Aの部
Aṃhasas-pati§
Aṃhasas-pati. ── これは Vājasaneyi Saṃhitā(vii. 30; xxii. 31)における閏月の名称である。Māsa を見よ。
Akra§
Akṣa 1§
Akṣa 2§
2. Akṣa. ── この語は Ṛgveda 以降しばしば現れ、単数・複数の双方において「賽」および「賽子」を意味する。賭博は競馬とならんで、ヴェーダ時代のインド人の主要な娯楽の一つであった。しかし文献においてこの遊戯への言及が頻繁であるにもかかわらず、それがいかなる方式で行われたかについて明瞭な像を得ることには相当の困難がある。
(1) 材料. ── 賽子は通常 Vibhīdaka の木の実で作られていたと思われる。そのような賽子は Ṛgveda1 とAtharvaveda2 の双方において言及されており、それゆえ「褐色の」(babhru)、また「風の吹く場所に生じたもの」3 と呼ばれる。Agnyādheya および Rājasūya の諸儀礼における儀礼的な賽の遊戯においては賽子の材料は明記されていないが、時として Vibhīdaka の実を模した黄金製のものが用いられた可能性はある。4 後代における宝貝を賽子として用いる慣行の明確な痕跡は、ヴェーダ文献には存しない。5
(2) 数. ── Ṛgveda6 において賭博者は「大いなる群れの統率者」(senānīr mahato gaṇasya)と描かれ、また別の箇所7 ではその数が tri-pañcāśaḥ という語で与えられているが、この表現は種々に解釈されてきた。Ludwig8、Weber9、Zimmer10 はこれを十五と訳すが、これは文法的にほとんど成り立たない。Roth11 と Grassmann12 は「五十三から成る」と訳す。Lüders13 はこれを「百五十から成る」と解するが、これが単に大きな数を漠然と示す表現にすぎない可能性を指摘している。少ない数の例として Zimmer14 は、「四を手にする者」(caturaś cid dadamānāt)を恐れる者に関する Ṛgveda15 の言及を挙げるが、この箇所の意味は、遊戯の方法についていかなる見解を採るかに依存している。
(3) 遊戯の方法. ── 後期の
Saṃhitā および Brāhmaṇa の数箇所に、賭博に関わる表現の一覧が与えられている。Taittirīya Saṃhitā16 におけるその名称は Kṛta, Tretā, Dvāpara, Āskanda, Abhibhū である。Vājasaneyi Saṃhitā17 においては、Puruṣamedha における犠牲者のうち、kitava が Akṣarāja に、ādinava-darśa が Kṛta に、kalpin が Tretā に、adhi-kalpin が Dvāpara に、sabhā-sthāṇu が Āskanda に供せられる。Taittirīya Brāhmaṇa の並行する異文における一覧は kitava, sabhāvin, ādinava-darśa, bahiḥ-sad, sabhā-sthāṇu18 であり、また Akṣarāja, Kṛta, Tretā, Dvāpara, Kali である。Śatapatha Brāhmaṇa19 からは、Kali のもう一つの名が Abhibhū であったことが知られ、Taittirīya および Vājasaneyi 両 Saṃhitā の並行する一覧は、Abhibhū と Akṣarāja とが同一であることを示唆する。もっとも、後期の Taittirīya Brāhmaṇa の一覧には両者がともに現れている。これらの投擲のいくつかの名称は Ṛgveda および Atharvaveda にまで遡る。Kali は後者に現れ20、Lüders21 は、前者のかなりの数の箇所において Kṛta が「投擲」を意味すること(「賭け金」22 でも「勝ち取られたもの」23 でもなく)を示しており、この意味は Atharvaveda においても明瞭に見出される。24 さらに、投擲(ayāḥ)が一つならず存したことは、神々が富を与えあるいは奪うものとして投擲になぞらえられる Ṛgveda25 の一節によって証せられる。
投擲の性質は不明である。St. Petersburg 辞典は、上に挙げた名称が 4, 3, 2, 1 の目を記した賽子に適用されたか、あるいはそのように記された賽子の各面に適用されたかのいずれかであろうと推測しており、後者の解釈は後代の若干の注釈者によって支持されている。26 しかし前者の解釈には証拠がなく、後者に関しては、賽子として用いられた Vibhīdaka の実の形状27 が、いずれかの面が然るべく上を向くことを許さない。これらの表現に光を投ずるのは、
Agnyādheya および Rājasūya の諸儀礼における儀礼的な遊戯の記述28 である。細部は確実ではないが29、この遊戯が偶数個の賽子、通常は四で割り切れる数を得ることに存したことは明らかであり、これが Kṛta である。他の三つの投擲は、四で割った後に三が残る場合が Tretā、二が余る場合が Dvāpara、一が残る場合が Kali である。もし五が除数であるならば、余りを生じない投擲が Kali であり、四が残る場合が Kṛta であり、以下同様である。賽子には数字は記されておらず、問われるのはひとえに賽子そのものの総数であった。
Ṛgveda において行われた遊戯が同一の原理に基づいていたことは疑うに足る理由がない。もっとも細部は不確実なままにとどまらざるをえない。用いられた賽子の数は確かに多く30、四を投ずることへの言及31、および一によって負けることへの言及は、Kṛta が勝ちの投擲として用いられたことを指し示している。他方 Atharvaveda32 は、あるいは Kali を勝ちの投擲として知っていたかもしれない。一点において、通常の遊戯は儀礼的な遊戯と異なっていたに違いない。後者においては遊戯者は必要な数の賽子をただ選び取るのみである ── 疑いなく、実際に遊戯が行われたならば生じたに相違ない不吉な誤りを避けるためである。世俗の遊戯においては賽子は投げられた。33 おそらくは Lüders34 の示唆する原理に従い、すなわち一方が遊戯の場に一定の数を投げ、次いで他方が、すでに投げられた数と合わせて四ないし五の倍数となるような数を投げるのである。少なくともこの説は、Nala 物語におけるように、後代において遊戯者の計算能力が強調されたことを説明する。
盤は用いられなかったようであるが、
賽子を投ずるための窪み(adhi-devana, devana,35 iriṇa36)が地面に作られた。賽筒は用いられなかったが、賽子を収める容器(akṣa-vapana37)への言及がある。投擲は graha38、より古くは grābha39 と呼ばれた。賭け金は vij40 と呼ばれる。賭博においては重大な損失を蒙りうるものであった。Ṛgveda においてある賭博者は、妻を含む全財産を失ったことを嘆いている。41 Lüders42 は Chāndogya Upaniṣad43 に別種の遊戯への言及を見出している。
- 1vii. 86, 6; x. 34, 1.
- 2Av. Paipp. xx. 4, 6.
- 3Rv. x. 34, 5; Av. vii. 114, 7; Rv. x. 34, 1.
- 4Sāyaṇa on Taittirīya Saṃhitā, i. 8, 6, 12; Śatapatha Brāhmaṇa, v. 4, 4, 6.
- 5Sāyaṇa, loc. cit., および Rv. i. 41, 9 への注; Mahīdhara on Vājasaneyi Saṃhitā, x. 28.
- 6x. 34, 12.
- 7x. 34, 8.
- 8彼の翻訳を見よ。
- 9Über das Rājāsūya, 72.
- 10Altindisches Leben, 284.
- 11Rv. x. 34, 8 への Sāyaṇa の注に従う。
- 12彼の翻訳において。
- 13Das Würfelspiel im alten Indien, 25.
- 14Op. cit., 283.
- 15i. 41, 9.
- 16iv. 3, 3, 1. 2.
- 17xxx. 18.
- 18iii. 4, 1, 16. これらは賭博に通じた人々であるに相違ないが、その名称の正確な意味は不明である。
- 19v. 4, 4, 6.
- 20vii. 114, 1.
- 21Op. cit., 43 et seq.
- 22St. Petersburg Dictionary, s.v.
- 23Grassmann's Dictionary, s.v.
- 24vii. 52. Rv. x. 42, 9(kṛtaṃ vicinoti); 43, 5; x. 102, 2; v. 60, 1; ix. 97, 58; i. 132, 1; x. 34, 6; i. 100, 9; viii. 19, 10 を見よ。
- 25x. 116, 9.
- 26Ānandagiri on Chāndogya Upaniṣad, iv. 1, 4; Nīlakaṇṭha on Mahābhārata, iv. 50, 24.
- 27Lüders, op. cit., 18.
- 28Baudhāyana Śrauta Sūtra, ii. 8; 9; Āpastamba Śrauta Sūtra, v, 19, 4; 20, 1(Agnyādheya については Rudradatta の注とともに)。Āpastamba, xviii. 18, 16 et seq. は Rājasūya の遊戯を記述する。また cf. Maitrāyaṇī Saṃhitā, iv. 4, 6; Taittirīya Brāhmaṇa, i. 7, 10, 5; Śatapatha Brāhmaṇa, v. 4, 4, 6; Kātyāyana Śrauta Sūtra, xv. 7, 5 et seq. Kṛta を四とすることについては Śatapatha Brāhmaṇa, xiii. 3, 2, 1; Taittirīya Brāhmaṇa, i. 5, 11, 1 を見よ。
- 29Caland, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 62, 123 et seq. を見よ。
- 30Rv. x. 34, 8.
- 31Rv. i. 41, 9. x. 34, 2 においては損失が akṣasya ekaparasya に帰されており、これは Pāṇini, ii. 1, 10 に与えられた Dvāpara の説明を裏づける。
- 32vii. 114, 1.
- 33Rv. x. 34, 1. 8. 9; Av. iv. 38, 3.
- 34Op. cit. 56.
- 35Adhidevana は Av. v. 31, 6; vi. 70, 1; Maitrāyaṇī Saṃhitā, i. 6, 11; iv. 4, 6 等に、devana は Rv. x. 43, 5 に見える。賽子が地面に落ちることは Av. vii. 114, 2 に言及されている。
- 36Rv. x. 34, 1.
- 37Śatapatha Brāhmaṇa, v. 3, 1, 11.
- 38Av. iv. 38, 1 et seq.; cf. vii. 114, 5.
- 39Rv. viii. 81, 1; ix. 106, 3.
- 40Rv. i. 92, 10; ii. 12, 5; lakṣa は ii. 12, 4 に、また dhana もしばしば用いられる。Lüders, op. cit., 10, n. 5; 62, n. 1 はかく解する。Roth および Zimmer, op. cit., 286 は(i. 92, 10 を)「彼は賽子を密かに消し去る」と訳す。
- 41Rv. x. 34, 2. 遊戯における不正については cf. Rv. v, 85, 8; vii. 86, 6; 104, 14; Av. vi. 118.
- 42Op. cit., 61.
- 43iv. 1, 4; 6. Nīlakaṇṭha の Harivaṃśa, ii. 61, 39 への注によれば、賭け金は十分され、Kali が一を、Dvāpara が三を、Tretā が六を、Kṛta が十のすべてを取ったという。この説明はいかにも無理である。 Cf. Roth, Gurupūjākaumudī, 1-4; Zimmer, Altindisches Leben, 283-287; Lüders, Das Würfelspiel im alten Indien; Caland, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 62, 123 et seq.; Keith, Journal of the Royal Asiatic Society, 1908, 823 et seq.
