研究資料に戻る ヴェーダ固有名詞・事項索引Vedic Index of Names and Subjects

Āの部

Ākuli§

Ākuli. ── この神話的祭官は Kirāta とともに、AsamātiGaupāyana 兄弟の後代の物語において役割を果たす。

Āktākṣya§

Āktākṣya は火の儀礼(agni-citi)について特異な見解を有した師として言及されており、その見解は Śatapatha Brāhmaṇa1 において斥けられている。

  • 1vi. 1, 2, 24. Cf. Lévi, La Doctrine du Sacrifice, 140.

Ā-kramaṇa§

Ā-kramaṇa. ── Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa(i. 3)においてこの語は「樹に登るための足場」という特定の意味で用いられている。

Ākhu§

Ākhu. ── この語の正確な意味は不確かである。Zimmer1 はこれを「土竜」と訳し、Roth2 は「鼠」ないし「大鼠」を採る。後期の諸 Saṃhitā3 にしばしば言及され、Ṛgveda4 にも知られているが、同箇所においてこの語は Pischel5 によって「盗人」という二次的な意味を獲得したものとみなされている。これは Hillebrandt6 によって否定されている。

  • 1Altindisches Leben, 84, 85. Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, 142 もこれに従う。
  • 2St. Petersburg Dictionary, s.v. Whitney, Translation of the Atharvaveda, 317, 318 もこれに従う。
  • 3Taittirīya Saṃhitā, v. 5, 14, 1; Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 14. 7; Vājasaneyi Saṃhitā, iii. 57; xxiv. 26; 28; Av. vi. 50, 1.
  • 4ix. 67, 30.
  • 5Vedische Studien, 2, 246; Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 48, 701.
  • 6Zeitschrift, 48, 418; Vedainterpretation, 7.

Ā-khyāna§

Ā-khyāna. ── Aitareya Brāhmaṇa1 において、Rājasūya(「王の即位祭」)に際して Hotṛ 祭官が語る Śaunaḥśepa Ākhyāna、すなわち「Śunaḥśepa の物語」について聞くところがある。Aśvamedha(「馬祀」)において、犠牲の馬が意のままに彷徨うのを許される一年の間に用いられる一連の物語2 は「循環するもの」(pari-plavam)と呼ばれる。Aitareya Brāhmaṇa3 はまた、Sauparṇa 伝説を語る Ākhyāna-vid(「物語に通じた者」)にも言及するが、この伝説は他の箇所4 では Vyākhyāna として知られている。Yāska は Nirukta5 においてこの語をしばしば用い、時には Aitihāsika すなわち Ṛgveda の伝統的解釈者たちの説を指す含蓄ある意味で用いている。6

  • 1vii. 18, 10. Cf. Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xv. 27.
  • 2Śatapatha Brāhmaṇa, xiii. 4, 3, 2. 15.
  • 3iii. 25, 1.
  • 4Śatapatha Brāhmaṇa, iii. 6, 2, 7.
  • 5v. 21; vii. 7.
  • 6xi. 19; 25. Cf. Sieg, Die Sagenstoffe des Ṛgveda, 16 et seq.

Ā-khyāyikā§

Ā-khyāyikā. ── この語はヴェーダ文献において明らかに一度のみ、後期の Taittirīya Āraṇyaka1 に現れるが、そこでのその意義は不確かである。

  • 1i. 6, 3. Cf. Sieg, Die Sagenstoffe des Ṛgveda, 20, n.

Āgastya§

Āgastya は Aitareya(iii. 1, 1)および Śāṅkhāyana(vii. 2)の両 Āraṇyaka において師として現れる。

Āgni-veśi Śatri§

Āgni-veśi Śatri. ── この名の王族が Ṛgveda の Dānastuti(「贈与の讃」)1 において言及されているように思われる。

  • 1v. 34, 9. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 155.

Āgni-veśya§

Āgni-veśya. ── この名の師が数名、Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad の Vaṃśa すなわち系譜に言及されている。Mādhyandina 伝本1 においては Āgniveśya は Saitava の弟子である。Kāṇva 伝本においては、第一の Vaṃśa2 において ŚāṇḍilyaĀnabhimlāta の弟子であり、第二の Vaṃśa3 においては Gārgya の弟子である。

  • 1ii. 5, 21; iv. 5, 27.
  • 2ii. 6, 2.
  • 3iv. 6, 2.

Ā-ghāṭi§

Ā-ghāṭi は楽器、すなわち舞踏の伴奏に用いられる「鐃鈸(シンバル)」である。Ṛgveda1 および Atharvaveda2 に知られている。

  • 1x. 146, 2.
  • 2iv. 37, 4(āghāṭa)。Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 289.

Āṅgirasa§

ĀṅgirasaAṅgiras の家系に属するという主張を示す称号であり、KṛṣṇaĀjīgartiCyavanaAyāsyaSaṃvartaSudhanvan その他、多くの聖仙や師によって帯びられている。

Āja-keśin§

Āja-keśin は、Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa(i. 9, 3)によれば、Baka が Indra に対して暴力を振るった家系の名である。

Ājani§

Ājani. ── この語は Atharvaveda(iii. 25, 5)において「刺し棒」を指すのに用いられている。

Ājāta-śatrava§

Ājāta-śatrava. Bhadrasena を見よ。

Āji§

Āji は Ṛgveda1 および後代の文献において絶えず「競走」の意で用いられ、「戦闘」を指すことは稀である。の競走はヴェーダ時代のインド人の愛好した娯楽の一つであり2、他の一つは賭博

(Akṣa)であった。競走路は Kāṣṭhā3 あるいは Āji4 そのものと呼ばれ、Atharvaveda5 から見るに、標識(kārṣman6)までを往復する準円形のものであったらしい。Ṛgveda においてこの走路は広い(urvī)ものとして、またその距離は測り出されたもの(apāvṛktā aratnayaḥ)として描写される。7 賞品(dhana)が供せられ8、熱心に競われた。勝利および賞品を表す他の語は kāra9 および bhara10 であり、「競走する」ことは ājim aj, i, dhāv, sṛ という表現によって表される。11 競走を催した者は āji-sṛt12 と呼ばれ、Indra は āji-kṛt13(「競走を作る者」)、āji-pati14(「競走の主」)と呼ばれる。

競走に用いられた疾き馬(vājin, atya)はしばしば洗われ、飾られた。15 Pischel16 によれば、一頭の疾き牝馬の名が伝えられている ── すなわち Viśpalā17 であり、競走において折れた脚を Aśvin 双神によって取り替えてもらったという。しかしこの解釈はきわめて疑わしい。Geldner18 はまた Ṛgveda の Mudgala 讃歌のうちに馬車競走の滑稽な描写を見出したが、Bloomfield19 はその解釈が根拠を欠くことを示した。Pischel20 はさらに、競走が神々を讃えて行われたことを示そうとするが、この説の証拠は不十分である。21

