Garrettインド古典辞典

h第一部 サンスクリット語・パーリ語の見出しhaṃsa … hiḍimbī

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haṃsa Meru の北にある山。蓮の根から出る細糸のように、その基部から突き出ている。— VP.

hanumān

1. 風の子、あるいは時に表されるように、風の神 Vāyu の化身。[Supplement より→]顎の砕けた Hanumān と呼ばれる。母の腕に抱かれた子供であったとき、赤らむ太陽が彼の顔を見下ろして笑った。彼はそれを何か華麗な花だと思い、その輝くものをつかもうと逸って、母の腕から空中へ五 yojana も跳び上がった。そのとき彼に起こった落下で、彼は顎を砕いた。[本文より→]彼は猿の王 Sugrīva の主将であり、巨人 Rāvaṇa との戦争において Rāma を助けた。Rāma が妻 Sītā を失って苦しんでいたとき、Hanumān は密偵として用いられ、多くの探索の後、Sītā が Laṅkā に厳しく幽閉されていることを発見した。猿と熊の四つの軍が派遣されたが、Hanumān の指揮のもと南へ向かった軍だけが何らかの成功を収め、失われた Sītā の消息を持ち帰った。Laṅkā における Hanumān の冒険の物語は、Rāmāyaṇa に見られる純粋な想像力による最も持続的な努力の一つである。山ほどの大きさに膨らむことも、人の親指ほどの大きさに縮むこともできた巨大な猿の英雄の偉業は、時に滑稽で、時にほとんど崇高な、Baron Munchausen 風の文体で語られている。次の出来事を挙げてよかろう。

Hanumān が Ceylon の対岸の海岸に着いたとき、仲間の何人かが跳び越えようと申し出たが、Hanumān ただ一人がそれほどの大跳躍に耐えうる者であった。

「そこで Sampāti の助言に導かれ、
恐れを嘲る勇ましき Hanumān は、
一度の荒々しく凄まじき跳躍をもて、
深き海を越えて二百リーグを跳びぬ。」

[Supplement より→]Laṅkā へ大洋を渡る際に Hanumān がさらされた危険は、surasā と siṃhikā の項を参照すれば見ることができる。同じ旅において彼が受けた超自然的な助けについては maināka の項も参照。Laṅkā に着くと、彼は自らの大きさを猫ほどに縮めた。そして夜が町に陰を降ろすと、城壁に跳び込み、そこに身をかがめて情勢を見渡した。空がその星座によって飾られるように、Laṅkā はその栄光ある宮殿によって飾られていた。Hanumān はあらゆる住まいを調べ、いくつかの奇妙で記憶すべき光景を見た。

Aśoka の森で Sītā を見つけ、Hanumān が本当に最愛の妻に会ったことを Rāma が知るように、赤い tilaka* についての彼女の伝言を受け取った後、勇敢な猿は心の中で言った。「Rāma の比類なき花嫁をあえて脅かしたこの Rāvaṇa に何の損害も与えずに、この Laṅkā の島を去ってよいものか。」そこで彼は森の木々を引き裂き、そこにある記念碑や洞窟を損ない始めた。Rāvaṇa の命令によって、八千の戦士が高貴な猿に向かって突進した。敏捷な風の子は彼らの間から跳び出し、高い宮殿の屋根に跳び上がって巨大な大理石の柱を根こそぎ引き抜き、叫んだ。「われは Rāma の使者 Hanumān なり。Rāvaṇa に死を。」それから柱を彼らの間に投げつけ、rākṣasa の全軍を押し潰した。次いで他の英雄と戦士たちが勇敢な猿に向けて送られたが、彼は何度か傷を負いながらも、向かってくるすべての者を殺すことに成功した(jambumālin、durdharṣa、praghāsa 等の項を参照)。ついに Indrajit が、猿の英雄を捕らえるか殺すために Rāvaṇa によって送られた。Indrajit は神々から受けた奇蹟の矢によって大胆不敵な Hanumān を傷つけ、Hanumān は力を麻痺させられて地に崩れ落ち、動くことができなくなった。巨大な猿はこうして、出しゃばりな rākṣasa たちによって鉄の鎖で縛られた。しかし Indrajit は奇蹟の矢を引き抜き、Rāvaṇa の前に従って来るよう Hanumān に身振りで示した。激怒した王は彼の処刑を命じたが、Rāvaṇa の弟 Vibhīṣaṇa は、使者の命はつねに神聖であることを彼に思い起こさせた。しかし Rāvaṇa は家来たちに Hanumān の尾に火をつけるよう命じた。ところが Sītā が火に祈ったので、火は明るい黄金の炎となって燃え上がり、あたかも pradakṣiṇa(右繞)を行うかのように尾の周りを戯れ、それを焼かなかった。そして火は優しい王女にこう答えた。「私は Hanumān に優しくしております。」marutide[ママ](風の子)はそれから自らの大きさをバッタほどに縮めて縛めから抜け出した。速やかに巨大な姿を取り戻すと、最も近い住まいの屋根に跳び上がり、なお火が戯れている尾を左右に打ち振って、たちまちその場所を炎上させた。— IE, p. 240.