Akṣa 3§
3. Akṣa. ── Chāndogya Upaniṣad(vii. 3, 1)においてこの語は、Vibhīdaka(Terminalia bellerica)の実を指すものと思われる。
Akṣata§
Akṣata あるいは Akṣita. ── Jāyānya を扱う Atharvaveda の一節1 において、Akṣita および Sukṣata と、あるいは Kauṣika Sūtra の読みによれば Akṣata および Sukṣata と、また Sāyaṇa においては Akṣita および Sukṣita と称される、腫れ物の治療薬への言及がある。Bloomfield2 は「切ることによって生じたのではないもの」および「切ることによって生じたもの」と訳す。かつて3 彼は「腫瘍」ないし「腫れ物」を提案していた。Whitney4 は二種類の Jāyānya が意味されていると考える。Ludwig5 は Sāyaṇa に従って akṣita と読み、これを病者において「しっかりと定着していない」と訳す。Zimmer6 はそこに Kṣata という病を見出す。
Akṣā-vapana§
Akṣā-vapana. Akṣa を見よ。
Akṣu§
Akṣu. ── この語は Atharvaveda の二箇所1 と Ṛgveda の一箇所2 に現れる。Roth3 はこれを「網」と訳し、Böhtlingk4 は「車の車軸」を提案する。Geldner5 はそこに、漁師の網(Jāla)とともに用いられる杭ないし棹6、荷車の轅7、および家の柱を見るが、それが垂直のものか水平のものかは未決のままにしている(Vaṃśa を見よ)。8 Bloomfield9 はこれを、梁を横切って張り渡され両側へ傾斜して下る枝編み細工の覆い ── 藁葺きの屋根のごときもの ── と解しており、これはそれに与えられた「千の眼を持つ」(すなわち無数の穴を有する)という形容辞を最もよく説明する。Atharvaveda のもう一方の箇所10 においては彼は「網」の意味を認め、また Ṛgveda におけるこの語が、Sāyaṇa の解するように形容詞(a-kṣu)ではないかと疑っている。Gṛha をも見よ。
- 1viii. 8, 18(akṣujālābhyām); ix. 3, 18.
- 2i. 180, 5.
- 3St. Petersburg Dictionary, s.v.
- 4Dictionary, s.v.
- 5Vedische Studien, 1, 136.
- 6Av. viii. 8, 18.
- 7Av. i. 180, 5.
- 8ix. 3, 18.
- 9Hymns of the Atharvaveda, 598.
- 10Av. viii. 8, 18. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 153, 265; Whitney, Translation of the Atharvaveda, 506, 526; Oldenberg, Ṛgveda-Noten, 1, 179.
Agasti§
Agastya§
Agastya. ── これは神話的性格を有する聖仙の名であり、後代の文献において大きな役割を果たす。彼は Māna であり1、それゆえ Mānya2 また Māna の子と呼ばれる。彼が Mitra と Varuṇa の子であったという後代に流布した伝説への言及は、ただ一度あるのみである。3
彼の最大の功業は、Indra と Marut 神群との和解であった。すなわち彼が Indra を除外して Marut 神群に供物を献ずることを提案したために Indra が立腹した後のことである。この功業は Ṛgveda の三つの讃歌4 の主題であり、また
Brāhmaṇa 文献にもしばしば言及される5。もっとも、この伝説の正確な細部と意義については、Oldenberg6、Sieg7、Hertel8、von Schroeder9 によって種々に論じられている。
彼はまた Ṛgveda において Lopāmudrā との奇異な対話10 に登場し、そこでは彼はついに誘惑に屈する苦行者として描かれているように見える。von Schroeder11 はこれを植物繁茂の呪術に関わる儀礼劇とみなしている。
Ṛgveda の別の箇所12 において彼は、Aśvin 双神が Viśpalā に脚を与えるのを助ける者として現れる。Sāyaṇa は彼が Khela の Purohita であったと解しており、Sieg13 もこの見解を容れるが、Pischel14 は Khela を神格、すなわち Vivasvant であると考える。
Geldner15 は Ṛgveda16 に基づいて、Agastya が Vasiṣṭha の兄弟として ── 両者はともに Mitra と Varuṇa の奇跡的な子である ── Vasiṣṭha を Tṛtsu 族に引き合わせたことを示している。Ṛgveda には Agastya への言及がさらに二箇所あり、一方17 は長い人名表のうちに彼を含めるものであり、他方は彼の姉妹の子ら(nadbhyaḥ)18、すなわち明らかに Bandhu らに触れるものである。Atharvaveda19 においては彼は呪術と結びついて現れ、また聖仙の長い一覧のうちにも現れる。20 Maitrāyaṇī Saṃhitā21 においては、耳に特異な印を有する牝牛(viṣṭya-karṇyaḥ)が彼と結びつけられている。
- 1Rv. vii. 33, 10(Agastya), 13(Māna).
- 2Rv. i. 165, 15 = 166, 15 = 167, 11 = 168, 10; 165, 14; 177, 5; 184, 4(Mānya); i. 189, 8; 117, 11(Mānasya sūnu).
- 3Rv. vii. 33, 13. Cf. Geldner, Vedische Studien, 2, 138 et seq.
- 4Rv. i. 165; 170; 171.
- 5Taittirīya Saṃhitā, vii. 5, 5, 2; Taittirīya Brāhmaṇa, ii. 7, 11, 1; Maitrāyaṇī Saṃhitā, ii. 1, 8; Kāṭhaka Saṃhitā, x. 11; Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, xxi. 14, 5; Aitareya Brāhmaṇa, v. 16; Kauṣītaki Brāhmaṇa, xxvi. 9.
- 6Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 39, 60 et seq.
- 7Die Sagenstoffe des Ṛgveda, 108-119.
- 8Vienna Oriental Journal, 18, 152-154.
- 9Mysterium und Mimus im Rigveda, 91 et seq.
- 10i. 179. Cf. Sieg, op. cit., 120-126; Oldenberg, op. cit., 66-68.
- 11Op. cit., 156-172.
- 12i. 117, 11; cf. i. 116, 15.
- 13Op. cit., 128.
- 14Vedische Studien, 1, 171-173.
- 15Vedische Studien, 2, 138, 143.
- 16Rv. vii. 33, 10. 13.
- 17vii. 5, 26. Sieg, 129 は、これが Khela 伝説に関わるものであると示唆する。
- 18x. 60, 6.
- 19ii. 32, 3; iv. 37, 1. おそらくこの理由によって、Ṛgveda の Anukramaṇī は彼に呪術讃歌(Rv. i. 191)を帰している。
- 20xviii. 3, 15.
- 21iv. 2, 9. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 117; Sieg, Die Sagenstoffe des Ṛgveda, 106-129; Macdonell, Bṛhaddevatā, 2, 136 et seq.; Oldenberg, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 42, 221; Ṛgveda-Noten, 1, 110.
Agara§
Agni-dagdha§
Agni-dagdha. ── この形容辞(「火によって焼かれた」)1 は、荼毘の薪上で焼かれた死者に適用される。これは死者を処理する二つの通常の方法の一つであり、他は埋葬(an-agnidagdhāḥ、「火によって焼かれざる者」)である。2 Atharvaveda3 はこれらにさらに二つの処理法を加える ── すなわち、遺棄すること(paroptāḥ)、および死者を露置すること(uddhitāḥ)である。これらの表現の正確な意味は不確かである。Zimmer4 は、前者が死者を獣に食わせるために遺棄するイランの慣行に対応するものであり、後者は無力となったときに遺棄される老人に関わるものであると考える。5 Whitney6 は後者の表現を、何らかの高床の上に遺体を露置することに関するものと解する。
埋葬が Ṛgveda 期において稀でなかったことは明らかである。一篇の讃歌7 全体がそれに伴う儀礼を記述している。死者は見たところ完全な装いのまま、手に弓を持って葬られ、またおそらくある時期には、未開の諸部族の間に一般的な慣行に従って、妻が彼に随伴すべく犠牲に供された。しかしヴェーダ期においては、両慣行はともに変容した形で現れる。すなわち息子が死者の手から弓を取り、寡婦は死せる夫のもとから、夫の兄弟あるいはその他の最近親者によって導き去られる。死者と生者との間には、両者を隔てるために石が置かれる。Atharvaveda8 には ── Ṛgveda にはないが ── 棺(vṛkṣa)への言及がある。両 Saṃhitā9 には「土の家」(bhūmi-gṛha)への言及も現れる。火葬と埋葬との間の見かけ上の齟齬を除くために、Oldenberg10 のごとく、埋葬への言及が焼かれた遺骨の埋葬を指すものと想定することは、不要であり、また蓋然性を欠く。というのも、ギリシアにおいても火葬と埋葬とは長年にわたり並存していたからである。
しかし火葬もまた同様に一般的であり、その頻度は着実に増していった。というのも Chāndogya Upaniṣad11 においては、来世を獲得するために
死者の身体を凝乳(Āmikṣā)・衣服・装身具で飾ることが、誤った不当な行為として言及されており、また Vājasaneyi Saṃhitā12 の葬送 Mantra においては火葬のみが想定されているように見えるからである。ここで埋葬に言及する詩節は、実際には墓地(śmaśāna)における遺灰の埋納に触れたものである。13 遺体は脂で包まれた14。これは Ṛgveda の葬送讃歌から知られるところである。また来世への道の案内役として、山羊が遺体とともに焼かれたようである。15 Atharvaveda16 によれば、駄牛が焼かれたが、これはおそらく死者が来世で騎乗するためであろう。死者はその全身と四肢のすべてをそなえて蘇生する(sarva-tanūḥ sāṅgaḥ)と期待されていた17。もっとも、眼は太陽へ、息は風へ赴く、等とも言われている。18
埋葬あるいは火葬に先立ち、遺骸は洗われ19、死者が地上へ帰り来るのを防ぐために足に枷(kūdī)が結びつけられた。20
- 1Rv. x. 15, 14; Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 1, 1, 7; dagdhāḥ, Av. xviii. 2, 34.
- 2Rv., loc. cit.; = nikhātāḥ, Av. xviii. 2, 34.
- 3Loc. cit.
- 4Altindisches Leben, 402.
- 5Rv. viii. 51, 2.
- 6Translation of the Atharvaveda, 841.
- 7x. 18. 第8詩節の解釈は名高い難問である。Patnī を見よ。
- 8xviii. 2, 25; 3, 70.
- 9Rv. vii. 89, 1; Av. v. 30, 14; xviii. 2, 52.
- 10Religion des Veda, 571.
- 11viii. 8. 5.
- 12xxxv. また cf. Kauśika Sūtra, 80 et seq. これは Atharvaveda の讃歌 xviii. 1-3 を火葬専用のものとして扱っている。
- 13Av. v. 31, 8; x. 1, 18; Taittirīya Saṃhitā, v. 2, 8, 5; 4, 11, 3.
- 14Rv. x. 16, 7.
- 15Rv. x. 16, 4. ただし aja は、Weber が採るように「生まれざる部分」を意味するかもしれない。Proceedings of the Berlin Academy, 1895, 847 を見よ。
- 16xii. 2, 48.
- 17Śatapatha Brāhmaṇa, iv. 6, 1, 1; xi. 1, 8, 6; xii. 8, 3, 31. Cf. Av. xi. 3, 32. この事実がおそらく Rv. x. 16, 5 における śeṣaḥ の用法を説明する。死者は来世において性的な快楽を享受する。Muir, Sanskrit Texts, 5, 307, n. 462 を見よ。
- 18Rv. x. 16, 3.
- 19Av. v. 19, 14.