しかし形式的な競走は Rājasūya すなわち王の即位式の儀礼の一特徴をなしている。22

  • 1v. 37, 7; vi. 24, 6 等。
  • 2Zimmer, Altindisches Leben, 291; Geldner, Vedische Studien, 1, 120; 2, 1 seq.
  • 3Rv. viii. 80, 8; Av. ii. 14, 6.
  • 4Rv. iv. 24, 8; Av. xiii. 2, 4.
  • 5ii. 14, 6; xiii. 2, 4.
  • 6Rv. ix. 36, 1; 74, 8.
  • 7Rv. viii. 80, 8 においては意味が疑わしい。Zimmer はそれが屈曲のない「走路は直線である」の意でありうると示唆する。この観念については cf. Geldner, Vedische Studien, 2, 160。同氏は駿馬の疾走を弓弦になぞらえる比喩(Rv. iii. 53, 24)を引く。また「柵が取り除かれる」とも訳される。
  • 8Rv. i. 81, 3; 116, 15; vi. 45, 1 et seq.; viii. 80, 8; ix. 53, 2; 109, 10. Geldner, Vedische Studien, 1, 120, n. 2 によれば、dhanadhan「出発する」に由来する。Cf. Pischel, ibid., 171. Cf. dhanasā, Rv. i. 112, 7. 10; ii. 10, 6; viii. 3, 15 等。
  • 9Rv. v. 29, 8; ix. 14, 1.
  • 10Rv. v. 29, 8; ix. 16, 5 等。
  • 11Aitareya Brāhmaṇa, ii. 25; iv. 27; Śatapatha Brāhmaṇa, ii. 4, 3, 4; v. 1, 1, 3; 4, 1; vi. 1, 2, 12; vii. 1, 2, 1 等。
  • 12Śatapatha Brāhmaṇa, v. 1, 5, 10. 28; xi. 1, 2, 13.
  • 13Rv. viii. 53, 6.
  • 14Ibid., 14.
  • 15Rv. ii. 34, 3; ix. 109, 10; x. 68, 11.
  • 16Vedische Studien, 1, 171-173. Cf. Sieg, Die Sagenstoffe des Ṛgveda, 127 et seq.
  • 17Rv. i. 116, 15. Pischel はここに Vivasvant を讃える競走を見出すが、Khela と Vivasvant とを同一視する彼の説は、Viśpalā についての彼の説を容れる Sieg によってすら否定されている。
  • 18Vedische Studien, 2, 1 et seq.
  • 19Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 48, 541 et seq. von Schroeder, Mysterium und Mimus im Rigveda, 346 et seq. は Geldner に従う。Cf. Winternitz, Vienna Oriental Journal, 23, 137.
  • 20Vedische Studien, 1, 172.
  • 21Sieg, op. cit., 128.
  • 22Taittirīya Saṃhitā, i. 8, 15; Taittirīya Brāhmaṇa, i. 7, 9; Kāṭhaka Saṃhitā, xv. 8; Vājasaneyi Saṃhitā, x. 19 et seq.; Śatapatha Brāhmaṇa, v. 4, 2; 3. Cf. Oldenberg, Ṛgveda-Noten, 1, 43.

Ājīgarti§

Ājīgarti. ── Śunaḥśepa を見よ。彼は Aitareya Brāhmaṇa1 においてこの父称を帯びている。Kāṭhaka Saṃhitā2 においては Āṅgirasa と呼ばれている。

  • 1vii. 17. Cf. Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xvi. 11, 2.
  • 2xix. 11.

Ājya§

Ājya. Ghṛta を見よ。

Āñjana§

Āñjana. ── Atharvaveda1 にしばしば言及される軟膏。それは Himālaya の Trikakubh2 より来たり、眼に塗るのに用いられた。3 Yamunā4 の地方もありうべき産地として挙げられており、この塗薬は黄疸、YakṣmaJāyānya その他の疾病を除く力を有すると宣せられる。5 女性の塗薬製造者が Puruṣamedha(「人身供犠」)の犠牲者の一覧に言及されている。6

  • 1iv. 9; vi. 102, 3; ix. 6, 11; xix. 44.
  • 2Av. iv. 9, 9. 10; xix. 44, 6.
  • 3Cf. Av. iv. 9, 1(akṣyam); Aitareya Brāhmaṇa, i. 3. それゆえ Taittirīya Saṃhitā, vi. 1, 1, 5 における伝説がある。cf. i. 2, 1, 2; Maitrāyaṇī Saṃhitā, [iii.] 6, 3; Śatapatha Brāhmaṇa, iii. 1, 3, 15; Vājasaneyi Saṃhitā, iv. 3.
  • 4Av. iv. 9, 10.
  • 5Av. xix. 44, 1 et seq.
  • 6Vājasaneyi Saṃhitā, xxx. 14(āñjanī-kāri); Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 4, 10, 1. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 5, 69; Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, 381 et seq.; American Journal of Philology, 17, 405, 406; Whitney, Translation of the Atharvaveda, 159.

Āṭikī§

Āṭikī は Chāndogya Upaniṣad(i. 10, 1)における Uṣasti の妻の名である。

Aṭṇāra§

Aṭṇāra. ── Para の父称。

Āḍambara§

Āḍambara は一種の「太鼓」であった。「太鼓打ち」(āḍambarāghāta)が Vājasaneyi Saṃhitā1 における Puruṣamedha(「人身供犠」)の犠牲者の一覧に言及されている。

  • 1xxx. 19. Cf. Śatapatha Brāhmaṇa, xiv. 4, 8, 1.

Āṇi§

Āṇi. ── Ṛgveda1 に見出され、後代には稀にしか現れないこの語2 は、Roth3 および Zimmer4 とともに、車輪の轂に差し込まれる戦車の車軸の部分を指すものと解するのが最良であるように思われる。Sāyaṇa はこれを轄(くさび)と訳し、この意味は Leumann5 によって容れられ、また明らかに Nirukta6 にも見出される。Ṛgveda の一箇所7 においては、この語は提喩によって戦車全体を指すように見えるが、Geldner8 によれば、この箇所はまったく不明瞭である。

  • 1i. 35, 6; v. 43, 8.
  • 2Aitareya Āraṇyaka, ii. 7 の Mantra において。Keith 校訂本 pp. 266, 267 および Vānī を見よ。
  • 3St. Petersburg Dictionary, s.v.
  • 4Altindisches Leben, 247.
  • 5Etymologisches Wörterbuch, 30.
  • 6vi. 32.
  • 7i. 63, 8. Cf. Pischel, Vedische Studien, 1, 96.
  • 8Geldner, ibid., 1, 141, n. 3.

Āṇḍīka§

Āṇḍīka(「卵を有するもの」)は Atharvaveda1 に見出される語であり、食用植物を指す。明らかに卵形(āṇḍa)の果実あるいは葉を有し、蓮に近縁のものである。

  • 1iv. 34, 5; v. 17, 16. 前者の箇所では Paippalāda 伝本がその位置に pauṇḍarīka を有する。Whitney, Translation of the Atharvaveda, 207. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 70; Weber, Indische Studien, 18, 138.

Ātā§

Ātā. ── 家の扉の枠は、Ṛgveda1(もっとも同書のすべての箇所において、それは提喩によって天の扉についてのみ用いられている)および Vājasaneyi Saṃhitā2 において、この語の複数形によって表されるように思われる。Zimmer3 はラテン語の antae と比較するが、この語は語源的にこれに対応する。4

  • 1i. 56, 5; 113, 14; iii. 43, 6; ix. 5, 5(ātaiḥ)。
  • 2xxix. 5(ātaiḥ)。Cf. Nirukta, iv. 18 への Durga の注における ātābhiḥ
  • 3Altindisches Leben, 154.
  • 4Brugmann, Grundriss, 1, 209; 2, 214.

Āti§

Āti、水鳥の一種。Purūravas と Urvaśī の伝説における Apsaras たちは、彼に Āti のごとく ── おそらくは白鳥のごとく ── 見える。1 この鳥はまた Aśvamedha(「馬祀」)における動物の一覧2 にも現れ、そこでは Mahīdhara3 がこれを後代の

Āḍī(Turdus ginginianus)と訳し、Sāyaṇa4 は Āti が Cāṣa すなわち青懸巣(Coracias indica)であったとする見解を引いている。

  • 1Rv. x. 95, 9. Cf. Śatapatha Brāhmaṇa, xi. 5, 1, 4.
  • 2Taittirīya Saṃhitā, v. 5, 13, 1; Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 14, 18; Vājasaneyi Saṃhitā, xxiv. 34.
  • 3Vājasaneyi Saṃhitā, loc. cit. について。
  • 4Taittirīya Saṃhitā, loc. cit. について。Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 89.

