Garrettインド古典辞典

n第一部 サンスクリット語・パーリ語の見出しnarmadā … niyat

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narmadā Narbadda 河。Ptolemy の Namadus。Vindhya あるいは Ṛkṣa 山脈に源を発し、Goṇḍwana にその起源をもつ。神話的には、人格化された Narmadā は Nāga の姉妹であり、Trasadasyu という名の息子をもった。

nala Niṣadha の王。その歴史は Mahābhārata の第三巻の一部を成し、Nalopākhyānam と呼ばれる。Nala はインドの君主を際立たせうるあらゆる高貴な資質と教養をもっていた。Berar の王には一人娘があった。女性のうち最も美しく最も教養ある、優しい Damayantī である。Nala と Damayantī は互いの徳の評判だけから互いに恋し合った。Damayantī は、王女の svayaṃvara に出席する目的で受肉した Indra、Śani[ママ]、その他二柱の半神よりも Nala を選んだ。Damayantī が自分と結婚することを拒んだことに激怒して、悪意ある存在 Śani は王家の夫婦を大いなる憎しみをもって迫害し、Nala に賭博によって王国を失わせ、荒野へ追放させた。そして忠実な妻が父のもとへ帰るよう説き伏せられなかったので、彼は彼女を森へ連れて行った。しかし森での生活が伴うほどの苦しみを彼女に与えることを望まず、彼女が木の下で眠っているときに彼女を一人残すことを決意した。そうすれば彼女は父の家に帰るであろうと考えたのである。しかし彼女はそうしなかった。嘆きながら彼女は夫を探し、見つけられないと、ある王のもとへ行って王妃の侍女となった。一方 Nala はさまよい歩き、あまりに黒くなったので、もはや王 Nala と認められなくなった。最後に彼は、Damayantī が住む宮廷の王の料理人となった。そしてきわめて巧みな料理人であったので、その料理の腕はことわざとなった。そしてついに彼は忠実な妻によって王 Nala と認められ、まもなく以前の好ましい容姿を取り戻して、王座をも取り戻した。damayantī の項を参照。2. Yadu の子である王子の名。3. Ganges に注ぐ河の名。

nalakanaka-s Purāṇa の表に言及される民族。ただし同定されていない。

nalinī Śiva から逃れた後に Ganges によって形成された五つの流れの一つの名。

navaratha Bhīmaratha の子である王子。

navālā 族祖 Vairāja の娘で、Manu Cākṣuṣa の妻。

nahuṣa

1. Ambarīṣa の子。2. Āyus の五人の息子の長子。Indra の位に達すると、ṛṣi たちに自分の輿を担がせ、彼らに呪われてその地位から堕ち、蛇として地上に再び現れることになった。この姿から彼は Yudhiṣṭhira との哲学的な議論によって解放され、究極の解脱を受けた。3. Kadrū の子孫の一つである強大な多頭の蛇の名。

nāga

1. Meru の北の山稜。2. Kadrū の子孫の一つである蛇。3. もとはコブラ、すなわち Coluber naga。

nāga-s(蛇神) 「蛇の神々」。Kadrū の子供たち。神話においてこれらの存在は人間の頭と蛇の身体をもつ。その数は千であり、頭に宝石を戴く。彼らは Kaśyapa と Kadrū の息子たちであり、Viṣṇu の鳥 Garuḍa に服し、Nāga-loka と呼ばれる pātāla の一部に住み、その首都は Bhogavatī である。彼らが gandharva によってその力を奪われたとき、彼らは姉妹 Narmadā を遣わして Purukutsa の助けを求めさせた。彼女は彼を大地の下の領域へ導き、そこで彼は神格の力に満たされて gandharva を滅ぼした。蛇神たちは Narmadā の奉仕を認めて、彼女を思いその名を呼ぶ者は誰でも決して蛇の毒を恐れることがないという祝福を彼女に授けた。

nāga-s 「裸で歩く Śaiva の saṃnyāsi はこの語によって区別される。彼らは身体に灰を塗り、髪、顎鬚、頬髯を伸ばし、jaṭā と呼ばれる突き出た編み髪を着ける。Vairāgī の Nāga と同様に、彼らは武器を携え、群れをなしてさまよい、施しを乞い、あるいは寄付を取り立てる。Śaiva の Nāga は主として Daṇḍī と Atīt の位階の屑であるか、あるいは学問や業務の生活に何の傾向ももたない者たちである。Nāga の放浪的で暴力的な習慣に倦むと、彼らは最初に離れたより善良な部類に再び入る。Śaiva の Nāga はインドの多くの地方にきわめて数が多い。」— WILSON.

