研究資料に戻る ヴェーダ固有名詞・事項索引Vedic Index of Names and Subjects

Cの部

Caka§

Caka は Pañcaviṃśa Brāhmaṇa1 において、蛇の祝祭における二人の Unnetṛ 祭官の一人として Piśaṅga とともに言及されている。

  • 1xxv. 15, 3. Cf. Weber, Indische Studien, 1, 35(同氏は Cakka と読む); 10, 142, n. 3, 144.

Cakra§

Cakra、戦車ないし荷車の「車輪」は、Ṛgveda1 以降繰り返し、しばしば比喩的な意味で言及される。車輪は戦車が使用を要するときに車軸(Akṣa)に固定された。これには相当の力を要したことが、Ṛgveda2 の一つの言及によって示される。車輪は通常、輻(Ara)と轂(Nābhi)3 から成り、轂の穴(Kha)に車軸の端(Āṇi)が差し込まれた。車輪の強度に付されていた重要性の徴証は、神 Pūṣan の車が損なわれることなき車輪を有するとして讃えられていることである。4 車輪の通常の数は二であったが5、Ṛgveda の七箇所6 においては戦車が「三輪の」と呼ばれ、他の若干の箇所では「七輪の」7 と呼ばれ、他方 Atharvaveda の一箇所8 では「八輪の」と称される。Zimmer9 は、これらの形容辞が実際の戦車に関わるものではないと論じ、tri-cakra、「三輪の」が現れるあらゆる箇所に神話的な言及があることを指摘する。他方 Weber10 は、二人の乗り手の間の中央に一輪を置く三輪の戦車が存在したかもしれないと考える。これはあまり決定的ではない。いずれにせよ七輪の戦車や八輪の戦車が、その数の車輪を有する実在の車両の存在を示すものとみなしうるとは、ほとんど考えられない。

Śatapatha Brāhmaṇa11 においては陶工の轆轤(kaulāla-cakra)に言及がある。

  • 1i. 130, 9; 155, 6; 164, 2. 11. 14; 174, 5; iv. 1, 3 等。
  • 2Av. xi. 7, 4; xix. 53, 1. 2 等。
  • 3Rv. viii. 41, 6.
  • 4Rv. vi. 54, 3.
  • 5Rv. viii. 5, 29; Chāndogya Upaniṣad, iv. 16, 5; Kauṣītaki Upaniṣad, i. 4.
  • 6i. 118, 2; 157, 3; 183, 1; viii. 58, 3; x. 41, 1; 85, 14(すべて Aśvin 双神の戦車について); iv. 36, 1(三人からなる Ṛbhu 神群の作った戦車について)。
  • 7Rv. i. 164, 3, 12; ii. 40, 3.
  • 8xi. 4, 22.
  • 9Altindisches Leben, viii, ix.
  • 10Proceedings of the Berlin Academy, 1898, 564。Virchow, Zeitschrift für Ethnologie, 5, 200 を引く。
  • 11xi. 8, 1, 1. Cf. Zimmer, op. cit., 247.

Cakra-vāka§

Cakra-vāka は、明らかにその鳴き声の性質に由来する名であり、一種の雁(Anas casarca)、Hindī で Chakwā と呼ばれ、英語で Brahmany duck と呼ばれる鳥の名である。1 それは Ṛgveda2 に、また Yajurveda3 における

Aśvamedha すなわち馬祀の犠牲獣の一覧に言及されている。他方 Atharvaveda4 においてはすでに、古典文学におけるその特徴たる夫婦の貞節の典型として現れる。

  • 1Griffith, Hymns of the Rigveda, 1, 309, n. 4.
  • 2ii. 39, 3.
  • 3Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 14, 3. 13; Vājasaneyi Saṃhitā, xxiv. 22. 32; xxv. 8.
  • 4xiv. 2, 64. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 89.

Cakṣus§

Cakṣus、「眼」。「邪視」(ghoraṃ cakṣus)は Atharvaveda によく知られており、同書はその影響を除く呪文を含んでいる。1 それに対する治療として Trikakubh 山からの塗薬2 および Jaṅgiḍa の植物3 が言及されている。婚礼の儀においては、妻が邪視を持たぬよう(aghora-cakṣus)懇願される。4 眼の構造と、白(śukla)、暗い部分(kṛṣṇa)、瞳(kanīnikā)への区分は、後期の Brāhmaṇa 文献5 に繰り返し言及されている。疾病 Alaji は眼の疾患であったと思われる。

  • 1ii. 7; xix. 45 が儀礼においてかく用いられる。
  • 2Av. iv. 9, 6.
  • 3Av. xix. 35, 3.
  • 4Pāraskara Gṛhya Sūtra, i. 4; Śāṅkhāyana Gṛhya Sūtra, i. 16.
  • 5Śatapatha Brāhmaṇa, xii. 8, 2, 26; Jaiminīya Brāhmaṇa, i. 254. 324; Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa, i. 26, 1; 34, 1; Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, ii. 2, 2; Aitareya Āraṇyaka, ii. 1, 5 等。かくして眼の中の人(Puruṣa)も繰り返し言及される。Chāndogya Upaniṣad, i. 7, 5; iv. 15, 1; Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, ii. 3, 5; iv. 2, 2; v. 5, 2. 4 等; Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa, i. 27, 2. Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, ii. 2, 3 はさらに眼の中の水(āpaḥ)、上下の瞼(vartanī)、七本の赤い筋(lohinyo rājayaḥ)を加える。 Cf. Weber, Indische Studien, 13, 149.

