研究資料に戻る ヴェーダ固有名詞・事項索引Vedic Index of Names and Subjects

の部

Ṛkṣa 1§

1. Ṛkṣa、「熊」は Ṛgveda1 に一度のみ見出され、後代にも稀にしか現れない。2 この動物はヴェーダ時代のインド人の占めた地域では明らかに稀少であった。より頻繁というわけではないのが3、この語の複数形を用いて「七頭の熊」、後に「七 Ṛṣi」4 と呼ばれる「大熊座」(ἄρκτος、ursa)の星座を指す用法である。

  • 1v. 56, 3.
  • 2Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 14, 17; Vājasaneyi Saṃhitā, xxiv. 36; Jaiminīya Brāhmaṇa, i. 184. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 81.
  • 3Rv. i. 24, 10; Śatapatha Brāhmaṇa, ii. 1, 2, 4; Taittirīya Āraṇyaka, i. 11, 2. Cf. Hillebrandt, Vedische Mythologie, 3, 422.
  • 4Cf. Macdonell, Vedic Mythology, p. 144(D)。

Ṛkṣa 2§

2. Ṛkṣa は Ṛgveda1 の Dānastuti(「贈与の讃」)の一詩節に言及される庇護者の名であり、その子は次の詩節において Ārkṣa として言及されている。

  • 1viii. 68, 15. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 163.

Ṛkṣākā§

Ṛkṣākā は Atharvaveda1 の不明瞭な一箇所に一度現れる語である。その意味はまったく知られていない。Weber2 はそれが「天の川」に関わると考えるが、彼の見解には何の証拠もない。Whitney3 はこの箇所について匙を投げている。

  • 1xviii. 2, 31.
  • 2Festgruss an Roth, 138, n. 2; Berlin Catalogue, 2, 59, 11; Proceedings of the Berlin Academy, 1895, 856.
  • 3Translation of the Atharvaveda, 840.

Ṛkṣīkā§

Ṛkṣīkā は Atharvaveda1、Vājasaneyi Saṃhitā2、Śatapatha Brāhmaṇa3 に見出される語であり、悪鬼を指すと思われる。しかし Harisvāmin は Śatapatha Brāhmaṇa への注釈において、この語を「熊」を意味する Ṛkṣa と結びつけている。

  • 1xii. 1, 49.
  • 2xxx. 8.
  • 3xiii. 2, 4, 2. 4. Cf. Eggeling, Sacred Books of the East, 44, 307.

Ṛg-veda§

Ṛg-veda、すなわち Ṛc の集成の正式な名称は、Brāhmaṇa 文献1 に初めて現れ、それ以後 Āraṇyaka2 および Upaniṣad3 にしばしば現れる。

  • 1Aitareya Brāhmaṇa, i. 32、また Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 12, 9, 1; Śatapatha Brāhmaṇa, vi. 5, 4, 6; 8, 3; xii. 3, 4, 9 において含意されている。
  • 2Aitareya Āraṇyaka, iii. 2, 3. 5; Śāṅkhāyana Āraṇyaka, viii. 3. 8.
  • 3Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, i. 5, 12; ii. 4, 10; iv. 1, 6; 5, 11; Chāndogya Upaniṣad, i. 3, 7; iii. 1, 2. 3; 15, 7; vii. 1, 2. 4; 2, 1; 7, 1.

Ṛjiśvan§

Ṛjiśvan は Ṛgveda1 に数度言及されるが、常に漠然とした仕方であり、あたかもきわめて古き者であるかのごとくである。彼は Pipru や黒き族(kṛṣṇa-garbhāḥ)といった悪鬼的な者たちに対する戦いにおいて Indra を助ける。Ludwig2 によれば、彼は Auśija の子と呼ばれたが3、これは疑わしい。彼は二度4 明瞭に Vaidathina、すなわち Vidathin の後裔と呼ばれている。

  • 1i. 51, 5; 53, 8; 101, 1; vi. 20, 7; viii. 49, 10; x. 99, 11; 138, 3.
  • 2Translation of the Rigveda, 3, 143, 149.
  • 3Rv. x. 99, 11. Cf. Auśija.
  • 4Rv. iv. 16, 13; v. 29, 11. Cf. Macdonell, Vedic Mythology, p. 161(C)。

Ṛjūnas§

Ṛjūnas は Ṛgveda1 に一度のみ、他の六名の Soma 祭主とともに言及されている。

  • 1viii. 52, 2. Cf. Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 163.

