研究資料に戻る ヴェーダ固有名詞・事項索引Vedic Index of Names and Subjects

Dの部

Daṃśa§

Daṃśa(字義通りには「噛む者」)、「虻」は、Chāndogya Upaniṣad(vi. 9, 3; 10, 2)に言及される。

Daṃṣṭra§

Daṃṣṭra は動物の突き出た歯、「牙」ないし「毒牙」を指し、Ṛgveda 以降しばしば現れる。1

  • 1Rv. ii. 13, 4; x. 87, 3; Av. iv. 36, 2; x. 5, 43; xvi. 7, 3 等。

Dakṣa Kātyāyani Ātreya§

Dakṣa Kātyāyani Ātreya(「Atri の後裔」)は、Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa の Vaṃśa(師の一覧)(iii. 41, 1; iv. 17, 1)において Śaṅkha Bābhravya の弟子として言及されている。

Dakṣa Jayanta Lauhitya§

Dakṣa Jayanta Lauhitya(「Lohita の後裔」)は、Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa(iii. 42, 1)の Vaṃśa(師の一覧)において Kṛṣṇarāta Lauhitya の弟子として言及されている。

Dakṣa Pārvati§

Dakṣa Pārvati(「Parvata の後裔」)は、Śatapatha Brāhmaṇa1 において或る儀礼を執り行った者として言及されている。その後裔たる Dākṣāyaṇa 族はなおこれを保持し、かくして同 Brāhmaṇa 自身の時代に至るまで王としての尊厳を享受していた。彼は Kauṣītaki Brāhmaṇa2 にも現れる。

  • 1ii. 4, 4, 6.
  • 2iv. 4. Cf. Weber, Indische Studien, 1, 223; 4, 358; Eggeling, Sacred Books of the East, 12, 374 et seq.; Lévi, La Doctrine du Sacrifice, 138.

Dakṣiṇatas-kaparda§

Dakṣiṇatas-kaparda は Ṛgveda(vii. 33, 1)における Vasiṣṭha 族の形容辞であり、「髪を右側に編んで結う」その様式に関わる。Kaparda を見よ。

Dakṣiṇā§

Dakṣiṇā は Ṛgveda1 および後代2 に繰り返し現れ、祭祀において祭官に贈られる贈物の呼称である。それは明らかに、牝牛 ── 多産な(dakṣiṇā)もの ── がそのような機会における通常の「謝礼」3 であったことによる。4 Ṛgveda における後代の Dāna-stuti すなわち「贈与の讃」はこれらの贈物を甚だしく誇張しており、その誇張は Brāhmaṇa 文献において増大する。注目すべきは、これらの贈物の列挙が主として、牛、馬、水牛、駱駝(uṣṭra)、装飾品などの動産のみを含み、土地を含まないことである。5 しかし Śatapatha Brāhmaṇa6 においては土地が Dakṣiṇā として言及されるが、それは非難を伴ってのことであり、おそらく土地が氏族員の同意なしには譲渡しえないものとみなされるに至ったからであろう。7

  • 1Rv. x. 107 の讃歌全体がその讃美に充てられている。Cf. i. 168, 7; vi. 27, 8; viii. 24, 29; 39, 5; x. 62, 1 等。
  • 2Av. iv. 11, 4; v. 7, 11; xi. 7, 9; 8, 22; xiii. 1, 52; xviii. 4, 8 等; Taittirīya Saṃhitā, i. 7, 3, 1; 8, 1, 1; Vājasaneyi Saṃhitā, iv. 19, 23; xix. 30; Taittirīya Brāhmaṇa, i. 7, 3, 3 et seq.; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 9, 3, 1 et seq. これらの Dakṣiṇā を得るために用いられた詩節(gāthā nārāśaṃsī、一つの表現としてであれ二つの別々の語としてであれ)は、偽りであることで知られていた。Kāṭhaka Saṃhitā, xiv. 5; Taittirīya Brāhmaṇa, i. 3, 2, 6. 7; Nirukta, i. 7; xi. 2 を見よ。
  • 3意味の推移は英語の "fee" の用法において類似している ──「家畜」「金銭」「役務への支払い」(Murray の英語辞典, s.v. "fee" を見よ)。Cf. また Go-dāna, n. 4.
  • 4Cf. 何も指定されない場合には牝牛が Dakṣiṇā であるという規則。Kātyāyana Śrauta Sūtra, xv. 2, 13; Lāṭyāyana Śrauta Sūtra, viii. 1, 2.
  • 5例えば Rv. i. 126, 1-4; v. 30, 12-15; viii. 1, 32. 33; 3, 21 et seq.; 4, 19-21; 5, 37-39; 6, 46-48; 55; 56; vii. 18, 21-24、および Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 273-277 の完全な一覧。Cf. Weber, Indische Studien, 10, 49 et seq. 衣服(vāsas)と黄金が Av. ix. 5, 14 において Dakṣiṇā として言及される。Śatapatha Brāhmaṇa, iv. 3, 4, 7 によれば、四つの Dakṣiṇā は黄金、牝牛、衣服、馬である。馬の馬具と装飾品を含めれば、これは実際上網羅的である。
  • 6xiii. 7, 1, 13。これと xiii. 6, 2, 18 ── バラモンの土地が除外される ── を比較せよ。また xiii. 7, 1, 15 を見よ。同箇所では土地の贈与が非難されている。
  • 7Śatapatha Brāhmaṇa, vii. 1, 1, 4. Cf. 上記 pp. 100, n. 19, 246; 下記 pp. 351, 352. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 169-171; Jolly, Recht und Sitte, 104, 105; Weber, Indische Streifen, 1, 96-98; Bloomfield, Religion of the Veda, 69-74; Atharvaveda, 76 et seq., 100, 121.

Dakṣiṇā-patha§

Dakṣiṇā-patha(字義通りには「南への道」)、「南の国」は、おそらく Deccan の呼称として、早くも Baudhāyana Dharma Sūtra1

Surāṣṭra とともに見出される。同様の表現は Ṛgveda2 における dakṣiṇā padā、「南へ向けた足で」であり、これは追放された者(parā-vṛj)が放逐されて赴く地に関わる。これは疑いなく単に、認められたアーリヤ世界の限界を越えた「南」を意味する。この世界は Kauṣītaki Upaniṣad3 においてすら、南は Vindhya 山脈によって画されるものとして現れる。

  • 1i. 1, 2, 13. Cf. Oldenberg, Buddha, 394, n.、および Baudhāyana Gṛhya Sūtra, v. 13.
  • 2x. 61, 8.
  • 3ii. 13. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 185; Weber, Indische Studien, 1, 408; Rhys Davids, Buddhist India, 30; Keith, Śāṅkhāyana Āraṇyaka, 28, n. 1; Aitareya Āraṇyaka, 200.

Dakṣiṇā-praṣṭi§

Dakṣiṇā-praṣṭi は「右側の添え馬」を指す。Śatapatha Brāhmaṇa の二箇所1 からは、時に四頭の馬が戦車に繋がれ、右と左の軛馬(dakṣiṇā-yugya, savyā-yugya)が中央にあり、その両側に一頭ずつが並んだことが知られる。後の二頭はもとより軛にはまったく繋がれず、おそらく軛馬の傍らを引き綱によって繋がれていたのであろう。Ratha を見よ。

  • 1v. 1, 4, 9; ix. 4, 2, 11(この箇所は三頭の馬のみを語るように見えるが、v. 4, 3, 17 を cf.)。Cf. また Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, xvi. 13, 12.

Dakṣiṇāyana§

Dakṣiṇāyana. Sūrya を見よ。

Dakṣiṇā-yugya§

Dakṣiṇā-yugya、「右側の軛馬」は、Śatapatha Brāhmaṇa(v. 1, 4, 6; 4, 3, 8; ix. 4, 2, 11)に言及される。Ratha を見よ。

Daṇḍa§

Daṇḍa、「杖」。(a)この語はしばしば通常の意味で言及される。例えば牛を駆るのに用いられる場合(go-ajanāsaḥ)1、あるいは武器として2 である。Śatapatha Brāhmaṇa3 によれば、灌頂を受ける者には悪鬼を追い払うために杖が与えられた。杖はまた成年に達した若者の入門式(upanayana)においても役割を果たした。4 転じてこの語は、匙などの道具の柄を指すのにも用いられる。5

(b)刑罰を含意する世俗の権力の象徴としての「杖」は、王によって行使される(rāja-preṣito daṇḍaḥ)。1 現代の言い方をすれば、王は刑法の源であった。そして彼が後代においてすら明らかにこの法の部門を自らの手に保持していたことは明らかである。2 罪なき者(a-daṇḍya)の処罰は、Pañcaviṃśa Brāhmaṇa3 において非バラモン的な Vrātya 族の特徴の一つとして挙げられている。Dharma をも見よ。

(a)の脚注

(b)の脚注

(訳注:原書は本項において (a)(b) の各節ごとに脚注番号を振り直している。ここでは節ごとに脚注群を分けて示した。)

  • 1Rv. vii. 33, 6.
  • 2Av. v. 5, 4. Cf. Aitareya Brāhmaṇa, ii. 35; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 5, 4, 6 等。
  • 3iii. 2, 1, 32.
  • 4Āśvalāyana Gṛhya Sūtra, i. 19; 22; Śāṅkhāyana Gṛhya Sūtra, ii. 1, 6, 11 等。
  • 5Aitareya Brāhmaṇa, vii. 5; Śatapatha Brāhmaṇa, vii. 4, 1, 36. 楽器については Śāṅkhāyana Āraṇyaka, viii. 9; Śrauta Sūtra, xvii. 3, 1 et seq.
  • 1Pāraskara Gṛhya Sūtra, iii. 15. Cf. Śatapatha Brāhmaṇa, v. 4, 4, 7。同箇所では王が自ら「刑罰を免れる」(a-daṇḍya)者でありながら、司法上の刑罰(daṇḍa-vadha)を科す。
  • 2Foy, Die königliche Gewalt, 21 et seq.
  • 3xvii. 1, 9; Weber, Indische Studien, 1, 33.

Daṇḍa Aupara§

Daṇḍa Aupara(「Upara の後裔」)は、Taittirīya Saṃhitā(vi. 2, 9, 4)および Maitrāyaṇī Saṃhitā(iii. 8, 7)において或る儀礼を執り行った者として言及されている。

Daṇḍana§

Daṇḍana は Atharvaveda1 において「葦」ないし「籐」の他の名とともに現れる。

  • 1xii. 2, 54. Cf. Whitney, Translation of the Atharvaveda, 682.

Datta Tāpasa§

Datta Tāpasa は、Pañcaviṃśa Brāhmaṇa1 に記述される蛇の祝祭において Hotṛ 祭官であった。

  • 1xxv. 15, 3. Cf. Weber, Indische Studien, 1, 35.

Dadhi§

Dadhi、「酸乳」は、Ṛgveda1 および後代2 に繰り返し言及される。Śatapatha Brāhmaṇa3 は順に Ghṛta(「澄ましバター」)、Dadhi、Mastu ── Eggeling4 はこれを「乳清」と訳す ── および Āmikṣā、「凝乳」を挙げる。Dadhi はまたしばしば「凝乳」の意をも有する。それは Soma と混ぜるのに用いられた。5

  • 1viii. 2, 9; ix. 87, 1 等。
  • 2Av. iii. 12, 7; iv. 34, 6; Taittirīya Saṃhitā, ii. 5, 3, 4 等; Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, xviii. 5, 12 等。
  • 3i. 8, 1, 7. Cf. Jaiminīya Brāhmaṇa, ii. 348.
  • 4Sacred Books of the East, 12, 218.
  • 5Dadhyāśir、「酸乳と混ぜられた」は、Rv. i. 5, 5; 137, 2; v. 51, 7; vii. 32, 4 における Soma の形容辞である。Cf. Hillebrandt, Vedische Mythologie, 1, 219 et seq. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 227.

Dadhyañc Ātharvaṇa§

Dadhyañc Ātharvaṇa はまったく神話的な聖仙である。Ṛgveda1 においては明らかに或る種の神格であるが、後期の

諸 Saṃhitā2 および Brāhmaṇa3 においては師に変貌している。Pañcaviṃśa Brāhmaṇa4 においては、手落ちによって Āṅgirasa と呼ばれている。

  • 1i. 80, 16; 84, 13, 14; 116, 12; 117, 22; 119, 9 等。Macdonell, Vedic Mythology, pp. 141, 142; Hillebrandt, Vedische Mythologie, 1, 176 を見よ。
  • 2Taittirīya Saṃhitā, v. 1, 4, 4; 6, 6, 3; Kāṭhaka Saṃhitā, xix. 4.
  • 3Śatapatha Brāhmaṇa, iv. 1, 5, 18; vi. 4, 2, 3; xiv. 1, 1, 18. 20. 25; 4, 13; Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, ii. 5, 22; iv. 5, 28 等。
  • 4xii. 8, 6. Gopatha Brāhmaṇa, i. 5, 21 も同様。 Cf. Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, xxxv; Atharvaveda, 23, 116, 118; St. Petersburg Dictionary, s.v.

Dadhy-āśir§

Dadhy-āśir. Dadhi および Soma を見よ。

Dant, Danta§

Dant, Danta、「歯」は、Ṛgveda 以降しばしば言及される。1 歯を清めること(dhāv)は日常の行為であり、とりわけ祭祀の準備としてなされ、沐浴、頭髪と髭(keśa-śmaśru)の剃り、爪の切除を伴った。2 Atharvaveda の一讃歌3 は幼児の最初の二本の歯の出現を祝うが、その正確な解釈は疑わしい。4 Aitareya Brāhmaṇa5 には子供の乳歯が抜け落ちることへの言及がある。この語は Ṛgveda6 において一度、象の牙を指すと思われる。歯科術が行われたか否かは疑わしい。Aitareya Āraṇyaka7 における Hiraṇya-dant、「黄金の歯を有する」という人名の出現はおそらく意義深く、とりわけ、金による歯の充填が Rome において早くも十二表法の立法の時代に知られていたことが確実であるだけになおさらである。8

  • 1Rv. vii. 55, 2; x. 68, 6; Av. v. 23, 3; 29, 4; vi. 56, 3 等。より通常の形は Danta である。Rv. iv. 6, 8; vi. 75, 11; Av. iv. 3, 6 等。
  • 2Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 6, 2(Taittirīya Saṃhitā, vi. 1, 1, 2 et seq. とは正確には並行しない)。
  • 3vi. 140.
  • 4Zimmer, Altindisches Leben, 321; Weber, Indische Studien, 5, 224; Grill, Hundert Lieder,² 176; Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, 540, 541; Atharvaveda, 71; Whitney, Translation of the Atharvaveda, 386.
  • 5vii. 14; Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xv. 18.
  • 6iv. 6, 8; Pischel, Vedische Studien, 1, 99; Oldenberg, Sacred Books of the East, 46, 341, 342.
  • 7ii. 1, 5.
  • 8Keith, Aitareya Āraṇyaka, 206. Wordsworth, Fragments and Specimens of Early Latin, 537 を見よ。

Dabhīti§

Dabhīti は Ṛgveda に数度、英雄ないし聖仙として現れる。Indra は彼のために Cumuri および Dhuni を打ち破る。1

彼は Indra のために Soma を搾り2、Indra は彼に報いた。3 彼のために三万の Dāsa が眠りに就かされ4、彼のために Dasyu 族が縄なしに縛られた。5 Dabhīti はまた Turvīti とともに、Aśvin 双神の庇護を受けた者としても現れる。6 彼が実在の人物であったことを否定する理由はないと思われる。7

  • 1x. 113, 9; ii. 15, 9; vii. 19, 4.
  • 2vi. 20, 13.
  • 3vi. 26, 6.
  • 4iv. 30, 21.
  • 5ii. 13, 9.
  • 6i. 112, 23.
  • 7Oldenberg, Religion des Veda, 155, 157, 158. Cf. Macdonell, Vedic Mythology, p. 162.

Dama§

Dama、「家」は、Ṛgveda1 に数度現れる語である。Roth2 によれば、それは人が統制されざる力を振るう場所を指す(語根 dam、「統べる」から)。

  • 1i. 1, 8; 61, 9; 75, 5; 143, 4; ii. 1, 2 等; Vājasaneyi Saṃhitā, viii. 24.
  • 2St. Petersburg Dictionary, s.v. しかしこれは、ギリシア語における δόμος と δέμω、「建てる」との明らかな関連に鑑みて、きわめて疑わしいと思われる。

Dam-pati§

Dam-pati は Ṛgveda2 において「家の主人」1 を指すが、より多くは双数形で「主人と女主人」3 を表すのに用いられる。この表現は Ṛgveda の時代における女性の高い地位を示すものと正当にみなしうる。Strī を見よ。

  • 1この語形については cf. Macdonell, Vedic Grammar, p. 37, n. 9. Pischel, Vedische Studien, 2, 307 et seq.daṃpati という綴りを支持して論ずる(Geldner はその Ṛgveda, Glossar においてこれを採る)。Cf. patir dan, Rv. i. 149, 2; Oldenberg, Sacred Books of the East, 46, 176, 177.
  • 2i. 127, 8; ii. 39, 2; v. 22, 4; viii. 69, 16; 84, 7.
  • 3Rv. v. 3, 2; viii. 31, 5; x. 10, 5; 68, 2; 85, 32; 95, 12 等; Av. vi. 123, 3; xii. 3, 14; xiv. 2, 9 等。 Cf. Delbrück, Die indogermanischen Verwandtschaftsnamen, 418, 420.

Darbha§

Darbha は Ṛgveda1 および後代2 における草の名である。Atharvaveda においては怒りを鎮める(manyu-śamana)ために用いられ3、また髪を掻き乱したり胸を打ったりすることに対する護符として用いられる。4 それはまた「根に富む」(bhūri-mūla)5、千の葉(sahasra-parṇa)と百の茎(śata-kāṇḍa)を有する6 とも言われる。

  • 1i. 191, 3(Śara および Kuśara ── 草の種類 ── とともに)。
  • 2Av. vi. 43, 2; viii. 7, 20; x. 4, 13; xi. 6, 15; xix. 28, 1 等; Taittirīya Saṃhitā, i. 5, 1, 4 等。
  • 3Av. vi. 43.
  • 4xix. 32, 2. Cf. xix. 30.
  • 5Av. vi. 43, 2.
  • 6Av. xix. 32, 1. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 70.

Darvi§

Darvi ないし Darvī は本来「匙」を指し、この意味で Ṛgveda1 および後代2 に見出される。しかしこの語はまた Atharvaveda3 において蛇の「頭巾」をも意味する。ただし Zimmer4 はこれを蛇の名とみなす。

(訳注:底本ではこの項の脚注4が本文と脚注群の間に孤立して置かれている。番号順に整えた。)

  • 1v. 6, 9; x. 105, 10.
  • 2Av. iii. 10, 7; iv. 14, 7; ix. 6, 17 等。
  • 3x. 1, 13. Whitney, Translation of the Atharvaveda, 577; Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, 153 を見よ。
  • 4Altindisches Leben, 95。同箇所で彼は Karikrata をも蛇の名と解する。

Darvidā§

Darvidā、「啄木鳥」は、Yajurveda1 において Aśvamedha すなわち馬祀の犠牲獣として言及される。Cf. Dārvāghāta.

