bṛhatkṣatra Bharata の王子で、Bhavanmanya の子。
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bṛhatkṣatra Bharata の王子で、Bhavanmanya の子。
bṛhatkṣāṇa 大戦争の後の太陽の種族の Rājā。その父 Bṛhadbala は Abhimanyu に殺された。
bṛhat-sāma Brahmā の南の口から造られた Sāmaveda の一部分。
bṛhadaśva Bharata の Rājā で、名高い Kuvalayāśva(その項を参照)の父。[Supplement より→]王 Yudhiṣṭhira に Nala の物語を語った聖仙。これは、Yudhiṣṭhira が賭けの勝負ですべての所有物を失った後、流謫の Pāṇḍava の王子たちを慰める目的でなされた。
bṛhadiśa
1. Hastināpura の王で、Ajamīḍha の子。2. Pañcāla と称される Haryaśva の五人の息子の一人。
bṛhadbala 太陽の種族の王子で、Viśrutavat の子。大戦争において Arjuna の子 Abhimanyu に殺された。
bṛhadbhānu Bharata の Rājā で、Bṛhatkarman の子。
bṛhadratha
1. Bharata の Rājā で、Bhadraratha の子。2. Vasu Uparicara の子。3. Puru の種族の Tigma の子。4. Magadha の十人の Maurya 王の最後の者で、Śaśadharman の子。
bṛhannāradīya purāṇa 誤って Purāṇa と称される近代の編纂物。Viṣṇu に向けられた讃美の祈りと、彼を称えて種々の儀礼を守りある季節を聖とする命令とを含む。
bṛhaspati bṛhaspati の項を参照[ママ]。これは神々の purohita の名であるのみならず、古代のサンスクリット讃歌においては、唯一の永遠なる者の名としても用いられる。
bṛhaspati Aṅgiras の子である聖仙で、devatā の祭官かつ師。統治の学の教師。彼には Tārā という名の美しい妻があったが、Soma(月)に連れ去られ、Tāraka 戦争と称される激しい争いに至った。daitya、dānava その他の神々の敵は Soma の側に加わり、一方 Indra とすべての神々は Bṛhaspati の同盟者であった。Brahmā が介入し、Soma に Tārā を夫に返させるまで平和は回復されなかった。Bṛhaspati は第四の manvantara[ママ]の Vyāsa であった。
bṛhaspati 木星。VP において、八頭の淡い色の馬に牽かれる黄金の車をもつものとして描かれている。
baidyanātha Bengal の北西の境界、Calcutta から200マイルの地にある名高い巡礼地。地図には Deogurh と記されている。Baidyanātha の祠は、その起源をある Santhāl に遡ると言われる。伝説によれば、昔、brāhmaṇa の一部族が寺院近くの高地の湖の岸辺に住みついた。その頃は森と山のほかには何もなく、そこに黒い肌の諸種族が住んでいた。brāhmaṇa たちは湖の近くに Śiva の象徴を据えて供犠を行った。黒い肌の部族たちは新しい神を崇めようとはせず、以前と同じように、父祖たちが崇めた三つの大石のもとに来た。時がたつにつれて、brāhmaṇa たちは怠惰になり、Śiva の崇拝を怠った。これが黒い部族たちを驚かせた。ついにその一人で、大いなる膂力をもち、牛に富む Byjū という名の男が、毎日食物に手をつける前に brāhmaṇa の神 Śiva の象徴を打つと誓った。彼はこれを実行した。しかしある日、牛が森に迷い込み、一日中それを探した後、彼は飢え疲れて家に帰り、湖で沐浴して夕食の席に着いた。食べる前に彼は誓いを思い出し、疲れていたにもかかわらず出かけて行って棍棒で偶像を打った。突然、壮麗な姿が水から現れて言った。「見よ、飢えと疲れを忘れて私を打ちに来るこの男を。一方わが祭官たちは家で眠り、私に食べ物も飲み物も与えない。彼が望むものを私に求めさせよ。それは与えられるであろう。」Byjū は答えた。「私は腕力強く、牛に富み、わが民の長である。これ以上何を望もう。汝は Nāth(主)と呼ばれている。私にも主と呼ばせ、汝の寺院を私の名で呼ばせよ。」神は「そうあれかし」と答えた。「以後汝は Byjū ではなく Byjūnāth であり、わが寺院は汝の名で呼ばれるであろう。」* Mookerja の Magazine には寺院の記述があり、そこでは、ベランダの戸口の右手に、Śiva の vāhana すなわち乗り物である Nandi を表す四頭の牛の像が伏していると述べられている。大きさはまちまちであるが、どれも子牛ほどの大きさもない。最奥の聖所は、真昼の輝きの中でも暗く、そこに象徴が据えられている。その前には ghi(澄ましバター)を燃料とする灯明が昼夜燃えている。これによって、地面から突き出た、一 span(約23センチ)にも満たない高さの小さな石、すなわち男根像がわずかに見えるようになる。それこそが目の前に顕現して立つ Baidyanātha 自身なのである。**
* HUNTER, Annals of R.B.
