Garrettインド古典辞典

k第一部 サンスクリット語・パーリ語の見出しkumbhakarṇa … kṛtānta-dutaru

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kumbhakarṇa Viśravas の子で Rāvaṇa の兄弟である rākṣasa。兄弟たちとともに森で育ち、ṛṣi を食べて回った。Brahmā が Rāvaṇa と Vibhīṣaṇa に恩恵を授け、Kumbhakarṇa にも一つを授けようとしたとき、神々が介入し、彼は ṛṣi と人間のほかに七人の apsaras と Indra の従者十人を食べたと言い、恩恵の装いのもとに彼に昏迷を負わせるよう懇願した。Brahmā は Sarasvatī を念じ、彼女は到着すると Brahmā の命によって Kumbhakarṇa の口に入り、彼に代わって語った。この影響のもとに、彼は多年眠るという恩恵を受けることを求め、それが彼に授けられた。— OST, Vol. IV, p. 416.

Rāmāyaṇa に与えられた Kumbhakarṇa の描写は、滑稽なまでに途方もなく誇張されている。Laṅkā の攻囲において Rāvaṇa が巨大な兄弟の助けを借りることに決めたとき、問題はいかにして彼を起こすかであった。彼は六か月続けて眠りに沈んでおり、その後ごく短い間だけ目覚めて莫大な量の食物を貪り食うのであった。使者たちは彼の部屋に入ろうとしたが、眠る怪物の深い呼吸が起こす風によって戸口から吹き飛ばされた。ついに激しい努力の後、彼らは無理に入り込んだ。そして一万の rākṣasa が太鼓を打つ等して彼の耳元であらゆる種類の騒音を立てた。それから彼らは槌で彼の四肢を叩き、彼の上で踊り、千頭の象に彼の身体の上を歩かせ、まさに鼻先に食物を山と積んだが、すべて効果はなかった。何人かの美しい女たちの触れることのほかに効くものはなく、彼女たちがついに彼を起こすことに成功した。Kumbhakarṇa は戦いに出ることを承知し、並外れた武勇を示して、猿の軍の幾千を敗走させ、傷つけ、さらには貪り食ったが、最後には Rāma に打ち負かされ殺された。Kumbhakarṇa の姿は、村で演じられる Laṅkā 攻囲の劇において好まれるものであり、一般に眠っている姿で示される。— IEP.

kuru

1. Agnīdhra の息子の一人。父は彼に、Śveta 山脈の北で Śṛṅgavan 山脈に限られる地方を与えた。2. Saṃvaraṇa の子である古の王で、Kurukṣetra 地区にその名を与えた。彼は Kuru と Pāṇḍava の祖父 Vicitravīrya の祖先であった。Kuru は一般に、Duryodhana とその兄弟たちに呼称を与えた王子であると考えられている。彼らはそれゆえ Kaurava と呼ばれ、Pāṇḍava と称される従兄弟の Pāṇḍu の息子たちと対置される。Kuru は両者の遠い祖先である。しかし Mahābhārata は異なる記述を与えており、Kaurava の語を、Duryodhana の家系に服していた国、Kurujāṅgala すなわち Kurukṣetra から導き出している(LASSEN, Ind. Alt., I, p. 593)。それは Delhi あるいは Panipat の彼方の Panjāb の上部であり、今なお Hindu によって一般に Kurukhetr と呼ばれている。王子 Kuru は、Soma すなわち月の曾孫 Nahuṣa から、その孫 Puru を通じて出た。Kuru の十三代目の子孫は Śāntanu であり、彼には四人の息子、Bhīṣma、Citrāṅgada、Vicitravīrya、Vyāsa があった。このうち Bhīṣma と Vyāsa は結婚せずに生き、他の二人は子なくして死んだ。そこで家系の断絶を防ぐために、古代 Hindu 法に従って、Vyāsa は兄弟の寡婦たちによって子をもうけた。その息子たちが Dhṛtarāṣṭra と Pāṇḍu であり、彼らが Kaurava と Pāṇḍava の二つの家系の創始者となった。— WILSON, Works, Vol. III, p. 290.

kuru-s きわめて古い民族。Viṣṇu Purāṇa が彼らは Bhārata の中部地域に住んでいたと言うように、もとは中央および北アジアに位置していたらしい。彼らはおそらく Ārya とともにインドに入ったか、あるいはその大種族の一部族であり、Kurukṣetra に定住した。この意味では、この名は Kuru と Pāṇḍava の両方に適用される。それゆえ Arjuna は Kuru の最良の者と呼ばれる。その特定かつ排他的な意味においては、この名は Duryodhana に従い Pāṇḍava に対立した党派にのみ与えられる。両方の名は叙事詩期に属する。

kurukṣetra Kuru の平原。Yamunā すなわち Jumna 河の東[ママ]、Doab の上部、Delhi の都と Sarasvatī 河の近くにある土地の区域。Hastināpura がその首都であった。