  • 1Taittirīya Saṃhitā, v. 5, 13, 1; Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 14, 15; Vājasaneyi Saṃhitā, xxiv. 3. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 93. St. Petersburg 辞典, s.v. は字義通りの意味として「木を穿つもの」(dāru-vidha)を示唆する。語源については cf. F. W. Thomas の論文「The D-Suffix」p. 121、Transactions of the Cambridge Philological Society, 5, part ii 所収。

Darśa§

Darśa(「現れ」)は新月の日を指し1、通常は満月の日(pūrṇa-māsa)2 と対比される。この語は darśa-pūrṇa-māsau、「新月と満月」という複合語3 において最も頻繁に現れ、これらは儀礼上とりわけ重要な日である。4 ここでの最初の二語の順序は注目に値する。というのもそれは、月が満月から満月へではなく新月から新月へ数えられたことを、決定的に証明はしないにせよ明瞭に示唆するからである。Māsa を見よ。

  • 1Av. vii. 81, 3, 4; Taittirīya Brāhmaṇa, i. 2, 1, 14; Śatapatha Brāhmaṇa, xi. 2, 2, 1.
  • 2Taittirīya Saṃhitā, iii. 4, 4, 1 等。
  • 3Ibid., i. 6, 7, 1; 9, 3; ii. 5, 6, 1; Taittirīya Brāhmaṇa, ii. 2, 2, 1; Aitareya Brāhmaṇa, i. 1; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 3, 5, 11 等。
  • 4Hillebrandt, Das altindische Neu- und Vollmondsopfer, Jena, 1880; Rituallitteratur, 111-114; Oldenberg, Religion des Veda, 439.

Daśa-gva§

Daśa-gva は Ṛgveda の一讃歌1 において、Indra に助けられた人物の名として現れる。しかし同書における他の言及2 は、Daśagva 族およびそのうちの個々の者の神話的性格を明瞭に示している。

  • 1viii. 12, 2.
  • 2彼らは Navagva 族とともに i. 62, 4; iii. 39, 5; iv. 51, 4; v. 29, 12; x. 62, 6 に、また単独で ii. 34, 12 に言及される。Macdonell, Vedic Mythology, p. 144(C)を見よ。

Daśatayī§

Daśatayī は Nirukta1 においてしばしば、十の Maṇḍala に分たれたものとしての Ṛgveda の本文を指す。

  • 1vii. 8, 20; xi. 16; xii. 40.

Daśa-dyu§

Daśa-dyu は Ṛgveda1 に二度、英雄の名として現れるが、彼について、また一箇所において彼とともに言及される Vetasu との関係について、何も明らかにしえない。

  • 1i. 33, 14; vi. 26, 4. Cf. Oldenberg, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 55, 328.

Daśan§

Daśan、「十」は、アーリヤ民族一般におけると同じく、ヴェーダ時代のインド人の数体系の基礎をなす。しかしきわめて早い時期にきわめて大きな数の名の長い連なりが見出されることはインドに特徴的であり1、他方アーリヤの知識は千を越えなかった。Vājasaneyi Saṃhitā2 における一覧は、1、10、100、1,000、10,000(ayuta)、100,000(niyuta)、1,000,000(prayuta)、10,000,000(arbuda)、100,000,000(nyarbuda)、1,000,000,000(samudra)、10,000,000,000(madhya)、100,000,000,000(anta)、1,000,000,000,000(parārdha)である。Kāṭhaka Saṃhitā3 における一覧は同じであるが、niyutaprayuta が位置を交換し、nyarbuda の後に新たな数(badva)が入るため、samudra が 10,000,000,000 に増大し、以下も同様である。Taittirīya Saṃhitā は二箇所4 において Vājasaneyi Saṃhitā とまったく同じ一覧を有する。Maitrāyaṇī Saṃhitā5ayuta, prayuta、次いで再び ayutaarbuda, nyarbuda, samudra, madhya, anta, parārdha という一覧を有する。Pañcaviṃśa Brāhmaṇa6nyarbuda までは Vājasaneyi の一覧を有し、次いで nikharvaka, badva, akṣita、そして明らかに go = 1,000,000,000,000 が続く。Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa7 の一覧は

nikharvakanikharva に、badvapadma に置き換え、akṣitir vyomāntaḥ で終わる。Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra8nyarbuda の後に nikharvāda, samudra, salila, antya, ananta(= 100億)をもって系列を続ける。

しかし ayuta9 を越えては、これらの数のいずれも生命力を有しない。Badva は確かに Aitareya Brāhmaṇa10 に現れるが、そこでは正確な数的意味を有しえない。11 また後代においては、これらの大きな数の名はきわめて混乱している。

いくらか興味深い等比数列が Pañcaviṃśa Brāhmaṇa12 に見出される。同書には祭祀の贈物の一覧があり、そこでは各々の数が先行するものの倍額となっている。それは dvādaśa-mānaṃ hiraṇyam、「12の価値の黄金」(単位は不確かだが、おそらく Kṛṣṇala13)から始まり、次いで「24、48、96、192、384、768、1,536、3,072 の価値の」と続き、次に dve aṣṭāviṃśati-śata-māne が来る。これは 2×128×24(最後の単位は単一の māna ではなく24 māna の数である)= 6,144 を意味するに違いない。次いで 12,288、24,576、49,152、98,304、196,608、393,216 となる。これらの大きな数とともに、Śatapatha Brāhmaṇa14 に見出される時間の精緻な理論的細分を比較しうる。同書においては一日が15 muhūrta に分たれ、1 muhūrta = 15 kṣipra、1 kṣipra = 15 etarhi、1 etarhi = 15 idāni、1 idāni = 15 prāṇa である。Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra15 は一日を15 muhūrta に分かつ十進法の区分を有し、1 muhūrta = 10 nimeṣa、1 nimeṣa = 10 dhvaṃsi である。

ヴェーダ文献には分数はほとんど言及されない。Ardha, pāda, śapha, kalā はそれぞれ 1/2、1/4、1/8、1/16 を指すが、

最初の二つのみが一般的である。Tṛtīya は三分の一を指す。16 Ṛgveda17 においては Indra と Viṣṇu が1,000を3で割ったと言われるが、いかにしてそうしたかは不確かである。Tri-pād は「四分の三」を指す。18

ヴェーダ期のインド人が数字の記号について何らかの知識を有したという明瞭な証拠はないが、それはまったくありうることである。19

  • 1Thibaut, Astronomie, Astrologie und Mathematik, 70.
  • 2xvii. 2 et seq. Cf. xxii. 34; Śatapatha Brāhmaṇa, ix. 1, 2, 16.
  • 3xxxix. 6. xvii. 10 においては badva という数が消え、一覧は Vājasaneyi Saṃhitā のそれと一致する。ただし niyutaprayuta が位置を交換する点は別である。
  • 4iv. 4, 11, 4; vii. 2, 20, 1.
  • 5ii. 8, 14.
  • 6xvii. 14, 2.
  • 7i. 10, 28, 29. Cf. Aitareya Āraṇyaka, v. 3, 2; Hopkins, Transactions of the Connecticut Academy of Arts and Sciences, 15, 30, n. 2; Keith, Aitareya Āraṇyaka, 293, 294.
  • 8xv. 11, 7.
  • 9Cf. Rv. iii. 6, 15; viii. 1, 5; 2, 41; 21, 18; 34, 15; 46, 22; Av. viii. 2, 21; 8, 7; x. 8, 24; Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, xix. 13, 6; xxi. 18, 3 等。Zimmer, Altindisches Leben, 348 は、それが Ṛgveda において何ら明確な意味を有しないと考える。これは証明も反証もできない。Rv. は śatā sahasrāṇi という句を数度有し(iv. 32, 18; viii. 32, 18 等)= 100,000 である。ayuta もすでに特殊化されていたことは容易にありうるが、漠然とした意味を保っていたこともまたありうる。
  • 10vii. 21, 23.
  • 11Weber, Indische Streifen, 1, 96.
  • 12xviii. 3. Cf. Lāṭyāyana Śrauta Sūtra, viii. 10, 1 et seq.; Kātyāyana Śrauta Sūtra, xxii. 9, 1-6.
  • 13Cf. Kātyāyana Śrauta Sūtra, xxii. 9, 1; Weber, op. cit., 102, 103.
  • 14xii. 3, 2, 1 et seq. Cf. また Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 10, 1, 1。同箇所には muhūrta の区分の名の一系列が与えられているが、明らかに継起する段階としてではなく代替的なものとしてである(idānīm, tadānīm, etarhi, kṣipram, ajiram, āśuḥāśu か〕, nimeṣaḥ, phaṇaḥ, dravan, atidravan, tvaran, tvaramāṇaḥ, āśuḥ, āśīyān, javaḥ)。Weber, op. cit., 92-94 を見よ。
  • 15xiv. 75 et seq. Cf. Śāṅkhāyana Āraṇyaka, vii. 20.
  • 16Taittirīya Saṃhitā, ii. 5, 1, 4; v. 2, 6, 2; Taittirīya Brāhmaṇa, i. 1, 6, 1; 7, 1, 2; Śatapatha Brāhmaṇa, iii. 8, 4, 4 等。
  • 17vi. 69, 8 = Av. vii. 44, 1 = Taittirīya Saṃhitā, iii. 2, 11, 2; Aitareya Brāhmaṇa, vi. 15; Śatapatha Brāhmaṇa, iii. 3, 1, 13.
  • 18Rv. x. 90, 4.
  • 19Rv. x. 62, 7 における aṣṭa-karṇī が牛の「耳に8の数字を刻まれた」を意味するならば、数字の記号への言及は確実となろう。Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 234, 235, 348. しかしこれは疑わしい。Macdonell, Vedic Grammar, p. 309, n. 10 を見よ。 Cf. Macdonell, Vedic Grammar, p. 308; Weber, Indische Streifen, 1, 90-103; Schrader, Prehistoric Antiquities, 349; Kaegi, Rigveda, n. 65; Hopkins, Journal of the American Oriental Society, 16, 275 et seq.

Daśa-puruṣaṃ-rājya§

Daśa-puruṣaṃ-rājya は Śatapatha Brāhmaṇa1 に現れ、疑いなく2「十代の祖先を通じて受け継がれた主権」を意味し、世襲支配の際立った事例である。Weber3 はかつてこの語を「Daśapuru の王国」4 と訳し、Kālidāsa の Meghadūta5 の Daśapura および「中つ国」の Daśārṇa と比較した。

  • 1xii. 9, 3, 1. 3.
  • 2Cf. Āśvalāyana Śrauta Sūtra, ix. 3; Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xv. 14, 18. かくして tri-puruṣa、「三代」は Aitareya Brāhmaṇa, viii. 7 に。St. Petersburg 辞典, s.v. および Eggeling, Sacred Books of the East, 44, 269 は正しい訳を有する。
  • 3Indische Studien, 1, 209. ただし 10, 75, n. 1 を見よ。
  • 4これは sāmrājya であろうが、この語は常に ではなく m で綴られる。cf. Macdonell, Vedic Grammar, 75, 3.
  • 5i. 48.

Daśa-māsya§

Daśa-māsya、「十か月の」は、Ṛgveda1 および後代2 において出生直前の胎児を記述する。Māsa を見よ。

  • 1v. 78, 7-8.
  • 2Av. i. 11, 6; iii. 23, 2. ヴェーダ文献には第十月における出生への言及が数箇所ある。例えば Rv. x. 184, 3 等。 Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 366; Weber, Naxatra, 2, 313, n. 1.

Daśamī§

Daśamī は Atharvaveda1 および Pañcaviṃśa Brāhmaṇa2 において90歳から100歳までの期間を指し、

Ṛgveda3 はこれを daśama yuga、「生の第十段階」と呼ぶ。長寿はヴェーダ時代のインド人の間で稀ではなかったと思われる。というのも「百の秋」(śaradaḥ śatam)を生きたいという願いが絶えず表明されているからである。4 Dīrghatamas は100年生きたと言われ5Mahidāsa Aitareya は116年とされる。6 Onēsikritos7 は彼らが時に130年生きたと報告しており、この記述には Jātaka8 における120年の生への願いが対応する。おそらくこの数は常に実際のものというより想像上のものであったが、現代インドにおける生の比較的な短さ9 は、Ṛgveda にはほとんど知られていない熱病の累積的な影響によって説明されうるかもしれない。Takman を見よ。

  • 1iii. 4, 7.
  • 2xxii. 14.
  • 3i. 158, 6.
  • 4Rv. i. 89, 9; x. 18, 10、および各所。Lanman, Sanskrit Reader, 384; Bloomfield, Atharvaveda, 62, 63 を見よ。
  • 5Śāṅkhāyana Āraṇyaka, ii. 17.
  • 6Chāndogya Upaniṣad, iii. 16, 7; Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa, iv. 2, 11; Keith, Aitareya Āraṇyaka, 17.
  • 7Strabōn, p. 701 において。
  • 8Fausböll 校訂, ii. 16.
  • 9Indian Empire, 1, 513 et seq.

Daśa-vṛkṣa§

Daśa-vṛkṣa は Roth1 によれば、Atharvaveda2 における樹木の名である。しかし Whitney3 はこの語を「十の樹の」を意味する単なる形容詞として扱う。

  • 1St. Petersburg Dictionary, s.v.
  • 2ii. 9, 1.
  • 3Translation of the Atharvaveda, 50.

Daśa-vraja§

Daśa-vraja は Ṛgveda(viii. 8, 20; 49, 1; 50, 9)における Aśvin 双神の庇護を受けた者の名である。

Daśa-śipra§

Daśa-śipra は Ṛgveda1 に言及される祭主の名である。

  • 1viii. 52, 2. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 163.

Daśā§

Daśā は Śatapatha Brāhmaṇa1 において衣服(vāsaḥ)の「縁飾り」ないし「へり」を指す。この語はまた複合語 daśā-pavitra2 にも現れ、これは「縁飾りのある濾し布」を意味する。

  • 1iii. 3, 2, 9、また Sūtra 文献にしばしば。
  • 2Aitareya Brāhmaṇa, vii. 32; Śatapatha Brāhmaṇa, iv. 2, 2, 11. Cf. iv. 1, 1, 28.

Daśoṇi§

Daśoṇi は Ṛgveda の一箇所1 において、明らかに Indra の寵愛を受けた者として、また Paṇi 族に対立する者として現れ、Paṇi 族は彼のために数百も斃れた。彼がここで Paṇi 族の祭官であるという Ludwig2 の見解はきわめて蓋然性が低い。他の箇所ではその名が単に言及されるのみである。3 Daśoṇya をも見よ。

  • 1vi. 20, 4, 8.
  • 2Translation of the Rigveda, 3, 156; 5, 107.
  • 3x. 96, 12。ただし同箇所ではこの語が単に Soma の形容辞であるかもしれない。 Cf. Hillebrandt, Vedische Mythologie, 1, 92, n. 1; Oldenberg, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 55, 328.

Daśoṇya§

Daśoṇya は Ṛgveda1 において Daśaśipra その他とともに言及される祭主の名である。彼が Daśoṇi と同一であるか否かは決しえない。

  • 1viii. 52, 2. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 163.

Daśonasi§

Daśonasi は Atharvaveda1 における一種の蛇の名である。Paippalāda 伝本の読みは Naśonaśī である。

  • 1x. 4, 17. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 95; Whitney, Translation of the Atharvaveda, 577.

Dasyave vṛka§

Dasyave vṛka、「Dasyu にとっての狼」は、Ṛgveda1 に四度言及される人物の名である。一讃歌2 においては彼は Ṛṣi と呼ばれるが、他の二讃歌3 においては明らかに Dasyu 族に勝利した王侯であり、歌い手の寛大な庇護者である。異なる人物を想定する必要はほとんどない。4 というのも Ṛṣi という語は王位とまったく相容れないわけではないからである。彼は Pūtakratu5 とその妻 Pūtakratā6 の子であった。

  • 1viii. 51, 2; 55, 1; 56, 1. 2.
  • 2viii. 51.
  • 3viii. 55. 56.
  • 4とりわけ、この名が第8 Maṇḍala の Vālakhilya 群をなす Kaṇva 族の讃歌の小さな集成にのみ現れることからしてそうである。
  • 5viii. 56, 2. Pautakrata. Cf. viii. 68, 17.
  • 6viii. 56, 4. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 139, 164; 5, 552.

Dasyave saha§

Dasyave saha は Roth1 によれば、Ṛgveda2 における人ないし氏族の名である。しかし彼はこの語が

Agni の形容辞でありうることを認める。これが Oldenberg3 の与える解釈である。

  • 1St. Petersburg Dictionary, s.v.
  • 2i. 36, 18.
  • 3Sacred Books of the East, 46, 33.

