Garrettインド古典辞典

ś第一部 サンスクリット語・パーリ語の見出しśālagrāma … śuṣṇa

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śālagrāma しばしば言及されるが、その所在の知られていない聖なる巡礼地。王 Agnīdhra、Bharata その他は苦行の生活のためにそこへ退いたと言われる。śālagrāma の語は通常、Viṣṇu の型と考えられ、ある書物においてその崇拝が命じられている石、すなわちアンモナイトに用いられる。アンモナイトは主として Gaṇḍak 河で見出され、Wilson 教授は、Śālagrāma Tīrtha はおそらくその流れの源に、あるいは Ganges との合流点にあったと考えている。彼は、その神聖さ、および石の神聖さは、おそらく比較的近代の起源をもつと付け加えている。

śālākya 外的な器官の疾患、すなわち眼、耳、鼻等の病の治療。それは、あらゆる細く鋭い器具を意味する śalākā に由来し、śalya と同様に病的状態の能動的な原因に適用しうるか、あるいは手術に用いられる細い探針の総称から借りられたかのいずれかである。

śāligotra Sāmaveda の教師。Lāṅgali の子であり、六つの学派を設立した。

śālin 白 Yajus の十五人の教師の一人。

śālivāhana Magadha[ママ]に君臨した Hindu の王。彼はその名を帯びる紀元を制定し、それは今なお Deccan で一般に用いられている。それは kali-yuga すなわち現在の世界時代の3179年が満了したとき、すなわち西暦紀元の始めから78年後に始まった。この紀元は Śālivāhana Śaka、あるいは単に Śaka と呼ばれる。それゆえ西暦1871年は Śaka 紀元の1793年に相当するであろう。Śaka 年は通常の太陽年と同じであり、それとともに始まる。

śāliśuka Maurya 王朝に属する Magadha の王で、Saṅgata の子。

śālīya Vedamitra の弟子で、Ṛgveda の教師。

śālmali Purāṇa が世界を分ける dvīpa すなわち七つの大きな島状大陸の一つ。この dvīpa には、宝石と薬草に富む七つの山脈がある。その水が罪を洗い流す七つの河がある。大きな śālmali(キワタ)の木がこの dvīpa に生え、それにその名を与えている。この dvīpa は、それ自身と同じ広がりの Sura の海(酒の海)に囲まれている。

śālva-s, or śalya-s Vāyu と Matsya によって中央の諸民族の中に置かれ、Rajasthan の一部を占めていたようである。Śālva の Rājā は Viṣṇu Purāṇa において、Guzerat の Dvārakā の人々と敵対行為に従事したものとして描かれている。

śāśvata Mithilā の王の一人で、Śruta の子。

śikṣā Veda の aṅga すなわち補助部分。祈りを誦する規則、守るべきアクセントと音調等を含む。

śikhaṇḍinī Pṛthu の子孫 Antardhāna の妻。

śini Mṛttikāvatī の Bhoja の王子の一人で、Sumitra の子。

śipraka 最初の Āndhra の王で、Āndhra-bhṛtya 王朝の創始者。彼はそれ以前、Magadha の Kaṇva 王の最後の者 Suśarman の大臣であり、Śiprak は彼に対して陰謀を企て、自ら主権を掌握した。

śilpaka 劇の一種。四幕から成り、場面は死体が焼かれる場所に置かれる。主人公は brāhmaṇa であり、腹心すなわち pratināyaka[ママ]は追放者である。驚異と魔術が作品の主要な事の運びを成す。ヨーロッパの劇文学から例を借りるならば、Freyschütz をこの項目のもとに分類してよかろう。— WILSON, Works, XI, p. xxxiii.

śiva Hindu の三神一体の第三の神格。Wilson によれば、Śiva は創造の破壊者の性格における Viṣṇu と同じである。彼はまた再生をも人格化する。Hindu 哲学は、その後の再生を伴わない全面的消滅の観念を排除するからである。それゆえ彼は時に三神一体の第一の人格である Brahmā と同一視される。

