Jの部
Jaṅgiḍa§
Jaṅgiḍa は Atharvaveda の讃歌1 に言及される薬草の名である。それは疾病、あるいは疾病の症状である Takman、Balāsa、Āśarīka、Viśarīka、Pṛṣṭyāmaya2、熱病とリウマチ性の疼痛、Viṣkandha と Saṃskandha3、Jambha などに対する護符として用いられた。しかしそれはまた一切の疾病に対する特効薬とも、また癒す力のうち最良のものともみなされている。4 それは耕作(kṛṣi)の汁(rasa)から生ずると言われるが5、これは単にそれが耕地に生じたことを意味するにすぎず、それ自体が栽培されたことを意味する必要はない。この名がいかなる植物を指すのかはまったく不確かである。というのもそれは後代の文献において姿を消すからである。Caland6 は Kauśika Sūtra においてこれを Terminalia arjuna と解する。
(訳注:底本は Terminalia arjuneya と綴るが、学名としては Terminalia arjuna が正しい。)
- 1ii. 4; xix. 34. 35.
- 2Av. xix. 34, 10.
- 3Av. ii. 4, 1; xix. 34, 1. 5.
- 4Av. xix. 34, 9. 7.
- 5Av. ii. 4, 5.
- 6Altindisches Zauberritual, 15。Kauśika Sūtra, viii. 15 の訳において。 Cf. Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, 433; Whitney, Translation of the Atharvaveda, 42; Weber, Indische Studien, 13, 141; Grohmann, ibid., 9, 417; Zimmer, Altindisches Leben, 65, 66, 390.
Jatū§
Jana§
Jana は、個人としての「人」を意味するほかに集合的な意味への傾向を有し、Ṛgveda および後代において一般に「民」ないし「部族」を指す。かくして「五部族」(Pañca Janāḥ ないし Janāsaḥ)がしばしば言及され、Ṛgveda の一讃歌1 においては「Yadu の民」(yādva jana)と Yadu 族(yādvāḥ)とが同義である。また王(rājan)は「民(janasya)の護り手(gopā)」と記述され2、王と Jana への他の言及もある。3 Bharata 族の民(bhārata jana)にも言及がある。4 Hopkins5 とともに、この場合 Jana が民と区別された氏族ないし群れ(Grāma)を意味すると想定する根拠はない。
一つの民がいかに区分されていたかを正確に言うことは困難である。Zimmer6 は Ṛgveda の一箇所7 から、民が州(Viś)に、州が合同家族ないし氏族すなわち村落共同体(Grāma、Vṛjana)に、これらがさらに個々の家族に分けられたと論ずる。彼は当該の箇所において、この四つの区分が Jana、Viś、Janman、Putrāḥ(子ら)によって反映されていると考え、各々の村落共同体が本来は血縁に基づいて成立したと論ずる。しかし民のこの精確な区分を強く主張しうるかはきわめて疑わしい。Jana が複数の Viś に分かれることは蓋然的とみなしうる。というのもそれは Ṛgveda の別の箇所8 の証拠によって支持されるからである。同箇所は Viś を戦闘員の単位として言及しており、かくして Homeros の時代および古代ゲルマンにおけると同じく、血縁が軍事編成の良き原理とみなされていたことを示す。しかし Viś が複数の Grāma に下位区分されることはきわめて疑わしい。Zimmer9 は、Grāma10 も
Vṛjana11 も、戦のために用いられるとき Viś の下位区分という特別の意味を有しないことを認める。いずれの語も一般に武装した軍勢を指すにすぎないからである。彼は村落の軍勢の他の呼称を Vrā12 および Vrāja13 に見出すが、前者の箇所はきわめて意味の疑わしいものであり14、後者は戦とは何の関わりもない、と言えば足りる。それゆえ、ヴェーダ時代において Grāma が Viś ないし家族(Kula ないし Gotra)といかなる正確な関係に立っていたかを述べることは不可能である。この混乱は Grāma と Viś の双方の意味の曖昧さによって増大する。後者が地域的区分とみなされるならば、疑いなく Grāma は地区の一部であったに違いない。しかし Viś が血縁の単位であったならば、Grāma は異なる Viś の家族を含んだかもしれないし、時に Viś と一致したかもしれないし、あるいは Viś の一部のみを含んだかもしれない。しかしいずれにせよ、本来の状態はカースト制度の勃興と、政治的観点に代わる階層的観点の登場とによって大いに改変されたに違いない。民の要素は、一方では家族によって代表された ── 一つの家(Kula)に住み、疑いなくしばしば兄弟の合同家族から成る個別の家族としてか、あるいはなお父とともに住む子らの家父長的家族としてか ── また他方では氏族、すなわち後代の Gotra によって代表された。これは共通の祖先を主張するすべての者を含んだ。Gotra はおおよそラテン語の gens、ギリシア語の γένος に対応するとみなしうる。またおそらく Viś が curia および φρήτρη に、Jana が tribus および φῦλον ないし φῦλη に相当するかもしれない。15 この三区分はまたイランの世界における Viś、Zantu、Daqyu にも見出されうる。そこでの Viś の用法は、インドの Viś において地域よりも血縁に基づく関係が意味されていることを示唆する。またおそらくは Tacitus の Germania16 に記述される古ゲルマンの政体における vicus、pagus、civitas にも見出されうるかもしれない。家族は Ṛgveda の一箇所17 において Jana の第三の要素として現れ、そこでは家(gṛha)が
Jana および Viś と対比されている。おそらく別の箇所18 も、Zimmer19 の考えるように村をより大きな二単位と対比するのではなく、むしろ adhvara すなわち家族の祭祀を Jana ないし Viś のそれと対比しているのであろう。しかしヴェーダ時代のインド人の個別主義を示すものとして意義深いのは、王が部族の聖火とみなしうる火を保っていたのに対し、王の祭祀と個々の家長の祭祀との中間にあるいかなる祭祀の確かな痕跡もない20 ということである。国家における真の要素は Gotra と Jana であり、ちょうど究極的には gens と tribus、γένος と φῦλον のみが重要であるのと同様である。より古い文献において Viś が時に、後に Gotra として知られたものを表すことがあるかもしれない。Viś を見よ。
このことは Brāhmaṇa 期における社会の構成を考えるとき明らかとなる。部族ないし民はなお存在し、前提とされているが、Viś への区分は消滅する。真の区分は今や個々のカースト(Varṇa)であるが、各カーストが分かれる数多の分派は、部分的に古い Gotra に基づくと思われる。
- 1viii. 6, 46. 48.
