Garrettインド古典辞典

s第一部 サンスクリット語・パーリ語の見出しsatyaloka … samānodaka-s

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satyaloka 無限の智慧と真理の世界。その住人は二度と死を知らない。Viṣṇu Purāṇa によれば、Dhruva の上一億二千万リーグに位置する。

satyavatī 王 Gādhi の娘で、Ṛcīka という名の年配の brāhmaṇa に妻として求められた。王は、聖仙が婚礼の贈り物として、色が白く片耳が黒い千頭の速い馬を彼に与えるという条件でのみ娘を与えることに同意した。Ṛcīka は大洋の神 Varuṇa の心を和らげ、(Aśvatīrtha と呼ばれる聖地において)彼からそのような駿馬千頭を得て、それを王に与えて、その娘を娶った。

息子の誕生をもたらすために、Ṛcīka は妻が食べるために、バターと乳を加えた米、大麦、豆の料理を用意した。そして彼女の求めに応じて、彼女の母のために同様の混合物を聖別した。それにあずかることによって、母は武勇の王子を産むはずであった。両方の料理を妻のもとに残し ── どちらが彼女のために、どちらが母のために意図されたものかを詳しく説明した後 ── 聖仙は森へ出かけた。食物を食べる時が来ると、王妃は Satyavatī に言った。「娘よ、すべての人は自分の子が優れた資質をもつことを望み、母の兄弟の長所に凌がれるのを見れば悔しく思うものです。それゆえ、夫があなたのために取り分けた料理を私に与え、私のために意図されたものを食べることがあなたにとって望ましいでしょう。というのは、それが私にもたらす息子は全世界の君主となるよう定められているのに対し、あなたの料理があなたに与えるものは、富も武勇も力も等しく欠いた brāhmaṇa にちがいないからです。」Satyavatī は母の提案に同意し、二人は料理を取り替えた。

Ṛcīka は家に帰って Satyavatī を見ると、彼女に言った。「罪深い女よ、何をしたのか。汝の身体は恐ろしい様相に見える。確かに汝は母のために用意された聖別された食物を食べたのだ。汝は過ちを犯した。その食物に私は力と強さと英雄心の性質を注ぎ込み、汝のものには brāhmaṇa にふさわしい性質、すなわち柔和、知識、諦念を注ぎ込んでいた。私の計画を逆にした結果として、汝の息子は戦士の性向に従い、武器を用い、戦い、殺すであろう。母の息子は brāhmaṇa の傾向をもって生まれ、平和と敬虔に専心するであろう。」Satyavatī はこれを聞いて夫の足もとにひれ伏して言った。「わが主よ、私は無知からこのことをしてしまいました。私を憐れんでください。あなたの予言したような息子をもたないようにしてください。もしそのような者がいなければならないのなら、それは私の息子ではなく孫であるようにしてください。」Muni は彼女の苦悩に心を和らげて答えた。「そうなるようにしよう。」それに従って、しかるべき時に彼女は Jamadagni を産み、その母は Viśvāmitra を産んだ。Satyavatī は後に Kauśikī 河となった。— VP.

satyavāk Manu Cākṣuṣa の高貴な息子の一人。

satyavān 王座を追われ、隠者として森に住んでいた盲目の老王の子。王 Aśvapati の愛らしい娘 Sāvitri は Satyavān を見て愛した。彼女はある見者から、Satyavān はわずか一年しか生きられない運命の者であるから、その愛着を克服するよう警告された。しかし Sāvitri は答える。

その年月の少なかれ多かれ、あらゆる優雅さに恵まれていようと
優雅さを欠いていようと、わが心は彼を選びたり。そして再び選ぶことはなし。

それゆえ二人は結婚し、花嫁は不吉な予言を忘れようと努める。しかし年の最後の日が近づくにつれて、その不安は抑えきれなくなる。運命の朝、彼女は重い心で夫に伴って森へ行った。彼が木を切っていると、突然苦悶の戦慄が彼のこめかみを貫き、彼は妻に支えてくれと叫んだ。

