 伝本12 においては、Vaiśya、Śūdra、Ārya が Upasti として言及されており、おそらくは「臣民」という一般的な意味においてであろう。

  • 1x. 97, 23(= Vājasaneyi Saṃhitā, xii. 101; Av. vi. 15, 1)。
  • 2iii. 5, 6.
  • 3Hopkins, Journal of the American Oriental Society, 13, 92.
  • 4vii. 19, 11; x. 148, 4; sti-pa, vii. 66, 3; x. 69, 4.
  • 5Altindisches Leben, 184, 185.
  • 6Rv. x. 34.
  • 7Av. iii. 5, 6. 7.
  • 8iii. 5, 7.
  • 9vii. 2, 5, 4. Cf. vi. 5, 8, 2.
  • 10iii. 3, 5, 4.
  • 11xxxi. 9.
  • 12iii. 5, 7. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 246; Whitney, Translation of the Atharvaveda, 92; Weber, Indische Studien, 17, 196 et seq.

Upa-stuta§

Upa-stuta は Ṛgveda1 に数度言及され、常に古の聖仙として、また通常は Kaṇva と関連して現れる。Kaṇva は Agni、Aśvin 双神その他の神々によって助けられ、あるいは恩寵を受けた。Vṛṣṭihavya の子ら2 である Upastuta 族は、歌い手として言及されている。3

  • 1i. 36, 10. 17; 112, 15; viii. 5, 25; x. 115, 8.
  • 2x. 115, 9.
  • 3viii. 103, 8; x. 115, 9. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 108; Max Müller, Sacred Books of the East, 32, 152, 153.

Upa-hvara§

Upa-hvara は Ṛgveda の一箇所1 において、Geldner2 によれば戦車の車体(upa-stha)を指す。

  • 1i. 87, 2.
  • 2Vedische Studien, 3, 40.

Upānasa§

Upānasa は Atharvaveda1 において Akṣa と対置されており、「荷車の車体」のごときものを意味するに違いない。もっとも Sāyaṇa は、それが「穀倉」あるいは「穀物を満載した荷車」を意味すると示唆する。Ṛgveda2 においてはこの語は一度しか現れず、その意味は疑わしい。Pischel3 はそこに現れる形を形容詞としてではなく不定詞として説明する。

  • 1ii. 14, 2.
  • 2x. 105, 4.
  • 3Vedische Studien, 1, 197. Cf. Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, 301; Whitney, Translation of the Atharvaveda, 56.

Upā-nah§

Upā-nah は後期の諸 Saṃhitā1 以降、「草履」ないし「履物」を表す通常の語である。Śatapatha Brāhmaṇa2 には、履物の材料として猪の皮が言及されている。「杖と履物」(daṇḍopānaha)という結合は早くも Kauṣītaki Brāhmaṇa3 に現れる。

  • 1Taittirīya Saṃhitā, v. 4, 4, 4; 6, 6, 1 等。
  • 2v. 4, 3, 19.
  • 3iii. 3.

Upāvi Jāna-śruteya§

Upāvi Jāna-śruteya は Aitareya Brāhmaṇa(i. 25, 15)において Upasad(一種の Soma 儀礼)に関する権威として言及されている。

Upoditi Gaupāleya§

Upoditi Gaupāleya は Pañcaviṃśa Brāhmaṇa(xii. 13, 11)において Sāman の作者たる聖仙として言及されている。

Ubhayā-dant§

Ubhayā-dant、「上下両顎に門歯を有する」は、家畜のうち馬・驢馬等を

山羊・羊・牛から区別するのに用いられる表現である。この区別は Ṛgveda の後期の一讃歌1 に現れ、後期の諸 Saṃhitā2 および Brāhmaṇa3 に数度言及されている。Taittirīya Saṃhitā の一箇所4 においては、人が馬とともに ubhayā-dant に分類されている。その反対は anyato-dant、「一方の顎にのみ門歯を有する」であり、これは牛に常に適用される語である。5 事実、牛の八本の門歯は下顎に限られている。驢馬は Atharvaveda6 において ubhayā-dant と称される。しかし Atharvaveda の一箇所7 においては、この形容辞が牡羊に適用されている。だがここでの意味は、Ṛgveda8 において牡羊が牝獅子を滅ぼすのと同様、驚異が生ずるということである。Bloomfield9 は Atharvaveda の当該箇所について、「馬」を意味することとなる別の読みを示唆する。動物の平行的な区分としては、Taittirīya10 および Vājasaneyi11 両 Saṃhitā における「単蹄の」(eka-śapha)と「小さき」(kṣudra)という区分がある。

