ear-rings(耳飾り) 乳海攪拌の際に生じた種々の品の中に耳飾りが数えられている。これらは Indra に取られ、Dakṣa の娘で Kaśyapa の妻である Aditi に与えられた。耳飾りは大地の子 Naraka に盗まれ、彼によって「asura の難攻不落で恐るべき、近寄り難い都」Prāgjyotiṣa へ運ばれた。Kṛṣṇa はその地を攻撃し、あらゆる抵抗を打ち破り、Naraka を殺し、宝石の耳飾りを取り戻した。そして神々の天に帰って Aditi にそれを返した。Aditi はいくつかの注目すべき思想を含む詩句をもって Kṛṣṇa を讃えた。それは VP, 584-5 に見られる。
earth(大地) 古代の「元素」の一つとみなされる大地は、すべての Purāṇa においてほぼ同じ位置を占める。その順序は、虚空(ākāśa)、風(vāyu)、火(tejas)、水、地である。Empedocles の順序は、エーテル、火、地、水、空気であった。Purāṇa は、大地が Varāha(野猪)avatāra の大きな牙の上に乗せられて最下の領域から持ち上げられたと描く。Bhāgavata によれば、大地が山々の重みに圧されて水中に沈んだとき、Viṣṇu がそれを運び去ろうとしているところを、地下の領域すなわち rasātala において Hiraṇyākṣa が見た。悪鬼は大地を要求して Viṣṇu に戦いを挑み、争いが起こって Hiraṇyākṣa は殺された。強大な Pṛthu が普遍的な支配権を授けられたときに大地を屈服させたことに関わる伝説もある。Pṛthu は山々を平らにし、あるいは根こそぎにし、大地の不規則な表面に境界を定め、耕作、牧畜、街道、商業、一言で言えば文明を導入した。Viṣṇu Purāṇa は述べる。「この大地、すなわちすべての存在するものの母、乳母、容器、養い手は、Viṣṇu の足の裏から生み出された。そしてこうして、Veṇa の英雄的な子、強大な Pṛthu が生まれた。彼は大地の主であり、人々の愛情を得たことによって、Rājā の称号を帰せられた最初の支配者であった。」
Viṣṇu Purāṇa の五つの章が、大地、その民と国々の記述に充てられている。Jambudvīpa は七つの大きな島状大陸の中心に置かれ(dvīpa-s の項を参照)、Jambudvīpa の中心には黄金の山 Meru がある。その形は種々の Purāṇa において種々に記述されるが、すべてがそれを巨大な大きさと大いなる美しさをもつものとして表している。jamba 樹の実は象ほどの大きさであり、その搾られた汁から jamba 河が形成される。その水は住民によって飲まれ、その流れを飲む結果として彼らは満足と健康のうちに日々を過ごし、老衰にも衰えにもさらされない。varṣa すなわち国々の豊富な詳細は大部分の Purāṇa に与えられているが、それらはすべて等しく空想的で途方もない性格のものである。
Viṣṇu Purāṇa は言う。「Śeṣa は全世界を冠のように頭に担う。……Ananta が酩酊に眼を回して欠伸をすると、大地はそのすべての森と海、山と河とともに震える。」別の箇所には言う。「四時代の千周期の終わりに、大地は大部分尽き果てる。それから百年続く全面的な飢饉が起こる。食物の欠乏の結果、すべての存在は衰弱し、ついにはまったく滅びる。そのとき永遠なる Viṣṇu は破壊者 Rudra の性格をとり、すべての被造物を自らと再び合一させるために降る。彼は太陽の七つの光線に入り、地球のすべての水を飲み干し、すべての水気を蒸発させ、かくして全地を干上がらせる。……万物の破壊者 Hari は、Rudra の姿において蛇 Śeṣa の焼け付く息となり、それによって pātāla を灰に帰する。大いなる火は、pātāla のすべての区分を焼き尽くすと、大地へと進み、それをもまた焼き尽くす。」— VP, 632.
