Varuṇa と Mitra
——ヴェーダ解釈への一寄与
凡例
- 原書のページ区切りを
【原書 p. N】の形で明示した。ページ内で文が跨る場合も、区切り位置をその箇所に示す。 - サンスクリット語・アヴェスター語・ギリシア語はカタカナ化せず、IAST(ないし原著の表記に準じたローマ字)ないし原綴で示した。学者名も原綴のままとした。
- 原著の脚注は、それが属する原書ページの末尾に「原注」として訳出した。脚注記号は原著に従い
*)**)***)等で示す。 - 底本の OCR による劣化が著しく、とくにサンスクリット翻字の読み取りが困難な箇所がある。読みが確定できない箇所には〔?〕を付し、訳者による補足は〔訳注:…〕で示した。
- 原著は 1877 年刊。当時の学術用語・略号(
Rigveda/Vāj. Saṃh.等)は原則として原形を保持した。
Varuṇa と Mitra
ヴェーダ解釈への一寄与
著者
Dr. phil. Alfred Hillebrandt
Breslau 大学私講師(Privatdocent)
Breslau, G. P. Aderholz 書店 1877 年
Brunn 教授
学問と家庭とにおける 数多くの美しき時間への 感謝の思い出とともに
目次
引用箇所索引
〔冒頭の凡例〕
引用したすべての個々の箇所がここに登録されているわけではなく、翻訳を施したもの、より詳しく解説したもの、あるいは何らかの点で注目に値するもののみを掲げたことを付言しておく。たとえば、説明のために用いた並行箇所のほとんど、また本文中に単に網羅性のために挙げたにすぎないもの、および容易に理解しうるものは省いた。
〔訳注〕本索引は原書 pp. V–VIII の Stellenverzeichniss を翻刻したものである。右側の数字は原書の頁を示し、クリックすると本文中の当該頁に移動する。「Anm.」は当該頁の原注を指す。
序論
古代インド人の神々の天界に住まうあらゆる驚嘆すべき姿のなかで、Varuṇa は、ヴェーダ詩がかれを人間と神々との王として装わせるその高い権能のゆえにも、またその現れかたの多様さのゆえにも、最上位に立っている。Varuṇa は天と地とを基礎づけた。Varuṇa は太陽と月とを創造し、それらにその軌道を指し示す。かれは大河の流れを導く——それらは海へと急ぎながら、けっして海を満たすことがない。最高天においてかれはみずからを水に包み、上方から人間界の正と不正とを見下ろす。かれの眼は、昼にあっては太陽と、光の探索する霊たちであり、夜にあっては輝く星々がかれの偵察者、万有の見張り番である。いかなる言葉も、いかなる思念も、かれを免れることはない。かれは鳥の飛翔を知る——天と地との及ぶかぎり、何ものもかれの眼差しを逃れることはできない。かれの法は、世界運行の永遠の進行についても、人間界についても、ひとしく妥当する。
正と不正とはかれの掟が定める。そしてかれは、正しき者には健康と富とを送る一方、悪をなす者をばその怒りをもって罰し、これに病と憂いとを送り、親しく輝く光の領域から外へと突き放し、重くのしかかる縛でもってこれを繋ぐ。
かくして Varuṇa の姿のうちには、高遠な宇宙生成の法則が深く倫理的な観念と結びついており、かれの顕現はヴェーダの知るもっとも崇高かつ美しいものの一つに数えられる。
もっとも、われわれが Varuṇa の本質を探り、その属性のうちに、その多面性をわれわれに説明してくれるような主導的・媒介的な根本思想を求めるならば、そのときこそかれのプロテウス的性格がその全幅において現れ、われわれが正しい姿を捉えたと思うたびに、かれはたえず新たな姿へと変わってゆくのである。
とはいえ、これらの観念が互いに何の媒介もなく並存しているはずはない。それらは第三のもの(tertium)のうちに共通の源泉をもつか、あるいは互いから発展したかしたはずであり、相互に説明しあうものでなければならない。そして、どれほど多くが謎めいて見えようとも、われわれは神々の教説一般、まして今ここで問題としているヴェーダのそれにたいして、観念の一貫性と確実性とを否認したり、これを恣意のかどで責めたりする挙に出てはならない。
このことは、Varuṇa の威厳を讃えた Ṛṣi たちの一人一人にとって、この神がつねにその本質の全能のうちに現前していなければならなかった、という意味ではない。ヴェーダの見者たちの自由に創造する空想は、その時々の感情と思考とに対応するこの神の一側面を選び取って、この一面のみを歌い、他の諸側面を顧慮しないでおくことができた。そしてこの空想は、この一つの現れかたを、インドの歌い手にかくも惜しみなく貸し与えたあらゆる豊かな装飾でもって飾ることができた。しかし選択そのものに関しては、空想は制限されたままであって、ある神の権能の範囲のまったく外にある領域へと踏み越えることは許されなかった。そしてわたしは、古の詩人たちが神的概念の把握において不明瞭ないし不確実であったとか、理性的な直観の限界を大胆に踏み越えたとかいう非難にたいして、断固としてかれらを弁護しなければならない——たとえ多くの人がそのような判断に傾きがちであるとしても。かれらはただ、明確に把握された神々の観念を霧の衣に包むことを好んだのであり、その衣は、ある神の或るときはこちらの側面を、或るときはあちらの側面をつかのま示唆しては、ふたたびそれをいっそう濃く覆い隠すのである——あたかも、歌い手の観たものを俗なる眼に垣間見させまいとするかのように。しかしわれわれが仔細に観察し、ヴェーダが万華鏡のようにわれわれの前を通り過ぎさせる一切の像を注意深く眺めるならば、それらを構成しているあらゆる成分を正確に識別することができるのであり、われわれはやがて、