Ātithi-gva§

Ātithi-gva. ── Indrota の父称。

Ātreya§

Ātreya は Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad1 における Māṇṭi の弟子の父称である。一人の Ātreya が Aitareya Brāhmaṇa2 において Aṅga の Purohita として現れる。Ātreya は或る種の儀礼において常に祭官であり3、また Ātreyī が Śatapatha Brāhmaṇa4 の不明瞭な一箇所に現れる。

  • 1ii. 6, 3; iv. 6, 3(両伝本において)。
  • 2viii. 22.
  • 3Ibid., vii. 7; Śatapatha Brāhmaṇa, iv. 3, 4, 21; Kātyāyana Śrauta Sūtra, x. 2, 21(sadasaḥ purastāt)。
  • 4i. 4, 5, 13. Cf. Roth, St. Petersburg Dictionary, s.v.

Ātreyī-putra§

Ātreyī-putra は Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad(vi. 5, 2、両伝本において)の Vaṃśa すなわち系譜において、Gautamīputra の弟子として言及されている。

Ātharvaṇa§

Ātharvaṇa は神話的な Atharvan の名から作られた父称であり、通例中性複数形において Atharvan 族の讃歌の呼称として見出される。この用法は Atharvaveda の後期に属する第19巻1 および Pañcaviṃśa Brāhmaṇa2 に現れる。単数形における Ātharvaṇa(Veda)という表現は、Chāndogya Upaniṣad3 に至るまで現れないとはいえ、Sūtra 文献に初めて見出される「Atharvaveda」という語よりも古い。4 Nidāna Sūtra5 には Ātharvaṇika すなわち「Atharvaveda の徒」が現れる。

特定の、しかし主として神話的な Ātharvaṇa としては、KabandhaBṛhaddivaBhiṣajDadhyañcVicārin がある。

  • 1xix. 23, 1.
  • 2xii. 9, 10.
  • 3vii. 1, 2, 4; 2, 1; 7, 1.
  • 4Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xvi. 2, 10 等。
  • 5ii. 12. Cf. Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, xxv.; Atharvaveda, 8 et seq.

Ā-darśa§

Ā-darśa、「鏡」は、Upaniṣad1 および Āraṇyaka2 にのみ見出される語である。

  • 1Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, ii. 1, 9; iii. 9, 15; Chāndogya Upaniṣad, viii. 7, 4; Kauṣītaki Upaniṣad, iv. 2; 11.
  • 2Aitareya Āraṇyaka, iii. 2, 4; Śāṅkhāyana Āraṇyaka, viii. 7.

Ādāra§

ĀdāraSoma の代用として規定された植物の一種であった。1 Śatapatha Brāhmaṇa2 においては Pūtīka と同一視されている。

  • 1Śatapatha Brāhmaṇa, iv. 5, 10, 4.
  • 2xiv. 1, 2, 12. Cf. Kāṭhaka Saṃhitā, xxiv. 3; Kātyāyana Śrauta Sūtra, xxv. 12, 19. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 276.

Ānanda-ja Cāndhanāyana§

Ānanda-ja Cāndhanāyana は Vaṃśa Brāhmaṇa1 において Śāmba の弟子として言及されている。

  • 1Indische Studien, 4, 372.

Ānabhi-mlāta§

Ānabhi-mlāta は Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad の Vaṃśa すなわち系譜1 において、Ānabhimlāta の弟子として言及されている。

(訳注:同名の師弟が連続する系譜であり、原書の記述どおりである。)

  • 1ii. 6, 2(Mādhyandina 伝本にはない)。

Ānava§

Ānava. Anu を見よ。

Ānūka§

Ānūka. ── Geldner1 は、Ṛgveda2 における唯一の用例においてこの語が装飾品を意味すると考える。Roth3 はこれを副詞的に解し、Ludwig と Oldenberg も同様である。

  • 1Vedische Studien, 3, 94.
  • 2v. 33, 9.
  • 3St. Petersburg Dictionary, s.v.

Āpayā§

Āpayā は Ṛgveda1 にただ一度のみ言及される河川の名であり、そこでは Dṛṣadvatī 川と Sarasvatī 川との間に現れる。Ludwig2 はこれを Ganges 川の名としての Āpagā と同一視する傾きにあったが、Zimmer3 はこれを正しく Sarasvatī 川の近傍に置き、Thānesar のかたわらを流れる小さな支流か、あるいはより西方の現在の Indramatī 川であるとする。他方 Pischel4 はこれを Kurukṣetra に帰する。Mahābhārata5 において Āpayā は同地の名高い河川として言及されているからである。

  • 1iii. 23, 4.
  • 2Translation of the Rigveda, 3, 200. ただし cf. ibid., 4, 304.
  • 3Altindisches Leben, 18.
  • 4Vedische Studien, 2, 218.
  • 5Mahābhārata, iii. 83, 68.

Ābayu§

Ābayu は Atharvaveda1 における植物の名であるらしい。芥子の類2 が意味されていたかもしれないが、その意味はまったく不確かである。3

  • 1vi. 16, 1.
  • 2Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, 465. Kauśika Sūtra におけるこの讃歌の用途の示唆に従う。
  • 3Whitney, Translation of the Atharvaveda, 292; Zimmer, Altindisches Leben, 72.

Ābhi-pratāriṇa§

Ābhi-pratāriṇa. ── Vṛddhadyumna の父称。

Ābhūti Tvāṣṭra§

Ābhūti Tvāṣṭra は Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad の二つの Vaṃśa すなわち系譜1 において Viśvarūpa Tvāṣṭra の弟子として言及されているが、両者はいずれも疑いなく等しく神話的な師である。

  • 1ii. 6, 3; iv. 6, 3(両伝本において)。

Āmalaka§

Āmalaka(中性)は後代には一般的な語であり、Chāndogya Upaniṣad(vii. 3, 1)に見出されて、アンマロクの果実を指す。Cf. Amalā.

Āmikṣā§

Āmikṣā は凝乳の料理を指す。Ṛgveda には知られていないが、後代のあらゆる Saṃhitā1 や Brāhmaṇa2 等に現れ、Taittirīya Āraṇyaka3 においては Vaiśya と結びつけられている。

  • 1Av. x. 9, 13; Taittirīya Saṃhitā, ii. 5, 5, 4; iii. 3, 9, 2; vi. 2, 5, 3; Maitrāyaṇī Saṃhitā, ii. 1, 9; Vājasaneyi Saṃhitā, xix. 21; 23 等。
  • 2Śatapatha Brāhmaṇa, i. 8, 1, 7. 9; iii. 3, 3, 2 等; Taittirīya Āraṇyaka, ii. 8, 8; Jaiminīya Brāhmaṇa, ii. 438(Journal of the American Oriental Society, 19, 99, 101); Chāndogya Upaniṣad, viii. 8, 5 等。
  • 3Loc. cit. Cf. Mānava Śrauta Sūtra, ii. 2, 40.

Āmba§

Āmba は Taittirīya1 および Kāṭhaka2 の両 Saṃhitā において或る穀物を指し、Śatapatha Brāhmaṇa3 においては Nāmba と呼ばれる。

  • 1i. 8, 10, 1.
  • 2xv. 5.
  • 3v. 3, 3, 8.

Āmbaṣṭhya§

Āmbaṣṭhya は Aitareya Brāhmaṇa(viii. 21)において王として言及され、その Rājasūya すなわち王の即位式のための祭官は Nārada であった。おそらくこの名は地名に由来し、St. Petersburg 辞典が解するように「

Ambaṣṭha 族の王」を意味する。後代においては Ambaṣṭha という語は「父を Brāhmaṇa、母を Vaiśya とする混血の者」を指す。

Ā-yatana§

Ā-yatana. ──「住処」「家」という一般的な意味は、Chāndogya Upaniṣad(vii. 24, 2)の一箇所においては、叙事詩に見出される「聖地」「聖所」の意に限定されているように見える。

Āyavasa§

Āyavasa は Ṛgveda1 の破損した難解な一詩節において、明らかに王として言及されている。

  • 1i. 122, 15. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 206; Roth, St. Petersburg Dictionary, s.v.