Zimmer12 はギリシア語の ἀμφώδοντα13 およびラテン語の ambidens14 から、印欧語族が五種の犠牲獣を、一方に人と馬、他方に牛・羊・山羊という二つの類に区分することに親しんでいたことを示そうとする。しかしこの想定は必要ではない。

  • 1x. 90, 10.
  • 2Taittirīya Saṃhitā, ii. 2, 6, 3; v. 1, 2, 6; Maitrāyaṇī Saṃhitā, i. 8, 1.
  • 3Śatapatha Brāhmaṇa, i. 6, 3, 30(ubhayato-dant)。
  • 4ii. 2, 6, 3.
  • 5Taittirīya Saṃhitā, ii. 1, 1, 5; v. 1, 2, 6; 5, 1, 3.
  • 6v. 31, 3.
  • 7v. 19, 2.
  • 8viii. 18, 17.
  • 9Hymns of the Atharvaveda, 434.
  • 10iv. 3, 10, 2.
  • 11xiv. 30.
  • 12Altindisches Leben, 74-76.
  • 13Aristoteles, Hist. An., ii. 1, 8.
  • 14Paulus Diaconus に引かれた Festus。 Cf. Weber, Indische Studien, 10, 58.

Urā§

Urā は「羊」を表す名として Ṛgveda1 に限られる。その二例のうち一箇所において狼が羊を怯えさせるものとして言及されていること、また狼の形容辞 urā-mathi、「羊を殺す者」が Ṛgveda2 に一度現れることは奇異である。両者ともこの Saṃhitā の同一巻における言及であり、この事実は urā という語の方言的起源を示唆する。Avi をも見よ。

  • 1viii. 34, 3.
  • 2viii. 66, 8. Cf. Nirukta, v. 21.

Uru-kakṣa§

Uru-kakṣa は Ṛgveda1 のただ一箇所に現れ、そこでのこの語の意味は大いに論議されている。本文の読みは uruḥ kakṣo na gāṅgyaḥ であり、これは「Ganges 川に住む」Urukakṣa なる人物2、あるいは Gaṅgā の子なる人物、あるいはそう呼ばれる森3 に関わるものでありうるし、また単に「Ganges 川のほとりの広い茂み」4 を指すにすぎないかもしれない。

  • 1vi. 45, 31.
  • 2Grassmann; St. Petersburg Dictionary. Cf. Macdonell, Vedic Grammar, 291.
  • 3Ludwig の訳(der wald Urukakṣa、あるいは das weite dickicht)。
  • 4Weber, Episches im vedischen Ritual, 28, n. 5; Oldenberg, Ṛgveda-Noten, 1, 396.

Uru-kṣaya§

Uru-kṣaya. ── Agni の歌い手にして崇拝者である Urukṣaya 族が、Ṛgveda の一讃歌(x. 118, 8. 9)に言及されている。

  • Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 167.

Uruñjirā§

Uruñjirā は Nirukta(ix. 26)において Vipāś 川(現在の Beäs)の名の一つとして挙げられている。

Urvarā§

UrvarāKṣetra とともに、Ṛgveda1 以降「耕地」(ἄρουρα)を表す通常の語である。肥沃な(apnasvatī)田2 についても、荒れた田(ārtanā)3 についても語られる。灌漑による集約的耕作は Ṛgveda4 においても Atharvaveda5 においても明瞭に言及されており、また肥料の使用にも言及がある。6 Ṛgveda7 によれば、田(kṣetra)は注意深く測量された。この事実は、耕地における個人所有を明瞭に指し示す。この結論は、Ṛgveda の一讃歌8 において Apālā が父の田(urvarā)に言及し、それを彼の頭髪と同列の個人的所有物として置いていることによって支持される。これと合致するのが「田を得る」(urvarā-sā, urvarā-jit, kṣetra-sā)という形容辞である。9 他方、神について用いられる「田の主」10 は、おそらく人間の形容辞(urvarā-pati)の転用である。さらに田は子らと