Caṇḍāla§

Caṇḍāla1Cāṇḍāla2 は、賤しめられたカーストの名の異形であり、その起源においてはおそらく部族的な集団であったが3、バラモン教の理論においては Śūdra の父とバラモンの母との子とされた。4 Yajurveda の諸 Saṃhitā および Upaniṣad におけるこのカーストへの言及は、それが賤しめられたものであったことを明瞭に示すが、詳細は何ら与えていない。

  • 1Chāndogya Upaniṣad, v. 10, 7; 14, 4; Āśvalāyana Gṛhya Sūtra, iv. 9; Śāṅkhāyana Gṛhya Sūtra, ii. 12; vi. 1 等。
  • 2Vājasaneyi Saṃhitā, xxx. 21; Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 4, 17, 1; Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, iv. 1, 22.
  • 3Fick, Die sociale Gliederung, 204 et seq.
  • 4Zimmer, Altindisches Leben, 217 はこれをヴェーダ期についても明らかに容れている。 Cf. von Schroeder, Indiens Literatur und Cultur, 433.

Catuṣ-pad§

Catuṣ-pad、「四足獣」は、Ṛgveda1 以降、動物を表す通常の名であり、しばしば Dvipad、「二足のもの」と対比される。2 Catuṣ-pāda が paśavaḥ、「動物」に適用される形容詞としても見出される。3

  • 1Rv. i. 49, 3; 94, 5; 119, 1; iii. 62, 14 等; Av. iv. 11, 5; x. 8, 21; Vājasaneyi Saṃhitā, viii. 30; ix. 31; xiv. 8. 25 等; Aitareya Brāhmaṇa, vi. 2; viii. 20 等。
  • 2Rv. x. 117, 8; Av. vi. 107, 1 等。
  • 3Aitareya Brāhmaṇa, ii. 18; vi. 2; Śatapatha Brāhmaṇa, iii. 7, 3, 2; vi. 8, 2, 17 等。

Candra 1§

1. Candra1Candra-mas2 は「月」の名であり、後者は Ṛgveda 以降現れるが、前者はこの意味では Atharvaveda において初めて用いられる。ヴェーダ文献においては、Soma と同一視される3 こと ── 両者ともに満ち欠けするものと記述される ── を除けば、月についてはきわめて僅かしか語られない。しかし月の規則的な変化4、および太陽との交替5 には言及がある。月は Soma として、Ṛgveda において太陽に嫁したと宣せられている。6 また新月の時にその姿を消すこと7、および太陽の光から生まれること8 にも言及がある。Atharvaveda9 においては、月を蝕する悪鬼(grahāś cāndramāsāḥ)に言及がある。

月の相と、時の尺度としての月については Māsa を見よ。月とその宿については Nakṣatra を見よ。

(訳注:底本ではこの項の脚注4が本文と脚注群の間に孤立して置かれている。番号順に整えた。)

  • 1Av. ii. 15, 2; 22, 1; iii. 31, 6 等; Vājasaneyi Saṃhitā, xxii. 28; xxxix. 2; Śatapatha Brāhmaṇa, vi. 2, 2, 16 等。
  • 2Rv. i. 105, 1; viii. 82, 8; x. 64, 3; 85, 19; Av. xi. 6, 7; Vājasaneyi Saṃhitā, i. 28; xxiii. 10. 59 等。
  • 3Macdonell, Vedic Mythology, pp. 112, 113 を見よ。この同一視は Ṛgveda の後期の部分に明瞭に見出される。
  • 4Rv. x. 55, 5. Cf. Av. x. 8, 32.
  • 5Rv. x. 68, 10. Cf. i. 62, 8; 72, 10.
  • 6x. 85, 18. 19.
  • 7Śatapatha Brāhmaṇa, i. 6, 4, 18; iv. 6, 7, 12; xi. 1, 6, 19; xiv. 4, 2, 13; Aitareya Brāhmaṇa, viii. 28, 8; おそらく Rv. x. 138, 4 も。
  • 8Rv. ix. 71, 9; 76, 4; 86, 32; Sāmaveda, ii. 9, 2, 12, 1; Hillebrandt, Vedische Mythologie, 1, 463 et seq. Cf. Sūrya.
  • 9xix. 9, 10. Av. vi. 128 もまた Kauśika Sūtra, c. 3 によって月蝕に関わるものとみなされている。Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, 533 を見よ。 Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 349, 350, 352.

Candra 2§

2. Candra は、Ṛgveda 以降の若干の箇所1 において「黄金」を指すと思われる。

  • 1Rv. ii. 2, 4; iii. 31, 5; Av. xii. 2, 53; Taittirīya Saṃhitā, i. 2, 7, 1; Kāṭhaka Saṃhitā, ii. 6; Vājasaneyi Saṃhitā, iv. 26; xix. 93; Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, vi. 6; Śatapatha Brāhmaṇa, iii. 3, 3, 4 等。Cf. Vājasaneyi Saṃhitā, xx. 37; xxxi. 31 における形容詞 candrin

Capya§

Capya は Vājasaneyi Saṃhitā1 および Śatapatha Brāhmaṇa2 において祭祀の器の名として見出される。

  • 1xix. 88; Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 2, 9; Kāṭhaka Saṃhitā, xxxviii. 3.
  • 2xii. 7, 2, 13; 9, 1, 3.