これらの成分が色と形とにおいて不変であることを確信するにいたる。
ここで一般的に述べたことは、Varuṇa についてもひとしく妥当する。Ṛṣi たちの観念をヴェーダの歌を通じて追跡するならば、この神格の確固たる輪郭をもつ像がわれわれに現れてくる。そこにわれわれが見出すのは、空想に残された余地がどれほど広かろうとも、放縦な恣意などでは断じてない。もっとも、その像に到達するために取り除かねばならぬ困難は、まことに測りがたいほど大きい。そしてそれを克服する唯一の手段は、関係する諸箇所の綿密な検討と批判、ならびに、あらゆるヴェーダから収集して一つの総体像へとまとめあげるべき資料の、可能なかぎりの完全性である。この総体像からこそ、多くの暗部が説明されうるのである。
それゆえわたしは、Rigveda の範囲を越えて進み、Yajurveda をその現存する二つの伝本において、また Atharvaveda と Sāmaveda——ただし後者はきわめて僅かしか新しいものを提供しない——をも考慮に入れることが必要であると考えた。
さらに、いくつかの点を明らかにするためには、Brāhmaṇa 文献を援用することが不可欠であるように思われた。そこで Aitareya-Brāhmaṇa および Śatapatha-Brāhmaṇa は、それらがヴェーダの理解に寄与すると思われるところで、立ち入った考慮を受けている。
祭式(Ritual)そのものもしばしば説明のために援用されたが、これは素材のもつ大きな困難が最大限の慎重さを命じたにもかかわらずのことである。ここでわれわれは、すでに他所で述べた遺憾の念を繰り返さねばならない。すなわち、供犠祭式の批判的叙述——供犠の細部を prayoga 的に明らかにし、そこにおける神々の位置を精確に規定し、きわめて興味深い種々の象徴や祭具を儀礼の連関のなかで説明するような叙述——が、いまだ欠けているということである。というのも、供犠の慣行と神学的思弁とがしばしば mantra のいくつかともっとも密接な関係に立ち、したがってそこに沈殿している諸観念の説明をわれわれに提供しうる、ということは注目に値するからである。しかしその際に問題となる諸問題は、一部は
きわめて錯綜し困難であり、また多くの点はその史的価値に関して徹底した批判を要するのであって、祭式から真の収穫を汲み取ることができるのは、ようやく後の時代になってからであろう。
さて個別的な論述に関していえば、わたしはまず Sāyaṇa と Mahīdhara との見解を挙げることから始める。それは、かれらのもとには支持しがたいものが少なからずあるとはいえ、多くの価値あるもの、ヴェーダの解釈にとって有益なものが見出されるということを、かれらに即して示すためである。近代の学者のうち、われわれの主題についてより詳しく論じたのは次の人々である。Roth——『ドイツ東洋学会雑誌(Zeitschrift der D. M. G.)』第 6 巻所収の論文「アーリア諸民族の最高神」、ならびにいくつかの小論(Zeller 編『神学年報』1846 年、第 5 巻、346 頁。『München 学芸報』1848 年、472 頁。『新 Jena 文学新聞』1847 年、第 311 号)。ついで Muir——その *Original Sanscrit Texts* 第 5 巻。ここには豊富な資料が集められている。Angelo de Gubernatis——その『ヴェーダ神話講義(Letture sopra la mitologia vedica)』(Firenze, 1874)の諸箇所。そして最後に Alfred Ludwig——『発展におけるヴェーダの哲学的および宗教的諸観念(Die philosophischen und religiösen Anschauungen des Veda in ihrer Entwicklung)』(Prag, 1875)47 頁以下。これら既存の労作はいずれも鋭い指摘に富んでいるが、個々のあらゆる関係を正しく認識するために必要とされるほどの広がりをもって対象に立ち入ってはおらず、また Varuṇa を、かれが枝分かれしてゆく種々の領域のすべてに即して考察してはいない。個別的な批評はここでは差し控えたい。というのも、われわれの研究の進行が、それに立ち戻る機会をしばしば提供してくれるであろうからである。
古注釈家たちの検討につづけて、わたしはまず、Varuṇa の本来の姿——それは、かれに結びつくその後のあらゆる把握の出発点、少なくとも媒介点とみなしうるものだが——を今なおわれわれに認識させてくれる諸箇所を掲げる。つづく諸章はそれから、Varuṇa 的活動の種々の領域に充てられるが、それをここで簡単に素描しておきたい。
ヴェーダの讃歌のうちにわれわれの前に立ち現れるかぎりでの Varuṇa は、万物を包む天、すなわち万物の上に、また万物のまわりに穹窿をなす大空の神である——それが日輪の輝きのうちに耀こうと、星の衣をまとって美々しく飾られていようと。かれは、昼の