- 2Rv. iii. 43, 5. かくして Soma は gopati janasya、「民の護り手」と呼ばれる。Rv. ix. 35, 5.
- 3Rv. v. 58, 4.
- 4Rv. iii. 53, 12. また Bharata を見よ。Cf. また x. 174, 5 = Av. i. 29, 6.
- 5Religions of India, 26, 27. なるほど Bharata 族は Rv. iii. 33, 11 において gavyan grāmaḥ、「戦利品を求める群れ」と呼ばれる。しかし Grāma はそこでは単に一般的な適用を有するにすぎない。注10を見よ。
- 6Altindisches Leben, 159, 160.
- 7ii. 26, 3.
- 8x. 84, 4. Viśaḥ は他の数箇所 ── iv. 24, 4; v. 61, 1; vi. 26, 1; vii. 79, 2; viii. 12, 29 ── においても同じ意味を有しうるが、必ずしもこの意味を担う必要はない。しかし x. 91, 2 においては Viś と Jana との明瞭な対比がある。
- 9Op. cit., 161. 彼はまた Rv. v. 53, 11 に依拠する。同箇所では Marut 神群が śardha, vrāta, gaṇa に分けられているが、これらの語は漠然としている。
- 10Rv. iii. 33, 11. 注5を見よ。
- 11Rv. vii. 32, 27; x. 42, 10.
- 12Rv. i. 126, 5(viśyā iva vrāḥ)。
- 13Rv. x. 179, 2 = Av. vii. 72, 2.
- 14Cf. Pischel, Vedische Studien, 2, 121, 319.
- 15Cf. Ilias, 2, 362.
- 16第7章。Zimmer は他の対応をも与えるが、それについては cf. Schrader, Prehistoric Antiquities, 393 et seq. いずれにせよ正確な並行関係を強く主張することはできない。
- 17x. 91, 2。同箇所には janaṃ janam と viśaṃ viśam が現れ、対比が意味されているに違いない。
- 18Rv. vii. 82, 1.
- 19Altindisches Leben, 435.
- 20Hillebrandt, Vedische Mythologie, 2, 126. Cf. Macdonell, Sanskrit Literature, 158; von Schroeder, Indiens Literatur und Cultur, 32, 33; Jolly, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 50, 512 et seq.
Jana Śārkarakṣya§
2. Jana Śārkarakṣya(「Śarkarakṣa の後裔」)は、Śatapatha Brāhmaṇa(x. 6, 1, 1 et seq.)および Chāndogya Upaniṣad(v. 11, 1; 15, 1)において師として言及されている。彼は Aśvapati Kaikeya、ならびに Aruṇa Aupaveśi およびその子 Uddālaka Āruṇi と同時代の人であった。
Janaka§
Janaka、Videha の王は、Śatapatha Brāhmaṇa1 および Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad2、ならびに Jaiminīya Brāhmaṇa3 および Kauṣītaki Upaniṣad4 において相当の役割を果たす。彼は Yājñavalkya Vājasaneya5、
Śvetaketu Āruṇeya その他の聖仙たち6 と同時代の人であった。彼はその寛大さと、究極的実在の基礎としての Brahman の本性についての議論への関心とによって、Kāśi の Ajātaśatru7 の存命中にすでに名高くなっていた。彼が Yājñavalkya や Śvetaketu のごとき Kuru-Pañcāla のバラモンたちと密接な交流を保っていたことは意義深い。というのもこれは、Upaniṣad の哲学の郷里が東方ではなく Kuru-Pañcāla の地にあったことを示すからである。Śatapatha Brāhmaṇa8 には彼がバラモン(brahmā)となったという記述がある。しかしこれはカーストの変更を意味するのではなく、単に知識においてバラモンとなったことを意味するにすぎない(Kṣatriya を見よ)。Janaka は後代の文献にも時に言及される。Taittirīya Brāhmaṇa9 においては彼はすでにまったく神話的なものとなっており、Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra10 においては sapta-rātra すなわち七夜の儀礼が彼に帰されている。
Ajātaśatru と同時代であることによって、また後者を Pāli 文献の Ajātasattu と同定することによって Janaka の年代を定めようと試みるのは自然である。11 これは紀元前六世紀末を Janaka のおおよその年代とすることになろう。12 しかしこの同定が支持されうるかはきわめて疑わしい。Ajātaśatru は Kāśi の王であったのに対し、Ajātasattu は Magadha の王であり、Kāśi との唯一の結びつきは Kosala の Pasenadi の娘との婚姻を通じてのものであった。13 さらに、この年代を容れることは思想の発展史と調和させがたい。というのもそれは仏教の勃興を Upaniṣad と同時代のものとすることになるが、古い Upaniṣad が仏教に先行することは十分に確実だからである。14 またヴェーダ文献は Bimbisāra や Pasenadi、その他仏教の記録に名高い王侯のいずれをも知らない。
Videha の Janaka と Sītā の父との同定15 は異論の余地がより少ないが、証明はできず、いくらか疑わしい。Sūtra 文献においては Janaka は、妻の貞節が後代より重んじられなかった時代を知る古の王として現れる。16
- 1xi. 3, 1, 2; 4, 3, 20; 6, 2, 1 et seq.