そのとき彼女は気を失える夫を腕に受け、
冷たき地に座りて、その垂れたる頭を優しく膝に横たえぬ。
悲しみつつ彼女は聖仙の予言を思い起こし、
日と時とを数えぬ。たちまちにして彼女は見たり、畏るべき姿が
彼女の前に立つを。血のごとく赤き衣をまとい、輝く冠を
頭に戴き、その姿は太陽のごとく輝けど、なおおぼろにして、
炎のごとき眼をもち、その手より輪縄を垂らし、
夫の傍らに立ちて、燃ゆる眼差しもて彼を見つむるとき、
見るも恐ろしかりき。身震いして彼女は立ち上がり、
死にゆく Satyavān を地に横たえ、両手を
恭しく合わせ、高鳴る胸もてかくその姿に語りかけぬ。
まことに汝は神ならん、汝のごとき姿は人を越えたるものならん。
告げたまえ、神のごとき存在よ、汝は誰にして、何ゆえここにあるかを。

その姿は、自分は死の王 Yama であり、彼女の夫の時が来たので、その霊を縛って連れて行かねばならないと答える。

それより彼は夫の身体より霊を力ずくで引き出し、その縄もて
固く縛りて留めぬ。その大きさと長さは人の親指のごとし。
ただちに身体は生命を奪われ息を失いて、
そのすべての優雅さと美しさを失い、凄惨にして動かぬものとなりぬ。

霊を縛った後、Yama はそれを伴って自らの方位である南へと進む。忠実な妻はぴったりと彼の後に従う。Yama は彼女に家へ帰って夫の葬儀を準備するよう命じる。しかし彼女は従い続け、ついに Yama はその献身に喜んで、夫の命を除いて彼女の望むいかなる恩恵をも授ける。彼女は盲目の夫の父が視力を回復することを選ぶ。Yama は同意し、今や家へ帰るよう命じる。それでも彼女は従い続ける。ついにその不動に打ち負かされて、Yama は例外なしの恩恵を授ける。喜んだ Sāvitri は叫ぶ。

「強大なる王よ、このたびは汝の除外せしものにあらず。わが夫を生かしたまえ。
彼なくしては、われは幸福も、天そのものさえも望まず。
彼なくしては、われは死なねばならず。」「さもあらん、忠実なる妻よ」と死の王は答えぬ、
「かくてわれは彼を解き放つ」と。そして彼はその魂を縛りし縄を解きぬ。*
— sāvitrī の項を参照。

* Williams, Indian Epic Poetry, pp. 37-9.

satyavrata Ayodhyā の王で、Ikṣvāku から七代目[ママ]の子孫。Triśaṅku の呼び名を得て、cāṇḍāla すなわち追放者の状態に落とされた。Viṣṇu Purāṇa は述べる。「十二年の飢饉の間、Triśaṅku は Viśvāmitra の妻と子供たちの養いのために鹿の肉を用意し、追放者から贈り物を受けるという屈辱を彼らに負わせないように、それを Ganges の岸の(広がる)イチジクの木に吊るした。このことのゆえに、Viśvāmitra は彼にいたく喜び、生きた身体のまま彼を天へ高めた。」