Dasyu§

Dasyu はいささか起源の疑わしい語であり、Ṛgveda の多くの箇所1 において明らかに超人的な敵に適用される。他方、人間の敵、おそらく先住民がこのように呼ばれる箇所も数箇所ある。これは、Dasyu が Āryan と対立させられ、Āryan が神々の助けをもって彼を打ち破る諸箇所において確実とみなしうる。2 Dasyu 族と Āryan との大いなる相違はその宗教であった。前者は「祭祀を行わぬ」「儀礼を欠く」「異なる誓いに耽る」「神々を憎む」等と称される。3 Dāsa に比して、彼らは民族としての性格がより薄い。Dasyu 族の氏族(viśaḥ)は言及されず、また Indra の dasyu-hatya、「Dasyu の殺戮」がしばしば語られるのに対し、dāsa-hatya の対応する用法はない。4 しかし Dasyu 族が実在の人々であったことは、Ṛgveda の一箇所5 において彼らに適用される anās という形容辞によって示される。この語の意味は絶対的に確実ではない。Pada 本文と Sāyaṇa はともにこれを「顔なき」(an-ās)の意に解するが6、もう一つの訳「鼻なき」(a-nās)もまったくありうる。7

またこれは、Dravida 型8 の平たい鼻の先住民とよく合致するであろう。この型の言語は、北西部に見出される Brahui 族の間になお存続している。この解釈は、Vṛtra が「鼻を砕かれた」と呼ばれることによっていくらかの支持を得るであろう。もっともこれが不明瞭な語 rujānās の正しい説明であればのことである。9

Dasyu 族のもう一つの形容辞は mṛdhra-vāc であり、これは anās とともに現れ10、「吃る、あるいは理解しがたい言葉の」と訳されてきた。11 この訳は決して確実ではなく、またこの形容辞は他の箇所12 では Āryan にも適用されるから、その正しい意味はより蓋然的には「敵意ある言葉の」である。

Dasyu はイラン語の daṅhu, daqyu に対応し、これは「州」を指す。Zimmer13 は本来の意味が「敵」であり、そこからイラン人が「敵国」「征服された国」「州」の意味を発展させ、他方インド人は「敵」の意味を保ちつつ、それを悪鬼の敵をも含むように拡張したと考える。Roth14 は、人間の敵という意味が神々と悪鬼の抗争からの転用であるとみなす。

Lassen15daqyu : dasyu という対照を daēva : deva のそれと結びつけ、そこに、Haug の説によればイラン人とインド人を分かった宗教的相違の結果を見ようと試みた。この語は本来、侵入の結果としての「荒らされた土地」16 を意味したのかもしれない。そこから「敵の国」、次いで「敵対する民」の意となり、彼らは人間の敵としてはより通常には同根の名 Dāsa で呼ばれた。

個々の Dasyu は CumuriŚambaraŚuṣṇa 等である。

Aitareya Brāhmaṇa17 においては、この語は後代18 におけると同じく、一般に未開の民という意味を有する。

(訳注:底本ではこの項の脚注4が本文と脚注群の間に孤立して置かれている。番号順に整えた。)

  • 1i. 34, 7; 100, 18; ii. 13, 9 等。Macdonell, Vedic Mythology, pp. 157, 158 を見よ。
  • 2Rv. i. 51, 8; 103, 3; 117, 21; ii. 11, 18, 19; iii. 34, 9; vi. 18, 3; vii. 5, 6; x. 49, 3. おそらく v. 70, 3; x. 83, 6 においても人々が意味されている。
  • 3Dasyu は a-karman、「儀礼なき」(x. 22, 8)、a-devayu、「神々に無関心な」(viii. 70, 11)、a-brahman、「信心なき」(iv. 16, 9)、a-yajvan、「祭祀を行わぬ」(viii. 70, 11)、a-yajyu、同義(vii. 6, 3)、a-vrata、「掟なき」(i. 51, 8; 175, 3; vi. 14, 3; ix. 41, 2)、anya-vrata、「異なる規範に従う」(viii. 70, 11)、deva-pīyu、「神々を罵る」(Av. xii. 1, 37)と呼ばれる。あらゆる場合に人々が意味されていると確言することは不可能である。
  • 4Rv. i. 51, 5, 6; 103, 4; x. 95, 7; 99, 7; 105, 11. Cf. dasyu-han、「Dasyu を殺す」、i. 100, 12; vi. 45, 24; viii. 76, 11; 77, 3; x. 47, 4(すべて Indra について); vi. 16, 15; viii. 39, 8(Agni について)等。
  • 5Rv. v. 29, 10.
  • 6この意味は二通りの解釈を許す。「醜い顔をした」── これは Roth, St. Petersburg Dictionary, s.v. および Grassmann, Wörterbuch の解と思われる ── か、あるいは「言葉なき」(すなわち Āryan の言語を話しえない)── これは Bollensen, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 41, 496 の解である。
  • 7この見解は、ἄστομοι(口なき者)であった原住民についての Megasthenēs の報告によって支持される。Strabōn, p. 711; Plinius, Naturalis Historia, vii. 2, 18 を見よ。Zimmer, Altindisches Leben, 430 に引かれる。また Ludwig, Translation of the Rigveda, 2, 109; 5, 95; Hillebrandt, Vedische Mythologie, 3, 277; Knauer, Kuhn の Zeitschrift, 29, 52; Wackernagel, Altindische Grammatik, 2, 293(アクセント)を見よ。
  • 8Indian Empire, 1, 390 における示唆 ── 現代の Brahui の型が真の Dravida であり、現代の Dravida は Muṇḍā 語系の諸部族との融合の結果であるとする ── は、この説を蓋然性の低いものとするであろう。しかし Brahui 族が言語において北インドにおける Dravida 系の定住の伝統を保存しているほうが、より蓋然的と思われる。
  • 9Bloomfield, American Journal of Philology, 17, 415(同氏は Rv. i. 32, 8 の rujānāḥrujāna-nāḥ と解する); Oldenberg, Ṛgveda-Noten, 1, 31, 32(同氏はこの語を rujā-anāḥ と分析する可能性を示唆する)を見よ。ただし cf. Lanman, Sanskrit Reader, 361。同氏は単純な分詞「砕かれた」の主格単数として rujānaḥ への修正を示唆する。Macdonell, Vedic Grammar, p. 59, n. 1.
  • 10Rv. v. 29, 10.
  • 11Cf. Muir, Sanskrit Texts, 2², 393 et seq.
  • 12この表現は vii. 18, 13 において Āryan たる Pūru 族について、vii. 6, 3 において Paṇi 族について、また i. 174, 2; v. 32, 8; x. 23, 5 において敵対する者について用いられる。Roth, Erläuterungen zum Nirukta, 97 は意味が「侮辱的な言葉の」であると考え、Zimmer, op. cit., 114, 115 はこの見解を強く支持する。しかし Hillebrandt, op. cit., 1, 89, 90, 114 はそこに「敵の言葉を話す」を見ることを選び、Pūru 族が Bharata 族と方言的に異なっていたと考える。この見解は Śatapatha Brāhmaṇa, iii. 2, 1, 23, 24 から支持されうる。同箇所では Asura が he'lavo(サンスクリットでは he'rayo、「おお、敵どもよ」)と言う。Muir, op. cit., 2², 114; Davidson, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 37, 23(Mahābhāṣya の異伝); Eggeling, Sacred Books of the East, 26, 31, n. 3 を見よ。かくしてこの語は Dasyu 族にも適用されえた。敵の異なる言葉は Āryan のものでも先住民のものでもありえたからである。
  • 13Op. cit., 110 et seq. Macdonell, Vedic Mythology, p. 158 も同様。
  • 14St. Petersburg Dictionary, s.v.
  • 15Indische Alterthumskunde, 1², 633 et seq. この説は今日一般に信を失っている。Cf. Justi, Göttingische Gelehrte Anzeigen, 1866, 1446 et seq.; Geldner, Vedische Studien, 1, 142; Oldenberg, Religion des Veda, 162 et seq.; Macdonell, Vedic Mythology, p. 156.
  • 16この語も Dāsa も語根 das から派生すると思われる。この語根は Whitney, Roots によれば「荒らす」を意味するが、Roth によれば「窮乏する」「衰える」を意味する。
  • 17vii. 18。同箇所では Viśvāmitra の後裔が dasyūnāṃ bhūyiṣṭhāḥ と呼ばれる。Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xv. 26, 7.
  • 18Manu, v. 131; x. 32. 45; Zimmer, op. cit., 118. Cf. Hillebrandt, op. cit., 3, 276 et seq.; Zimmer, op. cit., 101 et seq.

Dākṣāyaṇa§

Dākṣāyaṇa、「Dakṣa の後裔」。Dākṣāyaṇa 族は Atharvaveda および Yajurveda の諸 Saṃhitā1 において、Śatānīka に黄金を与えた者として言及されている。Śatapatha Brāhmaṇa2 においてはこの語が実際に「黄金」を指すのに用いられる。Dākṣāyaṇa 族はそこで3、或る儀礼を行ったがゆえに同 Brāhmaṇa 自身の時代に至るまで栄えた王侯の一族として現れる。

  • 1Av. i. 35, 1, 2; Vājasaneyi Saṃhitā, xxxiv. 51, 52; Kaṭha、von Schroeder, Tübinger Kaṭha-Handschriften, 36 に引かれる; Khila, iv. 7, 7, 8.
  • 2vi. 7, 4, 2:dākṣāyaṇa-hasta、「黄金の手を有する」。Eggeling, Sacred Books of the East, 41, 283, n. 2 はこれについて不必要に疑わしく思っているようである。
  • 3ii. 4, 4, 6. Cf. Aitareya Brāhmaṇa, iii. 40. Cf. Weber, Indische Studien, 1, 224; 4, 358; Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 195; Whitney, Translation of the Atharvaveda, 35; Lévi, La Doctrine du Sacrifice, 138.

Dātyauha§

Dātyauha、「バン(鷭)」は、Yajurveda1 における Aśvamedha すなわち馬祀の犠牲獣の一覧に言及されている。

この語は明らかに dātyūha の異形であり、後者は叙事詩および法典に現れる。

  • 1Taittirīya Saṃhitā, v. 5, 17, 1; Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 14, 6; Vājasaneyi Saṃhitā, xxiv. 25. 39. Pāṇini, vii. 3, 1 はこの語を ditya-vah から導く。Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 91.

Dātra§

Dātra(「切るもの」)は「鎌」を指し、Ṛgveda1 に言及される。「耳に鎌形の印のある」牛(dātra-karṇyaḥ)が Maitrāyaṇī Saṃhitā2 に言及されている。それ以外にはこの表現は後代にのみ見出され、Sūtra 文献および叙事詩の文献に現れる。3 Sṛṇi をも見よ。

  • 1viii. 78, 10; Nirukta, ii. 1.
  • 2iv. 2, 9.
  • 3Hopkins, Journal of the American Oriental Society, 17, 86. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 238.

Dātreya§

Dātreya は Vaṃśa Brāhmaṇa1 における Arāḍa Śaunaka の父称である。おそらく Dārteya、「Dṛti の後裔」と読むべきかもしれないが2、この語は音位転換を伴って後者の形と同じ派生を有するのかもしれない。

  • 1Indische Studien, 4, 373.
  • 2Cf. St. Petersburg Dictionary, s.v.

Dādhīca§

Dādhīca、「Dadhyañc の後裔」は、Pañcaviṃśa Brāhmaṇa(xiv. 6)における Cyavana の父称である。

Dāna 1§

1. Dāna、「与えること」「贈物」は、Ṛgveda に頻出する語であり、とりわけ寛大な庇護者の Dāna-stuti1(「贈与の讃」)においてそうである(Dakṣiṇā を見よ)。Brāhmaṇa の特徴の一つは贈物を受ける権利であり、他のカーストはこれを供することを義務づけられている。2 娘を与えること(kanyāyā dānam)は婚姻の一形態であった3(Vivāha を見よ)。というのもそこでは娘が父ないし兄弟によって「与えられた」からである。

  • 1この語は Bṛhaddevatā, vi. 45, 92 および同種の書に初めて現れると思われる。
  • 2Śatapatha Brāhmaṇa, xi. 5, 7, 1; Weber, Indische Studien, 10, 47-61.
  • 3Nirukta, iii. 4.

Dāna 2§

2. Dāna(「分配」)1 は Ṛgveda の数箇所2 において、神が招かれる祭宴の呼称であると思われる

(δαίς, δαίτη を cf.)。一箇所3 において Sāyaṇa は、それが mada-jalāni、「発情した象のこめかみから滴る水滴」を指すと考えるが4、これは疑わしい。別の箇所5 において Roth は「牧草地」が意味されていると考える。

  • 1、「分かつ」から。
  • 2i. 55, 7; 48, 4; 180, 5; viii. 46, 26; 60, 8; 99, 4 等。ただし Cf. Pischel, Vedische Studien, 1, 100.
  • 3Rv. viii. 33, 8; Ludwig, Translation of the Rigveda, 5, 157.
  • 4この意味における Dāna は、ヴェーダ以後の言語においてきわめて一般的であるが、おそらく 、「分かつ」から派生し、本来は「分泌」を意味した。
  • 5ii. 13, 7.

Dāna 3§

3. Dāna は Ṛgveda の三箇所1 において、Roth によって戦車の馬を指すものとされている。

  • 1v. 27, 5; vii. 18, 23; viii. 46, 24. しかしこれらすべての場合において、「贈物」で十分な訳と思われ、「馬」はそこに含意されているのである。

Dāman§

Dāman、「縄」ないし「帯」1 は、Ṛgveda および後代2 にしばしば言及される。犠牲の馬の縄3、および仔牛を縄で繋ぐ慣行4 に言及がある。この語は Śatapatha Brāhmaṇa5 において馬の毛の「帯」の意で現れる。

  • 1本来は「絆」、、「縛る」から。
  • 2Rv. i. 56, 3 等; Av. vi. 63, 1; 103, 2; vii. 103, 1. 2; Taittirīya Saṃhitā, ii. 4, 13, 1 等。
  • 3Rv. i. 162, 8.
  • 4Rv. ii. 28, 7.
  • 5v. 3, 1, 10. Cf. Eggeling, Sacred Books of the East, 41, 62, n. 2.

Dāya§

Dāya は Ṛgveda1 においては労苦(śrama)の「報い」の意でのみ現れるが、後代には「相続財産」── すなわち、父の生前であれ死後であれ、その子らの間で分たれるべき父の財産 ── を意味する。これらの箇所はすべて、家の財産が法的に家族の財産であったという観念を否定する。それが家の長、通常は父の財産であったこと、および家族の他の成員はそれに対して道徳的な要求を有するにすぎず、父はそれを無視しえたこと ── もっとも子らが身体的により強ければ父を強いえたであろうが ── は明らかである。

かくして Manu は Taittirīya Saṃhitā2 において、その財産を子らの間で分けたと言われる。彼は Nābhānediṣṭha を除外したが、

後に彼に Aṅgiras 族を宥め牛を得る方法を教えた。これは、彼が分けた財産が土地(Urvarā)ではなく動産であったことの意義深い徴証である。Aitareya Brāhmaṇa3 においては、分割が Manu の生前にその子らによってなされ、彼らは老いた父のみを Nābhānediṣṭha に残したと言われる。さらに Jaiminīya Brāhmaṇa4 によれば、四人の子が、老いた父 Abhipratārin がなお存命中に相続財産を分けた。もとより Dāya を家族の相続可能な財産を指すものとみなすことは可能であるが、父の発達した patria potestas ── これは Śunaḥśepa の伝説に示されるように早くからきわめて顕著であった ── は、子らが父とともに法的な所有者であったという見解とは相容れない。ただし彼らが実際に財産の分割を主張した場合は別である。5 おそらく ── 決定的な性格の証拠は何もないが ── 土地は初めは分割されなかったが、利用しうる耕地の供給が限られてくるや否や、疑いなくその処分が家畜その他の動産の類推に従い始めたのであろう。

分割の方法については、Taittirīya Saṃhitā6 から、長子が通常優遇されたことが明らかである。おそらく

死後は常にそうであった。父の生前には別の者が優遇されえたことが、Pañcaviṃśa Brāhmaṇa7 の一箇所から知られる。女性は Śatapatha Brāhmaṇa8 および Nirukta9 によれば、分割ないし相続から除外された。彼女らは疑いなく兄弟によって扶養されたが、兄弟がなければ売春に落ちることもありえた。10 相続の詳細な規則は Sūtra 文献11 に現れる。

相続人は Dāyāda12、「相続財産を受ける者(ā-da)」と呼ばれる。

  • 1x. 114, 10.
  • 2iii. 1, 9, 4 et seq. Cf. Muir, Sanskrit Texts, 1², 191-194; Lévi, La Doctrine du Sacrifice, 67, 68.
  • 3v. 14.
  • 4iii. 156(Journal of the American Oriental Society, 26, 61, 62)。
  • 5同じ問題が英国ないしゲルマンにおける土地財産一般の起源についても提起されている。厳密な意味における家族所有の観念に対してすら反対する見解については、Fustel de Coulanges, Recherches sur quelques Problèmes d'Histoire, 322 et seq.; Fustel de Coulanges, Origin of Property in Land, xvi-xxi における Ashley; Pollock and Maitland, History of English Law, 2, 237 et seq. を見よ。家族的および共同体的所有を容れる古い見解は、Maine(Village Communities in the East and West)、Stubbs、Green その他によって種々の形で表され、Vinogradoff, Villanage in England によって新たな形で擁護されている。また Keith, Journal of the African Society, 6, 201 et seq. を見よ。Jolly, Recht und Sitte, 93-96 は土地の共同体的所有を容れないが、ibid., 80 においては家族の共同所有を信ずる傾きにある。彼はこれが、なお Bengal に存する厳格な patria potestas の規則と相容れないことを認める。Baden Powell, Village Communities in India, 133 et seq. は、初期インドにそのような patria potestas が存在したことを疑う。しかし事実は明らかに、そのような権力が存在し、父が財産を所有していたことを示すと思われる。その子らは成長するにつれて財産を要求するに至り、父はそれを分けねばならぬことがありえた。それゆえ、あらゆる子が出生とともに財産に法的な分け前を有するという観念が自然に発達したのである。疑いなくまた、村が定着した存在を得るや否や、土地を手放す権利は、成人した子らおよび共同体の残りの者が異議を唱えうるものであった。これは後代の制度を十分に説明するであろう。Cf. また pp. 100, n. 19; 336, n. 7、および Rājanya.
  • 6ii. 5, 2, 7.
  • 7xvi. 4, 4.
  • 8iv. 4, 2, 13.
  • 9iii. 4.
  • 10Cf. Strī.
  • 11相続はまた Aitareya Brāhmaṇa, vii. 17; Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xv. 27, 3; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 7, 2, 22; iii. 2, 1, 18 にも仄めかされている。Sūtra の規則については Jolly, Recht und Sitte, 80 et seq. を見よ。
  • 12Śatapatha Brāhmaṇa, xii. 4, 3, 9; Nirukta, iii. 4。比喩的には Av. v. 18, 6, 14.

Dāra§

Dāra、「妻」は、Sūtra 文献に(通常は男性複数形で)見出され、また Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad1 に一度(単数形で)見出される。

  • 1vi. 4, 12(同箇所では dvāreṇa が異読である。St. Petersburg Dictionary, s.v. を見よ)。Cf. Delbrück, Die indogermanischen Verwandtschaftsnamen, 415, 416。同氏は Bṛhadāraṇyaka の箇所を無視している。

Dāru§

Dāru、「木」は、Ṛgveda および後代1 にしばしば言及され、とりわけ戦車の轅2、薪としての丸太3、車の木製の部分4、おそらく木製の枷5 などを指す。

  • 1Rv. vi. 3, 4; x. 145, 4 等; Av. x. 4, 3; Taittirīya Saṃhitā, ii. 5, 8, 3 等。
  • 2Rv. x. 102, 8.
  • 3Rv. viii. 102, 20.
  • 4Śatapatha Brāhmaṇa, vi. 6, 2, 14.
  • 5Av. vi. 121, 2. ただしこれは疑わしい。Cf. Tāyu および Drupada.

Dārḍha-jayanti§

Dārḍha-jayanti、「Dṛḍhajayanta の後裔」は、Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa(iii. 42, 1)における Vaipaścita Gupta Lauhitya および Vaipaścita Dṛḍhajayanta Lauhitya の父称である。

Dārteya§

Dārteya、「Dṛti の後裔」。Dārteya 族は Kāṭhaka Saṃhitā1 および Pañcaviṃśa Brāhmaṇa2 において祭祀上の権威として言及されている。

  • 1xxxi. 2(Indische Studien, 3, 473)。
  • 2xxv. 3, 6.

Dārbhya§

Dārbhya、「Darbha の後裔」は、Ṛgveda の一詩節1 に言及される。Roth2 は彼を Śyāvāśva と同一視するが、Bṛhaddevatā3Rathavīti と同一視する。同じ父称はしばしば4 Keśin と結びつけられ、また Rathaprota5 にも適用される。Dālbhya をも見よ。

  • 1v. 61, 17.
  • 2St. Petersburg Dictionary, s.v.
  • 3v. 50. 77.
  • 4Taittirīya Saṃhitā, ii. 6, 2, 3; Maitrāyaṇī Saṃhitā, i. 4, 12; 6, 5; Kauṣītaki Brāhmaṇa, vii. 4. Cf. Sieg, Die Sagenstoffe des Ṛgveda, 62, n. 2.
  • 5Maitrāyaṇī Saṃhitā, ii. 1, 3.

Dārv-āghāta§

Dārv-āghāta、「啄木鳥」は、Yajurveda1 における Aśvamedha すなわち「馬祀」の犠牲獣の一覧に含まれている。

  • 1Taittirīya Saṃhitā, v. 5, 15, 1; Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 14, 16; Vājasaneyi Saṃhitā, xxiv. 35. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 92.

