Garrettインド古典辞典

v第一部 サンスクリット語・パーリ語の見出しvipṛtha … viśvakarman, viśvakārya

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vipṛtha 太陽の種族の王子で、Citraka の子。

vipra

1. Dhruva の息子の一人。2. Magadha の王で、Śrutañjaya の子。

vipracitti dānava の王。Kaśyapa と Danu の子であり、多くの伝説の主人公である。彼は乳海の攪拌の後に起こった神々と悪鬼の争いにおける指導者の一人であった。

vibudha Mithilā の王で、Kṛta の子。

vibhāṇḍaka 人々の間に犯罪と愚かさを見出したので、人間に対する苦々しさと陰鬱な憎しみに心を満たして、森の最も深い陰へと世を退いた聖仙。彼はまた快楽を軽蔑し、美を蔑んだ。かつて両者に欺かれたことがあったからである。幼い息子 Ṛṣyaśṛṅga を連れて、彼はこの幼子の育児室とするために森の谷の洞窟を選んだ。

「わが子よ」と彼は言った。「私は汝に猛獣を仲間として与える。彼らから汝は、同胞からよりも少ない残酷さと邪悪さを学ぶであろう。汝は鸚鵡の金切り声、ジャッカルの遠吠え、山猫の鳴き声、ハイエナの叫び声を聞くであろう。しかし人間の耳障りな声は免れるであろう。ここで、爬虫類と毒虫の只中にあって、汝はなお自然のうちで最も卑しく忌まわしいものを知らずに生きるであろう。天の気まぐれにさらされ、千の危険が汝の一歩一歩に伴い、汝の生涯が苦難と苦悩と危険の連続であろうとも、汝は混み合った都におけるよりも多くの平和と安全を知るであろう。それゆえ成長せよ。そしてもしできるならば、Brahmā が汝に負わせた卑しい本性を失え。そして汝が卑しく惨めな被造物 ── 人間 ── であることを知らずにあれ。」ṛṣyaśṛṅga の項を参照。

vibhīṣaṇa 巨人 Rāvaṇa の弟。彼とその兄弟たちが長年にわたって厳しい苦行を行ったとき、Brahmā が現れて彼らに恩恵を申し出た。Vibhīṣaṇa は、決していかなる不正をも思い巡らすことのないよう求めた。兄 Vaiśravaṇa(Kubera)が Laṅkā から追放されたとき、Vibhīṣaṇa は彼に従って Gandhamādana へ行き、そこで彼は白い傘と白い花輪をもって、四人の顧問に侍られて、Śvetaparvata すなわち白い山に住んだと言われる。裸で、髪を乱し、赤い花輪をつけて南方に出入りする評判の悪い兄弟 Kumbhakarṇa 等から離れていたのである。

Hanumān が Rāvaṇa の前に連れて来られ、Sugrīva の使節であると名乗り、Sītā の誘拐者に、何ものも Rāma の復讐から彼を救いえないと警告したとき、Rāvaṇa は激怒して彼を死刑に処すよう命じた。しかし Vibhīṣaṇa は、使節の命は神聖であることを兄に思い出させた。別の折に、長い口論の後、Rāvaṇa は Sītā の返還を執拗に促す Vibhīṣaṇa にひどく激怒し、怒り狂って立ち上がり、彼を座から蹴落とした。この侮辱に憤って、Vibhīṣaṇa は Laṅkā を去り、空を飛んで Kailāsa の兄 Kubera の宮廷へ行った。そこにはその時たまたま Śiva も居合わせていた。後者は Vibhīṣaṇa に Rāma の神的な性格を知らせ、Rāvaṇa を見捨てて Rāma の旗のもとに加わるよう指示した。Vibhīṣaṇa はそれに従ってそうした。彼は最初は間者と思われたが、後に Rāma は彼を同盟者として受け入れ抱擁した。Rāvaṇa の死に際して、Vibhīṣaṇa は Laṅkā の Rājā に就けられた。彼はその後 Rāma と Lakṣmaṇa に伴って Ayodhyā へ行った。— IEP, 80–3.

