dravya 実体、事物。諸性質の容器あるいは基体。Kaṇāda が宇宙の内容を分ける六つの padārtha すなわち範疇の一つ。
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dravya 実体、事物。諸性質の容器あるいは基体。Kaṇāda が宇宙の内容を分ける六つの padārtha すなわち範疇の一つ。
drupada Pṛṣata の子で、Pāṇḍu の息子たちの妻 Draupadī の父。Pañcāla の王であり、Pāṇḍava 軍の将軍の一人であった。Droṇa に征服され、Ganges から Carmaṇvatī(近代の Cambal)に至る、Mākaṇḍī と Kāmpilya の都を含む王国の南部だけをかろうじて保持した。「Drupada は、自らの支配を Bhāgīrathī の南の地方に限る Droṇa の取り決めに黙従することを余儀なくされたが、その分割は深い屈辱の種であった。そして彼は、いかにして以前の権力を取り戻し、敵に復讐しうるかを長らく思いめぐらした。彼はとりわけ、その若さと武勇によって Droṇa の弟子たちと張り合いうる息子がいないことを嘆き、その人間を超える能力によって自分に子孫を確保してくれるかもしれない聖なる賢者に出会うことを望んで、brāhmaṇa たちのおもな集まる所を訪れた。彼は Yāja と Upayāja という名の、学識と神聖さにおいて傑出した二人の brāhmaṇa を見出し、後者に、望む息子を得させてくれるならば百万頭の牛を与えると約束して頼んだ。しかし Upayāja はその務めを断り、兄 Yāja のもとへ行くよう彼に勧めた。王はそちらへ赴き、一千万頭の牝牛を約束した。Yāja はきわめて渋りながらも、王が子孫を得るための供犠の儀式を指揮することを引き受け、弟を助手として呼んだ。儀礼がしかるべき時点に達すると、王妃はそれにあずかるよう招かれたが、彼女は身支度を終えておらず、brāhmaṇa たちに儀式を遅らせてくれるよう頼んだ。もはや遅すぎた。供犠は彼女なしに進められ、子供たちは彼女の関与とは無関係に生まれた。息子 Dhṛṣṭadyumna は、頭に冠を戴き、完全な鎧をまとい、弓と彎刀で武装して、供犠の火の中央から現れた。娘 Draupadī は、火が点じられた vedi すなわち祭壇の中央から現れた。彼女はきわめて黒い色であったがたぐいまれな愛らしさをもち、それゆえ Kṛṣṇā と名づけられた。息子の名は、彼が生まれながらに授けられた誇りと力に由来する。」*
* Wilson, Works, Vol. III, p. 326.
王 Drupada は大戦の第十四日に Droṇa に殺された。
druhyu 王 Yayāti とその妻 Śarmiṣṭhā の長子[ママ]。Śarmiṣṭhā はいくつかの Purāṇa では最初の妻 Devayānī の侍女と呼ばれる。Druhyu は父の領土の西部の王となった。
droṇa ṛṣi Bharadvāja の子。生まれは brāhmaṇa であったが、兵学に通じていた。それを彼は Paraśurāma からの賜物として受けた(rāma の項を参照)。「Droṇa は苦行者ではなかった。幼少時に隣国 Pāñcāla の王位継承者と学びと遊びを共にしたので、昔の遊び仲間が王となった今、その宮廷で再び暮らしたいという気持ちになった。心からの歓迎を少しも疑わず、彼はまったく形式張らずに王 Drupada の前に出て、ただ『われこそ汝の友なるを見よ』と言った。しかし彼の受けた待遇は、予期していたものとはまったく異なっていた。
……「君主は厳しく
聖者を眺め、眉をひそめ、軽蔑に
その眼を赤くせり。しばし黙して座し、