Āyu§

Āyu は Ṛgveda1 において Kutsa および Atithigva とともに、Indra の助力を得た Tūrvayāṇa に敗れた者として現れる。Tūrvayāṇa は Pischel2 によって Paktha 族の王であったと考えられている。おそらく他の箇所3 では、Indra の助力によって Veśa に勝利した者として言及されている。それ以外の箇所においては、彼はまったく神話的である。4

  • 1i. 53, 10; ii. 14, 7; vi. 18, 3; viii. 53, 2; Bergaigne, Religion Védique, 1, 60.
  • 2Vedische Studien, 1, 71-75.
  • 3Rv. x. 49, 5. ただしこの語はおそらく固有名詞ではない。
  • 4Cf. Macdonell, Vedic Mythology, 100, 135, 140.

Āyuta§

Āyuta. Ghṛta を見よ。

Ā-yudha§

Ā-yudha、「武器」は、最も広い意味では Kṣatriya の武装一切を包括する。Aitareya Brāhmaṇa1 においてそれは、戦車(aśva-ratha)、弓矢(iṣu-dhanva)、甲冑(kavaca)として要約されている。弓と矢(iṣu, dhanvan)はヴェーダ時代の戦士の主要武器として不可欠であったから、Ṛgveda2 以降しばしば見られるように Āyudha が特に武器の意で用いられるとき、おそらくこれらが意味されている。Ṛgveda の戦闘讃歌3 はこの見解を裏づける。そこには弓矢で武装して戦車上にあり、甲(Varman)をまとい、弓弦との摩擦を避けるために左腕に防具(Hastaghna)をつけた戦士が描かれているからである。甲冑は金属の一枚板ではなく、多くの部片を継ぎ合わせたもの(syūta)から成っていた。4 それは金属板で作られていたか、あるいはより蓋然性が高いこととして、

何らかの堅い素材に金属を張ったものであったかもしれない。加えて戦士は兜(Śiprā)をかぶった。楯の使用の痕跡はなく、また脛当その他の足の防具の使用についても明確な記録はない。5 武器の扱いにおける技倆は Ṛgveda6 に言及されている。

投石(AdriAśani)が通常用いられていたかは疑わしい。鉤(aṅkuśa)7 もまた単に神の武器にすぎず、斧(svadhiti8vāśī, paraśu)は人間同士の戦闘には現れない。槍の使用については ṚṣṭiRambhiṇīŚaktiŚaru を、剣については AsiKṛti を見よ。いずれの武器も戦争において通常のものとみなすことはできず、また棍棒(Vajra)も用いられなかった。戦闘の様式については Saṃgrāma を見よ。

  • 1vii. 19, 2.
  • 2i. 39, 2; 61, 13; 92, 1; ii. 30, 9 等; Av. vi. 133, 2 等。
  • 3vi. 75.
  • 4Rv. i. 31, 15.
  • 5Grassmann は Rv. i. 133, 2 の vaṭūriṇā padā に脛当を見たが、これはきわめてありそうにない。
  • 6i. 92, 1. Cf. Geldner, Vedische Studien, 3, 183; Hopkins, Journal of the American Oriental Society, 13, 295.
  • 7Rv. viii. 17, 10; x. 44, 9; 134, 6; Av. vi. 83, 3. Cf. Muir, Sanskrit Texts, 5, 87.
  • 8Rv. v. 32, 10; ix. 67, 30; x. 43, 9. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 298-301; Muir, Sanskrit Texts, 5, 469-472; Hopkins, Journal of the American Oriental Society, 13, 281 et seq.

Āyogava§

Āyogava. ── Āyogava 族の王 Marutta Āvi-kṣita は、Śatapatha Brāhmaṇa1 において祭主として言及されており、同箇所にはまたその祭祀を称讃する Gāthā(「詩節」)が引かれている。Cf. Ayogū.

  • 1xiii. 5, 4, 6. Cf. Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xvi. 9, 14-16.

Āraṅgara§

Āraṅgara は Ṛgveda1 に見出される蜜蜂の名の一つである。他の名は Saraḥ および Bhṛṅgā である。

  • 1x. 106, 10. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 97.

Ārā§

Ārā は後代1 に「錐」ないし「穿孔具」として知られる語であるが、Ṛgveda2 においては Pūṣan の武器を指すためにのみ現れる。革を穿つというその後代の用法は、この神の牧畜的性格と符合する。Cf. Vāśī.

  • 1Hillebrandt, Vedische Mythologie, 3, 365, n. 1.
  • 2vi. 53, 8.

Ārāḍhi§

Ārāḍhi. ── Saujāta の父称。Cf. Arāḍa.

Āruṇa Aupa-veśi§

Āruṇa Aupa-veśi. ── Maitrāyaṇī Saṃhitā において写本はこの前者の語をかく読ませるが、これは疑いなく Aruṇa の誤りである。

Āruṇi§

Āruṇi は通常 Aruṇa Aupaveśi の子 Uddālaka を指す父称である。Jaiminīya Brāhmaṇa1 において Subrahmaṇyā(一種の朗誦)の師として現れる Āruṇi Yaśasvin も、おそらく Uddālaka を指すものであろう。Āruṇi 族は Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa2 および Kāṭhaka Saṃhitā3、ならびに Aitareya Āraṇyaka4 に言及されている。

  • 1ii. 80.
  • 2ii. 5, 1. Cf. Keith, Aitareya Āraṇyaka, 204.
  • 3xiii. 12.
  • 4ii. 4, 1.

Āruṇeya§

Āruṇeya. ── Śvetaketu の形容辞であり、Uddālaka Āruṇi および Aruṇa Aupaveśi からの出自を示す。これは明らかに、Śvetaketu が大きな役割を果たす Śatapatha Brāhmaṇa1 と Chāndogya Upaniṣad2 とに限られている。

  • 1x. 3, 4, 1; xi. 2, 7, 12; 5, 4, 18; 6, 2, 1; xii. 2, 1, 9; Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, vi. 2, 1.
  • 2v. 3, 1; vi. 1, 1.

Ārkṣa§

Ārkṣa. ── Śrutarvan および Āśvamedha の父称。

Ārjīka§

Ārjīka1 および Ārjīkīya2(男性)、Ārjīkīyā3(女性)。 ── 二つの男性形はおそらく民族ないし土地を指し、女性形の語はその地の河川を指す。Hillebrandt4 はこの地を Kaśmir かその近傍に比定する。Arrian5 が Abhisares の兄弟 Arsaces に言及しており、この者はおそらくその民族から名を取ったものであって、Abhisāra は Kaśmir に接していたからである。Pischel6 は Ārjīka を地名として認めるが、同定は不可能であると考える。しかし Roth7 も Zimmer8 もこの語を固有名詞とは認めない。他方、Ārjīkīyā を河川名とみなす点では、すべての権威が一致している。

Roth9 は一箇所10 においてのみそうしており、他の箇所では Soma の容器への言及を見ているが、この語を含むすべての箇所において同様に扱うことが必要であると思われる。Zimmer はこの河川の位置を定めず、Pischel はその同定の可能性を否定する。Hillebrandt はそれが Indus 上流か、Vitastā(Jhelum)か、あるいは他の何らかの流れであったかもしれないと考える。Grassmann は Yāska11 に従ってこれを Vipāś(Beäs)と同一視するが、これは河川讃歌(nadī-stuti)12 におけるこの名の位置によって蓋然性を失う。Brunnhofer13 はこれを Arghanab 川の支流である Arghesan 川と同一視する。

  • 1単数:Rv. viii. 7, 29; ix. 113, 2. 複数:ix. 65, 23.
  • 2Rv. viii. 64, 11.
  • 3Rv. x. 75, 5.
  • 4Vedische Mythologie, 1, 126-137.
  • 5Anabasis, v. 29, 4.
  • 6Vedische Studien, 2, 209, 217.
  • 7St. Petersburg Dictionary.
  • 8Altindisches Leben, 12-14.
  • 9Op. cit., s.v. suṣomā.
  • 10Rv. x. 75, 5.
  • 11Nirukta, ix. 26.
  • 12Rv. x. 75.
  • 13Iran und Turan, 52. Cf. Max Müller, Sacred Books of the East, 32, 398; 399.