光が大空に耀くときには、親しく、あらゆる善きものを恵む支配者である。しかしかれはまた、罰する神、復讐する神としても恐れられる。というのも、かれは光と同様に闇をも与え、地を暗黒に包むからである。かれ自身は不滅の威厳のうちに天に君臨しつづける——昼と夜とは、かれがその面を人間たちに親しく向けるか、あるいは怒って人間たちを見捨てるかによって生ずるのである。さて、Varuṇa が主として光の神々と結びつけられ、それによってかれの光の天としての性質が示唆されるのは、夜への畏れと、夜のうちに支配する悪霊たちへの信仰とに由来する。というのも、人の心は、夜の恐るべき支配者よりも、光の神にこそ好んで向かったからである。かくしてわれわれは、かれを太陽そのものとともに、あるいは馬と結びついて見出す。またわれわれは、かれが Agni と、Viṣṇu と、とりわけ古アーリアの太陽神 Mitra ともっとも密接な関係に立つのを見出す。それゆえわたしは、後段において Mitra を立ち入って論じなければならない。
これによってわたしは、Varuṇa がもっぱら、あるいは主として夜の天を意味したという想定を排除する。これは Brāhmaṇa においてすら一貫してかれと結びつけられていたわけではない見解であるが、それを Rigveda および他のヴェーダの大部分へと転用することにたいしては、もっとも激しく反対しなければならない。Ṛksaṃhitā は、かの見解を支持し、Varuṇa の夜の天への一面的な関係を許すような箇所を、ただの一つも示しえない。夜の天は、われわれの神の大いなる支配領域の一部をなすにすぎず、しかもこの領域が、比較にならぬほど多く歌われた Varuṇa の光の姿の背後に退いていることは、すでに述べたとおりである。夜の天を Varuṇa の一領域として知らしめてくれる諸箇所は、二種類の性質のものである。その一群はかれの宇宙生成的活動を含み、それによってかれは(太陽と同様に)月をも天に置く。他の、比較にならぬほど多数の一群は、Varuṇa の縛について語る箇所であって、その本来の意味は、夜が人間にもたらすあらゆる苦難を伴った、夜そのもの以外ではありえない。わたしはこれによって、水腫もまた Varuṇa の縛の一つであることを否定するものではない。しかしわたしはこの観念を、相対的により後代のものとしか見なしえない。というのも、それは二つの異なった把握、すなわち
Varuṇa が病と苦難とを送るという把握と、かれが水の神であるという把握とから合成されているからである。この後者の性質のゆえに、かれは必然的に、水と関係する病をも送る神となった。そして他方でかれは夜と、そこから生ずるあらゆる苦難とを人間にもたらすがゆえに、それを指す名称である「縛」が、この苦難の特殊な一種としての水腫にも転用されたのである。
これらの論述につづけて、わたしは Varuṇa を天と地との創造者として示す諸箇所を掲げる。それらが、万物を包む天としての Varuṇa の把握にもっとも近く連なるからである。というのも、この天は全世界を、天そのものをも、地をも、空界をも、水をも包み込むのであり、したがって万物はかれのうちに生きているのであって、かれを一切の生けるものと死せるものとの創造者にして維持者となすことほど自然なことはなかったのである。大空の神としての Varuṇa の把握からは、さらにもう一つのことが帰結する。天の幕は永遠に不変に立っており、太陽・月・星は絶え間なく交替し、Varuṇa に包まれた世界の運行は妨げられることがない。ここから Varuṇa の掟が展開する。かれはこの掟でもって世界を統べ、王として全宇宙の上に君臨するのである。そこにはおのずから、かれが人間界を統べる掟も含まれている。かれは生と死との主であり、そしてこの人間への関係のうちにこそ、同時に、この掟がより深く倫理的な内実へと発展する根拠が置かれているのである。
Varuṇa が天であるという考察は、さらに、かれが全知者・全智者へと形成されたことをわれわれに説明してくれる。天から、かれは昼も夜も世界を見下ろす。かれのまわりには偵察者たちが座しており、かれらは人間の思いと企てとをかれに告げる。これこそが、ヴェーダがかれに全知の概念を付与する理由であり、また、かれの一切を秩序づける法をも同時に思うならば、智慧の概念を付与する理由でもある。かれは誤ることなき kavi として、kavi たちの最高者として通っている。そしてかれ自身があらゆる kavi の師であるように、かれは人間の智慧を増し、また——もっとも特別な関係においてではあるが——ときに神々の教師として現れる。
Varuṇa 的活動のもう一つの領域であって、天幕としての Varuṇa の把握によって説明されるものは、
Varuṇa の Indra ないし Marut 神群との結びつきのうちに、その明確な表現を見出す領域である。最高天は水の座であり、この水のなかに Varuṇa は住まい、水を姉妹あるいは妻として周囲にはべらせる。かれは水を地上へと流れ下らせ、それによって雨を与える者、大河の創造者となるのである。
以上が、本質的に、われわれの神の性格における基調音であって、それらはあらゆる多様な変奏を通じて鳴りひびいている——あるいは単独に、あるいは和音をなして。しかしそれらはつねに一つの全体像を作りあげており、その像はわれわれをして、古代インド人の創造的空想を、かれらの神観念の偉大さに劣らず讃嘆させるのである。
以下においてわれわれに課せられているのは、個々の箇所に立ち入り、その正しい解釈を目指すことによって、われわれの見解の証明を与えることである。
I. Sāyaṇa および Mahīdhara、ならびに Yāska の解釈;「varuṇa」なる語の語源と意義