同じ文脈において語られ11、また田の征服(kṣetrāṇi saṃ-ji)が諸 Saṃhitā12 にしばしば言及されている。Pischel13 の示唆するように、耕地はおそらく草地(おそらく KhilaKhilya によって表される)によって境されており、この草地は他所の財産との類比からして、まず間違いなく共有財産であったであろう。ヴェーダ文献には、いかなる種類の共同体による所有という意味においても共有財産の痕跡はなく14、また共同耕作への言及もない。土地の個人所有は後代においても前提とされていると思われる。Chāndogya Upaniṣad15 においては、富の例として挙げられるもののうちに田と家屋(āyatanāni)が含まれている。ギリシア側の証言16 もまた個人所有を指し示す。もちろん、所有の精確な性質は「個人所有」という表現によって決定されるわけではない。家長とその成員との法的関係はいずこにも説明されておらず、ただ推測しうるのみである(Pitṛ を見よ)。しばしば一家族は土地における持分を分割せぬまま共に生活したのであろう。土地財産の相続に関する規定は Sūtra 文献17 以前には現れない。Śatapatha Brāhmaṇa18 においては土地を祭官への報酬として与えることが言及されているが、それは非難を伴っている。土地は疑いなく当時においてすでに、軽々しく与えたり手放したりすべきでない、きわめて特別な種類の財産であった。19

土地所有者と王その他との関係については Grāma を、その耕作については Kṛṣi を見よ。

  • 1i. 127, 6; iv. 41, 6; v. 33, 4; vi. 25, 4; x. 30, 3; 142, 3 等; Av. x. 6, 33; 10, 8; xiv. 2, 14 等。
  • 2Rv. i. 127, 6.
  • 3Ibid.
  • 4vii. 49, 2.
  • 5i. 6, 4; xix. 2, 2.
  • 6Av. iii. 14, 3, 4; xix. 31, 3.
  • 7i. 110, 5.
  • 8viii. 91, 5.
  • 9Rv. iv. 38, 1、および vi. 20, 1; ii. 21, 1; iv. 38, 1.
  • 10viii. 21, 3. Cf. Kṣetra.
  • 11Rv. iv. 41, 6 等。
  • 12Taittirīya Saṃhitā, iii. 2, 8, 5; Kāṭhaka Saṃhitā, v. 2; Maitrāyaṇī Saṃhitā, iv. 12, 3.
  • 13Vedische Studien, 2, 204-207.
  • 14Cf. Baden Powell, Indian Village Community(1899); Zimmer, Altindisches Leben, 236; Mrs. Rhys Davids, Journal of the Royal Asiatic Society, 1901, 860.
  • 15vii. 24, 2.
  • 16Cf. Diodoros, ii. 40; Arrianos, Indica, 11; Strabo, p. 703; Hopkins, Journal of the American Oriental Society, 13, 87 et seq. Cf. ibid., 20, 22, 23.
  • 17Cf. Gautama Dharma Sūtra, xviii. 5 et seq.; Baudhāyana Dharma Sūtra, ii. 2, 3; Āpastamba Dharma Sūtra, ii. 6, 14. もとよりこれらの規定はおそらくより早い時代に遡るが、どこまで遡るかを言うことは不可能である。しかし国土の定住化に伴って、土地の相続とその分割は不可避となったに違いない。
  • 18xiii. 6, 2, 18; 7, 1, 13. 15.
  • 19名高い挿話(Taittirīya Saṃhitā, iii. 1, 9, 4)において、Manu の財産分割から Nābhānediṣṭha が除外されたとき、この除外がその子の家畜(paśavaḥ)の取得によって埋め合わされていることは示唆的である。土地ではなく家畜こそが富の真の基礎であったことは明らかであり、それはアイルランド、イタリア(cf. pecunia)、ギリシア等におけると同様である。家畜は個人的に用いられえたし、また実際に用いられた。しかし土地は人の自由な処分に開かれてはいなかった。いずれにせよ、家族ないし共同体の同意が求められたであろうことは疑いない。しかし文献が沈黙している以上、我々は類推に頼らざるをえない。Cf. Schrader, Prehistoric Antiquities, 289; Jolly, Recht und Sitte, 94-96; Rhys Davids, Buddhist India, 48 et seq.