- 20Av. v. 19, 12. Roth, Festgruss an Böhtlingk, 98; Bloomfield, American Journal of Philology, 12, 416 を見よ。 Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 401-407; Roth, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 8, 468 et seq.; Siebenzig Lieder, 150 et seq.; Oldenberg, Religion des Veda, 570 et seq.; Caland, Die altindischen Todten- und Bestattungsgebräuche; von Schroeder, Indiens Literatur und Cultur, 40-42; Hillebrandt, Vedische Mythologie, 3, 413-423; Rituallitteratur, 87 et seq.; Macdonell, Vedic Mythology, 165, 166; Proceedings of the Berlin Academy, 1895, 815 et seq.
Agni-bhū Kāśyapa§
Agni-śāla§
Aghā§
Aghā. ── Ṛgveda の婚礼讃歌1 において、牝牛は Aghā 星宿において屠られ、婚礼は Arjunī(双数)において行われると言われる。Atharvaveda2 は代わりに通常の Maghā を有する。Ṛgveda の読みが、牛の屠殺と罪(agha)との結びつきのゆえに ── おそらくはさらに、「牝牛」の名である aghnyā との対比を強調しようとする意図もあって ── 意図的に改変されたという結論は、抗いがたいものである。しかも Taittirīya Brāhmaṇa3 には「Maghā にスヴァーハー、Anaghā にスヴァーハー」という定型句が現れる。Nakṣatra をも見よ。
Aghāśva§
A-ghnyā§
A-ghnyā. ── Māṃsa を見よ。
Aṅka§
Aṅka. ── Taittirīya Saṃhitā1 および Brāhmaṇa2 は、戦車の部分として二つの Aṅka と二つの Nyaṅka に言及する。これらの語の意味はまったく不明である。注釈者たちはこれらを側面あるいは車輪に関わるものとする。Zimmer3 はギリシア語の ἄντυγες4 と比較し、Aṅkau が車体(kośa, vandhura)の上縁であり、Nyaṅkau がより堅固にするための下縁であったと考える。Oldenberg5 は正確な意味を確定することは不可能であると認めつつ、これらの語が同時に戦車の部分と神格との双方に関わるものと考えるのに対し、Böhtlingk6 はこの語をもっぱら神格に関わるものと解する。
Aṅga§
Aṅga Vairocana§
Aṅgārāvakṣayaṇa§
Aṅgiras§
Aṅguṣṭha§
Aṅguṣṭha. ── 大きさの尺度としてこの語は Kāṭhaka Upaniṣad(iv. 12; vi. 17)に現れる。
A-cyut§
Aja, Ajā§
Aja, Ajā. ── これは Ṛgveda1 および後代の文献における山羊の通常の名称である。山羊はまた Basta、Chāga、Chagala とも呼ばれる。山羊と羊(ajāvayaḥ)はきわめて頻繁に併記される。2 牝山羊は二頭ないし三頭の仔を産むものとして語られ3、山羊の乳もよく知られている。4 Pūṣan の代表としての山羊は、葬送儀礼において重要な役割を果たす。5 山羊飼い(ajapāla)の職業は認知されたものであり、牛飼いおよび羊飼いのそれと区別されていた。6
- 1Aja は Rv. x. 16, 4; i. 162, 2. 4; Av. ix. 5, 1; Vājasaneyi Saṃhitā, xxi. 9 等に、ajā は Rv. viii. 70, 15; Av. vi. 71, 1; Vājasaneyi Saṃhitā, xxiii. 56 等に見える。
- 2Rv. x. 90, 10; Av. viii. 7, 25; Vājasaneyi Saṃhitā, iii. 43 等。
- 3Taittirīya Saṃhitā, vi. 5, 10, 1.
- 4Taittirīya Saṃhitā, iv. 1, 6, 1; v. 1, 7, 4. Cf. Hillebrandt, Vedische Mythologie, 3, 364, n. 4.
- 5Rv. x. 16, 4 等。Cf. p. 9.
- 6Vājasaneyi Saṃhitā, xxx. 11; Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 4, 9, 1.
Aja(民族名)§
Ajakava§
Aja-gara§
Aja-mīḍha§
Aja-śṛṅgī§
Ajāta-śatru§
Ajñāta-yakṣma§
Ajina§
Ajira§
Ajīgarta Sauyavasa§
A-jyeyatā§
A-jyeyatā. Brāhmaṇa を見よ。
Aṇīcin Mauna§
Aṇu§
Atithi§
Atithi-gva§
Atithi-gva. ── この名は Ṛgveda に頻繁に現れ、ほぼすべての場合において、別に Divodāsa と呼ばれる同一の王を指すものと思われる。両者が同一人物であることは Bergaigne1 によって否定されたが、Śambara の敗北と関連して両名がともに現れる幾多の箇所2 によって、確実に証明される。他の箇所3 では Atithigva は Parṇaya と Karañja を殺すにあたって Indra を助けたと言われる。時には漠然と言及されるにすぎず、一方ある箇所5 では Turvaśa と Yadu の敵として言及されている。また別の箇所6 では Atithigva は Āyu および Kutsa とともに、Tūrvayāṇa に敗れた者として並記されている。
Dānastuti(「贈与の讃」)7 においては別の Atithigva が言及されているように見え、そこではその子 Indrota に触れられている。
Roth8 は三人の Atithigva を区別する ── すなわち Atithigva Divodāsa、Parṇaya と Karañja の敵、そして Tūrvayāṇa の敵である。しかしこれら種々の箇所は調停可能であり、とりわけ、Atithigva Divodāsa が最古の讃歌においてすでに古き英雄であり、ほとんど神話的な存在となりつつあったことを認めるならばそうである。
(訳注:原書において脚注4の位置は本文中に脱落しており、脚注群の末尾に置かれている。原形のまま保存した。)
- 1Religion Védique, 2, 342 et seq.
- 2Rv. i. 51, 6; 112, 14; 130, 7; iv. 26, 3; vi. 47, 22.
- 3Rv. i. 53, 8; x. 48, 8.
- 5Rv. vii. 19, 8. ここでの言及を後代の Atithigva に関わるものと想定する根拠はない。
- 6Rv. i. 53, 10; ii. 14, 7; vi. 18, 13; viii. 53, 2.
- 7Rv. viii. 68, 16. 17.
- 8St. Petersburg Dictionary, s.v. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 123; Bloomfield, American Journal of Philology, 17, 426. 同氏はこの名を「客に牛を贈る者」と訳す。
- 4Rv. vi. 26, 3.
Ati-dhanvan Śaunaka§
A-tṛṇāda§
Atka 1§
Atka 2§
Aty-aṃhas Āruṇi§
Aty-aṃhas Āruṇi. ── Taittirīya Brāhmaṇa(iii. 10, 9, 3-5)によれば、この師は Sāvitra(Agni の一形態)について Plakṣa Dāyyāṃpati に問わせるべく弟子を遣わした。この非礼のゆえに、その弟子は厳しく叱責された。
Aty-arāti Jānaṃ-tapi§
Aty-arāti Jānaṃ-tapi は、王族ではなかったにもかかわらず、Vāsiṣṭha Satyahavya から Rājasūya を教えられ、それによって大地を征服した。Vāsiṣṭha が彼にその恩義を思い起こさせ、大いなる報償を求めたとき、この戦士は苛立たしげに、自分は Uttara Kuru 族を征服するつもりであり、そのときには Vāsiṣṭha が大地の王となり、Atyarāti 自身はその将軍(senā-pati)となるであろう、と答えた。Vāsiṣṭha は、いかなる人間も Uttara Kuru 族を征服することはできぬがゆえに、自分は報償を騙し取られたのだと応じた。
その結果彼は、Amitratapana Śuṣmiṇa Śaibya の手による Atyarāti の敗北と死とをもたらした。1
- 1Aitareya Brāhmaṇa, viii. 23. Cf. Weber, Indische Studien, 1, 214.
Atri§
Atri. ── Atri 自身も Atri 族も、Ṛgveda 第5 Maṇḍala が ── 疑いなく正しく ── Atri 族に帰されているという事実2 を超えては、いかなる歴史的実在性をも主張しえない。1 Atri 族は一家系としておそらく Priyamedha 族3 および Kaṇva 族4 と密接な関係にあり、またおそらくは Gotama 族5 および Kākṣīvat 族6 とも関係していた。第5 Maṇḍala の一讃歌7 に Paruṣṇī 川と Yamunā 川の双方が言及されていることは、この家系が広範な領域にわたって分布していたという推定を正当化するように思われる。
- 1Ṛgveda における Atri については Macdonell, Vedic Mythology, 145 を見よ。また cf. Av. ii. 32, 3; iv. 29, 3; Mantra Brāhmaṇa, ii. 7, 1; Taittirīya Āraṇyaka, iv. 36 等; Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, ii. 2, 4.
- 2Cf. Rv. v. 39, 5; 67, 5; Kauṣītaki Brāhmaṇa, xxiv. 3; Aitareya Āraṇyaka, ii, 2, 1.
- 3Cf. Rv. i. 45, 3; 139, 9; viii. 5, 25; Aitareya Brāhmaṇa, viii. 22.
- 4Cf. Rv. i. 118, 7; v. 41, 4; x. 150, 5.
- 5Cf. Rv. i. 183, 5.
- 6Cf. Rv. x. 143, 1.
- 7Rv. v. 52, 9, 17. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 128, 142; Bergaigne, Religion Védique, 2, 469; Oldenberg, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 42, 212-215; Hillebrandt, Vedische Mythologie, 3, 310.
Atharī§
Atharvan§
Atharvan. ── 単数形のこの名は、神話的な祭官の半神的家系の長を指し1、これについては歴史的なことは何も語りえない。複数形では家系全体が意味される。若干の箇所では実在の家系が言及されているように見える。例えば彼らは Aśvattha の
寛大さを讃える Dānastuti(「贈与の讃」)2 において贈与の受領者として言及されている。また儀礼における蜜を混ぜた乳の使用が彼らに関して言及されており3、Taittirīya Brāhmaṇa4 によれば、事故によって流産した牝牛(ava-tokā)は Atharvan 族に献ぜられる。
- 1Macdonell, Vedic Mythology, 141 を見よ。Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, ii. 6, 3 の Vaṃśa においては、Atharvan Daiva は特徴的にも Mṛtyu の弟子とされている。
- 2Rv. vi. 47, 24.
- 3Rv. ix. 11, 2.
- 4iii. 4, 11, 1. Cf. Vājasaneyi Saṃhitā, xxx. 15. Cf. Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, xxxv. et seq. 同氏(p. xxxviii)は avatokā を女性と解し、Atharvan を讃歌と解する。Hillebrandt, Vedische Mythologie, 2, 174 et seq.
Atharvāṇaḥ§
Atharvāṅgirasaḥ§
Atharvāṅgirasaḥ. ── これは後期 Brāhmaṇa 文献の数箇所1 における Atharvaveda の総称である。Atharvaveda 自身にも一度現れるが2、Atharvaveda という語そのものは Sūtra 期以前には見出されない。3 Bloomfield4 によれば、この複合語は Atharvaveda を構成する二つの要素を指すと思われる。前半部はこのヴェーダの吉祥なる実践(bheṣajāni)5 に関わり、後半部はその敵対的な呪術、すなわち yātu6 ないし abhi-cāra7 に関わる。この説は、Ghora Āṅgirasa および Bhiṣaj Ātharvaṇa という二人の神話的人物の名によって、また Pañcaviṃśa Brāhmaṇa8 における Atharvāṇaḥ および Ātharvaṇāni と治癒(bheṣaja)との結びつきによって支持される。さらに bheṣajā(「治療薬」)という語は Atharvaveda9 においてそのヴェーダ自体を指し、他方 Śatapatha Brāhmaṇa10 においては yātu(「妖術」)が同じ意味を担う。しかしこの証拠は決して決定的ではないから、Atharvaveda 全体の責を負う者としてのこの二人の聖仙の間に、明確な区別は存在しなかったという可能性が残る。
- 1Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 12, 8, 2; Taittirīya Āraṇyaka, ii. 9; 10; Śatapatha Brāhmaṇa, xi. 5, 6, 7; Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, ii. 4, 10; iv. 1, 2; 5, 11; Chāndogya Upaniṣad, iii. 4, 1. 2; Taittirīya Upaniṣad, ii. 3, 1.