* Tilaka、装飾あるいは宗派の区別として、額と両眉の間につける印。— WILSON.

[本文より→]Rāvaṇa の宮殿に付属する aśoka 樹の森で Sītā を見つけると、彼は自らの超自然的な力の証を示し、それから王の前に連れて行かれた。そこで彼は、自分は主君である王 Sugrīva の使者であると名乗り、Sugrīva は Rāma に代わって Sītā の返還を要求していると告げた。これに Rāvaṇa はひどく苛立ち、Hanumān を死刑にするよう命じた。しかし Rāvaṇa の弟 Vibhīṣaṇa は、使者の命はつねに神聖であることを彼に思い起こさせた。それゆえ、彼の尾に火をつけることによって罰することに決められた。Hanumān はそれから衛兵から逃れ、燃える尾をつけて家々の屋根に跳び上がり、都全体に火を放った。Sītā が火災で死んでいないことを確かめ、気力と堅固さを保つよう彼女を励ますと、彼は彼女に別れを告げ、山から跳び上がった。山はその衝撃によろめき、大地に沈んだ。それから彼は空を突き進み、対岸の仲間たちに再び合流し、自らの冒険の物語を彼らに語った。猿たちが Sugrīva のもとに帰ると、Rāma は Sītā の隠れ場所を知った。Hanumān は彼女との会見を描写し、自らの話の真実を証するために、Sītā のしるしを Rāma に渡した。Rāma は猿の将軍を讃え、Laṅkā の要塞について尋ね、まもなく Hanumān と猿の軍を伴って、Sītā の救出のために戦うべく南へ進軍した。

戦いの過程において、Rāvaṇa の息子たちのうち最も勇敢な Indrajit が、魔法の武器によって Rāma の軍のすべての指導者に恐ろしい傷を負わせたとき、Hanumān は、死者と負傷者を回復させうる四つの薬草を求めて Himālaya 山脈へ飛んだ。しかし神なる植物は彼の目的を疑い、自らを見えなくした。そこで苛立った猿の首長は山の頂を引き裂き、その内容物すべてとともに Rāma と Lakṣmaṇa の陣営へ運んだ。二人は、死者と負傷者の将軍たちすべてとともに、癒しの植物から発する気によってたちまち回復した。