- 2iii. 1, 1; iv. 1, 1; 2, 1; 4, 7; v. 14, 8.
- 3i. 19, 2(Journal of the American Oriental Society, 23, 329); ii. 76(ibid., 15, 238)。
- 4iv. 1.
- 5Śatapatha Brāhmaṇa, xi. 3, 1, 2; 4, 3, 20; Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, loc. cit.; Jaiminīya Brāhmaṇa, loc. cit.
- 6Śatapatha Brāhmaṇa, xi. 6, 2, 1 et seq.
- 7Kauṣītaki Upaniṣad, loc. cit.; Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, ii. 1, 1.
- 8xi. 6, 2, 10.
- 9iii. 10, 9, 9.
- 10xvi. 26, 7.
- 11Vincent Smith, Early History of India, 26 et seq.
- 12Hoernle, Osteology, 106.
- 13Rhys Davids, Buddhist India, 3 et seq.
- 14例えば von Schroeder, Indiens Literatur und Cultur, 243; Macdonell, Sanskrit Literature, 224; Deussen, Philosophy of the Upaniṣads, 23 et seq.; Keith, Aitareya Āraṇyaka, 25, 29 を見よ。
- 15Cf. Weber, Indian Literature, 135; von Schroeder, op. cit., 189; Macdonell, op. cit., 214.
- 16Jolly, Recht und Sitte, 48. Cf. Muir, Sanskrit Texts, 5, 426 et seq.; Max Müller, Ancient Sanskrit Literature, 421 et seq.; von Schroeder, op. cit., 187-189; Weber, Indische Studien, 1, 175, 231; Oldenberg, Buddha, 31, n. 同氏は Upaniṣad の思想の指導者たちの名にさほどの重要性を付すことの困難を正しく強調する。
Janatā§
Jana-pada§
Janam-ejaya 1§
1. Janam-ejaya(「人を駆り立てる者」)は王の名であり、Pārikṣita1 であって、Brāhmaṇa 期の終わり頃に名高い。彼は Śatapatha Brāhmaṇa2 において、疲れたときに甘い飲料で元気を回復させられる馬を所有する者として、また Aśvamedha すなわち馬祀の執行者3 として言及されている。Śatapatha4 および Aitareya5 の両 Brāhmaṇa に引かれる Gāthā によれば、その都は Āsandīvant であった。その兄弟 Ugrasena、Bhīmasena、Śrutasena は、
馬祀によって罪から自らを浄めた者として言及されている。彼のために祭祀を執り行った祭官は Indrota Daivāpi Śaunaka であった。6 他方 Aitareya Brāhmaṇa7 は、同じく彼の Aśvamedha に言及するが、その祭官として Tura Kāvaṣeya の名を挙げる。同書はまた不明瞭な話を含んでおり、彼が或る祭祀において Kaśyapa 族ではなく Bhūtavīra 族を用いたが、Asitamṛga 族に説かれて再び Kaśyapa 族に頼ったと述べる。8 彼は Kuru 族の王侯であった。Parikṣit を見よ。Gopatha Brāhmaṇa9 は彼について、明らかに古の英雄についてのものとして、不合理な話を語る。
- 1Śatapatha Brāhmaṇa, xiii. 5, 4, 1 et seq.; Aitareya Brāhmaṇa, vii. 34; viii. 11. 21; Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xvi. 8, 27 等。
- 2xi. 5, 5, 13.
- 3xiii. 5, 4, 1-3.
- 4xiii. 5, 4, 2.
- 5viii. 21.
- 6Śatapatha Brāhmaṇa, xiii. 5, 4, 1; Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, loc. cit.
- 7viii. 21. Cf. iv. 27; vii. 34.
- 8vii. 27. Cf. Weber, Indische Studien, 1, 204; Muir, Sanskrit Texts, 1², 438, n. 229; Eggeling, Sacred Books of the East, 43, 345, n.
- 9i. 2, 5. Cf. Weber, Indian Literature, 123-125; 134-136; Oldenberg, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 37, 65 et seq.; 42, 239; Pargiter, Journal of the Royal Asiatic Society, 1910, 28 et seq.
Janam-ejaya 2§
Jana-śruta§
Jana-śruta(「人々の間に名高い」)Kāṇḍviya は、Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa(iii. 40, 2)の Vaṃśa(師の一覧)に言及される Hṛtsvāśaya の弟子の名であり、また同 Brāhmaṇa(iii. 41, 1; iv. 17, 1)に言及される Jayanta の弟子 Vārakya の名でもある。Cf. Jānaśruti.