Dārv-āhāra§

Dārv-āhāra、「木を集める者」は、Yajurveda1 における Puruṣamedha すなわち「人身供犠」の犠牲者の一覧に含まれている。

  • 1Vājasaneyi Saṃhitā, xxx. 12; Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 4, 8, 1.

Dālbhi§

Dālbhi、「Dalbha の後裔」は、Kāṭhaka Saṃhitā(x. 6)における Vaka の父称である。

Dālbhya§

Dālbhya、「Dalbha の後裔」は Dārbhya の異形である。それは(a)Pañcaviṃśa Brāhmaṇa1 における Keśin の、(b)Chāndogya Upaniṣad2 および Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa3 における Caikitāyana の、(c)Chāndogya Upaniṣad4 および Kāṭhaka Saṃhitā5 における Vaka の父称である。

  • 1xiii. 10, 8. Cf. Ṣaḍguruśiṣya の報ずる Itihāsa(Sarvānukramaṇī、Macdonell 校訂本 118)。St. Petersburg 辞典は Dālbhya について Kauṣītaki Brāhmaṇa, vii. 4 を引く(ただし Dārbhya についても引いており、これが Lindner 校訂本の読みである)。
  • 2i. 8, 1.
  • 3i. 38, 1; 56, 3.
  • 4i. 2, 13; 12, 1, 3.
  • 5xxx. 2。同箇所では St. Petersburg 辞典 s.v. の述べるような Dālbhi ではなく Dālbhya と読まれる。Kapiṣṭhala Saṃhitā, xlvi. 5 は Darbhasya とする。ただし Dālbhi は Kāṭhaka Saṃhitā, x. 6 に見出される。

Dāva§

Dāva、「森林火災」は、Atharvaveda1 および Śatapatha Brāhmaṇa2 に言及される。後者の書においてはそのような火災が春に生ずるものとして言及されている。Sieg3 によれば、Ṛgveda の一讃歌4 が森林火災を描いている。そのような大火からの不意の襲来に備えて見張り(dāva-pa)が置かれた。5

  • 1vii. 45, 2.
  • 2xi. 2, 7, 32.
  • 3Die Sagenstoffe des Ṛgveda, 44 et seq.
  • 4x. 142. この讃歌についての Sieg の解釈はまったく蓋然的でない。
  • 5Vājasaneyi Saṃhitā, xxx. 16; Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 4, 11, 1.

Dāva-su Āṅgirasa§

Dāva-su Āṅgirasa、Sāman すなわち詠唱を感得した者は、Pañcaviṃśa Brāhmaṇa1 に言及される。

  • 1xxv. 5, 12, 14. Cf. Hillebrandt, Vedische Mythologie, 2, 160.

Dāśa§

Dāśa、「漁夫」は、Yajurveda1 における Puruṣamedha すなわち「人身供犠」の犠牲者の一覧に言及される。Cf. Dhaivara.

  • 1Vājasaneyi Saṃhitā, xxx. 16; Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 4, 12, 1. Weber, Indische Streifen, 1, 81 はこの語を Fischerknecht(漁夫の下男)と訳すが、おそらくこれを dāsa、「僕」に等しいものとみなしてのことである。Cf. Manu, x. 34; St. Petersburg Dictionary, s.v. Dāśa, 2. 3.

Dāśataya§

Dāśataya、「十(巻)に分たれた(Ṛgveda 本文)に属する」は、Nidāna Sūtra1 における Adhyāya、「章」の形容辞である。この語の女性形もまた Kauṣītaki Brāhmaṇa2 および後代3 に見出される。

  • 1ii. 11(Indische Studien, 1, 45)。
  • 2viii. 7.
  • 3Ṛgveda Prātiśākhya, xvi. 54; xvii. 30; Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xii. 2, 16, 22 等; Baudhāyana Śrauta Sūtra, xxvi. 13; xxvii. 4 等。

Dāśa-rājña§

Dāśa-rājña は Ṛgveda1 および Atharvaveda2 における、Sudās の名高い「十王との戦い」の名である。いかなる王たちであったかを正確に確定することはいささか困難であるが(Turvaśa を見よ)、この数はおそらく概数であって、強く主張することはできない。実際の戦の讃歌3 にはこの語が現れず、

それが見出される諸箇所は後代のものとみなすのが道理にかなう。4

  • 1vii. 33, 2, 5; 83, 8.
  • 2x. 128, 12.
  • 3vii. 18.
  • 4vii. 33 の後代の年代については Cf. Bergaigne, L'histoire de la Saṃhitā, 38, 72; Oldenberg, Prolegomena, 198, 200, 265, n. 1; Arnold, Vedic Metre, 309. Geldner, Vedische Studien, 2, 130 はこの見解に反対するが、説得的でない。

Dāśarma§

Dāśarma は Kāṭhaka Saṃhitā1 において師として、また Āruṇi の同時代人として現れる。

  • 1vii. 6. Cf. Weber, Indische Studien, 3, 472.

Dāsa§

DāsaDasyu と同じく、Ṛgveda1 において時に悪鬼的性格の敵を指すが、多くの箇所2 においてはこの語がアーリヤ人の人間の敵に関わる。Dāsa 族は砦(puraḥ)を有するものとして記述され3、その氏族(viśaḥ)が言及される。4「秋の」(śāradīḥ)と呼ばれるこれらの砦5 は神話的なものかもしれないが、そうである必要はない。というのもこの形容辞は、それらが秋の季節に拠り所とされたことに関わるかもしれないからである。Dāsa の色(Varṇa)6 はおそらく先住民の黒い皮膚への言及であり、これは直接にも言及されている。7 先住民は(Dasyu として)anās、「鼻なき」(か)8、および mṛdhra-vāc、「敵意ある言葉の」9 と呼ばれ、またおそらく Ṛgveda10 の男根崇拝者(śiśna-devāḥ、「男根を神とする者」)によって意味されている。

Ārya と Dāsa ないし Dasyu との宗教上の相違に絶えず言及がなされていることは意義深い。11

Dāsa 族は多くの場合奴隷に落とされたので、Dāsa という語は Ṛgveda の数箇所12 において「奴隷」の意を有する。女性形 Dāsī は Atharvaveda13 以降常にこの意味を有する。先住民の女性が疑いなく通常の奴隷であった。というのもその夫が戦で殺されれば、彼女らは自然に下女とされたであろうからである。彼女らはまた時に妾ともなった。かくして Kavaṣa は Aitareya Brāhmaṇa14 において、女奴隷の子(dāsyāḥ putraḥ)であると罵られている。

Ludwig15 は、若干の箇所16 において Dāsa が「敵」の意でアーリヤの敵に適用されると考えるが、これは不確かである。Zimmer17 と Meyer18 は、Dāsa19 が本来一般に「敵」を意味し、後にイランにおいては Caspia の草原の Dahae 族20 の名に、インドにおいては先住民の呼称に発展したと考える。他方 Hillebrandt21 は、Dāsa 族と Paṇi 族がともに言及されている22 から、両者が密接に関連する部族とみなされねばならないと論じ、Paṇi 族を Parni 族と、Ṛgveda の Dāsa 族を Dahae 族と同定する。

この見解はもとより、Dāsa 族が目立つ Ṛgveda の場面、とりわけ Divodāsa ──「天の Dāsa」── が重要な役割を演ずる場面23 を、遥か西方へ移すことを必要とする。Hillebrandt はこれを、Ṛgveda 第6巻の場面が、Sudās、Bharata 族、Vasiṣṭha、Viśvāmitra の現れる第7巻・第3巻の場面とはまったく異なるとみなすことによって正当化する。第6巻の Sarasvatī 川を彼は Arachosia に、第7巻のそれを「中つ国」に置く。しかしこの説が支持されうるかはきわめて疑わしい。Divodāsa が Dāsa でありながら他の Dāsa 族と戦ったというのは、それ自体ありそうにない。とりわけその子 Sudās がアーリヤ文明の主役として現れるだけになおさらである。また Sarasvatī 川を Arachosia に求めるのも道理にかなわぬと思われる。この川は「中つ国」に置くのが自然だからである。

Dāsa 族の富は疑いなく相当なものであったが24、文明において彼らが侵入者に匹敵したと想定する理由はない。25 主だった Dāsa は IlībiśaCumuriDhuniPipruVarcinŚambara である。先住民の部族名については KirātaKīkaṭaCaṇḍālaParṇakaŚimyu を見よ。

(訳注:底本の脚注2は末尾を「3, 1」と印刷するが、直前が x. 38, 3; 69, 6 と続くことから「83, 1」の誤植と判断して訂正した。)

  • 1Cf. Macdonell, Vedic Mythology, p. 157.
  • 2Cf. Rv. v. 34, 6; vi. 22, 10; 33, 3; 50, 6; vii. 83, 1; x. 38, 3; 69, 6; 83, 1; Av. v. 11, 3.
  • 3ii. 20, 8(āyasīḥ、「鉄で作られた」と呼ばれる); i. 103, 3; iii. 12, 6; iv. 32, 10. それらは i. 131, 4; 174, 2; vi. 20, 10 において śāradīḥ、「秋の」と呼ばれる。Cf. また vi. 47, 2 における dehyaḥ、「塁」。
  • 4ii. 11, 4; iv. 28, 4; vi. 25, 2.
  • 5Cf. Macdonell, Vedic Mythology, p. 60.
  • 6ii. 12, 4; Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, viii. 25, 6. Cf. Rv. i. 101, 1; 130, 8; ii. 20, 7; iv. 16, 13; vi. 47, 21; vii. 5, 3. Ārya の色は iii. 34, 9 に言及され、Dāsa は i. 104, 2 において(歌い手の)Varṇa と対比される。i. 100, 18 において Dasyu と Śimyu の征服を助ける「白い色をした(śvitnya)友」は疑いなくアーリヤ人である。Vājasaneyi Saṃhitā, xxiv. 30 においては、昼と夜(ahorātre)が Śūdrāryau ── すなわちおそらくアーリヤ人と Śūdra ── と並行させられている(この複合語は語を正しい順序で与えるものと解すべきではない。cf. Macdonell, Vedic Grammar, 268)。また Muir, Sanskrit Texts, 1², 140; Weber, Indische Studien, 10, 10, 11 を見よ。
  • 7kṛṣṇā tvac、「黒い皮」、i. 130, 8; ix. 41, 1.
  • 8Cf. Dasyu、注6、7。
  • 9v. 29, 10. Dasyu を見よ。Geldner, Rigveda, Glossar, 138.
  • 10vii. 21, 5; x. 99, 3. Cf. Macdonell, op. cit., p. 155.
  • 11Rv. i. 33, 4. 5; iv. 16, 9; v. 7, 10; 42, 9; vi. 14, 3; viii. 70, 10; x. 22, 7. 8 等。
  • 12vii. 86, 7; viii. 56, 3; x. 62, 10. Roth, St. Petersburg Dictionary, s.v., 2 は、viii. 46, 32 において Balbūtha を限定する dāse に代えて dāsān、「奴隷たち」と読むべきことを示唆する。Zimmer, Altindisches Leben, 117 はこの箇所を、アーリヤ人と Dāsa の血の混淆を示すものとして引く。また Av. iv. 9, 8; Chāndogya Upaniṣad, vii. 24, 2 を見よ。Rv. i. 92, 8 における rayi、「富」の形容辞としての dāsa-pravarga が「奴隷の群れから成る」を意味するかは不確かである。Geldner, Rigveda, Glossar, 82 は i. 158, 5 においてこの表現をかく解する。
  • 13Av. v. 22, 6; xii. 3, 13; 4, 9; Chāndogya Upaniṣad, v. 13, 2; Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, vi. 1, 10(Mādhyaṃdina 伝本 = 2, 7、Kāṇva 伝本)。Zimmer, 107 は Rv. viii. 19, 36 の vadhū にこの意味を見る。また Vadhūmant を見よ。
  • 14ii. 19; Kauṣītaki Brāhmaṇa, xii. 3.
  • 15Translation of the Rigveda, 3, 209.
  • 16i. 158, 5; ii. 13, 8; iv. 30, 14. 15; vi. 20, 10; vii. 99, 5; x. 49, 6, 7 を見よ。これらの箇所のいずれも必ずしもそのように解する必要はない。
  • 17Altindisches Leben, 110 et seq.
  • 18Geschichte des Altertums, 1, 515.
  • 19das を「荒らす」の意に解して(Whitney, Roots)派生させるならば、本来の意味は「荒らす者」「掠奪する者」であったろう。
  • 20Dahae 族は人種と言語においてイラン人と密接に結びついていたかもしれないが、これはあまり明瞭に証明されていない。Cf. Kuhn の Zeitschrift, 28, 214 における E. Kuhn; Hillebrandt, Vedische Mythologie, 1, 95. モンゴル系の血との混淆の可能性ないし蓋然性は常に存する。かくして Zimmer, op. cit., 112 は Hērodotos, i. 126 の Daoi ないし Daai を Turan 系の部族と呼ぶ。
  • 21Op. cit., 1, 94.
  • 22Rv. v. 34, 6. 7; vii. 6, 3(Dasyu と Paṇi がともに); Av. v. 11, 6.
  • 23Op. cit., 1, 96 et seq. 彼は Dāsa が第7 Maṇḍala には四度しか現れないのに第6 Maṇḍala には八度現れること、また同様に Dāsa たる Śambara が第6巻に六度、第7巻には二度しか言及されないことを論ずる。しかし Divodāsa は、Oldenberg がこの名を解するように、はるかに蓋然的に「天の僕」を意味する。同氏の Religion des Veda, 155, n. 1; Bergaigne, Religion Védique, 2, 209; 下記 p. 363, n. 11 を見よ。
  • 24Cf. Rv. i. 176, 4; iv. 30, 13; viii. 40, 6; x. 69, 5; Av. vii. 90, 2.
  • 25Cf. Rv. ii. 12, 11; iv. 30, 14; vi. 26, 5。これらから、Dāsa 族がしばしば山地の住人であったことが知られる。山地は敗れた部族の自然な避難所である。 Cf. Hillebrandt, Vedische Mythologie, 3, 269-275, 368; Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 207-213; Zimmer, Altindisches Leben, 101-118; Weber, Indische Studien, 18, 35(同氏は dāsa、「縛る」から導く), 254; Muir, Sanskrit Texts, 2, 359 et seq.; Geldner, Vedische Studien, 3, 96.

Dāsa-veśa§

Dāsa-veśa は Ṛgveda1 に一度のみ現れ、おそらく Veśa という名の Dāsa を指す。この語を「敵の滅び」と解する Sāyaṇa の解釈は正しいとは考えがたい。

  • 1ii. 13, 8. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 209.

Dāsya§

Dāsya は Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad(iv. 2, 30、Mādhyaṃdina 伝本 = 23、Kāṇva 伝本)に一度、「奴隷であること」の意で現れる。

Ditya-vāh§

Ditya-vāh(男性)、Dityauhī(女性)、「二歳の牡牛ないし牝牛」は、後期の諸 Saṃhitā および Brāhmaṇa1 に言及される。

  • 1Taittirīya Saṃhitā, iv. 3, 3, 1; v. 6, 15, 1; Vājasaneyi Saṃhitā, xiv. 10; xviii. 26; xxviii. 25; Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, xxi. 1 等。

Didyu, Didyut§

Didyu, Didyut はともに1 Ṛgveda において、神的なものであれ人間のものであれ「飛道具」「矢」を指す。

  • 1Didyu:i. 71, 5; iv. 41, 4; vii. 56, 9; 85, 2 等; Av. i. 2, 3; Vājasaneyi Saṃhitā, ii. 20; x. 17 等。Didyut:Rv. i. 66, 7; v. 86, 3; vii. 25, 1 等。ii. 13, 7 においては確実に神的なものである。

Didhiṣu§

Didhiṣu は Ṛgveda において「求婚者」を指す。それは葬送儀礼において夫の位置を占める親族、おそらく義兄弟に適用され1、この者はヘブライの逆縁婚におけると同じく、子がない場合には兄弟の妻によって子をもうけるべきものとされる。2, 3 Hillebrandt4 と Lanman5 は、この語が本来「求婚者」のみを意味し、Puruṣamedha すなわち「人身供犠」において正妃が死んだ犠牲の傍らに横たわった後、彼女を再び求める王に適用されたと考える。しかしこの見解はほとんど蓋然的でない。6 この語はまた神 Pūṣan7 にも、その母 ── 明らかに Sūryā8 ── の求婚者として適用される。

  • 1x. 18, 18 = Av. xviii. 3, 2(同箇所の didhiṣus は単なる悪しき読みである)= Taittirīya Āraṇyaka, vi. 1, 3.
  • 2Āśvalāyana Śrauta Sūtra, iv. 2, 18。同箇所には義兄弟(devṛ)、夫の代理人(前者と同一であるか否かを示すものは何もない)、弟子、あるいは老いた僕(jarad-dāsa)が言及されている。
  • 3Cf. Rv. x. 40, 2; Kaegi, Der Rigveda, n. 51.
  • 4Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 40, 708 et seq.
  • 5Sanskrit Reader, 385.
  • 6Whitney, Translation of the Atharvaveda, 848, 849; Keith, Journal of the Royal Asiatic Society, 1907, 946 を見よ。
  • 7vi. 55, 5.
  • 8Cf. Pischel, Vedische Studien, 1, 21; Macdonell, Vedic Mythology, p. 35. Cf. Geldner, Rigveda, Kommentar, 154.

Didhiṣū-pati§

Didhiṣū-pati は Kāṭhaka1 および Kapiṣṭhala2 の両 Saṃhitā に、また Āpastamba3、Gautama4、Vasiṣṭha5

各 Dharma Sūtra に、罪(enas)を犯した者の一覧のうちに現れる。伝統的な訳6 は「再婚した女の夫」である。Manu7 はこの語を、兄弟の死後に子をもうけるために義姉妹と「結婚した」義兄弟が、彼女に対して夫婦の愛情を示す場合(anurajyate kāmataḥ)に適用しているようである。8 この意味はありうるであろう。というのも Didhiṣu は「求婚者」を指し、寡婦は自らの配偶者の選択を左右しうるとき「求婚者」とみなされえたからである。しかし別の伝承9 は、Didhiṣū が妹に先を越されて嫁いだ姉を意味するとする。この見解は Vasiṣṭha Dharma Sūtra10 の一箇所によって、また agre-didhiṣū-pati11 という語 ── これは「姉より先に嫁いだ妹の夫」を意味するに違いない ── の用法によって支持される。この場合にも Didhiṣū は「求婚者」を意味するであろう。姉がそう呼ばれるのは、その親が彼女のために婚姻を取り決めない場合、Viṣṇu12 によれば彼女は自ら夫を選ばねばならない(kuryāt svayaṃvaram)からである。Edidhiṣuḥpati および Daidhiṣavya をも見よ。

  • 1xxxi. 7。Delbrück, Die indogermanischen Verwandtschaftsnamen, 579 に引かれる。
  • 2xlvii. 7。ibid., 579, 580 に引かれる。
  • 3ii. 5, 12, 22.
  • 4xv. 16.
  • 5i. 18; xx. 7 et seq.
  • 6St. Petersburg Dictionary, s.v. didhiṣu, 3.
  • 7iii. 173.
  • 8Cf. Leist, Alt-arisches Jus Gentium, 106.
  • 9Laugākṣi、Manu, iii. 160 への Kullūka の注に引かれる。Āpastamba, loc. cit. への注釈。
  • 10xx. 7 et seq.
  • 11Cf. agre-didhiṣu、「(姉が嫁ぐ)前に(妹に)求婚する者」、Āpastamba, loc. cit.; Gautama, xv. 16; Vasiṣṭha, i. 18; Kāṭhaka, loc. cit.;agre-dadhus、Maitrāyaṇī Saṃhitā, iv. 1, 9;agre-dadhiṣu、Kapiṣṭhala, loc. cit.;agra-didhiṣu、Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 2, 8, 11.
  • 12Viṣṇu Dharma Sūtra, xxiv. 40. Cf. Delbrück, op. cit., 579-586.