「Śiva は tāntrika、すなわち Tantra と呼ばれる書物の追随者の特別の神である。その崇拝者は Śaiva と称され、Vaiṣṇava ほど数は多くないが、自らの神を天の最高の場所に高め、本来は他の神々に属する属性の多くを彼のうちに結合している。彼らによれば、Śiva は時、正義、火、水、太陽、破壊者かつ創造者である。生殖を司る者として、その型は liṅga すなわち男根であり、おそらく Egypt と Greece の男根の標章の起源である。生殖の神として、また正義の神として ── 後者の性格を彼は神 Yama と分かち合う ── 彼は白い雄牛に乗るものとして表される。彼自身の色も雄牛の色も一般に白であり、おそらく正義の汚れなき清らかさに関わる。その喉は濃い青である。その髪は薄い赤みを帯びた色で、厚く縺れ合い、苦行者の髪のように頭の上に束ねられている。彼は時に二本の手で、時に四本、八本、あるいは十本の手で、そして五つの顔で見られる。彼には三つの眼があり、一つは額の中央にあって上下を向いている。これらは時の三つの区分、すなわち過去、現在、未来への彼の眼差しを示すと言われる。彼は手に三叉戟を持ち、ある者によれば水との関係を示し、他の者によれば創造者、破壊者、再生者の三つの大いなる属性が彼のうちに結合していることを示す。その腰は虎の皮に包まれている。時としての性格において、彼はその消滅を司るのみならず、その天文学的な規制をも司る。額の三日月すなわち半月は月の相による時の尺度を示し、一匹の蛇がその首飾りの一つを成して年による時の尺度を示し、人間の頭蓋骨の第二の首飾りは時代の経過と回転、人類の世代の消滅と継承とを印す。彼はしばしば全身を蛇で覆われたものとして表され、それは不死の標章である。それらは彼の髪に結ばれ、首、手首、腰、腕、脚に巻かれ、指輪として、耳飾りとして彼に仕え、その絶えざる伴侶である。Śiva には千以上の名があり、それは Śiva Purāṇa の第六十九章に長々と詳述されている。そのうちの主要なものの次の一覧は、その性格と属性についての最良の観念を与えるであろう。吉祥なる者。宇宙の主。破壊者、すなわちすべてを滅ぼす時の人格化。再生者、生と死の征服者、生命と存在の原因。人間の涙を散らす者。」— WILLIAMS.

śiva-s 第三 manvantara の神々の一部類。

śiva-rātri(Śiva の夜) これは Śiva の追随者の評価において、そのすべての行事のうち最も神聖なものであり、すべての罪を贖い、生きている間はすべての欲望の達成を、死後は Śiva との合一すなわち究極の解放を確保する。この儀式は Śiva 自身によって命じられたと言われる。彼は妻 Umā に、Phālguna の第十四日が彼を称えて守られるならば、それはすべての罪の帰結を破壊し、究極の解脱を授けるであろうと宣言した。Īśāna Saṃhitā によれば、Śiva が、どちらがより偉大な神格であるかを争っていた Brahmā と Viṣṇu の双方の主張を挫くために、驚くべき果てしない liṅga として最初に自らを現したのはこの日であった。争いを決着させるために、彼らは、突然彼らの前に現れたこの並外れた対象の限界を先に確かめた者をより偉大なものと認めることに同意した。反対の方向に出発して、Viṣṇu は基部に達することを、Brahmā は頂に達することを引き受けた。しかしその試みに神々の数千年を費やした後も、終わりは相変わらず遠くに思われ、両者は挫かれ屈辱を受けて戻り、Śiva の広大な優越を告白した。この伝説は、Viṣṇu と Brahmā の崇拝に対する Śaiva 崇拝の高揚を象徴しているようであり、それは疑いなくある時期に起こった出来事である。

Śiva-rātri の三つの本質的な行事は、tithi すなわち太陰日全体にわたる断食、夜通しの寝ずの番、そして夜の間の liṅga の崇拝である。しかし祭式は、liṅga への種々の種類の供物の献呈についてのみならず、用いるべき身振りと、Śiva に結びつく種々の下位の神格への、また種々の形態における Śiva 自身への祈りについても、膨大な数の指示を負わされている。朝に沐浴した後、崇拝者はその saṃkalpa を誦し、すなわち崇拝を挙行することを誓う。彼は夕べに沐浴を繰り返し、その後 Śiva の寺院へ行って誓いを新たにする。

Śiva の種々の形態につねに向けられる崇敬の様式と、liṅga に捧げるようとりわけ命じられている品とは、もちろん Śiva-rātri の行事の一部を成す。その形式の中に japa がある。すなわち崇拝者が rudrākṣa すなわち Eleocarpus の種で作った数珠の玉を指の間で繰りながら、その種々の名を呟くように誦することである。最も完全な連は百八の玉を含み、その各々に別個の呼称がある。たとえば Śiva、Rudra、Hara、Śaṃkara、Īśvara、Maheśvara、Śūlapāṇi、Paśupati その他である。

Śiva-rātri の聞こえた神聖さにもかかわらず、それは明らかに宗派的で比較的近代の制度であり、古代の慣行との類似点を何ら提示しない。Bengal の Vaidyanāth で崇拝される liṅga は、十世紀前にインドで崇拝された十二の大 liṅga の一つである。そこでは Śiva-rātri に年ごとの melā が催され、十万人以上の巡礼者が集まる。さらに多数の群衆が、同じく十二の古の liṅga の一つである Dekhan の Mallikārjuna の寺院に毎年集まる。また Elephanta 島でも Śiva-rātri に Hindu の多数の集まりがあり、その地の大石窟寺院には Śiva のよく知られた三面像がある。— WILSON, Works, Vol. II, pp. 210-21.

