Garrettインド古典辞典

M第二部 英語その他の見出しmabali … music

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mabali Bali の名。その項を参照。

mabalipuram Madras の北34マイル[ママ]にある聖地で、Seven Pagodas と呼ばれる。

madāri 蛇使いと奇術師の部族。蛇と蠍の両方を飼い、国中に見せ物として持ち歩く。穴から、あるいは蛇が隠れているかもしれないあらゆる場所から蛇をおびき出すことにおいて、彼らは驚くほど巧みである。彼らはその技を主として楽器で哀調の調べを奏でることによって成し遂げるようである。奇術の芸においても彼らは同様に熟達しているように見える。— SHERRING.

mari or māriammā 南インドのすべての caste によって広く崇拝される悪鬼の女神。その名は死の母、あるいは伝染病、とりわけ天然痘の母を意味する。彼女は天然痘、麻疹、その他同様の病を負わせ、またそれらから救い出すと一般に考えられている。Māriammā は四本の手をもって座った姿で表され、手にはそれぞれ ḍamaru と呼ばれる一種の太鼓、śūla と呼ばれる三叉戟、pāśa と呼ばれる縄の束、そして頭蓋骨を持つ。その pagoda は至るところにあり、通常は村からいくらか離れた木立の中にある。その多くは大きく、壁に囲まれ、その中には穹窿をもつ舞台があり、木の像を収めている。祭りの際、彼女はそれに乗せられて担ぎ回される。そしてそのすべての前には石の供犠の祭壇が立っている。pagoda の中には、Vighneśvara のそれとともに、彼女の石像が置かれている。

この女神には彼女を称える年祭があり、それは八日間続き、その間その像が毎朝毎夕担ぎ回される。祭りの最終日には、女たちが炊いた米等を供える。男たちは山羊、豚、雄鶏を連れて来て、pagoda の前でそれらの首を刎ね、来たる年のあらゆる悪から自分たちを守ってくれるよう女神に願う。同時に Rūpaka(その項を参照)が演じられ、盛んに踊りが行われる。

marriage(婚姻) 婚姻の形式は八つあり、Brāhma、Daiva、Ārṣa、Prājāpatya、Āsura、Gāndharva、Rākṣasa、Paiśāca である。これらの種々の婚姻の様式は Manu, III.27 以下に記述されている。Viṣṇu Purāṇa は、学業を終えて結婚生活に入ろうとする男が選ぶべき乙女の種類を記述している。彼女は彼自身の年齢の三分の一であるべきである。毛が多すぎず、しかしまったくないわけでもない者。あまり黒くも黄色くもない肌の者。生まれつき足が不自由でも不具でもない者。彼は、悪徳あるいは不健康な娘、卑しい出自の娘、病にかかっている娘を娶ってはならない。育ちの悪い者。不適切に話す者。父あるいは母から何らかの病を受け継いでいる者。髭のある者、あるいは男のような外見の者。太く、あるいは細く話す者、あるいは鴉のようにしわがれ声の者。眼を閉じている者、あるいは眼がひどく突き出ている者。毛深い脚、あるいは太い踝をもつ者。あるいは笑うと頬にえくぼのできる者。* 賢く思慮深い男はこのような娘を娶ってはならない。また思慮ある男は、肌の荒い娘、白い爪をもつ者、赤い眼をもつ者、きわめて太った手足をもつ者、小人あるいはきわめて背の高い者、眉のつながった者、あるいは歯の間が離れていて牙に似ている者を娶ってはならない。

* Hindu の趣味の名誉のために注記すべきは、注釈者が、この一句が現れる半詩節はすべての本文の写本に見られるわけではないと述べていることである。— PROF. WILSON.