Div§

Div、「天」。世界は全体として「地」「空」ないし「大気」「天」ないし「空界」(div)の三領域に分たれたものとみなされ1、あるいは代わりに「天地」(dyāvā-pṛthivī)2 に分たれ、この二者が宇宙を成すものとみなされて、大気は天に含められる。稲妻・風・雨は大気に属し、太陽その他

同様の現象は天に属する。若干の箇所3 においては、通常の三組の後、天上の光(svar, jyotis)の前に、天の穹窿(nāka)が加えられる。

宇宙の三分は、三要素 ── 地・空・天 ── 各々の三分に反映される。かくして最高の(uttama4uttara5pārya6)天、中間の天、最下の天が特定される。Atharvaveda7 においては三つの天が「水に富む」(udanvatī)、pīlumatī(意味不確か)、および Pitṛ の坐する pradyaus として区別されている。天はしばしば vyoman とも rocana8(本来は天の「輝く空間」)とも呼ばれ、目に見える上界を最高天から隔てる分ける穹窿は、nāka「穹窿」のほかに sānu「頂」、viṣṭap「面」、pṛṣṭha「稜」と呼ばれ、さらには「穹窿の稜」9 ないし「穹窿の頂」10 とも呼ばれる。

同様に三つの大気(rajas)、あるいはより多くは二つが言及されるが11、ここでの区分は単に人為的なものにすぎない。一箇所12 においては六つの rajāṃsi、「領域」に言及があるが、疑いなく諸天と諸地が意味されている。大気の通常の名は antarikṣa である。

三つの地も同様に人為的であり、この三組の起源はおそらく pṛthivī を複数形13 で用いて宇宙の三区分を指すことにある(ちょうど pitarau、「二人の父」が「父と母」を指すのと同様である)。14 地は kṣam, kṣā, gmā と呼ばれ、あるいは mahī「大いなるもの」、pṛthivī ないし urvī「広きもの」、uttānā「広がれるもの」という形容辞によって指され、また常に idam、「この下界」として上界と対比される。15

地の形は Ṛgveda16 において車輪に比され、Śatapatha Brāhmaṇa17 においては明示的に「円い」(pari-maṇḍala)と呼ばれる。地が天と結びつけられるとき、両者は互いに向き合った大きな鉢(camvā)として捉えられる。18 Aitareya Āraṇyaka19 においては両者が卵の半分とみなされている。天の地からの距離は、Atharvaveda20 によれば日の鳥にとって千日の旅路、Aitareya Brāhmaṇa21 によれば馬にとって千日の旅路であり、他方 Pañcaviṃśa Brāhmaṇa22 は奇想天外にも、この距離を千頭の牛が互いの上に立ち重なるのに等しいと見積もる。

Zimmer23 によれば、ヴェーダの詩人たちは大気がその上層においてのみ地の上にあり、下層においては地の下にあると捉えていた。しかし後者の想定についての証拠24 はまったく不十分である。25 Aitareya Brāhmaṇa26 の説では、太陽は夜には単にその明るい面を反転させ、東へ戻る道を辿る間、その光を星々と月に向けるのである。そしてこれがおそらく Ṛgveda の教説でもあることが示されている。25, 27 Sūrya および Candramās をも見よ。惑星についてのヴェーダの知識については Graha を見よ。

ヴェーダ文献には地の地理的区分はない。Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa28 は、地の中心が Plakṣa Prāsravaṇā の一拃北方にあり、天の中心が七聖仙の星座、すなわち大熊座であると述べる。方位については Diś を見よ。

(訳注:底本の電子テキストは、本文中「Ṛgveda の教説でもある」の直後に、後段の一句「literature. The Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa」を誤って重複挿入している。組版上の乱れと判断して除いた。また脚注4および25がそれぞれ二度印刷されているため、一組に整理した。)

  • 1Rv. ii. 40; viii. 6, 15; 10, 6; 90, 6 等。
  • 2Rv. i. 143, 2; 159, 1; 160, 1; iv. 14, 2 等; Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, iii. 8, 3, 9; Chāndogya Upaniṣad, vii. 4, 2; viii. 1, 3. Aitareya Āraṇyaka, iii. 1, 2 および Śāṅkhāyana Āraṇyaka, vii. 3 においては、激しく絶え間ない雨が降るとき人々は「天と地が結ばれた」と言うとされている。
  • 3Av. iv. 14, 3 = Vājasaneyi Saṃhitā, xvii. 67.
  • 4Rv. v. 60, 6.
  • 5Rv. iv. 26, 6.
  • 6Rv. vi. 40, 5. Rv. v. 4, 3 においては tṛtīya と呼ばれる。
  • 7xviii. 2, 48.
  • 8Trīṇi ないし trī rocanā、Rv. i. 102, 8; 149, 4; v. 69, 1 等。
  • 9Rv. i. 125, 5. Cf. iii. 2, 12.
  • 10Rv. viii. 103, 2. Cf. また ix. 86, 27.
  • 11Rv. iv. 53, 5; v. 69, 1. Cf. また「最高の」大気への言及 ── uttama, ix. 22, 5;parama, iii. 30, 2;tṛtīya, ix. 74, 6; x. 45, 3; 123, 8。「下の」(upara)ないし「地上の」(pārthiva)空間は「天の」(divya)空間と対比される。i. 62, 5; iv. 53, 3 を見よ。
  • 12Rv. i. 164, 6. Cf. vii. 87, 5.
  • 13Rv. i. 188, 9. 10; vii. 104, 11.
  • 14Cf. Delbrück, Altindische Syntax, p. 98; Macdonell, Sanskrit Grammar, 183c(p. 158)。
  • 15Rv. i. 22, 17; 154, 1. 3、また後期の諸 Saṃhitā および Brāhmaṇa において常に。
  • 16x. 89, 4. 他方、地は Rv. x. 58, 3 において catur-bhṛṣṭi、「四隅を有する」とみなされている。
  • 17Macdonell, Vedic Mythology, p. 9.
  • 18Rv. iii. 55, 20.
  • 19iii. 1, 2; Śāṅkhāyana Āraṇyaka, vii. 3.
  • 20x. 8, 18 = xiii. 2, 38; 3, 14.
  • 21ii. 17. Cf. Āśvina.
  • 22xvi. 8, 6。xxi. 1, 9 においては、馬の旅の千日、あるいは太陽の千日、あるいは千リーグという選択肢が挙げられる。
  • 23Altindisches Leben, 357, 358.
  • 24Rv. v. 81, 4; vi. 9, 1; vii. 80, 1.
  • 25Macdonell, Vedic Mythology, p. 10.
  • 26iii. 44, 4. この箇所についての Speyer の解釈(Journal of the Royal Asiatic Society, 1906, 723-727)は、Macdonell, loc. cit. によって先取りされ、かつ補完されている。
  • 27i. 115, 5; x. 37, 3.
  • 28iv. 26, 12. Cf. Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, xxv. 10, 16; Hopkins, Transactions of the Connecticut Academy of Arts and Sciences, 15, 31, n. 2. Cf. Bergaigne, Religion Védique, 1, 1-3; Wallis, Cosmology of the Rigveda, 111-117; Zimmer, op. cit., 357-359; Macdonell, op. cit., pp. 8-11; Thibaut, Astronomie, Astrologie und Mathematik, 5, 6; Weber, Indische Studien, 9, 358-364.

Divodāsa Atithigva§

Divodāsa Atithigva は初期ヴェーダ時代の主だった王侯の一人である。彼は Vadhryaśva1 の子であり、Bharata 族のうちの Tṛtsu 家の名高い王 Sudās の父、あるいはより蓋然的には祖父であった。おそらく Pijavana が子で Sudās が孫であった。Divodāsa は当然 Bharata2 であり、Sudās と同じく Turvaśa 族および Yadu 族の敵であった。3 その大いなる敵は Dāsa たる Śambara であり、彼は明らかに山地の民の首長であって4、Divodāsa は繰り返しこれを打ち破った。5 彼はまた、その父 Vadhryaśva6 と同じく火の祭祀の精力的な支持者であったと思われる。というのも Ṛgveda7 において Agni が一度彼の名で呼ばれているからである。他方、彼は Āyu および Kutsa とともに Indra の助けによって敗れた。数箇所において彼は歌い手の家系 Bharadvāja 族と密接に結びついていると思われる。8

Divodāsa が Paṇi 族、Pārāvata 族、Bṛsaya に対して戦ったと言われる一箇所9 から、Hillebrandt10 は彼が Arachosia の諸部族との抗争に従事していたと推論し、この名を「天の Dāsa」11 と解して、彼自身が Dāsa であったと推測する。この結論は蓋然的でない。というのも当該の戦の行われた Sarasvatī 川は、Arachosia の Haraqaiti 川であるとはほとんど考えがたく、自然には後代の Sarasvatī 川を指すであろうし、他方 Pārāvata 族は Pañcaviṃśa Brāhmaṇa12 において東方、Yamunā 川のあたりにあるものとして言及されているからである。Bergaigne の

見解13、すなわち Divodāsa と Atithigva が別人であるとする説は、両者の行為の完全な並行性に鑑みて支持しえない。14 Pratardana をも見よ。

Divodāsa の民が Ṛgveda の一讃歌15 に言及されている。

  • 1Rv. vi. 61, 1.
  • 2Rv. vi. 16, 4, 5, 19. Sudās が彼の後裔であることについては vii. 18, 25 を第23詩節とともに見よ。同詩節では Paijavana が Sudās の形容辞である。
  • 3Atithigva としては Rv. vii. 19, 8;Divodāsa としては ix. 61, 2.
  • 4Rv. i. 130, 7; ii. 12, 11; vi. 26, 5; vii. 18, 20. Cf. Macdonell, Vedic Mythology, p. 161.
  • 5Rv. i. 112, 14; 116, 18; 119, 4; 130, 7-10; ii. 19, 6; iv. 26, 3; 30, 20; vi. 26, 3. 5; 43, 1; 47, 21. 22; ix. 61, 2 を見よ。
  • 6Rv. x. 69, 1 et seq. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 176; Hillebrandt, Vedische Mythologie, 1, 96, n. 2.
  • 7Daivodāsa、「Divodāsa によって崇拝される」;viii. 103, 2. Cf. vi. 16, 5. 19; 31, 1. Indra による敗北については cf. Rv. i. 53, 10; ii. 14, 7; vi. 18, 13; viii. 64, 2; Bergaigne, Religion Védique, 2, 337, 344.
  • 8Cf. Rv. i. 112, 13, 14; 116, 18; vi. 16, 5; 31, 4; 47, 22 et seq.; Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, xv. 3, 7; Hillebrandt, op. cit., 1, 104.
  • 9vi. 61, 1 et seq.
  • 10Op. cit., 1, 97 et seq.
  • 11これはきわめて蓋然性が低い。Bergaigne, op. cit., 2, 209; Oldenberg, Religion des Veda, 155; Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 49, 175; 51, 272 を見よ。
  • 12ix. 4, 11. Pārāvata を見よ。
  • 13Op. cit., 2, 342 et seq.
  • 14例えば vii. 19, 8 と ix. 61, 2 とを比較せよ(Turvaśa と Yadu に対立する)。また i. 51, 6; vi. 26, 3 と ii. 19, 6; vi. 31, 4 とを(Śambara の敗北)。また Hillebrandt, op. cit., 3, 268; Oldenberg, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 42, 210 et seq.; Macdonell, op. cit., p. 161 を見よ。
  • 15i. 130, 10(Parucchepa に帰される一連の讃歌の一つ)。 Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 126; Oldenberg, Buddha, 406; Ludwig, op. cit., 3, 114, 176; Grierson, Journal of the Royal Asiatic Society, 1908, 604, 837; Keith, ibid., 831 et seq.; 1138 et seq. Roth, St. Petersburg Dictionary, s.v. は二人の Divodāsa を区別し、一人は Sudās の祖先ないし父、他は Śambara の敵とする。Divodāsa は第3、第5、第8、第10 Maṇḍala には言及されない。

Divo-dāsa Bhaima-seni§

Divo-dāsa Bhaima-seni(「Bhīmasena の後裔」)は、Kāṭhaka Saṃhitā1 において Āruṇi の同時代人として言及されている。

  • 1vii. 1, 8. Cf. Weber, Indische Studien, 3, 472.

Divya§

Divya、「神判」は、後代の文献に至るまで見出されない語であるが、神判の慣行への言及が数箇所ヴェーダ文献に見出されてきた。Schlagintweit2、Weber3、Ludwig4、Zimmer5 その他によって Atharvaveda1 に見出された火の神判は、Grill6、Bloomfield7、Whitney8 によって反証された。しかしそのような神判は Pañcaviṃśa Brāhmaṇa9 に現れ、また灼熱した斧による神判10 が Chāndogya Upaniṣad において窃盗の告発に適用されるものとして現れる。Geldner11 は、この慣行が Ṛgveda12 においてすら言及されていると示唆するが、これはきわめて蓋然性が低い。13 Ludwig14 と Griffith15 は Ṛgveda の別の箇所16

Dīrghatamas が火と水の神判に付されたことへの言及を見出すが、この見解は支持しえない。Weber17 によれば「天秤」の神判が Śatapatha Brāhmaṇa18 に言及されているが、Tulā を見よ。

  • 1ii. 12.
  • 2Die Gottesurtheile der Indier, 13 et seq.
  • 3Indische Studien, 13, 168.
  • 4Translation of the Rigveda, 3, 445.
  • 5Altindisches Leben, 184.
  • 6Hundert Lieder,² 45, 87.
  • 7Journal of the American Oriental Society, 13, ccxxi; American Journal of Philology, 11, 334, 335; Hymns of the Atharvaveda, 294.
  • 8Translation of the Atharvaveda, 54.
  • 9xiv. 6, 6.
  • 10Chāndogya Upaniṣad, vi. 16.
  • 11Vedische Studien, 2, 150.
  • 12iii. 53, 22.
  • 13Oldenberg, Ṛgveda-Noten, 1, 254.
  • 14Op. cit., 4, 44.
  • 15Hymns of the Rigveda, 1, 210.
  • 16i. 158, 4 et seq.
  • 17Indische Streifen, 1, 21; 2, 363.
  • 18xi. 2, 7, 33. Cf. Jolly, Recht und Sitte, 145; Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 44, 347, 348; Stenzler, ibid., 9, 669 et seq.

Divya Śvan§

Divya Śvan、「神なる犬」は、Atharvaveda の一箇所1 において大犬座すなわち Sirius を指すと思われる。しかし Bloomfield2 は、Maitrāyaṇī Saṃhitā3 および Taittirīya Brāhmaṇa4 に言及される二匹の神なる犬が太陽と月であり、Atharvaveda においては太陽が意味されていると考える。

  • 1vi. 80, 1.
  • 2Journal of the American Oriental Society, 15, 163; Hymns of the Atharvaveda, 500, 501.
  • 3i. 6, 9.
  • 4i. 1, 2, 4-6. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 353; Whitney, Translation of the Atharvaveda, 341.

Diś§

Diś、「方位」は、Ṛgveda および後代1 にきわめてしばしば用いられ、天の一方位を指す。原則として四方位 ── 東、南、西、北 ── が言及される。2 しかし「方位」の数はこの四つに種々のものを加えて時に十まで増やされる。五方位は天頂(ūrdhvā)を含む。3 六方位は天頂と天底(ūrdhvāavācī)を含む。4 七方位は天頂、人の立つ地(dhruvā)、およびこの二者の間の空(antarikṣa)すなわち vyadhvā を含む。5 八方位は中間の方位(東南・西南・東北・西北)を含む。6 九方位はこれらに天頂を加え7、十方位は天頂と天底を加える。8

五という数は時に、観測者の足下の地(dhruvā)によって満たされ9、六という数はその点(dhruvā)と天頂(ūrdhvā)によって満たされる。10「高きもの」(bṛhatī)11 が時に「垂直のもの」(ūrdhvā)に代わる。

  • 1Rv. i. 124, 3; 183, 5; iii. 30, 12; Av. iii. 31, 4; xi. 2, 12 等。
  • 2Rv. vii. 72, 5; x. 36, 14; 42, 11; Av. xv. 2, 1 et seq. 等。
  • 3Taittirīya Saṃhitā, vii. 1, 15; Maitrāyaṇī Saṃhitā, ii. 8, 9.
  • 4Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 12, 8; Vājasaneyi Saṃhitā, xxii. 24; Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, iv. 2, 4.
  • 5Rv. ix. 114, 3; Av. iv. 40, 1; Śatapatha Brāhmaṇa, vii. 4, 1, 20; ix. 5, 2, 8; Taittirīya Āraṇyaka, i. 7.
  • 6Taittirīya Saṃhitā, vii. 1, 15; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 8, 1, 40 等。
  • 7Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xvi. 28, 2.
  • 8Rv. i. 164, 14; viii. 101, 13; Śatapatha Brāhmaṇa, vi. 2, 2, 34; viii. 4, 2, 13 等。
  • 9Av. viii. 9, 15; xiii. 3, 6; xv. 14, 1-5; Vājasaneyi Saṃhitā, ix. 32; Śatapatha Brāhmaṇa, ix. 4, 3, 10。また cf. Dhruvā.
  • 10Av. iii. 27, 1; iv. 14, 8; xii. 3, 55; xv. 4, 1 et seq.; xviii. 3, 34; Aitareya Brāhmaṇa, viii. 14 等。Cf. Rv. x. 14, 16.
  • 11Vājasaneyi Saṃhitā, xiv. 13; Kāṭhaka Saṃhitā, xvii. 8. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 359; Weber, Proceedings of the Berlin Academy, 1895, 846; Indische Studien, 17, 293, 294; 18, 153; St. Petersburg Dictionary, s.v.