Ārjuneya§

Ārjuneya. ── Ṛgveda1 においてこの名は Kautsa の父称として現れる。

  • 1i. 112, 23; iv. 26, 1; vii. 19, 2; viii. 1, 11.

Ārtabhāgī-putra§

Ārtabhāgī-putra は Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad の Vaṃśa すなわち系譜1 において Śauṅgī-putra の弟子として言及されている。Ārtabhāga は同 Upaniṣad2 における Jaratkārava の父称である。

  • 1vi. 5, 2(Mādhyandina 伝本にも見える)。
  • 2iii. 2, 1, 13.

Ārtava§

Ārtava. ── この語は一季節を超える季節から成る一年の一部分を指す。しかし Zimmer1 の示唆するような「半年」という厳密な意味を担うものではない。このことは、この語が双数形ではなく常に複数形で現れるという事実によって示される。Atharvaveda においては季節と年(hāyana)との間に現れるが2、また次のような組み合わせにおいても現れる ──「季節、Ārtava、月、年」3、「半月、月、Ārtava、季節」4

「季節、Ārtava、月、半月、昼夜、日」5。また Vājasaneyi Saṃhitā においては「月、季節、Ārtava、年」6、あるいは単に季節とともに現れる。7

  • 1Altindisches Leben, 374.
  • 2iii. 10, 9.
  • 3iii. 10, 10.
  • 4xi. 7, 20. Cf. xv. 6, 6; 17, 6.
  • 5xvi. 8, 18.
  • 6xxii. 28.
  • 7Av. v. 28, 2. 13; x. 6, 18; 7, 5; xi. 3, 17; 6, 17; Taittirīya Saṃhitā, vii. 2, 6, 1, 3. St. Petersburg 辞典がこの意味で引く Kauṣītaki Upaniṣad, i, 3 はそのように解すべきではない。同箇所においてこの語は単に形容詞的だからである。

Ārtnī§

Ārtnī は弓弦(jyā)が結ばれる弓の端を指す。1 弦は通常は弓の両端に結び留められたままではなく、矢を射ようとするときに張り渡された。2 他方、後期の諸 Saṃhitā3 および Brāhmaṇa4 に語られる Viṣṇu の死の伝説は、彼が弦を張った弓に寄りかかり、弓弦が齧り切られたときに両端が突然跳ね開いてその首を断つ、という情景を明示的に想定している。

  • 1Rv. vi. 75, 4; Av. i. 1, 3; Maitrāyaṇī Saṃhitā, ii. 9, 2; Kāṭhaka Saṃhitā, xvii. 11; Vājasaneyi Saṃhitā, xvi. 9 等。
  • 2Rv. x. 166, 3. Cf. Av. vi. 42, 1.
  • 3Maitrāyaṇī Saṃhitā, iv. 5, 9.
  • 4Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, vii. 5, 6; Śatapatha Brāhmaṇa, xiv. 1, 1, 7 et seq. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 297, 298; Hopkins, Journal of the American Oriental Society, 13, 270.

Ārya§

Ārya は Ṛgveda1 以降ヴェーダ文献における Āryan の通常の呼称であり、Śatapatha Brāhmaṇa2 に形式的な区分が与えられているように、BrāhmaṇaKṣatriyaVaiśya の上位三階級の一員を指す。Ārya は Dāsa に対立するが3、また Śūdra にも対立する。時として4 この語は Vaiśya 階級に限定され、

Brāhmaṇa と Kṣatriya は特別の呼称を受ける。しかしこの用法は一般的でなく、また Arya が意味されているのではないかもしばしば不確かである。Śūdrāryau5 という句はとりわけ両義的であるが、本来は Śūdra と Āryan とを指していたと思われる。というのも Mahāvrata 祭において Śūdra と Ārya との闘いは、Taittirīya Brāhmaṇa においては Brāhmaṇa と Śūdra との闘いとして表されているのに対し、Sūtra 文献はこれを Vaiśya と Śūdra との闘いとして扱っているからである。

Ārya(女性形 Āryā ないし Ārī)という語はまた、Āryan の諸階級(viśaḥ)6、名(nāman)7、階級(varṇa)8、住処(dhāman)9 を形容する形容詞としてもしばしば現れる。あるいはまた、Āryan の支配権(vrata)10 が土地の上に及ぼされることに言及がなされる。Dāsa の敵とならんで Āryan の敵(vṛtra)11 にも言及があり、Āryan 対 Dāsa の戦いのみならず、Āryan 対 Āryan の戦いへの言及も多い。12 このことからは、Ṛgveda の時代においてすでに、Āryan の諸共同体が先住民の単なる征服という段階をはるかに超えて進展していたことが正当に推論されうる。後期の諸 Saṃhitā および Brāhmaṇa において言及される戦争は主として Āryan 同士のものと思われるが、これは疑いなく Ārya と Dāsa とが一つの共同体に融合した結果である。

Weber13 は、Ṛgveda に知られる五種族が Āryan と大地の四方(diś)の民であったと考えるが、これは疑わしい。Āryan の言語(vāc)14 は Aitareya および Śāṅkhāyana の両 Āraṇyaka において特に言及されている。

  • 1Rv. i. 51, 8; 130, 8; 156, 5 等。
  • 2iv. 1, 6(Kāṇva 伝本)。
  • 3Rv. i. 51, 8. 9; 103, 3; vi. 20, 10; 25, 2, 3 等(Dāsa に対立するもの); Av. iv. 20, 4. 8; Maitrāyaṇī Saṃhitā, iv. 6, 6; Vājasaneyi Saṃhitā, xiv. 30 等(Śūdra に対立するもの)。
  • 4Zimmer, Altindisches Leben, 205, 215 は、この用法を ── Ārya が意味されていると解して ── Atharvaveda, xix. 32, 8 および 62, 1 に、また Śūdrāryau が見出される諸箇所に見出す。Lanman は Whitney の Translation of the Atharvaveda, 948, 1003 において彼の見解を賛意をもって引くが、Whitney の訳文は、彼が本文を Vaiśya ではなく Ārya すなわち Āryan と読み解したことに疑いの余地を残さない。Whitney の見解については Av. iv. 20, 4. 8 を引きうる。また Roth, St. Petersburg Dictionary, s.v. も諸箇所をかく解する。Taittirīya Saṃhitā, iv. 3, 10, 8 においては Śūdrāryau は Śūdra と Vaiśya を意味するに違いないが、Padapāṭha はこれを Arya と解しており、Zimmer も同様である。
  • 5Taittirīya Saṃhitā, vii. 5, 9, 3 を Kātyāyana Śrauta Sūtra, xiii. 3, 7. 8 とともに見よ。Kāṭhaka Saṃhitā, xxxiv. 5; Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, v. 5, 17; Taittirīya Brāhmaṇa, i. 2, 6, 7; Lāṭyāyana Sūtra, iv. 2, 5; Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xvii. 6, 2; Anupada Sūtra, vii. 10.
  • 6Rv. i. 77, 3; 96, 31; x. 11, 4; 43, 4 等。
  • 7Rv. x. 49, 3.
  • 8Rv. iii. 34, 9. Cf. Varṇa.
  • 9Rv. ix. 63, 14.
  • 10Rv. x. 65, 11. かくして Agni と Indra は Āryan の民の支持者として Āryan と称される(Rv. vi. 60, 6)。
  • 11Rv. vi. 33, 3; vii. 83, 1; x. 69, 6.
  • 12Rv. i. 102, 5; iii. 32, 14; vi. 22, 10; 25, 2. 3; viii. 2, 4. 27; x. 38, 3; 83, 1; 102, 3 等。
  • 13Indische Studien, 17, 288. Cf. Roth, St. Petersburg Dictionary, s.v. kṛṣṭi、および Pañca Janāsaḥ
  • 14Aitareya Āraṇyaka, iii. 2, 5; Śāṅkhāyana Āraṇyaka, viii. 9. Cf. Keith, Aitareya Āraṇyaka, 196, 255、および VācCf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 207 et seq.; Zimmer, Altindisches Leben, 214 et seq.