わたしが Sāyaṇa を筆頭に置くのは、かれが問題の神名についてもっとも多くの説明を提供しているからのみならず、Rigveda に現れている諸観念と実際に一致する説明、あるいは少なくともそれらと一定の関連をもつ説明を、数多く提供しているからでもある。そして実際、Sāyaṇa ほどの重要性をもつ注釈家が、まさに神名に関しては、他の語の説明においてよりもいっそう大きな権威をもつであろうと期待してよいのである。この点においてかれは、他のいかなる場合よりも、自身の時代の観念と伝承とに縛られている。語の説明や語源を提示する場面において、かれはまったく異質な領域に属するような説明を選ぶことはできず、与えられ受け継がれた観念の圏内で動かねばならない。そして、形式的にはあるいは誤っているにせよ、意味の上では根本観念と容易に媒介しうるような解釈を与えねばならない。かれは神々をその実際の姿とは別のものにしてしまうことは許されず、この点においてこそ、その説明を主観性に導かれるままにすることがもっとも少ないであろう。
さて、Rigveda の注釈家のもとにわれわれが見出す諸解釈は、いくつかの群に還元することができる。まず言及するのは、Śruti においてしばしば見られる、Varuṇa は夜の神であるという解釈である。RV. 1, 90, 1;1, 122, 6;1, 136, 6 その他への注釈を参照。そのようなものとしてかれは rātryabhimānī devaḥ と呼ばれ、この意味において語が還元される語根は vṛ「覆う、包む」である。このことを——もっとも「包むこと」のいささか特異な解釈とともに——示すのが、Taitt. Br. 1, 7, 10, 1 である。すなわち、vṛṇoti / pāpakṛtaḥ svakīyaiḥ pāśair avṛṇoti iti rātryabhimānī devo varuṇaḥ / śrūyate ca
varuṇī rātriḥ〔と〕。Varuṇa を夜の神とする把握と、そこから帰結する、かれは病と苦難とを送る怒れる神であるという観念とを顧慮して、Sāyaṇa は RV. 1, 128, 7 その他において、かれを pāpadevatā と説明している。
これらの説明において Varuṇa が Sāyaṇa によって夜の神と規定されているのを見たわけだが、これにたいして第二群の説明は、まったくヴェーダ讃歌と同様に、かれを昼との密接な関係のうちに示している。そしてわたしには、まさにこの把握こそが、この注釈家によってもっとも多く、しかもきわめて多様な変奏をもって表明されているという点が、とりわけ注目に値するように思われる。わたしはこれを偶然と見なすことがますますできない。というのも、Mahīdhara もまた同じ観念を幾度も代弁しているからである。われわれはまさにそこに、太古の観念の残響を見て取るべきなのである。もっとも、両者が Varuṇa を直接に太陽神と同一視するとき、かれらは行き過ぎている。とはいえ、これにも一定の根拠はある。というのも、かれらをそこへ導いた思想はかれらに固有のものではなく、古の歌そのもののうちに、その一見したところの根拠をもっているからである1。ここに属する箇所を挙げよう。1, 123, 5:Varuṇa = tamovārakaḥ savitā devaḥ。1, 123, 8:tamonivārakaḥ sūryaḥ。1, 151, 3:tamonivāraka ādityaḥ。5, 3, 1:tamasāṃ vārakaḥ 2。5, 48, 5:tamovārakaḥ。7, 87, 1:astaṃ gacchan sūrya eva varuṇa ityucyate sa hi svagamanena rātriṃ janayati(Varuṇa はまさに昼の天でもあり夜の天でもあるがゆえに、ここでその両者を惹き起こす沈みゆく太陽と同置されているのである)。9, 73, 3:sarvasya svatejasācchādakaḥ〔?〕。1, 24, 7:ūrdhvadeśe vartamānasya varuṇasya raśmayaḥ。10, 99, 10:tamovāraka ādityo varuṇaḥ。10, 12, 8:sarveṣāṃ pāpānāṃ nivārayitā agniḥ(= Varuṇa)。ここに属するものとしては、Mahīdhara の Vāj. Saṃh. 2, 3 への説明もある。そこでは Mitrāvaruṇau が Vāyvādityau と同置されており、したがって Varuṇa と Āditya(太陽)とが同一と見なされているのである。
これらの解釈には、われわれの神をあらゆる災厄とあらゆる敵とを防ぐ者と規定する解釈が、おのずから連なる。これは Sāyaṇa の注釈にきわめて多く見られる。この見解もまた、のちに示すように、真正にヴェーダ的である。Rigveda 注解から引用すれば、1, 105, 6 では Varuṇa は「aniṣṭanivārako devaḥ」と呼ばれ、同じく同讃歌第 15 詩節では aniṣṭasya nivārayitā devaḥ、1, 163, 4 では pāpasya vārakaḥ phalasyāvarjayitā vā、5, 85, 1 では upadravasya nivārako janānām avārakaḥ、8, 25, 13 では śatrūṇāṃ vārayitā、同じく 8, 27, 17;8, 83, 2;94, 5、その他きわめて多くの箇所がある。Mahīdhara については、これに関して 10, 16;10, 27 その他を参照。