Lakṣmaṇa が危険な傷を負ったとき、医師 Suṣeṇa は、北の山 Gandhamādana に生える名高い薬草(mahauṣadhi)が彼を癒すであろうと言った。Hanumān はそれを取りに行くことを引き受け、そのとおりにそこへ飛んだ。Ayodhyā と Nandigrāma の上を通り過ぎるとき、彼は Bharata に見られた。Bharata は空に奇妙なものを見て、それを射ようと構えた。しかし Hanumān は降りて矢を止め、Bharata に兄弟たちの消息を伝えた。Gandhamādana 山に着くと、彼は、Hanumān を殺すために Rāvaṇa によって送られた Kālanemi という名の恐ろしい rākṣasa に襲われた。この悪鬼はまず隠者の姿をとり、怪物のような鰐のいる湖から水を飲むよう Hanumān を説き伏せた。しかし Hanumān は鰐と Kālanemi の両方を殺し、その後彼を襲った30,000の gandharva を滅ぼした。それから彼は植物を探し回ったが見つからなかったので、山全体を丸ごと腕に抱え上げ、その岩、金属、森、獅子、象、虎とともに Suṣeṇa の足もとに置いた。Suṣeṇa は植物をどこで探すべきかをよく知っていたので、それを摘み、Lakṣmaṇa にその癒しの気を吸わせた。Hanumān はそれから山を元の場所に戻した。山を運んでいて手を使えない間に途中で襲ってきたさらに多くの rākṣasa を、足と尾で殺しながら。

ついに Rāvaṇa が殺されると、Hanumān は Rāma によって Sītā への伝言を携えて遣わされ、その後 Rāma の帰還を Bharata に告げるために遣わされた。*

「猿族の最良なる Hanumān は、
風を吐く者の子なりき。
その身は雷電のごとく、
Garuḍa 自身のごとく速く飛び得たり。」

Hanumān は今では半神とみなされ、その種族全体が神聖とされている。そしてこのゆえに、猿は際限なく増えることを許され、あらゆる種類の悪さをするが、誰も彼らに干渉しようとはしない。

* Williams, Indian Epic Poetry; A&MI.

hanumān-nāṭaka Rāmāyaṇa の物語を主題とする戯曲。しばしば強調して mahā すなわち大 nāṭaka と称される。もとは Hanumān の作であり、彼がそれを岩に刻むか書くかしたと言われる。Vālmīki はそれを見て、その文体のより大きな美しさが自分の Rāmāyaṇa を影に追いやるであろうと予見した。彼が猿に苦情を言うと、猿は作者らしいところがほとんどなかったので、詩人にその詩句を海に投げ込むよう言った。Vālmīki はその命令に従い、mahā nāṭaka は何世代もの間波の下にとどまった。ついにその断片が発見されて Rājā Bhoja のもとへ運ばれ、その命によって Dāmodara Miśra が断片を整理し、欠落を埋め、全体を一つの完全な作品にまとめた。この話のうち信じうる部分、すなわち古代の戯曲の断片が述べられたような仕方でつなぎ合わされたことを疑う理由はない。思想のいくつかは詩的であり、情感は正当で力強く、言葉は概してきわめて調和がとれている。しかし作品そのものは、結局のところ、きわめてまとまりのない、得体の知れない作品であり、継ぎはぎはきわめて不器用に組み合わされている。

この戯曲の年代は、Bhoja への言及によって10世紀あるいは11世紀の作品と定められる。そして、この戯曲が Dāmodara Miśra の作であるという主張の正しさは、その詩人がその君主に保護された多くの作家の一人として Bhoja Prabandha に名を挙げられていることによって部分的に裏づけられる。この書はまた、Hanumān に帰せられるいくつかの詩句が Bhoja の治世にある商人によって海岸の岩に刻まれているのが発見されたという逸話を記録している。商人は一つの詩句の最初の二行の写しを持って来て、Bhoja は残りの二行を得るためにその地へ旅をする。— WILSON.

hayamukhī 「馬の頭」。Laṅkā で虜となっていた Sītā の rākṣasī の番人の一人。彼女は Sītā に、若さと美しさは気まぐれな賜物であると告げ、悲しみと断食がその魅力を損なう前に Rāvaṇa に応じるよう勧めた。

hayaśiras 名高い dānava Vṛṣaparvan の娘で、Kratu の妻。

hara 十一 Rudra の一人。また「至高の力ある者」を意味する Śiva の名でもある。

hari Viṣṇu の名。その起源については何も知られていない。

hari-s 相次ぐ manvantara における神々の一部類。

harikeśa 七つの太陽光線の一つの名。

harita Yuvanāśva の子である王子で、Āṅgirasa の Harita 族はこの人から出た。また Hariścandra の孫でもあり、Parāvṛt の五人の息子の一人で、Videha の王でもある。