Ārya(第二項)§

Ārya. Mālya を見よ。

Ārṣṭi-ṣeṇa§

Ārṣṭi-ṣeṇa. ── Devāpi の父称。1

(訳注:原書は見出しを Arṣṭi-ṣeṇa と短母音で印刷するが、Ā の部に配列されていること、および父称形であることから Ārṣṭi-ṣeṇa と訂正した。)

  • 1Rv. x. 98, 5. 6. 8; Nirukta, ii. 11; Bṛhaddevatā, vii. 155.

Āla§

Āla は Atharvaveda1 において「雑草」を意味するものと思われ、また他の三語2 の一部をなすと思われる。それらは Sāyaṇa によれば草性の蔓草(sasya-vallī)を指し、すなわち Alasālā、Silañjālā3、Nīlāgalasāla である。しかし Whitney4 は、これらの語に何らかの確定的な意味を与えうるとは考えない。

  • 1Av. vi. 16, 3. ただし Whitney はこの語を動詞と解し、v. 22, 6 と比較する。
  • 2Av. vi. 16, 4.
  • 3Sāyaṇa は Śalāñjālā と読み、Kauśika Sūtra(vi. 16)の写本は Śilāñjālā とする。ただし cf. Silācī.
  • 4Translation of the Atharvaveda, 292, 293. Cf. Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, 466.

Ālambāyanī-putra§

Ālambāyanī-putra は Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad の Kāṇva 伝本の Vaṃśa すなわち系譜(vi. 5, 2)において Ālambī-putra の弟子として言及されている。Mādhyandina 伝本(vi. 4, 32)においてはこの関係が逆転しており、そこでは彼は Ālambī-putra の師であり、Jāyantī-putra の弟子である。

Ālambī-putra§

Ālambī-putra は、Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad の Kāṇva 伝本の Vaṃśa(vi. 5, 2)によれば Jāyantī-putra の弟子であるが、Mādhyandina 伝本(vi. 4, 32)によれば Ālambāyanī-putra の弟子である。

Āligī§

Āligī は Atharvaveda(v. 13, 7)における一種の蛇の名である。Cf. Viligī.

Ā-vasatha§

Ā-vasatha(「住処」)。 ── この語の精確な意味1 は、客人、とりわけ祝宴や祭祀の折のバラモンその他を迎えるための場所であるらしく(いささか、巡礼者のための休息所としての Dharma-śālā の現代的な意味に似る)、これは「住処」というより一般的な意味から派生した用法である。2

  • 1Av. ix. 6, 5(バラモンを饗応することを讃える讃歌); Taittirīya Brāhmaṇa, i. 1, 10, 6; iii. 7, 4, 6; Śatapatha Brāhmaṇa, xii. 4, 4, 6(同箇所で Eggeling はこの語を単に「家」を意味するかのごとく訳す); Chāndogya Upaniṣad, iv. 1, 1 等。詳細は Sūtra 文献に与えられている ── 例えば Āpastamba Śrauta Sūtra, v. 9, 3; Dharma Sūtra, ii. 9, 25, 4.
  • 2例えば Aitareya Upaniṣad, iii. 12. Cf. Hillebrandt, Vedische Mythologie, 2, 120, n. 1.

Āvika§

Āvika(「羊 avi に由来する」)は「羊毛」を表す語であり、Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad(ii. 3, 6)に初めて現れる。Cf. Avi.

Āvi-kṣita§

Āvi-kṣita. ── Āyogava 族の Marutta1 の父称。

  • 1Aitareya Brāhmaṇa, viii. 21; Śatapatha Brāhmaṇa, xiii. 5, 4, 6.

Ā-śarīka§

Ā-śarīka は、Jaṅgiḍa 草の効能を称讃する Atharvaveda の一讃歌1 において、疾病を指すものと思われる。Zimmer2 はこれが単に熱病に伴う四肢の痛みを指すにすぎないと考える。Whitney3 はこの語を単なる形容辞と解することを示唆する。

  • 1xix. 34, 10.
  • 2Altindisches Leben, 65, 391.
  • 3Translation of the Atharvaveda, 953. Cf. Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, 673.

Ā-śir§

Ā-śir(「混和」)は、Soma が神々に献ぜられる前にそれを混ぜること、とりわけその汁に混ぜられる乳を指す。この意味において、Ṛgveda1 以降稀ではない。この目的に用いられたのは乳のみではなかった。Soma に適用される「三つの混和物を有する」という形容辞2 は、他の形容辞、すなわち「乳と混ぜられた」(gavāśir)、「凝乳と混ぜられた」(dadhy-āśir)、「穀粒と混ぜられた」(yavāśir)によって説明される ── いずれも Soma に関わるものである。

  • 1i. 134, 6; iii. 53, 14; viii. 2, 10. 11 等; Av. ii. 29, 1 等; Nirukta, vi. 8; 32.
  • 2Rv. v. 27, 5. cf. viii. 2, 7. Cf. Hillebrandt, Vedische Mythologie, 1, 209 et seq.

Āśī-viṣa§

Āśī-viṣa は Aitareya Brāhmaṇa1 にのみ現れ、Roth2 によって或る特定の種類の蛇を指すものと解されており、おそらくは「牙(āśī)に毒(viṣa)を有する」を意味する。

  • 1vi. 1.
  • 2St. Petersburg Dictionary, s.v. これは叙事詩および以後の文献においては一般的な語である。

Āśu§

Āśu、「疾き者」は、Ṛgveda1 以降しばしば Aśva を伴わずに戦車の馬を指すのに用いられる。

  • 1ii. 16, 3; 31, 2; 38, 3 等; Av. ii. 14, 6; iv. 27, 1; xiii. 2, 2; Taittirīya Saṃhitā, i. 8, 10; Śatapatha Brāhmaṇa, v. 3, 3, 3 等。

Āśuṃ-ga§

Āśuṃ-ga は Atharvaveda1 において何らかの動物を指すように思われる。それは「幼き」(śiśuka)という語によって限定されており、Roth2 はそれが鳥(「疾く飛ぶもの」)を意味しうるか、あるいはこの表現が「母のもとへ行く仔馬」(āśu-ga)を指すと示唆する。しかし Sāyaṇa は付随する語を śuśuka と読み、これが動物を指すものと想定する。Bloomfield3 はこの二語を「疾き(āśuṃga)仔馬(śiśuka)」と訳し、かくして意味においては Roth の示唆の一つと一致するが、Āśuṃga の説明においてはそうではない。

  • 1vi. 14, 3.
  • 2St. Petersburg Dictionary, s.v.
  • 3Hymns of the Atharvaveda, 464. Cf. Whitney, Translation of the Atharvaveda, 291.

Ā-śrama§

Ā-śrama(「休息の場」)は、仏教以前とみなしうるいかなる Upaniṣad にも現れない。ヒンドゥー教徒の生涯の諸段階を指すその最古の用例は Śvetāśvatara Upaniṣad1 に見出される。Chāndogya Upaniṣad の一箇所2 においては、Brahmacārin と家長にのみ言及がなされ、彼らには学習、子の生殖、Yoga の実践、生類を害することからの遠離、祭祀の報いとして、輪廻からの解脱が約束されている。他の箇所3 においては三つの状態が想定されているが、それらは連続的なものとしてではない。Brahmacārin は家長となることも、隠者となることも、あるいは生涯を通じて師の家にとどまることもできる。同様に、森における隠者の死、あるいは村における祭祀にも言及がなされている。4 これら三者すべてと対比されるのが5、Brahman に安住する者(Brahma-saṃstha)である。Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad6 においては、Ātman を知る者が、(1)学習する者、(2)祭祀を行い布施をなす者、(3)隠者である者と対比され、また他の箇所7 では、祭祀を行い施与をなす者、および苦行を実践する者と対比されている。Āśrama に対するこの優越と区別との立場は、後により第四の8 Āśrama となった。

そして第二段階にあった Gṛhastha すなわち家長は、Vānaprastha の段階のみならず Sannyāsin(BhikṣuParivrājaka)の段階へも進むことを求められるようになった。第一の段階、すなわち Brahmacārin の段階は依然として義務的であったが、もはや ── 本来は可能であったように ── 恒久的なものにとどまることは許されなくなった。

Cf. Deussen, Philosophy of the Upanishads, 60, 367 et seq.