Jani, Janī§
Jani, Janī. ── これらの語は「妻」を指すと思われ、通常は夫(Pati)との関係において彼女に適用される。「女」というより一般的な意味は疑わしい。Uṣas が美しい Janī1 と呼ばれるとき、「妻」が意味されているかもしれないからであり、また Delbrück3 がこの意味のために引くもう一つの箇所2 は、子を生むことに関わるものであり、「妻たち」の意味を要求すると思われる。これらの語は通常複数形で現れるから4、それらが本来の「妻」ではなく遊女に
関わる可能性もある。しかしこれは蓋然性が低い。というのも Ṛgveda5 は「夫に対する妻たること」を表す patyur janitvam という句を用い、また janayo na patnīḥ6、「(家の)女主人たる妻らのごとく」7 という表現をも用い、さらにこの語が婚姻に関わる箇所8 をも含むからである。単数形は Yama と Yamī の対話9 に現れる。
- 1Rv. iv. 52, 1.
- 2v. 61, 3.
- 3Die indogermanischen Verwandtschaftsnamen, 413.
- 4i. 85, 1; iv. 5, 5; 19, 5; vii. 18, 2; 26, 3; ix. 86, 32; Vājasaneyi Saṃhitā, xii. 35; xx. 40. 43 等。Cf. Rv. x. 43, 1. x. 110, 5 においては句が patibhyo na janayaḥ であり、そこでは両方の複数形が総称的でありうる。
- 5x. 18, 8. Cf. viii. 2, 42 における janitvana。
- 6i. 62, 10; 186, 7.
- 7意味の区別はおそらく次のようなものであった。jani は子を産む者として(jan、「生む」から)「妻」を意味し、他方 patnī は家の女主人として(pati、「主」「夫」の女性形)「妻」を意味した。
- 8v. 61, 3. かくして x. 40, 10 においてもこの語は確実に婚姻に関わると思われる。
- 9x. 10, 3.
Janitṛ§
Jantu§
Janman§
Janya§
Janya は Ṛgveda(iv. 38, 6)および Atharvaveda(xi. 8, 1)において「花婿の付添人」という特別の意味を有する。
Jabālā§
Jabālā は Chāndogya Upaniṣad(iv. 4, 1. 2. 4)における私生児 Satyakāma の母の名である。
Jabhya§
Jamad-agni§
Jamad-agni は Ṛgveda のいくらか神話的な聖仙の一人であり、同書にしばしば言及される。若干の箇所1 においてはその名が、彼が讃歌の作者であることを示すような仕方で現れる。一度2 は Viśvāmitra とかく結びつけられている。他の箇所3 においては単に言及されるにすぎず、Jamadagni 族が一度言及されている。4 Atharvaveda5、ならびに Yajurveda の諸 Saṃhitā6 および Brāhmaṇa7 においては、彼はまったく頻出する人物である。ここでは彼は Viśvāmitra の友8、Vasiṣṭha の競争者9 として現れる。彼はその catū-rātra すなわち「四夜」の儀礼にその繁栄を負っており、その家系もまたこれによって大いに成功した。10 Atharvaveda11 においては Jamadagni が Atri および Kaṇva、ならびに Asita および Vitahavya と結びつけられている。彼は Śunaḥśepa の企てられた供犠において Adhvaryu 祭官であった。12
- 1Rv. iii. 62, 18; viii. 101, 8; ix. 62, 24; 65, 25.
- 2Rv. x. 167, 4.
- 3Rv. vii. 96, 3; ix. 97, 51.
- 4Rv. iii. 53, 15. 16.
- 5ii. 32, 3(cf. Taittirīya Āraṇyaka, iv. 36; Mantra Brāhmaṇa, ii. 7, 1); iv. 29, 3; v. 28, 7; vi. 137, 1; xviii. 3, 15. 16.
- 6Taittirīya Saṃhitā, ii. 2, 12, 4; iii. 1, 7, 3; 3, 5, 2; v. 2, 10, 5; 4, 11, 3; Maitrāyaṇī Saṃhitā, ii. 7, 19; iv. 2, 9; Kāṭhaka Saṃhitā, xvi. 19; xx. 9; Vājasaneyi Saṃhitā, iii. 62; xiii. 56.
- 7Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, ix. 4, 14; xiii. 5, 15; xxi. 10, 5-7; xxii. 7, 2; Aitareya Brāhmaṇa, vii. 16; Śatapatha Brāhmaṇa, xiii. 2, 2, 14; Taittirīya Āraṇyaka, i. 9, 7; Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, ii. 2, 4; Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa, iii. 3, 11; iv. 3, 1 等。
- 8Taittirīya Saṃhitā, iii. 1, 7, 3; v. 4, 11, 3; Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, xiii. 5, 15.
- 9Taittirīya Saṃhitā, loc. cit.
- 10Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, xxi. 10, 5-7.
- 11ii. 32, 3; vi. 137, 1.
- 12Aitareya Brāhmaṇa, vii. 16. Cf. Hopkins, Transactions of the Connecticut Academy of Arts and Sciences, 15, 53, 54; Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, 319; Weber, Indische Studien, 10, 95.