harita-s Yuvanāśva の子 Harita の子孫。kṣatriya の性質をもつ brāhmaṇa であった。

harita-s 第十二 manvantara における神々の一部類。また丘陵と密林を占める原住部族の一つ。

haritāśva Ilā から男に変身した後の Sudyumna の子。

harivaṃśa Mahābhārata の最後の部分であり、同作への比較的新しい付加と考えられている。主として Kṛṣṇa の冒険に占められているが、その時代への序として、世界の創造と、族祖および王の諸王朝の詳細を記録している。Wilson 教授によれば、それは編纂において大いに不注意かつ不正確になされている。

hari-varṣa Hemakūṭa の北、Niṣadha の南にある国。また Niṣadha の王 Agnīdhra の九人の息子の名でもある。

hariścandra Ayodhyā の王 Triśaṅku の子。太陽王朝の Hindu の王で、Ikṣvāku の子孫であり、古代インドの伝説的歴史において目立つ人物。Aitareya Brāhmaṇa においては、百人の妻をもちながら息子のない王として描かれている。その家には Parvata と Nārada が住んでいた。彼は Nārada に尋ねた。「誰もが望む息子によって、人々は何を得るのか教えてください。」

一つの詩句で問われて、Nārada は十の詩句で答えた。

「父が生きて生まれた息子の顔を見るならば、彼はその子において負債を返し、不死へと赴く。」

「父が息子において得る喜びは、大地から、火から、水から得られるすべての喜びよりも大きい。」

「つねに父たちは息子によって大いなる闇を越えてきた。自己はその自己から生まれるからである。それ(新たに生まれた自己、すなわち息子)は、彼を向こう岸へ運ぶ、食物を満載した船のようなものである。」

「肉とは何か。皮とは何か。毛とは何か。熱とは何か。汝ら brāhmaṇa よ、息子を得ようと努めよ。彼こそ疑いなく世界である。」

「食物は人の命であり、衣は守りであり、金は美であり、家畜は力である。妻は友であり、娘は憐れみの種である。しかし息子は最高の世界における彼の光である。」

「夫として彼は妻を抱く。彼女は、彼が彼女の子となるとき、彼の母となる。彼女において新たにされて、彼は十か月目に生まれる。」

「妻が妻(jāyā)であるのは、人が彼女において再び生まれる(jāyate)からである。彼女が母(abhūtī)であるのは、彼女が産み出す(abhūti)からである。胚が彼女の中に隠されている。」

「神々と古の時代とは、彼女に大いなる光をもたらした。神々は人々に言った。『彼女において汝らは再び生まれるであろう。』」

「息子のない者には生はない。このことは獣でさえ知っている。」

「息子をもち悲しみのない者たちの辿る道は、広く讃えられ幸福である。獣と鳥はそれを知っており、至るところに子をもつ。」

このように語ってから、彼は王に言った。「王 Varuṇa のもとへ行き、こう言え。私に息子を生まれさせたまえ。そうすれば私はその子をあなたに犠牲として捧げましょう。」王は同意し、王 Varuṇa のもとへ行って言った。「私に息子を生まれさせたまえ。そうすれば私はその子をあなたに犠牲として捧げましょう。」Varuṇa は「よろしい」と言った。彼に息子が生まれ、Rohita と呼ばれた。すると Varuṇa は Hariścandra に言った。「汝に息子が生まれた。その子を私に捧げよ。」Hariścandra は言った。「動物は生後十日を過ぎれば犠牲に捧げることができます。この子が十日より年上になりますように。そうすれば私はこの子をあなたに捧げましょう。」

Varuṇa は同意した。子は十日より年上になり、Varuṇa は言った。「彼は今や十日より年上だ。彼を私に捧げよ。」Hariścandra は言った。「動物は歯が生えれば犠牲に捧げることができます。この子の歯が今生えますように。そうすれば私はこの子をあなたに捧げましょう。」