Dīrgha-tamas§

Dīrgha-tamas(「長き闇」)Māmateya(「Mamatā の子」)Aucathya(「Ucatha の子」)は、Ṛgveda の一讃歌1 において歌い手として言及され、また数箇所2 においては母称 Māmateya のみで言及されている。彼は Ṛgveda1 においても Śāṅkhāyana Āraṇyaka3 においても、生の第十の十年に達したと言われる。Aitareya Brāhmaṇa4 においては Bharata の祭官として現れる。Bṛhaddevatā5 は Ṛgveda6 の断片から作り上げた不合理な伝説を含む。それによれば Dīrghatamas は生まれつき盲目であったが視力を回復した。老年に至って僕たちによって川に投げ込まれ、そのうち一人 Traitana が彼を襲ったが、代わりに自ら命を落とした。流れに運ばれて彼は Aṅga の地に打ち上げられ、そこで女奴隷 Uśij を娶り Kakṣīvant をもうけた。ここで結合されている二つの伝説は整合してすらいない。というのも第二のものは Dīrghatamas の視力回復を無視しているからである。Pargiter7 のようにこれらに何らかの史的重要性を付すのは賢明でないと思われる。

(訳注:底本ではこの項の脚注1が二度重複して現れる。一つに整理した。)

  • 1i. 158, 1. 6.
  • 2i. 147, 3; 152, 6; iv. 4, 13. viii. 9, 10 においては Dīrghatamas が Kakṣīvant とともに言及されるが、親族としてではない。
  • 3ii. 17; Keith, Śāṅkhāyana Āraṇyaka, 14.
  • 4viii. 23.
  • 5iv. 11-15; 21-25、Macdonell の注とともに。
  • 6i. 140-164 から。これらの讃歌は伝統的に Dīrghatamas に帰される。ただし Oldenberg, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 42, 221 を見よ。
  • 7Journal of the Royal Asiatic Society, 1910, 44. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 164, 165; Muir, Sanskrit Texts, 1², 226, 232, 247, 268, 279.

Dīrgha-nītha§

Dīrgha-nītha は Ṛgveda の一讃歌1 において祭主の固有名詞であると思われる。

  • 1viii. 50, 10. Cf. Roth, St. Petersburg Dictionary, s.v. Ludwig はこの語を「長く続く」を意味する形容詞と解する。

Dīrgha-śravas§

Dīrgha-śravas(「遠くまで名高い」)は王仙の名であり、Pañcaviṃśa Brāhmaṇa1 によれば、王国から追放され実際に飢餓に苦しんでいたとき或る Sāman(詠唱)を「感得し」、かくして食を得た。Ṛgveda の一箇所2 においては Auśija3 なる商人(vaṇij)が dīrgha-śravas として言及されるが、これは Sāyaṇa の解するように固有名詞でもありうるし、Roth4 の解するように形容詞でもありうる。

  • 1xv. 3, 25.
  • 2i. 112, 11.
  • 3Sāyaṇa によれば母称「Uśij の後裔」。しかし Roth, St. Petersburg Dictionary, s.v. によれば「望む」を意味する形容詞。
  • 4St. Petersburg Dictionary, s.v. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 114.

Dīrghāpsas§

Dīrghāpsas は Ṛgveda1 において戦車の形容辞として用いられ、Roth2 によれば「長い前部を有する」を意味する。

  • 1i. 122, 15.
  • 2St. Petersburg Dictionary, s.v. Cf. Pischel, Vedische Studien, 1, 312.

Dīrghāyutva§

Dīrghāyutva、「長寿」は、ヴェーダ時代のインド人の祈願の絶えざる対象であり1、諸 Saṃhitā および Brāhmaṇa において長命が忌まれることは決してない。他方 Atharvaveda2 は生を延ばすことを意図した呪文(āyuṣyāṇi)に満ちている。

  • 1Rv. x. 62, 2; Av. i. 22, 2 等; Vājasaneyi Saṃhitā, xviii. 6; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 9, 1, 13 等。かくして形容詞 dīrghāyus は Rv. iv. 15, 9. 10; x. 85, 39; Vājasaneyi Saṃhitā, xii. 100 等に。Brāhmaṇa 文献は儀礼行為の報いを常に sarvam āyur eti、「彼はその全き寿を生きる」という句で表す。生の理想は100年である。Weber, Indische Studien, 17, 193; Festgruss an Roth, 137; Lanman, Sanskrit Reader, 384 を見よ。
  • 2ii. 13; 28; 29; vii. 32、その他多くの讃歌。Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, 49 et seq.; Atharvaveda, 63-65 を見よ。

Dīrghāraṇya§

Dīrghāraṇya、「広大な森林地帯」は、Aitareya1 および Śatapatha2 の両 Brāhmaṇa において、当時明らかに北インドを覆っていたに違いない

広大な密林に関わる。Aitareya の一箇所3 においては、東方では村々が互いに近く数多いのに対し、西方では森林があると言われている。

  • 1iii. 44; vi. 23.
  • 2xiii. 3, 7, 10.
  • 3iii. 44.

Dīv§

Dīv(女性)は Ṛgveda1 および Atharvaveda2 において「賽の遊び」を指す。Akṣa を見よ。

  • 1x. 27, 17.
  • 2vii. 50, 9; 109, 5.

Dughā§

Dughā、「乳を出す」は、諸 Saṃhitā の若干の箇所1 において「牝牛」を指す。

  • 1Rv. viii. 50, 3; x. 67, 1; Vājasaneyi Saṃhitā, xxviii. 16, 39 等。

Dundubhi§

Dundubhi は明らかに擬音語であり、戦時にも平時にも用いられる「太鼓」を意味する。Ṛgveda1 以降しばしば言及される。2 特別な種類の太鼓は「地の太鼓」であり、地に穴を掘って皮で覆って作られた。これは Mahāvrata ── 冬至に行われる儀礼 ── において、太陽の帰還に敵対する影響を追い払う目的で用いられた。3「太鼓を打つ者」が Puruṣamedha すなわち「人身供犠」における犠牲者の一覧に含まれている。4

  • 1i. 28, 5; vi. 47, 29. 31.
  • 2Av. v. 20, 1 et seq.; 21, 7; 31, 7; vi. 38, 4; xii. 1, 41; Taittirīya Brāhmaṇa, i. 3, 6, 2; Śatapatha Brāhmaṇa, v. 1, 5, 6;dundubhya、「太鼓に連なる」、Vājasaneyi Saṃhitā, xvi. 35.
  • 3Kāṭhaka Saṃhitā, xxxiv. 5(Indische Studien, 3, 477); Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xvii. 14, 11; Aitareya Āraṇyaka, v. 1, 5、Keith の注とともに; Hillebrandt, Vedische Mythologie, 1, 148, n. 2; Friedlaender, Śāṅkhāyana Āraṇyaka, 29, 45.
  • 4Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 4, 13, 1(Vājasaneyi Saṃhitā にはない)。Cf. Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, ii. 4, 6. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 289. また叙事詩における戦の太鼓については Hopkins, Journal of the American Oriental Society, 13, 318.

Dur§

Dur は Ṛgveda1 において数度、字義通りにも比喩的にも「扉」を指すのに用いられる。

  • 1i. 68, 10; 113, 4; 121, 4; 188, 5; ii. 2, 7 等。

Duroṇa§

Duroṇa は Ṛgveda1 において、また時に後代2 にも、字義通りにも比喩的にも「家」を指すのに用いられる。Gṛha を見よ。

  • 1iii. 1, 18; 25, 5; iv. 13, 1; v. 76, 4 等。
  • 2Av. vii. 17, 3; Vājasaneyi Saṃhitā, xxxiii. 71 等。

Dur-ga§

Dur-ga、「近づきがたい」は、Ṛgveda において中性名詞としてのみ現れ、時に「砦」「要害」の意を有する。1 Cf. Pur.

  • 1v. 34, 7; vii. 25, 2.

Dur-gaha§

Dur-gaha は Ṛgveda の一讃歌1 に言及され、そこではその孫たちが寛大さのゆえに讃えられている。もっとも Sāyaṇa はこの語を形容詞的に訳す。2 しかし Ṛgveda の別の箇所3 においては、Sāyaṇa は Daurgaha という形容辞のうちに、Durgaha の子としての Purukutsa の記述を見る。この者は敵に捕らえられたか殺されたかしたが、その妻 Purukutsānī はその後、家系を回復するために子 Trasadasyu を得た。彼はまたこの解釈を支持して、Bṛhaddevatā4 には見出されない物語を引く。他方 Śatapatha Brāhmaṇa5 は Daurgaha を馬の意に解しているようである。Sieg6 は、Ṛgveda の当該箇所においても同じ意味を採るべきだと考え、これを、王 Purukutsa が子を得るために Daurgaha という馬を犠牲に供したことに関わるものと解する。彼はまた Pischel7 および Ludwig8 とともに、Dadhikrāvan に実在の馬、すなわち Trasadasyu の軍馬を見る。しかし Śatapatha Brāhmaṇa の Daurgaha の解釈は疑わしく、また Dadhikrāvan の場合から支持を得るものとはみなしえない。この者はおそらく神格であって、実在の馬ではまったくなかったからである。9

  • 1viii. 65, 12.
  • 2「苦しみに沈んだ」(duḥkhaṃ gāhamāna)。
  • 3iv. 42, 8.
  • 4Roth, St. Petersburg Dictionary, s.v. はそこにあると言うが。
  • 5xiii. 5, 4, 5. Naighaṇṭuka(i. 14)によれば、Daurgaha は「馬」の同義語である。
  • 6Die Sagenstoffe des Ṛgveda, 96-102.
  • 7Vedische Studien, 1, 124.
  • 8Translation of the Rigveda, 4, 79. Cf. Oldenberg, Religion des Veda, 71.
  • 9Macdonell, Vedic Mythology, pp. 148, 149. Cf. Ludwig, op. cit., 3, 163, 174; Oldenberg, Ṛgveda-Noten, 1, 301, 302.

Dur-ṇāman§

Dur-ṇāman、「悪しき名の」は、Ṛgveda1 および Atharvaveda2 において病をもたらす悪鬼、あるいは病そのものの呼称である。Nirukta3 はこの語を「虫」の意と説明するが、この解釈は病をもたらす虫についての広く行き渡った信仰と合致する。4 後代には Durnāman は「痔」を指す。5

  • 1x. 162, 2.
  • 2ii. 25, 2; viii. 6, 1 et seq.; xvi. 6, 7; xix. 36, 1 et seq. 女性形 Durṇāmnī も同様、iv. 17, 5; xix. 36, 6.
  • 3vi. 12.
  • 4Bloomfield, Atharvaveda, 61; Hymns of the Atharvaveda, 314 et seq., 351.
  • 5Suśruta, 1, 177, 10 等。

Dur-mukha§

Dur-mukha、「醜い顔の」は、Aitareya Brāhmaṇa1 における Pāñcāla すなわち Pañcāla の王の名であり、彼は世界を征服し、その祭官は Bṛhaduktha であった。

  • 1viii. 23. 読みは a-rājā、「王ならぬ」でありうるが、その必要はない。

Durya§

Durya、「扉ないし家に属する」は、諸 Saṃhitā の数箇所1 において複数形の名詞として現れ、「門柱」、あるいはより一般に「住居」を指す。

  • 1男性複数:Rv. i. 91, 19; x. 40, 12; Taittirīya Saṃhitā, i. 6, 3, 1; Vājasaneyi Saṃhitā, i. 11。女性複数:Rv. iv. 1, 9. 18; 2, 12; vii. 1, 11.

Duryoṇa§

Duryoṇa は Ṛgveda1 に数度、「家」の意で現れる。

  • 1i. 174, 7; v. 29, 10; 32, 8.

Dur-varāha§

Dur-varāha はおそらく「猪」を指す。それは Śatapatha Brāhmaṇa1 および Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa2 に言及される。

  • 1xii. 4, 1, 4.
  • 2i. 51, 4(Journal of the American Oriental Society, 23, 332)。

Dulā§

Dulā. Nakṣatra(Kṛttikās)を見よ。

Duś-carman§

Duś-carman、「皮膚病に冒された」は、Taittirīya Saṃhitā1 および Taittirīya Brāhmaṇa2 に現れる。意味されている病はおそらく癩であり、その通常の名は Kilāsa3 である。

  • 1ii. 1, 4, 3; 5, 1, 7.
  • 2i. 7, 8, 3.
  • 3Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, xiv. 3, 17; xxiii. 16, 11; Taittirīya Āraṇyaka, v. 4, 12.

Duḥ-śāsu§

Duḥ-śāsu は Ṛgveda1 においておそらく固有名詞であり、その場合 Kuruśravaṇa の敵を指すことになろう。Ludwig2 は彼が Parśu すなわちペルシア人であったと考えるが、これはきわめて蓋然性が低く、この語は単に「悪意ある」を意味する形容詞であるかもしれない。

  • 1x. 33, 1.
  • 2Translation of the Rigveda, 3, 165.

Duḥ-śīma§

Duḥ-śīma は Ṛgveda1 において寛大な贈与者として言及され、その父称はおそらく Tānva2 である。

  • 1x. 93, 14.
  • 2x. 93, 15. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 166.

Duṣ-ṭarītu§

Duṣ-ṭarītu、「打ち破りがたい」は、Sṛñjaya 族の王の名である。Śatapatha Brāhmaṇa1 によれば、彼は十代にわたって存続した王権から廃されたが、Balhika Prātipīya の抵抗にもかかわらず Cākra Sthapati によって復位させられた。

  • 1xii. 9, 3, 1 et seq. Cf. Weber, Indische Studien, 1, 205-207.

Duḥ-ṣanta§

Duḥ-ṣanta. Dauḥṣanti を見よ。

Duhitṛ§

Duhitṛ は Ṛgveda 以降、「娘」を表す通常の呼称である。1 この語は duh、「乳を搾る」から派生すると思われるが、原初的家族における「乳を搾る者」としてでも乳を吸う者としてでもなく、子を養う者という意味においてである。2 StrīPatiPitṛBhrātṛ をも見よ。

  • 1Rv. viii. 101, 15; x. 17, 1; 40, 5; 61, 5, 7; Av. ii. 14, 2; vi. 100, 3; vii. 12, 1; x. 1, 25; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 7, 4, 1; 8, 1, 8 等。
  • 2Delbrück, Die indogermanischen Verwandtschaftsnamen, 454.

Dūta§

Dūta、「使者」ないし「使節」は、Ṛgveda1 および後代2 に数度、比喩的に用いられて見出される。Sūta が、後に Dūta に割り当てられた任務を果たしていたと思われる。

  • 1iii. 3, 2; vi. 8, 4; vii. 3, 3; x. 14, 12.
  • 2Av. viii. 8, 10 等; Śatapatha Brāhmaṇa, iii. 5, 1, 6; Kauṣītaki Upaniṣad, ii. 1 等。女性形 Dūtī は Rv. x. 108, 2, 3 において、Saramā の Paṇi 族への使いの物語に見出される。Dūtya、「使命」は Rv. i. 12, 4; 161, 1; iv. 7, 8; 8, 4 等に現れる。

Dūrvā§

Dūrvā、一種の草(Panicum dactylon、ギョウギシバ)は、Ṛgveda1 以降しばしば言及される。2 それは湿った地に生えた。3 Ṛgveda4 に現れる譬えは、穂が茎と水平に横たわっていたことを示すと思われる。Cf. Pākadūrvā.

  • 1x. 16, 13; 134, 5; 142, 8.
  • 2Taittirīya Saṃhitā, iv. 2, 9, 2; v. 2, 8, 3; Vājasaneyi Saṃhitā, xiii. 20; Aitareya Brāhmaṇa, viii. 5. 8; Śatapatha Brāhmaṇa, iv. 5, 10, 5; vii. 4, 2, 10, 12 等。
  • 3Rv. x. 16, 13; 142, 8.
  • 4x. 134, 5. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 70.

Dūrśa§

Dūrśa は或る種の衣服を指し、Atharvaveda1 に二度言及される。Weber2 はそれが先住民によって着用されたと考える。

  • 1iv. 7, 6; viii. 6, 11.
  • 2Indische Studien, 18, 29.

Dūṣīkā§

Dūṣīkā、「眼脂(めやに)」は、Atharvaveda1 および後代2 において疾病として言及される。

  • 1xvi. 6, 8.
  • 2Kāṭhaka Saṃhitā, xxxiv. 12; Vājasaneyi Saṃhitā, xxv. 9; Śatapatha Brāhmaṇa, iii. 1, 3, 10.

Dṛḍha-cyut Āgasti§

Dṛḍha-cyut Āgasti(「Agastya の後裔」)は、Jaiminīya Brāhmaṇa1 において Vibhinduka 族の Sattra(「祭会」)における Udgātṛ 祭官であったとして言及されている。

  • 1iii. 233(Journal of the American Oriental Society, 18, 38)。彼は Anukramaṇī(そこでは父称の形が Āgastya である)において Rv. ix. 25 の作者として挙げられている。Cf. Indische Studien, 3, 219.

Dṛḍha-jayanta§

Dṛḍha-jayanta. Vipaścit および Vaipaścita を見よ。

Dṛti 1§

1. Dṛti、「液体を入れる革袋」は、Ṛgveda1 および後代2 にしばしば言及される。一箇所3 においてはそれが dhmāta、「膨らんだ」と呼ばれ、水腫に冒された者がそのような袋になぞらえられている。乳(Kṣīra)と酒(Surā)が袋に入れられるものとして言及されている。4

  • 1i. 191, 10; iv. 51, 1, 3; v. 83, 7; vi. 48, 18; 103, 2; viii. 5, 19; 9, 18.
  • 2Av. vii. 18, 1; Taittirīya Saṃhitā, i. 8, 19, 1; Vājasaneyi Saṃhitā, xxvi. 18, 19; Taittirīya Brāhmaṇa, i. 8, 3, 4; Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, v. 10, 2 等。
  • 3Rv. vii. 89, 2. Cf. Hopkins, Journal of the American Oriental Society, 20, 30.
  • 4Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, xiv. 11, 26; xvi. 13, 13.

Dṛti Aindrota§

2. Dṛti Aindrota(「Indrota の後裔」)は、Pañcaviṃśa Brāhmaṇa1 において Abhipratārin Kākṣaseni の同時代人として、また Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa2 の Vaṃśa(師の一覧)において Indrota Daivāpa の弟子として言及されている。おそらく同じ Dṛti が、Pañcaviṃśa Brāhmaṇa3 に見出される Dṛti-Vātavantau という複合語において意味されている。前者はそこで、Mahāvrata が終わった後も、両者がともに従事していた祭会を続け、その結果その後裔が Vātavata 族より栄えたと言われている。

  • 1xiv. 1, 12. 15.
  • 2iii. 40, 2.
  • 3xxv. 3, 6. かくして一年間の Sattra は後に Dṛti-vātavator ayana と呼ばれる。Kātyāyana Śrauta Sūtra, xxiv. 4, 16; 6, 25; Āśvalāyana Śrauta Sūtra, xii. 3; Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xiii. 23, 1; Lāṭyāyana Śrauta Sūtra, x. 10, 7. Cf. Hopkins, Transactions of the Connecticut Academy of Arts and Sciences, 15, 52, 53.

Dṛpta-bālāki Gārgya§

Dṛpta-bālāki Gārgya(「Garga の後裔」)は、Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad(ii. 1, 1)において KāśiAjātaśatru の同時代人として言及される師の名である。

Dṛbhīka§

Dṛbhīka は、Ṛgveda3 によれば Indra に殺された人1 ないし悪鬼2 の名である。

  • 1Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 152, 207。同氏は Derbikes 族と比較する。Macdonell, Vedic Mythology, p. 162.
  • 2Grassmann, Wörterbuch, s.v.; Roth, St. Petersburg Dictionary, s.v.; Geldner, Rigveda, Glossar, 85.
  • 3ii. 14, 3.