** Friend of India.
bodha (「理解」)。Dharma と Dakṣa の娘の一人 Buddhi との子。
bodha-s Vāyu Purāṇa による中央インドの部族の一つ。Bāhyas とも読まれる。
bodhana Ramghur の東にある山。
bodhi-sattva(菩薩) 仏教神学の術語。潜在的な Buddha、すなわち完全な Buddha となるまでにあと一度の誕生を残すのみの者を表し、その間、自らの時が巡って来るまで天において待つ。
brammedhya Viṣṇu Purāṇa に見える河の名。いまだ同定されていない。
brahma-s or brahmarṣi-s VP によれば、九人の brāhmaṇa すなわち brahmarṣi の名は、Bhṛgu、Pulastya、Pulaha、Kratu、Aṅgiras、Marīci、Dakṣa、Atri、Vasiṣṭha である。彼らはまた Prajāpati および Brahmaputra(Brahmā の息子たち)とも呼ばれる。種々の書物におけるその表にはかなりの相違があるが、その相違は、名が一般に繰り返し現れる、本来はわずか七人の列挙に対する追加の性質のものである。VP においては、彼らは Brahmā の心から生まれた子孫、すなわちその継続的な瞑想から生まれた者と称される。南インドにおいては、彼らは通常「七人の苦行者」と呼ばれる。そのうち二人はもともと brāhmaṇa ではなかったが、きわめて長く厳しい苦行を行ったので、紐の儀式によってその位に引き上げられるという類まれな恩恵を得たと言われる。苦行する Rājā から苦行する brāhmaṇa となったのである。哲学的詩人 Vernana によれば、彼らの上昇はさらに低い位からであった。これらの ṛṣi は Veda に先立って存在し、Veda においてしばしば言及される。Abbe Dubois は、彼らは Japhet の七人の息子であったと考える。
brahmaketu Drāviḍa の王 Viśvaketu の子である王子。十六歳で死ぬ運命にあったが、Aṅgiras の助言に従って Benāres に赴き、Yama が Śiva を訪れる際の通り道に身を横たえた。Yama は決してまっすぐな道からも、等しい歩幅からさえも逸れることがないので、Brahmaketu の周りを回ることも跨ぐこともできず、ついに彼を起き上がらせるために、百歳まで生きることを許すと約束した。そしてそのとおりになった。Kekaya の王の背の曲がった息子の代わりに、Brahmaketu が Kāmpilya の王の娘と結婚するという副筋があり、それは Arabian Nights の物語の一つにいくらか似ている。— WILSON, Works, III, 44.
brahmacārī 聖紐を授けられた宗教的学生。師の家において Veda の学習に励み、絶えず師に侍らねばならない。朝には太陽に、夕べには火に礼拝し、それから敬意をもって師に話しかけねばならない。師が立っているときは立ち、師が歩くときは動き、師が座っているときはその下手に座らねばならない。師がその逆をしているときに、座ったり、歩いたり、立ったりしてはならない。師の前に置かれた Veda を注意深く読み、施しとして集めた食物を、師の許しがあるときに食べねばならない。まず師の沐浴に用いられた水で沐浴し、毎朝、薪と水その他必要とされるものを何でも運ばねばならない。— VP.