eclipse(食) Hindu の間に流布している食の原因についての通俗の観念は、次の神話的伝説に基づいている。神々が乳海の攪拌によって amṛta(その項を参照)すなわち神酒を得たとき、巨人の一人がその一部をひそかに盗んで飲んだ。しかし太陽と月がその盗みを見て Viṣṇu に告げた。Viṣṇu はこれにひどく怒り、巨人の首を胴から切り離した。しかし巨人は amṛta を味わっていたので、両方の部分は生き続け、空中で見えなくなった。それらは Ketu と Rāhu という名の第八と第九の惑星とみなされ、時々短い間太陽と月を呑み込むことによってそれらに復讐し、こうして食を引き起こすと言われる。
egg of the world(世界卵) Ṛgveda においては、至高の霊が卵を生み出し、その卵から世界が展開するものとして表されている。後代には、Brahmā が金のように輝く卵を原初の水の中に置いたとされる。Purāṇa はみな、卵の形における諸元素の最初の集合についての記述を含んでいる。Viṣṇu Purāṇa は言う。「諸元素から成り、水の上に横たわるこの広大な卵は、Brahmā の姿における Viṣṇu の優れた自然の住処であった。宇宙の主であり、その本質は窺い知れない Viṣṇu は、知覚しうる形をとり、彼自身もまた Brahmā の性格においてその中に住まった。Meru 山のように広大なその胎は山々から成り、大いなる大洋はその空洞を満たす水であった。おお brāhmaṇa よ、その卵の中には大陸と海と山々、惑星と宇宙の区分、神々、悪鬼、そして人類があった。そしてこの卵は外側を七つの自然の被膜によって、すなわち水、風、火、虚空、そして諸元素の起源である ahaṃkāra によって包まれていた。それぞれは自らが包むものの十倍の広がりをもっていた。次に知性の原理が来た。そして最後に、全体は未分化の原理によって囲まれていた。このように、内側は果肉で満たされ、外側は皮と殻で覆われた椰子の実に似ている。」
Wilson 教授は言う。「この観念を、世界が卵の形で最初に顕現したという古代に広く行き渡った見解と同じ起源に帰さないことは不可能と思われる。」Bryant は言う。「それは好まれた象徴であり、きわめて古いものであったらしく、われわれはそれが多くの民族の間で採用されているのを見出す。」その痕跡は Syrians、Persians、Egyptians の間に見られる。そして Greeks の間の Orpheus の卵、Aristophanes の描いた卵のほかに、Dionysiaca その他の秘儀の儀式の一部は卵の聖別から成り、Porphyry によれば、それによって世界が意味されていた。
「世界卵の殻は、この体系を構成する七つの領域の外側にあると言われる。」VP II. 7.19 には次のように言われている。
「これら七つの領域は私によって記述された。また七つの pātāla もある。これが Brahmā の卵の広がりである。全体は側面、上方、下方において卵の殻によって囲まれている。ちょうど wood apple の種子が皮に覆われているように。」
しかしながら、この体系は宇宙全体のごく小さな部分にすぎないようである。第24詩節にはさらに付け加えられている。
「このような世界卵が幾千、幾千万とある。いや、幾億兆とある。」
「インド神話は、崇高さを求め、驚嘆を引き起こそうとするとき、しばしば大きな数を作り出すことにおいて途方もない子供じみた安易さを示す。しかし最後に引用した文においては、その推測は近代天文学の発見と実質的に一致している。いやむしろ、いかなる数字も無限の空間の内容を表しえないのであるから、それらは単純な真理の不十分な表現である。」— Muir, OST, Vol. I, p. 504.
elephanta 「Bombay 島と Mahratta 海岸との間に位置する周囲約7マイルの小島。海岸から5マイル、Bombay 城から7マイル離れている。土着民の間での名は Gorapori である。ヨーロッパ人に知られるその名は、上陸地点から約250ヤードの丘の斜面に、堅い黒い岩から切り出された実物の二倍の大きさの象の像に由来する。この像は今ではすっかり崩れている。象から少し離れたところに、同じく岩から切り出された馬の像が立っている。この島には注目すべき石窟寺院がある。この洞窟すなわち寺院の入口は、それが掘り出された山すなわち岩の急な登りのほぼ中ほどにある。北側にある入口から測った長さは130フィート、幅は123フィートである。床が平らでないので、高さは15フィートから17½フィートまで異なる。天井は四列に配された26本の柱と8本の付柱によって支えられていたが、柱のいくつかは折れている。各柱は四角い台座の上に立ち、縦溝が刻まれているが、円筒形ではなく、中ほどに向かって次第に太くなっている。柱頭の上には、約12インチ四方の梁に似せて一種の稜線が刻まれ、豊かに彫刻されている。寺院の側面に沿って、高さ12フィートから15フィートまでの巨大な像が40から50体彫られている。そのいずれも壁から完全に離れてはいない。正面入口に面した南側には、三つの顔をもつ巨大な胸像があり、三神一体 Brahmā、Viṣṇu、Śiva を表すと考えられている。中央の顔は長さ5フィートである。寺院の西側には20フィート四方の奥室があり、中央に祭壇がある。この奥室の入口は、それぞれ高さ13½フィートの、優れた手法で彫刻された八体の裸像によって守られている。この洞窟の起源はまったく知られていない。祈りと供物を捧げるために帰依者たちがしばしば訪れる。」— English Encyclopaedia.