Jambha§
Jambhaka§
Jayaka Lauhitya§
Jayaka Lauhitya(「Lohita の後裔」)は、Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa(iii. 42, 1)の Vaṃśa(師の一覧)において Yaśasvin Jayanta Lauhitya の弟子として言及されている。
Jayanta§
Jayanta は Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa における数名の師の名である。
(a)Jayanta Pārāśarya(「Parāśara の後裔」)は Vaṃśa(師の一覧)1 において Vipaścit の弟子として言及されている。
(b)Jayanta Vārakya(「Varaka の後裔」)は同じ Vaṃśa1 において Kubera Vārakya の弟子として現れる。その祖父も同箇所において Kaṃsa Vārakya の弟子として言及されている。
(c)Suyajña Śāṇḍilya の弟子たる Jayanta Vārakya ── おそらく前者と同一人物 ── が別の Vaṃśa2 に見出される。
(d)Jayanta は Yaśasvin Lauhitya の名である。3
Dakṣa Jayanta Lauhitya をも見よ。
(訳注:底本ではこの項の脚注1が二度重複して現れる。一つに整理した。)
Jarā-bodha§
Jarāyu§
Jarāyu は Atharvaveda1 に一度、「蛇の脱け殻」の意で見出される。通常2 はそれは胎児の外側の被膜(絨毛膜)を指し、内側の被膜(羊膜)たる ulva と対比される。
生きものは時にその発生の様式に従って分類される。Chāndogya Upaniṣad3 においては (a) āṇḍa-ja「卵生」、(b) jīva-ja「胎生」すなわち母胎から生まれるもの、(c) udbhij-ja「芽によって繁殖するもの」に分けられる。Aitareya Āraṇyaka4 においては四分される ── (a) āṇḍa-ja、(b) jāru-ja すなわち jarāyu-ja(Atharvaveda5 に見出され、Böhtlingk6 はここで不必要にこう読む)、(c) udbhij-ja、(d) sveda-ja「湿生」であり、これは「昆虫」と説明される。
- 1i. 27, 1.
- 2Rv. v. 78, 8; Av. i. 11, 4; vi. 49, 1; ix. 4, 4; Taittirīya Saṃhitā, vi. 5, 6, 3; Vājasaneyi Saṃhitā, x. 8; xix. 76; Aitareya Brāhmaṇa, i. 3; Śatapatha Brāhmaṇa, iii. 2, 1, 11 等; Chāndogya Upaniṣad, iii. 10, 2 等。
- 3vi. 3, 1.
- 4ii. 6.
- 5i. 12, 1.
- 6Jaiminīya Brāhmaṇa, ii. 430, 6 における jāru を見よ。 Cf. Deussen, Philosophy of the Upaniṣads, 196, 292; Keith, Aitareya Āraṇyaka, 235.
Jaritṛ 1§
Jaritṛ 2§
Jarūtha§
Jartila§
Jartila、「野生の胡麻」は、Taittirīya Saṃhitā(v. 4, 3, 2)において祭祀の供物としてふさわしくないものとして言及されている。Śatapatha Brāhmaṇa(ix. 1, 1, 3)においては、胡麻の種が栽培植物の性質(すなわち食用となること)と野生植物の性質(耕されていない土地に生ずるがゆえに)とを兼ね備えるものとみなされている。
Jarvara§
Jala Jātūkarṇya§
Jala Jātūkarṇya(「Jātūkarṇa の後裔」)は、Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra(xvi. 29, 6)において Kāśi、Videha、Kosala の三民族ないし三王の Purohita すなわち家門の祭官の地位を得た者として言及されている。
Jalāṣa-bheṣaja§
Jalāṣa-bheṣaja、「Jalāṣa を薬とする者」は、Ṛgveda1 および Atharvaveda2 における Rudra の形容辞である。
Jālāṣa という語は Atharvaveda の一讃歌3 に現れ、そこではおそらく腫瘍ないし腫れ物に対する薬を指す。4 この箇所への注釈者および Kauśika Sūtra5 は Jālāṣa を「尿」の意とみなすが、これは蓋然的な解釈と思われる。6 しかし Geldner7 は、尿として捉えられた雨水が意味されていると考える。また Naighaṇṭuka8 は jalāṣa と udaka「水」とを同一視する。
- 1i. 43, 4; viii. 29, 5.
- 2ii. 27, 6. それはまた Nīlarudra Upaniṣad(きわめて後代の書)3 にも現れ、形容詞としての jalāṣa は Rv. ii. 33, 7; viii. 33, 6 に見出される。
- 3vi. 57.
- 4Bloomfield, American Journal of Philology, 11, 321 et seq.; Hymns of the Atharvaveda, 489.
- 5xxxi. 11.
- 6Bloomfield, American Journal of Philology, 12, 425 et seq.
- 7Vedische Studien, 3, 139, n. 2.
- 8i. 12. Cf. Whitney, Translation of the Atharvaveda, 323, 324; Macdonell, Vedic Mythology, pp. 76, 77; Hopkins, Proceedings of the American Oriental Society, 1894, cl.
