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Abhisamâcârika‐Dharmaにおける諸問題(要旨)

 

2003年9月7日 日本印度学佛教学会,於佛教大学,特別部会「写本研究の現在」, 古宇田亮修


  はじめに
 大正大学綜合佛教研究所は日中共同事業の成果として,Abhisamâcârika‐Dharma(AsDh)の唯一の梵文写本の影印版を1998年に出版した。それに伴い,この写本に関する研究は活性化してきたが,テクストをどのように校訂し,理解し,翻訳するか(これらは相互に関わる)という点に関しては,未解決の問題が多々ある。これらの解決には,語彙や文法に関する個別的な研究が要求されよう。以下,いくつかの語彙を採り上げて問題点を明らかにすると共に,その解決を試みた。

1. vibhava‐
 この単語の用例は,AsDhでは12例,Bhiksunî‐Vinayaでは1 例存する。
Ms. 1b6‐7の用例を見てみると,S. Singh&K. Minowaは,‘It is good if the šalâkâ are to bewashed with fragrant water and the ground is strewn with flowers.’(p.114)と訳し,西村実則氏は「もしそのように整えられたならば,小棒を香水で洗うべきであり,花をふり蒔くべきである」(p.223)と訳している。Oguibénineはvibhava‐を‘power,might’の意味にとり,‘Should it be possible, ...’(p. 86)と訳している。
 vibhava‐のSkt語文献における用例を調べた範囲では,以下の4つの意味を確認することができた。
1.資産,所有物.
2.(人に備わっている)能力,才能,長所.
3.(物や行動に備わっている)効力,性能,威力.
4.(仏教文献で)滅びること,消滅 (bhava‐の対義語).
 Pâli文献でも,ほぼ同様の意味が確認しうる。
 Singh&Minowaならびに西村氏の解釈は,筆者の調べた範囲では,他の文献の用例からは裏づけられなかった。Oguibénineの解釈は,2もしくは3の意味であるから,不可能ではないようである。しかしながら,私見では,AsDh/Bhiksunî‐Vinayaにおける用例は「資産」の意味に解し,vibhavo bhavatiに対しては「資産がある(=裕福である)場合は」と訳した方が適当と考えられる。

2. yatrol(l)aggikâye/ yatrollagnâye
 1b6の用例を見てみると,Oguibénineはこの箇所をpârollagnikâ‐(f.)という名詞複合語と考え,‘warehouse where the bowls are placed’と訳しているが,疑問符が付せられていることから,意味が未確定であることを示唆している。関連箇所の写本を正確に転写すると,pâtraと書かれているのは7例中1例である。くわえて,文脈上pâtraの話題になるのは唐突であることと,paとyaの字形の酷似に起因する誤写が多数存在することを鑑みると,その1例はyatraからの誤写と考えられる。
 次に,Sandhiの問題として,この一連の語をどのように分解するかを考察する。結論から言えば,yatra +olaggikâye > yatrolaggikâyeというSandhiが想定され,先行する語の最後のa が消失したと考えられる。Cl. Sktではa + o > au になるが,当写本では,そのようなSandhiは一例も見られず,oで始まる単語は先行する語の最後の母音と融合しないので,yatraulaggikâye にはならないことが解る。
 olaggikâye/ollagnâyeの語源については,Cl. Skt ava√lag‐「付着する,留まる」; Pâli olaggeti「付ける」と起源を同じくするものと考えられ,o√lag‐のppt. olagna‐の斜格である。[ik]âyeという斜格の語尾は,当写本では副詞に用いられていることが多く,この用例も同じく副詞的用法(「佇んで」)と考えられる。また,写本の用例では,lが重複した形(ollag...)が7例中6例であるが,Cl. Skt のavaに対応する動詞前綴oの後で,語根の冒頭の子音が重複されるという現象については,上に掲げたoddrinnaka‐ (cf. Cl. Sktavadîrna‐)や,25b1, 25b2 okkhandiyânam(cf. Cl. Skt ava√khand‐)と同様の現象と考えられるので,問題はなかろう。
 yatraの意味は,時間に関するものと採り,「(未来の)その時に,約束の時間に(yatra kâle)」という意味に解釈した方が妥当と考えられる。以上のように解釈すると,一例だけ現れているtatraも,‘tatra kâle’の意味で整合的に解釈することができよう。

