ṛkṣa
1. Bhṛgu の子孫で、第二十四の dvāpara の Vyāsa。時に Vālmīka とも呼ばれる。
2. Ajamīḍha の子である王子。
3. Kuru の子孫 Akrodhana の子である王子。
4. Gondwana の山脈。
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ṛkṣa
1. Bhṛgu の子孫で、第二十四の dvāpara の Vyāsa。時に Vālmīka とも呼ばれる。
2. Ajamīḍha の子である王子。
3. Kuru の子孫 Akrodhana の子である王子。
4. Gondwana の山脈。
ṛgveda 四 Veda のうち最も古く最も重要なもの。「人が自らの種族の歴史に関心をもち続けるかぎり、そしてわれわれが図書館と博物館に過去の時代の遺物を集めるかぎり、人類の Ārya の分枝の記録を含む書物の長い列の第一の場所は、永遠に Ṛgveda に属するであろう。」* Ṛgveda の讃歌は人類に知られている最古の書物の一つであり、一般に短く、自然の大いなる力、すなわち蒼穹の神 Indra、火、太陽、月に向けられている。そして後者に関しては、とりわけ Soma すなわち月の植物の讃美に捧げられており、その汁は Veda の讃歌の多くにおいて目立った役割を演ずる。この汁はおそらく発酵させられ、陽気にする、あるいは酔わせる飲料にされ、それはきわめて高く評価された。
「Ṛgveda の讃歌の総数は約1,020である。その作成は疑いなく多くの人々と長い期間の仕事であった。それらは伝承によって伝えられた明白な痕跡を帯びている。そしてそれらは西暦紀元前約十世紀に現在の形に集められ配列されたとはいえ、この仕事を行ったことから Vyāsa すなわち配列者と呼ばれる聖仙によってまとめられる前に、長い時が経過したにちがいない。
讃歌の言語は古風であるのみならず、きわめて込み入っていて省略的であり、その力を見て取ることの難しい形容語と、決して明白でない比喩と比較とに満ちている。それは『正当化を要する語に満ちている』。それゆえ讃歌は、Müller 氏が述べるように、古代の碑文の解釈に施されるのと同様の扱い、すなわちすべての文法形式の注意深い収集と、同じ語が現れるすべての章句の徹底的な比較とを要求する。讃歌の韻律は本文の正しい読みへのきわめて重要な手引きであるが、それはきわめて多くの見かけの変則を呈するので、その規則は種々に説明されている。Ṛgveda の讃歌は、快いあるいは高尚な種類の詩をほとんど含まない。表現される主な願いは、富、勝利、種々の現世的な祝福に対するものである。道徳的な情感はめったに現れない。Varuṇa に向けられた讃歌が最もそれを含む。
Veda の mantra の中の章句はしばしば対話の形をとっており、そのような場合、話者たちは交互に ṛṣi と devatā とみなされた。
Müller 氏は、二十年以上にわたって Ṛgveda の翻訳に取り組んだ後、次のように書いている。『私の仕事は Veda の讃歌のよりよい理解への単なる寄与にすぎない。そしてそれが主として Veda の詩人たちの意味の正しい表現を与えることを望むが、私の翻訳は多くの点で訂正を免れず、遅かれ早かれより満足のいくものに取って代わられるであろうと感じている。』
かくも多くの労力が費やされたこれらの讃歌の性格と文体については、それらが快いあるいは高尚な種類の詩をほとんど含まないこと、David の詩篇と一瞬でも比較しうるものは何もないことが指摘されよう。「その古風な価値を別にして、単なる文学作品としては、それを読む人が見出されるかどうか疑わしい。ここかしこに詩の断片が見出されるかもしれない。最もなじみ深い、そして近代の趣味にとって最も卑しくふさわしからぬ言及と混じり合った、壮大で高尚な調子である。そのいくつかを単に読むだけで、それらが十分に理解されていないという印象を与え、それらのうちに隠されているかもしれない意味について心に問いを起こさせる。火の神 Agni と嵐の神々である Marut に向けられた次の讃歌は、本巻において最も読みやすいものの一つである。
(1)汝はこの麗しき供犠に乳の一飲みのために呼び出さる。Marut とともにここに来たれ、おお Agni よ。
(2)いかなる神も、いかなる人間も、強大なる者なる汝の力を越えることはなし。Marut とともに、等々。
(3)大いなる空を知る者ら、欺きなき Viśvedeva。Marut とともに、等々。
(4)その歌を歌う荒々しき者ら、力によりて征服され得ぬ者ら。Marut とともに、等々。
(5)輝かしく、恐ろしき姿をもち、強力にして、敵を喰らう者ら。Marut とともに、等々。
(6)天において神々として、蒼穹の光のうちに座する者ら。Marut とともに、等々。
(7)湧き立つ海を越えて雲を投げ渡す者ら。Marut とともにここに来たれ、等々。
(8)力をもって海を越えてその矢を射る者ら。Marut とともに、等々。
(9)朝の一飲みのために、われは汝に soma の甘き汁を注ぐ。Marut とともに、等々。」— Sat. Review, 1869.