Urvārū§

Urvārū(女性)、Urvāruka(中性)、「胡瓜」。前者1 はこの植物を、後者2 はその果実を指すが、いずれもきわめて稀である。これらの箇所はすべて、果実が熟すとその茎が緩むという事実に関わるように思われる。3 果実はまた或る Brāhmaṇa4 において Urvāru とも呼ばれる。

  • 1Av. vi. 14, 2.
  • 2Rv. vii. 59, 12 = Av. xiv. 1, 17 = Maitrāyaṇī Saṃhitā, i. 10, 4 = Taittirīya Saṃhitā, i. 8, 6, 2 = Vājasaneyi Saṃhitā, iii. 60.
  • 3Av. vi. 14, 2 への Sāyaṇa の注。
  • 4Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, ix. 2, 19. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 242.

Ula§

Ula は何らかの未詳の野獣の名であり、Whitney1 の示唆するように、おそらく「豺(ジャッカル)」である。Atharvaveda2 および後期の諸 Saṃhitā3 に言及されるが、注釈者たちによって明確に同定されてはいない。

  • 1Translation of the Atharvaveda, 669.
  • 2xii. 1, 49.
  • 3Taittirīya Saṃhitā, v. 5, 12, 1(ūla として); Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 13, 12; 14, 2; Vājasaneyi Saṃhitā, xxiv. 31. Cf. Baudhāyana Śrauta Sūtra, ii. 5 における ulalaCf. Zimmer, Altindisches Leben, 82.

Ula Vārṣṇi-vṛddha§

Ula Vārṣṇi-vṛddha は Kauṣītaki Brāhmaṇa(vii. 4)において師として言及されている。

Ulapa§

Ulapa1 は Ṛgveda および後期の諸 Saṃhitā2 に言及される一種の草の名である。

  • 1x. 142, 3.
  • 2Av. vii. 66, 1. この語から派生した形容詞は ulapya(Vājasaneyi Saṃhitā, xvi. 45 等)および upolapa(Maitrāyaṇī Saṃhitā, i. 7, 2)である。

Ulukya Jāna-śruteya§

Ulukya Jāna-śruteya は Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa(i. 6, 3)において師として言及されている。

Ulūka§

Ulūka は Ṛgveda1 以降「梟」を表す通常の語である。この鳥はその鳴き声で知られ2、不吉の前触れ(nairṛta)とみなされた。3 馬祀においては梟が森の樹々に献ぜられたが4、これは疑いなくそこに塒を構えたためである。

  • 1x. 165, 4.
  • 2Rv. loc. cit.
  • 3Av. vi. 19, 2; Taittirīya Saṃhitā, v. 5, 18, 1; Vājasaneyi Saṃhitā, xxiv. 38.
  • 4Vājasaneyi Saṃhitā, xxiv. 23; Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 14, 4.

Ulūkhala§

Ulūkhala は Ṛgveda1 以降「臼」を表す通常の語であり、また複合語2 Ulūkhala-musala、「臼と杵」としてもしばしば現れる。この器具の正確な構造は、Sūtra 期に至るまでまったく知られない。

  • 1i. 28, 6; Av. x. 9, 26; xi. 3, 3; xii. 3, 13; Taittirīya Saṃhitā, v. 2, 8, 7; vii. 2, 1, 3; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 1, 4, 6 等。
  • 2Av. ix. 6, 15; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 1, 1, 22.

Ulkā§

Ulkā は Ṛgveda1 以降、常に流星を指す。Brāhmaṇa 文献2 においては「燃え差し」をも意味する。はるかに稀な形 Ulkuṣī3 は両方の意味を有する。

  • 1iv. 4, 2; x. 68, 4; Av. xix. 9, 8; Ṣaḍviṃśa Brāhmaṇa, vi. 8 等。
  • 2Śatapatha Brāhmaṇa, v. 5, 4, 19.
  • 3「流星」としては Av. v. 17, 4; Śatapatha Brāhmaṇa, xi. 2, 7, 21。「燃え差し」としては ibid., iii. 9, 2, 9.