Camasa§

Camasa は「飲用の器」を指し、通常は祭祀において Soma を入れるのに用いられるものである。Ṛgveda 以降しばしば言及される。1 それは木(vṛkṣa)で作られ2、それゆえ dru と呼ばれる。3 Śatapatha Brāhmaṇa4 によれば、それは Udumbara の材で作られた。

  • 1Rv. i. 20, 6; 110, 3; viii. 82, 7; x. 16, 8; 68, 8; 96, 9 等; Av. vii. 73, 3; xviii. 3, 54; Vājasaneyi Saṃhitā, xxiii. 13 等; Nirukta, xi. 2; xii. 38.
  • 2Rv. x. 68, 8.
  • 3Rv. i. 161, 1.
  • 4vii. 2, 11, 2. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 280; Hillebrandt, Vedische Mythologie, 1, 167, 168.

Camū§

Camū はいささか意味の疑わしい語であり、Ṛgveda に繰り返し現れ、Soma の調製と関わる。Zimmer1 は、双数形においてそれが、彼の見解では Soma がその間で搾られた二枚の板を指すと考える(Adhiṣavaṇacf.)。しかし Roth2 が、通常の意味を、圧搾器から Soma が注がれる器を指すものと解するのは正しいと思われる。また Hillebrandt3 は、それが複数形で現れる場合4 には常にこの意味を有し、後代の儀礼の Graha-pātra に相当することを明瞭に示し、また時には単数形5 ないし双数形6 においてもそのように用いられることを示している。しかし若干の場合7 においては、彼はそれが Soma を搾る臼を指す用法をも認める。この点で彼は正しいかもしれない。というのもこの調製法はおそらく印・イラン共通のものだったからである。8

派生的な意味において、Camū は Śatapatha Brāhmaṇa9 において、

一枚岩からなるか煉瓦から成るかする槽を指すと思われる。これは東方の民が死者の身体を土との接触から守るのに用いたもので、現代の石を張った墓ないし地下室のごときものである。

  • 1Altindisches Leben, 277, 278.
  • 2St. Petersburg Dictionary, s.v. Cf. Grassmann, Rigveda, 1, 15.
  • 3Vedische Mythologie, 1, 164-175.
  • 4Rv. iii. 48, 5; viii. 2, 8; 82, 7. 8; ix. 20, 6; 62, 16; 63, 2; 92, 2; 93, 3; 97, 21. 37. 46; 99, 6. 8.
  • 5Rv. ix. 107, 18; x. 91, 15.
  • 6Rv. ix. 69, 5; 71, 1; 72, 5; 86, 47; 96, 20. 21; 97, 2. 48; 103, 4; 107, 10; 108, 10.
  • 7単数:Rv. v. 51, 4; viii. 4, 4; 76, 10; ix. 46, 3; x. 24, 1。双数:i. 28, 9; iv. 18, 3; vi. 57, 2; ix. 36, 1.
  • 8Hillebrandt, op. cit., 1, 158-164.
  • 9xiii. 8, 2, 1; Eggeling, Sacred Books of the East, 44, 430, n. 1. Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xiv. 22, 19 においては意味が疑わしい。 Cf. Macdonell, Vedic Mythology, pp. 105 et seq.

Caraka§

Caraka は第一義的には「遍歴する学生」を指し、この意味は実際に Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad1 に見出される。より特には、黒 Yajurveda の一学派の成員を指し、その慣行は Śatapatha Brāhmaṇa2 において数度、非難をもって言及されている。Vājasaneyi Saṃhitā3 においては Caraka の師(Carakācārya)が Puruṣamedha すなわち人身供犠の犠牲者のうちに数え上げられている。そこで彼が悪行に献ぜられていることは、儀礼上の確執の明瞭な示唆である。

  • 1iii. 3, 1.
  • 2iii. 8, 2, 24(同箇所の言及は Taittirīya Saṃhitā vi. 3, 9, 6; 10, 2、あるいは何らかの並行箇所に対するものである); iv. 1, 2, 19; 2, 3, 15; 4, 1, 10; vi. 2, 2, 1. 10; viii. 1, 3, 7; 7, 1, 14. 24.
  • 3xxx. 18; Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 4, 16, 1. 後者の文献にそれが現れることは、Caraka が黒 Yajurveda の全学派を含むという von Schroeder, Indiens Literatur und Cultur, 188 の見解を蓋然性の低いものとする。 Cf. Weber, Indische Studien, 2, 287, n. 2; 3, 256, 257, 454; Indian Literature, 87; Zimmer, Altindisches Leben, 212.

Caraka-brāhmaṇa§

Caraka-brāhmaṇa は、Sāyaṇa がその Ṛgveda 注釈1 において引用する書の名である。

  • 1viii. 66, 10; Macdonell, Vedic Mythology, p. 41.