Ṛjrāśva§

Ṛjrāśva は Ṛgveda1 において AmbarīṣaSurādhasSahadevaBhayamāna とともに Vārṣāgira の一人として現れ、また明らかに競走における勝利者として現れる。Ṛgveda の他の箇所2 においては、

牝狼のために百頭の牡羊を屠ったがゆえに父によって盲目にされ、Aśvin 双神によって視力を回復させられた者として称讃されている。これはまったく意味の不明瞭な伝説である。

  • Cf. Macdonell, Vedic Mythology, p. 52.
  • 1i. 100, 16. 17.
  • 2i. 116, 17; 117, 16. 17.

Ṛṇa§

Ṛṇa、「負債」は Ṛgveda1 以降繰り返し言及され、ヴェーダ時代のインド人の間では明らかに常態であった。賭博において負った債務にしばしば言及がなされる。2 債務を返済することは ṛṇaṃ saṃ-nī3 と呼ばれた。返済の意思なく負われた債務にも言及がある。4

債務不履行の結果はきわめて重大でありえた。賭博者は隷属に陥りうる。5 債務者は、盗人その他の犯罪者と同じく、しばしば債権者によって柱(dru-pada)に縛りつけられたが6、これはおそらく債務の返済を彼らあるいはその友人に迫る手段としてであろう。

支払われるべき利息の額を明らかにすることは不可能である。Ṛgveda および Atharvaveda の一箇所7 においては、八分の一(śapha)および十六分の一(kalā)が支払われるものとして言及されているが、利息が意味されているのか元本の分割払いが意味されているのかはまったく不確かである。おそらく利息は現物で支払われたであろう。

債務がどこまで相続されうる権利ないし義務であったかは明らかでない。Kauśika Sūtra8 は Atharvaveda の三讃歌9 を、

債権者の死後における債務の弁済の機会に用いられるものとみなしている。債務者の親族による債務の弁済については、証拠はさらに乏しい。10

Zimmer11 は、債務の弁済が、紛争の際に証人として訴えうる者たちの面前で行われたと考える。しかしこの結論はきわめて不確かであり、Atharvaveda12 の漠然とした一詩節のみに拠っている。

  • 1ii. 27, 4 等。通常は比喩的な意味において。
  • 2Rv. x. 34, 10; Av. vi. 119, 1.
  • 3Rv. viii. 47, 17 = Av. vi. 46, 3.
  • 4Av. vi. 119, 1.
  • 5Rv. x. 34. Cf. Lüders, Das Würfelspiel im alten Indien, 61.
  • 6Rv. x. 34, 4 はむしろ縛って奴隷として連れ去ることに関わるように思われる。もっとも Pischel, Vedische Studien, 1, 228 はこれを不払いによる債務者の拘束と説明し、不明瞭な詩節 i. 169, 7 を同様に解釈する。しかし Av. vi. 115, 2, 3 は債務に関わるものかもしれず、もしこれがその意味であるならば、刑罰としての柱への拘束への言及は明白である。ただし Bloomfield, Hymns of the Atharvaveda, 528, n. 1 を見よ。また Whitney, Translation of the Atharvaveda, 364 はこの讃歌を罪にのみ関わるものと解釈する。Rv. i. 24, 13. 15; Av. vi. 63, 3 = 84, 4; 121, 1 et seq. は一般的なものである。他方 Rv. vii. 86, 5; Av. xix. 47, 9; 50, 1 は盗人を枷に繋ぐことに関わる。Cf. Taskara.
  • 7Rv. viii. 47, 17 = Av. vi. 46, 3.
  • 8xlvi. 36-40. Caland, Altindisches Zauberritual, 154; Bloomfield, op. cit., 528 を見よ。
  • 9vi. 117-119. 未払いの債務を表す名称は、Av. vi. 117, 1 においては apamityam apratītam、Taittirīya Saṃhitā, iii. 3, 8, 1 においては kusīdam apratīttam、Maitrāyaṇī Saṃhitā, iv. 14, 17 および Taittirīya Āraṇyaka, ii. 3, 1, 8 においては kusīdam apratītam、Mantra Brāhmaṇa, ii. 3, 20 においては apradattam である。
  • 10Cf. Rv. iv. 3, 13(兄弟の罪ないし債務); Jolly, Recht und Sitte, 99, 100.
  • 11Altindisches Leben, 181. この示唆は Bloomfield, op. cit., 375 および Whitney, op. cit., 304 によって無視されている。
  • 12vi. 32, 3 = viii. 8, 21. Cf. Śāṅkhāyana Āraṇyaka, xii. 14。また Jñātṛ を見よ。 Cf. Zimmer, op. cit., 181, 182; 259.

