Garrettインド古典辞典

h第一部 サンスクリット語・パーリ語の見出しhimapāṇḍura … hlādinī

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himapāṇḍura 大地を支えると信じられている四頭の象の一頭。崇高な Himapāṇḍura には東方が割り当てられている。virūpākṣa の項を参照。

himavat 山々の王。雪の山脈の一部。今日 Himālaya と呼ばれるよく知られた山脈であり、インド半島の北の障壁を成し、世界で最も高い高所を含む。古典の著作家の Imäus あるいは Emodus である。神話においては、Himavat は空のニンフ Menakā の夫であり、河 Gaṅgā の父であり、また Śiva を魅了してその山中で行っていた苦行から誘い出すために Pārvatī として降った Durgā すなわち Umā の父である。この人格化においては、この名は Purāṇa 期に属し、単なる山としては叙事詩期に属する。

この山脈の雄大な高さと、その頂に達することの見かけ上の不可能さのゆえに、古代 Hindu の想像力はそれに最も神秘的な性質を付与し、その神々の何人かの歴史と結びつけた。Purāṇa においては、Himavat は世界の中心に立つ伝説上の山 Meru の南に置かれ、山々の王として描かれる。彼は Pṛthu が大地の統治に就けられたときにその王位に就けられた。Śiva の住処として、それは悔悟する巡礼者たちの目的地であり、彼らはこの恐るべき神の恩寵を得るためにその頂へ赴く。その妻は Menā であり、pitṛ すなわち半神 Vairāja が単なる思考の力によって生み出した者である。

hiraṇmaya Śveta 山脈と Śṛṅgi 山脈の間、Meru 山の北にある山がちの国。

hiraṇyakaśipu Kaśyapa と Diti の子。daitya の王となり、Indra の権威を簒奪し、太陽、風、水、火、月の機能を自ら行使した。三界を征服すると高慢に膨れ上がり、望むものは何でも享受した。「彼は一億年の間、すべての不死なる者たちの主権を得た。」(OST, IV, 159)その息子 Prahlāda は Viṣṇu に帰依し続け、父によって死刑を命じられると、Viṣṇu が彼の救済者として現れた。Hiraṇyakaśipu は息子と和解したが、それにもかかわらず Narasiṃha(人獅子)としての Viṣṇu によって死に至らしめられ、Prahlāda が daitya の主権者となった。

hiraṇyagarbha Brahmā の名。「黄金の卵から生まれた者」。

Ṛgveda において Hiraṇyagarbha は、至高性のあらゆる属性をもって讃えられている。第十巻の第121讃歌においては、この神は初めに生じた者、すべての存在の唯一の主、天と地を支える者、生命と息を与える者、神々さえその命に従う者、すべての神々の上なる神、そして神々の存在を生気づける原理であると言われている。—OST, Vol. IV, pp. 13 以下, V, p. 355.

hiraṇyanābha Rāma の子孫の一人で、Jaimini の弟子、Sāmaveda の教師。多数の弟子をもち、彼らは sāman の北方および東方の詠唱者と称され、諸学派の創始者となった。

hiraṇyaretas Bhāgavata の列挙による Priyavrata[の息子たち]の一人。

hiraṇyaroman 北方の守護者である Lokapāla で、Parjanya と Marīci の子。

hiraṇyahasta 賢き Vadhrimatī の祈りに応えて、Aśvin たちが彼女に授けた息子。— OST, V, p. 247.

hiraṇyākṣa 前者[ママ]の兄弟で、「打ち勝ち難き者」と称される。野猪の化身における Viṣṇu によって滅ぼされた。Padma Purāṇa においては、これは第一の、すなわち Matsya avatāra において起こったと言われる。すなわち Viṣṇu が魚の姿で大洋に入り、Hiraṇyākṣa を滅ぼしたという。— WILSON, Works, Vol. III, p. 58.

hiraṇvat Śveta の王。敬虔な王である父 Āgnīdhra が Śālagrāma での苦行の生活に退く前に、父によって王位に就けられた。

hutāśana 炎の神。

hūma-s 白 Hūṇa すなわち Indo-Scythia 人。われわれの紀元の始めに Punjab と Indus に沿って定住していた。このことは Arrian、Strabo、Ptolemy から知られ、その貨幣の近年の発見によって確証されている。

hūhū and hāhā Rāmāyaṇa に言及される gandharva の二人の王。

hṛ 「慎み」。Dakṣa の娘の一人で Dharma の妻として表される寓意的人物。

hṛdīka Svayambhoja の子である Yādava の王子で、Sūra[ママ]の父。その家系において Viṣṇu は人の姿をとった。

hṛṣīkeśa 「感官の主」を意味する Viṣṇu の名。

heti 太陽の車の七人の守護者の一人として、Māgha 月あるいは Caitra 月の間つねに太陽の車に住む rākṣasa。

hema Yayāti の子孫 Uṣadratha の子。また Viṣṇu Purāṇa に見える河の名でもある。

hemakūṭa Meru の南にある、大地の境界の山の一つ。

hemacandra

1. 仏教徒の間で Śākhya とその最初の弟子たちの労苦の主要な座として名高い地、Vaiśālī の王。Vaiśālī は今の Allahabad[ママ]である。2. 12世紀における Jaina 教義の熱心で有能な宣布者。自らが教える体系の特性に精通しており、信頼しうる手引きとみなしてよい。Abhidhāna Cintāmaṇi と称される有用な語彙集と、Mahāvīra の伝記との著者であった。— WILSON.

haitaka-s 因果論者。Nyāya すなわち論理哲学の追随者、あるいは権威に基づいて何ものも受け入れず証明しえないものは何も認めない Bauddha(仏教徒)。あるいは、議論によって信仰の行為の効力に疑いを投げかける者たちと説明される。

haihaya, haya Kṛṣṇa の生まれた家系である Yādava 種族の二人の王子で、Śatajit の息子たち。

haihaya-s Yadu の子孫。彼らは Bāhu を打ち負かし、その国は彼らに蹂躙され、その結果 Bāhu は妻たちとともに森へ逃れた。Haihaya は後に、Bāhu の遺腹の子 Sagara によってほとんど滅ぼされた。Haihaya 族には五つの大区分があったが、その共通の祖先 Yadu から、彼らは通常 Yādava と称される。これらの部族は西暦紀元以後にのみ現れる。彼らは Scythia 起源であると考えられている。馬を意味する haya の語は、このことの裏づけとなる証拠である。

hotṛ 供犠の儀礼の執行において讃歌を誦する祭官。

homa(護摩) brāhmaṇa のみが行うことのできる一種の燔祭。祭りの挙行、若い brāhmaṇa への聖紐の授与、婚礼、葬儀のような特別の機会にのみ行われる。その行い方は次のとおりである。mantra を唱える間に、五種の聖別された木が dharba 草、米、バターとともに点火されて焼かれる。そしてその火は祭りあるいは儀式の続くかぎり燃やし続けられる。この儀礼には大きな効力が帰せられている。

hrasvaroman Mithilā の王の一人で、Suvarṇavarman の子。時に Hrasvaroman[ママ]と呼ばれる。

hlāda Hiraṇyakaśipu の強大な息子たちの一人。

hlādinī 「喜ばせる者」。Gaṅgā の降下に関連して Rāmāyaṇa に言及される七つの河の名。そのうち二つ、Ganges と Indus のみが地理学者に知られている。

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