Muir 博士がその Original Sanscrit Texts において訳した讃歌の一つは、「brahmacārin すなわち宗教的学生に、きわめて驚くべき力を帰している」。Muir 博士は言う。「その一部は晦渋であるが、私の与える訳は、不完全ではあるが、その内容についての何らかの観念を伝えるであろう。」
「brahmacārin は両世界に生気を与えつつ働く。神々は彼のうちに喜ぶ。彼は大地と天とを確立した。彼は tapas(苦行の熱)によって自らの ācārya(宗教的師)を満足させる。2. 祖霊たち、天の軍勢、すべての神々が個々に、6,333の gandharva とともに彼の後に従う。彼は tapas によってすべての神々を満足させる。3. ācārya は彼を弟子として受け入れ、胎内においてさえ彼を brahmacārin とし、三夜の間腹の中で彼を支える。彼が生まれると、神々は彼を見るために集まる。4. この薪は大地であり(第9節と比較せよ)、第二の薪は天である。彼は大気を薪で満足させる。brahmacārin は薪をもって、帯をもって、努力をもって、tapas をもって諸世界を満足させる。5. Brahmā より先に生まれた brahmacārin は、tapas によって生じ、熱に包まれていた。彼から神的知識(brāhmaṇa)、最高の Brahmā、そしてすべての神々が、不死とともに生み出された。6. brahmacārin は、薪に照らされ、黒羚羊の皮をまとい、聖別され、長い鬚を生やして進む。彼は東の大洋から北の大洋へとまっすぐに動き、諸世界を圧縮し、また再び押し広げる。7. 神的な学、水、世界、Prajāpati、Parameṣṭhin、Virāj を生み出しつつ、brahmacārin は不死の胎内において胎児となり、Indra となって asura を打ち砕いた。8. ācārya はこれら二つの領域、広く深い大地と天とを造った。brahmacārin は tapas によってそれらを保つ。彼のうちに神々は喜ぶ。9. この広い大地と天とを施しとして最初に生み出したのは brahmacārin であった。それらを二本の薪として(第4節と比較せよ)彼は礼拝する。それらのうちにすべての被造物が含まれている。10. 神的知識の二つの容器がひそかに納められている。一つはこちら側に、他は天の表面の彼方に。brahmacārin は tapas によってそれらを守る。賢き彼は、その神的知識を自らの専有の分として我がものとする。……16. brahmacārin は ācārya であり、brahmacārin は Prajāpati である。Prajāpati は輝く(virājati)。輝くもの(virāj)は強大なる Indra となった。17. 自制と tapas によって、王はその領土を守る。自制によって、ācārya は brahmacārin を求める。18. 自制によって、乙女は若者を夫として得る。自制によって、牡牛と馬は飼葉を得ようと努める。19. 自制と tapas によって、神々は死を滅ぼした。自制によって、Indra は神々から[あるいは神々のために]天を得た。20. 植物、かつてあったもの、これからあるであろうもの、昼と夜、木々、年が季節とともに、brahmacārin から生み出された。21. 地上と天上の存在、野生と家畜の獣、翼のない生き物と翼のある生き物が、brahmacārin から生み出された。22. Prajāpati から生じたすべての被造物は、それぞれ自らのうちに息をもつ。これらはみな、brahmacārin のうちに生み出された神的知識(Brahmā)によって保たれる。……26. これらのものを brahmacārin は形づくった。水の表面に、彼は海の中で tapas を行いつつ立った。」
brahmajña 聖なる学習。霊魂に善悪の知識を伝えるもの。brahmacārin の五大供犠すなわち五大義務の一つ。
brahmadatta Anuha の子である聖仙。Hari-vaṃśa には、Brahmadatta とその六人の仲間の種々の輪廻に関する奇妙な伝説がある。彼らは順に、同数の brāhmaṇa、次いで森、次いで鹿、次いで水鳥、次いで白鳥となり、最後に再び brāhmaṇa となり、そのとき王とともに解脱を得た。Bhāgavat によれば、Brahmadatta は Yoga に関する論書、すなわち yoga tantra を著した。
brahma purāṇa これは創造の記述、manvantara の説明、そして Kṛṣṇa の時代に至るまでの太陽王朝と月王朝の歴史を与える。また、太陽、Śiva、Jagannāth に捧げられた寺院と聖なる森をもつ Orissa の神聖さを述べる。その目的は、Jagannāth としての Kṛṣṇa の崇拝を促進することにあるようである。
brahmabali Devadarśa の弟子で、Sāmavedaの教師。
brahma-bodhya Viṣṇu Purāṇa に言及される河。ただし同定されていない。
brahmabhūta 至高の霊と同一化されること。霊は一つであり、普遍的で、同一であるという確信をもつこと。
brahmarṣi-s brāhmaṇa の種族すなわち gotra の創始者である五人の族祖、すなわち Kaśyapa、Vasiṣṭha、Aṅgiras、Atri、Bhṛgu の子孫。brahmarṣi は Brahmā の領域に住む。
brahmaloka 最高天。無限の智慧と真理の世界であり、その住人は再び死を知ることがない。
brahmavaivarta purāṇa 「Sāvarṇi によって Nārada に語られ、Kṛṣṇa の偉大さの記述と rathantara kalpa の出来事とを含み、また Brahma-Varāha の物語が繰り返し語られる Purāṇa は Brahmavaivarta と呼ばれ、一万八千の詩節を含む。」— VP.