Dṛśāna Bhārgava§

Dṛśāna Bhārgava(「Bhṛgu の後裔」)は、Kāṭhaka Saṃhitā1 において見者として言及されている。

  • 1xvi. 8. Cf. Weber, Indische Studien, 3, 459.

Dṛṣad§

Dṛṣad は Ṛgveda1 および Atharvaveda2 において、挽き臼3 ではなく単に穀物を搗くのに用いられた石を指すと思われ、その石は支えとして別の石の上に置かれた。後代4

Upalā と結びつけて用いられる場合には、下の挽き石と上の挽き石、あるいは臼と杵が意味されているかもしれない。しかしこれは確実でない。Eggeling5 はそれらを大小の挽き石と訳す。Upara および Upalā をも見よ。

  • 1vii. 104, 22; viii. 72, 4.
  • 2ii. 31, 1; v. 23, 8.
  • 3Roth, St. Petersburg Dictionary, s.v.; Zimmer, Altindisches Leben, 269.
  • 4Taittirīya Saṃhitā, i. 6, 8, 3; 9, 3; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 1, 1, 22; ii. 6, 1, 9 等。
  • 5Sacred Books of the East, 12, 11(dṛṣad-upale。ここではこれらが「臼と杵」ulūkhala-musale から区別されている)。 Cf. Pischel, Vedische Studien, 1, 108, 109.

Dṛṣadvatī§

Dṛṣadvatī、「石多き」は、しばらく Sarasvatī 川と並行して流れた後にこれに注ぐ河川の名である。それは Ṛgveda1 において Sarasvatī 川および Āpayā 川とともに、Bharata 族の王侯の活動の舞台として言及されている。Pañcaviṃśa Brāhmaṇa2 および後代3 においては、Dṛṣadvatī 川と Sarasvatī 川が特別な祭祀の場である。Manu4 においてはこの二河川が中つ国の西の境界をなす。

  • 1iii. 23, 4.
  • 2xxv. 10, 13.
  • 3Kātyāyana Śrauta Sūtra, xxiv. 6, 6, 38; Lāṭyāyana Śrauta Sūtra, x. 19, 4.
  • 4ii. 17. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 18; Weber, Indische Studien, 1, 34; Indian Literature, 67, 102; Macdonell, Vedic Mythology, p. 87.

Dṛṣṭa§

Dṛṣṭa. Adṛṣṭa を見よ。

Devaka Mānyamāna§

Devaka Mānyamāna(「Manyamāna の後裔」)は、Ṛgveda1 において Tṛtsu 族の敵として、また Śambara と結びつけられて現れる。しかしおそらく Grassmann の示唆するように、この語は「自らを神とみなした」Śambara を指すものと解すべきかもしれず、devaka が軽蔑的に用いられているのである。2

  • 1vii. 18, 20(devakaṃ cin mānyamānam)。
  • 2Cf. Rv. ii. 11, 2(amartyaṃ cid dāsam manyamānam)。 Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 173.

Devakī-putra§

Devakī-putra、「Devakī の子」は、Chāndogya Upaniṣad1 における Kṛṣṇa の母称である。叙事詩2 によれば、Devaka なる者が Kṛṣṇa の母 Devakī の父であった。St. Petersburg 辞典は、彼が叙事詩3 にも言及される「Gandharva の王」であったと示唆する。

  • 1iii. 17, 6.
  • 2Mahābhārata, i. 4480; v. 80 等。
  • 3Ibid., i. 2704.

Deva-jana-vidyā§

Deva-jana-vidyā、「神なる存在についての学」は、Śatapatha Brāhmaṇa1 および Chāndogya Upaniṣad2 に数え上げられる学問の一つである。

  • 1xiii. 4, 3, 10. Cf. x. 5, 2, 20.
  • 2vii. 1, 2. 4; 2, 1; 7, 1.

Deva-taras Śyāvasāyana Kāśyapa§

Deva-taras Śyāvasāyana Kāśyapa(「Kaśyapa の後裔」)は、Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa1 において Ṛśyaśṛṅga の弟子として言及されている。Vaṃśa Brāhmaṇa2 においては Śāvasāyana として、その父 Śavas の弟子であり、Śavas はまた Kāśyapa の弟子であった。

  • 1iii. 40, 2.
  • 2Indische Studien, 4, 373.

Devatyā§

Devatyā は Atharvaveda1 の本文に現れ、読みが正しければ或る動物を指すに違いない。2 しかし読みは疑いなく rohiṇī-devatyās、「赤きものを神格とする」であるべきである。3

  • 1i. 22, 3.
  • 2Roth, St. Petersburg Dictionary, s.v.
  • 3Whitney, Translation of the Atharvaveda, 23.

Devana§

Devana は Ṛgveda1 に一度、賭博に関連して言及される。この語は賽が投げられる場所(他の箇所では Adhidevana と呼ばれる)を指すに違いなく、Durga もその Nirukta 注釈2 においてそのように説明する。

  • 1x. 43, 5.
  • 2v. 22. Cf. Lüders, Das Würfelspiel im alten Indien, 14.

Deva-nakṣatra§

Deva-nakṣatra、「神々の星宿」は、Taittirīya Brāhmaṇa1 において最初の十四の月宿に適用される名であり、それらは南にあると言われる。他方、他のものは Yama-nakṣatra、「Yama の星宿」と呼ばれ、北にあると言われる。Nakṣatra を見よ。

  • 1i. 5, 2, 6, 7. Cf. Weber, Naxatra, 2, 309, 310.

Deva-bhāga Śrautarṣa§

Deva-bhāga Śrautarṣa は Śatapatha Brāhmaṇa1 において、

Sṛñjaya 族と Kuru 族の双方の Purohita すなわち「家門の祭官」として言及されている。Aitareya Brāhmaṇa2 においては、彼が Girija Bābhravya に犠牲獣の分割の学(paśor vibhakti)を教えたと言われる。Taittirīya Brāhmaṇa3 においては、Sāvitra Agni についての権威である。

(訳注:底本は脚注2を「vii. x」と印刷するが、Giri-ja Bābhravya の項(本書 p. 228)の引用と照合して「vii. 1」に訂正した。)

  • 1ii. 4, 4, 5. この箇所は Rv. i. 81, 3 への Sāyaṇa の注において誤って引かれている。Weber, Indische Studien, 2, 9, n.; Geldner, Vedische Studien, 3, 152 を見よ。
  • 2vii. 1.
  • 3iii. 10, 9, 11.

Deva-malimluc§

Deva-malimluc、「神々を掠める者」は、Rahasya1 の形容辞である。Pañcaviṃśa Brāhmaṇa2 によれば、彼は Munimaraṇa(「聖者の死」)において敬虔な Vaikhānasa 族を殺したと言われる。彼は明らかに Asura であったが、実在の人物であったかもしれない。

  • 1あるいは Rahasyu。
  • 2xiv. 4, 7. Cf. Hopkins, Transactions of the Connecticut Academy of Arts and Sciences, 15, 51, 52.

Deva-muni§

Deva-muni、「神なる聖者」は、Pañcaviṃśa Brāhmaṇa(xxv. 14, 5)における Tura の形容辞である。この名は Anukramaṇī において Ṛgveda の一讃歌(x. 146)の作者に与えられている。

Deva-rājan§

Deva-rājan は、Pañcaviṃśa Brāhmaṇa(xviii. 10, 5)における「Devarājan 族の Sāman」という句において、明らかにバラモンの血統の王を指す。Cf. Rājanyarṣi および Varṇa.

Deva-rāta Vaiśvāmitra§

Deva-rāta(「神に与えられた」)Vaiśvāmitra(「Viśvāmitra の後裔」)は、Aitareya Brāhmaṇa1 において Viśvāmitra による養子縁組の後に Śunaḥśepa に与えられた名である。

  • 1vii. 17. Cf. Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xv. 27.

Devala§

Devala は Kāṭhaka Saṃhitā(xxii. 11)において Ṛṣi として言及されている。Daivala をも見よ。

Devavant§

Devavant は Ṛgveda1 の Dānastuti(「贈与の讃」)において Sudās の祖先として、明らかにその祖父として言及されている。あるいは Pijavana を Sudās の父、Divodāsa をその祖父と認めるならば、彼は Sudās の高祖父にして Vadhryaśva の父ということになろう。後者の場合の継承は Devavant、Vadhryaśva、Divodāsa、Pijavana、Sudās となる。

  • 1vii. 18, 22. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 171; Geldner, Vedische Studien, 2, 138.

Deva-vāta§

Deva-vāta(「神々に望まれた」)は、Ṛgveda1 における Bharata 族の王侯の名であり、そこでは DṛṣadvatīSarasvatīĀpayā の諸河において祭祀を行う者として言及されている。

  • 1iii. 23, 2. Cf. Oldenberg, Buddha, 409; Pischel, Vedische Studien, 2, 218.

Deva-vidyā§

Deva-vidyā、「神々についての学」は、Chāndogya Upaniṣad(vii. 1, 2, 4; 2, 1; 7, 1)に数え上げられる学問の一つである。

Deva-śravas§

Deva-śravasBharata 族の王侯の名であり、Ṛgveda1 において Devavāta とともに DṛṣadvatīSarasvatīĀpayā の諸河における祭主として現れる。

  • 1iii. 23, 2. 3. Anukramaṇī においては彼は Yama の子と呼ばれ、一讃歌 x. 17 が彼に帰されている。

Devātithi Kāṇva§

Devātithi Kāṇva(「Kaṇva の後裔」)は、Pañcaviṃśa Brāhmaṇa1 において、或る Sāman(詠唱)を感得した者として言及されている。彼は競争者たちに追われて荒野で飢えていたとき、この詠唱によって自らと子のために瓜を牛に変えた。彼はまた Ṛgveda の一讃歌2 の作者と伝えられる。

  • 1ix. 2, 19.
  • 2viii. 4. Cf. Hopkins, Transactions of the Connecticut Academy of Arts and Sciences, 15, 61.

Devāpi Ārṣṭiṣeṇa§

Devāpi Ārṣṭiṣeṇa(「Ṛṣṭiṣeṇa の後裔」)は、Ṛgveda の一讃歌1 および Nirukta2 に言及される。後者の典拠によれば、DevāpiŚantanu という二人の兄弟があり、Kuru 族の王侯であった。兄は Devāpi であったが、Śantanu が自ら王として灌頂を受け、そのため十二年間雨が降らなかった。バラモンたちが旱魃を彼が兄を差し置いたことに帰したので、Śantanu は Devāpi に王国を譲ろうとした。しかし後者はこれを拒み、兄弟のために Purohita すなわち家門の祭官として働き、雨を得た。Bṛhaddevatā3 もほぼ同じ話を語るが、Devāpi が王位から除かれた理由が皮膚病に冒されていたことであったと付け加える。叙事詩および後代の伝説はこの物語をさらに

発展させ、いくらか食い違う二つの説明を示す。一方の異伝4 によれば、Devāpi が飛ばされた理由は癩であり、他方においては若くして苦行に身を捧げたことが弟に位を取らせた原因であった。さらに叙事詩5 は彼を Pratīpa の子として扱い、その兄弟として Bāhlīka6 と Ārṣṭiṣeṇa7 の名を挙げる。後者は Devāpi の父称から新たに発達した人物である。おそらく Sieg8 が、Pratīpa の子たる Devāpi の物語と Ṛṣṭiṣeṇa の子たる Devāpi の物語という二つの話が混同されていると主張するのは正しい。しかしいずれにせよ、そこから歴史を引き出すことは不可能である。9

Ṛgveda の当該讃歌は確かに、Devāpi が Śantanu ── Aulāna10 と呼ばれていると思われる ── のために祭祀を行う者として表しているようである。しかしそこには二人の兄弟関係の痕跡はなく、また Devāpi がバラモンではなく Kṣatriya であったことを示すものも何もない。Sieg11 はこの讃歌を Nirukta によって解釈し、彼が Kṣatriya であったが、この機会には Bṛhaspati の恩寵によって祭官として奉仕することを可能にされたと考え、この讃歌が彼の行為の異例な性格を明瞭に認識していると考える。しかしこの見解はきわめて蓋然性が低いと思われる。

  • 1x. 98.
  • 2ii. 10.
  • 3vii. 148 et seq.、Macdonell の注とともに。
  • 4Mahābhārata, v. 5054 et seq.(= 149, 15 et seq.)。同箇所では(また Agni, cclxxvii. 34、Brahma, xiii. 114, 118、Viṣṇu の各 Purāṇa においても)Śāntanu が名の形である。Matsya Purāṇa, l, 39 et seq. においては、Bhāgavata, ix. 22, 12, 13 および Vāyu Purāṇa, xcix. 234, 237 と同じく、形は Śantanu である。
  • 5Mahābhārata, i. 3751(= 94, 62); ix. 2285(= 40, 1); Vāyu Purāṇa, ii. 37, 230 等。
  • 6注4に引く Mahābhārata; Harivaṃśa, 1819.
  • 7Ibid.、注5に引く。
  • 8Die Sagenstoffe des Ṛgveda, 136.
  • 9Pargiter, Journal of the Royal Asiatic Society, 1910, 52, 53 はそうしている。
  • 10Rv. x. 98, 11.
  • 11Op. cit., 129-142. Cf. Muir, Sanskrit Texts, 1², 272 et seq.; Weber, Indische Studien, 1, 203; Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 192 et seq.; Macdonell, Bṛhaddevatā, 1, xxix; Zimmer, Altindisches Leben, 131, 132.

Devṛ§

Devṛ は妻の「義兄弟」(すなわち夫の兄弟)を指す稀な語である。彼は夫の姉妹たちとともに、その夫 ── 彼の兄 ── の妻が支配する者のうちに含められる。1 同時に妻は彼に献身し2、彼に対して友好的であるべきものとされる。3

夫の死後、Devṛ は夫のために子をもうける務めを果たしえた。4 妻の兄弟については Devṛ に対応する語がない。

  • 1Rv. x. 85, 46. Cf. Pati.
  • 2Rv. x. 85, 44.
  • 3Av. xiv. 2, 18. Cf. xiv. 1, 39.
  • 4Rv. x. 40, 2. Cf. x. 18, 8; Kaegi, Der Rigveda, n. 51; Lanman, Sanskrit Reader, 385; Whitney, Translation of the Atharvaveda, 948. Cf. Delbrück, Die indogermanischen Verwandtschaftsnamen, 516.

Deśa§

Deśa、「土地」は、Upaniṣad および Sūtra の時代に至るまで用いられない語である。1 ただし Brāhmaṇa 文献2 の最も後期に一度、また Vājasaneyi Saṃhitā3 の大いに論議された一箇所に一度現れる。後者においては Sarasvatī 川が五つの支流を有するものとして言及されている。この箇所は、Sarasvatī が Indus 川の名であったという見解に反する。というのもここでの Deśa の使用は、この詩節の作者が Sarasvatī 川を Madhyadeśa すなわち「中つ国」に置いていたことを示すと思われるからであり4、Yajurveda 諸書のあらゆる地理的資料はそこを指し示すのである。5

  • 1その用法はそこで一般的となる。Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, iv. 1, 16; 2, 3; Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, iv. 14, 6; Kātyāyana Śrauta Sūtra, xv. 4, 17 等。かくして形容詞 deśīya、「或る土地に属する」は Kātyāyana, xxii. 4, 22; Lāṭyāyana Śrauta Sūtra, viii. 6, 28 に。
  • 2Aitareya Brāhmaṇa, viii. 10(後期の箇所)。
  • 3xxxiv. 11.
  • 4Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 10。同氏は、Sarasvatī が本来 Indus 川を意味し五支流が Panjab のそれであった本文に、この語が紛れ込んだと考える。
  • 5Macdonell, Sanskrit Literature, 174.

Dehī§

Dehī は Ṛgveda の二箇所1 において、敵に対して築かれた防禦、明らかに土塁ないし堤に関わる。Cf. Pur.

  • 1vi. 47, 2; vii. 6, 5. Cf. Schrader, Prehistoric Antiquities, 344; Zimmer, Altindisches Leben, 143.

Daidhiṣavya§

Daidhiṣavya は Taittirīya Saṃhitā1 の Mantra に言及される。明らかにこの語は(Didhiṣū から派生するものとして)、St. Petersburg 辞典の説明する「二度嫁いだ女の子」ではなく、姉より先に嫁いだ妹の子を指す。2

  • 1iii. 2, 4, 4; Kātyāyana Śrauta Sūtra, ii. 1, 22; Kauśika Sūtra, 3, 5; 137, 37.
  • 2American Journal of Philology, 17, 431, n.

Daiyāṃpāti§

Daiyāṃpāti、「Dayāṃpāta の後裔」は、東方の師の名であり、Śatapatha Brāhmaṇa(ix. 5, 1, 14)によれば Śāṇḍilyāyana から火壇の構築の学を授けられた。同じ父称が Dayyāṃpāti の形で、Taittirīya Brāhmaṇa(iii. 10, 9, 3-5)において Atyaṃhas の同時代人 Plakṣa に与えられている。

Daiva 1§

1. Daiva(男性)は Chāndogya Upaniṣad1 の学問の一覧に現れ、そこで Śaṅkara はこれを utpāta-jñāna、明らかに「凶兆についての学」と説明する。St. Petersburg 辞典は、この語がここで形容詞的に用いられていると示唆し、この見解は Little2 および Böhtlingk のその訳3 に従われている。

  • 1vii. 1, 2, 4; 2, 1; 7, 1.
  • 2Grammatical Index, 83.
  • 3もっとも彼はこれを訳していない(Daiva Nidhi)。

Daiva 2§

2. Daiva は、Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad の最初の二つの Vaṃśa(師の一覧)1 における神話的な Atharvan の父称である。

  • 1ii. 5, 22; iv. 5, 28(Mādhyaṃdina 伝本)。

Daivala§

Daivala、「Devala の後裔」は、Pañcaviṃśa Brāhmaṇa(xiv. 11, 18)における Asita の父称である。

Daiva-vāta§

Daiva-vāta、「Devavāta の後裔」は、Ṛgveda における Sṛñjaya、おそらく Sṛñjaya 族の王の父称である。彼は火の祭祀の信奉者として1、また Turvaśa 族の王および Vṛcīvant 族に勝利した者として言及されている。2 Zimmer3 によれば、その名は Abhyāvartin Cāyamāna Pārthava(「Pṛthu の後裔」)であった。しかし Hillebrandt4 はこれを疑わしいものと認めながら、それでもなお Sṛñjaya 族を Divodāsa とともに Indus 川の西方に置く。より重要なのは、この名が Bharata 族の Devavāta との結びつきを示唆することに注意すべき点であり、Kuru 族と Sṛñjaya 族が密接に結びついていた5 ことからすれば、これは意味なしとしない。

  • 1Rv. iv. 15, 4.
  • 2Rv. vi. 27, 7.
  • 3Altindisches Leben, 133, 134.
  • 4Vedische Mythologie, 1, 105, 106.
  • 5Śatapatha Brāhmaṇa, ii. 4, 4, 5. Cf. Oldenberg, Buddha, 402, 405; Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 153.