  • 1Atyāśramin, Śvetāśvatara Upaniṣad, vi. 21; Maitrāyaṇī Upaniṣad, iv. 3 等。
  • 2viii. 5.
  • 3ii. 23, 1.
  • 4v. 10.
  • 5ii. 23, 1.
  • 6iv. 2, 22. Cf. iii. 5.
  • 7iii. 8, 10.
  • 8Jābāla Upaniṣad, 4. Cf. Muṇḍaka Upaniṣad, ii. 1, 7.

Ā-śreṣā, Ā-śleṣā§

Ā-śreṣā, Ā-śleṣā. Nakṣatra を見よ。

Āśva-ghna§

Āśva-ghna. ── この名は Ṛgveda の一箇所1、きわめて不明瞭な讃歌のうちに現れ、そこでは Indra に供物を献じた王族を指すものと思われる。彼は Ludwig2 の考えるように Vitaraṇa と呼ばれていたかもしれない。

  • 1x. 61, 21.
  • 2Translation of the Rigveda, 3, 165.

Āśvatara Āśvi§

Āśvatara Āśvi、あるいは Āśvatarāśvi。 ── この二つの表現は Buḍila の父称として用いられ1、Sāyaṇa2 によれば、彼が Aśva の子であり、Aśvatara の後裔であることを示す。

(訳注:原書は見出しを Aśvatara Āśvi と短母音で印刷するが、Ā の部に配列されていることから Āśvatara と訂正した。)

  • 1前者は Aitareya Brāhmaṇa, vi. 30 に、後者は Śatapatha Brāhmaṇa, iv. 6, 1, 9; x. 6, 1, 1; Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, iv. 15, 8; Chāndogya Upaniṣad, v. 11, 1; 16, 1 に見出される。
  • 2Aitareya Brāhmaṇa, loc. cit. について。

Āśva-tthya§

Āśva-tthya. ── Ahīnā1 の父称。

(訳注:原書は見出しを Aśva-tthya と印刷するが、同上の理由により訂正した。)

  • 1Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 10, 9, 10. おそらく Āśvathya と読むべきであろう。

Aśva-medha(父称)§

Aśva-medha は名を伝えられぬ王族の父称であり、Ṛgveda の Dānastuti(「贈与の讃」)(viii. 68, 15. 16)に現れる。

Āśva-vāla§

Āśva-vāla. ── Śatapatha Brāhmaṇa(iii. 4, 1, 17; 6, 3, 10)において敷草(prastara)に適用されるこの形容詞(「馬の尾草で作られた」)から、Aśvavāla 草(Saccharum spontaneum)の存在が帰結する。

Āśva-sūkti§

Āśva-sūkti は Pañcaviṃśa Brāhmaṇa(xix. 4, 2 et seq.)において、Gausūkti とともに Sāman(Soma の詠唱)の作者として言及されている。

Āśvina§

Āśvina あるいは Āśvīna は、Atharvaveda1 および二種の Brāhmaṇa2 において、騎馬の者(aśvin)が一日に行く旅程の長さを指す。正確な距離は定められていない。Atharvaveda においては、三ないし五 Yojana の距離の直後に言及されることから、五リーグを超えるものと思われる。Aitareya Brāhmaṇa においては、天界が千 Āśvina の距離に置かれている。

  • 1vi. 131, 3.
  • 2Aitareya Brāhmaṇa, ii. 17; Indische Studien, 1, 34 所収の Pañcaviṃśa Brāhmaṇa.

Āṣāḍhi Sauśromateya§

Āṣāḍhi Sauśromateya. ── Śatapatha Brāhmaṇa1 によれば、彼は Agniciti において頭部が或る仕方で ── 正しくない仕方で ── 据えられたがゆえに滅びた。

  • 1vi. 2, 1, 37. Eggeling は Aṣāḍhi とするが、これは Aṣāḍha の父称であるから、Āṣāḍhi の形が正しいと思われる。

Āṣṭrā§

Āṣṭrā は Kāṭhaka Saṃhitā(xxxvii. 1)において耕作者の刺し棒を指すと思われる。

Āṣṭrī§

Āṣṭrī. ── Ṛgveda1 においてこの語は炉を指すと思われる。凶兆の鳥が、そこの炉に止まらぬよう乞い願われている。

  • 1x. 165, 3. Cf. Schrader, Prehistoric Antiquities, 347.

Āsaṅga Plāyogi§

Āsaṅga Plāyogi は、Ṛgveda の Dānastuti(「贈与の讃」)1 において寛大な庇護者として現れる王である。しかしこの讃歌に奇異な生殖器に関わる詩節が付加され、それが早くから誤解されたために2、次のような伝説が案出された。すなわち彼は男性を失って女となったが、Medhyātithi の執り成しによって男に変じ、妻 Śaśvatī を大いに喜ばせたという。この妻の存在は、付加された詩節における「あらゆる女」(śaśvatī nārī)という句の誤解に基づくものである。3

Dānastuti4 の別の誤解は、彼に Svanad-ratha なる子を与えるが、これは実際には単なる形容辞にすぎず、また彼を Yadu の後裔とする。

  • 1viii. 1, 32. 33.
  • 2viii. 1, 34. Hopkins, Religions of India, 150, n. 1 を見よ。Bṛhaddevatā, ii. 83; vi. 41、Macdonell の注とともに。Dyādviveda は Nighaṇṭu から採られたヴェーダ語彙をもってこの話を長々と語っており、奇妙な jeu d'esprit(才知の戯れ)をなしている。Sieg, Die Sagenstoffe des Ṛgveda, 40, 41 に与えられた Nītimañjarī からの抜粋を見よ。
  • 3viii. 1, 34.
  • 4viii. 1, 31. 32. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 159; Hopkins, Journal of the American Oriental Society, 17, 89; Griffith, Hymns of the Rigveda, 2, 106, 107; Oldenberg, Ṛgveda-Noten, 1, 354.

Ā-sandī§

Ā-sandī. ── これは何らかの座席を表す総称的な語であり、後期の諸 Saṃhitā1 および Brāhmaṇa2 にしばしば現れるが、Ṛgveda には現れない。Atharvaveda3 においては、Vrātya のために運ばれた腰掛が詳細に記述されている。それは二本の脚、縦材と横材、前方の紐と横渡しの紐を有し、木材と紐細工とで作られていたことを示す。それはまた褥(Āstaraṇa)と枕(Upabarhaṇa)で覆われ、座(Āsāda)と背もたれ(Upaśraya)を有していた。類似の座席が Kauṣītaki Upaniṣad4 および Jaiminīya Brāhmaṇa5 に記述されている。王の即位式における王の座は、Aitareya Brāhmaṇa6 においてきわめて類似した語で記述されており、そこでは脚の高さは一 span、縦材と横材はそれぞれ一 cubit とされ、編み込まれた部分(vivayana)は Muñja 草製、座は Udumbara 材とされる。Atharvaveda の別の箇所7 において、Lanman は意味される座席を「長い寝椅子」と解しているようである。そこにはまた褥(Upadhāna)と掛布(Upavāsana)への言及もある。Śatapatha Brāhmaṇa は Āsandī を繰り返し記述し、それが精巧な座席であったことを示している。ある箇所8 では、それは Khadira 材製で、穿孔され(vi-tṛṇṇā)、Bhārata 族のもののように革紐で継がれている(vardhra-yutā)と言われる。Sautrāmaṇī 祭9(Indra への供犠)においては、座は Udumbara 材製で、膝の高さがあり、幅と奥行に制限がなく、編んだ葦細工で覆われている。