Ṛṇaṃ-caya§

Ṛṇaṃ-cayaRuśama 族の王であり、Ṛgveda の Dānastuti(「贈与の讃」)(v. 30, 12. 14)において Babhru という名の詩人への寛大さのゆえに称讃されている。

  • Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 129; Macdonell 校訂 Bṛhaddevatā, 2, 169, 174.

Ṛtu§

Ṛtu、「季節」は、Ṛgveda1 以降繰り返し言及される語である。一年の三季節がしばしば仄めかされるが2、その名称は通常明示されない。Ṛgveda の一箇所3 においては春(vasanta)、夏(grīṣma)、秋(śarad)が挙げられている。Ṛgveda は雨季(prā-vṛṣ)と冬(himā, hemanta)をも知っている。より通常の4 区分は(Ṛgveda には見出されないが)五季節、すなわち

vasanta, grīṣma, varṣā, śarad, hemanta-śiśira への区分であるが、時にこの五つは別様に分けられ、varṣā-śarad が一季節とされる。5 時には六季節6 が数えられ、hemantaśiśira が分けられて、六季節が一年十二か月と対応させられる。さらに人為的な配列7 は季節を七とするが、これはおそらく Weber と Zimmer8 の主張するように閏月を一季節と数えることによるか、あるいはより蓋然性高く、Roth9 の示唆するように七という数への偏愛によるものであろう。時に ṛtu という語は月に適用される。10 Śatapatha Brāhmaṇa11 によれば、最後の季節は hemanta である。

季節の区分が三から五へと増大したことは、Zimmer12 によってヴェーダ時代のインド人の東方への前進を示すものとして正しく説明されている。それは Ṛgveda に属するものではないが、後期の諸 Saṃhitā を支配している。一年を冬と夏に分けるより古い区分の痕跡は Ṛgveda には明瞭に現れない。同書において該当する語 himāsamā とは単に一年の一般的な呼称にすぎず、また śarad13 はそのいずれよりも一年の呼称として一般的である。というのもそれは収穫を意味し、若き農耕民にとって圧倒的な重要性を有する時期だからである。Atharvaveda の一箇所14 における一年の六か月ずつ二期への区分は単に形式的なものにすぎず、古き伝統の徴証では決してない。

  • 1i. 49, 3; 84, 18 等。
  • 2Cf. Rv. i. 164, 2(tri-nābhi), 48(trīṇi nabhyāni)。またおそらく、三季節と三つの暁の精霊としての Ṛbhu 神群も。Cf. Macdonell, Vedic Mythology, p. 133; Hillebrandt, Vedische Mythologie, 2, 33 et seq.; Śatapatha Brāhmaṇa, xiv. 1, 1, 28、および儀礼において季節の初めに行われる cāturmāsyāni すなわち四か月ごとの祭祀(Weber, Naxatra, 2, 329 et seq.)。
  • 3x. 90, 6. Hillebrandt, op. cit., 2, 35 は Rv. v. 14, 4; ix. 91, 6 において、gāvaḥ(春か)、āpaḥ(雨季)、svar(= gharma)という三組のうちに三季節への言及を見出し、また儀礼文献(Āpastamba Śrauta Sūtra, viii. 4, 2)においては ṛta, gharma, oṣadhi という三分のうちにそれを見出す。
  • 4Av. viii. 2, 22; 9, 15; xiii. 1, 18; Taittirīya Saṃhitā, i. 6, 2, 3; iv. 3, 3, 1. 2; v. 1, 10, 3; 3, 1, 2; 4, 12, 2; 6, 10, 1; 7, 2, 4; vii. 1, 18, 1. 2; Maitrāyaṇī Saṃhitā, i. 7, 3; iii. 4, 8; 13, 1; Kāṭhaka Saṃhitā, iv. 14; ix. 16; Vājasaneyi Saṃhitā, x. 10-14; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 3, 5, 11; vi. 2, 2, 3 等; Taittirīya Brāhmaṇa, iii. 10, 4, 1; 11, 10, 4 等。Cf. Rv. i. 164, 13. また Weber, op. cit., 2, 352 を見よ。
  • 5Śatapatha Brāhmaṇa, xiii. 6, 1, 10. 11.
  • 6Av. vi. 55, 2; xii. 1, 36; Taittirīya Saṃhitā, v. 1, 5, 2; 7, 3; 2, 6, 1 等; Maitrāyaṇī Saṃhitā, i. 7, 3; iii. 11, 12; Kāṭhaka Saṃhitā, viii. 6; Vājasaneyi Saṃhitā, xxi. 23-28; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 7, 2, 21; ii. 4, 2, 24; xii. 8, 2, 34; Taittirīya Brāhmaṇa, ii. 6, 19 等。また Roth, St. Petersburg Dictionary, s.v. indu の解する Rv. i. 23, 15 をも cf.
  • 7Av. vi. 61, 2; viii. 9, 18; Śatapatha Brāhmaṇa, viii. 5, 1, 15; ix. 1, 2, 31; 2, 3, 45; 3, 1, 19; 5, 2, 8; おそらく Av. iv. 11, 9 も。また cf. Rv. i. 164, 1.
  • 8Indische Studien, 18, 44; Altindisches Leben, 374.
  • 9St. Petersburg Dictionary, s.v. ṛtu. Cf. Hopkins, Religions of India, 18, 33.
  • 10Av. xv. 4; Taittirīya Saṃhitā, iv. 4, 11, 1; Vājasaneyi Saṃhitā, xiii. 25; xiv. 6. 15. 26. 27; xv. 57 等。
  • 11i. 5, 3, 13.
  • 12Op. cit., 373.
  • 13Hopkins, American Journal of Philology, 15, 159, 160; Weber, Indische Studien, 17, 232; Bühler, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 41, 28.
  • 14viii. 9, 17. Cf. Zimmer, 372.