nāga-s Padmāvatī に君臨した九人の王の呼称。

nāgadvīpa Bhāratavarṣa の一区分。

nāgapāśa Brahmā が Indrajit に贈った矢の名。Laṅkā の攻囲において、後者はそれによって Rāma と Lakṣmaṇa を意識を失わせて地に倒した。

nāgavīthī

1. 北の Avasthāna における月宿の区分。2. 天の川、Yamī(夜)の娘。

nāgānanda 「蛇の世界の喜び」。Śrī-Harṣa-Deva によってサンスクリットで書かれた仏教の戯曲。Ratnāvalī の姉妹劇であるが、同じ作者によるものではない[ママ]。Nāgānanda の物語は仏教の伝説である。それは Palmer Boyd 氏によって英訳され、Cowell 教授が序を付している。

nāṭaka(正劇) par excellence の劇であり、劇作品のすべての要素を含む。主題はつねに名高く重要であるべきである。Greek の悲劇と同様に、nāṭaka は価値ある、あるいは高貴な人物のみを表すべきであり、主人公は Duṣyanta のような君主、Rāma のような半神、あるいは Kṛṣṇa のような神格でなければならない。行為、より正しくは情念は、愛あるいは英雄心のようにただ一つであるべきである。筋は単純であり、出来事は首尾一貫しているべきである。事の運びは種子から植物が生ずるように物語から直接に生ずるべきであり、挿話的で冗長な中断を免れているべきである。時は引き延ばされるべきではなく、一幕の存続期間は、古い典拠によれば一日を超えてはならない。しかし Sāhitya Darpaṇa はそれを数日、さらには一年にまで延ばしている。言葉遣いは明晰で洗練されているべきである。作品は五幕以上十幕以下から成るべきである。

これらの特徴の多くにおいて、nāṭaka は Greeks の悲劇との明白な類似を示している。悲劇とは「十分な重要性をもつ厳粛で完全な行為の模倣であり、快い言葉で語られ、劇作品の種々の要素をその異なる部分において示し、語りによってではなく行為者を通じて表され、憐れみと恐れの影響によって人間の本性の情緒を浄めるもの」であった。

古典劇、およびほとんどの国の劇との重要な相違は、悲劇と喜劇の区別がまったくないことである。Hindu の劇は、人類の罪にも愚かさにも、生の重大な変化にもより軽い浮沈にも、苦難の恐怖にも繁栄の陽気さにも、自らを限らない。この点で、それらは Spain と England の劇の多くと同類に分類しうる。Schlegel が述べるように、それらには「悲劇と喜劇という語は、古代人が用いた意味においてはまったく適用できない」。それらはつねに混ぜ織りであり、真剣さと悲しみとを軽さと笑いとに混ぜ合わせている。しかしそれらは決して悲惨な結末を提供しない。Johnson が述べるように、それは Shakespeare の時代には悲劇を成すのに十分であった。そしてそれらは恐怖と憐れみを含む人間の胸のすべての情緒をかき立てることを目指しているが、観客の心に苦痛な印象を残すことによってこの目的を果たすことは決してない。Hindu には事実、悲劇がない。この欠如は、社会の幼年期には強い情念が支配し、社会的交わりが複雑化し洗練されて初めて人類の愚行と軽薄さが風刺の材料を提供したのであるから、悲劇は必然的に喜劇に先行したという理論を覆す。……Hindu の劇における悲劇的破局の欠如は、単に無意識の省略ではない。そのような破局は明確な規則によって禁じられており、主人公あるいは女主人公のいずれの死も決して告げられてはならない。実に Voltaire でさえ時には免除されうると考えた礼節への顧慮をもって、いかなる仕方においても「舞台を血に染める(ensanglanter la scene)」ことは許されず、死はつねに観客の視界の外で与えられねばならない。— WILSON, Works, XI, p. xxvii.