mattāṅgī Paraśurāma が母の身体を見つけられなかったとき、Reṇukā の頭が載せられた pariah の女。彼女はその後 Ellammā(その項を参照)の名のもとに守護神として崇拝されている。

medicine(医学) 天文学と形而上学においてと同様、医学においても Hindu はかつて世界の最も開明的な諸国民と歩調を合わせていた。そしてその獲得したものが記録されているいかなる民族にも劣らず、また実際、近代の研究者の発見によって解剖学がわれわれに知られる以前に可能であった程度に、医学と外科学において徹底した熟達を得ていた。Hindu の医学書の nidāna すなわち診断は、症状をきわめて正確に定義し区別しているようであり、その Dravyābhidhāne すなわち薬物学は十分に浩瀚である。彼らはまた摂生と食事に大いなる注意を払い、病気にふさわしい、あるいは投与される薬の働きに好都合な食物と一般的な処置に関する多くの著作がある。この部門を彼らは Pathyāpathya と称する。これらの主題に加えて、Cikitsā すなわち病気の医療がある。この主題には種々の著作があり、多くの価値あるものとともに多くの不合理を含んでいる。そして Rasavidyā すなわち調剤学があり、これにおいて彼らは最も劣っている。

最も古く権威ある医学書が総称して呼ばれる Āyurveda は、第四の Veda すなわち Atharvaveda の一部とみなされ、それゆえ Brahmā の作である ── 彼によってそれは Prajāpati の Dakṣa に伝えられ、彼によって太陽 Sūrya の息子である二人の Aśvin がそれを教えられ、彼らはそれから神々の医師となった。この系譜は必ずや、Esculapius の二人の息子と、その Apollo からの出自とをわれわれに思い起こさせずにはいない。では Hindu の典拠によれば Aśvin の務めは何であったか。神々と悪鬼との戦争、および神々自身の間の争いにおいては、死は与えられなくても傷を負うことがあり、外科的な助けを必要とした ── そしてそれに応じて二人の Aśvin が与えたのはこれであった。

これらの伝説的な不合理の意味は十分に明らかであり、すべての歴史の趣旨と一致している。半ば野蛮な状態にある人間は、内的な病よりも外的な傷害にさらされやすくはないとしても、少なくとも、その本性をほとんど理解できない後者を和らげる手段を想像するよりも、その感覚に明らかな前者の治療を求める可能性が高かった。* surgery の項を参照。

* WILSON, Works, III, pp. 269-73.

mehtar, mihtar 掃除人すなわち清掃人の caste。Hindu の意見ではきわめて不浄で卑しい部族である。この caste には多くの下位区分があり、互いにまったく別個で通婚しない。Oudh その他のいくつかの地方では氏族は通婚する。下位区分の一つである Hela は犬に触れない。この caste の目には重要な区別である。犬の清掃と給餌は、この caste が行う通常の務めの一つだからである。— SHERRING.

mendicant(托鉢者) vānaprastha の項を参照。

monotheism(一神教) Viṣṇu Purāṇa には言われている。「唯一の神 Janārdana は、創造し、保持し、破壊するのに応じて、Brahmā、Viṣṇu、Śiva の呼称をとる。」Wilson 教授によれば、これは Purāṇa の不変の教説であり、paramātmā すなわち parameśvara との同一性を帰する個々の神格に応じてのみ多様化される。Viṣṇu Purāṇa においてはこれは Viṣṇu であり、Liṅga のような Śaiva の Purāṇa においては Śiva、Brahma-vaivartta においては Kṛṣṇa である。位格の一つを共通の源泉、すなわち三一体と同一視することは、他の神統記にも知られていない不整合ではなかった。というのは Egyptians の間の Cneph は、一方では至高存在、不可分の一体と同一視されたように見え、他方では位格の三一体の第二と第三の位格である Emeph と Ptha の両方と混同されているからである。CUDWORTH, Vol. I, pp. 4-18.

moon(月) Viṣṇu、Vāyu、Padma の Purāṇa はみな乳海攪拌の伝説を詳しく語り、冷たい光の月がその作業の産物の一つであったと述べている。それは Mahādeva に取られた。Viṣṇu Purāṇa によれば、月の車は三つの車輪をもち、素馨の白さの十頭の馬に牽かれ、五頭が軛の右半分に、五頭が左半分にいる。馬たちは一 kalpa の全体にわたって車を牽く。月の黒分の間、甘露と神酒が月の中に蓄積され、これらは白分の間に三万六千の神々によって飲まれる。pitṛ は黒分の間それによって養われる。植物は月がその上に注ぐ冷たく甘露に満ちた水の微粒子によって養われる。そしてその発育を通じて月は人間、動物、昆虫を支え、同時にその光輝によって彼らを喜ばせる。— VP, p. 239. Liṅga Purāṇa によれば、月の球は凍った水にすぎない。