śiva-liṅga Mahommedan のインド侵入の頃、liṅga 崇拝の座として高い評判をもつ場所が十二あった。これらの祠には大きな寸法の古い liṅga があり、それらは Śiva-liṅga と称された。これらの祠のいくつかは今なおその評判を保っている。Bengal の Vaidyanāth の寺院がそれであり、そこでは Śiva-rātri に年ごとの melā(祭市)が催され、十万人以上の巡礼者が集まる。

śivaskandha Āndhra 王の一人で、Śivaśrī Śātakarṇi の子。

śivasti もう一人の Āndhra 王。

śivā

1. Rudra Īśāna の妻。2. Anila(風)の妻。

śivi

1. Sanhrada の子である daitya。2. 第四 manvantara の Indra。3. Uśīnara の子である王子。

śiva-upa-purāṇa Śiva Upa-Purāṇa は約六千の詩節を含み、二部に分配されている。それは Naimiṣāraṇya において Sanatkumāra によって Vyāsa と ṛṣi たちに語られる。そしてその性格は、それが答えとなっている問いから判断しうる。ṛṣi たちは言った。「liṅga を崇拝する規則と、その型のもとに崇められる神々の神の規則とをわれらに教えよ。彼の種々の形態、彼によって聖化された場所、彼に向けるべき祈りをわれらに述べよ。」それに答えて、Sanatkumāra は Śiva Purāṇa を繰り返す。それは Viṣṇu と Brahmā の誕生、宇宙の創造と区分、liṅga からの万物の起源、それと Śiva を崇拝する規則、彼に捧げられた時、場所、物の神聖さ、liṅga による Brahmā と Viṣṇu の惑わし、liṅga に花等を捧げることの報い、Mahādeva を称える種々の行事の規則、Yoga を実践する様式、Benares その他の Śaiva の Tīrtha の栄光、そして Maheśvara との合一による人生の目的の完成を含む。これらの主題は、第一部においてはきわめて少数の伝説によって例証されている。しかし第二部はほとんど全体が Śaiva の物語から成っている。たとえば Tripurāsura の敗北、Dakṣa の供犠、Kārttikeya と Gaṇeśa(Śiva の息子たち)、Nandi と Bhṛṅgiriṭi(その従者たち)その他の誕生、ならびに Benares その他の巡礼地の記述と、Śivarātri のような祭りを守る規則である。この著作は Śaiva の手引書であり、Purāṇa ではない。— WILSON.