Jaṣa§
Jahakā§
Jahnu§
Jahnu は Śunaḥśepa の伝説においてのみ複数形で現れる。Śunaḥśepa は Devarāta として、Jahnu 族の主権と Gāthin 族の神的な学の双方を得たと言われる。1 Pañcaviṃśa Brāhmaṇa2 によれば、
Jāhnava すなわち Jahnu の後裔は Viśvāmitra であり、彼は或る catū-rātra すなわち「四夜」の儀礼によって、Vṛcīvant 族との抗争において Jahnu 族のために王国を確保したと言われる。彼はここで王として記述されている。さらに Aitareya Brāhmaṇa3 においては、Viśvāmitra が rāja-putra、「王子」、および Bharata-rṣabha、「Bharata 族の牡牛」と呼びかけられている。したがって Brāhmaṇa 文献は ── 諸 Saṃhitā はそうでないが ── 彼に出自において祭官かつ王侯たることを見ていたことが明らかである。もっとも、後代の文献の異伝におけるように、彼のうちにバラモン性を獲得した王侯を見るという痕跡はまったくない。4
Jahnāvī が Ṛgveda5 に二度言及されており、それは Jahnu の妻であるか、あるいは Sāyaṇa の考えるように Jahnu の族である。この家系はかつて偉大なものであったに違いなく、後に Bharata 族に融合したのである。
- 1Aitareya Brāhmaṇa, vii. 18(Jahnūnāṃ cādhipatye daive vede ca Gāthinām); Āśvalāyana Śrauta Sūtra, xii. 14; Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xv. 27(Hillebrandt 校訂本 p. 195, 21行目。同箇所では読みが異なり意味も変わる ── Jahnūnāṃ cādhitasthire daive vede ca Gāthinaḥ。二つの ca は正当化しえず、本文は不正確であるに違いない)。
- 2xxi. 12. Cf. Hopkins, Transactions of the Connecticut Academy of Arts and Sciences, 15, 54。同氏は Sāyaṇa が誤解する箇所を正しく説明する。
- 3vii. 17, 6, 7.
- 4Muir, Sanskrit Texts, 1, 337 et seq.
- 5i. 116, 19; iii. 58, 6. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 153.
Jāta Śākāyanya§
Jāta Śākāyanya(「Śāka の後裔」)は、Kāṭhaka Saṃhitā(xxii. 7)において儀礼上の権威にして Śaṅkha と同時代の人として言及されている。
Jāta-rūpa§
Jāti§
Jātū-karṇya§
Jātū-karṇya、「Jātūkarṇa の後裔」は、数名の人物の父称である。
(a)Āsurāyaṇa および Yāska の弟子がこの名を、Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad の Kāṇva 伝本の Vaṃśa(師の一覧)1 において帯びる。Mādhyaṃdina 伝本2 においては彼は Bhāradvāja の弟子である。
(b)Kātyāyanī-putra、「Kātyāyanī の子」がこの名を Śāṅkhāyana Āraṇyaka3 において帯びる。
(c)或る Jātūkarṇya が Kauṣītaki Brāhmaṇa4 において Alīkayu Vācaspatya その他の聖仙たちと同時代の人として言及されている。
(d)Jātūkarṇya は Sūtra 文献5 においてしばしば師の父称であるが、その同一性は確定しえない。同一人物が意味されているとも、別人が意味されているとも考えうる。
- 1ii. 6, 3; iv. 6, 3.
- 2ii. 5, 21; iv. 5, 27.
- 3viii. 10.
- 4xxvi. 5(Lindner の索引 159 における Jātukarṇya は誤植である)。
- 5Aitareya Āraṇyaka, v. 3, 3; Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, i. 2, 17; iii. 16, 14; 20, 19; xvi. 29, 6(Jala); Kātyāyana Śrauta Sūtra, iv. 1, 27; xx. 3, 17; xxv. 7, 34 等。 Cf. Weber, Indian Literature, 138-140.
Jātū-ṣṭhira§
Jāna§
Jānaka§
Jānaki§
Jānaṃ-tapi§
Jānaṃ-tapi、「Janaṃtapa の後裔」は、Aitareya Brāhmaṇa(viii. 23)における Atyarāti の父称である。
Jāna-pada§
Jāna-pada. Janapada を見よ。
Jāna-śruti§
Jāna-śruti、「Jānaśruta の後裔」は、Chāndogya Upaniṣad(iv. 1, 1; 2, 1)における Pautrāyaṇa の父称である。
Jāna-śruteya§
Jābāla§
Jābālāyana§
Jābālāyana、「Jābāla の後裔」は、Mādhyaṃdināyana の弟子たる師の父称であり、Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad の Kāṇva 伝本の第二の Vaṃśa(師の一覧)(iv. 6, 2)に言及されている。
Jāmadagniya§
Jāmātṛ§
Jāmi§
Jāmi は、本来「血によって結ばれた」を意味したと思われる語であり、「姉妹」(Svasṛ)の形容辞として稀ならず用いられ、時には「姉妹」そのものをも指す。その場合、血縁の関係に力点が置かれる。1 かくしてそれは Atharvaveda の一箇所2 に現れ、そこでは「兄弟なき姉妹たち」
(abhrātara iva jāmayaḥ)に言及がある。この語は同様に、Aitareya Brāhmaṇa3 に現れる論争 ── 或る儀礼において Rākā と神々の妻たちのいずれが優先するかをめぐる ── においても用いられる。そこでは一方の立場が、姉妹が妻に優先すべきである(jāmyai vai pūrva-peyam)と主張するものとして記述されている ── 明らかに家族の儀礼的な会食において ── 。おそらくは姉妹が夫と同じ血に属するのに対し、妻はそうでない(anyodaryā、「別の胎の」)からである。4 中性形5 においては「血縁関係」を意味し、Ṛgveda6 に現れる jāmi-tva も同様である。
- 1Cf. Delbrück, Die indogermanischen Verwandtschaftsnamen, 463, 464. 「親族」としては例えば Rv. i. 31, 10; 75, 3. 4; 100, 11; 124, 6 等に現れる。「姉妹」としては Rv. i. 65, 7; x. 10, 10 等。svasā とともには i. 123, 5; 185, 5; iii. 1, 11; ix. 65, 1; 89, 4 等。
- 2i. 17, 1.
- 3iii. 37.
- 4Delbrück, loc. cit.