* Max Müller.
ṛca Puru の種族の Sunīta の子である王子。
ṛca-s Hotṛ と称される祭官によって誦された Ṛgveda の讃歌。
ṛcīka Bhṛgu の子孫の聖仙で、王 Gādhi の娘 Satyavatī を妻に求めた。王は気難しい老 brāhmaṇa に娘を与えることをひどく嫌い、婚礼の贈り物として、色が白く片耳が黒い千頭の速い馬を彼に求めた。Ṛcīka は大洋の神 Varuṇa の心を和らげ、Aśvatīrtha と呼ばれる聖地において彼からそのような駿馬千頭を得た。そしてそれを王に与えて、その娘を娶った。jamadagni の項、また satyavatī の項を参照。
ṛceya Puru の種族の Raudrāśva の息子の一人。
ṛjiśvan Ṛgveda に言及される王で、Indra の友。Aṃśumatī の岸で dasyu Kṛṣṇa を征服した。
ṛjudeśa Vasudeva とその妻 Devakī の子。
ṛjrāśva Ṛgveda に言及される人物。百一頭の羊を屠って雌狼に食べさせたことで、残酷な父によって盲目にされた。雌狼が盲目の恩人のために Aśvin に懇願したので、彼らは Ṛjrāśva に視力を回復させた。— OST, V, 245.
ṛṇa 第十八の dvāpara の Vyāsa。
ṛta
1. 真理。Dharma と Dakṣa の娘の一人との子。2. Mithilā の王で、Vijaya の子。
ṛtadhāman Padma と Matsya の Purāṇa の表による第十三 manvantara の Manu。
ṛtadhvaja
1. Bhāgavata の列挙による十一 Rudra の一人。2. Pratardana の呼称の一つ。真実の大いなる遵守者であったことから、その標章が真理である者を意味する。
ṛtu 第十二 manvantara の Manu。
ṛtujit Mithilā の王の一人で、Añjana の子。
ṛtudhāman 第十二 manvantara の Indra。
ṛtuparṇa Ayutāśva の子である王子。
ṛtuparṇa Ayodhyā の王で、骰子の技で名高い君主。Damayantī の第二の svayaṃvara に出席することを決意したが、御者 Vāhuka の助けによってのみそれが可能であった。Vāhuka の馬術の技量によって、一日で Ayodhyā から Vidarbha まで駆けることができたのである。途中、Vāhuka に変装した Nala は、その君主の骰子の技量と引き換えに、自らの馬術の知識を Ṛtuparṇa に授けることに同意した。彼らは交換を行い、Ayodhyā[ママ]に着くと、Nala は本来の姿を取り戻し、妻のもとに戻された。彼女とともに Niṣadha に帰ると、彼は Puṣkara を探し、勝負を再開して王国を取り戻した。
ṛteya Puru の子孫 Raudrāśva の十人の息子の長子である王子。
ṛbhu 今では崇拝されていない古の Veda の神格。「Veda の実践的部分は、少数の例外を除いて、もはや崇拝されていない神格、そのあるものは知られてさえいない神格に向けられた切り離された祈り以外にはほとんど何も含まない。たとえば Ṛbhu という名の者がおり、その歴史、職務、さらにはその名についてさえ、インドの端から端まで尋ねても空しいであろう。」— WILSON, Works, Vol. II, p. 48.