それより傲然と語りぬ。brāhmaṇa よ、思うに
汝はほとんど智慧を示さず、またふさわしきことの
分別もなし、われを友と呼ぶとは。
判断の弱き者よ、いかなる友情が成り立ち得ようか、
運なき貧者と王との間に。」
「Pāñcāla の王は、学識ある brāhmaṇa と Veda が神秘である者との間、あるいは戦士と戦列の間に車を導くことのできない者との間の友情という考えに目をむき、さらに続ける ──
……その高き命令に国々が屈する者は、
玉座の下なる友に身をかがむることを潔しとせず。
されば空しき夢とともに去れ。過ぎし日々と
思いとの記憶を捨てよ。われは汝を知らず。
Droṇa はあまりに驚いて言葉も出なかったが、ただちに Pāñcāla から Hastināpura へ退いた。そこで彼はこの上なく恭しく迎えられ、ただちに五人の若い Pāṇḍu の王子と百人の若い Kuru の王子の教育を委ねられた。「Droṇa は若い頃、智慧と武芸の両方を等しく教わっていた。そして彼は若い王子たちに、駿馬を御し、象を導き、車を駆り、投槍を放ち、矢を投げ、戦斧を振るい、棍棒を振り回すことを教えた。」* Viṣṇu Purāṇa, p. 454 においては、Droṇa は Kṛpī の夫で Aśvatthāmā の父と呼ばれ、後に Pāñcāla 国北部の王となり、Kuru 軍の将軍となった。Bhīṣma が致命傷を負った後、Droṇa は軍の指揮官に選ばれた。彼は Yudhiṣṭhira を捕虜にすると Duryodhana に約束したが、Kṛṣṇa と Arjuna がそれを防ぐためにつねに警戒していたので、そうすることができなかった。指揮の第四日、彼は Virāṭa と Drupada を殺した。そこで Dhṛṣṭadyumna は父 Drupada の死の復讐として Droṇa を殺すと誓った。戦いが起こった。しかし Droṇa は、息子 Aśvatthāmā が死んだと偽りを告げられて初めて武器を置き、そのとき Dhṛṣṭadyumna が彼に襲いかかって首を胴から切り離した。
* Mrs. Manning — Professor Wilson, Oriental Magazine, Vol. III.
droṇaka-s Purāṇa において谷間の住民を指す語。
drauṇi Viṣṇu Purāṇa に列挙される二十八の dvāpara のすぐ後に続く dvāpara の Vyāsa。
drauṇyāni Droṇa の子。Aśvatthāman の父称。
draupadī Kāmpilya を首都とする Pāñcāla の Rājā Drupada の娘。「彼女は Mahābhārata の女主人公である。」「彼女は肌の色は浅黒いが、たぐいまれな愛らしさをもつ。われわれが彼女について唯一望むのは、その名 ── Draupadī ── を変えられたらということである。かくも無骨な呼び名をもつ女主人公に、サンスクリットにおいて彼女に属する詩的な魅力をまとわせることは、技巧の力をほとんど超えているからである。」* Draupadī の並外れた美しさの噂は、多くの Rājā と首長たちを彼女の svayaṃvara に引き寄せた。若い王女は、優雅に装い、輝く宝石で飾られ、自分を妻に勝ち取る幸運を得るかもしれない英雄の首に投げかけるべき花輪を手に持って、闘技場へ導かれた。王子 Dhṛṣṭadyumna は輝くばかりの妹の傍らに立ち、回転する cakra を通して最初の試みで矢を射通し、金の魚の眼を射当てた者が王女を妻とするであろうと布告した。多くの Rājā が弓を引き絞ろうとしたができなかった。そこで野心的な Karṇa が競技場に入り、すべての者の驚きのうちに弓を引き絞り、矢を弦につがえた。