「Sarasvatī(Sursooty)は、Yamunā と Śatadru の間の Sirhind を流れる取るに足りない流れである。それは最後には砂漠の砂の中に消え、そのため Hindu によって地下を流れて大洋に至ると伝えられている。しかしそれはインドの最も神聖な流れの一つとみなされている。Lassen は Doab をインドの Belgium と呼んでいる。それは半島の門口であり、そこで東と西の種族がつねに戦いにおいて相まみえてきた。ここで後代に Panipat の戦いが戦われた。そしてここに、中インドの主権を Kuru から Pāṇḍava へと移したあの戦争の舞台が置かれた。それはインドの門であったように、おそらくその聖なる名も、そこが Ārya 種族の最初の座であり、そこから Indus から Ganges へと進んでいったこと、そして祖国にふさわしいあらゆる敬意をもって彼らの記憶に保たれていたことに由来する。」— J. C. THOMSON.

kuruvatsa Jyāmagha の子孫 Anavaratha の子である王子。

kuruvarṇaka-s Doab の上部の森の原住民。

kulattha-s 原住の山岳部族。Viṣṇu Purāṇa において「猛々しく未開な種族」と記述される。

kuladevatā(家門神) 世襲の、家門の崇拝の対象である神格。つねに Śiva、Viṣṇu、Durgā のような Hindu 神話の主要な人物の一人である。いかなる家も守護神をもたないことはないと考えられているが、この性格に付された観念は今ではきわめて不正確である。

kulaparvata-s 中央インドの山脈。時に家門の山すなわち山系と称され、Mahendra、Malaya、Ṛkṣa、Vindhya 等の項に記述される種々の連山を含む。

kulinda-s, kulindopalyaka-s, kulūta-s VP に列挙される部族。ただし同定されていない。

kuvalayāśva Bṛhadaśva の子。この王子は Viṣṇu の霊を吹き込まれ、敬虔な聖仙 Uttaṅka を悩ませていた asura Dhundhu を滅ぼした。それゆえ彼は Dhundhumāra と称された。悪鬼との戦いにおいて、彼には二万一千人にのぼる息子たちが付き従ったが、わずか三人を除いて、これらすべては Dhundhu の燃える息に焼き尽くされて戦闘で滅んだ。この伝説はおそらく何らかの地震あるいは火山に起源をもつ。— VP.

kuśa

1. 供犠の草。神々への供物の機会に、その先端を東に向けて、神々の座として地面に置かれる。2. 四番目の大きな島状大陸すなわち dvīpa の名。そこに生える kuśa 草(Poa)の茂みにちなんで名づけられた。そこには人類が daitya と dānava、ならびに天の霊と神々とともに住む。

kuśa

1. Rāma の子。「Kuśa と Lava は Rāma と Sītā の双子の息子であり、Rāma が Sītā を離縁した後に生まれ、Vālmīki の庵で育てられた。彼らは最初の吟遊詩人であったので、合わせた名 Kuśīlava は今日に至るまで詩の朗誦者すなわち即興詩人を意味する。」(GRIFFITHS)Kuśa は Vindhya の額に Kosala の首都 Kuśasthalī を建てた。Raghuvaṃśa は Kuśa が父の死後 Kuśavatī から Ayodhyā に帰ったと描いている。しかし月の家系の Doab の王子たちの拡大する権力が、Rāma の子孫をより西と南へ退かせたのではないかと思われる。2. Purūravas の子孫 Valakāśva の子。

kuśadhvaja ṛṣi で、Vedavatī の父。daitya の王 Śambhu に殺された。

kuśadhvaja Videha の王 Janaka の弟。

kuśadhvaja 叙事詩期の Kāśī の王。Viṣṇu Purāṇa によれば Sīradhvaja の兄弟であり、Bhāgavata によればその子である。

kuśanābha Kuśa の次男で、彼もまた Kauśāmbī の建設に参加した。

kuśasthalī

1. Ānarta の首都。Ānarta は Guzerat の Kutch の一部であった。それは Dvārakā と同じものであったか、あるいは同じ場所にあったらしい。Viṣṇu Purāṇa は言う。「かつて汝の首都であり、不死なる者たちの都と張り合ったかの都 Kuśasthalī は、今では Dvārakā として知られている。そしてそこには Baladeva の姿において Viṣṇu の一部が君臨している」等。2. Vindhya の額に Kuśa によって建てられた都(kuśa の項を参照)。

kuśāgra Bṛhadratha の子で、Kurukṣetra の古の王の一人。

kuśāmba

1. Bṛhadratha の兄弟で、Kuśāgra の叔父。2. Kuśa の長子で、Kauśāmbī の創建者。Kauśāmbī は後の Kanauj[ママ]である。

kuśika Brahma と Harivaṃśa によれば、Indra の化身 Gādhi の父。

kusīdī Pauṣyiñji の弟子で、Sāmaveda の教師。

kusumāyudha Hindu の Cupid、Kāmadeva の名。この語は「その武器が花である者」を意味する。— OST, Vol. I, p. 112.