nāḍīcakra 心臓。生命の気すなわち霊がそれに沿って運ばれる種々の器官と管状の脈管の円の中心としてのもの。そしてこの霊は Śiva と一つである(sarvaṃ śivamayam)ので、その形すなわち本性(rūpa)は心臓に座していると言ってよい。六つの器官は、耳、臍、心臓、喉、口蓋、眉である。nāḍī すなわち管は百一あるが、十が主要なものであり、iḍā、piṅgalā、suṣumnā、gandhārī、hastijihvā、pūṣā、aruṇā、alambuṣā、guhās、śaṅkhinī である。これらはすべて心臓において合する。これらの観念は yoga に属する。他の教説によれば十六の主要な nāḍī がある。このように自らのうちに神的な霊の実際の現前を発見した者に、神格 Śiva は八つの siddhi(その項を参照)を与える。

nāndīmukha-s pitṛ の一部類。Nāndīmukha の性格についてはいくらかの不確かさがあるようであり、pitṛ としても神々としても呼びかけられる。前者の場合には曾祖父より前の祖先、祖先全体、あるいはそのある部類であり、後者の場合には Viśvadeva と同一視される。Nāndīmukha の語はまた儀礼そのもの、すなわち Vṛddhi Śrāddha、および母方の祖先に向けられたものにも用いられる。WILSON, Viṣṇu Purāṇa への注, p. 315 を参照。

nābhāga

1. 前者[ママ]の子。vaiśya の娘を連れ去って娶ったことによって vaiśya となった。このことから、vaiśya の王子の種族が初期の伝承によって認められていたらしいことがわかる。2. Sagara の子孫 Śruta の子。3. Yayāti の子。

nābhāga-nediṣṭha Manu Vaivasvata の息子の一人。その名は「分け前なし」を意味し、Aitareya Brāhmaṇa においては、彼はまったく宗教生活に身を捧げているという口実で、相続のすべての分け前から除外されたと言われる。Bhāgavata によれば、彼が学習の期間を通常の年齢を超えて延ばしたので、兄弟たちが父祖の財産の彼の分け前を横領した。彼が自分の分け前を求めると、彼らは父を彼に委ねた。父の助言によって彼は Aṅgiras の子孫の供犠を助け、彼らはその終わりに残ったすべての富を彼に贈った。Rudra はそれを自分のものと主張した。そして Nābhāga が同意すると、神はその贈与を確認し、それによって彼は領土の喪失に相当するものを所有するに至った。

nābhi Agnīdhra の九人の息子の一人。Himahva の国が彼に割り当てられた。

nāma 字義どおりには名。Vaiṣṇava が額に着ける三叉の印に用いられる語。この印すなわち図形は Tirunāma「聖なる名」と呼ばれる。それは Viṣṇu の三叉戟の模倣であり、Hebrew の文字 shin にほぼ似ている。それは髪の生え際から眉まで延び、それから鼻へ向かってそこで合する二本の白い線と、その間の鼻から髪までの赤い垂直の線とから成る。

nāyaka(主人公) 劇の主人公。より高い種類の作品においては、主人公は神あるいは半神、あるいは人間でありうる。後者の場合、彼は神話、歴史、寓話から描かれるか、あるいは作者の創造物である。愛は Hindu の劇場の事の運びに大きく入り込んでいるので、主人公の属性は、情熱を感じ情熱を吹き込むのにふさわしいかどうかを基準として定義される。そして彼は若く、美しく、優雅で、寛大で、勇敢で、愛想よく、教養あり、生まれの良い者として表されるべきである。主人公は四十八の種と百四十四の類とに分類され細分される。作者は主人公にその性格と相容れない資質を決して与えてはならない。こうして、悪鬼 Rāvaṇa に寛大さを帰すること、Jamadagni の子に敬虔と高慢とを結合させること、あるいは高潔な Rāma を、欺瞞によって Bāli の死を図ったと非難することは不調和であると言われる。これらの瑕疵は、もとの伝説に現れる場合には、劇作家によって視界の外に置かれるべきである。— WILSON, Works, XI, p. xiii.