Ṛtu-parṇa§

Ṛtu-parṇa は Baudhāyana Śrauta Sūtra1 の Brāhmaṇa 風の一節において、Bhaṅgāśvin の子にして Śaphāla の王として現れる。Āpastamba Śrauta Sūtra2 には Ṛtuparṇa-Kayovadhī Bhaṅgyaśvinau が言及されている。

  • 1xx. 12.
  • 2xxi. 20, 3. Cf. Caland, Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 57, 745.

Ṛtv-ij§

Ṛtv-ij は「祭官」を表す通常の語であり、祭祀に用いられるあらゆる種類の祭官を包括する。祭官がすべて Brāhmaṇa であったことは確実と思われる。1 一つの祭祀において異なる職掌をもって奉仕する祭官の数は、ほぼ確実に七であった。Ṛgveda の一箇所2 に現れる最古の一覧は、その名を Hotṛ、Potṛ、Neṣṭṛ、Agnīdh、Praśāstṛ、Adhvaryu、Brahman と数え上げ、これに祭主が加わる。この七という数が、Ṛgveda にきわめて頻繁に現れる「七 Hotṛ」という句をおそらく説明するものであり、また神話的な「七 Ṛṣi」の数とも関係する蓋然性が高い。これはイランにおける八3 と比較しうる。七祭官の長は Hotṛ であり、彼は讃歌の歌い手であって、初期においてはその作者でもあった。Adhvaryu は祭祀の実務を執り行い、その所作に祈願と厄除けの呪文を低く唱えて伴わせた。彼の主たる補助は Agnīdh から得られ、小規模の祭祀においてはこの二人が実務面において他の助力なしにこれを行った。Praśāstṛ、Upavaktṛ、あるいは Maitrāvaruṇa と種々に呼ばれた祭官は、より大規模な祭祀においてのみ現れ、Hotṛ に指示を与え、また或る種の連禱を託された。Potṛ、Neṣṭṛ、Brahman は Soma 祭の儀礼に属し、最後の者は後に

後代の儀礼において監督として働く祭官と区別するために Brāhmaṇācchaṃsin と称された。Ṛgveda4 に言及される他の祭官は Sāman すなわち詠唱の歌い手であって、Udgātṛ とその助手たる Prastotṛ である。他方、もう一人の助手たる Pratihartṛ は言及されていないが、知られていたとしても十分にありうる。彼らの職掌は疑いなく儀礼の後の段階を表すものであり、一方では精緻な一連の祭祀の呼びかけの発達を、他方では Soma 草に宛てられた長い讃歌の使用を示す。他の祭官、例えば Achāvāka5、Grāvastut、Unnetṛ、Subrahmaṇya は、Brāhmaṇa 文献の発達した儀礼において後に知られるようになり、総計十六人の祭官をなす。これらは専門的かつ人為的に四組6 に分類された ── Hotṛ、Maitrāvaruṇa、Achāvāka、Grāvastut。Udgātṛ、Prastotṛ、Pratihartṛ、Subrahmaṇya。Adhvaryu、Pratiprasthātṛ、Neṣṭṛ、Unnetṛ。Brahman、Brāhmaṇācchaṃsin、Agnīdhra、Potṛ である。

これらすべての祭官とは別に Purohita があり、彼は王のあらゆる宗教的義務における霊的助言者であった。Geldner7 は、Purohita が大祭の一つに実際に参加する場合、通例は Brahman の役を、すなわち儀礼の遂行全体を統括する祭官という意味において演じたと主張する。彼はこの見解の証拠を、Purohita と Brahman とが結合ないし同一視されている Ṛgveda8 および後代の文献9 のかなりの数の箇所に見出す。しかし Oldenberg10 は、