Daivāpa§

Daivāpa、「Devāpi の後裔」は、Śatapatha Brāhmaṇa1 および Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa2 における Indrota の父称である。Ṛgveda3 の Devāpi との関連は辿りえない。

  • 1xiii. 5, 4, 1.
  • 2iii. 40, 1.
  • 3x. 98. Oldenberg, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 42, 240 を見よ。

Daivāvṛdha§

Daivāvṛdha、「Devāvṛdha の後裔」は、Aitareya Brāhmaṇa(vii. 34)における Babhru の父称である。

Daivo-dāsi§

Daivo-dāsi、「Divodāsa の後裔」は、Kauṣītaki Brāhmaṇa1 および Kauṣītaki Upaniṣad2 における Pratardana の父称である。名高い Divodāsa が意味されているか否かを確定することは不可能である。

  • 1xxvi. 5.
  • 2iii. 1. Cf. Weber, Indische Studien, 1, 214.

Doṣā§

Doṣā、「夕べ」は、Ṛgveda1 以降2 しばしば言及され、通常は uṣas、「暁」と対比される。Chāndogya Upaniṣad3 においては、この語が prātar、「早朝」と対比されている。Ahan をも見よ。

  • 1i. 34, 3; 179, 1; ii. 8, 3; iv. 2, 8; v. 5, 6; 32, 11; vi. 5, 2 等。
  • 2Av. vi. 1, 1; Nirukta, iv. 17.
  • 3vi. 13, 1.

Doha§

Doha、「搾乳」は、Atharvaveda1 および後代2 に一般的な語である。Sūtra 文献3 においては sāyaṃ-doha、「夕の搾乳」および prātar-doha、「朝の搾乳」に言及がある。Dohana も同じ意味を有する。4 Go をも見よ。

  • 1iv. 11, 4. 9. 12; v. 17, 17; viii. 9, 15(同箇所では五度の搾乳が比喩的に言及される)。Rv. x. 42, 2 においては字義通りの意味が見出される。
  • 2Vājasaneyi Saṃhitā, viii. 62; Taittirīya Brāhmaṇa, i. 1, 10, 2; ii. 2, 9, 9 等。
  • 3Kātyāyana Śrauta Sūtra, iv. 2, 38 等。
  • 4Rv. viii. 12, 32; Śatapatha Brāhmaṇa, ix. 2, 3, 30; Kātyāyana Śrauta Sūtra, iv. 2, 37 等。

Daure-śravas§

Daure-śravas、「Dūreśravas の後裔」は、Pañcaviṃśa Brāhmaṇa(xxv. 15, 3)に記述される蛇の祭祀に奉仕した祭官 Pṛthuśravas の父称である。

Daure-śruta§

Daure-śruta、「Dūreśruta の後裔」は、Pañcaviṃśa Brāhmaṇa(xxv. 15, 3)に記述される蛇の祭祀に奉仕した祭官 Timirgha の父称である。

Daur-gaha§

Daur-gaha. Durgaha を見よ。

Dauḥ-ṣanti§

Dauḥ-ṣanti(「Duḥṣanta の後裔」)は、Aitareya(viii. 23)および Śatapatha(xiii. 5, 4, 11)の両 Brāhmaṇa における Bharata の父称である。

Dyutāna Māruta§

Dyutāna Māruta(「Marut 神群の後裔」)は、Vājasaneyi Saṃhitā1 および Taittirīya Saṃhitā2 において祈願される神なる存在の名であり、Kāṭhaka Saṃhitā3 にも言及される。Śatapatha Brāhmaṇa4 においてはこの名が Vāyu を意味すると説明され、他方 Pañcaviṃśa Brāhmaṇa5 においては Sāman(詠唱)の作者とみなされているようである。彼は Anukramaṇī によって Ṛṣi として扱われ、同書は Ṛgveda の一讃歌(viii. 96)の作者たることを彼に帰している。

  • 1v. 27.
  • 2v. 5, 9, 4. Cf. vi. 2, 10, 4.
  • 3xv. 7.
  • 4iii. 6, 1, 16.
  • 5xvii. 1, 7. Cf. vi. 4, 2. Cf. Hillebrandt, Vedische Mythologie, 3, 311; Indische Studien, 3, 220.

Dyumna§

Dyumna は Pischel1 によれば、Ṛgveda の一箇所2 において「筏」を指す。

  • 1Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 35, 720 et seq.
  • 2viii. 19, 14.

Dyūta§

Dyūta、「賭博」は、Atharvaveda1 および Sūtra 文献2 に言及される。Akṣa を見よ。

  • 1xii. 3, 46.
  • 2Kātyāyana Śrauta Sūtra, xv. 6, 2; Lāṭyāyana Śrauta Sūtra, iv. 10, 23 等。

Dyotana§

Dyotana は Sāyaṇa によれば、Ṛgveda1 における王侯の名である。これはおそらく正しいが、この語は2「頌讃」を指すものとも解しうる。ただし Dyotana と、同じ箇所に言及される他の人々 ── VetasuDaśoṇiTūtujiTugra ── との間にいかなる関係が存したかは明らかでない。

  • 1vi. 20, 8.
  • 2Griffith, Hymns of the Rigveda, 1, 380 のように。 Cf. Oldenberg, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 55, 328.

Drapsa§

Drapsa は Ṛgveda 以降1「滴」を表す一般的な語である。Sāyaṇa2 によれば、それは「小さな滴」たる stoka に対する「濃い滴」である。それゆえ dadhi-drapsa、「凝乳の滴」という表現がしばしば現れる。3 Ṛgveda4 においてはこの語が通常、Soma の濃い滴、あるいは Soma そのものを指す。

二箇所5 において Roth6 は「旗」の意を見出し、これは Oldenberg7 に採られている。他方 Geldner8 は「塵」が意味されていると考えるが、この解釈はあまり蓋然的でない。Max Müller9 はそのうち一箇所においてこの語を「雨滴」と訳す。

  • 1Rv. i. 94, 11(おそらく火の「滴」); v. 63, 4(「雨滴」); vii. 33, 11(= retas); Śatapatha Brāhmaṇa, vi. 1, 2, 6;drapsin(「濃く流れる」)、xi. 4, 1, 15.
  • 2Taittirīya Saṃhitā, 1, p. 70, 7. Cf. Taittirīya Saṃhitā, iii. 3, 10, 2 における形容辞 uru-drapsa。Av. xviii. 4, 18 への Sāyaṇa は drapsa を「凝乳の滴」の意に解する。Lāṭyāyana Śrauta Sūtra, iii. 2, 4 への Agnisvāmin も同様。
  • 3Śatapatha Brāhmaṇa, ix. 2, 3, 40.
  • 4ix. 78, 4; 85, 10; 89, 2; 97, 56; 108, 8; x. 11, 4; 17, 11. 12. Cf. Taittirīya Saṃhitā, iii. 3, 9, 1.
  • 5iv. 13, 2、および i. 64, 2 における drapsin
  • 6St. Petersburg Dictionary, s.v. satvan; Böhtlingk, Dictionary, s.v. drapsa, drapsin.
  • 7Sacred Books of the East, 46, 357; Ṛgveda-Noten, 1, 64, 65.
  • 8Vedische Studien, 3, 57, 58; Rigveda, Glossar, 88.
  • 9Sacred Books of the East, 32, 104. Cf. Macdonell, Vedic Mythology, p. 80、Rv. i. 64, 2 に関して。 Cf. Macdonell, op. cit., pp. 105, 113.

Drāpi§

Drāpi は Ṛgveda1 に数度、「外套」ないし「マント」の意で現れる。2 しかし Sāyaṇa はこの語を「鎧」(kavaca)と訳す。3 これは不必要と思われるが、いずれの箇所もどちらとも決定的ではない。

  • 1i. 25, 13; 116, 10; iv. 33, 2; ix. 86, 14; 100, 9; Av. iii. 13, 1.
  • 2Roth, St. Petersburg Dictionary, s.v.; Muir, Sanskrit Texts, 5, 472; Schrader, Prehistoric Antiquities, 333.
  • 3Cf. Max Müller, Ancient Sanskrit Literature, 536; Pischel, Vedische Studien, 2, 201, 202.

Dru§

Dru は木で作られた器を指し1、とりわけ Soma 祭に用いられる器を指す。2 Hillebrandt3 の示唆するように、おそらく Soma の汁が濾し布を通って流れ落ちるのを受けるためのものであろう。Taittirīya Brāhmaṇa4 においてはこの語は単に「木」を意味する。

  • 1Rv. i. 161, 1; v. 86, 3; viii. 66, 11。x. 101, 10 においては臼が意味されていると思われる。v. 86, 3 において Böhtlingk はこれを「木の柄」を指すものと解する。
  • 2ix. 1, 2; 65, 6; 98, 2.
  • 3Vedische Mythologie, 1, 191, 192.
  • 4i. 3, 9, 1. 複合語においてしばしばそうである。例えば Rv. ii. 7, 6; vi. 12, 4 等。

Dru-ghaṇa§

Dru-ghaṇa は Ṛgveda の Mudgala 讃歌1 および Atharvaveda2 に見出される。意味は不確かである。Yāska3 はこれを「木で作られた ghana」と訳すが、これはおそらく Roth4 の解するように「木の棍棒」を意味する。Geldner5 は、Mudgala が競走に加わろうとしたとき第二の牡牛の代わりに用いた木製の牡牛であったと考える。しかしこの伝説のこの解釈はきわめて蓋然性が低い。6 Whitney7 は Atharvaveda においてこの語を「樹を打つもの」と訳し、Sāyaṇa を引く。Sāyaṇa はこれを「切る道具」と説明し、樹がそれで打たれるゆえにそう呼ばれるとする。

  • 1x. 101, 9.
  • 2vii. 28, 1.
  • 3Nirukta, ix. 23.
  • 4St. Petersburg Dictionary, s.v.
  • 5Vedische Studien, 2, 3, 4.
  • 6Cf. von Bradke, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 46, 462; Bloomfield, ibid., 48, 456; Franke, Vienna Oriental Journal, 8, 342.
  • 7Translation of the Atharvaveda, 407.

Dru-pada§

Dru-pada、「木の柱」ないし「杭」は、Ṛgveda1 および後代2 に数度言及される。Śunaḥśepa は供犠のために三本の杭に縛られた。3 盗人が窃盗の罰として杭に縛られたことを示す証拠が若干ある。4

  • 1i. 24, 13; iv. 32, 23.
  • 2Av. vi. 63, 3; 115, 2; xix. 47, 9; Vājasaneyi Saṃhitā, xx. 20.
  • 3Rv. i. 24, 13.
  • 4Av. xix. 47, 9; 50, 1. Cf. vi. 63, 3 = 84, 4. Zimmer, Altindisches Leben, 181, 182、および Taskara, n. 26 を見よ。

Druma§

Druma、「樹」は、後期に至るまで見出されず、Ṣaḍviṃśa Brāhmaṇa(v. 11)および Nirukta(iv. 19; v. 26; ix. 23)に現れる。

Druvaya§

Druvaya、「木製の」は、Atharvaveda1 において太鼓の形容辞として用いられる。

[Page1-384(承前)]

  • 1v. 20, 2. Cf. xi. 1, 12。同箇所ではこれが upaśvasa、「吹くもの」、おそらく「鞴(ふいご)」の形容辞である。ただし写本の一部は dhruvaye と読み、Paippalāda 伝本は druye とする。

Dru-han§

Dru-han、「木を伐る者」は、Ṛgveda1 における druhantara という語によって意味されていると思われる。同箇所においてこの語は通常 druhaṃ-tara、「悪鬼を打ち破る」と解される。しかし paraśu、「斧」の形容辞としては、もう一方の意味(「力強き木伐り」)2 のほうが蓋然的である。3

  • 1i. 127, 2.
  • 2ただしこの説明が正しいならば、この語は比較級のアクセントを有すべきである。Oldenberg, Sacred Books of the East, 46, 132 を見よ。
  • 3Cf. Oldenberg, Ṛgveda-Noten, 1, 130.

Druhyu§

Druhyu は Ṛgveda に数度言及される民族の名である。一箇所1 においては複数形で Yadu 族、Turvaśa 族、Anu 族、Pūru 族とともに現れ、これらが Ṛgveda の名高い五部族であることを示唆する。2 また Druhyu 族の王は、Sudās による同盟者たちの敗北を共にし、水中に没したと思われる。3 第二の箇所においては Druhyu、Anu、Turvaśa、Yadu がすべて単数形で言及され4、他方別の箇所では Pūru と Druhyu が現れる。5 部族の組み合わせからすれば、Druhyu 族が北西の民であったことは蓋然的であり6、また叙事詩の後代の伝承は Gāndhāra と Druhyu を結びつけている。7

  • 1i. 108, 8.
  • 2Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 122, 125; Hopkins, Journal of the American Oriental Society, 15, 258 et seq.
  • 3vii. 18.
  • 4viii. 10, 5.
  • 5vi. 46, 8.
  • 6Roth, Zur Litteratur und Geschichte des Weda, 131-133.
  • 7Pargiter, Journal of the Royal Asiatic Society, 1910, 49. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 205; Macdonell, Vedic Mythology, p. 140.

Droṇa§

Droṇa は Ṛgveda1 において「木製の桶」を指し、より特には複数形で Soma を入れるのに用いられる器を指す。2 Soma のための大きな木製の槽は Droṇa-kalaśa と呼ばれる。3 祭壇は時に Droṇa の形に作られた。4

  • 1vi. 2, 8; 37, 2; 44, 20; ix. 93, 1; Nirukta, v. 26.
  • 2ix. 3, 1; 15, 7; 28, 4; 30, 4; 67, 14 等。Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 280.
  • 3Taittirīya Saṃhitā, iii. 2, 1, 2; Vājasaneyi Saṃhitā, xviii. 21; xix. 27; Aitareya Brāhmaṇa, vii. 17, 32; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 6, 3, 17 等。
  • 4Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 4, 7; Kāṭhaka Saṃhitā, xxi. 4; Śatapatha Brāhmaṇa, vi. 7, 2, 8.

Droṇāhāva§

Droṇāhāva は Ṛgveda1 において Avata、「井戸」の形容辞として用いられ、明らかに水を汲み上げることに関して「木の釣瓶を有する」の意である。

  • 1x. 101, 7. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 157.

Dvādaśa§

Dvādaśa、「十二から成る」1 は、Ṛgveda(vii. 103, 9)において年について用いられる。Nakṣatra を見よ。

  • 1Cf. Oldenberg, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 48, 645 et seq.

Dvāpara§

Dvāpara. Akṣa および Yuga を見よ。

Dvār§

Dvār は Ṛgveda1 以降2 しばしば用いられ、家の「扉」を指す。後代の形 Dvāra も同じ意味を有する。3 Cf. Gṛha. 「扉の締め具」は Śatapatha Brāhmaṇa4 において Dvāra-pidhāna と呼ばれる。

  • 1i. 13, 6.
  • 2Av. viii. 3, 22; xiv. 1, 63; Vājasaneyi Saṃhitā, xxx. 10; Śatapatha Brāhmaṇa, xi. 1, 1, 2; xiv. 3, 1, 13 等。
  • 3Śatapatha Brāhmaṇa, i. 6, 1, 19; iv. 3, 5, 9; 6, 7, 9; xi. 4, 4, 2 等。Av. x. 8, 43 は身体について nava-dvāra、「九つの開口部を有する」とする。
  • 4xi. 1, 1, 1. Cf. Lāṭyāyana Śrauta Sūtra, i. 3, 1; ii. 3, 9 における dvāra-bāhū、「門柱」。

Dvāra-pa§

Dvāra-pa、「門番」は、比喩的な意味においてのみ見出される。Aitareya Brāhmaṇa(i. 30)においては Viṣṇu が神々の「門番」と呼ばれ、また Chāndogya Upaniṣad(iii. 13, 6)にも見出される。

Dvi-gat Bhārgava§

Dvi-gat Bhārgava(「Bhṛgu の後裔」)は、Pañcaviṃśa Brāhmaṇa(xiv. 9)において或る Sāman すなわち詠唱を感得した者として言及され、それによって彼は二度天界へ赴いたとされる。

Dvi-ja§

Dvi-ja、「再び生まれた者」は、アーリヤ人一般の、あるいは特にバラモンの形容辞としては、Atharvaveda1 のまったく不明瞭な一詩節を除いてはヴェーダ文献に見出されない。

  • 1xix. 71, 1. Cf. Whitney, Translation of the Atharvaveda, 1008; Zimmer, Altindisches Leben, 204. dvi-janmandvi-jāti も早期には現れず、この観念はこの形では初期のものではない。

Dvi-pād§

Dvi-pād、「二足の」「二足獣」は、Ṛgveda1 以降2、四足獣に対立するものとして人を指す。

  • 1i. 49, 3; iii. 62, 14; viii. 27, 12; x. 97, 20; 117, 8.
  • 2Av. ii. 34, 1; x. 1, 24; Vājasaneyi Saṃhitā, viii. 30; ix. 31; xiii. 17; xiv. 8 等。

Dvi-bandhu§

Dvi-bandhu は Ṛgveda の不明瞭な一讃歌1 において、Roth2 および Grassmann3 によれば人の名である。他方 Ludwig4 はこれを「二重の血縁を有する」を意味する単なる形容詞と訳す。

  • 1x. 61, 17.
  • 2St. Petersburg Dictionary.
  • 3Wörterbuch, s.v.、および Translation of the Rigveda, 2, 475.
  • 4Translation of the Rigveda, 2, 643、および 5, 526.

Dvi-rāja§

Dvi-rāja(中性)、「二人の王の間の抗争」ないし「戦」は、Atharvaveda(v. 20, 9)に言及される。Cf. Dāśarājña.

Dvi-retas§

Dvi-retas、「二重の種を有する」は、驢馬1 と牝馬2 の双方の形容辞である。

  • 1Aitareya Brāhmaṇa, iv. 9; Śatapatha Brāhmaṇa, vi. 3, 1, 23. Cf. Gardabha.
  • 2Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, vi. 1, 4.

Dvīpa§

Dvīpa、「島」は、Ṛgveda1 および後代2 に言及される。しかし、言及される島が大河 ── Indus 川ないし Ganges 川 ── の中洲以外のものであったと想像する理由はない。3 ヴェーダ文献は、大地が Meru 山を囲む四つ、七つ、あるいは十三の Dvīpa から成るという地理の体系については何も知らない。

  • 1i. 169, 3.
  • 2Kāṭhaka Saṃhitā, xiii. 2; Śatapatha Brāhmaṇa, xii. 2, 1, 3; Lāṭyāyana Śrauta Sūtra, i. 6, 10.
  • 3Zimmer, Altindisches Leben, 256.

Dvīpin§

Dvīpin1、「豹」ないし「ヒョウ」は、Atharvaveda2 および Maitrāyaṇī Saṃhitā3 に言及される。

  • 1字義通りには「島を有する」── すなわち「斑のある」。
  • 2iv. 8, 7; vi. 38, 2; xix. 49, 4。いずれの場合にも虎と結びつけられている。
  • 3ii. 1, 9. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 80.

Dvaita-vana§

Dvaita-vana、「Dvitavana の後裔」は、Matsya 族の王 Dhvasan の父称であり、その Aśvamedha すなわち「馬祀」が Śatapatha Brāhmaṇa(xiii. 5, 4, 9)に言及されている。

Dvy-opaśa§

Dvy-opaśa. Opaśa を見よ。