しかし誇り高い Draupadī は、御者の息子を夫とはすまいと決意し、「私は卑しい生まれの者とは結婚しません」と叫んだ。Karṇa は恥じ入り、怒って競技場から歩み去った。次いで Cedi の Rājā Śiśupāla と Magadha の Rājā Jarāsandha が次々に弓を引き絞ろうとしたが、二人とも失敗した。この間ずっと、Pāṇḍava は brāhmaṇa に変装して群衆の中に立っていた。突然 Arjuna が進み出て弓を持ち上げ、それを曲げて弦を引き、矢を弦につがえて cakra の中心を射通し、金の魚の眼を射当てた。大群衆から歓呼の轟きが起こった。美しい Draupadī は英雄の若さと優雅さに喜びと驚きに満たされた。兄に命じられたとおり、彼女は進み出て Arjuna の首に花輪を掛け、svayaṃvara の規則に従って彼が自分を連れ去ることを許した。
Works of H.H. Wilson, Vol. III, pp. 328-35 には、svayaṃvara の記述の次のような詩的翻案が掲げられている。
Pañcāla の広大なる領土にて
強大なる君主 Drupada は
厳かなる祭りを催す。集いし王子らは
胸を高鳴らせて、その美しき娘の選択を待つ。
王女 Draupadī、その魅力は
あらゆる讃辞を超ゆ、その穏やかなる優れたる徳と
心とが、その姿の美しさを超ゆるがごとく。
* * * * * *
* * * * * *
さて祭りの日は近づけり。
Drupada は、Pāṇḍu の子を娘の夫にと
切に望みて、使者を遣わし
追放されし首長らを探させたれど、なお空しかりき。
彼は一つの試しを考案せり ── 彼ら以外の何人の力も
花嫁を得るためにそれを成し遂げ得じと思いて。
魔法の技もて重き弓を造りぬ、
人間を超ゆる力にのみ屈するものを。
的として金属の板を
軸に吊るし、速やかに回転させ、
中心を逸れし矢に打たるるようにせり。
これを成し終えて布告させたり ── その手もて
定められし的へと矢を飛ばす者こそ、
その弓術によりて王女を得んと。
定めの日に先立ちて、群れ来たりしは
数知れぬ王子と首長ら。その群れの中に
Duryodhana と、Dhṛtarāṣṭra の
百人の息子らすべて、勇ましき Karṇa とともに、
傲然たる一隊をなして宮廷に現れぬ。
王は歓待の礼もて
王家の客を迎え、ふさわしき歓迎を与えぬ。
北と東の間、門の外に
広々たる平原ありき。深き濠と
高き壁がその広き周囲を囲み、
聳ゆる門と戦利品を飾る凱旋門が立ち、
高き天幕がその縁の周りに輝けり。
ここにて試しの日の来たる前に、競技が
催されぬ。大洋の荒き波のごとく騒がしく、
海豚座の額を飾る星々のごとく繁く、
大いなる都はここにその幾万を注ぎ出しぬ。
君主の玉座の周り、高き座に
宝石もて飾られし黄金の座に王たちは座し、
おのおの他の者らに険しき挑みの眼を向けたり。
柵の外には数知れぬ群衆が押し寄せ、
あるいは足場によじ登りて群がり懸かれり。
遠く周縁には群衆が
黄金の格子窓より野を眺め、あるいは
高き屋根に群がれり。その聳ゆる頂は
雲に触れ、神々の山のごとく
輝く峰もて空に光を放てり。
千のラッパは鳴り響き、香を負いし
そよ風はゆるやかに芳香を周りに運べり。
その間、力と技の競技 ── 優雅なる舞、
音楽の調べ、あるいは劇の技が、
見る者の驚嘆と喝采とを呼び起こしぬ。
かくて十六日が過ぎ、名ある首長は
ことごとく居並び ── 王はもはや
もっともらしき口実もて娘の選択を延ばし得ざりき。
そこで王女は王家の装いに身を包み、
高価なる装身具に飾られて現れぬ。
宝石と黄金を織り込みし花輪を
そのか弱き手に支え ── 清き沐浴より
いや増しし愛らしさもて遅れて来たり、
王侯らの前に頬を染めて立てり。
次いで輪の中に尊き祭官が現れ、