Ulmuka§

Ulmuka は Brāhmaṇa 文献1 において「燃え差し」を表す一般的な語であり、そこから炭(aṅgāra)2 を取ることができた。

  • 1Aitareya Brāhmaṇa, ii. 11; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 8, 2, 1; ii. 1, 4, 28 等; Jaiminīya Brāhmaṇa, ii. 76(Journal of the American Oriental Society, 15, 239)。
  • 2Śatapatha Brāhmaṇa, xii. 4, 3, 3; Jaiminīya Brāhmaṇa, i. 61, 1(Journal of the American Oriental Society, 23, 342)。

Ulmukāvakṣayaṇa§

Ulmukāvakṣayaṇa は Śatapatha Brāhmaṇa1 に数度現れる表現であり、「燃え差しを消す(ava-kṣayaṇa)手段」を、あるいはおそらくより精確には「火挟み」を意味する。Aṅgārāvakṣayaṇa と比較せよ。

  • 1iv. 6, 8, 7; v. 2, 4, 15; xi. 6, 3, 3; Jaiminīya Brāhmaṇa, ii. 76. Cf. Böhtlingk, Dictionary, s.v.

Uśanas Kāvya§

Uśanas Kāvya は古の聖仙であり、Ṛgveda1 においてすでに半ば神話的な人物であって、しばしば言及され、とりわけ Kutsa および Indra と結びつけられる。後代2 には彼は神々との抗争における Asura たちの Purohita となる。彼の名の異形は Kavi Uśanas である。3 彼は Brāhmaṇa 文献においては師としても現れる。4

  • 1i. 51, 10; 83, 5; 121, 12; iv. 16, 2; vi. 20, 11; viii. 23, 17; ix. 87, 3; 97, 7; x. 40, 7。おそらく i. 130, 9; v. 31, 8; 34, 2; viii. 7, 26; x. 22, 6 も。また Av. iv. 29, 6 にも。
  • 2Taittirīya Saṃhitā, ii. 5, 8, 5; Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, vii. 5, 20; Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xiv. 27, 1.
  • 3Rv. iv. 26, 1.
  • 4Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, xiv. 12, 5; Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa, ii. 7, 2, 6. Cf. Roth, St. Petersburg Dictionary, s.v.; Geldner, Vedische Studien, 2, 167 et seq.; Bergaigne, Religion Védique, 2, 339 et seq.; Macdonell, Vedic Mythology, p. 147.

Uśanā§

Uśanā は Śatapatha Brāhmaṇa(iii. 4, 3, 13; iv. 2, 5, 15)において、Soma が調製された植物の名として現れる。

Uśīnara§

Uśīnara. ── Aitareya Brāhmaṇa1 においては、Kuru-Pañcāla 族が Vaśa 族および Uśīnara 族とともに「中つ国」に住むものとして言及されている。Kauṣītaki Upaniṣad2 においても Uśīnara 族は Kuru-Pañcāla 族および Vaśa 族と結びつけられているが、Gopatha Brāhmaṇa3 においては Uśīnara 族と Vaśa 族は北方人とみなされている。Ṛgveda4 においては、この民は一箇所でその王妃 Uśīnarāṇī への言及によって仄めかされている。Zimmer5 は Uśīnara 族がより早くはより北西方に住んでいたと考えるが、これについて明確な証拠はない。彼の説は単に、Ṛgveda の Anukramaṇī(索引)が或る讃歌6 を Śibi Auśīnara に帰していること、および Śibi 族が Alexandros の随行者たちに Σίβοι として7、Indus 川と Akesines 川(Chenab)との間に住む者として知られていたことに基づいている。しかしこれは決して決定的ではない。というのも Śibi 族は、少なくとも叙事詩の時代においては8 Kurukṣetra の北方の地を占めていたのであり、ヴェーダ期において Uśīnara 族が「中つ国」より西方にいたことを示す理由は何もないからである。

  • 1viii. 14.
  • 2iv. 1. Keith, Śāṅkhāyana Āraṇyaka, 36 を見よ。
  • 3ii. 9.
  • 4x. 59, 10.
  • 5Altindisches Leben, 130.
  • 6Rv. x. 179.
  • 7Diodoros, xvii. 19.
  • 8Pargiter の地図を見よ。Journal of the Royal Asiatic Society, 1908, p. 322. Cf. Weber, Indische Studien, 1, 213, 419; Hultzsch, Indian Antiquary, 34, 179.