Varuṇa を昼、あるいはそれと結びついた善きものと一切の悪の防御とに関係づけるこれら多数の説明にくらべると、かれのうちに水神を見る Sāy. の解釈は——かれが神の縛を水腫に関係づける箇所を別にすれば——数の上でわずかである。その少数のなかから挙げれば、RV. 10, 123, 6 では V. は jalābhimānī devaḥ と呼ばれ、また 4, 1, 2 では Varuṇa は「vṛṇoty udakam」である。しかし Rigveda の説明者のもとにこの解釈が稀にしか見出されないにもかかわらず、それは注釈者たちのあいだできわめて広く行われていたに相違ない。そのことをわれわれは次の事実から知る。すなわち Yāska は一度(10, 3)かれをずばり madhyasthānā devatāḥ のうちに数え上げているのであり、かれをそうさせたのは確実に Varuṇa の水への関係であって、そのことは V. について挙げられた二箇所(10, 3. 10, 4)の内容から容易に見て取ることができる。さて Yāska は Nighaṇṭu の証言に従っているのであり、Nighaṇṭu はこの名を二度言及すること(5, 4—5, 6)によって、間接的にかれを二つの異なる領域に属するものと規定している。そしてたとえその領域そのものをずばり名指してはいないにせよ、空界と天以外のものを意味しえない。Sāyaṇa もまた一度(4, 53, 5)Varuṇa を空界の神として挙げており、そこでかれは空界の三部分「vāyu, vidyut, varuṇa」について語っている。かれはこの点で、いずれにせよかの古い説明者たちの先例に従っているのである1。さて Sāyaṇa と
Mahīdhara とがその他に言及していることは、特別な価値をもたない。たとえば Mah. の 28, 34 への注を挙げよう。そこでは V. について「vriyate 'sau varuṇas tam ṛtvigbhir varaṇīyam」と言われており、したがって varuṇa は vṛ「選ぶ」から導かれている。同様に Sāyaṇa も、8, 27, 17 について varaṇīyaḥ あるいは saṃbhajanīyaḥ と敷衍している。能動的な意味で、かつ単に語源解釈的に、Mah. はこの名を 22, 6 および 36, 9 について言い換えており、前者では「vṛṇoti bhaktaṃ bhajate varuṇaḥ」、後者では「vṛṇoty aṅgīkaroti bhaktam iti varuṇaḥ」と述べている。その際かれは、併記された動詞から判断するに、vṛṇoti に、第五類活用ではこの語に稀にしか具わらない「eligere〔選び取る〕」の意味を付与している。
もう一つの説明——その起源をわたしは部分的に後代の思弁に帰さねばならないと考えるのだが——は、Mah. が 29, 6 について与えるもの、すなわち Mitra-Varuṇa = dyāvāpṛthivī であるとするものである。そしてこの主張の根拠づけとして、かれは Śruti の一箇所「ayaṃ vai loko mitro 'sau varuṇaḥ」を引いている。V. による天界の表示は確実に古い遺産であるが、他方 Mitra を地と同置することは後代に置くべきであり、また Mitra を地に属する Agni と同一視することから導かれるべきである。この同一視については、のちに他の複数の証拠のほかに Atharvaveda の一箇所を挙げるであろう。
さらにまったく決定的に後代のヴェーダ文献から取られているのは、Brāhmaṇa にしばしば繰り返し現れ、Mahīdhara によって再生産されている、Mitra-Varuṇa を prāṇāpānau あるいは prāṇāpānavāyū によって解釈するものである。わたしは、その根拠を確実に示すことができないことを告白しなければならない。いくらかの蓋然性をもって立てうる一つの説明は、Mitra-Varuṇa = 昼と夜という等式に結びつくもの、すなわち、昼と夜とは世界にとって、人間にとっての二つの呼吸とほぼ同じものであり、また世界の呼吸は、昼ないし夜を惹き起こす太陽の昇降によって生ずる、というものである。
さて Yāska に関していえば、われわれはかれの説明の一方、すなわち
Varuṇa は madhyasthānā devatāḥ に属するという説明については、すでに触れた。そしてわれわれはこれを、ある意味でヴェーダ的と称することができる。というのも、かれは水を流れさせる神だからである。まったく事柄に即しており、Varuṇa の実際の本質に立ち入っているのが、もう一方の説明(12, 21)であって、そこではかれは(Mahīdhara におけると同様に)天の神々のうちに数えられている。Yāska がこの名に付与する意味は「vṛṇoti」であるが、かれ自身がそれについて立ち入った説明を与えていないため、われわれはこれに「選ぶ」の意味を与えるべきか「覆う」の意味を与えるべきか、疑うことができる。
以上が本質的に、インドの注釈家たちのうちの何人かの見解である。わたしはこれらを、インド文献学の古き記念碑にたいする単なる敬虔さから挙げたのではなく、かれらの提供するものから、われわれのさらなる研究のための手がかりをいくつか得るために挙げたのである。そして実際われわれは、とりわけ Sāyaṇa の説明が、われわれが以下の研究にもとづいて先に与えておいた素描と多くの点で一致し、上で知りえたかれの本質のほとんどすべての側面に言及していることを見て取る。さてわたしは「varuṇa」なる語そのものの語源と意義とに向かおう。
