cākṣuṣa-s 第十四 manvantara における神々の五部類の第一。
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cākṣuṣa-s 第十四 manvantara における神々の五部類の第一。
cāṇūra Kṛṣṇa に殺された悪鬼。きわめて激しい戦いの末、Cāṇūra は百回振り回され、その息は空中に費え尽きた。Kṛṣṇa は彼をきわめて激しく地に叩きつけたので、その身体は百の破片に砕け、大地は百の血の泥溜まりで覆われた。— VP.
cāṇḍāla 追放者すなわち Pariah。śūdra の母と brāhmaṇa の父[ママ]から出た混合部族のうち最も低いものの一つ。
cātaka-s Vaiśampāyana の弟子たち。Vāyu によれば、彼らは師の罪を自分たちの間で分け合ったので、「分ける」を意味する Cāt から Cātaka と称された。Brāhmaṇa 殺しの罪を分け合った Vaiśampāyana の弟子たちが Cātaka と呼ばれたのである。
cāturmāsya 四か月ごとの供犠。
cāndrāyaṇa Vedānta によれば、何か積極的なものの獲得ではなく、単に罪の除去をもたらす苦行。月齢によって規定され、月の黒分の間、満月に十五口から始めて毎日一口ずつ日々の食物の摂取を減らし、新月に一口となるまで減らし、それから月の満ちる半月の間、同様に増やしていくことから成る。この苦行には他の形式もある。
cāmuṇḍā Śiva の妃の名。その寺院は恐ろしい場所として表される。そこへ犠牲が運ばれ、残酷な女神への供犠として捧げられる。戯曲 Mālatī and Mādhava においては、女主人公 Mālatī が Cāmuṇḍā の祭官にさらわれて恐ろしい寺院へ運ばれるが、致命の一撃がまさに彼女の上に下ろされようとしたとき、恋人に救い出される。[Supplement より→]女神 Durgā すなわち Umā の流出であり、悪鬼 Caṇḍa と Muṇḍa に立ち向かうためにその額から生じた。
cāraṇa Veda のある śākhā の読誦を誓約した一派。Cāraṇa は、Veda のある部門を学び教える弟子と師の観念上の系譜を意味する。gotra-s の項を参照。
cāraṇa-s 下位の半神、すなわち天の霊。Hindu の戯曲にしばしば登場し、人間と自由に交わり、人間と通婚し、さらには地上の王子や英雄を自らの指導者かつ支配者に選ぶまでに至るものとして表される。種々の下位の神格の種族の人物、性格、職分を正確に記述することは困難である。Wilson の言うように、それらは「Hindu の天上の政体においてきわめて曖昧に定義されている」からである。
cāru, cārudeha, cārudeśna, cārugupta, cāruvinda Kṛṣṇa と Rukmiṇī の五人の息子。そのうち一人は VP において強大な Cāru と称される。
cārudatta 戯曲 Toy Cart の主要人物の一人である、貧窮した brāhmaṇa。ある時 Cārudatta は言う。
友よ、
悲しみのすぐ後に続く幸福は、
夜を破って輝く灯火のように見える。
されど富裕から貧困へと落ちる者は、
人の姿をまといはしても、
ただ生気なき形として存在するのみ。
さらに問われて、Cārudatta は貧困よりも死の方がはるかにましだと宣言する。
死ぬことは束の間の苦しみ、貧しきことは
果てしなき苦悶。
そして彼はさらに、失った富を嘆くのではないと説明する。
そうではなく、富の消え去った住まいを
客がもはや訪れぬことを嘆くのだ。
* * * * *
そして貧困とともに侮りが来たり、
侮りより自恃は失せ、
次いで蔑みと悲しみが続きて
知性を圧倒す。判断の失わるるとき、
人は滅ぶ。かくして貧困より、
人の世を苦しむるあらゆる禍は生ず。
— A&MI, Vol. 2, p. 157
cārumatī Kṛṣṇa と Rukmiṇī の娘。
cārvāka 3世紀頃、あからさまな唯物論の新しい学派を創始した哲学者。知覚が知識の唯一の源泉であり証明の手段であると主張した。身体がある間は思考と快苦の感覚があり、身体がなければそれもない。それゆえ、また自意識からも、自己と身体とは同一であると結論される。Vedānta Sāra には、Cārvāka の追随者の四人にも及ぶ者たちへの論駁がある。彼らはその教説を種々に修正して主張している。一人は粗大な身体が霊魂と同一であると主張し、別の一人は身体の諸器官が霊魂を成すと主張し、第三の者は生命機能がそうであると断言し、第四の者は意と霊魂とが同一であると力説する。
cārvāka 托鉢の brāhmaṇa に変装し、Rājā としての即位式において Yudhiṣṭhira を罵った rākṣasa。Mahābhārata によれば、本物の brāhmaṇa たちは Cārvāka にひどく憤激し、怒りの眼をもって彼を見たので、彼は雷に打たれた木のように地に倒れ、その場で灰に焼き尽くされた。
cikitsā 医学の八部門の一つ。薬の投与、あるいは一般に医療を扱うもの。
citar Ṛgveda に言及される首長。他の首長たちとともに Sarasvatī の近くに住んでいた。
citi mahat の同義語。「それによって行為の結果と知識の種類とが霊魂の用のために選ばれるもの。」— WILSON, VP, p. 15.