vibhu

1. 第五 manvantara の Indra。2. Alarka の孫である王子。

vibhūti 焼いた牛糞の灰で作った灰白色の粉。Śiva はその身体にこの粉を振りかけられ、あるいは塗られたものとして表される。そしてそれはすべての Śaiva と多くの Vaiṣṇava の苦行者によって同様の仕方で用いられる。

vibhrātra Hastināpura の王で、Sukṛti の子。

vimada

1. Ṛgveda において Indra ときわめて親しい間柄にあるものとして言及される ṛṣi。2. Aśvin が車で Kamadyū という名の花嫁を運んで来た若い王子。彼女は Purumitra の美しい妻であったらしい。— OST, V, 244.

vimala 変身後の Sudyumna の息子の一人。

vimohana naraka の一つ。惑わしの場所であり、盗人と定められた行事を侮る者を罰するためのもの。

viraja Svāyambhuva すなわち第一 manvantara におけるインドの Raja の一人。Tvaṣṭṛ の子であった。

virajas

1. 聖仙 Paurṇamāsa の子。2. 聖仙 Vasiṣṭha の子。

viraṇa

1. Viraṇī と Asiknī の父である聖仙。2. 白 Yajus の教師。

viraṇī 前者の娘で、Manu Cākṣuṣa の母。

virāj 神話的あるいは神秘的な性格の人物。Manu は言う。「自らの実体を分けて、Brahmā の強大な力は半ば男、半ば女となった。そしてその女から彼は Virāj を生み出した。私が、男なる Virāj が自ら生み出したその人物であることを知れ。」Liṅga と Vāyu Purāṇa は、第一の場合には Brahmā からの Virāj と Śatarūpā の起源を、第二の場合には Manu とともにそれを記述しており、Vairāja と称される Manu は Virāj の子である[ママ]。それはまた寓意的にも説明されている。Virāj はすべての雄の動物であり、Śatarūpā はすべての雌の動物である。

virāṭ

1. 第一 manvantara におけるインドの Raja の一人で、Nara の子。2. 物質的宇宙 ── brahmāṇḍa。

virāṭa Mahābhārata の第四巻は Virāṭa Parva と呼ばれる。それは、Pāṇḍava が身を隠して生きることを余儀なくされたとき、王 Virāṭa の宮廷へ旅し、種々の変装のもとに彼の仕えに入った冒険を語るからである。Virāṭa の首都は Matsya(あるいは時に Upaplavya)と呼ばれた。そこで、Pāṇḍava の到着の四か月後に大きな祭りが催され、多数の力士がその武勇を披露した。Bhīma はそのとき、Jīmūta という名の力士の中で最も強い者を地に叩きつけて殺し、Virāṭa を驚かせた。

Trigarta の王 Suśarman が略奪のために Virāṭa の領土に侵入し、その家畜を奪い去ったとき、Virāṭa は Arjuna を除くすべての Pāṇḍava を伴って、財産を取り戻すために Trigarta に侵入した。大きな戦いが行われ、Virāṭa は Suśarman の捕虜となった。Bhīma は例によって木を引き抜き、彼を救う用意をした。しかし Yudhiṣṭhira は、正体を見破られないよう、その力をあまり目立って示さないよう彼に勧めた。彼はそこで弓を取り、Suśarman を追い、彼を打ち負かし、Virāṭa を解放し、家畜を取り戻した。

virādha 恐るべき大きさと力の rākṣasa。

「大きさはある山の峰のごとく巨大にして、
力強き声と落ち窪める眼をもち、
巨大にして醜悪、背高く、怪物の顔をもつ、
その巨人の種族のうちで最も凄まじき者」

Daṇḍaka の森に住み、Sītā とともに流謫の身であった Rāma と Lakṣmaṇa を襲った。この巨人は殺されえなかったが、恐ろしい争いの後、重傷を負って、自らの求めによって生き埋めにされ、こう言った。

「かくのごときが、日数尽きたる巨人らのために
古より定められし掟なり。
その身体は地に横たえられ、彼らは昇る、
天の永遠の住処へと。」

この rākṣasa はもともと Tumburu という名の gandharva であったが、Kubera の呪いによって変身させられたのであった。

viruddha-s 第十 manvantara の神々の一部類。

virūpa Yamunā の岸のどこかに君臨した古の Rājā で、Ambarīṣa の子。

virūpākṣa Hanumān と戦うために Rāvaṇa によって遣わされた名高い戦士。彼は棍棒と槌を振り上げて勇ましい猿に飛びかかったが、精力的な Hanumān は高い棕櫚の木を引き抜き、それで速やかに敵を地に倒して息絶えさせた。— IE, p. 232.