- 2x. 7, 20.
- 3Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xvi. 2, 9 等。
- 4Journal of the American Oriental Society, 11, 387 et seq.; Hymns of the Atharvaveda, xviii. et seq.
- 5Av. xi. 6, 14.
- 6Śatapatha Brāhmaṇa, x. 5, 2, 20.
- 7Kauśika Sūtra, 3, 19.
- 8xii. 9, 10; xvi. 10, 10.
- 9x. 6, 14.
- 10x. 5, 2, 20. Cf. Hillebrandt, Vedische Mythologie, 2, 177.
A-dṛṣṭa§
Adma-sad§
Adri§
Adhi-devana§
Adhi-rāja§
Adhi-rāja. ── この語は初期文献を通じてかなり頻繁に現れ1、王ないし諸侯のうちの「上位の王」を指す。
いずれの箇所においても真の大王が意味されていることは明らかでない。というのも rājan という語は王を意味することもあれば、単に諸侯、すなわち王家の血を引く人物を意味することもあるからである。全体としては、この語が「諸侯」に対する「王」以上の意味を含意しないというのが最も蓋然性が高いと思われる。
- 1Rv. x. 128, 9; Av. vi. 98, 1; ix. 10, 24; Taittirīya Saṃhitā, ii. 4, 14, 2; Maitrāyaṇī Saṃhitā, iv. 12, 3; Kāṭhaka Saṃhitā, viii. 17; Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 1, 2, 9(adhirājan); Śatapatha Brāhmaṇa, v. 4, 2, 2; Nirukta, viii. 2.
Adhi-ṣavaṇa§
Adhi-ṣavaṇa. ── 二つの Adhiṣavaṇa1 は、Roth2 や Zimmer3 のように、通常 Soma がその間で搾られた二枚の板を指すものと解されている。しかし Hillebrandt4 は儀礼に基づいて、この二枚の板が上下に重ねて置かれたのではなく、前後に並べて置かれ、両者が土台となってその上で Soma が石によって搾られたことを示している。この説は「上から搾る」というこの名の語源的な意味を最もよく説明し、またこの語が形容詞として(「その上で搾るのに用いられる」)用いられることをも説明するように思われる。しかし Haug5 が Deccan において目撃した手順によれば、まず植物の茎が皮の上に置かれ、次いで板の一枚がその上に載せられて石で搗かれる。次いで茎は取り出されて板の上に置かれ、そのうえで第二の板がその上に載せられる。
- 1Vājasaneyi Saṃhitā, xviii. 21; Av. v. 20, 10; Śatapatha Brāhmaṇa, iii. 9, 4, 1; 5, 3, 22(adhiṣavaṇe phalake); Aitareya Brāhmaṇa, vii. 32(adhiṣavaṇaṃ carma,「その上で搾りが行われる皮」; adhiṣavaṇe phalake,「その上で搾りが行われる板」、等)。
- 2St. Petersburg Dictionary, s.v.
- 3Altindisches Leben, 277.
- 4Vedische Mythologie, 1, 148 et seq.
- 5Haug, Aitareya Brāhmaṇa, 2, p. 488, n. 10 を見よ。
Adhī̆-vāsa§
Adhyāṇḍā§
Adhyāṇḍā. ── これは Śatapatha Brāhmaṇa(xiii. 8, 1, 16)において他の多くの植物とともに言及される植物である。
Adhri-gu§
Adhvaryu§
An-agni-dagdha§
An-agni-dagdha、「火によって焼かれざる者」。Agni-dagdha「火によって焼かれた者」を見よ。
Anaḍ-vāh§
Anaḍ-vāh(字義通りには「車を牽く者」)。 ── これは荷車(Anas)を牽くのに用いられる牡牛の通常の名称である。1 そのような牡牛は常にというわけではないが、通例去勢されていた。2 牝の駄獣(anaḍuhī)もまた用いられたが、稀であった。3 Go をも見よ。
- 1Rv. x. 59, 10; 85, 10; iii. 53, 18; Av. iii. 11, 5; iv. 11, 1 等; Aitareya Brāhmaṇa, i. 14; Śatapatha Brāhmaṇa, ii. 1, 4, 17 等。
- 2Cf. Kātyāyana Śrauta Sūtra, xv. 1, 5(anaḍvān sāṇḍaḥ)。
- 3Av. iv. 11; Śatapatha Brāhmaṇa, v, 3, 4, 11. 13. Cf. Weber, Indische Studien, 13, 151, n.; Zimmer, Altindisches Leben, 226.
Anas§
Anas. ── これは荷車を指すのに用いられる語であり1、戦闘ないし競技用の戦車(ratha)に対立するものであって、時に両者は明示的に対比される。2 もっとも Indra は一度、戦車の上ではなく「荷車に坐す者」(anar-viś)と言われている。3 暁の女神 Uṣas は時に戦車(ratha)に乗るが、荷車こそ彼女に特徴的な乗物である。4 その構造については我々の知るところは少ない。Ṛgveda の婚礼讃歌において太陽の娘 Sūryā が乗せられた婚礼の車には覆い(Chadis)があった。5 軸受(Kha)にも
言及されている。6 Atharvaveda7 においては Vipatha が悪路に用いられる粗製の車を指すものと思われる。荷車は婚礼の行列におけるごとく、通常は牡牛(Anaḍvāh)によって牽かれた。8 暁の荷車は赤褐色の牝牛ないし牡牛によって牽かれると描写されている。9
- 1Rv. iv. 30, 10; x. 85, 10; 86, 18 等; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 1, 2, 5 等; Chāndogya Upaniṣad, vii. 15, 1; Kauṣītaki Upaniṣad, iii. 8 等。
- 2Rv. iii. 33, 9.
- 3Rv. i. 121, 7.
- 4Rv. ii. 15, 6; iv. 30, 11; viii. 91, 7; x. 73, 6; 138, 5.
- 5Rv. x. 85, 10.
- 6Rv. viii. 91, 7; Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa, i. 3.
- 7xv. 2, 1.
- 8Rv. x. 85, 11.
- 9Macdonell, Vedic Mythology, 47. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 246; Geldner, Vedische Studien, 2, 4.
Anās§
Anās. Dasyu を見よ。
Anitabhā§
Anu, Ānava§
Anu, Ānava. ── Grassmann と Roth1 はこれらの語のうちにアーリヤ人にとって異民族である人々の呼称を見る。しかしこれらが特定の民族、すなわち Anu 族を指すことは明らかである。2 彼らは Yadu、Turvaśa、Druhyu、Pūru の諸族とともに3、また Druhyu 族とともに4、さらに Turvaśa、Yadu、Druhyu の諸族とともに5 言及されている。彼らが Paruṣṇī 川のほとりに住していたことも、Ṛgveda の一箇所6 における彼らへの言及からの妥当な結論である。Bhṛgu 族がこの部族と関係していたという推論ははるかに疑わしい。7 というのもそれは、一箇所8 において Anu 族と Druhyu 族ではなく Bhṛgu 族と Druhyu 族とがともに言及されているという事実のみに拠るものだからである。Ānava は Agni の形容辞として用いられるが9、「Anu 族の首長」の意でも用いられ10、一例では Turvaśa と併せて用いられている。11
Anu-kṣattṛ§
Anu-cara§
Anu-mati§
Anu-mati. Māsa を見よ。
Anu-rādhā§
Anu-rādhā. Nakṣatra を見よ。
Anu-vaktṛ Satya Sātya-kīrta§
Anu-vaktṛ Satya Sātya-kīrta は Jaiminīya Brāhmaṇa Upaniṣad(i. 5, 4)において師として言及されている。
Anuvyā-khyāna§
Anu-śāsana§
Anu-śāsana は複数形において、Śatapatha Brāhmaṇa(xi. 5, 6, 8)では何らかの形態の文献を指す。Sāyaṇa によれば Vedāṅga である。
Anu-śikha§
Ante-vāsin§
Andhra§
Andhra は一民族の名であり、Puṇḍra、Śabara、Pulinda、Mūtiba の諸族とともに、Viśvāmitra の五十人の年長の子らが彼による Śunaḥśepa の養子縁組を承認するのを拒んだ結果生じた被追放者として言及されている。1
この記述からは、これらの人々が非アーリヤ系と認められていたことが正当に推論されうる。実際 Andhra 族は確かにそうであったと思われる。2
- 1Aitareya Brāhmaṇa, vii. 18; Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xv. 26。同箇所では udāntyaḥ(「境界の外に」)の代わりに udañcaḥ(「北方の」)という読みがあるが、前者が明らかに正しい。Śāṅkhāyana は Pulinda 族を省き、Mūcīpa 族を挙げる。
- 2Vincent Smith, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 56, 657 et seq. 同氏は彼らを元来 Kṛṣṇā 川と Godāvarī 川との間の東インドに置く。cf. Rapson, Catalogue of Indian Coins, xv., xvi.; Bhandarkar, Bombay Gazetteer, 1. ii. 138.
Anyataḥ-plakṣā§
Anya-vāpa§
Anvā-khyāna§
Apa-cit§
Apa-cit. ── この語は Atharvaveda1 に数度現れる。Roth2、Zimmer3 その他は、その刺傷が腫脹(glau)等を生ぜしめる昆虫を指すものと解する。しかし Bloomfield4 は、実際に意味されているのが瘰癧性の腫脹という疾病であることを示している。それは Keśava と Sāyaṇa の訳語(gaṇḍa-mālā「頸部腺の炎症」)によって、また後代の疾病 apacī との並行関係によって示され、語源は apa と ci「摘み取る」からのものである。
- 1vi. 25, 1; 83, 1; vii. 75, 1; 77, 1.
- 2St. Petersburg Dictionary, s.v.
- 3Altindisches Leben, 97. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 342, 500 も同様。
- 4American Journal of Philology, 11, 320 et seq.; Hymns of the Atharvaveda, 503, 504. Cf. Jolly, Medicin, 89; Whitney, Translation of the Atharvaveda, 343.
Apa-śraya§
Apa-śraya. Upaśraya を見よ。
Apa-skambha§
Apācyas§
Apācyas. ──「西方の人々」の王たちが、Aitareya Brāhmaṇa(viii. 14)において Nīcya 族の王たちと関連して言及されている。
Apāna§
Apāna. ── この語は Atharvaveda1 に繰り返し現れ、また以後の文献では生気(Prāṇa)の一つとして、通常は Prāṇa とともに、またしばしば他の三つのうち一つ以上とともに現れる。その本来の意味2 は「吸気」であったと思われる。すでに Aitareya Upaniṣad3 に見出される身体下部(nābhi「臍」)との結びつきは、不自然なものではない。
- 1Av. ii. 28, 3; v. 30, 12 等; Vājasaneyi Saṃhitā, xiii. 19; 24 等。
- 2Caland, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, lv. 261; 56, 556-558 を見よ。同氏は Ewing, Journal of the American Oriental Society, 22, 249 et seq. を訂正している。
- 3Aitareya Upaniṣad, i. 4 等。 Cf. Deussen, Philosophy of the Upanishads, 263 et seq.
