Ṛtv-ij は「祭官」を表す通常の語であり、祭祀に用いられるあらゆる種類の祭官を包括する。祭官がすべて Brāhmaṇa であったことは確実と思われる。1 一つの祭祀において異なる職掌をもって奉仕する祭官の数は、ほぼ確実に七であった。Ṛgveda の一箇所2 に現れる最古の一覧は、その名を Hotṛ、Potṛ、Neṣṭṛ、Agnīdh、Praśāstṛ、Adhvaryu、Brahman と数え上げ、これに祭主が加わる。この七という数が、Ṛgveda にきわめて頻繁に現れる「七 Hotṛ」という句をおそらく説明するものであり、また神話的な「七 Ṛṣi」の数とも関係する蓋然性が高い。これはイランにおける八3 と比較しうる。七祭官の長は Hotṛ であり、彼は讃歌の歌い手であって、初期においてはその作者でもあった。Adhvaryu は祭祀の実務を執り行い、その所作に祈願と厄除けの呪文を低く唱えて伴わせた。彼の主たる補助は Agnīdh から得られ、小規模の祭祀においてはこの二人が実務面において他の助力なしにこれを行った。Praśāstṛ、Upavaktṛ、あるいは Maitrāvaruṇa と種々に呼ばれた祭官は、より大規模な祭祀においてのみ現れ、Hotṛ に指示を与え、また或る種の連禱を託された。Potṛ、Neṣṭṛ、Brahman は Soma 祭の儀礼に属し、最後の者は後に
後代の儀礼において監督として働く祭官と区別するために Brāhmaṇācchaṃsin と称された。Ṛgveda4 に言及される他の祭官は Sāman すなわち詠唱の歌い手であって、Udgātṛ とその助手たる Prastotṛ である。他方、もう一人の助手たる Pratihartṛ は言及されていないが、知られていたとしても十分にありうる。彼らの職掌は疑いなく儀礼の後の段階を表すものであり、一方では精緻な一連の祭祀の呼びかけの発達を、他方では Soma 草に宛てられた長い讃歌の使用を示す。他の祭官、例えば Achāvāka5、Grāvastut、Unnetṛ、Subrahmaṇya は、Brāhmaṇa 文献の発達した儀礼において後に知られるようになり、総計十六人の祭官をなす。これらは専門的かつ人為的に四組6 に分類された ── Hotṛ、Maitrāvaruṇa、Achāvāka、Grāvastut。Udgātṛ、Prastotṛ、Pratihartṛ、Subrahmaṇya。Adhvaryu、Pratiprasthātṛ、Neṣṭṛ、Unnetṛ。Brahman、Brāhmaṇācchaṃsin、Agnīdhra、Potṛ である。
これらすべての祭官とは別に Purohita があり、彼は王のあらゆる宗教的義務における霊的助言者であった。Geldner7 は、Purohita が大祭の一つに実際に参加する場合、通例は Brahman の役を、すなわち儀礼の遂行全体を統括する祭官という意味において演じたと主張する。彼はこの見解の証拠を、Purohita と Brahman とが結合ないし同一視されている Ṛgveda8 および後代の文献9 のかなりの数の箇所に見出す。しかし Oldenberg10 は、
より正しく次のように指摘する。すなわち、より早い時代においてはそうではなかった。Purohita はその時代には通常 Hotṛ、すなわち最も重要な歌の歌い手であった。監督者として儀礼を司る Brahman が Ṛgveda に知られていないことからして、Brahman がそれまで Purohita の行使していた全般的な統括の職掌を獲得したのは後になってからのことである。Purohita はその職務上(ex officio)呪術の使用に長けており、また祭祀を悪しき鬼神から守るのにも適用しうる呪文によって王を守ることに長けていた。これと合致するのが、Agni が人々の Purohita として卓越しながら11 同時に Hotṛ でもあること、また Āprī 讃歌における二人の神なる Hotṛ が神なる Purohita と呼ばれること12 である。他方、Kṣatriya は Brahman を Purohita とすべきであるという規定が Aitareya Brāhmaṇa13 において明示的に認められている。また Taittirīya Saṃhitā14 においては Vasiṣṭha 家が Brahman-Purohita の職に特別の権利を有しており、これはおそらく、祭祀の儀礼において Purohita として Hotṛ の職掌を Brahman のそれと最初に交替させたのが彼らであったことの徴証であろう。
祭祀は大多数の場合、個人のために執り行われた。しかし Sattra15、すなわち長期にわたる祭会は、これに参加する祭官たちの共同の利益のために行われた。もっともその有利な結果は、実際に参加するすべての成員が灌頂を受けている(dīkṣita)場合にのみ確保されえた。民のための祭祀というものは知られていなかった。王のための祭祀は、なるほどその民の繁栄をももたらすことを意図していた。しかし特徴的なのは、福利のための祈願16 が名指しで含めるのは祭官と王のみであって、民については彼らの家畜と農耕の繁栄に関連して間接的に言及するにとどまることである。
(訳注:原書の十六祭官の一覧に二つの誤植がある。第三組の Pratisthātṛ は Pratiprasthātṛ の、第四組の Petṛ は Potṛ の誤りである。いずれも訂正した。)
- 1これはヴェーダ文献全体を通じて前提されており、いかなる Kṣatriya も祭祀の供物を食してはならないという規定を伴っている(Cf. Aitareya Brāhmaṇa, vii. 26)。これは疑いなく、Brāhmaṇa のみが、それを分かち食することによって神格が部分的に入り込んだところの祭祀の神的本質を受け入れるに足るほど聖なる者だったからである。
- 2ii. 1, 2. Cf. Oldenberg, Religion des Veda, 383.