より正しく次のように指摘する。すなわち、より早い時代においてはそうではなかった。Purohita はその時代には通常 Hotṛ、すなわち最も重要な歌の歌い手であった。監督者として儀礼を司る Brahman が Ṛgveda に知られていないことからして、Brahman がそれまで Purohita の行使していた全般的な統括の職掌を獲得したのは後になってからのことである。Purohita はその職務上(ex officio)呪術の使用に長けており、また祭祀を悪しき鬼神から守るのにも適用しうる呪文によって王を守ることに長けていた。これと合致するのが、Agni が人々の Purohita として卓越しながら11 同時に Hotṛ でもあること、また Āprī 讃歌における二人の神なる Hotṛ が神なる Purohita と呼ばれること12 である。他方、Kṣatriya は Brahman を Purohita とすべきであるという規定が Aitareya Brāhmaṇa13 において明示的に認められている。また Taittirīya Saṃhitā14 においては Vasiṣṭha 家が Brahman-Purohita の職に特別の権利を有しており、これはおそらく、祭祀の儀礼において Purohita として Hotṛ の職掌を Brahman のそれと最初に交替させたのが彼らであったことの徴証であろう。

祭祀は大多数の場合、個人のために執り行われた。しかし Sattra15、すなわち長期にわたる祭会は、これに参加する祭官たちの共同の利益のために行われた。もっともその有利な結果は、実際に参加するすべての成員が灌頂を受けている(dīkṣita)場合にのみ確保されえた。民のための祭祀というものは知られていなかった。王のための祭祀は、なるほどその民の繁栄をももたらすことを意図していた。しかし特徴的なのは、福利のための祈願16 が名指しで含めるのは祭官と王のみであって、民については彼らの家畜と農耕の繁栄に関連して間接的に言及するにとどまることである。

(訳注:原書の十六祭官の一覧に二つの誤植がある。第三組の Pratisthātṛ は Pratiprasthātṛ の、第四組の Petṛ は Potṛ の誤りである。いずれも訂正した。)

  • 1これはヴェーダ文献全体を通じて前提されており、いかなる Kṣatriya も祭祀の供物を食してはならないという規定を伴っている(Cf. Aitareya Brāhmaṇa, vii. 26)。これは疑いなく、Brāhmaṇa のみが、それを分かち食することによって神格が部分的に入り込んだところの祭祀の神的本質を受け入れるに足るほど聖なる者だったからである。
  • 2ii. 1, 2. Cf. Oldenberg, Religion des Veda, 383.
  • 3Darmesteter, Le Zend-Avesta, 1, lxx et seq.
  • 4Rv. viii. 81, 5.
  • 5Achāvāka については Cf. Kauṣītaki Brāhmaṇa, xxviii. 4; Aitareya Brāhmaṇa, vi. 14, 8 等; Bergaigne, Recherches sur l'histoire de la liturgie védique, 47; Oldenberg, Religion des Veda, 397, n. 2. 他の三者は Aitareya その他の Brāhmaṇa 文献に現れる。St. Petersburg Dictionary, s.v. を見よ。
  • 6Āśvalāyana Śrauta Sūtra, iv. 1, 4-6; Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xiii. 14, 1 等。Ṛgveda の Sūtra においては、四組の順序は Hotṛ、Brahman、Udgātṛ、Adhvaryu である。時に第十七の祭官が言及されるが、通常は認められなかった。もっとも Kauṣītakin 派は彼を Sadasya として保持した。Śatapatha Brāhmaṇa, x. 4, 1, 19 を見よ。また Eggeling, Sacred Books of the East, 43, 348, n.; Keith, Aitareya Āraṇyaka, 37; Weber, Indische Studien, 9, 375.
  • 7Vedische Studien, 2, 143 et seq.
  • 8Rv. i. 44, 10; 94, 6; viii. 27, 1 等。
  • 9Bṛhaspati は神々の Purohita である。Rv. ii. 24, 9; Taittirīya Brāhmaṇa, ii. 7, 1, 2; Aitareya Brāhmaṇa, iii. 17, 2; Śatapatha Brāhmaṇa, v. 3, 1, 2. しかし Rv. x. 141, 3; Kauṣītaki Brāhmaṇa, vi. 13; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 7, 4, 21 においては Brahman である。Vasiṣṭha は Rv. x. 150, 5 において Purohita であり、Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xvi. 11, 4 においては Sudās Paijavana の Purohita である。しかし ibid., xv. 21 においては Śunaḥśepa の祭祀の Brahman である。
  • 10Op. cit., 380 et seq.
  • 11Hotṛ かつ Purohita としての Agni は Rv. i. 1, 1; iii. 3, 2; 11, 1; v. 11, 2 に現れる。彼の Purohita 職は Rv. viii. 27, 1; x. 1, 6 において Hotṛ の職掌に特徴的な語で記述されている。Devāpi は Purohita かつ Hotṛ である。Rv. x. 98.
  • 12Rv. x. 66, 13。x. 70, 7 においては purohitāv ṛtvijā
  • 13vii. 26.
  • 14iii. 5, 2, 1 等。
  • 15Oldenberg, 371.
  • 16Vājasaneyi Saṃhitā, xxii. 22; Taittirīya Saṃhitā, vii. 5, 18; Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 12, 6; Kāṭhaka Saṃhitā, v. 5, 14 等。 Cf. Weber, Indische Studien, 10, 141 et seq.; 376 et seq.; Hillebrandt, Rituallitteratur, 97; Oldenberg, op. cit., 370-397; Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 224.