Varuṇa は同意した。子の歯が生え、Varuṇa は言った。「彼の歯が生えた。彼を私に捧げよ。」Hariścandra は言った。「動物は歯が抜ければ犠牲に捧げることができます。この子の歯が抜けますように。そうすれば私はこの子をあなたに捧げましょう。」

Varuṇa は同意した。子の歯が抜け、Varuṇa は言った。「彼の歯が抜けた。彼を私に捧げよ。」Hariścandra は答えた。「動物は歯が再び生えれば犠牲に捧げることができます。この子の歯が再び生えますように。そうすれば私はこの子をあなたに捧げましょう。」

Varuṇa は同意した。子の歯が再び生え、Varuṇa は言った。「彼の歯が再び生えた。彼を私に捧げよ。」Hariścandra は言った。「戦士(kṣatriya)は鎧を帯びれば犠牲に捧げることができます。この子が鎧を帯びますように。そうすれば私はこの子をあなたに捧げましょう。」

Varuṇa は同意した。子は鎧を帯び、Varuṇa は言った。「彼は鎧を帯びた。彼を私に捧げさせよ。」

Hariścandra は同意した。彼は息子に語りかけて言った。「子よ、彼がお前を私に与えたのだ。ああ、私がお前を彼に捧げることになろうとは。」息子は「いやだ」と言い、弓を取って森へ行き、そこで一年暮らした。

すると Varuṇa は Hariścandra を捕らえ、その腹は膨れた。Rohita はこれを聞いて、森から村(grāma)へ向かった。Indra が人の姿をとって彼の周りを巡り、言った。「旅をして回らない者には幸福はない。そうわれらは聞いている、おお Rohita よ。家にとどまる善き人は悪しき人である。Indra は旅する者の友である。旅せよ。」

Rohita は、ある brāhmaṇa が私に旅せよと言ったと考え、こうして森で二年目を旅した。森から村へ向かうと、Indra が人の姿をとって彼の周りを巡り、言った。

「旅人の脚は花咲く枝のようであり、彼自身は成長し、果実を集める。そのすべての過ちは、道における彼の努力によって滅ぼされて消える。旅せよ。」

Rohita は、ある brāhmaṇa が私に旅せよと言ったと考え、こうして森で三年目を旅した。森から町へ向かうと、Indra が人の姿をとって彼の周りを巡り、言った。

「座っている者の運もまた座っている。彼が起き上がるとき運も起き上がり、彼が眠るとき運も眠り、彼が動くとき運もよく動く。旅せよ。」

Rohita は、ある brāhmaṇa が私に旅せよと言ったと考え、こうして森で四年目を旅した。森から町へ向かうと、Indra が人の姿をとって彼の周りを巡り、言った。

「眠っている者は kali の時代のようであり、目覚めている者は dvāpara の時代のようであり、起き上がる者は tretā の時代のようであり、旅する者は kṛta の時代のようである。旅せよ。」

Rohita は、ある brāhmaṇa が私に旅せよと言ったと考え、こうして森で五年目を旅した。森から町へ向かうと、Indra が人の姿をとって彼の周りを巡り、言った。

「旅人は蜜を見出し、旅人は甘い無花果を見出す。旅して決して倦むことのない太陽の幸福を見よ。旅せよ。」

Rohita は、ある brāhmaṇa が私に旅せよと言ったと考え、こうして六年目を旅した。彼は森で、Suyavasa の子で飢えた ṛṣi Ajīgarta に出会った。彼には三人の息子、Śunaḥpuccha、Śunaḥśepha、Śunolāṅgūla があった。Rohita は彼に言った。「ṛṣi よ、あなたに百頭の牛を与えます。あなたのこれらの息子の一人によって私は自らを贖います。」父は長子を抱いて言った。「この子ではない。」母は末子を抱いて言った。「この子でもない。」そして両親は真ん中の息子 Śunaḥśepha を与えることで取引した。Rohita は百頭を与え、彼を連れて森から村へ向かった。そして父のもとに来て言った。「父上、ああ、私は彼によって自らを贖います。」父は Varuṇa のもとへ行き、言った。「この男をあなたに捧げましょう。」Varuṇa は言った。「よろしい。brāhmaṇa は kṣatriya よりもよいからだ。」そして彼に rājasūya 供犠を行うよう告げた。Hariścandra は、Soma が神々に注がれる日の犠牲として彼を用いることにした。

