インドの文学を学ぶ者であれば、だれもが次の困難を感じてきたはずである。その者が、最古にして最も独創的な作品が書かれた古典語たる Sanskrit によって学んだにせよ、あるいは近代インドのいずれかの俗語という、より狭い範囲からその知識を得たにせよ、事情は変わらない。困難とは、神話上の人物・場所・事物が頻繁に言及されることから生じるものである。それらの名はまったく未知であるため、彼はしばしばそれが固有名詞であることにすら気づかない(東洋の文字にはそれを示す大文字がないからである)。しかもそれらに関する事実については、ほとんど、あるいはまったく知る手立てがない。それゆえ彼は自らの Munśī から得られる情報に頼るほかないが、その情報は大抵きわめて不完全であり、しばしばまったく誤っている。長年の読書によって望む知識は得られるが、それは多大な時間と労力と探究を代償としてのことである。古典の学習者が久しく 'Lemprière' を持ち、今日では周知の、はるかに優れた Dr. William Smith の辞典群を持っているように、インドを学ぶ者のためにも同様の書物が存在するならば、その代償のほとんどすべては省かれうるであろう。
インドの諸大学は、ヨーロッパの諸大学が古代ギリシャとローマの言語に与えてきたのと同じ地位に、Sanskrit およびいくつかの俗語を置いた。それゆえ古代 Hindu 文学の知識は、今や大学の優等学位を得るのに必要となっている。現在のところ、学生がインドの神話と古事に関する知識を得るのを直接に助けるべく企図された、古典辞典の形式をとる著作は存在しない。
これらの欠を幾分なりとも補うことが本書の目的である。本書は、Hindu 文学の研究において、Sanskrit であれ俗語であれ、出会うであろうあらゆる Hindu の神々、ならびにあらゆる神話上の人物と事物についての記述を収める。Brāhmaṇa 教および仏教の神学と儀礼の諸用語、ならびにインド哲学の諸学派の用語も、簡潔に説明してある。古代インドの地理について得られる限りの情報も載せた。比較的無名の人物や場所の名が多く収められていると思われるかもしれない。しかし Hindu は自らの系譜表をきわめて重視するのであり、本書は、たとえ属した家系や氏族以外に何も記録されていない者であっても、彼らの古典籍に現れるあらゆる名を収めることを意図したのである。疑いなく多くの名が漏れており、なかにはおそらく重要なものもあろう。しかしそれは、この種の書物の初版においては当然予想されることにすぎない。
本書の作業は約二十年前に始められ、伝説の大部分は当初、南インドに流布する俗語文献から採られた。しかし Dr. John Muir の貴重な著作1が筆者の目に留まるに及んで、筆者は、それまでに集めた伝承的で不完全な記述をすべて除き、代わりに Hindu の正統な典籍からの抜粋をもってすることを自らの務めと感じた。彼らの宗教・神話・歴史的伝承について信頼しうる知識を与えうるのは、それらの典籍のみだからである。とはいえ本書の材料は折々に拾い集められ、機会あるごとに組み立てられたものであるから、批判的な読者は多くの欠陥を見いだすかもしれない。それでも、Dr. Muir の諸巻が世に出る以前に刊行されていた場合に比べれば、はるかに信頼に足るものとなっていることは疑いない。
筆者はまた、Professor Wilson による Viṣṇu Purāṇa の翻訳、ならびに同じ碩学の Essays on Sanskrit Literature および Religion of the Hindus に大いに負うている。Mr. Talboys Wheeler の刊行した Mahābhārata と Rāmāyaṇa の版もまた援用した。Benares College の Sanskrit 教授 Mr. Griffith による Rāmāyaṇa の韻文訳、ならびに同著者の 'Idylls from the Sanskrit' と 'Scenes from the Rāmāyaṇa' は、多くの美しい章句によって本書を豊かにし、生彩あるものとした。また Mr. Griffith 自身の注、および彼が Schlegel、Gorresio その他から選び出した注は、いくつかの難点に光を投じた。
Professor Max Müller の History of Ancient Sanskrit Literature と Chips from a German Workshop は多くの情報を与え、これらの著作からは価値の高い抜粋を多数採った。Professor Goldstücker が English Cyclopaedia に、さらにとりわけ Chambers の Encyclopaedia に寄稿した Hindu 教に関する諸項目、および同じ碩学が刊行した Sanskrit 辞典の数分冊は、大いなる研究の成果を世に示したものであり、筆者は上記の刊行物から多くの新しい材料を利用した。