nāyikā(女主人公) 劇の女主人公。女性が舞台の出来事にあずかる程度は、Hindu 社会におけるその性の関係の興味深い姿を提供している。nāṭaka においては、天のニンフ、半神の花嫁、聖者の妻、女性の聖者自身、そして神格化された森と河がある。純粋な虚構の劇においては王女と遊女がおり、陰謀劇においてはハーレムの種々の住人がいる。第一の部類の女性は詩と神話の正当な創造物であり、他は社会生活からの肖像である。高い生まれの未婚の女性を日常生活のより軽い場面に導入することは、古代の喜劇にはなかった付加である。一家の未婚の娘は、Plautus と Terence の場面に決して自ら登場しない。しかし Hindu の劇の名誉のために述べてよいのは、parakīyā、すなわち他人の妻である女は決して劇的陰謀の対象とされてはならないということである。この禁止は、Dryden と Congreve の想像力をひどく冷まし、その機知を抑えたことであろう。

nāyikā すなわち女主人公にはつねにその伴侶かつ腹心がおり、この役を務めるのに最もふさわしい人物は乳姉妹である。王妃が女主人公である場合には、寵愛する侍女がこの務めを果たす。女性の帰依者はいくつかの劇ならびに物語において主要な役割を演じ、その場合通常は Bauddha 派のものとして描かれる。— WILSON, Works, XI, pp. xiii, xlviii.

nārada Prajāpati すなわち神的な ṛṣi で、Brahmā の腰から生まれた。vīṇā すなわちインドの竪琴の発明は Nārada に帰せられる。また法典、および Nāradīya Purāṇa と題する十八の Purāṇa の一つも彼に帰せられる。Brahma Purāṇa においては、彼は滑らかに語る Nārada と呼ばれ、Orpheus との類似は、彼が天から下界 pātāla を訪ねるために降ったことによってさらに推し進められる。Manu と Viṣṇu Purāṇa においては彼は Prajāpati と呼ばれ、Mahābhārata においては gandharba の一人である。Dakṣa の息子たちにその種族を増やすことを思いとどまらせたのは彼であった。彼らはそれに従って宇宙の諸地域に散らばり、その広がり等を確かめようとした。そして族祖 Dakṣa はすべての息子が消え失せたことを知って激怒し、Nārada に呪詛を宣した。大地の支え手 Viṣṇu が Devakī の第八子として受肉しようとしていることを Kaṃsa に告げたのは Nārada であった。Nārada が Kṛṣṇa を訪ねたとき、彼は神々の世界から pārijāta の花を彼に贈った。Kṛṣṇa はそれを Rukmiṇī に与え、それが寵愛する情人の一人 Satyabhāmā の嫉妬をひどくかき立てたので、彼女を宥めるために、Kṛṣṇa は神々の天へ行き、その花をつけた木そのものを持ち帰った。神話において、Nārada はしばしば Hermes すなわち Mercury に似たものとして描かれ、伝言を運び、神々と人間の間に不和を引き起こすことに従事している。彼は通常、火の中に座り、両手を頭の上に組み、脚もまた頭の方へ伸ばし、腕と脚を帯で結び合わせた姿で表される。

nārada purāṇa この Purāṇa は Nārada によって語られ、Bṛhat kalpa の記述を与える。それは Gomatī 河畔の Naimiṣāraṇya で ṛṣi たちに伝えられる。Wilson 教授はそれを、bhakti すなわち Viṣṇu への信仰の教義を支持することを意図した宗派的で近代的な編纂物とみなしている。それはその神格のいずれかの形態に向けられた多くの祈り、その崇拝に結びついた種々の行事と祝日、そして Hari への帰依の効力を例証する種々の伝説を含んでいる。そのあるものはおそらく初期のもの、他のものはより新しい年代のものである。Dhruva と Prahlāda の物語があり、後者は Viṣṇu Purāṇa の言葉で語られている。一方その第二部は、Rukmāṅgada という王の生まれの良い娘 Mohinī の伝説に占められている。彼女に惑わされて、王は彼女が望むことは何でもすると申し出る。彼女は王に、Viṣṇu に聖なる日である半月の第十一日の断食の規則を破るか、あるいは息子を殺すかを求める。そして王は二つのうちより軽い罪として息子を殺す。これがこの作品の精神を示している。その年代もまたその趣旨から推論しうる。bhakti を讃えるこのような途方もない誇張は確かに近代に起源をもつからである。それ自身が一つの限界を提供している。それは Bhāgavata の対話者である Śuka と Parīkṣit に言及しており、したがってその Purāṇa の年代より後である。それはおそらくかなり後のものであろう。インドが Mohammedan の手にあった後に書かれたという証拠を提供しているからである。結びの一節には「この Purāṇa を『牛を殺す者』と神々を侮る者の前で繰り返してはならない」と言われている。それはおそらく16世紀あるいは17世紀の編纂物である。— Viṣṇu Purāṇa, Preface.