Ṛśya§

Ṛśya. ── これは Ṛgveda2 および後代の文献3 に現れ「牡鹿」を意味する語の正しい綴りである。1 女性形は Rohit である。4 鹿は明らかに落とし穴(ṛśya-da)で捕らえられた。5 牡鹿の生殖力(ārśya vṛṣṇya)は讃えられた。6

  • 1Av. iv. 4, 7 においては Ṛśa として現れる。Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 14, 9. 18 においては Ṛṣya として。
  • 2viii. 4, 10.
  • 3Av. iv. 4, 5. 7; v. 14, 3; i. 18, 4(ṛśya-pad); Vājasaneyi Saṃhitā, xxiv. 27. 37; Aitareya Brāhmaṇa, iii. 33; Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, viii. 25, 8 における引用等。
  • 4Av. iv. 4, 7.
  • 5Rv. x. 39, 8.
  • 6Av. iv. 4, 5. Cf. Weber, Indische Studien, 18, 18; Zimmer, Altindisches Leben, 82; Whitney, Translation of the Atharvaveda, 150, 151.

Ṛṣabha 1§

1. Ṛṣabha は Ṛgveda1 以降「牡牛」を表す通常の名である。2 Go をも見よ。

  • 1vi. 16, 47; 28, 8; x. 91, 14 等。
  • 2Av. iii. 6, 4; 23, 4 等; Taittirīya Saṃhitā, ii. 1, 3, 2 等; Vājasaneyi Saṃhitā, xxi. 22 等; Pañcaviṃśa Brāhmaṇa, xiii. 5, 18 等。

Ṛṣabha 2§

2. Ṛṣabha、Śvikna 族の王は、Śatapatha Brāhmaṇa1 において父称 Yājñatura をもって、Aśvamedha すなわち馬祀を執り行った者の一人として現れる。同書2 にはまた、彼が Gaurīviti Śāktya の或る言葉の典拠であったと思われる旨が言及されている。

  • 1xiii. 5, 4, 15. Cf. Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xvi. 9, 8-10.
  • 2xii. 8, 3, 7.

Ṛṣabha 3§

3. Ṛṣabha は Aitareya Brāhmaṇa(vii. 17)において Viśvāmitra の子として言及されている。

Ṛṣi§

Ṛṣi、「見者」は、第一義的には神々への讃歌の作者である。Ṛgveda1 においては、先行する歌い手たちおよび同時代の詩人たちにしばしば言及がなされる。古い詩は作者の家系の成員によって受け継がれ、また作り直された。2 しかし歌い手たちの大いなる目標は、新しく秀でた讃歌を生み出すことであった。3 讃歌の作成が廃れたと思われるのは

Brāhmaṇa 文献の時代に至ってのことであるが4、詩は依然として生み出されており、例えば Gāthā の形においてそうであった。祭官たちはこれを自ら作り5、祭祀において琴の伴奏で歌うことを求められた。Ṛṣi は Brāhmaṇa のうち最も高められた者であり6、しばしば大工のそれに比せられるその技倆7 は天与のものとみなされた。8 Purohita は Hotṛ としてであれ Brahman としてであれ(Ṛtvij を見よ)、歌い手であった。9 Ṛṣi たちが通常10 有力者の家、すなわちヴェーダ時代の小王たちや王家の貴族たちの家に属していたことは疑いない。また時には11 王侯たち自身が詩作を試みたことも疑うに及ばない。後代の Rājarṣi すなわち「王仙」の原型たる Rājanyarṣi は Pañcaviṃśa Brāhmaṇa12 に現れるが、Oldenberg13 の指摘するように神話的な存在であるに違いないとはいえ、王たちが後に哲学的論議に携わったのと同じく詩作を修めたことを示している。14, 15 しかし通常は詩作の職掌はバラモン的なものであり、Viśvāmitra その他は Ṛgveda においては王ではなく単に Brāhmaṇa である。