Apā-mārga§
Apā-mārga. ── 呪術的な行法において、また医療の目的で、とりわけ Kṣetriya に対して頻繁に用いられた植物(Achyranthes aspera)。1 Atharvaveda2 においては「反転する」(punaḥ-sara)と描写されるが、これは Roth3 と Zimmer4 の考えるように、この植物が反り返った葉を有するがゆえであるか(Whitney5 もこの見解を容れる)、
あるいは Bloomfield6 の主張するように、呪詛をその使用者に跳ね返らせることによってこれを防ぐがゆえである。
- 1Atharvaveda, iv. 17, 6; 18, 7; 19, 4; vii. 65, 2; Vājasaneyi Saṃhitā, xxxv. 11; Taittirīya Brāhmaṇa, i. 7, 1, 8; Śatapatha Brāhmaṇa, v. 2, 4, 14; xiii. 8, 4, 4.
- 2iv. 17, 2.
- 3St. Petersburg Dictionary, s.v.
- 4Altindisches Leben, 67.
- 5Translation of the Atharvaveda, 180.
- 6Hymns of the Atharvaveda, 394. Cf. Bloomfield, Journal of the American Oriental Society, 15, 160, 161; Weber, Indische Studien, 18, 94.
Apa-lamba§
Apāṣṭha§
Api-śarvara§
Api-śarvara. Ahan を見よ。
(訳注:原書には "See Anan." とあるが、これは Ahan の誤植である。)
Apī§
Apūpa§
Apnavāna§
A-prati-ratha§
Apvā§
Apsas§
Abhi-krośaka§
Abhi-jit§
Abhi-jit. Nakṣatra を見よ。
Abhi-pitva§
Abhi-pitva. Ahan を見よ。
Abhi-pratārin Kākṣa-seni§
Abhi-praśnin§
Abhi-śrī§
Abhi-ṣavaṇī§
Abhi-ṣeka§
Abhi-ṣeka(「灌頂」)。 ── ヴェーダ時代の王は選出の後、精緻な儀礼をもって聖別された。この儀礼は Taittirīya1、Pañcaviṃśa2、Śatapatha3、Aitareya4 の諸 Brāhmaṇa に詳しく記述されており、そのための Mantra は諸 Saṃhitā5 に与えられている。聖別は水を灌ぐこと(abhiṣecanīyā āpaḥ)によって行われた。6 灌頂を受けうるのは王のみであって、庶民はそれに値しなかった(anabhiṣecanīyāḥ)。7 灌頂者(abhiṣektṛ)は Puruṣamedha における犠牲者の一覧に言及されている。8 Abhiṣeka は Rājasūya すなわち王の即位祭の不可欠の部分であり、その構成要素の第二をなす。
(訳注:原書では脚注9が本文と脚注群の間に孤立して置かれている。ここでは番号順に整えた。)
- 1i. 7, 5.
- 2xviii. 8 et seq.
- 3v. 3, 3 et seq.
- 4viii. 5 et seq.
- 5Taittirīya Saṃhitā, i. 8, 11; Kāṭhaka Saṃhitā, xv. 6; Maitrāyaṇī Saṃhitā, ii. 6; Vājasaneyi Saṃhitā, x. 1-4.
- 6Śatapatha Brāhmaṇa, v. 3, 5, 10-15.
- 7Śatapatha Brāhmaṇa, xiii. 4, 2, 17.
- 8Vājasaneyi Saṃhitā, xxx. 12; Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 4, 8, 1.
- 9Cf. Hillebrandt, Rituallitteratur, 143-147; Eggeling, Sacred Books of the East, 41, xxvi; Weber, Über den Rājasūya.
Abhīśu§
Abhy-agni Aitaśāyana§
Abhyā-vartin Cāyamāna§
Abhyā-vartin Cāyamāna は Ṛgveda の Dānastuti(「贈与の讃」)1 に現れ、また Varaśikha を首領とする Vṛcīvant 族の征服者として現れる。絶対に確実とは言えないものの、彼が同じ讃歌2 において、Indra によって Turvaśa 族と Vṛcīvant 族を彼のために打ち破らせた者として言及される Sṛñjaya Daivavāta と同一人物である蓋然性は高い。その場合、彼は Sṛñjaya 族の君主(samrāj)ということになろう。Daivavāta は他の箇所3 で Agni の崇拝者として言及されている。
Abhyāvartin はまた Pārthava としても言及される。Ludwig4 と Hillebrandt5 は、彼がそれゆえ Parthia 人であると主張し、後者は Daivavāta の勝利の記述6 に言及される二つの地名 Hariyūpīyā と Yavyāvatī を証拠として、Abhyāvartin の民がイランの Arachosia という西方に位置していたことを論証しようとした。しかし Zimmer7 は、Pārthava という名が単に「Pṛthu の後裔」を意味するにすぎず、イランの Parthia 人との類似は、インド文化とイラン文化の間に見出される他の数多の一致点と同列のものにすぎないと考えており、これがおそらく正しい。
A-bhrātaraḥ§
Abhri§
Amatra§
Amalā§
Amā-jur§
Amā-vāsya Śāṇḍilyāyana§
Amitra-tapana Śuṣmiṇa Śaibya§
Amitra-tapana Śuṣmiṇa Śaibya は、Aitareya Brāhmaṇa(viii. 23)によれば、Atyarāti Jānaṃtapi を殺した者の名である。
A-mūlā§
Ambarīṣa§
Ambaṣṭha§
Ambaṣṭha. Āmbaṣṭhya を見よ。
Aya§
Aya. Akṣa を見よ。
Ayas§
Ayas. ── Ṛgveda において常にそうであるように1、この語が単独で用いられるとき、それが指す金属が正確に何であるかは不確かである。「鉄」よりもむしろ「青銅」の意を支持するものとして、Zimmer2 とともにおそらく次の事実を挙げうる。すなわち、Agni がその炎の色に関して ayo-daṃṣṭra「Ayas の歯を持つ」と呼ばれること3、また Mitra と Varuṇa の車座が日没時に ayaḥ-sthūṇa「Ayas の柱を持つ」と呼ばれること4 である。5 さらに Vājasaneyi Saṃhitā6 においては、Ayas は六つの金属の一覧に数え上げられている ── 黄金(hiraṇya)、Ayas、Śyāma、Loha、鉛(sīsa)、錫(trapu)である。ここで śyāma(「黒ずんだ」)と loha(「赤い」)はそれぞれ「鉄」と「銅」を意味するに違いない。したがって ayas は「青銅」を意味するように思われる。Atharvaveda7 および
他の書物の多くの箇所において、Ayas は二種に分けられる ── śyāma(「鉄」)と lohita(「銅」ないし「青銅」)である。Śatapatha Brāhmaṇa8 においては Ayas と lohāyasa との間に区別が設けられているが、これは Eggeling9 の理解するように鉄と銅との区別でもありうるし、Schrader10 の主張するように銅と青銅との区別でもありうる。Atharvaveda の一箇所11 においては、鉄の意味が確実と思われる。またおそらくは、Ayas の先端を持つ(yasyā ayo mukham)Ṛgveda12 の矢も、鉄で尖らされていたのであろう。しかし銅も考えられるし、青銅はきわめてありそうなことである。
鉄は śyāma ayas あるいは単に śyāma と呼ばれる。13 Kārṣṇāyasa をも見よ。銅は Lohāyasa あるいは Lohitāyasa である。
この金属の精錬(dhmā「吹く」)はしばしば言及される。Śatapatha Brāhmaṇa14 は、「よく精錬された」(bahu-dhmātam)ものは黄金のようであると述べており、これは明らかに青銅に言及したものである。Ayas を熱する者が Vājasaneyi Saṃhitā15 に言及され、Ayas 製の鉢についても語られている。16
- 1Rv. i. 57, 3; 163, 9; iv. 2, 17; vi. 3, 5.
- 2Altindisches Leben, 52.
- 3Rv. i. 88, 5; x. 87, 2.
- 4Rv. v. 62, 8(cf. 7)。
- 5ただしこれは決定的ではない。というのも同じ詩節において、それは「暁の紅に染まるとき黄金の姿をなす」とも言われているからである。
- 6xviii. 13.
- 7xi. 3, 1. 7; Maitrāyaṇī Saṃhitā, iv. 2, 9.
- 8v. 4, 1, 2.
- 9Sacred Books of the East, 41, 90.
- 10Prehistoric Antiquities, 189.
- 11v. 28, 1.
- 12vi. 75, 15.
- 13Av. ix. 5, 4.
- 14vi. 1, 3, 5. Cf. vi. 1, 1, 13; v. 1, 2, 14; xii. 7, 1, 7; 2, 10 等。
- 15xxx. 14; Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 4, 10, 1.
- 16Av. viii. 10, 22; Maitrāyaṇī Saṃhitā, iv. 2, 13.
Aya-sthūṇa§
Ayāsya Āṅgirasa§
Ayāsya Āṅgirasa. ── この聖仙は Ṛgveda の二箇所1 に言及されているように思われ、Anukramaṇī は彼に Ṛgveda のいくつかの讃歌(ix. 44-46; x. 67; 68)を帰している。Brāhmaṇa の伝承においては、彼は Śunaḥśepa が殺されようとしていた Rājasūya すなわち王の即位祭における Udgātṛ であり2、彼の Udgītha(Sāmaveda の詠唱)は他の箇所3 にも言及されている。彼はまた儀礼の権威として
数度言及されている。4 Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad の Vaṃśa すなわち系譜5 においては、彼は Ābhūti Tvāṣṭra の弟子として名を挙げられている。
(訳注:原書では脚注2が本文中に挿入されたまま脚注群から脱落している。ここでは番号順に整えた。)
- 1x. 67, 1; 108, 8. おそらく x. 92, 15 も彼に言及するものであろうが、i. 62, 7; x. 138, 4 はそうではない。
- 2Aitareya Brāhmaṇa, vii. 16.
- 3Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa, ii. 7, 2. 6; 8, 3. Cf. Chāndogya Upaniṣad, i. 2, 12.
- 4Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, xiv. 3, 22; xvi. 12, 4; xi. 8, 10; Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, i. 3, 8. 19. 24; Kauṣītaki Brāhmaṇa, xxx. 6.
- 5ii. 6, 3; iv. 6, 3(両伝本において)。 Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 136; Hillebrandt, Vedische Mythologie, 2, 159; Weber, Indische Studien, 1, 255, n.; Pischel, Vedische Studien, 3, 204.
Ayogū§
Ayogū はまったく意味の不確かな語であり、Vājasaneyi Saṃhitā1 の犠牲者の一覧に見出される。後代の āyogava と同様に、混血カーストの一員(理論上は Śūdra と Vaiśya の妻との間の後裔)を指すのかもしれない。2 Weber3 はこれを「不貞の女」と訳した。Zimmer4 は、これが遊女となる危険にさらされた兄弟なき乙女を指すと考える(cf. āyogava)。
(訳注:原書では脚注3と4の内容が入れ替わって印刷されている。Weber の出典が3、Zimmer の Altindisches Leben が4であるべきところ、本文の指示番号と対応させて整えた。)
- 1xxx. 5; Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 4, 1, 1.