その際に問題となりうる唯一の語根は vṛ である。われわれが疑いうるのは、根底にある語根の意義が何であるか——varuṇa を 1) vṛ「覆う」ないし「引き止める、防ぐ」から導くべきか、それとも 2) vṛ「選ぶ」から導くべきか——という点のみである。後者に関していえば、近代の学者のうちでは Ludwig ひとりが——わたしがかれを正しく理解しているならば——これを採用したように見える。かれは既引の論考 54 頁で次のように述べている。「Varuṇa はきわめて蓋然的に、欲する者・命ずる者・支配する者を意味する。Atharvaveda に『Varuṇa の欲することは真実となる』とあるとおりである」。しかしわれわれは、この把握が、ヴェーダの提示する Varuṇa の総体的観念のうちに根拠づけられているとは見出しえないし、またこの把握は、次の問いに答える可能性をわれわれに与えてもくれない。すなわち、そのような抽象的な名称から、その性格全体がまったくもって自然現象に基づいているような Varuṇa のごとき神の名が、どうして発展しえたのか、と。われわれは Varuṇa を万物を包む天の神として知るにいたるであろうし、またそのような具体的な神は、
具体的な基盤に基づく名称を受け取ったであろうと期待してよいのである。
語根のもう一方の意義に移る前に、いま一つの導出について触れることをお許しいただきたい。それは Bollensen がその『Parāśara の歌』(『ドイツ東洋学会雑誌』第 22 巻、603 頁)において立てたものであるが、わたしはこれを根拠づけられたものとは考ええない。かれはそこで、varuṇa = varuṇa〔?〕(var, vas より)は sūrya, svar と同一の起源をもつと述べている。それに従えば、Varuṇa はその名から判断するに、さしあたり輝く天の名称でなければならないことになろう。しかし輝く天はわれわれの神の本質の一側面にすぎず、Varuṇa がやはりそこにも姿を現す暗い夜の天と対立するものである。とはいえ、語源そのものがわれわれに助けをもたらしてくれなければ、そのような導出の正当性については、なお争う余地があるかもしれない。ἥλιος〔?〕, sol, hvare の諸語は、ushas, ἠώς, aurora (ausosa) にたいして、二つの異なる語根 svar (sūr) と vas (us) とを指し示している。さて、争いのある v.〔=ved. varo〕を別とすれば、vas に由来する語の大多数は本来の s を指し示し1、他方 Zend は r を保持するのを常とするが、s を r に転ずることはしない。しかも ved. varuṇa と zd. varena とは明白に語源的に同一である。したがってわれわれは、そのような導出を疑い、それにたいしてより確実な地盤へ、すなわち先に述べた語根 vṛ へと赴くだけの十分な根拠をもつのであって、この語根についてはほとんど一般的にそう決定されてもきたのである。
Varuṇa は確実に varaṇa から生じたものであり、そのことは、それと音韻的にのみならず、のちに見るように内容的にも一致する Zend の varena がわれわれに示すところであり、また Οὐρανός からも見て取られる。zd. varena——これは特定の一地方という、より特殊な意味を獲得している——には、より短い形 vara「庭園」があり、Yima の庭園について用いられる。前者は明らかに後者の派生形であり、後者は var「包む、めぐる、覆う」から導かれたもので、「囲い」「包摂」「覆い」を意味する。
さて、varuṇa と varena という両語が音韻的に一致することを見、かつ、それらが同一の対象にたいする名称であることがのちに明らかになるとすれば、われわれはそこから
skr. varuṇa もまた varena とひとしく、本来「包むもの、覆うもの」を指すと結論しなければならない。そしてこの両語について妥当することは、古い a がなお保存されている Οὐρανός についても妥当する。この解釈が得られるのは、語根を「めぐらす、覆う」の意味において出発点とする場合である。もう一方の意味「arcere〔防ぐ〕」を適用すると、どこにも通用する意味が得られない。それをどうしても「囲い込む」と等置しなければならず、そうすると結局それは前者と一致してしまうのである。
かくして Varuṇa の名はわれわれを「包むもの」という意義へと導く。そこでわれわれは次章において、かれを万物を包む天として示す諸箇所へと向かう。それらの箇所は、われわれの語源説を裏づけると同時に、それら自身もまたこの名の導出によって正しい光を受けるのである。
II. 万物を包む天としての Varuṇa
われわれが Varuṇa のうちに「包むもの、覆うもの」を見たとすれば、その名の根本義とその内容において一致する諸箇所こそが、もっとも古く、本来かれと結びついていた観念を、もっとも正しく伝えているものと想定してよい。さて、なんらかの仕方でかれを「包むもの」として語る一連の箇所がある——もっとも、しばしばヴェーダの歌い手に固有の幻想的で晦渋な仕方によってではあるが。ここでまず挙げるべきはそれらである。
RV. 8, 41, 3:sa kṣapaḥ pari ṣasvaje ny usro māyayā dadhe sa viśvaṃ pari darśataḥ. 「かれは夜々をあまねく包み込み、その智慧によって曙光を据え、見らるべきものとして万有をあまねく包み込んだ1。」同讃歌の第 7 詩節も同じ意味をもつ。ya āsv atka āśaye viśvā jātāny eṣāṃ pari dhāmāni marmṛśad varuṇasya puro gaye viśve devā anu vratam etc.