Uṣa§

Uṣa、「塩の地」は、Maitrāyaṇī Saṃhitā(i. 6, 3)において Ūṣa の異形として現れる。

Uṣasta Cākrāyaṇa§

Uṣasta Cākrāyaṇa は Bṛhadāraṇyaka(iii. 5, 1)および Chāndogya(i. 10, 1; 11, 1)の両 Upaniṣad において師として言及されており、後者においてはその名が Uṣasti として現れる。

Uṣṭi, Uṣṭra§

Uṣṭi, Uṣṭra. ── この二語のうち前者はきわめて稀であるが1、いずれも同じ意味を持つに違いない。Roth2 と Aufrecht3 は、Ṛgveda4 および Brāhmaṇa 文献5 における意味が「瘤牛」ないし「水牛」であると主張するが、前者は Vājasaneyi Saṃhitā6 においては意味が疑わしく、「駱駝」が意味されているかもしれないと考える。Hopkins7 はあらゆる場合において「駱駝」の意であるとの見解を明確に採る。この動物は四頭ずつ繋がれて駄獣として用いられた。8

  • 1おそらく Rv. x. 106, 2; Taittirīya Saṃhitā, v. 6, 21, 1; Kāṭhaka Saṃhitā, xv. 2。
  • 2St. Petersburg Dictionary, s.v.
  • 3Muir, Sanskrit Texts, 5, 468 に引かれたもの。Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 224.
  • 4i. 138, 2; viii. 5, 37; 6, 48; 46, 22. 31; Av. xx. 127, 2; 132, 13; Vājasaneyi Saṃhitā, xiii. 50.
  • 5Śatapatha Brāhmaṇa, i. 2, 3, 9 等; Aitareya Brāhmaṇa, ii. 8.
  • 6xxiv. 28. 39.
  • 7Journal of the American Oriental Society, 17, 83.
  • 8Av. xx. 127, 2; Rv. viii. 6, 48.

Uṣṇīṣa§

Uṣṇīṣa はヴェーダ時代のインド人が男女1 ともに着用した「頭巾(ターバン)」を指す。Vrātya の頭巾は Atharvaveda2 および Pañcaviṃśa Brāhmaṇa3 に明示的に言及されている。頭巾はまた Vājapeya4 および Rājasūya5 の諸儀礼において、王がその地位の標識として着用した。

  • 1Aitareya Brāhmaṇa, vi. 1; Śatapatha Brāhmaṇa, iii. 3, 2, 3; iv. 5, 2, 7(祭祀において胎児を包むのに用いられる); xiv. 2, 1, 8(Indrāṇī の Uṣṇīṣa)等; Kāṭhaka Saṃhitā, xiii. 10.
  • 2xv. 2, 1.
  • 3xvii. 1, 14. Cf. xvi. 6, 13.
  • 4Śatapatha Brāhmaṇa, v. 3, 5, 23.
  • 5Maitrāyaṇī Saṃhitā, iv. 4, 3.

Uṣyala§

Uṣyala は Atharvaveda1 における寝台ないし婚礼の車の記述に一度現れ、そこでは四本の「枠材」を意味すると思われる。この語形は不確かであり、uṣpala もありうる。2

  • 1xiv. 1, 60.
  • 2Whitney, Translation of the Atharvaveda, 385. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 155; Whitney, op. cit., 752.

Usra§

Usra(男性)、Usrā(女性)、Usrika(男性)、Usriya(男性)、Usriyā(女性)。これらの語はいずれも「牡牛」ないし「牝牛」を指し、Ṛgveda1 にしばしば、また後代にも時に現れるが2、通常は朝の光への何らかの関連を伴う。若干の箇所では意味が疑わしい。Go を見よ。

  • 1Usra, Rv. vi. 12, 4; usrā, i. 3, 8; viii. 75, 8; 96, 8; ix. 58, 2 等; usrika, i. 190, 5; usriya, v. 58, 6(vṛṣabhaḥ とともに); ix. 74, 3; usriyā, i. 153, 4; 180, 3; ii. 40, 2 等。ix. 70, 6 においては usriya が仔牛に適用され、ix. 68, 1; 93, 2 においては usriyā が「乳」を意味する。
  • 2Usrau dhūrṣāhau, Vājasaneyi Saṃhitā, iv. 33; usrā, Av. xii. 3, 37; usriya, Av. i. 12, 1; usriyā, Av. ix. 4, 1; Vājasaneyi Saṃhitā, xxxv. 2. 3. Av. v. 20, 1; 28, 3 においてはそれは「牛皮」を、あるいはおそらく v. 28, 3 においては「乳」を意味する。