研究資料梵漢對照新譯法華經文學博士 南條文雄 泉芳 共譯 方便品第二 其時世尊、念と慧とを以て、彼定より起立して、具壽なる舍利子に告げて曰く。『舍利子よ、諸如來應供正等覺者の證入したる佛智は深し、入り難く解し難し、一切の聲聞獨覺の曉了し難き所なり。舍利子よ、其故は、諸如來應供正等覺者は實に百千倶那由他の諸佛に親近し、無上正等覺に於て百千倶那由他の諸佛の善行を行じ、精進の所作は遠くきこゆ、竒異未曾有の法を具し、曉了し難き法を具し、曉了し難き法を領納すればなり。舍利子よ、諸如來應供正等覺者の密意説は曉了し難きなり。其故は、彼等は種々の善行方便と智見と因縁と根本理想と言説と施設とを以て、各自縁起の諸法を詮顯し、此等の善行方便を以て、彼等に著する諸有情を度脱せしめんとすればなり。舍利子よ、諸如來應供正等覺者は大善功方便と智見との最勝なる成滿を得たり。舍利子よ、彼等諸如來應供正等覺者は無著無礙なる智見と(十)力と(四)無畏と(十八)不共法と(五)根と(五)力と(七)覺支と(四)靜慮と(八)解脱と等持と等至との未曾有法を具し、種々の法を詮顯し、大なる竒異未曾有法を得たり。舍利子よ、所説をしてかくのごとくならしむれば足れり、舍利子よ、諸如來應供正等覺者は最勝なる未曾有法を得たりと。舍利子よ、唯如來のみ如來の法を教ふることを得るなり、如來は諸法を知る、舍利子よ、唯如來のみ一切法を教へ、唯如來のみ一切法をも知れり、諸法は何んぞや、諸法は云何んぞや、諸法は何の如きや、諸法は如何なる相ありや、諸法は如何なる自性ありや。諸法は云何んぞや、何の如きや、如何なる相ありや、如何なる相ありや、如何なる自性ありやと此等の諸法に於て唯如來のみ現在の守護者なり。』 其時世尊尚廣く此義を示しつゝ伽陀を説て曰く。 (1)大勇健者は無量なり 天と人との世に於て、 一切有情は諸導師を 全く知ること不能なり。 (2)彼等の力と解脱をも かくのごときの無所畏をも、 かくのごときの佛法も 誰も知ること不能なり。 (3)倶の諸佛のみもとにて 過去に行をぞ行じける、 甚深にして微妙なり 曉るもみるもみなかたし。 (4)不可思議倶の劫をへて その行業を行じてぞ、 われこの菩提道場にて かくのごときの果を得たる。 (5)それはいかにぞいか樣ぞ またその相はいかなるぞ、 われこのことをよく知れり 他の世導師もまたおなじ。 (6)それを示すはいとかたし それのはなしも知れぬなり、 かくのごときの人もまた 一切世間にあらぬなり。 (7)信心領解堅固なる 菩薩に非ざる人ならば、 この法は彼に説かれるとも いかでか所説を知り得べき。 (8)世間解者の諸聲聞 善逝のほむる成行者、 最後身なる漏盡者も 時那の智慧には及ばれず。 (9)たとひ一切の世界に 舍利子の如きみちみちて、 一致して思ひ量るとも 善逝の智は知りがたし。 (10)仁者の如き賢人の たとひ十方にみちみちて、 または其他の諸聲聞 おなじくそれに充滿し。 (11)一切彼等一致して 善逝の智をはかるとも、 わが無量の佛智をば 了知すること不能なり。 (12)無漏清淨の獨覺者 最後身なる利根者は、 葦と林の竹のごと 一切十方に充滿し。 (13)無漏倶那由他劫 わが無上法の一分を、 一致して思ひ量るとも 實義を知ることなかりけり。 (14)新乘發趣の諸菩薩 倶の諸佛を供養して、 またも十方に充滿し よく義を求め説法し。 (15)常時に葦と竹のごと たへず世界に充滿し、 善逝の説けるみのりをば 一致して思ひ量るべし。 (16)倶多劫に思量して 恆沙の如く無量なり、 他なき心と妙智にて また其境界にあらぬなり。 (17)不退轉位の諸菩薩も 恆沙のごとく無量なり、 他なき心にはかるとも また其境界にあらぬなり。 (18)佛法甚深微妙なり 無漏清淨不思議なり、 十方世界の諸時那も われと同じくこれを知る。 (19)舍利子よ、善逝の説けるをば 信解心もて求むべし、 時那大仙は實語者なり 久しく最上義を説けるなり。 (20)一切これらの聲聞と 獨覺を求むる諸人と、 我れの滅度に安立し 苦縛を脱せし者に告ぐ。 (21)これわが無上の善行方便なり 世界に久しく説法す、 處々の著者を度せんとて 三乘教をぞ宣説する。 其時其會中の諸大聲聞、了本際を上首とせる、漏盡にして自制力ある、千二百の諸阿羅漢と、其他の聲聞乘の比丘、比丘尼、清信士、清信女と獨覺乘に發趣せる者は、一切此念を作せり。『今何の因、何の縁ありて、世尊は極めて諸如來の善行方便を稱歎したまふや、我が證得する此法は甚深なりと稱歎したまふや、一切の聲聞獨覺の解し難き所なりと稱歎したまふや。由來世尊は唯一の解脱を説きたまひしが故に、我等も亦佛の法を得て、滅度を得たるなり。然るに我等、世尊の此所説の義を知ることなし』と。 其時具壽なる舍利子、其四衆の疑惑を知り、自心を以て他の心疑を推知し、且つ自身も法疑を懷きて、其時世尊に問ふて曰く。『世尊よ、何の因、何の縁ありて、世尊は反復して諸如來の善行方便、智見説法を稱歎したまふや、我が證得する法は甚深なり、密意説は難解なりと、反復して稱歎したまふや。我は未だ曾て世尊よりかくの如き法門を聞かざるなり。世尊よ、此四會は疑惑を懷けり、故に願はくば世尊如來が反復して如來の深法の稱歎を爲したまへる所の密意を宣説したまへ』と。 其時具壽なる舍利子は此等の伽陀を説て曰く。 (22)人中の日は今遂に かくの如きの説をなす、 力と解脱と靜慮との 無量を我は得たりきと。 (23)道場を宣説なしたまふ 仁者に問ふ者さらになし、 密意を宣説なしたまふ 誰も仁者に問はぬなり。 (24)問ふ者なきに説きたまひ 自身の行をほめたまふ、 智徳を宣説したまひて 甚深の法を説きたまふ。 (25)今日我等疑情あり 自制力あり漏盡にて、 滅度を求むる人逹も いかに時那かく説けるぞと。 (26)獨覺求むる人もまた 比丘も比丘尼もみなともに、 諸天諸龍も諸藥叉も 諸乾逹婆も摩羅伽も。 (27)兩足尊を瞻仰し 互いに語り合ひにけり、 また疑惑をも懷くなり 大牟尼これを説きたまへ。 (28)こゝに一切善逝の 諸聲聞はあつまれり、 我は成滿を得たるぞと 最上仙はのたまへり。 (29)最上人よ、我が位置に なほまた我の疑惑あり、 我に示せる諸行は 滅度を究竟し得べきかと。 (30)微妙鼓音よ、發聲し 如實に法を説きたまへ、 時那の正子はこゝに立ち 合掌して時那を瞻仰す。 (31)天 龍 夜叉 羅刹婆 千億恆沙の如くなり、 萬八十千こゝに立ち 無上菩提を求むなり。 (32)諸王 地王 轉輪王 千億土より來りてぞ、 いかに所行を具せんぞと 合掌恭敬して立ちにける。 是の如く言はれたる時、世尊、具壽なる舍利子に告げて曰く。『足れり、舍利子よ、何ん ぞ此義を説くを用ひんや、其故は舍利子よ、若し此義の説かるゝ時は、此天をも含有せる世間は驚愕すべげればなり』。 具壽なる舍利子再び世尊に請ふて曰く。『願くば世尊、願くば善逝、此義を説きたまへ、其故は、世尊よ、此會中に、過去の諸佛を拜見し、智慧ありて、世尊の所説を信樂し奉行し受持すべき數百、數千、數百千、數百千倶那由他の有情あればなり』。 其時舍利子伽陀を以て世尊に白して曰く。 (33)最上時那よ、明示せよ この會は數千の有情あり、 善逝を信愛敬重し 所説の法を了知せむ。 其時世尊亦再び舍利子に告げて曰く。『足れり、舍利子よ、此義を説くを用ひんや、舍利子よ、若し此義の説かるゝ時は、此天をも含有せる世間は驚愕し、而して増上慢なる諸比丘は大なる過誤に墜落すべければなり』。 其時世尊伽陀を説て曰く。 (34)説法すべしと言ふ勿れ この智は微妙難思なり、 増上慢の愚者多し 説く法を知らず譏るなり。 具壽なる舍利子三たび世尊に請ふて曰く。『願くば世尊、願くば善逝、此義を説きたまへ、世尊よ、此會中に、我と等しき數百の有情あり、又其他の數百、數千、數百千、數百千倶那由他の有情あり、彼等は已に前生に於て教化せられたり、故に當に世尊の所説を信樂し奉行し受持すべきなり其(法)は長夜に彼等の利益安樂の爲めなるべければなり』と。 其時具壽なる舍利子伽陀を説て曰く。 (35)兩足尊よ、法を説きたまへ 長子たる我は仁者に請ふ、 こゝに千億の有情あり 所説の法を信ずべし。 (36)前の世常に仁者より 有情は長夜に教へらる、 みな合掌してこゝに立ち 仁者の法を信ずべし。 (37)我と等しき千二百 其他求道の者もあり、 善逝此を見、説きたまへ 大歡喜をば生ずべし。 其時世尊、三たび舍利子の請へることを見て、具壽なる舍利子に告げて曰く。『舍利子よ、今汝は三たびまでも如來に請へり、舍利子よ、我は是の如く請へる汝に答ふべし。故に舍利子よ、聽け、善く正に思念せよ、我汝の爲めに説くべし』。 世尊此語を説き給ひし時、五千の増上慢なる比丘、比丘尼、清信士、清信女は、其座より起ち、頭を以て世尊の兩足を禮して、其會より去りにき。即ち是れ増上慢なる善根に由て未得を得と思ひ、未證を證と思ひ、自身を梵天と倶なりと信じて、此會より去りたり、而して世尊は默然として住せしめ給ひき。 其時世尊具壽なる舍利子に告げて曰く。『舍利子よ、我が會は糠なく、廢物なく、眞實に於て安立せり。舍利子よ、此等の増上慢者の過去は佳なりとす、故に舍利子よ、我此義を説くべし』『然り世尊よ』と、具壽なる舍利子は世尊に對へき。 世尊曰く。『舍利子よ、如來、時ありて時に是の如き法教を説けり。舍利子よ、譬へば靈瑞(Udumbara)華の時ありて時に現ずるが如く、是の如く、舍利子よ、如來も亦時ありて時に是の如き法教を説けり。舍利子よ、我を信ぜよ、我は眞語者なり、我は如語者なり、我は無異語者なり。舍利子よ、如來の密意説は解了し難きなり。其故は、舍利子よ、種々の言説、顯示、解説、圖解なる、多百千の善行方便を以て我は法を説けばなり。舍利子よ、妙法は超理なり、理解の境に非ず、如來の分別するのみなり。其故は、舍利子よ、如來應供正等覺者は、一の目的、一の所作、大目的、大所作を以て世に出現すればなり。舍利子よ、如來應供正等覺者が其目的を以て世に出現する所の、如來の一の目的、一の所作、大目的、大所作とは何ぞや。曰く諸有情をして如來の智見に安立せしめんが爲の故に如來應供正等覺者は世に出現せり。諸有情をして如來の智見を示さんが爲めの故に、如來應供正等覺者は世に出現せり。諸有情をして如來の智見に入らしめんが爲めの故にち如來應供正等覺者は世に出現せり。諸有情をして如來の智見道[#底本は「知見道」]に入らしめんが爲めの故に如來應供正等覺者は世に出現せり。舍利子よ、此は如來の世に出現せる一の目的、一の所作、大目的、一の意見なり。舍利子よ、是の如く實に如來は是を如來の一の目的、一の所作、大目的、大所作と爲すなり。