Carācara§

Carācara(「走り回る」)は、Yajurveda の諸 Saṃhitā1 において Sarīsṛpa と同類に置かれる語であり、明らかに或る種の動物を指すに違いない。

  • 1Taittirīya Saṃhitā, i. 8, 13, 3; Kāṭhaka Saṃhitā, xv. 3; Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 12, 10; Vājasaneyi Saṃhitā, xxii. 29.

Caru§

Caru は Ṛgveda 以降1「鍋」ないし「壺」を表す。それは蓋(apidhāna)と、火の上に掛けることを可能にする鉤(aṅka)を有していた。2 それは鉄ないし青銅

(ayasmaya)で作られた。3 この語はまた二次的に4、壺の中身、すなわちその中で炊かれた穀物の料理を指すのにも用いられる。

  • 1Rv. i. 7, 6; vii. 104, 2; ix. 52, 3; x. 86, 18; 167, 4; Av. iv. 7, 4; ix. 5, 6; xi. 1, 16; 3, 18; xviii. 4, 16 et seq. 等。それは Taittirīya Saṃhitā, i. 6, 1, 2; Kāṭhaka Saṃhitā, v. 6; xxxii. 6; Maitrāyaṇī Saṃhitā, i. 4, 4. 9 等において pañca-bila、「五つの口を有する」と呼ばれる。
  • 2Rv. i. 162, 13; Av. xviii. 4, 53.
  • 3Śatapatha Brāhmaṇa, xiii. 3, 4, 5. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 271.
  • 4Taittirīya Saṃhitā, i. 8, 10, 1; Aitareya Brāhmaṇa, i. 1; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 7, 4, 7; ii. 5, 3, 4; iii. 2, 3, 1 等。Cf. Weber, Indische Studien, 9, 216.

Carman§

Carman は一般に「皮」を指し、Ṛgveda 以降の常用語である。1 牛皮は多くの用途に供され、弓弦、投石帯、手綱の製作などに用いられた(Go を見よ)。それはとりわけしばしば、Soma が石で搾られる板2 の上に置くのに用いられた。3 おそらく皮袋を作るのにも用いられた。4 Carmaṇya は Aitareya Brāhmaṇa5 において一般に革製品を指す。

皮を鞣す(mlā)技術は早くも Ṛgveda6 において知られており、同書にはまた「鞣し職人」を表す語(carmamna)も現れる。7 工程の詳細は欠けるが、Śatapatha Brāhmaṇa8 は皮を杭(śaṅkubhiḥ)で張り伸ばすことに言及し、Ṛgveda9 は皮を湿らせることに言及する。

  • 1Rv. i. 85, 5; 110, 8; 161, 7; iii. 60, 2; iv. 13, 4 等; Av. v. 8, 13; x. 9, 2; xi. 1, 9 等; Taittirīya Saṃhitā, iii. 1, 7, 1; vi. 1, 9, 2 等。語幹 carma(中性、処格 carme)は Taittirīya Brāhmaṇa, ii. 7, 2, 2 に見出される。
  • 2Hillebrandt, Vedische Mythologie, 1, 148-150; 181-183.
  • 3Rv. x. 94, 9; 116, 4.
  • 4Rv. x. 106, 10 は Zimmer, Altindisches Leben, 228 によってかく解される。同氏は Odysseia, x. 19 と比較する。
  • 5v. 32. Cf. Śāṅkhāyana Āraṇyaka, ii. 1 における paricarmaṇya
  • 6viii. 55, 3(後期の讃歌)。
  • 7viii. 5, 38; Vājasaneyi Saṃhitā, xxx. 15; Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 4, 13, 1. この語形については cf. Macdonell, Vedic Grammar, p. 38, n. 1; p. 249, n. 4.
  • 8ii. 1, 1, 9.
  • 9i. 85, 5. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 228, 253.

Carṣaṇi§

Carṣaṇi は複数形で用いられ、Ṛgveda1 において一般に「人々」ないし「民」を指す。それは活動する存在2 として、あるいは遊牧民に対立する耕作者3 として捉えられる。「人々の王」(rājā carṣaṇīnām)という表現がしばしば見出される。4「民」は

また戦と関連しても言及される。5 Atharvaveda6 においては「動物」(paśu)と「人々」(carṣaṇi)が併せて語られる。

五つの carṣaṇayaḥ7 については Pañca Janāsaḥ を見よ。

  • 1Rv. i. 86, 5; 184, 4; iii. 43, 2; iv. 7, 4; v. 23, 1; vi. 2, 2; x. 180, 3 等。
  • 2car、「動く」から派生するとすればであり、これは蓋然性が高い。
  • 3kṛṣ、「耕す」から派生するとすればである。
  • 4Rv. iii. 10, 1; v. 39, 4; vi. 30, 5; viii. 70, 1; x. 139, 1 等。
  • 5Rv. i. 55, 1; 109, 6; iv. 31, 4; 37, 8; vi. 31, 1 等。
  • 6xiii. 1, 38.
  • 7Rv. v. 86, 2; vii. 15, 2; ix. 101, 9. 語源については Macdonell, Vedic Grammar, 185、とりわけ 122, 2a(car、「動く」から)を見よ。Monier Williams, Dictionary, s.v.(kṛṣ、「耕す」から)。

Caṣāla§

Caṣāla、祭柱(Yūpa)の臼形をした頂部の部材は、Ṛgveda 以降言及される。1 Śatapatha Brāhmaṇa の一箇所2 においては、それを小麦粉の練り物(gaudhūma)で作るべきことが指示されている。

  • 1Rv. i. 162, 6; Taittirīya Saṃhitā, vi. 3, 4, 2, 7; Kāṭhaka Saṃhitā, xxvi. 4 等; Maitrāyaṇī Saṃhitā, i. 11, 8 等。
  • 2v. 2, 1, 6. Cf. Eggeling, Sacred Books of the East, 26, 168, n. 1; 41, 31, n. 1.

