yedillian Ladurlad の妻。Southey が Kehama の恐ろしい呪いを負わせるのは後者に対してである。Ladurlad はこの時寡夫であったが、その愛する娘 Kaliyal が奇蹟的に彼のもとに保たれ、Southey の詩によく描かれているその放浪と苦難の只中で彼にいくらかの慰めを与えた。ついに Ganges の地上への降下によって父と娘が Meru 山へ逃れ、Kehama の呪いの影響の及ばない安息の地を見出すことができたとき、そのとき長く失われていた Yedillian がこの至福の園の彼のもとに戻り、彼の幸福を完成させる。その場面はきわめて感動的に描かれているので、その一節全体を引用してよかろう。
ここに三つの幸福なる存在あり、
父と、乙女と、Glendoveer と。
第四の者が近づく……至福の園に
入り来るこの者は誰ぞ。
人の娘らの中に、画家が
かくも麗しき姿を見出すことはなかりき。
死がその美しさを浄め、
天の元素より形づくられし
姿を彼女に与えたればなり。
完全なる心の清らかなる住処として。
彼女は立ちて父と子とを見つめぬ。
その舌はなお語る力をもたず、
涙はその頬を流れ落ちぬ。
そしてその涙がその視界を欺き、
なおその震える言葉が途切るるとき、
霊は黙して動かず、
愛撫を求めてその腕を広げぬ、
愛と痛ましき幸福との
過剰によりて静かに黙して。
乙女はかの愛らしき姿を見渡しぬ。
物思わしげに見つめ、彼女をそれと知らざりき。
されど自然はその心に
突然の戦慄を、驚くべき思いを、
多年忘れられし感情を伝えぬ。
今や夢のごとく新たに甦りて、
あたかも再びあらゆる血管に
母の乳の動き出すがごとく。
首を伸ばし、熱き眼もて、
彼女は懇願するがごとく手を差し伸べぬ。
彼女を近くに置かんと願うがごとく、
されど望みし抱擁に会うことを恐れ、
愛と畏れとに一度に圧されて。
Ladurlad は然らず。天使の優美に
明るまされたれど、彼は
己が Yedillian の地上の顔を辿り得たり。
彼は走り寄りて彼女をその胸に抱きぬ。
おお天のすべての喜びに優る喜び、
死によりてのみ他の者に与えらるるものよ、
この瞬間は彼に返しぬ、
早くに失われ、長く嘆かれし者を。
愛は死にうると告ぐる者は罪を犯す。
命とともに他のすべての情念は飛び去る。
他のすべては虚栄にすぎず。
天には野心は住み得ず、
地獄の穴蔵には貪欲も住み得ず。
地のこれらの情念は地のものにして、
その生まれしところにて滅ぶ。
されど愛は滅ぼし得ず。
その聖なる炎は永遠に燃え、
天より来たり、天へと帰る。
地にてはしばしば悩める客にして、
時に欺かれ、時に虐げられ、
ここにて試され浄められ、
それより天にてその完全なる安息を得る。
そはここにて労苦と心配もて種を播く。
されど愛の収穫の時はかしこにあり。
おお、母が高きところにて、
幼くして失いしその嬰児に会うとき、
そのとき彼女は、苦痛と恐れのために、
悲嘆の日と眠らぬ夜のために、
そのすべての悲しみ、すべての涙のために、
余りある喜びの償いを得ざるや。