其故は舍利子よ、我は實に如來の智見に安立せしむる者なり。舍利子よ、我は實に如來の智見を示す者なり。舍利子よ、我は實に如來の智見を悟らしむるものなり。舍利子よ、我は實に如來の智見道に入らしむる者なればなり。舍利子よ、我は唯一乘を以て始めとして諸有情に法を説けり、即ち是れ佛乘なり、舍利子よ、或る第二、或は第三の乘は在ること無し。舍利子よ、此れは一切十方世界に於ての法性なり。 『舍利子よ、過去の十方無量無數の世界に在せし所の彼如來應供正等覺者も亦群生の利益安樂の爲め、世間の哀愍の爲め、生類の大衆の義利の爲め、諸天と諸人との利益安樂の爲めに、種々の信解と性質の偏向ある諸有情の志樂を知りて、種々の指示と顯示と、種々の因縁と、根本思想と、言説との善行方便を以て、法を時たまひき。舍利子よ、彼一切諸佛世尊も亦一乘を以て始めとして、諸有情に法を説きたまひき、即ち是れ佛乘なり、一切智を究竟とす。即ち是れ有情をして同じく如來の智見に安立せしめ、如來の智見を示し、如來の智見に入らしめ、如來の智見を悟らしめ、如來の智見道に入らしめんが爲めに、法を説きたまひき。舍利子よ、此過去の諸如來應供正等覺者より妙法を聞きたる所の彼諸有情も亦皆無上なる正等覺を得たりき。 『舍利子よ、未來の時、十方無量無數の世界に住すべき所の彼諸如來應供正等覺者も亦群生の利益安樂の爲め、世間の哀愍の爲め、生類の大衆の義利の爲め、諸天と諸人との利益安樂の爲めに、種々の信解と、性質の偏向ある諸有情の志樂を知りて、種々の指示と、顯示と種々の因縁と、根本思想と、言語との善行方便を以て、法を説きたまふべし。舍利子よ、彼一切諸佛世尊も亦一乘を以て始めとして、諸有情に法を説きたまふべし、即ち是れ佛乘なり、一切智を究竟とす、即ち是れ諸有情をして同じく如來の智見に入らしめ、如來の智見を悟らしめ、如來の智見道に入らしめんが爲めに法を説きたまふべし。舍利子よ、此未來の諸如來應供正等覺者より正法を聞くべき所の彼諸有情も亦皆無上なる正等覺を得るなるべし。 『舍利子よ、今現在の時、十方無量無數の世界に住し、留まり其身を持ち、法を説きたまふ所の彼諸如來應供正等覺者も亦群生の利益安樂の爲め、世間の哀愍の爲め生類の大衆の義利の爲め、諸天と諸人との利益安樂の爲めに、種々の信解と性質の偏向ある諸有情の志樂を知りて、種々の指示と、顯示と種々の因縁と、根本思想と、言説との善行方便を以て、法を説きたまふ。舍利子よ、彼一切諸佛世尊も亦唯一乘を以て始めとして、諸有情に法を説きたまふ、即ち是れ佛乘なり、一切智を究竟とす、即ち是れ諸有情をして同じく如來の智見に安住せしめ如來の智見を示し、如來の智見に入らしめ、如來の智見を悟らしめ、如來の智見道に入らしめんが爲めに法を説きたまふ。舍利子よ、此現在の諸如來應供正等覺者より此法を聞く所の彼諸有情も亦無上なる正等覺を得るなるべし。 『舍利子よ、今我れ如來應供正等覺者も亦群生の利益安樂の爲め、世間の哀愍の爲め、生類の大衆の義利の爲め、諸天と諸人との利益安樂の爲めに、種々の信解と、性質の偏向ある諸有情の志樂を知りて、種々の指示と顯示と種々の因縁と根本思想と、言説との善行方便を以て法を説けり。舍利子よ、我も亦唯一乘を以て始めとして、諸有情に法を説けり、即ち是れ佛乘なり、一切智を究竟とす、即ち是れ諸有情をして同じく如來の智見に安住せしめ、如來の智見を示し、如來の智見に入らしめ、如來の智見を悟らしめ、如來の智見道に入らしめんが爲めに、法を説けり。舍利子よ、今我より此法を聞く所の彼諸有情も亦皆無上なる正等覺を得るなるべし。