- 2St. Petersburg Dictionary, s.v.
- 3Indische Streifen, 1, 76, n. b. Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 18, 277 においては、彼はこれが賭博(ayas)に関わるものと考えていた。Risley, Peoples of India, 250 は Āyogava 族を大工という職能カーストとみなす(cf. Manu, x. 48)。
- 4Altindisches Leben, 328.
Ara§
Ara. Ratha を見よ。
Araṭu§
Araṇya§
Araṇya. ── この語は村落の外にある未耕の土地を指すのであって、必ずしも森林地帯とは限らない。それは家(amā)1 と対比され、また耕地(kṛṣi)2 と対比され、人々から離れたもの(tiras)として語られる。3 それはまた Grāma とも対比され4、盗賊の住まう場所である。5 森林の性格は、森の精霊(Araṇyānī)に捧げられた Ṛgveda の一讃歌6 に描写されている。死者は埋葬のためにそこへ運ばれ7、隠者たちがそこに住まう。8 森林火災は一般的であった。9
- 1Rv. vi. 24, 10.
- 2Av. ii. 4, 5.
- 3Śatapatha Brāhmaṇa, xiii. 6, 2, 20.
- 4Av. xii. 1, 56; Rv. i. 163, 11; Vājasaneyi Saṃhitā, iii. 45; xx. 17.
- 5Śatapatha Brāhmaṇa, v. 2, 3, 5; xiii. 2, 4, 4.
- 6x. 146.
- 7Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, v. 11.
- 8Chāndogya Upaniṣad, viii. 5, 3.
- 9Rv. i. 65, 4; 94, 10. 11; ii. 14, 2; x. 92, 1; 142, 4; Av. vii. 50 等。 Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 48, 142.
Aratni§
A-rājānaḥ§
Arāṭakī§
Arāḍa Dātreya Śaunaka§
Aritra§
Ariṃ-dama Sana-śruta§
Ariṃ-dama Sana-śruta は Aitareya Brāhmaṇa, vii. 34 において Mahārāja として言及されている。
Arim-ejaya§
Aruṇa Āṭa§
Aruṇa Āṭa は Pañcaviṃśa Brāhmaṇa(xxv. 15)の蛇の祝祭において Achāvāka であった。
Aruṇa Aupaveśi Gautama§
Aruṇa Aupaveśi Gautama はある師の完全な称呼であり1、後期の諸 Saṃhitā2 および Brāhmaṇa3 において繰り返し言及される。その子は名高い Uddālaka Āruṇi である。彼は Upaveśa の弟子であり4、王 Aśvapati と同時代の人で、この王から教えを受けた。Cf. Āruṇa.
- 1Taittirīya Saṃhitā, vi. 1, 9, 2; 4, 5, 1; Maitrāyaṇī Saṃhitā, i. 4, 10; iii. 6, 4. 6; 7, 4; 8, 6; 10, 5; Kāṭhaka Saṃhitā, xxvi. 10.
- 2Taittirīya Brāhmaṇa, ii. 1, 5, 11; Śatapatha Brāhmaṇa, ii. 2, 2, 20; xi. 4, 1, 4; 5, 3, 2.
- 3Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, vi. 5, 3(両伝本において)。
- 4Śatapatha Brāhmaṇa, x. 6, 1, 2. Cf. Geldner, Vedische Studien, 3, 146, n. 4.
Arundhatī 1§
Arundhatī 2§
Arka§
Argala§
Argala. ── 後代において扉の木製の閂を指すのが通例であるこの語は、Śāṅkhāyana Āraṇyaka(ii. 16)において argaleṣīke という複合語のうちに見出され、牛舎の扉の閂と横木を指す。Cf. Iṣīkā.
Argala-Kāhoḍi§
Argala-Kāhoḍi は Kāṭhaka Saṃhitā(xxv. 7)において師として言及されている。しかしこの名は、St. Petersburg 辞典 s.v. が示唆し、また v. Schroeder がその校訂本において読むように、Aryala であるかもしれない。Kapiṣṭhala(xxxix. 5)は Ayala とする。下の項を見よ。
Arcant§
Arcanānas§
Arcā§
Arcā. Brāhmaṇa を見よ。
Arjunī§
Arbuda§
Arya§
Arya. ── この語は、第一母音の音量が短音と確定している箇所においては、単なる形容詞的な意味を除いて、古い文献には一般的でない。Geldner1 は実際、それ以外の意味はいずこにおいても必要でないと主張する。しかし Roth2 と Zimmer3 は、Vājasaneyi Saṃhitā の数箇所4 においてこの語が Ārya と同じ意味を持つと考える点で一致しており、これは蓋然性が高いと思われる。Indra によって解き放たれた水に適用される複合語 arya-patnī5 においてもこの語にこの意味を帰する必要があるか否かは、より疑わしい。注釈者 Mahīdhara6 は、この語が一般的な Ārya ではなく Vaiśya を意味すると示唆する。この見解は、Vājasaneyi Saṃhitā の当該箇所の一つ8 についての Śatapatha Brāhmaṇa7 における説明によって支持される。しかし Arya を Vaiśya の意で用いることが後代に一般化したとはいえ、それが本来のものであったことは明らかでない。
- 1Vedische Studien, 3, 96.
- 2St. Petersburg Dictionary, s.v.
- 3Altindisches Leben, 214, 215.
- 4xiv. 30; xx. 17; xxiii. 21; xxvi. 2. また cf. Kāṭhaka Saṃhitā, xxxviii. 5; Taittirīya Saṃhitā, vii. 4, 19, 3. Atharvaveda, xix. 32, 8 においては、brāhmaṇa, rājanya, śūdra と対比される類似の形が現れるが、そこにおいてすら Whitney は「アーリヤ人」と訳している。Cf. xix. 62, 1; Rv. viii. 94, 3; Pischel, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 40, 125.
- 5Rv. vii. 6, 5; x. 43, 8.
- 6Vājasaneyi Saṃhitā, xxiii. 30 について。
- 7xiii. 2, 9, 8. Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xvi. 4, 4 et seq. と対照せよ。同箇所では Arya がより広い意味に解されているように見える。
- 8xxiii. 30. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 212; Weber, Indische Studien, x. 6; Oldenberg, Ṛgveda-Noten, 1, 126, 363.
Aryamṇaḥ Panthā§
Aryala§
Aryala. ── その蛇の祝祭において Gṛhapati が Aryala であり、Hotṛ が Āruṇi であった人々が、Pañcaviṃśa Brāhmaṇa(xxiii. 1, 5)に言及されている。Argala をも見よ。
Arvant§
Arvant. Aśva を見よ。
Arśas§
Alaja§
Alaji§
Alamma Pārijānata§
Alamma Pārijānata は Pañcaviṃśa Brāhmaṇa(xiii. 4, 11; 10, 8)において聖仙として言及されている。
Alasālā§
Alasālā. ── Atharvaveda の一箇所(vi. 16, 4)にのみ現れるこの語は、穀物性の蔓草を指すと言われる。
Alāṇḍu§
Alābu§
Alāyya§
Aliklava§
Alina§
Alīkayu Vācas-patya§
Alīkayu Vācas-patya は Kauṣītaki Brāhmaṇa(xxvi. 5; xxviii. 4)において二度、権威として言及されている。
Alpa-śayu§
Avakā§
Avakā は水生植物(Blyxa octandra)であり、Atharvaveda1 においても、また後期の諸 Saṃhitā2 および Brāhmaṇa3 においても頻繁に言及される。Gandharva たちがこれを食すると言われる。4 その後代の名は śaivala であり、Śīpāla と同一のものである。5
(訳注:原書では脚注1と5が本文と脚注群の間に孤立して置かれている。ここでは番号順に整えた。)
- 1viii. 7, 9; 37, 8-10.
- 2Taittirīya Saṃhitā, iv. 6, 1, 1; v. 4, 2, 1; 4, 3; Vājasaneyi Saṃhitā, xvii. 4; xxv. 1; Maitrāyaṇī Saṃhitā, ii. 10, 1.
- 3Śatapatha Brāhmaṇa, vii. 5, 1, 11; viii. 3, 2, 5; ix. 1, 2, 20. 22; xiii. 8, 3, 13.
- 4Av. iv. 37, 8.
- 5Āśvalāyana Gṛhya Sūtra, ii. 8; iv. 4 においてこの語で注解されている。Cf. Bloomfield, Proceedings of the American Oriental Society, October, 1890, xli.-xliii.; American Journal of Philology, 11, 349; Zimmer, Altindisches Leben, 71.
Avata§
Avata は Ṛgveda1 に数度現れる語であり、人工的に作られた(khan「掘る」)井戸を指し、泉(utsa)と対比される。
もっとも後者の語も人工の井戸に適用されることがある。かかる井戸は作り手によって覆いを施され2、涸れることなく(a-kṣita)水に満ちたものと描写される。3 水は石の車輪(cakra)によって汲み上げられ、その車輪には革紐(varatrā)が結ばれ、それに桶(kośa)4 が取り付けられていた。汲み上げられた水は木製の水槽(āhāva)に注がれた(siñc)。5 時にはこれらの井戸は灌漑の目的に用いられたようであり、水は広い水路(sārmī suṣirā)に導かれた。6
- 1i. 55, 8; 85, 10. 11; 116, 9, 22; 130, 2; iv. 17, 16; 50, 3; viii. 49, 6; 62, 6; 72, 10, 12; x. 25, 4; 101, 5. 7. Cf. Nirukta, v. 26.
- 2Rv. i. 55, 8.
- 3Rv. x. 101, 6 等。
- 4Aṃsatra-kośam, Rv. x. 101, 7 はかく訳するのが最良である。上方にあった(uccā-cakra)石の車輪(aśma-cakra)については Rv. x. 101, 7; viii. 72, 10 を見よ。varatrā については Rv. x. 101, 6 を見よ。おそらく Rv. x. 102, 11 の kū-cakra はこの車輪の別名であろうが、cf. St. Petersburg Dictionary, s.v.
- 5Rv. x. 101, 6. 7.
- 6Rv. viii. 69, 12. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 156, 157; Geldner, Vedische Studien, 2, 14.
Avatsāra§
A-vadhyatā§
A-vadhyatā. Brāhmaṇa を見よ。
Avasa§
Ava-skava§
Avāta§
Avāta. Vāta を見よ。
Avi§
Avi. ──「羊」は Ṛgveda およびそれ以降しばしば言及され、山羊(aja)と並記されることが多い。狼(vṛka)はその最大の敵であり1、羊は牧夫によって世話された。2
牛と同様、羊も敵から奪取された。3 Soma の漉し器は羊毛で作られ、繰り返し言及される(avi, meṣī, avya, avyaya)。4 かなりの規模の群れが存在したに違いない。というのも Ṛjrāśva は百頭の牡羊を屠ったと言われ5、また Dānastuti(「贈与の讃」)6 には百頭の羊が贈物として言及されているからである。牡羊(meṣa7、vṛṣṇi8)は時に去勢された(petva)。9 羊の主要な用途はその毛であった。それゆえ羊を指すのに「毛深き」(ūrṇāvatī)10 という表現が用いられる。Vājasaneyi Saṃhitā11 において牡羊は「毛深き」ものとして、また「四足および二足の獣の皮」として描写されるが、これはその毛が人には衣服として、動物には覆いとして用いられることに関わる。Pūṣan は羊毛から衣を織ると言われる。12 通常羊は牧場に出されたままであった。Ṛgveda の不明瞭な一箇所13 においては、厩舎の牡羊への言及がなされているように見える。Gandhāra14 の牝羊はその毛によって名高かった。Pischel15 は、Paruṣṇī16 川がその羊の豊かさから名づけられたものであり、parus17 が羊毛の「房」を指すと考える。
- 1Av. v. 8, 4; Rv. viii. 34, 3; 66, 8.