brahma-sāvarṇi 第十 manvantara の Manu。
brahmā Hindu の三神一体の第一の神格。世界の創造者。万物の大いなる父にして主。万物の支持者。しかし Viṣṇu の臍から生じた蓮の中に生まれたとも、黄金の卵から生まれたとも描かれる。Viṣṇu Purāṇa によれば、唯一の神 Janārdana は、創造し、保持し、破壊するのに応じて、Brahmā, Viṣṇu, Śiva の呼称をとる。Cockburn Thompson 氏は言う。「神話以前の時代においては、これはおそらく、生み出し、生気を与え、遍満するものとみなされた太陽の名にすぎなかった。後にそれは元素的な神々の三神一体において Sūrya に取って代わり、その三神一体の他の構成員である Varuṇa と Vāyu に代えられた Viṣṇu と Śiva と対にされた。最初期の神話時代においては、Brahmā(つねに男性)は三神一体 Brahmā, Viṣṇu, Śiva の第一位である。そして後にこれらの人格の一体性が唯一の至高存在に帰せられることによって確立されたとき、Brahmā は創造者かつ生気を与える者としての性格におけるその存在であり、Viṣṇu は保持者としての、Śiva は破壊者としての性格におけるそれであった。こうして Purāṇa(Viṣṇu Purāṇa, p. 22)においては、Brahmā は自らの年で100年生きると言われ、その各年は360の昼と夜から成る。その昼は kalpa と呼ばれ、人間の年の4,320,000,000年から成り、その間宇宙は存在する。その夜の間には宇宙は存在をやめ、次の昼すなわち kalpa の始めに再生される。Purāṇa においては、彼は四つの顔をもち、Viṣṇu の臍から生じた蓮の萼から生み出されたものとして描かれる。宇宙の創造者というこの神話的性格において、彼は Bhagavad Gītā と Viṣṇu Purāṇa に言及されている。迷信的な神話の時代の後、唯一の至高存在という観念が再び持ち出されたとき、Brahmā は既存の三神一体の長とみなされ、当初はその未知の神の観念と同一視された。そして後には、Śiva と Viṣṇu がそれぞれの信奉者である Śaiva と Vaiṣṇava によって、交互に至高存在と同一視されたものの、Brahmā の名は、中性において、普遍的な至高の一者を表すために哲学の言語においてなお保持された。この意味でこの語は Bhagavad Gītā の全体を通じて現れる。ただしそれが男性である少数の箇所と、中性で現れながら、もはや霊と物質の双方の本質という完全な性格における至高存在を意味せず、単にすべての物質の本質、普遍的な生命エネルギーであるその部分のみを意味する一箇所とを除く。こうしてわれわれは次のものをもつ。『第一に、Brahmā 男性。神話上の人物であり、神話的三神一体の第一位、創造力の人格化であって、死すべき物質的な神格とみなされるもの。第二に、Brahmā 中性。哲学の言語において至高存在を表すために用いられる名。第三に、Brahmā 中性。後代の哲学の言語において、至高存在の物質的部分を人格化したもの。この語は、一般に「生長する」「増大する」を意味する語根 vṛh から来ると考えられているが、満足のいくように語源が説明されたことはない。』」— THOMPSON. Muir 博士はその Original Sanscrit Texts 第5巻において、ある一文を訳している。彼によれば、それは「Brahmā を導入する点で興味深いのみならず、nāma と rūpa(名と形)の観念が現象的宇宙の全体を包括するものとして現存する、おそらく最古の解説の一つを含む点で興味深い」。