注において Wilson 教授は述べている。「飢饉の出来事と、Viśvāmitra の妻と家族への Satyavrata の世話とは、いくらかの異同をもって Vāyu に語られており、Brahma と Harivaṃśa はそれに従っている。飢饉の間、獲物が絶えると、彼は Vasiṣṭha の牝牛を殺す。そして父を不快にさせたこと、牛を殺したこと、前もって聖別されていない肉を食べたことの三つの罪のゆえに、彼は Triśaṅku(tri『三』、śaṅku『罪』)の名を得る。Vasiṣṭha が彼の王の即位式を行うことを拒むと、Viśvāmitra が儀礼を挙行し、その死に際して王を死すべき身体のまま天へ高める。Rāmāyaṇa は同じ事情を語るが、それに異なる動機、すなわち Triśaṅku の供犠に参列することを神々が拒んだことへの Viśvāmitra の憤りを割り当てている。この著作はまた、神々が王を地上に投げ落とそうとした試みと、彼らと Viśvāmitra との間の妥協とを描いている。その妥協によって、Triśaṅku は頭を下にして空中に吊るされたままにされ、Viśvāmitra によって形成された他の新しい惑星と星とともに南半球の星座を成した。Bhāgavata はこの伝説に何ら言及せず、Triśaṅku は今なお天に見えると言う。Vāyu はより古い源泉からさらにいくらかの情報を提供している。私の写本はいずれも印のところに空白があり、同様の一節は他のところに現れない。しかしその語はおそらく niśā であるべきであり、全体は次のように訳しうる。『Purāṇa に通じた人々はこれら二つの詩節を誦する。Viśvāmitra の恩寵によって、高名な Triśaṅku は神々とともに天に輝く。かの聖仙の親切によって。月に飾られ、三つの更に彩られ、星座 Triśaṅku に装われた冬の愛らしい夜は、ゆっくりと過ぎてゆく。』それゆえこの伝説は明らかに天文学的であり、おそらく、Vasiṣṭha の学派が擁護したより古い体系に反対して、Triśaṅku の庇護のもとに Viśvāmitra が行った天球の何らかの改革をほのめかしているのであろう。Triśaṅku を Orion と同定するのはおそらくさほど無謀な推測ではないかもしれない。その帯の三つの明るい星が、彼の名を成す三つの śaṅku(杭あるいはピン)を示唆したのかもしれない。」

「七人の古の Ṛṣi すなわち聖者は、前に述べたように、大熊座の七つの星であった。ここで Viśvāmitra によって創造されたと言われる他の七人の新しい聖者は、七つの新しい南の星、一種の新しい大熊座であるはずである。Von Schlegel は、Viśvāmitra によって創造された新しい星のこの神話的虚構は、インド人が Ganges の近辺にとどまっている間は知らなかったこれらの南の星が、インドの南の地域に植民したより後の時代に彼らに知られるようになったことを意味しているのかもしれないと考えている。」— GORRESIO.

satyavrata Triśaṅku(その項を参照)の本来の名。

satyaśravas Ṛgveda の教師。

satyahita Ṛgveda の教師。

satrājit Nighna の子で、神なる Āditya すなわち太陽の友。Viṣṇu Purāṇa は彼について次の伝説を語っている。「ある時、Satrājit は海岸を歩きながら、心を Sūrya に向けてその讃美を唱えた。すると神格が現れて彼の前に立った。彼をおぼろげな姿で見て、Satrājit は太陽に言った。『主よ、私は天において火の球としてのあなたを見た。今や私に恩寵を示し、本来の姿のあなたを見させてください。』これを受けて、太陽は syamantaka と呼ばれる宝石を首から取り外して脇に置いた。すると Satrājit は、磨かれた銅のような身体と、わずかに赤みを帯びた眼をもつ、背の低い姿の彼を見た。礼拝を捧げると、太陽は彼に恩恵を求めるよう望み、彼はその宝石が自分のものとなるよう求めた。太陽はそれを彼に贈り、それから空の自らの場所に戻った。宝石の中の汚れなき宝石を得て、Satrājit はそれを首に着けた。そしてそれによって太陽自身のように輝き、その光輝ですべての地域を照らしながら、Dvārakā に帰った。その都の住人は、彼が近づくのを見て、大地の重荷を支えるために人間の姿(Kṛṣṇa として)をとった永遠の男性 Puruṣottama のもとへ赴き、彼に言った。『主よ、確かに(神なる)太陽があなたを訪ねに来ます。』しかし Kṛṣṇa は微笑んで言った。『それは神なる太陽ではなく、Āditya が syamantaka 宝珠を贈った Satrājit であり、彼が今それを着けているのだ。恐れずに行って彼を見よ。』それに従って、彼らは去った。Satrājit は家に行き、そこに宝石を置いた。それは毎日八荷の金を生み、その驚くべき効力によって、凶兆、野獣、火、盗賊、飢饉へのすべての恐れを払った。」