ṛbhu Brahmā の心から生まれた息子の一人で、第九すなわち Kaumāra の創造に属する。彼らは子孫を創造することを辞退し、最初の者の名が含意するように、つねに少年すなわち Kumāra、すなわちつねに清浄で無垢のままであった。それゆえその創造は Kaumāra と呼ばれる。Ṛbhu は至高の Brahmā の子であるので聖なる性格をもち、真の智慧に通じていた。Pulastya の子 Nidāgha はその弟子であり、Ṛbhu は彼に完全な知識を伝えた。Pulastya の住まいは Devikā 河の岸の大きく美しい都 Viranagara にあった。Nidāgha は流れに隣接する森に住んだ。千年が過ぎたとき、Ṛbhu は弟子を訪ねるために Pulastya の都へ行き、一体性の原理を彼に十分に説明した後に去った。さらに千年が満了した後、Ṛbhu は弟子のもとに戻り、彼を神的な知識において完成させた。
ṛbhu-s Sudhanvan の息子たち。その芸術的な技量のゆえに不死と神的な栄誉に達した。彼らは Indra の車と馬を作り、自らの両親を若返らせた等と言われる。彼らはまた讃歌を作るものとしても表されている。「これら Ṛbhu は、Tvaṣṭṛ が作った単一の新しい供犠の杯を四つにしたと言われる。この技量の披露は神々の命令によってなされ、その達成が神的な栄誉への高揚によって報われるという約束の結果であった。Tvaṣṭṛ は、自らの作品のこの改変を見て恥じ入り、女神たちの間に身を隠したものとして、また自らの製作物のこの変更を自分への侮辱として憤り、その結果競争者たちを殺そうとしたものとして表されている。別の箇所では、それに反して、彼は彼らの企てを賞讃し、その技量の輝かしい成果を感嘆したと言われている。」— MUIR, OST, Vol. V, p. 227.
「Ṛbhu の場合のように、聖なる人間が神々の状態に達しうるということは Veda の信条の一部であった。しかしこれらの示唆は付随的で漠然としており、それらから確実に結論しうるのは、Veda が身体の解体の後に、それを生気づけていた霊魂の生命と、何らかの天の領域におけるその継続的存在とを認めていたということだけである。」— WILSON, V, 345.
ṛbhu-s 第六 manvantara の神々の一部類。
ṛṣabha 王 Nābhi とその王妃 Meru の子。Ṛṣabha には百人の息子があり、その長子が Bharata であった。公正と智慧をもって統治し、多くの供犠の儀礼を挙行した後、彼は大地の主権を英雄的な Bharata に譲り、Pulastya の庵に退いて隠者の生活を選び、宗教的苦行を実践し、すべての定められた儀式を行った。ついに苦行によってやせ衰え、皮と筋の集まりにすぎなくなると、彼は口に小石を入れ、裸で、すべての肉なるものの行く道を行った。— VP. 注において Wilson は「大いなる道」、「英雄たちの道」と付け加えている。小石は絶えざる沈黙を強いるため、あるいは食べることを防ぐためのものであった。Bhāgavata は同じ事情に言及し、Ṛṣabha の帰依についてより詳しく述べ、彼を半島の西部における Jaina の教義の広まりと結びつけている。Ṛṣabha は現在の時代の最初の tīrthaṃkara すなわち Jaina の聖者の名である。
ṛṣabha
2. 第二 manvantara の七 ṛṣi の一人。3. Kuśāgra の子である王子。4. Meru の北の山。
ṛṣabha
5. Laṅkā の攻囲における Rāma の軍の将軍の一人。Indrajit の魔法の武器によって重傷を負い、見たところ死んだものとして戦場に残されたが、Hanumān が Ṛṣabha と呼ばれる黄金の丘から運んできた癒しの植物によって蘇生した。
ṛṣabha
6. Kailāsa のまさに頂にある黄金の丘の名。そこには四つの薬草が生え、その効力によって死者と負傷者は生き返ることができた。
ṛṣi-s 大聖仙。七人が列挙され、Prajāpati(その項を参照)と同じである。ṛṣi の一人が、一年の各月に Āditya、gandharva、apsaras、yakṣa 等のそれぞれ一人とともに太陽に侍る。Viṣṇu Purāṇa によれば、ṛṣi すなわち霊感を受けた聖仙には三種ある。王の ṛṣi、すなわち Viśvāmitra のように帰依の生活を選んだ王子。神的な ṛṣi、すなわち Nārada のように半神でもある聖仙。そして brāhmaṇarṣi、すなわち Vasiṣṭha その他のように Brahmā の息子あるいは brāhmaṇa である聖仙である。J. C. Thomson 氏は記している。「叙事詩期においては、ṛṣi は単に、その行為あるいはその著作によって、敬虔さと智慧とで際立つ歴史上の人物の名である。Purāṇa 期においては、par excellence の ṛṣi は、Brahmā の心から生まれ、異なる形態のもとに各 manvantara を司る七人の原初の人物である。」ṛṣi の語は「見る」を意味する古い Veda の語根 ṛṣ に由来する。