「(1)初めに Brahmā はこの[宇宙]であった。彼は神々を創造した。神々を創造した後、彼はそれらをこれらの世界に置いた。すなわち、この世界には Agni を、大気には Vāyu を、天には Sūrya を。(2)そしてさらに高い世界には、さらに高い神々を置いた。これらの目に見える世界とこれらの神々がそうであるように、彼がかの(より高い)神々を置いたかの(より高い)目に見える世界もそうであり、かの神々自身もそうであった。(3)それから Brahmā はより高い領域(parārdha。注釈者によれば、すべての世界のうち最も優れ、その極限である satyaloka を意味する)へと進んだ。そのより高い領域に赴くと、彼は『今いかにしてこれらすべての世界に遍満しようか』と考えた。そこで彼は二つのもの、すなわち形と名とをもってそれらに遍満した。名をもつものは何であれ、それが名である。そして名をもたないもの、彼がその形によって知るもの、『その形はかくかくである』と知るもの、それが形である。この[宇宙]は、形と名とがあるだけのもの(すなわち形と名と同じ広がりをもつもの)である。(4)これらは Brahmā の二つの大いなる量(abhve)である。Brahmā のこれら二つの大いなる量を知る者は、自ら大いなる量となる。(5)これらは Brahmā の二つの大いなる顕現である。Brahmā のこれら二つの大いなる顕現を知る者は、自ら大いなる顕現となる。この二つのうち一方がより大きい、すなわち形である。名であるものは何であれ形でもあるからである。この二つのうちより大きいものを知る者は、自らがより大きくなりたいと望む者よりも大きくなる。(6)神々はもともと死すべきものであったが、Brahmā によって遍満されると不死となった。彼が心から送り出すもの(心は形である。心によって彼は『これは形である』と知るからである)── それによって、私は言う、彼は形を得る。そして彼が声から送り出すもの(声は名である。声によって彼は名を捉えるからである)── それによって、私は言う、彼は名を得る。この宇宙は、形と名とがあるだけのもの(すなわち形と名と同じ広がりをもつもの)である。そのすべてを彼は得る。さてそのすべては朽ちることがない。それゆえ彼は朽ちることのない功徳と、朽ちることのない世界とを得る。」
「Ṛgveda の後期の讃歌と Atharvaveda において、Viśvakarman、Hiraṇyagarbha、Prajāpati という種々の称号のもとに描かれる神格は、より近代の伝説書の Brahmā に対応するように思われる。この神はもともと Viṣṇu および Rudra とは結びついておらず、後代になって体系的神話において、彼らがその第二および第三の成員を成す三神一体の第一位とみなされるようになったのであるが、その性格について抱かれた一般的観念は、他の二神格の場合に比べて、その歴史の過程においてあまり変化していない。」
「Brahmā は初めから創造者とみなされていた。そして彼が従属的な地位に沈み、Viṣṇu と Mahādeva の信奉者たちによってそれぞれ、これら二神のいずれか一方の単なる被造物かつ代理者として表されるようになった後でさえ、同じ機能を果たすものとみなされ続けた。後代においては、Brahmā には特別の崇拝者がほとんどいない。彼が定期的に崇拝される唯一の地は Rājpūtānā の Puṣkara である。初期の伝説が彼に帰する二つの行為、すなわち亀と野猪の姿をとることは、後代の著作においては Viṣṇu に移されている。」
上記の抜粋が採られた Muir の Original Sanscrit Texts の第4巻において、読者は Brahmā の生涯、性格、属性が十分に例証されているのを見出すであろう。そこに訳された諸本文のいくつかにおいては、Brahmā、Viṣṇu、Śiva は同一の神性の三つの顕現であると主張されている。「汝に、Hari と Hara(Viṣṇu と Mahādeva)の結合から成るかの形を宣べよう。それは始めも中も終わりもなく、不滅にして朽ちることがない。Viṣṇu である者は Rudra であり、Rudra である者は Pitāmaha(Brahmā)である。実体は一つであり、神々は三つ、すなわち Rudra、Viṣṇu、Pitāmaha である。」— OST, Vol. IV, p. 237.[Supplement より→]丘陵の諸部族、とりわけ Nagara Malnāḍ において崇拝される主要な bhūta の一つの名。
brahmāṇḍa purāṇa 一万二千二百の詩節において Brahmā の卵の壮大さを宣べ、未来の kalpa についての記述を含むものが Brahmāṇḍa Purāṇa と呼ばれ、Brahmā によって啓示された。— VP.