聖なる草を撒き、油を注ぎぬ、
火の神への供物として、ふさわしき
祈りもて、敬虔なる祝福もて飾りて。
それより王はラッパの響きを止めさせ、
ざわめく群衆を鎮めさせぬ ── その間に勇ましき子、
雄々しき Dhṛṣṭadyumna は平原に
降り立ちて、父の意志を布告せり。
「王子らよ、この弓を見よ ── かの的を ── これらの矢を ──
巧みなる手もて一度に
五本の矢を的に向くる者、その血統、
その人物、その行いの、かくも高き結びつきに
ふさわしき者、その者こそ
わが妹を花嫁として得ん ── わが言葉は真なり。」
かく言いて、次に彼は王女に
王家の求婚者の一人一人を、その名と系譜と
武勲とによりて説き聞かせ、
その恵みに最もふさわしき武勇の者に花輪を与えよと命じぬ。
王たちはたちまち華やかなる玉座より立ち上がり、
争いへと降り来たりて、
愛らしき Draupadī の周りに競い押し寄せぬ、
Śiva の山の花嫁を囲む輝く神々のごとく。
愛はその見えざる矢を彼らの胸に射込み、
妬ましき憎しみはその傲れる心を膨らませぬ。
おのおのは競争者らに険しき眼差しを向け、
今まで友なりし者らも、最も激しき敵として相まみえぬ。
ただ栄えある長として Janārdana を戴く
同族の一団のみは離れて留まれり。
彼と強大なる Halāyudha とは、
その競う熱意を抑え ── 静かに眺めたり、
猛り狂う象のごとく君主らの相まみゆるを。
その怒りは礼儀の見せかけによりてかろうじて抑えられ、
くすぶる燠の中に輝く火のごとくなりき。
さて王子らは順に試しへと
次々に進み、順に辱められぬ ──
いかなる手も頑なる弓を曲げ得ず ── 彼らは
あらゆる筋を空しく張り、多くは野に
仰向けに倒れ、その間笑い声は周りに響けり。
空しく彼らは王家の衣を脱ぎ捨て、
金剛石の鎖と輝く冠を脱ぎ、
縛られぬ腕と広き胸もて
その全力を振るいたれど ── 弓は
いずれの首長にも抗い、成功の望みを残さざりき。
ただ Karṇa のみ屈する弦を引き、
重き矢をつがえ、皆は感嘆せり。
臆病なる Draupadī は恐れて叫びぬ、
「卑しき生まれの者とは結婚しません」と ── Karṇa は
苦々しく微笑み、眼を上げて
大いなる父なる太陽を仰ぎ ── それより地に
弓と矢を投げ捨て、厳しく立ち去りぬ。
かくて王子らの挫かれしとき、ざわめく群衆に
驚きは広がりぬ ── そのとき Arjuna は、
兄弟らとともに brāhmaṇa の間に座を占めて
この場を眺めし所より、その技を試さんと進み出でぬ ──
祭官の一団は驚きに打たれて見たり、
彼らの部族の学生と見ゆる者が、
最も強大なる首長らの失敗せし所に勝利を望むを ──
彼らは、同じ恥辱がその試みを辱め、
嘲りがその部族と名とを襲わんと思い、
多くの尊き長老は
若者を望みなき務めより引き戻さんと努めぬ。
彼らの努めは空しかりき ── されどすべての者が絶望せしにはあらず ──
多くは彼の象のごとき力、
獅子の風格と落ち着きたる魂とに目を留め、
彼のうちに Jamadagni の子の
蘇りしを見る思いなりき、今一度
傲れる kṣatriya の力と高慢とを覆さんとする者を。
賞賛にも非難にも心を向けず、Arjuna は
野へと進みぬ。敬虔なる歩みもて
彼は武器の周りを巡り、次いで
Mahadeo に無言の祈りを捧げ、最後に
揺るがぬ信仰もて Kṛṣṇa に思いを留めぬ。
一方の手は弓を支え、他方の手は
強き弦を引き、尖れる矢をつがえぬ ──
矢は飛び ── 的は射られ ── 久しく沈黙せし群衆より
突如歓声が湧き起こりぬ。brāhmaṇa の肩掛けは
翻りて振られ、太鼓とラッパは鳴り響き、
吟遊詩人と伝令とは英雄の勝利を歌えり。
* Mrs. Manning, A&MI, Vol. II.