Cākra§

Cākra は、Revottaras Sthapati Pāṭava Cākra1 あるいは Revottaras Pāṭava Cākra Sthapati2 と種々に称される人物の名であり、Śatapatha Brāhmaṇa にのみ言及される。同書において彼は Sṛñjaya 族によって追放されたが、Kauravya の王 Balhika Prātipīya の反対にもかかわらず、彼らにその王侯 Duṣṭarītu を回復させたと言われる。2 彼は戦士というより聖仙であったに違いない。Śatapatha Brāhmaṇa の最初の箇所1 は彼を師としての資格においてのみ示すからである。Cf. Sthapati.

(訳注:底本ではこの項の脚注1・2が二重に印刷されている。一組に整理した。)

  • 1Śatapatha Brāhmaṇa, xii. 8, 1, 17.
  • 2Ibid., xii. 9, 3, 1 et seq. Cf. Weber, Indische Studien, 1, 205-207; 10, 85, n. 1; Indian Literature, 123; Eggeling, Sacred Books of the East, 44, 269 et seq. 上記は同氏の訳に従ったものである。

Cākrāyaṇa§

Cākrāyaṇa、「Cakra の後裔」は、Uṣasta ないし Uṣasti の父称である。1

  • 1Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, iii. 5, 1; Chāndogya Upaniṣad, i. 10, 1; 11, 1.

Cāṇḍāla§

Cāṇḍāla. Caṇḍāla を見よ。

Cākṣuṣa§

Cākṣuṣa は Atharvaveda1 に一度のみ現れる語であり、St. Petersburg 辞典によれば父称(人格化された Suyāman の)である。Whitney2 はこれをおそらく単なる形容詞(「視覚の」)とみなす。

  • 1xvi. 7, 7.
  • 2Translation of the Atharvaveda, 800.

Cātur-māsya§

Cātur-māsya、「四か月の」は、ヴェーダ儀礼における祭を指し、ヴェーダの一年が人為的に区分された各四か月の三季節の初めに行われた。1 これらの祭祀が各季節の始まりとともに開始されたことは明らかであり2、第一の Vaiśvadeva が Phālgunī の満月3 と、第二の Varuṇa-praghāsa が Āṣāḍhī の満月4 と、第三の Sāka-medha が Kārttikī の満月5 と一致したことは確実である。しかし二つの代替的な日取りがあった。これらの祭は Caitrī、Śrāvaṇī、Āgrahāyaṇī(Mārgaśīrṣī)の満月6 にも、あるいは Vaiśākhī、Bhādrapadī、Pauṣī の満月7 にも行われえた。後の二つの日取りはいずれも Brāhmaṇa 文献には見出されないが、いずれも早くから知られていたことは十分にありうる。Taittirīya Saṃhitā8 と Pañcaviṃśa Brāhmaṇa9 はともに、年の始まりについて Caitra 月の満月を Phālguna 月の満月の代替として認めているからである。

Jacobi は、Phalgunī 宿における満月をもって年が始まることが ── これは他の証拠10 によっても支持される ── かつて年が、月が Phalgunī にある冬至とともに始まったことを示すと考える。これは太陽が Phalgunī にあるときの夏至に対応する。これらの天文学的条件は Ṛgveda の時代11 に存在し、紀元前第四千年紀に行われていたと彼は信ずる。その場合、代替的な

日取りは、冬至が Caitrī ないし Vaiśākhī の満月と一致した時期を示すことになろう。しかし Oldenberg12 と Thibaut13 が、Phālgunī と春の始まりとの一致 ── これは確実である14 ── がこの見解にとって致命的であり、またこの日取りを、Kauṣītaki Brāhmaṇa15 の与える Māgha の新月における冬至の日取り ── これは Jyotiṣa の計算の基礎をなす16 ── と整合するものとみなすことに何の困難もないと主張するのは、明らかに正しいと思われる。Phālguna の満月は冬至の約一か月半後、すなわち二月の第一週に置かれることになろう。この日取りは Thibaut によれば、紀元前800年頃のインドにおいて新しい季節の始まりを画するものと妥当にみなしうる。同時に、年が各四か月の三季節に分けられ、インドの年が実際には三つの等しい季節から成るわけではない以上、この日取りが必然的に人為的なものであったことは忘れてはならない。そうであれば、いずれかの学派がその春の祭 Vaiśvadeva を、春が実際に現れた時まで延期しようと望んだ場合、他の日取りの変異も不自然ではないことになろう。Saṃvatsara をも見よ。