kuhū

1. Aṅgirasa の娘。その名は月の欠けていく最後の日を意味する。Aṅgirasa の四人の娘は月の相を表した。2. Himālaya の河の名。

kuhū 月が第一と第二の四分期にあるときの日の女神[ママ]。

kūrma or tortoise avatāra(亀の化身) Viṣṇu の十の avatāra の第二。伝説によれば、きわめて遠い昔、神々がその力の弱まるのを感じ、不死の飲み物である amṛta(その項を参照)を得ることを望んだとき、Viṣṇu は彼らに、悪鬼とともに乳海を攪拌するよう指示した。Mandara 山を攪拌棒とし、彼の蛇 Vāsuki を綱とし、神々は蛇の尾に、悪鬼は頭に立つ。一方彼自身は巨大な亀の姿をとった後、背に山を支えることを承知した。この乳海攪拌の結果は、amṛta の最終的な回収のほかに、種々の奇蹟的なものの出現であった。しかしそれはまた神々と悪鬼との間の激しい争いをも招き、その中で後者は敗れた。創造の主が亀の姿をとるという観念、および供犠の液体、とりわけ澄ましバターが亀の形になるという観念(亀を表す語 kūrma は字義どおりには「悪く、あるいはゆっくり行く」を意味する)は Yajurveda にも現れる。しかし Viṣṇu の亀の avatāra の基礎となる伝説は、まったく Hindu 教の Veda 以後の時代に属するようである。

kūrma purāṇa 亀の姿をとった Janārdana が、地下の領域において、Indradyumna および Śakra の近くの ṛṣi たちとの交わりのうちに、人生の目的 ── 義務、富、快楽、解脱 ── を説いた Purāṇa。Lakṣmī kalpa に言及し、一万七千の詩節を含む。— VP.

kūṣmāṇḍa-s Viṣṇu Purāṇa その他の Purāṇa に言及される神々の一部類。子供の Dhruva が天の領域を驚かせた厳しい苦行を始めたとき、その敬虔な修行をいかに妨げるかについて Indra と相談するものとして描かれている。

kṛkana, or kṛmi Bhajamāna Kṛmi[ママ]の子。また Aṇu の子孫 Uśīnara の子の名でもある。

kṛta 第一の yuga すなわち時代。次のように四千八百の神の年から成る。

Kṛta yuga4000
Sandhyā400
Sandhyāṃśa400
計4800

これらの神の年を、人間の一年が神々の一日であるので360を掛けて人間の年に換算すると、Hindu の書物によれば kṛta yuga の存続期間である百七十二万八千(1,728,000)の普通の年が得られる。

kṛta

1. Mithilā の王 Kṛtaratha の子である王子。2. Sannatimat の子。Hiraṇyanābha は彼に Yoga の哲学を教え、彼は Sāmaveda を学ぶ東方の brāhmaṇa のために二十四の Saṃhitā を編纂した。

kṛtaka

1. Vasudeva とその妻 Madirā の息子の一人。2. Magadha の王の一人。

kṛtañjaya

1. 第十七の dvāpara の Vyāsa。2. Ikṣvāku の家系に属する Dharman の子である王子。

kṛtadhvaja Dharmadhvaja の子。Viṣṇu Purāṇa は彼について、つねに存在する至高の霊に心を傾ける王であったと言う。

kṛtamālā Malaya 丘陵に源を発する河。

kṛtaratha Mithilā の王の一人で、Pratibhāndaka の子。

kṛtavarman 大戦の終わりに生き残った Kaurava 側の三人の戦士の一人。三人は Kurukṣetra の平原で傷ついた Duryodhana を訪ねた。彼は最後に Prabhāsa で Sātyaki に殺された。

kṛtāgni, kṛtavarman, kṛtavīrya Yādava 種族の Dhanaka の息子である三人の王子。

kṛtānta 破壊者。Hindu の Pluto である Yama の名。

kṛtānta-dutaru Yama の役人たち。しばしば恐ろしい姿で死にゆく者の寝床の上に漂い、去りゆく霊を pātāla へ運び去るものとして表される。

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