後代の文献においては、Ṛṣi は諸 Saṃhitā に保存された讃歌の詩人たちであり、ヴェーダの Saṃhitā が引用されるときには常に16 Ṛṣi が挙げられる。さらに Ṛṣi たちは聖なる過去の代表者となり、聖なる賢者とみなされて、

その所業はあたかも神々や Asura たちの所業であるかのごとくに語られる。17 彼らは特定の七人の組18 によって代表され、これは Ṛgveda19 に四度、後期の諸 Saṃhitā20 に数度言及され、Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad21 において Gotama、Bharadvāja、Viśvāmitra、Jamadagni、Vasiṣṭha、Kaśyapa、Atri として数え上げられている。Ṛgveda 自身においては Kutsa22、Atri23、Rebha24、Agastya25、Kuśika 族26、Vasiṣṭha27、Vyaśva28 その他が Ṛṣi として現れる。また Atharvaveda29 には長い一覧が含まれ、Aṅgiras、Agastī、Jamadagni、Atri、Kaśyapa、Vasiṣṭha、Bharadvāja、Gaviṣṭhira、Viśvāmitra、Kutsa、Kakṣīvant、Kaṇva、Medhātithi、Triśoka、Uśanā Kāvya、Gotama、Mudgala が挙げられている。

詩人たちの間の競技も知られていたと思われる。これは謎詩(Brahmodya)の一面であり、謎詩は Aśvamedha すなわち馬祀のヴェーダ儀礼の際立った特徴30 をなしている。Upaniṣad 期においてはこのような競技はきわめて頻繁であった。最も名高いのは Yājñavalkya のそれであり、Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad31 に詳述されるように Videha の Janaka の宮廷において催され、KāśīAjātaśatru32 の悩みの種となった。これに類する慣行に従って、Uddālaka Āruṇi のごときバラモンは、行く先々で出会うすべての者と論争し、金銭の賞を賭けて彼らと競うのを常とした。33

(訳注:原書は本文で Viśāmitra と綴るが、Viśvāmitra の誤植である。)

  • 1i. 1, 2; 45, 3; viii. 43, 13 等。
  • 2i. 89, 3; 96, 2; iii. 39, 2; viii. 6, 11. 43; 76, 6 等。
  • 3i. 109, 2; ii. 18, 3; iii. 62, 7; vi. 50, 6; vii. 14, 4; 93, 1; viii. 23, 14 等。
  • 4Geldner, Vedische Studien, 2, 151.
  • 5Śatapatha Brāhmaṇa, xiii. 4, 2, 8; 3, 5.
  • 6Rv. ix. 96, 6 等。Cf. Śatapatha Brāhmaṇa, xii. 4, 4, 6。同箇所では Ṛṣi の後裔たる Brāhmaṇa に優越が帰されている。
  • 7Rv. i. 130, 6; v. 2, 11; 29, 15; 73, 10; x. 39, 14. かくして詩人は Kāru である(kṛ「作る」に由来するとすればであるが、通常は kṛ「記念する」から導かれる)。そして讃歌を作り(kṛ, Rv. ii. 39, 8; viii. 62, 4)、また創り出す(jan, Rv. vii. 15, 4; viii. 88, 4)。
  • 8Rv. i. 37, 4; vii. 36, 1. 9; viii. 32, 27; 57, 6 等。
  • 9Rv. i. 151, 7; Geldner, op. cit., 2, 153; Oldenberg, Religion des Veda, 380.
  • 10Geldner, op. cit., 2, 154 は、Bṛhaddevatā 等の伝承において Dānastuti が王侯に特徴的なものであるとして引く。
  • 11Ibid., 154.
  • 12xii. 12, 6 等。
  • 13Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, 45, 235, n. 3.
  • 14後代においてはそれはまったく通常かつ自然なこととみなされた。Rathavīti Dārbhya あるいは Dālbhya ── 彼自身が王仙である ── ならびに Taranta と Purumīḷha ── 見者にして王でもある ── の物語を Bṛhaddevatā, v. 50 et seq. に見よ。
  • 15Cf. Garbe, Philosophy of Ancient India, 73 et seq.; Deussen, Philosophy of the Upaniṣads, 16 et seq.; Keith, Aitareya Āraṇyaka, 50.
  • 16Aitareya Brāhmaṇa, ii. 25; viii. 26; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 7, 4, 4; ii. 2, 3, 6; 5, 1, 4; vi. 1, 1, 1 等; Nirukta, vii. 3 等。
  • 17Aitareya Brāhmaṇa, i. 17; ii. 19; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 6, 2, 7 等。
  • 18Cf. Indische Studien, 8, 167.
  • 19iv. 42, 8; x. 109, 4; 130, 7; Macdonell, Vedic Mythology, p. 144.
  • 20Vājasaneyi Saṃhitā, xiv. 24; Av. xi. 1, 1. 24; xii. 1, 39 等。
  • 21ii. 2, 6.
  • 22i. 106, 6.
  • 23i. 117, 3.
  • 24i. 117, 4.
  • 25i. 179, 6.
  • 26iii. 53, 10.
  • 27vii. 33, 13.
  • 28viii. 23, 16.
  • 29iv. 29. Cf. xviii. 3, 15. 16.
  • 30Zimmer, Altindisches Leben, 345, 346; Bloomfield, Journal of the American Oriental Society, 15, 172; Religion des Veda, 216 et seq.
  • 31iii. 1, 1 et seq.
  • 32Bṛhadāraṇyaka Upaniṣad, ii. 1, 1 et seq.; Kauṣītaki Upaniṣad, iv. 1 et seq.
  • 33Śatapatha Brāhmaṇa, xi. 4, 1, 1 et seq.; Gopatha Brāhmaṇa, i. 3, 8 et seq.; Geldner, Vedische Studien, 2, 185, 344. Cf. Zimmer, Altindisches Leben, 340-347; Muir, Sanskrit Texts, 3, 120 et seq.