Viśvāmitra が彼の Hotṛ 祭官、Jamadagni が Adhvaryu 祭官、Vasiṣṭha が Brāhmaṇa 祭官、Ayāsya が Udgātṛ 祭官であった。Śunaḥśepha の準備が整うと、彼を犠牲の柱に縛る者が誰も見つからなかった。すると Suyavasa の子 Ajīgarta が言った。「もう百頭くれれば、私が彼を縛ろう。」彼らは彼にもう百頭を与え、彼は息子を縛った。準備が整い縛られ、Āprī 讃歌が歌われ、火の周りを引き回されると、彼を殺す者が誰も見つからなかった。すると Suyavasa の子 Ajīgarta が言った。「もう百頭くれれば、私が彼を殺そう。」彼らは彼にもう百頭を与え、彼は剣を研ぎながらやって来た。そのとき Śunaḥśepha は考えた。「彼らは本当に私を殺すだろう。まるで私が人間でないかのように。ああ、神々に祈ろう。」彼は神々の第一である Prajāpati(世界の主)のもとへ讃歌をもって行った。Prajāpati は彼に言った。「Agni(火)が神々のうち最も近い。彼のもとへ行け。」彼は Agni のもとへ讃歌をもって行き、Agni は彼に言った。「Savitṛ(生み出す者)がすべての被造物を統べる。彼のもとへ行け。」彼は Savitṛ のもとへ讃歌をもって行き、Savitṛ は彼に言った。「汝は王 Varuṇa のために縛られている。」そして Varuṇa は彼に言った。「Agni は神々の口であり、最も親切な神である。彼を讃えよ。そうすればわれらは汝を解き放とう。」こうして彼は Agni を讃え、Agni は彼に言った。「Viśvedevāḥ を讃えよ。そうすればわれらは汝を解き放とう。」こうして彼は Viśvedevāḥ を讃え、彼らは彼に言った。「Indra は神々のうち最も偉大で、最も強大で、最も強く、最も友好的である。彼を讃えよ。そうすればわれらは汝を解き放とう。」こうして彼は Indra を讃え、Indra は喜んで、心の中で彼に黄金の車を与えた。Śunaḥśepha はそれを別の詩句によって謝した。Indra は彼に言った。「Aśvinau を讃えよ。そうすればわれらは汝を解き放とう。」こうして彼は Aśvinau を讃え、彼らは彼に言った。「Uṣas(暁)を讃えよ。そうすればわれらは汝を解き放とう。」こうして彼は三つの詩句をもって Uṣas を讃えた。各詩句が唱えられるたびに彼の縛めは緩み、Hariścandra の腹は小さくなった。そして最後の詩句が唱えられたとき、彼の縛めは解け、Hariścandra は再び健やかになった。」—ASL, pp. 408-14.