- 2Avi-pāla, Vājasaneyi Saṃhitā, xxx. 11; Śatapatha Brāhmaṇa, iv. 1, 5, 2; avi-pa, Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 4, 9, 1.
- 3Rv. viii. 86, 2.
- 4Rv. ix. 109, 16; 36, 4 等。Hillebrandt, Vedische Mythologie, 1, 203 を見よ。
- 5Rv. i. 116, 17.
- 6Rv. viii. 67, 3.
- 7Rv. i. 43, 6; 116, 16 等。
- 8Taittirīya Saṃhitā, ii. 3, 7, 4 等。
- 9Rv. vii. 18, 17; Av. iv. 4, 8; Taittirīya Saṃhitā, v. 5, 22, 1; Vājasaneyi Saṃhitā, xxix. 58; 59.
- 10Rv. viii. 67, 3. Cf. x. 75, 8. また urā, x. 95, 3 も同様。
- 11xiii. 50.
- 12Rv. x. 26, 6.
- 13x. 106, 5.
- 14Rv. i. 126, 7.
- 15Vedische Studien, 2, 210.
- 16Rv. iv. 22, 2; v. 52, 9.
- 17Rv. ix. 15, 6; parvan, iv. 22, 2. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 229, 230; Oldenberg, Ṛgveda-Noten, 1, 348.
Aśani§
Aśma-gandhā§
Aśva§
Aśva はヴェーダ文献において「馬」を表す最も一般的な語である。馬はまた「走る者」(atya)、「疾き者」(arvant)、牽引のための「強き者」(vājin)、「駆ける者」(sapti)、「速やかなる者」(haya)とも呼ばれる。牝馬は aśvā, atyā, arvatī, vaḍavā 等と称される。種々の毛色の馬が知られていた ── 鹿毛(harita, hari)、赤毛(aruṇa, aruṣa, piśaṅga, rohita)、暗褐色(śyāva)、白色(śveta)等である。黒い耳を有する白馬が Atharvaveda において特別の価値あるものとして言及されている。1 馬は高く評価されており2、また Roth3 の考えたように稀少ではなかった。というのも、一つの Dānastuti(「贈与の讃」)4 には四百頭もの牝馬が言及されているからである。馬は時として真珠や黄金で飾られた。5
牝馬はその速さと確実さのゆえに、戦車を牽くのに好まれた。6 牝馬は荷車を牽くのにも用いられたが、通常はそのようには用いられなかった。7 戦闘における騎乗への言及はないが、他の目的のための騎乗は知られぬわけではなかった。8
馬はしばしば厩に繋がれ9、そこで飼葉を与えられた。10 しかし放牧されることもあり11、その際には足枷をつけられた。12 競走の後には冷やすために水を与えられた。13 その世話をする者たちは
しばしば言及される(aśva-pāla14、aśva-pa15、aśva-pati16)。牡馬はしばしば去勢された(vadhri)。17
手綱(raśmayaḥ)のほか、端綱(aśvābhidhānī)18 および鞭(aśvājani)19 にも言及がある。Ratha をも見よ。
Indus 川産の馬は特別の価値を有し20、Sarasvatī 川産の馬もまた同様であった。
- 1Av. v. 17, 15.
- 2Rv. i. 83, 1; iv. 32, 17; v. 4, 11; viii. 78, 2 等。
- 3Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 35, 686.
- 4Rv. viii. 55, 3. Cf. v. 33, 8; vi. 47, 22-24; 63, 10; viii. 6, 47; 46, 22、および Hopkins, American Journal of Philology, 15, 157.
- 5Rv. x. 68, 11.
- 6Pischel, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 35, 712-714; Vedische Studien, 1, 10, 305. Cf. ratho vadhūmān, Rv. i. 126, 3; vii. 18, 22、vājinīvān, vii. 69, 1.
- 7Śatapatha Brāhmaṇa, v. 5, 4, 35.
- 8Aśvin 双神は騎乗する。Rv. v. 61, 1-3. aśva-sāda が Vājasaneyi Saṃhitā, xxx. 13; Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 4, 7, 1 に言及される。また Rv. i. 162, 17; 163, 9 では騎乗が意味されている。Av. xi. 10, 24 は疑わしい。Cf. Hopkins, Journal of the American Oriental Society, 13, 262; Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 221. Zimmer, Altindisches Leben, 230 はその使用を否定するが、p. 295 を見よ。同所では通常の目的における使用が認められている。
- 9富を示す形容辞「厩を馬で満たす」(aśva-pastya)を Rv. ix. 86, 41 に cf. また Av. vi. 77, 1; xix. 55, 1 を見よ。
- 10Av. loc. cit.
- 11Zimmer, op. cit., 232 はこれを否定するが、これが Vājasaneyi Saṃhitā, xv. 41 の自然な意味である。
- 12これを表す語は paḍbīśa であり、Rv. i. 162, 14. 16; Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, vi. 2, 13; Chāndogya Upaniṣad, v. 1, 12; Śāṅkhāyana Āraṇyaka, ix. 7 に見える。Cf. Pischel, Vedische Studien, 1, 234-236.
- 13Rv. ii. 13, 5; 34, 3; Maitrāyaṇī Saṃhitā, i. 11, 6; Pischel, op. cit., 1, 189, 190.
- 14Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xvi. 4, 5.
- 15Vājasaneyi Saṃhitā, xxx. 11; Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 4, 9, 1.
- 16Vājasaneyi Saṃhitā, xvi. 24; Kāṭhaka Saṃhitā, xvii. 13.
- 17Rv. viii. 46, 30.
- 18Av. iv. 36, 10; v. 14, 6; Aitareya Brāhmaṇa, vi. 35; Śatapatha Brāhmaṇa, vi. 3, 1, 26; xiii. 1, 2, 1.
- 19Rv. v. 62, 7; vi. 75, 13; Vājasaneyi Saṃhitā, xxix. 50.
- 20Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, vi. 2, 13; Śāṅkhāyana Āraṇyaka, ix. 7; Sindhu の形容辞としての vājinīvatī は Rv. x. 75, 8 に、Sarasvatī の形容辞としては i. 3, 10; ii. 41, 18; vi. 61, 3. 4; vii. 96, 3 に。Pischel, op. cit., i. 10. Cf. Zimmer, op. cit., 230-232.
Aśva-tara, Aśva-tarī§
Aśva-tara, Aśva-tarī はそれぞれ「騾馬」の男性形および女性形の名称である。これらの動物は Atharvaveda1 以降しばしば言及される。それらが繁殖力を持たぬことは知られており2、おそらく馬に劣るものとみなされていたが3、騾馬の車はごく一般的であった。4
- 1iv. 4, 8; viii. 8, 22; Aitareya Brāhmaṇa, iii. 47; iv. 9; Śatapatha Brāhmaṇa, xii. 4, 1, 10 等; Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa, i. 4, 4.
- 2Taittirīya Saṃhitā, vii. 1, 1, 2. 3. Cf. Indische Studien, 1, 40 所収の Adbhuta Brāhmaṇa.
- 3驢馬もそうであった。Taittirīya Saṃhitā, v. 1, 2, 2; Śatapatha Brāhmaṇa, vi. 4, 4, 7.
- 4Aitareya Brāhmaṇa, iv. 9; Chāndogya Upaniṣad, iv. 2, 1(両箇所とも aśvatarī-ratha)。Cf. Oertel, Transactions of the Connecticut Academy of Arts and Sciences, 15, 175.
Aśva-ttha 1§
1. Aśva-ttha(「馬の立つ所」)はインドの最も偉大な樹木の一つであり、Ficus religiosa、後に pippala1 と呼ばれるもの(現在の Peepal)である。Aśvattha の材で作られた容器が Ṛgveda2 に言及され、樹そのものは後代に絶えず言及される。3 その堅い材は点火に用いられる二片の木のうち上のものをなし、下のものは Śamī 製であった。4 それは他の樹、とりわけ Khadira の若枝に根を下ろしてこれを枯らした。5 それゆえ「破壊するもの」(vaibādha)と呼ばれる。その実は
甘美なものとして、また鳥に食われるものとして言及される。6 神々は第三天においてその下に坐すと言われる。7 これと Nyagrodha とは「冠毛を有するもの」(śikhaṇḍin)と称される。8
- 1pippala という語は中性名詞として Rv.(i. 164, 20)に一度現れ、Peepal 樹の実を指す。
- 2i. 135, 8; x. 97, 5.
- 3Atharvaveda, iii. 6, 1; iv. 37, 4 等。
- 4Av. vi. 11, 1; Śatapatha Brāhmaṇa, xi. 5, 1, 13.
- 5Av. iii. 6.
- 6Rv. i. 164, 20. 22.
- 7Av. v. 4, 3. Cf. Chāndogya Upaniṣad, viii. 5, 3; Kauṣītaki Upaniṣad, i. 3.
- 8Av. iv. 37, 4. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 57, 58.
Aśva-ttha 2§
Aśva-dāvan§
Aśva-pati§
Aśva-medha§
Aśva-yujau§
Aśva-yujau. Nakṣatra を見よ。
Aśvala§
Aśvala は Videha 国の王 Janaka の Hotṛ 祭官であり、Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad(iii. 1, 2. 10)において権威として現れる。
Aśva-vāra, Aśva-vāla§
Aśva-sūkti§
Aśvinī§
Aśvinī. Nakṣatra を見よ。
Aṣāḍha Kaiśin§
Aṣāḍha Uttara Pārāśarya§
Aṣāḍha Uttara Pārāśarya は Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa(iii. 41, 1)の Vaṃśa すなわち系譜において師として言及されている。
Aṣāḍhā§
Aṣāḍhā. Nakṣatra を見よ。
Aṣāḍhi Sauśromateya§
Aṣāḍhi Sauśromateya は、Śatapatha Brāhmaṇa(vi. 2, 1, 37)において、火壇の煉瓦を積むことに関わる供犠のための頭部が不適切な仕方で入手されたがゆえに死んだと述べられている人物である。
Aṣṭaka§
Aṣṭakā§
Aṣṭakā. Māsa を見よ。
Aṣṭa-karṇī§
Aṣṭa-karṇī は Ṛgveda の一箇所1 に現れる表現であり、Roth2 は当初これを固有名詞と解する傾きにあった。
しかしそれが、Grassmann の示唆するように、人ではなく牝牛を意味することは疑いえない。牝牛がなにゆえかく描写されるべきかの正確な理由は不確かである。Roth3 は後に、そこに「穿たれた耳を有する」という意味を見る傾きとなった。類似の形容辞は後の時代に Pāṇini4 に知られている(bhinna-karṇa, chinna-karṇa)。Grassmann のより自明な訳、「(数の)八の記号を耳に印されたもの」は、Maitrāyaṇī Saṃhitā5 に与えられた類似の形容辞、すなわち「耳に琴の印を有するもの」(karkari-karṇyaḥ)、「耳に鎌の印を有するもの」(dātra-karṇyaḥ)、「耳に杭の印を有するもの」(sthūṇā-karṇyaḥ)、「耳を穿たれたもの」(chidra-karṇyaḥ)、および viṣṭya-karṇyaḥ によって支持される。しかし「印された耳を有する」という単純な意味もまた、Maitrāyaṇī の同じ箇所によって支持される。そこでは動詞 akṣ が「印する」の意で現れるからである。Atharvaveda においては用いられる印は Mithuna であり、疑いなく多産を確保するための呪術的な仕掛けである。
耳を印することは明らかに常規の慣行であった。Atharvaveda6 に二度これに言及がある。その印は lakṣman7 と称され、銅製の刃物8(lohita)によって施された。Maitrāyaṇī Saṃhitā9 は矢柄(tejana)ないし鉄の使用を禁ずるが、甘蔗の茎(ikṣu-kāṇḍa)ないし銅の使用は許している。
- 1x. 62, 7.