  • 1Taittirīya Saṃhitā, i. 6, 5, 3; Taittirīya Brāhmaṇa, i. 4, 9, 5; ii. 2, 2, 2; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 6, 3, 36; ii. 5, 2, 48; 6, 4, 1; v. 2, 3, 10; xiii. 2, 5, 2; Kauṣītaki Brāhmaṇa, v. 1 等。
  • 2Śatapatha Brāhmaṇa, i. 6, 3, 36(cf. xiv. 1, 1, 28); Kauṣītaki Brāhmaṇa, v. 1.
  • 3Phālguna 月、すなわち二月 ─ 三月において。
  • 4Āṣāḍha 月、すなわち六月 ─ 七月において。
  • 5すなわち Kārttika 月、月が Kṛttikā 宿にあるときにおいて。Śatapatha Brāhmaṇa, ii. 6, 3, 13; Kauṣītaki Brāhmaṇa, v. 1 等。
  • 6Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, iii. 13, 1; 14, 1. 2; 15, 1. これらはそれぞれ Caitra 月(三月 ─ 四月)、Śrāvaṇa 月(七月 ─ 八月)、Mārgaśīrṣa 月(十一月 ─ 十二月)における満月の日である。
  • 7Kātyāyana Śrauta Sūtra への Deva の Paddhati, pp. 430, 450, 497. これらはそれぞれ Vaiśākha 月(四月 ─ 五月)、Bhādrapada 月(八月 ─ 九月)、Pauṣa 月(十二月 ─ 一月)における満月の日である。
  • 8vii. 4, 8, 1. 2.
  • 9v. 9, 8. 11.
  • 10Indian Antiquary, 23, 156 et seq.; Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 49, 223 et seq.; 50, 72-81.
  • 11vii. 103, 9; x. 85, 13. Cf. Festgruss an Rudolf von Roth, 68 et seq.
  • 12Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 48, 630 et seq.; 49, 475, 476; 50, 453-457.
  • 13Indian Antiquary, 24, 86 et seq.
  • 14Taittirīya Brāhmaṇa, i. 1, 2, 6, 8; Śatapatha Brāhmaṇa, xiii. 4, 1, 2-4 を見よ。かくして Phālgunī の満月は「諸季節の口」(ṛtūnāṃ mukham)と呼ばれる ── 例えば Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, xxi. 15, 2; Kāṭhaka Saṃhitā, viii. 1; Maitrāyaṇī Saṃhitā, i. 6, 9。また最初の季節は常に春である。Śatapatha Brāhmaṇa, i. 5, 3, 8-14; ii. 1, 3, 1; vii. 2, 4, 26; xi. 2, 7, 32; xii. 8, 2, 34; xiii. 5, 4, 28; Taittirīya Saṃhitā, ii. 1, 2, 5; Kāṭhaka Saṃhitā, xiii. 1. 7 等。Weber, Naxatra, 2, 352 を見よ。
  • 15xix. 3.
  • 16Thibaut, Astronomie, Astrologie, und Mathematik, 17, 18. Cf. Weber, Naxatra, 2, 329 et seq.; Whitney, Journal of the American Oriental Society, 16, lxxxvi, lxxxvii; Keith, Journal of the Royal Asiatic Society, 1909, 1101-1104.

Cāndhanāyana§

Cāndhanāyana は Vaṃśa Brāhmaṇa1 における Ānandaja の父称である。

  • 1Indische Studien, 4, 372, 383.

Cāyamāna§

Cāyamāna は Ṛgveda(vi. 27, 5. 8)における Abhyāvartin の父称である。

Cāṣa§

Cāṣa、「青い啄木鳥」(Coracias indica、ブッポウソウ)は、Ṛgveda1 に、また Yajurveda2 における Aśvamedha すなわち馬祀の犠牲獣の一覧に言及されている。

  • 1x. 97, 13.
  • 2Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 14, 4; 15, 9; Vājasaneyi Saṃhitā, xxiv. 23; xxv. 7. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 92.

Ciccika§

Ciccika は、同じく未詳の Vṛṣārava とともに Ṛgveda の一讃歌1 に言及される鳥である。おそらく Dārila がその Kauśika Sūtra 注釈2 において言及する Ciṭaka と比較しうるかもしれない。

  • 1x. 146, 2.
  • 2xxvi. 20; Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, 266. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 90; Griffith, Hymns of the Rigveda, 2, 589.

Citra§

Citra は数名の人物の名である。

(a)Ṛgveda1 は王 Citra の Dānastuti(「贈与の讃」)を含む。後代の伝説2 はこの頌讃を Sobhari に帰し、Citra を鼠の王と記述する。

(b)Citra Gāṅgyāyani ないし Gārgyāyaṇi は Kauṣītaki Upaniṣad1 において Āruṇi および Śvetaketu と同時代の人として言及されている。

(c)Citra Gauśrāyaṇi は Kauṣītaki Brāhmaṇa1 において師として言及されている。

(a)の脚注

(b)の脚注

(c)の脚注

  • 1viii. 21, 18.
  • 2Bṛhaddevatā, vii. 58 et seq.、Macdonell の注とともに。
  • 1i. 1. Cf. Weber, Indische Studien, 1, 395; Keith, Śāṅkhāyana Āraṇyaka, 16, n. 1.
  • 1xxiii. 5. Cf. Weber, loc. cit.