ṛṣi-s 大熊座の星座。その回転の記述については Viṣṇu Purāṇa, p. 485 と、その主題に関する Wilson の学識ある注を参照。
ṛṣika-s Rāmāyaṇa[ママ]によって北方と南方の両方に置かれる民。Arjuna は前者を訪ね、彼らから八頭の馬を取り立てる。
ṛṣikā, ṛṣikulyā Mahendra 山に源を発し、Ganjām の近くで海に注ぐ河。
ṛṣyamūka Pampā が源を発する Dekhin の山。猿の住処であり、Rāma の一時の住処でもある。[Supplement より→]Pampā 河の近くの木々の茂った山。この森には猿族の王子、威厳ある猿の王 Sugrīva が住んでいた。彼は兄 Bāli によって都から追放されていた。ある朝早く河の岸を歩いていると、彼は rākṣasa の王 Rāvaṇa が頭上を飛んで行くのを見た。そしてその浅黒い腕の中でもがいている、衣が陽光で織られたように見える愛らしい若い女を見た。これは Sītā であり、彼女は助けを呼び、金の足輪と肩掛けを落とした。これらは Sugrīva によって大切に保存され、Rāma と Lakṣmaṇa がその森を訪れたとき、Rāma に見せられた。この山岳地域はもちろん Pampā の源周辺の地域全体を含んでいた。しかし Rāmāyaṇa においては、Rāma は猿の首長の住まいに来る前にそれらを通り過ぎる。
ṛṣyaśṛṅga Rāmāyaṇa の第一巻において名高い、角のある聖仙。
彼は Kaśyapa の子孫である ṛṣi Vibhāṇḍaka の子であった。
「周りを巡る鹿とともに育ち、
森こそその隠者の住処とならん。
彼には聖なる父のほか
いかなる人間も知られざらん。」
彼はこうして森で父とともに育てられ、若い成年に達するまで他のいかなる人間も見なかった。大旱魃の季節に、Aṅga の王 Lomapāda が雨を降らせるために何をなすべきかを尋ねると、brāhmaṇa たちは言った。
「あらゆる術をもて、おお君主よ試みたまえ、
Vibhāṇḍaka の子をここへ連れ来たらんことを。
説き伏せ、捕らえ、あるいは欺きて。
そして少年がここへ導かれしとき、
汝の娘をしかるべく彼に嫁がせたまえ。」
「驚くべき少年」に父の家を去らせる方法について多くの審議の後、詩は続く。
「さればこれを取り決めし計画とせん、
乙女らを遣わすべし、
聖なる隠者の衣をまとい、
媚びの術に長けたる者らを。
彼女らがよく知るその使い方の
あらゆる術と恋の策略もて
隠者を欺き、
その魔力によりて
疑うことを知らぬ若き隠遁者を
父の庵より誘い出さんがために。
そして少年が進んでその足もて
静かなる隠れ家よりさまよい出で、
かの都に立つとき、
王の苦難は終わり、
祝福されし雨の流れが
渇ける国土の上に降らん。
かくて聖なる Ṛṣyaśṛṅga は
強大なる王 Somapāda と
婚姻によりて結ばれん。
麗しき者の中の最も麗しき Śāntā、
心と優雅さにおいて比類なき者が、
その王家の花嫁とならん。」
これらすべてはそれに従って起こった。
驚くべき技もて用意されし船に乗りて、
愛らしき女たちは出で立ちぬ。
そしてまもなく彼女らは、
荒涼として寂しき野の森の陰に立ちぬ。
そしてそこに葉の小屋を見出しぬ、
帰依者の住まうところを。
そして熱き眼もて周りを見回しぬ、
隠者の子を見んとて。
· · · · ·
隠者の子は、彼にとってかくも新しき
驚くべき光景を見んとて出で来たり、
うっとりと驚きて見つめぬ。
生まれし時よりその時まで、
女にも人の子らにも
彼は眼を投じたることなかりければ。
計画は成功した。翌日、父がいつものように森へ行ったとき、Ṛṣyaśṛṅga は魅力的な訪問者たちを熱心に探し、彼女たちに伴って「その愛らしい家」へ行った。
Vibhāṇḍaka は夕べに小屋に戻り、運命の意志を知った ──
堂々たる船は、早き朝に、
隠者の子を運び去りたり。
彼が急ぐにつれて雲は大きく轟き、
頭上の空はいよいよ黒くなりぬ。
彼が王の町に着くや、
強大なる雨の洪水が降り下りぬ。
その大雨によりて、君主の心は
客の到来を察しぬ。
尊き若者を迎えんとて彼は行き、
地に低く頭を垂れ、
都の城壁の内に住むすべての者とともに
その恩寵を得んと努めぬ。
彼は最も美味なる料理もて彼をもてなし、
絶えざる心遣いもて彼に仕え、
自らの麗しき蓮の眼の娘を
Brāhmaṇa の花嫁として与えぬ。
かくて王に愛され尊ばれて、
栄光ある Brāhmaṇa Ṛṣyaśṛṅga は、
愛する妻 Śāntā とともに、
かの王の町にその生涯を過ごしぬ。」— GRIFFITHS, Rāmāyaṇa.