brāhmaṇa 祭官階級の名。祭官の部族ではあるが、すべての brāhmaṇa が祭官であるわけではない。brāhmaṇa の真の起源ははっきりとは知られていない。彼らの間に流布する寓話的な伝承は、彼らを Brahmā の頭から導き出す。brāhmaṇa は、kṣatriya、vaiśya、śūdra とはまったく異なる状況にある。後者は、生涯その中に生き続ける身分に生まれる。しかし brāhmaṇa は、幼い頃に授けられる紐の儀式によってのみ brāhmaṇa となる(upanayana の項を参照)。この儀礼の後、彼らは dvija すなわち再生族と称される。
brāhmaṇa の七つの caste は、七人の名高い ṛṣi すなわち苦行者をその特別の起源とする。これら七人の ṛṣi は、この国の年代記においてきわめて名高い。彼らは Hindu の認める最も聖なる、最も崇敬される人物である。その名は神聖とされ、すべての民によって呼び求められる(ṛṣi-s の項を参照)。
「ヨーロッパのある名家の起源について語られる寓話的な物語が、その古さを証明することによってその家に光彩を添えるのであれば、brāhmaṇa が自らの高貴な系譜を誇るのにはいかに多くの理由があることか。そして名高い家系から出たという栄誉が、時にその子孫を下層の人々を軽蔑して見下すように導くのであれば、brāhmaṇa の傲慢さと、彼が自らの caste 以外のすべての caste に示す高い蔑みとを、われわれは怪しむことはできない。」*
すべての brāhmaṇa は、自分が七 ṛṣi のいずれから出たかを知っていると称する。もう一つの、より一般的な区分があり、それは彼らを四つの別個の部類に分け、そのそれぞれが四 Veda の一つに属する。しかし日常生活の交際においては、この区別にはほとんど注意が払われない。実際により有効に働く宗派的区分がいくつかある。それは Vaiṣṇava 派、Smārta 派あるいは Śaiva 派の brāhmaṇa である。そしてインドの種々の地方には、他の下位区分が見られる。
* Abbe Dubois.
brāhmaṇa-s Hindu の著作と伝承によれば、すべての部族の brāhmaṇa は、もともと七人の ṛṣi すなわち聖仙の子孫である。彼らは Hindu によって、大いなる神聖さと智慧をもつ半神として、普遍的に深い崇敬を受けている。Nirṇaya Sindhu および Dharma Sindhu によれば、その七人は次のとおりである。
1. Bhṛgu
2. Aṅgiras
3. Atri
4. Viśvāmitra
5. Kaśyapa
6. Vasiṣṭha
7. Agasti
これらの ṛṣi はそれぞれ大区分の首に立ち、その種々の成員はさらに gotra すなわち氏族と呼ばれる区画に細分される。gotra は多かれ少なかれすべての Brāhmaṇa 部族に見られる。
儀礼において、brāhmaṇa は四 Veda のいずれかの祭式あるいは指示に従う。主要な gotra のうち五つは Sāmaveda を、他の五つは Ṛgveda を、他の五つは Yajurveda を、五つは Atharvaveda を守る。すべての gotra の残りの brāhmaṇa は Yajurveda に従う。
brāhmaṇa の種々の部族の間には、大きく重要な区別が存する。あるものは学問に、あるものは農業に、あるものは政治に、あるものは商業に携わる。
しかしすべては、Gaur と Drāviḍa と名づけられる二つの大区分のもとに分類され、そのそれぞれが五つの部族から成る。これらは大部分、地理的境界によって分けられている。いくぶん概括的に言えば、Gaur の諸部族は北インドに、Drāviḍa の諸部族は Deccan すなわち南インドに見られる。中央インドの Nerbudda 河が、Gaur と Drāviḍa との間の大まかな地理的境界線と一般にみなされている。しかし両者の間には、つねに心に留めておくべき重要な区別がある。すなわち、前者は後者よりも古く、南の brāhmaṇa は実はもともと北の諸部族から移住したのである。よく知られた十の主要部族に加えて、補足的な部族がいくつかあり、それらは通常その中に数えられないものの、疑いなく Brāhmaṇa 起源である。
DIVISIONS OF BRĀHMAṆAS(brāhmaṇa の区分)
Gaur すなわち北方区分。五部族から成る。
I. Kānyakubja すなわち Kanoujiyā
II. Sārasvat
III. Gaur
IV. Maithila
V. Utkala
Drāviḍa すなわち南方区分。五部族から成る。