Satrājit は最後に、宝石の所有を得るために Śatadhanvan に殺された。

satva-devī

1. Pārvatī の名。2. 巨人 Rāvaṇa の子供たちの乳母の名。

sadakaṇṭa, sadanirā Purāṇa に見える河。後者は Pāripātra から流れると言われる。

sadācāra-s 定まった行事。敬虔な者の制度すなわち行事。家長の恒常的な義務であり、日々の浄め、沐浴、灌奠、供物、もてなし、葬送の儀礼、食事の際、朝夕の礼拝の際、就寝の際に守るべき儀式から成る。

sadāśva Samara の子である王子。

saddhāva 信頼。仏教の僧が修めるよう教えられる Carita すなわち心の状態の一つ。この状態に達した僧は、つねに快活であること、聖典を聞くことに喜びを覚えること、そしてその行いの全般的な卓越によって知られる。

sadnova Chitapur の Rājā の末子。Arjuna に対する遠征において父に加わるのを遅らせたために、煮え立つ油の大釜に投げ込まれた。Sadnova は神に祈り、油はすっかり冷たくなった。Sadnova は無傷で出て来て、Arjuna と戦うために軍とともに行ったが、彼とその兄弟たちはみな殺された。

sadvatī Pulastya の娘で、Agni の妻。

sanaka, sanandana, sanātana, sanatkumāra Rudra[ママ]の息子たち。子孫を創造することを辞退し、最後の者の名が含意するように、つねに少年すなわち kumāra、すなわちつねに清浄で無垢のままであった。それゆえその創造は Kaumāra と呼ばれる。

sanakādi, sampradāyī-s Hindu の間の Vaiṣṇava の宗派の一つ。彼らは Kṛṣṇa と Rādhā を合わせて崇拝し、普通の白土の二本線の中央にある円い黒い印によって、また tulasī の茎の首飾りと数珠の使用によって他の宗派から区別される。この宗派の成員は上インド全体に散らばっている。彼らは Mathurā の周辺にきわめて多く、また Bengal の Vaiṣṇava の宗派の中で最も多いものの一つである。

santati Alarka の子。王となり、父の後を継いで Benares の主権者となったが、その治世は普通の人間のそれにすぎなかった。もっとも父は六万年と六千年の間、若々しい君主として君臨したと言われる。

santateya Puru の家系の Raudrāśva の子である王子。

santardana Kaikeya の Rājā、あるいは Padma によれば Kāśmīr の王である Dhṛṣṭaketu の子である王子。

santāna 水星。Rudra Ugra の子。

santoṣa 満足。Dharma と、Dharma の娘[ママ]の一人である妻 Tuṣṭi(諦め)との子。

sandaṃśa naraka の一つで、鋏の地獄。誓いの違反者と、その位階の規則を破る者がそこへ落ちる。

sandhyā 薄明。Brahmā の一形態。また yuga に先立つ期間の名。Viṣṇu Purāṇa には言われている。「夜は Uṣā と呼ばれ、昼は Vyuṣṭa と称され、その間は Sandhyā と呼ばれる。恐ろしい Sandhyā が来ると、Mandeha と称される恐るべき悪鬼が太陽を喰らおうとする。Brahmā がこの呪いを彼らに宣したからである。すなわち、滅びる力をもたずに毎日死に(夜に蘇る)、と。それゆえ毎日彼らと太陽との間に激しい争いが起こる。この時期に敬虔な brāhmaṇa は、神秘的な Oṃkāra によって浄められ、Gāyatrī によって聖別された水を撒く。そしてこの水によって、雷電によるように、汚れた悪鬼は焼き尽くされる。最初の供物が朝の儀礼において厳粛な祈願とともに捧げられると、千の光線をもつ神格は雲なき光輝をもって輝き出る。Oṃkāra は強大な Viṣṇu であり、三 Veda の実体であり、言葉の主である。そしてその発声によってそれらの rākṣasa は滅ぼされる。太陽は Viṣṇu の主要な部分であり、光はその不変の本質であって、その能動的な顕現は神秘的な音節 om によって引き起こされる。oṃkāra の発声によって放たれた光は輝きを放ち、Mandeha と呼ばれる rākṣasa をまったく焼き尽くす。それゆえ Sandhyā(朝)の供犠の執行は決して遅らせてはならない。それを怠る者は太陽の殺害の罪を犯すからである。こうして Brāhmaṇa と、Vālakhilya と呼ばれる小人の聖仙たちとに守られて、太陽は世界に光を与えるためにその進路を進む。」