śiśira Ṛgveda の教師。

śiśunāga Magadha の王の一人。Benares を息子に譲り、Bihar の Girivraja に自ら居を定めた。

śiśupāla Cedi の王 Damaghoṣa の子。この王子は前世において、daitya の不正だが勇敢な君主 Hiraṇyakaśipu であり、創造の神的な守護者に(人獅子の avatāra において)殺された。彼は次に十の頭の主権者 Rāvaṇa であり、その比類なき武勇、力、権力は三界の主 Rāma に打ち負かされた。Śiśupāla として再び生まれると、彼は Puṇḍarīkākṣa と綽名される神、すなわち大地の重荷を軽くするために降った至高存在の一部に対して、かつてないほどの執念深さをもってその敵意ある憎しみを新たにし、その結果彼に殺された。しかしその思いがつねに至高存在に占められていたので、Śiśupāla は死後彼と合一した。— VP. Śiśupāla の死は Mahābhārata において次のように語られている。「さて rājasūya の始めに、集まったすべての Rājā の中で誰が最も偉大で最も強いかを宣言し、その者に argha を与えるのが慣わしであった。そして宴の主宰者として Bhīṣma は、その栄誉は彼らすべての中で最も偉大で最も強い Kṛṣṇa に帰すと宣言した。しかし Cedi の Rāja Śiśupāla は Kṛṣṇa に対してこの上なく激怒した。彼が美しい Rukmiṇī と婚約していたとき、Kṛṣṇa が彼女を連れ去って自分の妻にしたからである。そこで Śiśupāla は立ち上がって集会全体を騒乱に投げ込み、大声で言った。『もし栄誉が年齢に帰すならば、それは Vasudeva に与えられるべきであった。もし最も偉大な rāj(王国)をもつ者に帰すならば、Rājā Drupada に与えられるべきであった。もし最も高い心をもつ若者に帰すならば、Rājā Duryodhana に与えられるべきであった。もし最も偉大な師に帰すならば、Droṇa に与えられるべきであった。そしてもし最も偉大な聖者に帰すならば、Vyāsa に与えられるべきであった。しかし自らの Rājā の殺害者である牛飼いにその栄誉を与えたこの集会に恥あれ。』こう語ると、Śiśupāla とともにいた友人たちは大騒ぎをした。Yudhiṣṭhira と Bhīṣma はそこで Śiśupāla を諭したが、彼はその言葉に耳を貸さず、剣を抜き、すべての客を殺し供犠を台無しにすると脅した。Yudhiṣṭhira と兄弟たちはそこで Śiśupāla と戦うために立ち上がったが、Bhīṣma が彼らを止めた。そして Śiśupāla は激怒のあまり Bhīṣma と Kṛṣṇa をあまりに侮辱的な言葉で罵ったので、集会全体が恐れた。ついに Kṛṣṇa は言った。『この男は私の親族であるので、私はこれまで手を控えてきた。しかしもはやその言葉に耐えることはできない。』こう語りながら、彼は cakra を猛然と Śiśupāla に投げつけ、その首を胴から切り離した。Śiśupāla は地に倒れて死に、その息子たちがその遺体を運び去って火葬の薪の上で焼いた。こうして Kṛṣṇa は Śiśupāla を殺すことによって Yudhiṣṭhira の rājasūya を救った。もし Rājā Yudhiṣṭhira が征服されていない Rājā によって公然と反抗されたならば、rājasūya は不完全で無効なものとなったであろうから。」

śiśumāra 海豚。天球の象徴。天球の海豚のような姿は Nārāyaṇa によって支えられ、彼自身は惑星の光輝のうちにその心臓に座している。一方 Uttānapāda の子 Dhruva は、世界の主を崇拝した結果として、星の海豚の尾に輝いている。— Viṣṇu Purāṇa, 230.

śīghra

1. Kuśa の子孫 Agnivara の子である王子。2. 河。

śuka Rāvaṇa の大臣の一人。猿の姿をとって、もう一人の大臣 Śaraṇa とともに、Rāma の軍を偵察し、その主要な英雄と顧問の名と性格を知らせるよう主人に遣わされた。彼らは捕らえられて Rāma の前に連れて来られた。Rāma は彼らに、帰って見たことすべてを Rāvaṇa に告げるよう命じた。彼はまた、自ら後を追って Laṅkā を灰の山にすると脅した。Rāvaṇa はその伝言を聞くと叫んだ。「たとえ全世界が出て来て私と戦おうとも、私は決して Sītā を Rāma に返しはしない。」Śuka が別の方針を勧めると、彼は職を解かれ、密林へ行き、そこで生涯の残りを帰依者として過ごした。

śukī Tāmrā の娘で Kaśyapa の妻[ママ]。鸚鵡、梟、鴉を産んだ。

śukra

1. Bhava の子。2. Vasiṣṭha の息子である第三 manvantara の七聖仙の一人。3. Havirdhāna の息子の一人。4. 金星(あるいはその守護者)。その広大な車は大地から生まれた馬に牽かれ、防護の囲いと床を備え、矢で武装し、旗で飾られている。5. Veda に現れる、今では廃れた体系に属する月の名。