「かれは衣のごとくに、あらゆる生き物とともなる諸世界の上に横たわり、住処を密に包む。この Varuṇa の座の前に、すべての神々は掟に従って〔在る〕」云々1。まさにここに属するのが RV. 7, 87, 5 の詩節であって、これは断じて比喩的な意味で理解すべきものではなく、自然観察に基づくものであり、それによれば Varuṇa は一切をあまねく取り巻く天として現れる。tisro dyāvo nihitā antar asmin tisro bhūmīr uparāḥ ṣaḍvidhānāḥ.「三つの天はかれのうちに置かれ、三つの地はその下に〔置かれ〕、六つの群をなしている。」
これとまったく類似した思想を、わたしはこれまで行われてきたのとは別の詩節解釈のもとに、RV. 9, 73, 8 に見出す。ṛtasya gopā na dabhāya sukratus trī ṣa pavitrā hṛdy antar ā dadhe.「供犠に富める者、ṛta の守護者は損なわれえぬ。かれは三つの pavitra をおのが心のうちに収めた。」ここで「心」とは、ふたたび、万物を包む大いなる世界空間ないし天空間と解すべきである。この解釈の正しさの証明として、のちに類似の観念をもつ数箇所を引用するであろう。三つの pavitra とは、天・空界・地の別表現にほかならず、そのことは Sāyaṇa がこれらを agnivāyusūryātmakāni と呼ぶことによっても確証される。三つの世界はここで漉し器ないし織物になぞらえられているのであり、これはヴェーダにしばしば繰り返し現れる把握である。たとえば RV. 9, 86, 32 に「tantuṃ tanvānas trivṛtam」とあるが、これは三つの領域にしか関係しえない。
さて、かの Varuṇa の「心」に対応するものを、われわれは A. V. の二箇所に見出す。一方では Varuṇa の「腹(Leib)」が、他方ではその「口」が語られ、さらに第三に Taitt. Saṃh. の一箇所がその「身体」に言及している。三つはすべて同一の事柄にたいする異なった表現にすぎず、Varuṇa を——というのも Varuṇa の心も腹も口も、結局は Varuṇa 自身にほかならないのだから——一つの空洞をなす広大な空間として示している。そしてこの空間の内容、すなわち三つの舌、三つの漉し器等々からも、先に引用した比喩的でない諸箇所が示したのと同じこと、すなわち Varuṇa の腹ないし口が
万物の上に穹窿をなす広大な大空を意味することが、読み取られるのである。
かの A. V. の二箇所(10, 10, 22 および 28)は次のとおりである。yad udaraṃ varuṇasyānuprāviśatha vaśe / tatas tvā brahmodahvayat sa hi netram avet tava // tisro jihvā varuṇasyāntar didyaty aśanī / tāsāṃ yā madhye rajati sā vaśī duṣpratigrahī //「牝牛よ、汝が Varuṇa の腹に入りゆきしとき、そこから brahman が汝を呼び出した。かれは汝の導きを知っていたのだから」また「三つの舌が Varuṇa の口のうちに輝く。それらの中央に耀くもの、これぞ捉えがたき牝牛である。」
「牝牛」に関していえば、われわれが引用した讃歌全体がこれに捧げられており、そこで牝牛はその宇宙的な働きと、あらゆる宇宙的関係とにおいて歌われている。この牝牛によって天と地とは水とともに守られ、その背には百の器、百の番人が立つ。牝牛は神々の息と見なされ、われわれはこれを Parjanya の妻として見出し、これは Sūrya と結ばれ、Gandharva たちや Kali たちとともに(天の)海に登り、また輝きと特別に近い関係に立つ。この最後の点を顧慮して、わたしは第 22 詩節をも説明し、これを、朝にいわば広大な空間へと入りゆく輝く天界と解する。この点でわたしを強めるのは同讃歌第 16 詩節であって、そこには「黄金に囲まれし者よ、ṛta に富める者よ、汝が歩み出でしとき、(太陽の)馬は(光の)海となりて汝に乗った」とある。というのも、黄金に囲まれて歩み出る牝牛とは、太陽の馬がその上に登り、光線を遠く広げるところの、きらめく天界以外のものを意味しえないからである。
さて、ここで一方の詩節において広大な万物を包む天空間が Varuṇa の「腹」と呼ばれているのを見たが、他方の詩節ではそれが「口」(口腔)と名づけられており、そのなかで輝く三つの舌は、上で pavitra が示していたのとまったく同じもの、すなわち三界を意味する。牝牛が中央の舌とされるのは、antarikṣa におけるその働きへの言及である。そのことをわれわれは第 7 詩節の語 ūdhas te bhadre parjanyo vidyutas te stanāḥ「恵み深き者よ、汝の乳房は Parjanya、稲妻は汝の乳首なり」のうちに示唆されているのを見出す。つまりここでは雨を与える者としての、輝く空界が意味されているのである。
同じことを、すでに言及した Taitt. Saṃh. 1, 8, 10, 2 の箇所もわれわれに示す。prati tyan nāma rājyam adhāyi svāṃ tanuvaṃ varuṇo asiśret / śucer mitrasya
vratyā abhūma 'manmahi mahata ṛtasya nāma:「かの王権が据えられた。Varuṇa はおのが身体のうちに入りゆいた1。輝ける Mitra の領域にわれらは属することとなり、偉大なる ṛta(=真なるもの=昼)の名をわれらは(歌もて)念じた。」