Pāṇḍava は Draupadī を母のもとへ連れ帰り、Arjuna がその svayaṃvara で乙女を勝ち得たと告げた。そして彼女は、ごく遠い時代に行われていたらしい一妻多夫の制度に従って、五人の兄弟の妻となった。Draupadī の歴史はこれ以後 Pāṇḍava のそれと結びついている。arjuna、bhīma 等の項を参照。彼女は最後に、帰依者の装いをして夫たちとともに Himālaya 山中に赴き、そこで死んだ。
dvāpara 第三の yuga すなわち時代。神の年で2,400年続く。これらは、人間の一年が神々の一日であるので、360を掛けることによって人間の年に換算される。すなわち2,400 × 360 = 864,000人間年が、dvāpara すなわち第三 yuga の存続期間である。四 yuga の優勢な義務は、kṛta の時代には厳しい苦行の熱、tretā には知識、dvāpara には供犠、kali yuga にはただ布施のみであると言われる。— OST, Vol. I, p. 39.
dvārakā Kṛṣṇa の都。彼はその立場における多くの困難を克服した後、大洋から十二ファーロングの空間を求め、そこに Dvārakā の都を建てた。高い城壁に守られ、庭園と貯水池によって美しく、家々と建物が密集し、Indra の都 Amarāvatī のように壮麗であった。Kṛṣṇa が死すべき身体を捨てた後、Arjuna は彼の多くの妻とすべての人々を、優しさと心遣いをもって Dvārakā から連れ出した。それから大洋が盛り上がり、Kṛṣṇa の住まいを除いて Dvārakā の全体を水没させた。Viṣṇu Purāṇa によれば、Kṛṣṇa が今なおそこに住んでいるので、海はその寺院を洗い流すことができなかった。Mahābhārata は、海はいかなる部分も容赦しなかったと宣言している。Wilson 教授は言う。「それゆえ、後者が編纂されたときにはその寺院は立っておらず、それはその編纂と二つの Purāṇa の年代との間に建てられたことは明らかである。大いに名声のある現在の祠は Gujarat 半島の先端に立っている。それは今なお巡礼の対象であり、Akbar の治世にもそうであった。そして疑いなく遠い昔からそうであった。」
dvija(再生族) 二度生まれた者。brāhmaṇa。聖紐の授与が、宗教的にかつ比喩的にその第二の誕生を成す。この意味では kṣatriya と vaiśya にも用いられうる。
dvimīḍha Hastināpura の建設者 Hastin の息子の一人。
dvimūrdha dānava の一人で、Kaśyapa と Danu の子。
dvivida 神々の友の敵である asura。猿の姿で大いなる荒廃をもたらした。「この邪悪な猿によって乱された全世界は、聖なる学習と宗教儀礼とを奪われ、大いに苦しめられた。」(VP)ある時、Balarāma が Raivata の森で楽しんでいると、猿 Dvivida がそこに来て酒をひっくり返し、一座に向かって唸った。争いが続き、猿は前足で Yādava の胸を打った。Balarāma は Dvivida の額に拳の一撃をもって応え、それは彼を息絶えて地に倒した。彼が倒れた山の頂は、雷神が雷電で砕いたかのように、その身体の重みによって百の破片に砕けた。— VP, 等.
dvivida Aśvin の息子の一人。その美しさで名高い。
dvīpa-s(洲) 島状の大陸。主要なものは七つあり、七つの海と交互に同心円を成すと考えられている。すなわち、(1)塩の海(lavaṇa)に囲まれた Jambudvīpa。(2)甘蔗の汁の海(Ikṣu)に囲まれた Plakṣa。(3)酒の海(surā)に囲まれた Śālmali。(4)澄ましバターすなわち ghi の海(sarpi)に囲まれた Kuśa。(5)凝乳の海(dugdha[ママ])に囲まれた Krauñca。(7)[原文第6項欠]淡水の海に囲まれた Puṣkara。全体は Chakravalagiri と称される円形の山によって囲まれている。これらの dvīpa の王、区分、住民等の記述は、Viṣṇu Purāṇa, Book I, Chap. IV[ママ]に見られる。Wilson 教授によれば、Purāṇa の地理はこれらの著作の大部分に現れ、主要な特徴、すなわち七つの dvīpa、七つの海、Jambudvīpa の区分、Meru の位置と広がり、Bharata の細分のすべてにおいて同じである。この虚構の最初の萌芽と一般的輪郭は、円形の山を含めて rabbi 的なものであり、Talmud に見出されうると述べられてきた。
dveṣa 憎悪。Patañjali 哲学の五つの煩悩の一つ。