Ṛṣis§

Ṛṣis. ──「七 Ṛṣi」という語は、Ṛgveda の一箇所1 において、また後代にも時に2

「大熊座」(1. Ṛkṣa を見よ)を指す。これはおそらく二次的な用法であって、七 Ṛṣi への言及が頻繁であったために七 Ṛkṣa に代わって用いられたものである。

  • 1x. 82, 2.
  • 2Av. vi. 40, 1(ただし同箇所において Whitney, Translation of the Atharvaveda, 310 は単に「七人の見者」と訳し、専門的な意味には解していないようである); Śatapatha Brāhmaṇa, ii. 1, 2, 4; xiii. 8, 1, 9; Nirukta, x. 26 等。 Cf. Hillebrandt, Vedische Mythologie, 3, 422; Roth, St. Petersburg Dictionary, s.v.; Macdonell, Vedic Mythology, p. 144.

Ṛṣṭi§

Ṛṣṭi は Ṛgveda1 においてしばしば Marut 神群の手にする武器を指すのに用いられる語であり、疑いなく稲妻を示すものと意図されている。Zimmer2 の考えるように、それが人間の戦闘における槍を指すことは、ただの一箇所によっても示されていない。3

  • 1Rv. i. 37, 1; 64, 4. 8; 166, 4; v. 52, 6; 54, 11; 57, 6; viii. 20, 11. Indra は Rv. i. 169, 3 において Ṛṣṭi を有する(cf. Av. iv. 37, 8)。Cf. Macdonell, Vedic Mythology, p. 79.
  • 2Altindisches Leben, 301.
  • 3Rv. i. 167, 3; vii. 55, 2; viii. 28, 5; x. 87, 7. 24 はいずれも神話的であるか、譬喩を含むものである。 Cf. Schrader, Prehistoric Antiquities, 221.

Ṛṣṭi-ṣeṇa§

Ṛṣṭi-ṣeṇa は Nirukta1 において父称 Ārṣṭiṣeṇa の説明として言及されるが、彼について他に知られることはない。

  • 1ii. 11. Cf. Sieg, Die Sagenstoffe des Ṛgveda, 130, 136.

Ṛṣya-śṛṅga§

Ṛṣya-śṛṅga は Jaiminīya Upaniṣad Brāhmaṇa1 および Vaṃśa Brāhmaṇa2 において、Kāśyapa の弟子たる師として、また父称 Kāśyapa を帯びる者として現れる。この名のより正しい綴りは Ṛśya-śṛṅga である。3

  • 1iii. 40, 1(Vaṃśa すなわち師の一覧において)。
  • 2Indische Studien, 4, 374, 385.
  • 3この名に結びついた後代の伝説は古い要素を含むかもしれないが(Lüders, Die Sage von Ṛśyaśṛṅga, 1897; von Schroeder, Mysterium und Mimus, 292-301 を見よ)、いかなるヴェーダ文献にも知られていない。