nārāyaṇa

1. 「その住まう場所が深みであった者」を意味する Viṣṇu の名。水が nāra と呼ばれるのは、それが nara(至高の霊)の子孫であったからである。そしてその中で彼の最初の(ayana)進み(Brahmā の性格において)が起こったので、彼はそこから Nārāyaṇa と名づけられる。2. Dharma と Mūrtti の子である聖仙。3. Kaṇva 王朝の Bhūmitra の子である王子。

nārikā 時の単位。十五 laghu。

nārīkavaca Mūlaka(その項を参照)の名。

nikapṛṣṭa-s Purāṇa に言及される原住部族。おそらく嘲りからそう称された。それは一つ以上の背中をもつことを意味する。

nikumbha Haryaśva の子である王子。

nikṛti (「不道徳」)。Adharma(悪徳)の娘。

nighna Anamitra の子で、Satrājit の父。神なる Āditya すなわち太陽は Satrājit に syamantaka 宝珠を贈った。

nicakra Asīma Kṛṣṇa の子である王子。Hastināpura が Ganges に押し流されたとき、首都を Kauśāmbī に移した。

nitala pātāla の七つの領域の一つ。

nidāgha Pulastya の子で、Ṛbhu の弟子。Ṛbhu は喜んで彼に完全な知識を伝えた。Pulastya の住まいは Devikā 河の岸の Viranagara にあった。「流れに隣接する美しい森に、帰依の行に通じた Ṛbhu の弟子 Nidāgha が住んでいた。神の年の千年が過ぎたとき、Ṛbhu は弟子を訪ねるために Pulastya の都へ行った。Viśvadeva への供犠の終わりに戸口に立っていると、彼は弟子に見られた。弟子は急いで通常の供物すなわち arghya を彼に捧げ、家の中へ導いた。そして彼の手足が洗われ、彼が座ると、Nidāgha は恭しく食事を勧めた。(そのとき次の対話が交わされた。)

「Ṛbhu。『高名な brāhmaṇa よ、汝の家にはどんな食物があるか言え。私は並の料理は好まない。』

「Nidāgha。『家には粉の餅、米、大麦、豆があります。尊いお方よ、いずれでも最もお気に召すものを召し上がってください。』

「Ṛbhu。『そのどれも好まない。砂糖で煮た米、小麦の餅、凝乳と糖蜜を添えた乳を与えよ。』

「Nidāgha。『おい妻よ、急げ。客人をもてなすために、家にある最も上等で甘いものを何でも用意せよ。』

こう語ると、Nidāgha の妻は夫の命令に従って甘く美味しい食物を用意し、brāhmaṇa の前に置いた。そして Nidāgha は、彼が望んだ食事を食べ終えるまで彼の前に立っていた後、恭しく彼にこう語りかけた。

「Nidāgha。偉大な brāhmaṇa よ、十分に、そして喜んで召し上がりましたか。あなたの心は食物から満足を受けましたか。あなたの今のお住まいはどこですか。どこへ行こうとしておられますか。そして聖なるお方よ、今どこから来られたのですか。

「Ṛbhu。『brāhmaṇa よ、飢えた人は食事を終えれば必ず満足するものである。なぜ私の飢えが癒されたかを尋ねるのか。地の元素が火によって乾かされるとき、飢えが生じる。そして身体の湿り気が(内的なあるいは消化の熱によって)吸収されるとき、渇きが生ずる。飢えと渇きは身体の機能であり、満足はつねにそれらを除くものによって私に与えられねばならない。というのは、飢えがもはや感じられないとき、快楽と心の満足とは知性の能力だからである。それゆえその状態は心に尋ねよ。人はそれらによって影響されないのだから。汝の他の三つの問い、どこに住むか、どこへ行くか、どこから来たかについては、この答えを聞け。人(人の霊魂)は虚空のようにあらゆるところへ行き、あらゆるところに浸透する。それがどこにあるか、あるいは汝がどこから、あるいはどこへ行くかを問うことは理に適っているか。私は行くのでも来るのでもなく、私の住まいはどこか一つの場所にあるのでもない。汝は汝でなく、他の者は他の者でなく、私は私でない。もし汝が、なぜ私が甘くした食物と甘くしない食物とを区別したのかという汝の問いに私がどう答えるかを訝るならば、私の説明を聞け。食事をする者にとって、本当に甘いあるいは甘くないものなど何があろうか。甘いものも満腹の感覚を引き起こすとき、もはや甘くない。そして甘くないものも、人が(ひどく飢えて)そうだと思うとき甘くなる。最初も中ほども最後も等しくありがたい食物などあろうか。粘土で建てた家が新たな漆喰によって強められるように、この地上の身体も地上の粒子によって支えられる。そして大麦、小麦、豆、バター、油、乳、凝乳、糖蜜、果実等は地の原子から成る。それゆえ汝によって理解されるべきはこのことである。何が甘いあるいは甘くないかを正しく判断する心は同一性の観念を刻印されており、この同一性の効果が解脱へと向かうのである。』