- 5Rv. iii. 54, 9; x. 10, 4。jāmi-kṛt、「血縁関係を作る」、Av. iv. 19, 1. Cf. Aitareya Brāhmaṇa, loc. cit.
- 6i. 105, 9; 166, 13; x. 55, 4; 64, 13.
Jāmi-śaṃsa§
Jāmbila§
Jāyantī-putra§
Jāyā§
Jāyā は常に「妻」を指し、Patnī と対比されて、夫の愛情の対象としての妻、
種族の存続の源としての妻を指す。1 かくしてそれは Ṛgveda2 において賭博者の妻について、またバラモンの妻について用いられる。それはまた同書においても後代の文献4 においても、Pati、「夫」としばしば結びつけられる。3 他方 Patnī は、祭祀における伴侶としての妻を指すのに用いられる。5 彼女に祭祀における分け前が割り当てられない場合には、Jāyā と呼ばれる。6 もとよりこの区別は相対的なものにすぎない。それゆえ或る文献7 は Manu の妻を Jāyā と呼び、別の文献8 は Patnī と呼ぶ。後代には Jāyā は Dāra に取って代わられる。
- 1Delbrück, Die indogermanischen Verwandtschaftsnamen, 411, 412. Cf. Rv. i. 105, 2; 124, 7; iii. 53, 4; iv. 3, 2; 18, 3; ix. 82, 4; x. 10, 7; 17, 1; 71, 4 等; Av. iii. 30, 2; vi. 60, 1 等。
- 2x. 34, 2. 3. 13、および x. 109.
- 3Rv. iv. 3, 2; x. 149, 4.
- 4Aitareya Brāhmaṇa, iii. 23, 1. Cf. vii. 13, 10; Śatapatha Brāhmaṇa, iv. 6, 7, 9. Cf. Maitrāyaṇī Saṃhitā, i. 6, 12.
- 5Śatapatha Brāhmaṇa, i. 9, 2, 14.
- 6i. 1, 4, 13.
- 7Ibid., i. 1, 4, 16.
- 8Maitrāyaṇī Saṃhitā, iv. 8, 1.
Jāyānya§
Jāyānya1、Jāyenya2 は、Atharvaveda および Taittirīya Saṃhitā に言及される疾病の名の異形である。前者の文献の一箇所3 においては、黄疸(harimā)および肢体の痛み(aṅga-bhedo visalpakaḥ)とともに言及されている。Zimmer4 はこれらをその症状と考え、これを一種の Yakṣma すなわち肺の疾病と同定する。Bloomfield5 は、Kauśika Sūtra6 の儀礼における或る徴証に従って、これを梅毒と同定することを選ぶ。Roth は「痛風」と推測するが、Whitney7 はこの疾病の性質を疑わしいままにしている。
- 1Av. vii. 76, 3-5; xix. 44, 2.
- 2Taittirīya Saṃhitā, ii. 3, 5, 2; 5, 6, 5.
- 3xix. 44, 2.
- 4Altindisches Leben, 377。Akṣata を記述する Wise, Hindu System of Medicine, 321 に従う。
- 5American Journal of Philology, 11, 320 et seq.; Hymns of the Atharvaveda, 559-561.
- 6xxxii. 11. また Av. vii. 76 への注釈、および Taittirīya Saṃhitā, loc. cit. をも Cf.
- 7Translation of the Atharvaveda, 442. Cf. Henry, Le livre VII de l'Atharvavéda, 98.
Jāra§
Jārat-kārava Ārtabhāga§
Jārat-kārava(「Jaratkāru の後裔」)Ārtabhāga(「Ṛtabhāga の後裔」)は、Śāṅkhāyana Āraṇyaka(vii. 20)および Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad(iii. 2, 1、両伝本において)に言及される師の名である。
Jāru§
Jāru. Jarāyu を見よ。
Jāla§
Jālāṣa§
Jāṣkamada§
Jās-pati§
Jāhuṣa§
Jāhnava§
Jitvan Śailini§
Jihvāvant Bādhyoga§
Jīva-gṛbh§
Jīva-ja§
Jīva-ja. Jarāyu を見よ。
Jīvant§
Jīvala Callaki§
Juhū§
Jūrṇi§
Jūrṇī§
Jūrṇī は Atharvaveda の一讃歌(ii. 24, 5)において蛇に与えられた名の一つであり、おそらくその脱皮の習性に因む。Ahi を見よ。
Jetṛ§
Jetṛ. Sṛṇi を見よ。
Jaitrāyaṇa Saho-jit§
Jaitrāyaṇa Saho-jit は Kāṭhaka Saṃhitā1 において、明らかに Rājasūya すなわち「王の灌頂」を行った王侯の名である。von Schroeder2 は Jaitrāyaṇa が固有名詞であることを支持して、Pāṇini3 が言及する Gaṇa karṇādi に従って形成された派生語 Jaitrāyaṇi、「Jaitra の後裔」を引く。しかし注意すべきは、Kapiṣṭhala Saṃhitā4 の並行箇所においては読みが異なり、いかなる固有の人名も現れず、主語が神 Indra であることである。この読みのほうがはるかに蓋然性が高いと思われる。というのもこの詩節は一般的なものであるべきであり、この儀礼を行うあらゆる王に適合すべきだからである。
Jaimini§
Jaimini は Sūtra 期に至るまで現れない。1 しかし Sāmaveda の Jaiminīya Saṃhitā が現存しており、Caland によって校訂され論じられている。2 また Jaiminīya Brāhmaṇa が知られており、その特別の一部が Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa3 である。これは Oertel による数篇の論文の主題をなしてきた。4
- 1Āśvalāyana Gṛhya Sūtra, iii. 4; Śāṅkhāyana Gṛhya Sūtra, iv. 10; vi. 6 等。彼はまた Vyāsa の弟子としても現れる。Sāmavidhāna Brāhmaṇa, ad fin.; Weber, Indische Studien, 4, 377. Cf. 同氏の Indian Literature, 56.