Citra-ratha§

Citra-ratha(「輝く車を有する」)は二人の人物の名である。

(a)これは Ṛgveda(iv. 30, 18)によれば、Arṇa とともに Sarayu 川(おそらく現代の Oudh の Sarju 川)において Turvaśa-Yadu 族のために Indra に打ち破られたアーリヤの王侯を指す。この所在地は Turvaśa と Krivi ないし Pañcāla との密接な結びつきと合致するであろう。

(b)Citraratha はまた、Kāpeya 族が特別な種類の祭祀(dvirātra)を執り行った王の名でもある。Pañcaviṃśa Brāhmaṇa1 によれば、その結果として Caitraratha 家においては一人の成員のみが Kṣatra-pati であり、他は従属者であった。明らかにこれは、Caitraratha 家が他の王侯の家系と異なり、氏族の首長が顕著に高い地位を受けたという事実によって際立っていたことを意味するに違いない。他の大多数の場合には、おそらく家系の長たちは君主とその従属者というより寡頭制をなしていたのであろう。Rājan を見よ。

  • 1xx. 12, 5. Cf. Hopkins, Transactions of the Connecticut Academy of Arts and Sciences, 15, 52, 53; Weber, Indische Studien, 1, 32; Indian Literature, 68, n.

Citrā§

Citrā. Nakṣatra を見よ。

Cilvaṭi§

Cilvaṭi は Gopatha Brāhmaṇa(i. 2, 7)における未詳の動物の名である。

Cīpudru§

Cīpudru は Atharvaveda の一讃歌1 において治癒に有用なものとして言及される或る物質を指す。注釈者 Sāyaṇa は Cīpadru と読み、この語を一種の樹木と説明する。この解釈は、Kauśika Sūtra2 がこの讃歌3 の儀礼的適用において Palāśa 材の割り木の使用に言及するという事実によって支持される。Whitney4 はこの語形が Cīpuḍu であるべきだと示唆する。

  • 1vi. 127, 2.
  • 2xxvi. 34.
  • 3Av. vi. 127.
  • 4Translation of the Atharvaveda, 376. Cf. Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, 350-352; Atharvaveda, 62; Zimmer, Altindisches Leben, 386. Roth と Whitney の本文は誤って Śīpudru と読む。

Cumuri§

CumuriDabhīti の敵の名であり、Dabhīti のために、その友 Dhuni とともに Indra に打ち破られた者として Ṛgveda1 に言及されている。他の箇所2 においては、この二者が ŚambaraPipru、Śuṣṇa とともに、Indra によって砕かれ、その城砦を破壊された者として語られている。実在の人間が意味されているのか悪鬼が意味されているのかを言うことは不可能であるが、Cumuri によって人間が指されていることを支持するのは

この名の形であり、それはアーリヤ的でないと思われる。3

  • 1vi. 20, 13; x. 113, 9. vi. 26, 6 においては Cumuri のみが言及され、Dāsa ないし Dasyu 一般が Dabhīti のために服従させられたと iv. 30, 21; ii. 13, 9 に述べられている。また ii. 15, 9; vii. 19, 4 をも見よ。
  • 2Rv. vi. 18, 8.
  • 3Wackernagel, Altindische Grammatik, 1, xxii. Cf. Hillebrandt, Vedische Mythologie, 3, 275; Macdonell, Vedic Mythology, p. 162.

Cūḍa Bhāgavitti§

Cūḍa Bhāgavitti(「Bhagavitta の後裔」)は、Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad1 において Madhuka Paiṅgya の弟子として言及されている。

  • 1vi. 3, 9(Kāṇva 伝本 = vi. 3, 17. 18、Mādhyaṃdina 伝本)。Kāṇva 伝本の本文は例のごとく Cūla とする。

Cūrṇa§

Cūrṇa は、Kauṣītaki Upaniṣad(i. 4)において Apsaras について用いられる cūrṇa-hasta という句において、芳香の粉を指すと思われる。

Cedi§

Cedi は或る民族の名であり、その王 Kaśu、すなわち Caidya とともに、Ṛgveda の一讃歌の末尾1 に現れる Dānastuti(「贈与の讃」)においてのみ言及され、そこではその寛大さが並ぶものなきものとして讃えられている。彼らは後代に叙事詩において Matsya 族とともに現れ、Bandela Khaṇḍa(Bundelkhand)に住んでいた。2 ヴェーダ時代においても、おそらくほぼ同じ地域に位置していた。

  • 1viii. 5, 37-39.
  • 2Lassen, Indische Alterthumskunde, 1², 688, n. 3; Zimmer, Altindisches Leben, 129; Pargiter, Journal of the Royal Asiatic Society, 1908, 332; Oldenberg, Buddha, 402.