citraka Śini の子孫 Pṛśni の子である王子。
citrakūṭa Bundelkhaṇḍ の Bāndā の町の南東50マイル、Piśāni と呼ばれる河の畔にある孤立した丘。寺院および Rāma と Lakṣmaṇa の祠が密集する聖地であり、後に Rāmāyaṇa の作者として名高くなった聖仙かつ詩人 Vālmīki の座としても名高い。
「われわれはしばしばあの緑の丘を眺めた。それは、Viṣṇu のこの化身に身を捧げる Hindu 信仰の一派にとって最も聖なる地である。近隣一帯が Rāma の国である。どの岬にも何らかの伝説があり、どの洞窟もその名と結びついている。野生の果実のいくつかは、流謫者たちの食物であったとされることから、今なお sītāphala(Sītā の果実)と呼ばれている。毎年幾千幾万もの人々がこの地を訪れる。丘の周りには一段高い小道があり、帰依者はその上を、敬虔な畏れに満ちて裸足で踏み歩く。」— Calcutta Review, Vol. XXIII.
Griffith 氏の Rāmāyaṇa 訳からの以下の抜粋は、この聖なる性格がいかにして獲得されたかを示すのに役立つであろう。
「さて、朝の明くるを見て、
Bharadvāja は答えて言いぬ。
『Citrakūṭa の丘へ行け、
漿果の実り、蜜の滴る所へ。
かの住まいこそ、強く毅然たる
Rāma よ、汝にふさわしと思う。
行きて Citrakūṭa を求めよ、
多彩なる峰の名高き山を。
それを取り巻く野生の森には、
狩りのあらゆる獣が見出さる。
汝は林間の空き地に、
象と鹿の大群の現るるを見ん。
そこにて汝は Sītā とともに
木々茂る高みを眺めて喜び、
そこにて心広やかに
河と台地と小川とを望み、
泡立つ奔流の山の洞より
激しく猛り出づるを見ん。
吉祥なる丘よ、終日
田鳧の叫び、Koil の歌の
聞く者みなを陽気にする所、
すべてが新鮮に美しく見え、
象と鹿の自由にさまよう所、
そこに隠者として留まれ。』
「それより彼らは森から森へとさまよい、
幾多の流れを越え、絶えざる木陰を通り、
Bharadvāja の命ぜしごとく、
ついに Citrakūṭa の丘に至りぬ。
そこにて Rāma は Lakṣmaṇa の助けを得て
心地よき小さな庵を作り、
樹皮の上衣と鹿皮の胴着をまとい、
Sītā とともに日々を過ごしぬ。
かくして Citrakūṭa は、
かの名高き三人によりて輝けり、
神々がその下に憩うとき
栄光もて輝く Meru の聖なる峰のごとく、
黄金の主と美の女王との間に
Śiva 自らがおわすときのごとく。」
citraketu Bhāgavata の表によれば、大聖仙 Vasiṣṭha の子。
citragupta Yama の記録官。死ぬ者はみな Yama の前に出て、その行為を記録してきた Citragupta と対面させられる。「Citragupta は Bṛhannāradīya Purāṇa において、次のような悪趣味で誇張した文体で描かれている。『恐るべき Citragupta は、世界の解体の時に雲から発するような声をもち、collyrium(眼墨)の山のように輝き、稲妻のような武器をもって恐ろしく、三十二本の腕をもち、三 yojana ほどの大きさで、眼は赤く、鼻は長く、その顔には臼歯と突き出た歯が備わり、眼は長方形の池に似て、死と病とを担っている。』」— OST, Vol. V, p. 302.