- 2Hillebrandt, Indische Forschungen, Breslau, 1907 の第2部として。Oldenberg, Göttingische Gelehrte Anzeigen, 1908, 712 et seq. を見よ。
- 3Oertel 校訂、Journal of the American Oriental Society, 16, 79-260.
- 4Journal of the American Oriental Society, 18, 15 et seq.; 19, 97; 23, 325; 26, 176, 306; 28, 81; Actes du onzième Congrès International des Orientalistes, 1, 225; Transactions of the Connecticut Academy of Arts and Sciences, 15, 155 et seq.
Jaivantāyana§
Jaivala§
Jñātṛ§
Jñāti§
Jñāti(男性)は、本来「知り合い」を意味したと思われる語であり1、Ṛgveda2 および後代3 において「親族」を指す。明らかに父方の血によって結ばれた者であるが、諸箇所は必ずしもこの限定を要求しない。しかしこの意味は、ヴェーダ社会の家父長制的基礎から十分に自然に導かれる。4
- 1意味からすれば一見より蓋然的に見える jan、「生む」からではなく、まず間違いなく jñā、「知る」から派生している。Cf. St. Petersburg Dictionary, s.v.
- 2vii. 55, 5 は父の家に眠る合同家族の成員に関わると思われる。x. 66, 14; 85, 28(花嫁の親族が意味されている); 117, 9(おそらくここでは jñātī によって「兄と妹」が意味されているが、「親族」でも差し支えない。cf. Muir, Sanskrit Texts, 5, 432)。
- 3Av. xii. 5, 44(同箇所で Whitney はその訳においてこの語を「知人」と訳すが、これはあまりに漠然として弱いと思われる); Taittirīya Brāhmaṇa, i. 6, 5, 2; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 6, 4, 3(jñātibhyāṃ vā sakhibhyāṃ vā、そこでは「親族」が「友」ないし「仲間」と対比される); ii. 2, 2, 20; 5, 2, 20; xi. 3, 3, 7 等。
- 4語源的な意味からの移行については、Homeros において「兄弟」「姉妹」を表す γνωτός, γνωτή を cf. St. Petersburg Dictionary, s.v.
Jyā§
Jyā は Ṛgveda1 および後代2 において「弓弦」を表す通常の語である。弓弦の製作が特別の職であったことは、Yajurveda3 における Puruṣamedha すなわち人身供犠の犠牲者のうちに Jyā-kāra すなわち「弓弦を作る者」が現れることによって示される。弓弦は牛皮の革紐から成っていた。4 それは通常は張られたままにされず5、弓を用いるべきときに特に張られた。6 弓弦の音(jyā-ghoṣa)が Atharvaveda7 に言及されている。
Cf. Ārtnī.
- 1iv. 27, 3; vi. 75, 3; x. 51, 6 等。
- 2Av. i. 1, 3; v. 13, 6; vi. 42, 1; Vājasaneyi Saṃhitā, xvi. 9; xxix. 51 等。
- 3Vājasaneyi Saṃhitā, xxx. 7; Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 4, 3, 1.
- 4Rv. vi. 75, 3; Av. i. 1, 3. 叙事詩においては弓弦は麻(maurvī)から作られる。Hopkins, Journal of the American Oriental Society, 13, 271.
- 5Av. vi. 42, 1.
- 6Rv. x. 166, 3.
- 7v. 21, 9. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 298, 299.
Jyākā§
Jyā-pāśa§
Jyā-pāśa は Atharvaveda(xi. 10, 22)において「弓弦」を意味する。
Jyā-hroḍa§
Jyā-hroḍa は Pañcaviṃśa Brāhmaṇa1 における Vrātya の武具の記述に現れ、また Sūtra 文献2 にも言及される。その意味はいささか不明瞭である。というのも一方の Sūtra はこれを「用に供せられぬ弓」(ayogyaṃ dhanus)と記述し3、他方は「矢のない弓」(dhanuṣka aniṣu)と語るからである。4 それゆえ或る種の弓が意味されていると思われる。
- 1xvii. 1, 14(本文では -hṇoḍa、注釈では -hnoḍa と綴られる)。
- 2Kātyāyana Śrauta Sūtra, xxii. 4, 11(-hroḍa と綴られる); Lāṭyāyana Śrauta Sūtra, viii. 6, 8(-hnoḍa と綴られる。校訂者は Drāhyāyaṇa Sūtra が同じ読みを有すると注記する)。
- 3Kātyāyana, loc. cit.
- 4Lāṭyāyana, loc. cit. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 38; Hopkins, Transactions of the Connecticut Academy of Arts and Sciences, 15, 32; Weber, Indische Studien, 1, 33, 52.
Jyeṣṭha§
Jyeṣṭha-ghnī§
Jyeṣṭhā§
Jyeṣṭhā. Nakṣatra を見よ。
Jyaiṣṭhineya§
Jyotiṣa§
Jvālāyana§
Jvālāyana、「Jvāla の後裔」は、Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa(iv. 16, 1)の師の一覧に言及される Gauṣūkti の弟子たる人物の名である。