I. Mahārāṣṭra
II. Tailaṅga
III. Drāviḍa
IV. Karnāṭa
V. Gurjar
これらのほかに、二十五の補足的部族がある。
Kānyakubja の brāhmaṇa は古の Kanauj 王国に属し、North-Western Provinces の広い部分に、Benāres に至るまで散らばっている。Benāres では彼らはきわめて数が多く、とりわけ Sarvariā あるいは Sārjupāri として知られる分派がそうである。この分派は、その本来の故郷である Oudh の境の Sarjū 河の北岸から、Benāres およびその彼方まで、その地方に散在している。Sārasvat の brāhmaṇa はインド北西部に、Gaur は Delhi の近辺と Bengal に見られる。Maithila は Behar の北部に住み、Utkala は Orissa に故郷をもつ。五つの Drāviḍa 部族も、五つの Gaur 部族と同様に、地理的境界によって分けることができる。Mahārāṣṭra は Mahratta 地方に、Tailaṅga は Teliṅgānā に、Drāviḍa は Tamil 語地域に、Karnāṭa は Karnāṭic に、Gurjar は Gujarat に属する。従属的あるいは補足的部族のうち、Māthura は Mathurā の都とその近辺に、Śākadvīpī は古の Magadh 地方に、Mālwā の brāhmaṇa は Mālwā に、Kurmācali は Kumaon に、Naipāli は Nepal に、Kāśmīrī は Kaśmīr に、Sapta-Satī の brāhmaṇa は Bengal に、Shenevi の brāhmaṇa は Mahratta 地方に、Palashe の brāhmaṇa は南インドに見られる。残りは種々の場所、主として北インドに見られ、ほとんど重みも重要性もない。
これらすべての部族を区別する caste の特徴として、そのいくつかは調理された食物を共にすることがあっても、互いに通婚しないということに注意することが重要である。五つの Gaur 部族は、婚姻に関しても食物を食べることに関しても互いにまったく別個であり、これらの点で南の brāhmaṇa の五部族とも同様に別個である。しかし五つの Drāviḍa 部族は、互いの関係においてそれほど排他的ではない。いずれも互いに通婚しないが、五つのうち四つは共に食事をすることができる。それは Mahārāṣṭra、Tailaṅga、Drāviḍa、Karnāṭa である。しかしいずれも Gurjar 部族とは共に食事をしない。それはこの部族に、他には見られないある種の特異性があるためである。補足的部族は互いに、また他のすべての部族から距離を置いている。— SHERRING, TCI.
brāhmaṇa-s Veda のうち、宗教的義務を教え込む規則、これらの規則を説明する格言、そして神学に関わる議論を含む部分。「Brāhmaṇa は確かにインド精神の歴史におけるきわめて興味深い一局面を表しているが、それ自体として、文学作品として判断するならば、まったく期待はずれである。かくも早い時期に、かくも原始的な社会状態において、衒学と純然たる愚かさにおいてほとんどどこにも匹敵するもののない文学が生じえたとは、誰も想像しなかったであろう。これらの集成に、印象的な思想、大胆な表現、健全な推論、興味深い伝承が欠けているわけではない。しかしこれらは胴像の断片のようなもの、真鍮と鉛にはめ込まれた貴い宝石のようなものにすぎない。これらの作品の全般的性格は、浅薄で味気ない大言壮語、祭官的な自惚れ、好古的な衒学によって特徴づけられる。一国民の新鮮で健全な成長が、いかに速やかに祭官術と迷信によって枯らされうるかを知ることは、歴史家にとってきわめて重要である。国民はその老年においてのみならず、その青年期においてもこうした流行病にかかりやすいことを知ることは、きわめて重要である。これらの作品は、医師が白痴のたわごとや狂人のうわごとを研究するように研究されるに値する。それらは思慮深い眼に、色褪せた壮大さの廃墟、高貴な憧れの記憶を明かすであろう。しかしこれらの作品をわれわれ自身の言語に訳そうと試みるだけで、人間の言語と人間の思考がかつてこのような目的に用いられたことに、われわれは驚くであろう。」*
* Max Müller.
brāhmī 八 Śakti、すなわち恐ろしい神格であり破壊の神格である Bhairava としての Śiva に侍る醜怪な女神たちの一人。酒と肉の供物によって宥められる。