sandhyāṃśa yuga に続く期間の名。

sannati 謙遜。族祖 Dakṣa の娘の一人で、muni Kratu に嫁いだ。

sannatimat Sumati の子である王子。

sapiṇḍa-s 共通の祖先への餅の供え物によって結ばれた親族。上下七親等に及ぶ。

sapiṇḍana ある人の死後十二か月の満了時に行われる祖先の śrāddha。この儀礼の慣行は月ごとの葬送のそれと同じであるが、水、香料、胡麻を入れた四つの器で浄めがなされる。これらの器の一つは故人に捧げられたものとみなされ、他の三つは祖霊一般に捧げられたものとみなされる。そして前者の中身は他の三つへ移され、それによって故人は、śrāddha のすべての儀式をもって崇拝が向けられるべき祖先の部類に含まれるようになる。

sapeñjon 白 Yajus の教師で、いくつかの学派の創始者。

saptadaśa Sāmaveda 等とともに Brahmā の西の口から造られた讃歌集。

sabhanara Anu の息子の一人。

sabhika 賭博の目的で集会が開かれる家を主宰し、骰子その他すべての道具を提供する人。

samara Nīpa の百人の息子の長子で、Doab の Kāmpilya の王。Matsya は Samara を Kaśya の子とする。

samaradāna しばしば brāhmaṇa に与えられる公の饗宴。この饗応は功徳ある行為として与えられる。それは種々の理由で与えられる。たとえば新しい寺院の奉献に際して、かくも善い業によって死者の罪を贖うために、あるいは戦争における成功を得るために。時には悪しき星座を避けるため、大旱魃において雨を得るため、高い身分の誕生あるいは婚礼を祝うため等である。samaradāna が告げられると、かなりの遠方から男女が大勢集まり、おそらく千人にも及ぶ。そして皆が brāhmaṇa であり、互いに厳しく見張っているので、儀式はこの上なく几帳面に守られる。男と女は別々の列で地面に座り、用意された食物にあずかる。食事の間あるいは後に、サンスクリットの讃歌がしばしば歌われる。饗宴の主は、自ら brāhmaṇa でないかぎり客とともに座ることはできず、饗宴が終わった後に集まりに姿を見せ、そのとき自らがもてなす栄誉を得た「地上の神々」の前にひれ伏し、彼らは今度は彼に祝福を与える。

samaravīra Bharatakṣetra の王。その娘 Yaśodā は王子 Vardhamāna に嫁ぎ、彼は後に傑出した Jaina の聖者 Mahāvīra となった。

samavakāra 何らかの神話的寓話の三幕の劇的上演。第一幕の事の運びは約九時間を占め、第二は三時間半、第三は一時間半である。作品の物語は神々と悪鬼に関わるが、人間も導入されうる。個々の主人公はおらず、あるいは主人公は Kṛṣṇa その他の神格のように十二人にも及びうる。韻律は Veda において最も普通に用いられるもの、すなわち Uṣṇih と Gāyatrī と称される詩句である。愛に触れてもよいが、英雄心が支配的な情感であるべきである。そして皮肉な称賛や公然たる挑戦のような、隠れたものも公然のものも含めて敵意の行為が示されうる。嵐、戦闘、町の襲撃が表されてよく、馬、象、車のような戦争のすべての誇りと華麗さが導入されてよい。— WILSON, Works, XI, p. xxix.

samādhi 瞑想の結果。すなわち、個別性のあらゆる観念が欠如し、瞑想する者、瞑想、そして瞑想される物あるいは対象がすべてただ一つとみなされるときの心の状態。Patañjali の本文によれば、「身体の抑制、心の保持、そしてそこからもっぱら一つの対象に限られる瞑想が dhyāna である。あたかも個別の本性を欠くかのように、そのような瞑想の対象と同一化する観念が samādhi である。」この語は時に、その所有者が自らのすべての能力に対して完全な統御を行使し、それらを完全な抑制のうちに保つことを可能にする力を表すのに用いられる。

samānodaka-s 水の供え物によってのみ関係あるいは結びつけられた人々。— VP, p. 316.

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