究極の真理の実質を伝えるこれらの言葉を聞くと、Nidāgha は客の足もとにひれ伏して言った。『高名な brāhmaṇa よ、私に恩寵を示し、私の益のためにここに来られ、その言葉によってわが心の迷妄が払われたのは誰なのかを教えてください。』これに対して Ṛbhu は答えた。『私は汝の師 Ṛbhu である。汝に真の智慧を伝えるためにここに来た。それが何であるかを汝に宣べたので、私は去るであろう。この全宇宙を、Vāsudeva と称される至高の霊の一つの分かたれざる本性であると知れ。』こう語り、熱い信仰をもって捧げられた Nidāgha の平伏の礼を受けて、Ṛbhu は去って行った。」— VP, pp. 53-55.

nidrā 眠り。Brahmā の一形態。Padma Purāṇa の Uttara Khaṇḍa においては、Nidrā は乳海攪拌の産物の一つとして挙げられている。

nimi Ikṣvāku の三人の傑出した息子の一人。彼は千年続くはずの供犠を始め、供物を捧げるよう Vasiṣṭha に依頼した。Vasiṣṭha は答えて、自分は五百年の間 Indra に先約されているが、もし Rājā がしばらく待つならば、来て監督祭官として司式しようと言った。王は何も答えず、Vasiṣṭha は彼が同意したものと考えて去った。聖仙は Indra のために司っていた儀式の執行を終えると、Nimi に同様の務めを果たすつもりで全速力で戻った。しかし到着してみると、Nimi が Gautama その他の祭官を自分の供犠に奉仕するよう雇っていたことを知り、大いに不興を覚え、そのとき眠っていた王の上に次のような趣旨の呪いを宣した。王は自らの意図を知らせず、最初に自分 Vasiṣṭha に委ねた務めを Gautama に移したのであるから、Nimi は以後身体の形で存在することをやめるべし、と。Nimi は目覚めて何が起こったかを知ると、その返報として、不正な師の上に、前もって自分と相談することなく自分に呪いを発した罰として、彼もまた身体の存在を失うべしという呪詛を宣した。Nimi はそれから身体の状態を捨てた。Vasiṣṭha の霊もまたその身体を離れ、しばらくの間 Mitra と Varuṇa の霊と合一した。やがてニンフ Urvaśī への彼らの情熱によって、聖仙は別の姿で再び生まれた。Nimi の遺体は芳香のある油と樹脂で香油を塗られることによって腐敗から守られ、あたかも不死であるかのように完全なままであった。供犠が終わると、祭官たちは、分け前を受けに来ていた神々に、供犠の主催者に祝福を授けるよう願った。神々は彼を身体の生に戻すことを望んだが、Nimi は受け入れることを辞退して言った。「おお、世のすべての苦しみを和らげる神々よ、世界に霊魂と身体の分離ほど深い苦悩の原因はない。それゆえ私の願いは、すべての存在の眼のうちに住み、二度と身体の形をとらないことである。」この願いに神々は同意し、Nimi は彼らによってすべての生き物の眼のうちに置かれた。その結果、彼らの瞼はつねに開いたり閉じたりしているのである。— VP.

nimiṣa(瞬) 時の単位 ── 眼の瞬き ── 一秒。Bhāgavata によれば三 lava。

niyat 十一 Rudra の一人 Mahān の妻。

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