帝王の座10 は肩の高さで、Udumbara 材製、全体に Balvaja 草(Eleusina indica)の紐が巻かれる。他の箇所11 では、座は高さ一 span、幅と奥行が一 cubit で、Udumbara 材製、葦草の紐で覆われ、粘土が塗られる。

  • 1Av. xiv. 2, 65; xv. 3, 2 et seq.; Taittirīya Saṃhitā, vii. 5, 8, 5; Vājasaneyi Saṃhitā, viii. 56; xix. 16; 86 等。
  • 2Aitareya Brāhmaṇa, viii. 5; 6; 12; Śatapatha Brāhmaṇa, iii. 3, 4, 26; v. 2, 1, 22; 4, 4, 1 等。
  • 3xv. 3, 2 et seq.
  • 4i. 5. Cf. Weber, Indische Studien, 1, 397; Keith, Śāṅkhāyana Āraṇyaka, 19.
  • 5ii. 24.
  • 6viii. 5; 6; 12.
  • 7xiv. 2, 65. Whitney の Translation of the Atharvaveda, 765 における彼の注を見よ。
  • 8v. 4, 4, 1.
  • 9xii. 8, 3, 4 et seq.
  • 10xiv. 1, 3, 8 et seq.
  • 11vi. 7, 1, 12 et seq. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 155.

Āsandī-vant§

Āsandī-vant、「王座を有する」は、Janamejaya Pārikṣita の王城の名であり、その名高い Aśvamedha のための馬がそこに繋がれた。両典拠ともこの事実についての Gāthā を引くが、その儀礼を執行した祭官については相違がある。Śatapatha Brāhmaṇa1 においては Indrota Daivāpa Śaunaka であったとされるが、Aitareya2 においては Tura Kāvaṣeya である。

  • 1xiii. 5, 4, 2.
  • 2viii. 21. Cf. Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xvi. 9, 1. Pāṇini, viii. 2, 12 はこの名を知っている。

Ā-sāda§

Ā-sāda、「座」は、Atharvaveda1 において Vrātya の腰掛(Āsandī)の一部の記述として現れる。Whitney2 とともにこれを座部そのものとみなすのが最良と思われる。Aufrecht3、Zimmer4、Roth5 はこれを「座の褥」と訳すが、それは Āstaraṇa という語によって十分に記述されている。

  • 1xv. 3, 8.
  • 2Translation of the Atharvaveda, 771.
  • 3Indische Studien, 1, 131.
  • 4Altindisches Leben, 155.
  • 5St. Petersburg Dictionary, s.v.

Āsurāyaṇa§

Āsurāyaṇa は、両伝本における Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad の最初の二つの Vaṃśa1(師の一覧)において Traivaṇi の弟子として言及されているが、第三の Vaṃśa2 においては Āsuri の弟子とされている。

  • 1ii. 6, 3; iv. 6, 3.
  • 2vi. 5, 2. Cf. Weber, Indische Studien, 1, 434, n.

Āsuri§

Āsuri は Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad の最初の二つの Vaṃśa1(師の一覧)において Bhāradvāja の弟子かつ Aupajandhani の師として現れるが、第三のもの2 においては Yājñavalkya の弟子かつ Āsurāyaṇa の師として現れる。彼は

Śatapatha Brāhmaṇa の最初の四巻3 において儀礼上の権威として、また最終巻4 においては教義上の権威として、とりわけ真実を重んずることで注目すべき者として現れる。

  • 1ii. 6, 3; iv. 6, 3.
  • 2vi. 5, 2.
  • 3i. 6, 3, 26; ii. 1, 4, 27; 3, 1, 9; 4, 1, 2; 6, 1, 25. 33; 3, 17; iv. 5, 8, 14.
  • 4xiv. 1, 1, 33、および注1, 2。 Cf. Weber, Indische Studien, 1, 430 et seq. ただし、この師と Sāṃkhya 学派の開祖とを同一視する同氏の示唆は容認しがたい。Garbe, Sāṃkhya Philosophie, 29, 30 を見よ。

Āsuri-vāsin§

Āsuri-vāsin は Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad の Vaṃśa(師の一覧)(vi. 5, 2、両伝本において)における Prāśnī-putra の名である。

Ā-secana§

Ā-secana は液体、例えば肉汁(yūṣan)1 や酥2 を入れる容器を指す。その形状や作りについては何も知られていない。

  • 1Rv. i. 162, 13.
  • 2Śatapatha Brāhmaṇa, ii. 1, 9, 5. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 271.

Ā-staraṇa§

Ā-staraṇaVrātya の腰掛(Āsandī)の掛布を指す。1 王の即位式(Rājasūya)においては、虎の皮が王座の掛布として用いられる。2 Kauṣītaki Upaniṣad3 においては Upastaraṇa という語が用いられている。

  • 1Av. xv. 3, 7.
  • 2Aitareya Brāhmaṇa, viii. 5.
  • 3i. 5. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 155.

Āstra-budhna§

Āstra-budhna は、Ṛgveda1 において Indra が助けたと言われる人物の名である。同じ行に言及される Venya が彼の友であったのか2、それとも敵であって3 Indra が彼のために救ったか打ち破ったのかは明らかでない。

  • 1x. 171, 3.
  • 2Grassmann と Griffith はその訳においてかく解する。
  • 3Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 167 はかく解する。

Ā-sthātṛ§

Ā-sthātṛ. ── 戦車上の戦士が Ṛgveda1 において一度かく呼ばれている(「車上に立つ者」として)。通常は Rathin ないし Ratheṣṭhā と名づけられる。

  • 1vi. 47, 26. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 296.

Ā-srāva§

Ā-srāva(「漏出」)は疾病を指し、Atharvaveda1 に三度言及されるが、その正確な性質は不確かである。注釈者2 は一箇所においてこれを排尿時の疼痛(mūtrātisāra)と解し、Lanman3 は糖尿病を示唆する。Bloomfield4 はこれを下痢と解し、Zimmer5 は治療薬が「傷を癒すもの」(arus-srāṇa)と呼ばれることから、その意味は「癒えぬ傷からの漏出」であると論ずる。Whitney6 はこれを「流出」と訳し、Bloomfield の訳に疑義を呈する。Ludwig7 は漠然と「病」および「風邪」と訳す。

  • 1i. 2, 4; ii. 3, 2; vi. 44, 2.
  • 2Av. i. 2, 4 について。Cf. ii. 3, 2 について。
  • 3Whitney の Translation of the Atharvaveda, 3 において。
  • 4American Journal of Philology, 7, 467; Journal of the American Oriental Society, 13, cxiii; Hymns of the Atharvaveda, 233, 234.
  • 5Altindisches Leben, 392.
  • 6Op. cit., 3, 41.
  • 7Translation of the Rigveda, 3, 507, 509.

Āhanasyā§

Āhanasyā(「不貞の」)。 ── この語は複数形において(「淫らな詩節」)、Atharvaveda の Kuntāpa 讃歌の一部分(xx. 136)を指し、それらは猥雑な性格を有する。1

  • 1Aitareya Brāhmaṇa, vi. 36; Kauṣītaki Brāhmaṇa, xxx. 7. Cf. Bloomfield, Atharvaveda, 99.

Ā-hāva§

Ā-hāva は桶ないし手桶を指し、とりわけ井戸(Avata)と関連して用いられる。1

  • 1Rv. i. 34, 8; vi. 7, 2; x. 101, 5; 112, 6; Nirukta, v. 26.

Āhneya§

Āhneya. ── Sauca の父称(Taittirīya Āraṇyaka, ii. 12)。