是故に舍利子よ、當さに知るべし、十方世界に於て第二乘の施設する尚有ることなし、何に况んや第三をやと。 『然れども又舍利子よ、諸如來應供正等覺者が、或は劫濁、或は有情濁、或は煩惱、或は見濁、或は命濁の中に興出したまひ、舍利子よ、是の如き劫亂濁の中、諸有情は垢重、慳貪、善根薄少なる時は、舍利子よ、諸如來應供正等覺者は善行方便を以て、三乘の稱呼に由りて、彼唯一乘を顯示したまふなり。舍利子よ、今此活動作なる、如來の佛乘に安立せしめたまふことを聞かず、入らず、悟らざる所の彼聲聞、應供、或は獨覺は、舍利子よ、如來の聲聞とも、應供とも、獨覺とも、認識すべからざるなり。 『然れども又舍利子よ、若し比丘或は比丘尼ありて、應供性を得たりとし、無上なる正等覺に發願せずして、我は佛乘より斷除せらると言ひ、乃至滅度に至る我が出現の最後身なりと言ふならば、舍利子よ、彼を増上慢の人なりと知れ。其故は、舍利子よ、若し比丘ありて、無漏の應供にして、其處《ことはり》なければなり、唯如來滅度の時を除く。其故は、舍利子よ、如來滅度の其時分に於て、是の如き經典を或は持ち或は示す所の諸聲聞あるべからざればなり。又舍利子よ、他の諸如來應供正等覺者に於て彼等は疑を除くべし。舍利子よ、此諸佛の法に於て彼等は我を信解受持せよ。其故は、舍利子よ、諸如來の妄語は在ること無ければなり、舍利子よ、唯此一乘のみ、即ち是れ佛乘なり』。 其時世尊尚廣く此義を示しつゝ伽陀を説て曰く。 (38)増上慢を得たるひと 比丘と比丘尼と清信士、 清信女も亦不信にて その數全く五千なり。 (39)このあやまちをながめつゝ 學にはもとより缺漏あり、 おほくの瑕疵をまもりてぞ 小智のものは去りにける。 (40)會中の奸詐なりと知り また廢物と世主はいふ、 この法門を聞き得べき 善は彼等にさらになし。 (41)清淨にして殼皮なく 我が會はいまや發趣せり、 一切無實をはなれてぞ その眞實に住しける。 (42)舍利子我れよりこれを聞け 最上人はいかに法を知る、 種々に善行方便し 諸佛導師は説きたまふ。 (43)この土の倶の有情等の 心行種々の信解あり、 彼等の種々の作業と 其宿善をも知れるなり。 (44)種々の言説諸縁もて 彼等に此を得しむなり、 我亦因と諸譬喩もて かく群生を喜ばす。 (45)我れまた經と伽陀を説き 本事と本生と未曾有と、 種々の譬喩もて縁起をも 重頌と論議も説けるなり。 (46)小法を樂しむ無智者あり 倶の諸佛に奉事もせず、 流傳に著して苦しめり 彼等に滅度を示すなり。 (47)佛智を得しめん爲めにとて 自生者方便をなせるなり、 汝等佛に成るべしと 説きたることはさらになし。 (48)能者は時を待ちしなり 時を見て何に説かざらむ、 其時はまれに今得たり こゝに實證を我説かむ。 (49)我が此の九部の教法は 有情の利鈍によりて説く、 我れ此の方便を説き示し 惠與者の智に入らしめき。 (50)此の土につねに清淨なる 賢善可愛の佛子あり、 倶の諸佛に奉事せりき 方等經を爲めに説く。 (51)彼等は志樂の成滿と 清淨の相を具足せり、 汝等來世に慈愍なる 佛とならんと我は説く。 (52)聞きて一切喜べり 世首たる佛となるべしと、 彼等の行を我知りて 方等經を説けるなり。 (53)尊師の此等の聲聞も この無上法を聞きしかば、 一偈を聞くも受持するも 一切成道疑はず。 (54)世間には唯一乘あり 第二第三さらになし、 種々なる乘を説くことは 人最上者の方便なり。 (55)佛智を説かん爲めにとて 世主は世間に出づるなり、 唯一事あり第二なし 諸佛は小乘にては濟度せず。 (56)自生者自身のあるところ かくのごときの智覺あり、 力定解脱根もあり そこに有情も安住す。 (57)我れ淨勝覺を得たるのち 一有情をも小乘に、 安住せしめば慳貪の 過失ありてぞ不可とする。 (58)我にはいかなる慳もなし 嫉欲染も我になし、 諸法の惡を斷除して 世間に知られて佛となる。 (59)一切世間を照らしつゝ 我は相もてかざりけり、 多百有情に敬せられ この法自性印を我れ説かむ。 (60)舍利子よ、我はかく思ふ いかむ群生もかくあらむ、 三十二相を持ちたる 世間解自生者自照せむ。 (61)我が見るごとく思ふごと 往古に分別せしごとし、 我がこの願は成滿し 佛の菩提を宣説す。 (62)舍利子よ、我れ若し有情等に 菩提に起欲を勸めなば、 一切無智者は迷亂し 我が善言を取らざらむ。 (63)前生に行を修せざりし 彼等をかくと我は知る、 欲に著して堅固なり 愛に迷ひて癡心あり。 (64)六趣の中に惱みつゝ 欲より惡趣に墮在せり、 かさねて胎形を増長し 小福にして苦に逼まらるゝ。 (65)有と無と如是と不如是との 邪見の林に常に入る、 六十二見を檢査して 不實有を取り安住す。 (66)改め難き慢虚飾 曲惡少聞愚癡にして、 千倶生のあひだにも 佛の妙音を聞かぬなり。 (67)舍利子よ我れは方便に 苦盡を作せと説けるなり、 苦惱の有情を觀見し また滅度をも示すなり。 (68)諸法はもとより寂然たり 常滅の性と我は説く、 所行を成ぜる佛の子は 未來世時那となりぬべし。 (69)三乘を開示することは 是れ我が善行方便なり、 諸導師の教はひとつにて 一乘すなはち一法なり。 (70)かく疑惑をば除き去れ 疑ふ者に知らしめよ、 世の導師は無異語者ぞ 此は一乘にして第二なし。 (71)過去の如來もましましき 多千の滅度の諸佛なり、 過去の世、無數の劫波にて その數さらに知れぬなり。 (72)これら一切の最上人 多百の因縁説明と、 善行方便を用ひてぞ 最淨法を説示する。 (73)みな一乘を示しけり ただ一乘を紹介し、 不思議千億の衆生を 一乘に於て熟せしむ。 (74)時那には種々の方便あり 信解樂欲を知了して、 天と世間に如來は 我が最上法を示しけり。 (75)一切、諸佛の現前に 法を聞くもの、聞きしもの、 施を布き戒を行じつゝ 忍にて諸行を成就せり。 (76)進と定とに成功し 智にて諸法を思量せり、 種々の福をば修してこそ 一切、覺を得たるなれ。 (77)彼等滅度の諸時那の 教に住する諸有情は、 忍と調意に導かれ 一切、覺を得たりけり。 (78)彼等滅度の諸時那の 遺形供養をなすものは、 黄金白銀水精の 多千の寶塔を起立せり。 (79)また緑玉と猫晴と 眞珠と最上の青玉と、 碧玉の塔を起立して 一切、覺を得たりけり。 (80)また石塔を作るあり または栴檀密香樹、 天木の塔を作るあり または餘材を輯めたり。 (81)瓦や土を輯めつゝ 喜び時那塔を起立せり、 または供養の爲めにとて 土墳を荒野に作るあり。 (82)小童處々に戲れて 沙の積聚を作りてぞ、 時那の塔となしにける 一切、覺を得たりけり。 (83)三十二相を具足せる 寶の像を作らしめ、 これを供へしものもあり 一切、覺を得たりけり。 (84)在るは七つの寶にて または赤銅黄銅の 善逝の像を作りにき 一切、覺を得たりけり。 (85)在るは鉛鐡泥土にて また漆灰にて美麗なる、 善逝の像を作りにき 一切、覺を得たりけり。 (86)畫()壁に像を作るあり 百福の相身に滿てり、 自畫もあり又他畫もあり 一切、覺を得たりけり。 (87)またもろもろの弟子ありて 遊び樂しみ木片と、 爪にて壁に像をかき 一切、覺を得たりけり。 (88)これらの人も子童も 一切彼等は慈悲ありて、 多くの菩薩を化してこそ 倶の衆生を救ふなれ。 (89)もろもろの如來の遺形に または塔にも土像にも、 壁の畫像と土塔にも 華香を供ふるものありき。 (90)またかく樂を奏せしむ 鼓と螺と美音の銅鼓あり、 銀銅の太鼓も響かされ 最上覺をぞ供養する。 (91)笛と鐃※[#「金+跋−足」]の響きあり 小鼓と蘆笛の聲樂し、 合奏はなはだ和らぎぬ 一切、覺を得たりけり。 (92)樂噐も彼等に奏せられ または水調また異調、 善逝の供養を顯はして 和雅なる歌は歌はれき。 (93)一切この世に成佛す 多種の遺形を禮拜し、 善逝の遺形に少分も 一の樂噐を奏しけり。 (94)一の華もて禮しつゝ 善逝の像を壁にかき、 散亂心もて禮するも 漸次に見ゆべし。 (95)彼等は塔に合掌し また具足して禮拜し、 唯一瞬間頭を擧げ またはひとたび身を屈す。 (96)散亂心のひとにても 遺形奉事の處にて、 ひとたび南無佛と稱ふれば 最上覺をぞ證得する。 (97)滅度とまたは現在の 彼諸善逝のその時に、 法の名のみ聞く諸有情は 一切、覺を得たりけり。 (98)未來多億の諸佛も不可思議にしてはかりなし、 かの最上世主時那等も この方便を説示せむ。 (99)彼等の世間の導師の 善行方便かぎりなし、 無漏の佛智にそれをもて 倶の衆生を化導せむ。 (100)ひとりの有情も法を聞き 佛と成らぬものはなし、 行じて覺に導くは それぞ如來の願なる。 (101)多千倶の法樂を 未來世に彼等は宣説し、 この一乘を示しつゝ 如來性にて説法せむ。 (102)法眼つねに相續し 法性つねに著るし、 佛兩足尊はこれを知り この一乘を説示せむ。 (103)法住とまた法の位と 世に動かざる常住と、 道場に覺を證得し 善行方便を説示せむ。 (104)十方人天の供養する 恆沙のごとき諸佛あり、 衆生安樂の爲めにとて 最上覺をぞ宣示する。 (105)善行方便明しつゝ 種々の乘をば示せども、 諸佛は最勝寂靜地を 一乘なりと宣説す。 (106)一切衆生の所行と またその志樂と過去の業、 精進勢力性癖を 知りてぞ彼等は示すなる。 (107)導師の智力は諸縁と 諸因と譬喩を示すなり、 有情の性癖を知り得てぞ 種々の言辭を示すなる。 (108)時那主導師の我も今 現在の有情を利せんとて、 種々千億の言辭もて この佛覺をば宣示する。 (109)種々の性欲を了知して 多種の法をば宣説し、 種々方便して喜ばす これ我が智慧の力なり。 (110)貧窮の有情を我は見る 智にも福にもはなれたり、 滅惡趣にぞ流傳して 苦の相續に沈沒する。 (111)犂牛の尾に愛着するがごと つねに欲もて失明し、 大勢の佛をも尋求せず 苦盡の法にも近づかず。 (112)六趣に默住の心もて 邪見に住して動くなし、 苦より苦に入る彼らには 我は大悲をおこすなり。 (113)我れ彼の菩提道場に 滿三七日安坐して、 かしこの樹をば觀見し この義を知りて思惟しき。 (114)樹王を見つめて觀察し その樹の下に經行す、 この智は未曾有最勝なり 有情は癡盲無智なりと。 (115)ときに梵天我に請ふ 釋羅もまたは四の護世も、 大自在また自在まで 千億の天衆みなしかり。 (116)恭敬合掌してみな立てり いかになさんと我れ思ふ、 我れもし覺を讚すとも 有情は苦中に沒在す。 (117)我が説く法を愚者は捨つ 捨てゝ惡地に赴かん、 むしろ我れより説かずして 今日寂滅我に有れ。 (118)かれらの善行方便と 過去の諸佛を念じつゝ、 否我れも亦佛覺を 三種の説もて説くべしと。 (119)かく我れこの法を思惟せり 十方の其他の諸佛は、 自身を我に現じてぞ 善哉の聲を擧げにける。 (120)善哉牟尼世勝導師 無上智をこゝに得たまひて、 世導師逹の巧方便 思惟してこそ説けるなれ。 (121)我等諸佛も妙語をば 三種となして宣説す、 劣性無智の諸人は 成佛すべしと信知せず。 (122)我等もろもろの縁をもて 善功方便用ひつゝ、 果を得ることを嗟嘆して 諸覺有情を選擇す。 (123)最上人の妙音を 聞きたる我は喜びき、 喜心、妙士にまふしける 大仙の勝語徒設なしと。 (124)かしこき世導師の言ふごとく 我れまたこれを行ずべし、 有情濁中に現在し おそるべき世に隨順す。 (125)舍利子よ、我は之を知り そのとき波羅奈斯に赴きて、 寂靜地法を方便し 五比丘の爲めに宣説す。 (126)我が法輪は轉ぜられ 滅度の音も世に出でき、 應供の名もまた法の名も 僧の名までもあらはれき。 (127)多年の間に我は説き 滅度の地をも示すなり、 これを流傳の苦盡とす 常時にしかく我れは説く。 (128)舍利子よ、我れはそのときに 兩足尊の多子を見る、 最勝覺に發趣しき その數千億無量なり。 (129)種々の善功方便の 諸時那の法を聞きしひと、 我れの所に來りてぞ 恭敬合掌してみな立ちき。 (130)そのとき我は思念せり 勝法説くべき時節なり、 我れその爲めに世に出でき 最勝覺を説示せん。 (131)相に著する小智人 驕慢にして無智なれば、 信ずることはいまかたし ただ菩薩のみ聞くべしと。 (132)一切の法懦をすてはてゝ 我れ無畏にして喜べり、 善逝の子の中に説き かれらを覺にぞ立たしむる。 (133)この佛の子を觀見し 汝の疑惑は去らるべし、 また千二百の漏盡者も みな世に佛と成りぬべし。 (134)かれら往古の大聖と 未來の時那の法性と、 ひとしく我れわも無分別 いま我れ汝に之を説く。 (135)ある時處《ときところ》とかく世に 最勝人の出るあり、 無極明者は世に出でゝ ときにこの法を説けるなり。 (136)倶那由他の劫波にも この勝法には値ひがたし、 勝法を聞き信じつる この有情にも遇ひがたし。 (137)靈瑞の華の得難きも ある時處見るごとく、 人天界に稀れに有る この妙色も出るなり。 (138)それよりも稀有を我は説く よく法を聞きしのち、 隨喜の一語を誦するもの 一切佛を供養せり。 (139)汝疑惑を去りぬべし 我は法王と告ぐるなり、 最勝覺に化導す 聲聞弟子は我れになし。 (140)舍利子、祕要は汝《な》の爲めぞ また我が聲聞の爲めなるぞ、 この勝れたる諸菩薩は 我がこの祕要を持《たも》つなる。 (141)いかなればこの五濁時に 有情は邪惡となりにけむ、 欲に盲して小智なり 覺にはこゝろさらむなし。 (142)この時那に由り説かれたる 我がこの一乘を聞きてのち、 未來に有るべき有情は 修多羅をすてゝ墮獄せん。 (143)最勝覺な發趣せる 漸愧清淨の有情には、 無畏に住して我はまた 一乘の廣讚を宣示せむ。 (144)これ諸導師の教なり 最勝善功方便なり、 密意説にて説けるなり 不學はこれを知りがたし。 (145)世を行く大聖諸佛の 密意の説を了知せよ、 疑ひを除き惑を去り 歡喜を生じ作佛せむ。 |
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