ellamma 南インドの grāmadevatā の一つ。Jamadagni の妻で Paraśurāma の母である Reṇukā と同一視される。Ellamma は座った姿で、赤い肌、燃えるような顔、四本の腕と手をもって表される。毒蛇に咬まれた者は Ellamma に助けを求める。漁師は危険に陥ると Ellamma を呼び、彼女に誓いを立てる。
ellora Auraṅgabad 州にあり、Daulatabad の都に近い町。ある例では、村の東約1マイルのところで大きな山の側面が掘削され、幅150フィート、長さ270フィートの平らな床が造られている。その中央に、Tanjore の Pagoda に似た形の Kailāsa と呼ばれる岩窟寺院が立っている。高さは80から90フィートで、十六本の柱に支えられた大きな四角い玄関がその前にある。その前には橋で達する独立した玄関が立ち、さらに全体の前には門があって、岩を刻んだ橋で最後の玄関とつながり、両側には柱すなわち deepdan(字義どおりには灯明柱)が並ぶ。実物大の二頭の象にも言及されている。中庭の周りにはすべて僧房をもつ回廊がある。そして全体が ── 柱、回廊、広間、橋、vimāna(本殿)が ── 岩から彫り出されている。— MRS. MANNING, A&MI, Vol. I, p. 420.
elu 古代 Singhalese の一方言。口語の Singhalese とは構造よりもむしろ文体において異なり、サンスクリットと Pāli からの取り込みによって豊かにされている。Spence Hardy 氏は、Elu で書かれた多くの仏教書に言及している。
erannoboas Sone 河の古名。古代の都 Palibothra は Ganges と Erannoboas の合流点に立っていた。「Candragupta の首都 Pāṭaliputra は、疑いなく Sandracottus の Palibothra、すなわち近代の Patna と同じものであった。しかし、Patna は Palibothra の立っていた Ganges と Sone すなわち Erannoboas の合流点の近くには位置していないという理由で異議が唱えられた。しかしこれは、最良の地理学的証拠によって立証されている Sone 河の河床の変化によって説明されている。」*
* Max MÜLLER, ASL, p. 280.
ereenia Southey の詩「The Curse of Kehama」に登場する慈悲深い Glendaveer(gandharba)。
ettaia インド北西部の地。Kṛṣṇa と Kāli との争いの舞台と言われ、今なお立派な廃墟が残っている。
expiation(贖罪) Viṣṇu Purāṇa は言う。「大聖仙たちは、あらゆる種類の罪に対してふさわしい贖罪の行為を命じてきた。大きな罪には厳しい苦行を、軽い過ちには些細なものを、Svāyambhuva その他の者が定めた。しかし Kṛṣṇa に頼ることは、宗教的苦行その他のようないかなる贖罪の行為よりもはるかに勝る。自らが犯したかもしれない罪を悔いる者は誰でも、このすべての贖罪のうち最良のもの、すなわち Hari を思い起こすことに頼れ。暁に、夜に、日没に、正午に、思いを Nārāyaṇa に向けることによって、人は速やかにすべての罪から清められるであろう。世俗の悲しみの山全体は Hari を瞑想することによって散らされる。そしてその崇拝者は、天上の享楽を至福の妨げとみなして、究極の解脱を得る。」
Wilson 教授は言う。「この Viṣṇu の想起とは、その名のすべてを頻繁に繰り返すことである。それゆえ Hindu の下層の人々は、椋鳥あるいは鸚鵡を手に入れる。それに Rāma あるいは Kṛṣṇa あるいは Rādhā と叫ぶことを教える行為において、自分自身がこれらの呼び名を繰り返すためである。その単なる誦唱は、たとえ偶然に、不敬に、あるいは不本意に行われたとしても、功徳がある。」