citra-javanīka 彩色された布。寺院において至聖所の前に吊るされる幕あるいは帳。この語は時に、壁掛けあるいは綴織、あるいは寺院の壁を覆う布にも用いられる。
citrabaha Purāṇa に見える河。同定されていない。
citraratha 天の楽人たちの王。
真実にして親しき Citraratha に、
わが調べ巧みなる楽人にして御者に、
わが古き友にして大臣に、
宝石と衣と豊かなる富とを与えよ。
— GRIFFITH, Rāmāyaṇa
Citraratha はまた、Ruśādru の子で、十四の大宝の主であった Śaśabindu の父の名でもあった。また、Indra とともに soma の汁を飲んだ、Dharmaratha の子である別の Citraratha もいた。第四の Citraratha は、VP において Parīkṣit の子孫 Uṣṇa の子として言及されている。
citraratha, citrasena, citropala VP に見える三つの河の名。いまだ同定されていない。
citralekhā 王女 Uṣā の侍女かつ友。Uṣā は彼女に夢を語り、彼女はその魔力によって Aniruddha を宮殿へ連れて来た。
citravarṇa Pañcatantra の物語における孔雀の王の名。
citrā 中央の Avasthāna の govīthī における月宿の名。
citrāṅgada Śāntanu とその妻 Satyavatī の子。若くして、同じく Citrāṅgada という名の gandharva との争いで殺された。
citrāṅgadā Maṇipūra の Rājā の娘。旅の途中の Arjuna に嫁いだが、Arjuna が Hastināpura に帰ったとき、息子 Babhru-vāhana とともに自分の都に留まった。
cintāmaṇi Tamil 語の叙事詩。かなりの価値をもち、その言語における最高の古典的権威とみなされている。Jivagan という名の王の英雄物語を含み、おそらく、サンスクリットで書かれた Jaina の聖典 Mahā Purāṇa に見られる類似の物語に基づいている。
Cintāmaṇi は、cintā(思念、反省)と maṇi(宝石)という二つのサンスクリット語の複合語である。一般に、その所有者に求めるものを何でも与えると考えられる伝説上の宝石に用いられる。この作品の意図は、Jaina の体系を魅力的な形で表すことにある。
cuñcu Hariścandra の子孫 Hārīta の子である王子。
cedi Kaiśika の子。その子孫は Caidya 王と呼ばれた。
cedya-s Cedi の住民。Cedi は通常、Nagpore の方へ向かう Jungle mahals(密林地区)の西にある Candail とみなされる。Purāṇa より後の時代には Ranastambha として知られる。
caityaka 近代の Sonār 山。Rājgīr の五つの山の第五にして最大のもの。Gayā の近辺から北西へ、Bihar の Giryak に至るまでほぼ30マイルにわたって延びる岩山の連なりの一部を成している。その山腹は険しく切り立ち、大部分は通り抜けられない密林に覆われ、灌木の生い茂った不規則な小道によってのみ途切れている。その小道は毎年、Murśīdābād、Benāres、さらには Bombay から来る幾百もの Jaina の巡礼者に踏まれる。彼らは寒く乾いた季節に Rājgīr に群がり、山頂を飾る寺院に祀られた、聖者たちの聖なる caraṇa すなわち「足跡」に礼拝する。— IA.
caitra 第三[ママ]の太陰月の名(2月-3月)。
caitraratha Ilāvṛta の東にある大きな森。
caidya-s Cedi の子孫である王の種族。その中に Damaghoṣa と Śiśupāla がいた。
cola-s Coromandel 海岸の下手の部分の住民。彼らにちなんで Colamaṇḍala と呼ばれる。
cyavana 老いて Aśvin たちによって若さを取り戻した名高い聖仙。この伝説は Śatapatha Brāhmaṇa に詳しく語られ、Muir によって OST, Vol. V, p. 250 に訳されている。Mahābhārata に語られる物語の要旨は、Muir によって次のように与えられている。「そこには次のように語られている。Cyavana の身体は、ある場所で苦行を行っている間に蟻塚に覆われてしまった。そこへ王 Śaryāti が四千人の妻と一人娘 Sukanyā を伴って来た。ṛṣi は彼女を見て恋し、その愛情を得ようと努めたが、彼女から何の返事も引き出せなかった。しかし王女は、蟻塚から聖仙の眼が光っているのを見て、それが何であるかを知らずに、鋭い道具でそれを突き刺した。すると Cyavana は激怒し、王の軍勢に尿とその他の必要な機能の閉塞を負わせた。王がその災いの原因を突き止め、ṛṣi にその除去を懇願すると、後者は、赦しの唯一の条件として王の娘を妻として受けることを主張した。そこで Sukanyā は ṛṣi の妻として彼とともに暮らした。しかしある日、彼女は Aśvin たちに見られた。彼らは彼女に老いさらばえた夫を捨て、代わりに自分たちの一人を選ぶよう説得しようとしたが、効果はなかった。そこで彼らは、自分たちは神々の医師であり、彼女の夫に若さと美しさを取り戻させようと言い、そのとき彼女は夫と自分たちの一人とのいずれかを選ぶことができると言った。Cyavana とその妻はこの申し出に同意した。Aśvin たちの勧めに従い、彼は彼らとともに近くの池に入った。すると三者は同じ天上の美しさをもって出て来て、それぞれが彼女に自分の花嫁になってくれるよう求めた。しかし彼女は自分の夫を見分けて選んだ。Cyavana は若さを取り戻したことへの感謝から、Aśvin たちを Soma の祭儀にあずからせるよう Indra に強いることを申し出た。そして王 Śaryāti のために行った供犠の過程でその約束を果たした。その折、Indra は、Aśvin たちは医師として人間の間をさまよい、意のままに姿を変えるという理由で、そのような栄誉が彼らに及ぼされることに異を唱えた。しかし Cyavana はその異議に耳を貸すことを拒み、自らの意図を実行した。雷電を放とうとする Indra の腕を止め、恐ろしい悪鬼を造り出した。その悪鬼は神々の王を呑み込もうとしたが、後者が折よく屈服したことによってのみ防がれた。」— Vol. V, p. 254.[Supplement より→]Brahmā の子 Bhṛgu とその妻 Pulomā の子である。rākṣasa すなわち悪鬼が Pulomā を連れ去ろうとしたので、子は早産で生まれた。それゆえその名は「落ちる」を意味する cyu に由来する。生まれると、その光輝は母を辱めた者を灰に帰するほどであった。