- 3Darmesteter, Le Zend-Avesta, 1, lxx et seq.
- 4Rv. viii. 81, 5.
- 5Achāvāka については Cf. Kauṣītaki Brāhmaṇa, xxviii. 4; Aitareya Brāhmaṇa, vi. 14, 8 等; Bergaigne, Recherches sur l'histoire de la liturgie védique, 47; Oldenberg, Religion des Veda, 397, n. 2. 他の三者は Aitareya その他の Brāhmaṇa 文献に現れる。St. Petersburg Dictionary, s.v. を見よ。
- 6Āśvalāyana Śrauta Sūtra, iv. 1, 4-6; Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xiii. 14, 1 等。Ṛgveda の Sūtra においては、四組の順序は Hotṛ、Brahman、Udgātṛ、Adhvaryu である。時に第十七の祭官が言及されるが、通常は認められなかった。もっとも Kauṣītakin 派は彼を Sadasya として保持した。Śatapatha Brāhmaṇa, x. 4, 1, 19 を見よ。また Eggeling, Sacred Books of the East, 43, 348, n.; Keith, Aitareya Āraṇyaka, 37; Weber, Indische Studien, 9, 375.
- 7Vedische Studien, 2, 143 et seq.
- 8Rv. i. 44, 10; 94, 6; viii. 27, 1 等。
- 9Bṛhaspati は神々の Purohita である。Rv. ii. 24, 9; Taittirīya Brāhmaṇa, ii. 7, 1, 2; Aitareya Brāhmaṇa, iii. 17, 2; Śatapatha Brāhmaṇa, v. 3, 1, 2. しかし Rv. x. 141, 3; Kauṣītaki Brāhmaṇa, vi. 13; Śatapatha Brāhmaṇa, i. 7, 4, 21 においては Brahman である。Vasiṣṭha は Rv. x. 150, 5 において Purohita であり、Śāṅkhāyana Śrauta Sūtra, xvi. 11, 4 においては Sudās Paijavana の Purohita である。しかし ibid., xv. 21 においては Śunaḥśepa の祭祀の Brahman である。
- 10Op. cit., 380 et seq.
- 11Hotṛ かつ Purohita としての Agni は Rv. i. 1, 1; iii. 3, 2; 11, 1; v. 11, 2 に現れる。彼の Purohita 職は Rv. viii. 27, 1; x. 1, 6 において Hotṛ の職掌に特徴的な語で記述されている。Devāpi は Purohita かつ Hotṛ である。Rv. x. 98.
- 12Rv. x. 66, 13。x. 70, 7 においては purohitāv ṛtvijā。
- 13vii. 26.
- 14iii. 5, 2, 1 等。
- 15Oldenberg, 371.
- 16Vājasaneyi Saṃhitā, xxii. 22; Taittirīya Saṃhitā, vii. 5, 18; Maitrāyaṇī Saṃhitā, iii. 12, 6; Kāṭhaka Saṃhitā, v. 5, 14 等。 Cf. Weber, Indische Studien, 10, 141 et seq.; 376 et seq.; Hillebrandt, Rituallitteratur, 97; Oldenberg, op. cit., 370-397; Ludwig, Translation of the Rigveda, 3, 224.