Hariścandra はすべての伝説において、大いなる正直さの王として表されている。次の物語がそれを例証する。ある時、すべての神々と ṛṣi が Devendra の謁見の間に集まっていたとき、後者は Vasiṣṭha に、地上の人間の中で、決して他人の妻を欲せず、嘘をつかない者を誰か知っているかと尋ねた。ṛṣi は答えた。「はい、私の弟子の一人、王 Hariścandra がおります。彼は嘘をついたことがありません。」これを聞いて Viśvāmitra は叫んだ。「Hariścandra は欺く者であり嘘つきだ。」そこで Vasiṣṭha は言った。「もし Hariścandra がわずかでも偽りを言うことが見出されたならば、私は ṛṣi であることをやめ、この集まりに来ることをやめよう。」Viśvāmitra は答えた。「よかろう。もし彼がまったく真実であることがわかったならば、私は自らの苦行の功徳のすべてを彼に与えよう。しかし、私が彼を試そうとしていることを、あなたがすぐに彼に告げるのではないかと恐れる。」そこで Vasiṣṭha は、事が決着するまでは決して王に近づかないと誓った。そして Viśvāmitra は Hariścandra のもとへ行き、種々の仕方で、とりわけ女たちを通じて、偽りを言うよう彼を誘惑した。しかし王は真実から逸れなかった。ついに ṛṣi は彼に莫大な金額を求め、それを受け取ると、自分が必要とするまで保管しておいてくれるよう頼んでそれを彼に返した。非常に長い時がたった後、Viśvāmitra が来て、複利とともにすべての金を求めた。それは彼の王国の価値を超える額に達していた。しかし Hariścandra はその額を支払うために、持てるものすべてを売り、さらに自らをも妻と息子とともに売った。その後、彼は妻 Satyavatī と引き離され、死体を焼く仕事に雇われた。すると見よ、ある日、一人の女が死んだ子を焼いてもらいに来た。彼はその Tāli(婚姻の徽章)によって彼女が自分の妻であると気づいた。彼は子を焼く報酬としてそれを彼女に求めたが、彼女はそれを手放そうとしない。二人がまだ話しているうちに、使者たちが女を捕らえに来た。たまたま彼女の子によく似ていた王子を彼女がさらったと疑われたのである。有罪とされて、彼女は死刑を宣告され、Hariścandra は彼女の首を刎ねるよう命じられる。彼は従う用意をしている。しかし見よ、突然剣は花に変わり、子は生き返り、王家の夫妻は以前の栄光に戻されるのである。」

その結果、彼は臣民とともに天に昇らされたが、そこで Nārada に巧妙に誘導されて自らの功徳を誇ったため、再び突き落とされた。しかし自らの高慢を悔いたことによってその下降は止められ、彼とその従者たちは空中にとどまった。Hariścandra の都は、時に今なお空中に見えると俗に信じられている。Viśvāmitra の飽くことのなさに対する Vasiṣṭha の憤りは争いを生み、その中で彼らの互いの呪詛は二人を二羽の鳥、すなわち一種の Turdus(ツグミ属)である Sārasa と、Baka すなわち鶴とに変えた。これらの姿で彼らはかなりの期間戦ったが、ついに Brahmā が介入して和解させた。Bhāgavata は Hariścandra についての記述においてこの物語に言及しているが、Vāyu はこの争いを別の王子の治世に帰している。Śiva Purāṇa によれば、Hariścandra はその神格の特別の崇拝者であり、その妻 Satyavatī は Durgā の侍女の一人 Jayā の一形態であった。

harisrava Viṣṇu Purāṇa に言及される河。ただし同定されていない。

hari-hara-putra Viṣṇu[ママ]、Śiva の子。Mohinī と呼ばれる女の姿における Śiva と Viṣṇu の結合にその起源を負うと言われるからである。grāmadevatā の中の主要な男神 Ayenār の名。ayanār の項を参照。

haryakṣa Bhāgavata の列挙による Pṛthu の五人の息子の一人。

haryaśva Dṛḍhāśva の子で後継者。Dṛḍhāśva は、asura Dhundhu との争いで生き残った Kuvalayāśva の三人の息子の一人であり、他のすべての息子、すなわち二万九百九十七人は滅んだ。