Celaka Śāṇḍilyāyana§

Celaka Śāṇḍilyāyana(「Śāṇḍilya の後裔」)は、Śatapatha Brāhmaṇa(x. 4, 5, 3)において師として言及されている。

Caikitāneya§

Caikitāneya(「Cekitāna の後裔」)は、Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa1 において師として言及されている。Caikitāneya 族もまた同書2 において、彼らが崇めた Sāman に関連して言及されている。Brahmadatta Caikitāneya は Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad3 において Sāman と結びつけられており、また Vāsiṣṭha Caikitāneya が Ṣaḍviṃśa4 および Vaṃśa5 の両 Brāhmaṇa に知られている。この語は父称であり、Śaṅkara6 によれば

Caikitāna から形成されたものであるが、より蓋然性高くは Cekitāna7 からであり、この名は叙事詩に見出される。

  • 1i. 37, 7; ii. 5, 2.
  • 2i. 42, 1.
  • 3i. 3, 24.
  • 4iv. 1.
  • 5Indische Studien, 4, 373, 384.
  • 6Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, loc. cit. について。
  • 7St. Petersburg Dictionary, s.v.

Caikitāyana§

Caikitāyana、「Cikitāyana1 ないし Cekita2 の後裔」は、Chāndogya Upaniṣad3 における Dālbhya の父称である。

  • 1Chāndogya Upaniṣad, i. 8, 1 への Śaṅkara の注。
  • 2St. Petersburg Dictionary, s.v.
  • 3i. 8, 1.

Caitra§

Caitra は Kāṭhaka Saṃhitā(xxi. 4)における Yajñasena の父称である。

Caitra-rathi§

Caitra-rathi. Citraratha および Satyādhivāka を見よ。

Caitriyāyaṇa§

Caitriyāyaṇa は Taittirīya Saṃhitā(v. 3, 8, 1)における師 Yajñasena の父称ないし母称である。

Caidya§

Caidya. Cedi を見よ。

Cailaki§

Cailaki、「Celaka の後裔」は、Śatapatha Brāhmaṇa(ii. 3, 1, 34)における Jīvala の父称である。

Cora§

Cora、「盗人」は、後期の書たる Taittirīya Āraṇyaka の最終巻(x. 65)にのみ見出される。ヴェーダの語は TaskaraTāyuStenaParipanthin である。

Cyavatāna Mārutāśva§

Cyavatāna Mārutāśva(「Marutāśva の後裔」)は、Ṛgveda1 の Dānastuti(「贈与の讃」)における王侯の名であると思われる。しかし二人の別人が意味されているかもしれない。

  • 1v. 33, 9. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 155.

Cyavana§

Cyavana1Cyavāna2 は、古の Ṛṣi すなわち見者の名の異形である。Ṛgveda3 は彼を老いて衰えた者として描き、Aśvin 双神が彼に若さと力を回復させ、妻に受け入れられる者、乙女らの夫としたと語る。

この伝説は Śatapatha Brāhmaṇa4 において別の形で与えられ、そこでは Cyavana が Śaryāta の娘 Sukanyā を娶ったと記述される。彼はそこで Bhṛgu ないし Āṅgirasa と呼ばれ、池に浸ることによって若返らされたとされる ── これは後に東洋文学においてきわめて一般的となる主題の最初の出現である。Cyavāna についての別の伝説が、Ṛgveda の不明瞭な一讃歌5 に明らかに仄めかされている。そこでは彼は Paktha の王侯 Tūrvayāṇa ── Indra の崇拝者 ── に対立するものと思われ、他方 Cyavāna は Aśvin 双神と特に結びついていたと思われる。Pischel6 の示唆するこの讃歌の説明は、Jaiminīya Brāhmaṇa7 によって裏づけられる。同書は、Bhṛgu のもう一人の子 Vidanvant が、Aśvin 双神に犠牲を捧げたことを怒った Indra に対して Cyavana を支持したと語る。また Aśvin 双神が Śatapatha Brāhmaṇa8 において Sukanyā の示唆によって供犠の分け前を得る者として現れることも注目に値する。しかし Indra と Cyavana の和解が生じたに違いない。というのも Aitareya Brāhmaṇa9 は、Cyavana が偉大な Indra の灌頂(aindreṇa mahābhiṣekeṇa)をもって Śāryāta に即位式を行ったことを語るからである。Pañcaviṃśa Brāhmaṇa10 においては、Cyavana が Sāman すなわち詠唱を感得した者として言及されている。

  • 1この形は Nirukta(iv. 19)においてすら見出され、Ṛgveda 以外のあらゆるヴェーダ文献において、また叙事詩において常に用いられる。
  • 2Rv. は全篇にわたりこの形を有する。
  • 3i. 116, 10; 117, 13; 118, 6; v. 74, 5; vii. 68, 6; 71, 5; x. 39, 4.
  • 4iv. 1, 5, 1 et seq.
  • 5x. 61, 1-3.
  • 6Vedische Studien, 1, 71-77。Griffith, Hymns of the Rigveda, 2, 465 に容れられている。
  • 7iii. 121-128; Journal of the American Oriental Society, 11, cxlvi; 26, 43 et seq.
  • 8iv. 1, 5, 13 et seq.
  • 9viii. 21, 4; Pischel, op. cit., 1, 75.
  • 10xiii. 5, 12; xix. 3, 6; xiv. 6, 10; xi. 8, 11. Cf. Muir, Sanskrit Texts, 5, 243, 250-254; Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 156; Macdonell, Vedic Mythology, pp. 51, 52; Hopkins, Journal of the American Oriental Society, 26, 43 et seq.; Transactions of the Connecticut Academy of Arts and Sciences, 15, 56, 57.