virūpākṣa 森と山、都と村をもつ大地を支える四頭の象の一頭。もし一時の疲れから巨大な象がその頭を動かせば、世界は揺れ、その住民は驚く。王者らしい Virūpākṣa は北の方角にいる。南の方角にはもう一頭の巨大な象、度量の大きい Mahāpadma が立つ。西には頑健な Saumanas、東には崇高な Himapāṇḍura がいる。これらが世界の四つの支えである。— IE. 2. Śiva の名。歪んだ(virūpa)眼(akṣi)をもつ神。Śiva は通常、額の中央に第三の眼をもつものとして表されるからである。

virūpākṣa 十一 Rudra の一人。

virocana Prahlāda の子である daitya。

viloman Yādava の首長で、Kapotaroman の子。

vivasvat

1. Prajāpati。2. 十二 Āditya の一人。3. 太陽で、Vaivasvata Manu の父。

viviṃśati 太陽王朝の王子で、Viṃśa の子。

viśākha 聖仙で、Kumāra の息子の一人。

viśākhadatta Mahārāja Pṛthu の子である王子で、戯曲 Mudra-Rākṣasa の作者。Wilson は彼を Hindu の MASSINGER と呼び、彼は Bhavabhūti や Kālidāsa の圏の詩人ではなかったと言う。その想像力は彼らの水準にまで昇らず、『大臣の印章』にはほとんど輝かしいあるいは美しい思想がない。想像力の欠如のいくらかの埋め合わせとして、彼は性格の力強い把握と男らしい情感の調子をもっており、それは高尚な構想と繊細な感情にのみ劣るものである。— WILSON, Works, XII, 254.

viśākhayūpa Magadha の王で、Pālaka の子。

viśākhā 中央の Avasthāna の jaradgavī における月宿。

viśāla Vaiśālī の都の創建者かつ王。Tṛṇabindu と天のニンフ Alambuṣā の子であった。

viśāsana naraka の一つ。剣、槍その他の武器を作る者を罰するためのもの。

viśiṣṭa advaita 南インドの brāhmaṇa は三つの大きな宗派に分かれる。ただ一つの霊魂しかない、要するにすべては神であると信ずる者(Advaita、その項を参照)── 二つの霊魂、すなわち神と人間とがあると信ずる者(Dvaita)── そして中道をとり、ただ一つの霊魂があるが、それは人間と被造物においては神的霊魂といくらか異なると信ずる者(Viśiṣṭa Advaita)である。brāhmaṇa でない者にとっては、これらの哲学的区別はほとんど知られておらず、人々は Viṣṇu と Śiva、Kṛṣṇa と Hanumān という Purāṇa の名を与える存在を崇拝する。あたかもそれぞれが別個の神格を指すかのように、かくも多くの名があらゆる Hindu によって与えられ認められている一方で、各人はただ一つを自らの神として認め、それに神性のすべての属性を帰する。

しかし、学派の哲学は群衆には知られていないが、民衆の心の強い傾向は Viśiṣṭa Advaita 学派のそれと似ていなくもない性格の一神教へと向かっていることがわかるであろう。Viṣṇu と Śiva は、書物によれば、等しい神々の三神一体の成員であるが、民衆の神学においては、いずれかの崇拝者は他を蔑む。社会生活と行為において、Viṣṇu の崇拝者はただ一つの神を認める。彼はあたかも他に神がいないかのように Viṣṇu について語る。Śiva の帰依者も同様であり、さらに大きな程度においてそうである。彼はその名を中性の Śivam に変え、こうして自らの神格が性別も身体の形もない唯一の大いなる本質であるという信仰を表す。*

* GOVER, Folk Songs of Southern India.

viśoka siddhi と呼ばれる人間の八つの本来の属性すなわち完成の一つ。虚弱と悲しみの双方からの免除を意味する。

viśravas 大聖仙 Pulastya の子で、富の神格 Kubera の父。

viśrutavat Ikṣvāku の家系の傑出した王子。Mahāśvat の子であり、大戦争に加わった。

viśvakarman, viśvakārya 太陽の七つの主要な光線のうちの二つ。

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