3. vedda‐
 この語に関しては,辛嶋静志氏の研究発表(7/Sep./03)の資料(p. 15. n. 21)を通じて,当初の筆者の推測(「竹細工師」)が的を射ていないことが判明したため省略することとする。S. Karashima, The Prâtimoksa‐Vibha'nga of the Mahâsâ'nghika‐Lokottaravâdins in the Early Western Gupta, in The Buddhist Manuscripts in the Schøyen Collection, vol. III (In Press)の当該箇所を参照されたい。

4. krtakarma‐/ krtaparikarmma‐ 
 krtakarma‐は,字義通りにとれば「処置が施された,作業がなされた」であるが,地面(prthivî‐)や壁(bhitti‐)の形容詞として用いられた場合「セメント(/しっくい)で固められた」と訳すことが可能かと推測される。これと対照して用いられているのが,âhatya‐ (? <âhata‐(â√han‐ ppt.))という語(16b7,18a4, 18b6)であり,「打ち固められた(だけの)」という意味かと推測されるが,語源も含め正確な意味は不明である。

5. dešakâla‐ 
 dešakâla‐はCl. Sktでは一般的にDvandva, du.で「場所と時」という意味で用いられているが,当写本では,この複合語で「定刻,指定の時刻,(正式な)食事の時間」を意味しているようである。即ち,この複合語におけるdeša‐は,話者の意識上では,√diš‐「指示する」の派生語として「指示の,指定の」と解されていたと推測される。Cl. Sktにおける同様の用法は現時点で見つかっていないが,Mahâvastuには,âhâradešakâle「食事の時間に」という用例が4例存在し,筆者の推測の傍証として貴重である。その他にも,Mahâvastuには6例存在するが,解釈には種々の可能性があり,傍証として認めることは難しいかもしれない。

6. nîlamañca‐
 nîlamañca‐という語は3例現れており,nîlamañca‐からの誤写と思われる用例が1例存する。登場箇所は,文脈からして「公衆便所」に相当する語が要求される位置にある。しかしながら,nîla‐「青黒い」とmañca‐「寝台,床座」という語から,どのようにして「公衆便所」という意味が生じたかは明らかではなく,他のSkt文献においてもnîlamañca‐の用例が見つかってない以上,解決の手がかりは現在のところ得られていない。Pâli文献における用例は,わずかに1例であり,これも確実な意味を決定することは困難である(「暗黒の寝台」/「公衆便所」(?))。

7. samudâcâra‐ 
 この語は文字通りには「威儀,適切な立居振舞」を意味する(5例)が,当写本では「生理的欲求を満たす」の婉曲的表現としても用いられている(6例)。具体的には「排便をなす」(4例),「小便をなす」(1例),「屁をする」(1例)という言葉の代用として用いられており,僧院生活におけるエチケットとしてそれらの言葉を避けた語法と推測される。

まとめ
 以上のように,個別的な語彙研究(形態論・意味論・Syntax・文字論のあらゆる領域に関係する)を積み上げていくことで,写本の正しい理解に到達できるものと考えられる。その過程で,Skt, Pâli 等の(書籍やデジタル媒体による)データベースを利用することで,当写本における問題点がこの写本特有の問題か否かを調べることが出来た。また,他の文献と問題点を共有する場合は,当写本の用例を根拠としてそちらの解釈にも再考を迫る可能性も指摘した。以上,当写本のように既に校訂本が出版されている写本であっても,影印版を利用することにより,新たな問題点の発見とその解決への道筋が示しうることを提示した。

(筆者注:紙幅の都合上,注記と用例の提示は全て省略した。また,貴重な御教示を頂戴した辛嶋静志博士には深謝の意を表する次第である)


キーワード : 大衆部説出世部, Abhisamacarika‐Dharma, 威儀法, 摩訶僧祇律

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