- 2St. Petersburg Dictionary, s.v.
- 3Cf. Böhtlingk, Dictionary, s.v.
- 4vi. 3, 115.
- 5iv. 2, 9.
- 6vi. 141, 1. 2; xii. 4, 6.
- 7Av. vi. 141, 2; Maitrāyaṇī Saṃhitā, loc. cit.
- 8Av., loc. cit.
- 9Loc. cit. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 234, 348; Delbrück, Gurupūjākaumudī, 48, 49; Weber, Indische Studien, 13, 466; Whitney, Translation of the Atharvaveda, 387.
Aṣṭā-daṃṣṭra Vairūpa§
Aṣṭā-daṃṣṭra Vairūpa. ── Pañcaviṃśa Brāhmaṇa(viii. 9, 21)は彼に二つの Sāman を帰している。
Aṣṭrā§
Asamāti Rātha-prauṣṭha§
Asamāti Rātha-prauṣṭha. ── Rathaproṣṭha 家の Ikṣvāku 族の王 Asamāti と、
その祭官である Gaupāyana 兄弟との争いの物語は、後期の Brāhmaṇa 文献1 にのみ見出される。それは Ṛgveda2 の誤読に基づくものと思われ、同箇所において asamāti は単なる形容詞にすぎない。後代の物語によれば、王は Kirāta と Ākuli という二人の Asura にそそのかされて家門の祭官を退けた。この二人はその呪術によって祭官兄弟の一人 Subandhu を死に至らしめたが、他の兄弟たちが讃歌(Ṛgveda, x. 57-60)を用いて彼を蘇生させたという。
- 1Jaiminīya Brāhmaṇa, iii. 167(Journal of the American Oriental Society, 18, 41 et seq.); Rv. x. 57, 1; 60, 7 への Sāyaṇa の注に引かれた Sāṭyāyanaka; Bṛhaddevatā, vii. 83 et seq.、Macdonell の注とともに; Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, xiii. 12, 5.
- 2x. 60, 2. 5; Av. vi. 79, 1. Cf. Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, 499; Max Müller, Journal of the Royal Asiatic Society, 1866, 426-465; Böhtlingk's Dictionary, s.v.; Hopkins, Transactions of the Connecticut Academy of Arts and Sciences, 15, 48, n. 1.
Asi§
Asiknī§
Asita 1§
Asita 2§
2. Asita. ── (a)この名の神話的聖仙が、Atharvaveda において Gaya1 あるいは Jamadagni2 と結びついて呪術師として現れる。Śatapatha Brāhmaṇa3 においては
Asita Dhānva4 として現れ、Pañcaviṃśa Brāhmaṇa5 および Kāṭhaka Saṃhitā6 においては Daivala ないし Devala として現れる。
(b)Asita Vārṣa-gaṇa は、Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad の Vaṃśa すなわち系譜によれば、Harita Kaśyapa の弟子である。7
(訳注:原書では (b) の脚注が改めて「1」と番号を振り直されている。ここでは連番に整えた。)
Asita-mṛga§
Asura-vidyā§
Astṛ§
Ahan§
Ahan、「日」。他の諸民族と同様、インド人も昼とならんで夜を時間の一般的な表現として用いたが、決してそれが優勢であったわけではない。1 夜はまた
明るい(arjuna)昼に対して、暗いもの(kṛṣṇa)とも呼ばれる。2 Aho-rātra3 は「昼夜」を合わせて表す常用語である。
昼そのものは種々に区分される。Atharvaveda4 においては、「日の出」(udyan sūryaḥ)、「牛の集まる時」(saṃ-gava)、「正午」(madhyaṃ-dina)、「午後」(aparāhṇa)、「日没」(astaṃ-yan)という区分が見出される。Taittirīya Brāhmaṇa5 においては同じ系列が現れるが、第一と最後の項が「早朝」(prātar)と「夕方」(sāyāhna)に置き換えられている。他方より短い一覧は prātar, saṃgava, sāyam を挙げる。Maitrāyaṇī Saṃhitā6 には「暁」(uṣas)、saṃgava、madhyaṃdina、aparāhṇa という系列がある。
朝はまた Zimmer によれば、闇がまさに過ぎ去った時として api-śarvara7 と呼ばれる。牛が草を食む時、すなわち saṃgava における最初の搾乳の前の時として、また鳥が目覚める時として、svasara8 と名づけられる。9 Zimmer11 によれば、それはまた pra-pitva10 とも呼ばれる。しかし Geldner12 は、この語が遅い正午を指すことを指摘する。それもまた、来たるべき夜に接するものとして api-śarvara と呼ばれ、競走におけるように昼がその終わりへと急ぐ時である。別の観点からは、夕べは abhi-pitva13、すなわちすべての者が休息に赴く時と呼ばれる。あるいはまた、朝と夕はそれぞれ日の昇ること(uditā sūryasya)、その沈むこと(ni-mruc)として表される。正午は通例 madhyam ahnām14、madhye15、あるいは madhyaṃdina である。Saṃgava16 は午前、すなわち早朝(prātar)と正午(madhyaṃdina)との間である。
一日より小さい時間の区分が精確に与えられることは稀である。しかし Śatapatha Brāhmaṇa17 においては、昼夜が
30 muhūrta をなす。1 muhūrta = 15 kṣipra、1 kṣipra = 15 etarhi、1 etarhi = 15 idāni、1 idāni = 15 呼吸、1 呼吸 = 1 息、1 息 = 1 瞬き(nimeṣa)等である。Śāṅkhāyana Āraṇyaka18 においては、その系列は dhvaṃsayo, nimeṣāḥ, kāṣṭhāḥ, kalāḥ, kṣanā, muhūrtā, ahorātrāḥ である。Zimmer は Ṛgveda の一箇所19 に、夜と同様に昼の三十分割を見出し、バビロニアにおける昼夜の六十分割と比較する。しかしそこに用いられた表現 ── 三十 Yojana ── はあまりに漠然として不明瞭であり(Bergaigne20 はこれを蒼穹に関わるものとする)、その上に安んじて何らかの理論を築くことはできない。
より長い時間の区分は通例、「半月」(ardha-māsa)、「月」(māsa)、「季節」(ṛtu)、「年」(saṃvatsara)であり、これらはしばしば21 ahorātrāṇi(「昼夜」)の後にこの順序で現れる。
- 1Rv. iv. 16, 19; viii. 26, 3; i. 70, 4. Cf. Av. x. 7, 42.
- 2Rv. vi. 9. 1.
- 3Rv. x. 190, 2; Av. xiii. 3, 8 等; Vājasaneyi Saṃhitā, xxiii. 41 等。
- 4ix. 6, 45.
- 5i. 5, 3, 1; 4, 9, 2.
- 6iv. 2, 11.
- 7Rv. iii. 9, 7. Cf. Oldenberg, Ṛgveda-Noten, 1, 230.
- 8Rv. ii. 34, 8; ix. 94, 2.
- 9Rv. ii. 19, 2; 34, 5.
- 10Rv. vii. 41, 4; viii. 1, 29. Sieg, Die Sagenstoffe des Ṛgveda, 127 et seq. は paritakmyāyām(Rv. i. 116, 15)を同様に解釈する。
- 11Altindisches Leben, 362.
- 12Vedische Studien, 2, 155-179.
- 13Rv. i. 126, 3; iv. 34, 5.
- 14Rv. vii. 41, 4.
- 15Rv. viii. 27, 20.
- 16Cf. Rv. v. 76, 3(saṃgave, prātar ahno, madhyaṃdine); Taittirīya Brāhmaṇa, ii. 1, 1, 3; Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa, i. 12, 4; Aitareya Brāhmaṇa, iii. 18, 14; Geldner, Vedische Studien, 3, 112, 113. Zimmer, op. cit., 362 はこれを早きに過ぎる時 ── 牛が放たれる前 ── に置いている。
- 17xii. 3, 2, 5. Cf. Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 10, 1, 1 et seq.
- 18vii. 20. Cf. Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xiv. 78 et seq.; Weber, Indische Streifen, 1, 92-95.
- 19Rv. i. 123, 8.
- 20Religion Védique, 3, 283 et seq. Cf. Roth, St. Petersburg Dictionary, s.v. kratu.
- 21Taittirīya Saṃhitā, vii. 1, 15; Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 12, 7; Vājasaneyi Saṃhitā, xxii. 28; Śāṅkhāyana Āraṇyaka, vii. 20; Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, iii. 8, 9 等。Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 361-363.
Ahalyā Maitreyī§
Ahi§
Ahi. ── この語は Ṛgveda1 以降しばしば現れ、「蛇」を指す。その脱皮への言及が数度なされている。2 蛇の特異な動きにも言及があり3、そのためにそれは「歯を有する縄」(datvatī rajjuḥ)という呼称4 を得ている。その咬傷の
毒性が語られ5、また冬にこの爬虫類が地中に潜り込んで鈍麻することも語られる。6 脱ぎ捨てられた皮は追剥に対する護符として用いられる。7 Aśvin 双神が蛇に対する守護として Pedu に与えた神話的な馬 Paidva への言及があり8、この馬は蛇を滅ぼす者として祈願される。9 鼬(nakula)は蛇の不倶戴天の敵とみなされ、治癒の効ある植物を用いることによってその毒を免れるとされる。10 他方、人々は棒で蛇を殺し11、あるいはその頭を打ち落とす。12
多くの蛇の種が言及されている。Aghāśva、Ajagara、Asita、Kaṅkaparvan、Karikrata、Kalmāṣagrīva、Kasarṇīla、Kumbhīnasa、Tiraścarāji、Taimāta、Darvi、Daśonasi、Puṣkarasāda、Pṛdāku、Lohitāhi、Śarkoṭa、Śvitra、Sarpa を見よ。
- 1vii. 104, 7 等。Atharvaveda において通常用いられる sarpa という語は、Rv. においては一度(x. 16, 6)しか現れない。
- 2Rv. ix. 86, 44; Av. i. 27; Śatapatha Brāhmaṇa, xi. 2, 6, 13; Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, iv. 4, 10; Jaiminīya Brāhmaṇa, i. 9; ii. 139; Kāṭhaka Upaniṣad, ii. 6; 17.
- 3Aitareya Āraṇyaka, v. 1, 4.
- 4Av. iv. 3, 2.
- 5Rv. vii. 104, 7; Av. x. 4, 4 et seq.; 6, 56.
- 6Av. xii. 1, 46.
- 7Av. i. 27.
- 8Rv. i. 117-119.
- 9Av. x. 4, 6. 10.
- 10Av. vi. 139, 5; viii. 7, 23.
- 11Av. x. 4, 9.
- 12Av. vi. 67, 2. Zimmer, Altindisches Leben, 94, 95 を見よ。