本書の興味と有用性を増した著作は、ほかにも多く挙げることができる。なかでも次のものは省くべきでない。Mrs. Manning の Ancient and Mediaeval India、Professor Monier-Williams の Indian Epic Poetry、G. Small の Handbook of Sanskrit Literature、M.A. Ziegenbalg の Manual of the Mythology of Southern India、Tod の Annals and Antiquities of Rajasthan、Colebrooke の Essays 等々である。版の完全な一覧は別頁に掲げる。
一年前に刊行した本書の内容見本において、筆者は、インドの神話伝説がギリシャとローマのそれに与えられてきたほどの注目を集めてこなかったことを認めつつ、次の見解を述べた。すなわち、その原因は伝説を特徴づける東洋的想像力の奔放さのみにあるのではなく、主として、それらがいまだヨーロッパ人によって若年期に学ばれたことがないという事実にある、というのである。初期のギリシャとローマの物語の魅力の多くが、その知識を初めて得たときの周囲の連想に属していることは疑いない。教養あるヨーロッパ人がギリシャとローマの古典の物語に抱く関心は、若き日の熱情のうちに、生涯を通じて人生の輝かしい局面として際立つ情景と境遇のただなかで、それらに親しんだことに由来すると言えよう。
しかしながら、インドの二大叙事詩の美しさと価値とは、今や認められている。それらはもはや無価値な虚構や、想像力の徒らな飛翔とは見なされていない2。今日認められているところによれば、この二つの英雄詩、すなわち Rāmāyaṇa と Mahābhārata は「India の初期の歴史についてわれわれが知りうるすべて」を含んでおり、その誇張にもかかわらず、人類が有史以前に経てこなければならなかった社会の状態と、思想および感情のありようとを、われわれの眼前に示すのである。これらの古い物語に登場した人々は「われわれと同じ情をもつ」男女であった。同じ喜びと希望に鼓舞され、同じ悲しみと失望に沈んだのである。それゆえ、彼らが後に残した痕跡、すなわち「時の砂に残された彼らの足跡」を観察し、人類のまさに幼年期にまで思いを至らせるほど遠い時代に、人々が何を考え、何を語り、何をなしていたかについて、彼らの残した記録から得られる限りのものを拾い集めることは、興味深いことである。
「われわれの時代は発見と進歩によってかくも際立っているが、それでもわれわれは、その変化のただなかにあって、現在がそこから生まれ出た過去の世界を絶えず想起させられる。物理学と政治学がかくも前進するのを目撃してきたこの世紀は、エジプトの象形文字の秘密をも解き明かした。Major Rawlinson は今、ペルシャの岩に刻まれた物言わぬ碑文に声を与えつつある。そして同様に、インドの神話詩においてわれわれはギリシャの最初期の歴史と同時代人となるのである。かくして人類の英雄時代と青春とが、地上の後の世に、われわれの科学と商業とに驚くべき対照をなして甦る。あたかも自然がことさらに次のことを教えようとしているかのようである。すなわち、過去には人間にとって決して古びることのない浪漫が存するのであり、われわれの文明がいかにわれわれを変えようとも、また人類のあらゆる新たな発展のもとにあっても、古き時代の記憶はなお生き残り、壮年の厳しい現実のただなかにおける幼時の物語のように、われわれのもとへ立ち返ってくるのだ、と。」3
Bangalore にて 1871年8月15日
J. Garrett
1 Original Sanskrit Texts, on the Origin and History of the People of India, their Religion and Institutions.
2 「Rāmāyaṇa においては、すべてが純然たる際限なき狂言である。狂気と迷信と酩酊の利点を兼ね備えたかのような想像力が動き出し、自ら世界と称するものを独自に一揃い作り上げ、そこをあらゆる種類の行為者で満たす。神々、聖仙、猿、そして数知れぬ多様な幻想的存在がそれであり、それらは同時に、奔放さの究極の超越的狂気にまで拡大され、歪められている。そして詩人が十分に騒然とし混沌としていないと思うたびに、さらなる怪物がのし歩き咆哮しながら大騒ぎのなかへ乗り込んでくるのである。」—— John Foster, Eclectic Review, 1810年9月。
3 Westminster Review, Vol. L, p. 62.