śukra daitya の祭官かつ師。昔、daitya と devatā が戦っていたとき、Śukra は daitya の祭官かつ師であり、Bṛhaspati は devatā の祭官であった。そして Bṛhaspati の子 Kañju[ママ]は Śukra の家の弟子となった。彼は Śukra の娘 Devayānī ときわめて楽しく時を過ごした。二人はつねに一緒に歌い、語り合う等し、ついに Devayānī は父の弟子に深い愛を感じ始めた。daitya は、自分たちの祭官 Śukra が敵の祭官の息子を教えることに怒った。そしてある日 Kañju が師の牝牛を牧草地へ連れて行っているとき、daitya は彼を連れ去った。Śukra は Devayānī の求めに応じて、彼らに彼を返すことを強いた。Kañju が学業を終えて父の家に帰ろうとしたとき、Devayānī は自分を父に妻として求めるよう提案した。しかし Kañju は彼女を妹とみなしていると言って拒んだ(devayānī の項を参照)。daitya の Rājā の娘は Devayānī を井戸に突き落とし、それに Śukra の怒りがかき立てられ、彼は daitya を見捨てると脅した。Rājā は恐れ、彼とその会議は Śukra に謙り、娘を Devayānī の召使いにした。Rāvaṇa は Rāma に対して出陣する前に Śukra の助けを懇願した。Śukra は彼にある mantra を教え、秘密の場所で供犠を捧げ、mantra を繰り返すよう指示した。そうすればある武器が火から出て来て、彼を無敵にするであろう、と。しかし Śukra は、終始厳格な沈黙を守らねばならず、さもなければ供犠はすべての力を欠くであろうと彼に警告した。Rāvaṇa はそれに従って手配した。しかし Rāma は敵が何をしようとしているかを聞き、Aṅgada と Hanumān を猿の軍とともに遣わして供犠を妨げさせ、彼らはそれに成功した。

śuṅga-s Magadha を百十二年間統治した十人の王の王朝。

śuci

1. Brahmā の長子である Abhimānī と名づけられた Agni の息子の一人。Śuci は三つの火の一つであった。Bhāgavata においては系譜が異なる。2. Mithilā の王 Śatadyumna の子。3. Andhaka の息子の一人。4. Magadha の王 Vipra の子。5. 第十四 manvantara の Indra。

śuci 水鳥の祖。Kaśyapa とその妻 Tāmrā の娘。

śuddhodana Ikṣvāku の家系の王子。仏教の創始者あるいは再興者 Śākya との関係から、西暦紀元前7世紀に生きたことが確かめられている。

śunaḥśepha-s Śunaḥśepha の物語は種々の典拠によって、いくつかの異同をもって語られている。Ṛca の種々の Sūkta の作者として、彼は Ajīgarta の子と呼ばれる。Rāmāyaṇa は彼を聖仙 Ṛcīka の次男とし、その王子によって捧げられる人身御供の犠牲として、両親によって Ayodhyā の王 Ambarīṣa に売られたとする。彼は Viśvāmitra によって解放されるが、養子とされたとは付け加えられていない。Bhāgavata は養子縁組に同意するが、Śunaḥśepha を Bhṛgu の家系の Ajīgarta による Viśvāmitra の姉妹の子とし、Hariścandra の供犠のための犠牲として買われたと述べている。Vāyu は彼を Ṛcīka の子とするが、Hariścandra の供犠の犠牲であったことに言及している。Rāmāyaṇa によれば、Viśvāmitra は息子たちに Śunaḥśepha の代わりになるよう求め、彼らが拒むと彼らを caṇḍāla の状態に落とした。Bhāgavata は、Viśvāmitra の百人の息子のうち五十人のみが、Śunaḥśepha すなわち Devarāta を兄と認めることを拒んだために部族から追放されたと言う。他の者は同意した。そして Bhāgavata はこれを次のように表している。

「彼らは、mantra に深く通じた兄に言った。『われらはあなたの追随者です。』Rāmāyaṇa もまた、Śunaḥśepha が縛られたとき Ṛca、すなわち Ṛgveda の讃歌をもって Indra を讃えたと述べている。それゆえこの物語の起源は ── その正しい版が何であれ ── Veda に帰せられねばならない。そしてそれは明らかに、brāhmaṇa の Kauśika の家系の一部のみによって採用された祭式における何らかの革新をほのめかしている。」

śunaka Kāśī の王で、Gṛtsamada の子。

śuṣṇa 旱魃を人格化する悪鬼 Vṛtra の名。Ahi とも呼ばれる。

そのとき稲妻は閃き始め、
恐ろしき雷電は轟き始めぬ、
Indra に誇らかに投げられて。
神々自身も畏れに静まり、
呆然と立ちつくしぬ。そして恐怖は
全世界を満たしぬ。
* * * * *
今や Śuṣṇa の呪縛にもはや縛られず、
雲はその液体の蓄えを放つ。
そして久しく灼熱の陽光に焼かれし
平原は、豊かなる雨に渇きを癒さる。
河は膨れ上がり、海へと
その濁れる奔流を広く深く押し流す。
農夫は深き喜びと
感謝の心もて吉祥なる光景を見る。
彼のかくも枯れて悲しき葉なき畑は、
まもなく揺れる作物に装われん。
そして今は褐色にして裸なる母なる大地は、
輝く緑の衣をまとわん。
— OST, Vol. V, p. 135.

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