mummies(ミイラ) Viṣṇu Purāṇa によれば、Nimi の遺体は芳香のある油と樹脂で香油を塗られることによって腐敗から守られ、あたかも不死であるかのように完全なままであった。Wilson 教授によれば、これは Hindu が死体に香油を塗る Egypt の技を知らないわけではなかったことを示している。もっともそのような慣行は今日では不浄と考えられるであろう。

music(音楽) Hindu の声楽と器楽は、多くのヨーロッパ人には等しく顧みるに値しないものと見える。しかし Abbé Dubois によれば、彼らにはわれわれのものと同様の七音から成る音階があり、彼らは体系的に音楽を教えられる。彼らは同様に拍子を守ることに熟達しており、われわれと同様の種々の調ももっている。彼らの声楽には単調な退屈さが支配している。そして器楽においては、彼らは最も繊細でない耳にも衝撃を与えるような、耳障りで鋭く突き刺すような音しか生み出さない。

「しかし、Hindu の音楽は、ヨーロッパのそれと比べれば音楽の名に値しないとしても、われわれはそれをその控えめな真価以下に貶めてきたと私は考える。ヨーロッパの耳と音楽家は決して公平な審判者ではない。彼らの音楽を正しく評価するためには、われわれは二、三千年前に遡り、ヨーロッパの大部分においてドルイドその他の民衆の信仰の指導者たちが、その儀礼においてただ陰鬱で恐ろしい叫び声しか用いず、一枚の金属板を別の板に打ち合わせることによって、張った皮を打つことによって、あるいは角笛や撚った樹皮の粗末な楽器から鈍いうなるような音を立てることによって生み出されるもの以外に器楽をもたなかった、あの遠い時代に身を置かねばならない。

Hindu は何ものをも完成させようという考えを決してもたなかったこと、そして学問、芸術、製造において、彼らは二、三千年前にあった地点に停滞したままであることを想起すべきである。その遠い時代の彼らの音楽家は、現在のそれと同じほど巧みであった。しかし、今日われわれが聞く Hindu の音楽を二、三千年前のヨーロッパのそれと比べるならば、前者が同様の社会段階にあるすべての他のものに対して高い優位を占めるであろうことを私は疑わない。

音階は最も古い時代から Hindu に知られており、今日それを用いている他の諸国民はおそらく彼らからそれを借りたのであろう。それが Benedict 会の修道士 Guido Aretino によってヨーロッパに導入されたのは、ようやく近代になってからのことである。彼はそれを七つの記号 ut、re、mi、fa、sol、la、siに適合させた。それらは、洗礼者聖 John を称えて作られた Latin 讃歌の第一節に含まれるある語の最初の音節であり、それは次のとおりである。

¹Ut queant laxis ²resonare fibris
³Mira gestorum ⁴famuli tuorum,
⁵Solve polluti ⁶labii reatum,
⁷Sancte Joannes?

(汝の僕らが、ゆるやかなる声もて汝の業の驚異を響かせ得るよう、聖なる John よ、汚れたる唇の罪を解きたまえ。)

「Hindu の音階はわれわれのものとまったく同じであり、同じ数の音から成り、同じように配列されている。それは次の記号すなわち音節によって表される。

Sa、Ri、Ga、Ma、Pa、Da、Ni、Sa、すなわち
ut、re、mi、fa、sol、la、si、ut。
また
Sa、Ni、Da、Pa、Ma、Ga、Ri、Sa、すなわち
ut、si、la、sol、fa、mi、re、ut。

インドの音楽家は三十三の旋律しかもたず、そのそれぞれに特定の名がある。しかし彼らの音楽の知識全体がこれら三十三の調べに限られているにもかかわらず、そのすべてを知る者は少なく、大部分はその半分も奏することができない。」*

* Description of the Manners and Customs of the People of India.

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