Haryaśva はまた Pṛṣadaśva の子、Dṛḍhaketu の子、Cakṣu の子の名でもあった。

haryaśva-s Viṣṇu Purāṇa においては、Dakṣa が Brahmā に命じられて生き物を創造したと述べられている。Haryaśva の創造と消失は次のように記述されている。「まず彼は意志によって、神々、ṛṣi、天の楽人、Titan、蛇神を存在させた。意志から生まれた子孫が自ら増えないことを知ると、彼はその増加を確保するために、増殖の手段として性の交わりを確立することに決めた。この目的のために、彼は族祖 Viraṇa の娘で、敬虔な行に専念する乙女、世界の傑出した支え手である Asiknī を娶った。彼女によって人類の大いなる父は五千人の強大な息子をもうけ、彼らを通じて世界に人が満ちることを期待した。神なる ṛṣi Nārada は、彼らが子孫を増やそうとしているのを見て彼らに近づき、友好的な調子で語りかけた。『高名な Haryaśva たちよ、汝らの意図が子孫をもうけることにあるのは明らかである。しかしまずこのことを考えよ。愚か者のように世界の中ほども、高さも、深さも知らぬ汝らが、なぜ子孫を殖やそうとするのか。汝らの知性がもはや隔たりや高さや深さによって妨げられないとき、愚か者たちよ、どうして汝らは皆、宇宙の果てを見ずにいられようか。』Nārada の言葉を聞いて、Dakṣa の息子たちは諸方へ散って行き、今日まで帰って来ない。大洋に没した河がもはや戻って来ないように。」

haryāṅga Aṇu の子孫の一人 Campā の子である王子。Campā は Campāpurī の建設者であり、その都の跡は今なお Bhāgalpura の近辺に残っている。

haryātmā Uttama とも呼ばれる、第二十一 dvāpara の Vyāsa。

harṣa (「喜び」)。Kāma(愛)とその妻 Nandi(歓喜)の子。

harṣa deva 西暦1113年から1125年の間に君臨した Kaśmīr の王。Wilson によって Hindu Theatre において訳された戯曲「Ratnāvalī、すなわち首飾り」の作者とされる。

harṣavardhana Kṣatravṛddha の子孫の一人 Yajñaśṛt の子である王子。

hala Ariṣṭakarman の子である王子。三十人の Āndhrabhṛtya 王の一人であり、彼らの治世の合計は四百五十六年に及んだ。

havirdhāna Antardhāna とその妻 Śikhaṇḍinī の子。

havirbhū (「供物から生まれた者」)。ṛṣi Pulastya の妻で、Agastya の母。

haviṣmant-as pitṛ の一部類。身体をもつ位の者で、太陽の領域に住み、Aṅgiras の息子たちであり、kṣatriya の pitṛ である。pitṛ-s の項を参照。

havya Vāyu Purāṇa によれば、苦行の後の Atri の五人の息子の一人。

havyavāhana 神々の火で、Śuci の子。

hasta 中央 avasthāna の Govīthī における月宿。

hastin Suhotra の子で、Hastināpura の都の建設者。

hastināpura Kuru の古都の名で、Mahābhārata にしばしば言及される。Viṣṇu Purāṇa によれば、それは Hastin によって建設され、Nicakra の治世に Ganges に押し流された。Nicakra はこの出来事の結果、政府の座を Kauśāmbī に移さねばならなかった。そして後の時代には Balarāma によって土台を掘り崩された。それは Ganges の畔に位置しており、Lassen はその Indische Alterthums Kunde の地図において、東経約78°、北緯28°50′ に置いている。

hasti-śikṣā 象の扱い。国民の風俗を奇妙によく表す技芸である。この技におけるインド人の熟練は早くから Alexander の後継者たちの注意を引いた。そしてインドの土着民が長くこの職務にもっぱら雇われたので、どの国の出身であれ、象使いはみな Indian と呼ばれるようになった。— SCHLEGEL.

hastisīmā Viṣṇu Purāṇa の表に言及される河。ただし同定されていない。

hālabhṛta Balarāma の名。彼が犂の刃を武器として用いたことを含意する。彼は白い色で、濃い青の衣をまとった姿で表される。

hiḍimba 黄色い眼と恐ろしい様相をもち、しかし大いなる力をもつ醜悪な asura かつ食人鬼。Vārṇāvata の南の密林に住み、行軍中の Pāṇḍava を襲ったが、激しい戦いの後 Bhīma に殺された。

hiḍimbī 前者の妹。美しいと描かれ、後に Bhīma に嫁いだ。

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