Varuṇa の「身体」が、高き天の家——それについてわれわれは先に「口」という表現が用いられるのを見た——以上に正当に関係づけられうるものはない、ということは明らかである。われわれが不明のままにしうるのは、Varuṇa がこの自身の身体へと入りゆくということに、いかなる意味を与えるかという点のみである。表現そのものは奇異とするに足りない。というのも、そのような見かけ上の矛盾は、インド的空想の表現にまったく適合するものであり、Varuṇa の口のなかに三つの舌があるという観念以上に、この特異な観念に躓く必要はないからである。
この像は、のちに論じ証明すべき Varuṇa についての一表象から取られている。すなわち、夜にはかれは人間から顔をそむけ、昼にはかれらへ面を向ける。そして朝に燃え上がる Agni こそが、かれを導き来たらすのである。かくして Varuṇa はここで、いわば二重の仕方で描かれている。一方では広大な高き天空間として、他方では昼の天の——そして間接的には夜の天の——神としての性格において。後者は、われわれが根拠なくこの詩節に持ち込む解釈ではない。その証拠は同詩節の後半にあり、そこでは「輝ける Mitra の領域にわれらは属することとなった」という語によって、昼への移行が直接に示唆されている。そして ṛta への言及によっても同様であって、これがのちに、光=真なるものへの直接的関係において見られることになる2。
これとまったく類比的な観念を、われわれは RV. 5, 48, 5 に見出す。sa jihvayā caturanīka ṛñjate cāru vasāno varuṇo yatann arim〔?〕.「四つの面をもつ Varuṇa は舌をもって前へと進み(Roth は Pet. Wört. において「身を伸ばす、手を伸ばす」)、愛しきものに身を包みつつ、友(本来は「かれへと向かい努める者」)を目覚めさせる(?)」
caturanīka という表現は四方の天の方位を意味するのであり、それ以外を意味しえない。そしてわれわれは「四つの顔をもつ Varuṇa」という表現のうちに、先の詩節に置かれていた、この神の「腹」「口」「身体」についての観念の一変奏を見るほかない。それはわれわれをふたたび、万物を包む大空、東・西・南・北という四つの異なった方向をもって世界のまわりに穹窿をなす天へと指し示すのである。
「舌」に関していえば、それは同じ天体——のちにわれわれが Varuṇa の使者、Varuṇa の鳥、あるいは馬、あるいは眼として指示されるのを見るであろうところのもの——すなわち天幕を昇りゆくかに見える太陽にたいする、別の語にすぎない。かくしてわれわれは、かの詩節におけると同様ここでも、われわれの神の性格における二つの異なった側面が同時に示唆されているのを見るのである。引用箇所の最後の部分もまた、昼の光以外への関係をもたない。そして Grassmann が「cāru vasānaḥ」という語を「善きものを備えて」と訳すとすれば、この解釈はあまりに一般的であって、われわれがそれで満足しうるものではない。「善きもの」はここできわめて特殊な意味、すなわち光の意味をもっており、それは「Varuṇa が舌をもって前へと進むとき」、すなわち太陽が昇るときに現れるのである。しかも分詞 vasāna がすでに、cāru のより積極的な解釈を指し示している1。
このわれわれの解釈は、Sāyaṇa もまた確証している。かれは cāru を ramaṇīyaṃ tejaḥ と言い換えており、したがってこれもまた、Varuṇa が朝にみずからを包む光の衣に関係づけているのである2。
さてここにはさらに一箇所が属するが、
これを最後に置くのは、それが先の諸箇所ほど確実に Varuṇa に関係づけられるものではないからである。とはいえ、これまでのわれわれの神についての論述からすれば、まずもってかれに適用しうるものである。わたしが言うのは、種々の部分から合成された讃歌 AV. 13, 3 の第一詩節である。ya ime dyāvāpṛthivī jajāna yo drāpiṃ kṛtvā bhuvanāni vaste / yasmin kṣiyanti pradiśaḥ ṣaḍ urvīr yāḥ pataṃgo anu vicākaśīti / tasya devasya kruddhasyaitad ago ya evaṃ vidvāṃsaṃ brāhmaṇaṃ jinati etc.「天と地とを創りし者、それを衣となして諸世界をおのれにまとう者、そのうちに六つの広き方位が住まい、その上を鳥が照らして(Roth は「見透す」)ゆくところの者——かくのごとく知れる brāhmaṇa を苦しめる者あらば、それはかの恐るべき神にたいする罪である」云々。
この詩節は——なおその第 6 詩節をも比較されたい——まったく先の諸詩節の観念のうちに動いており、それゆえ Varuṇa のために要求されねばならない1。
Varuṇa の衣については、さらに RV. 1, 25, 13 にも語られている。bibhrad drāpiṃ hiraṇyayaṃ varuṇo vasta nirṇijam / pari spaśo ni ṣedire:「黄金の鎧を身につけ、Varuṇa は覆いをまとった。偵察者たちはかれのまわりに座した。」この詩節もまた、かれを高き天幕の神とする以外に関係づけられえない。そしてわたしは、この詩節について、「偵察者」への言及を顧慮して覆いを星の衣と説明してきた通常の解釈から離れ、黄金の鎧を、先の「cāru vasānaḥ」という表現と同様に解さねばならないと考える。
偵察者は星以外に関係をもちえない、と反論されるかもしれない。しかしわたしはのちに、Varuṇa の見張る霊たちが夜に地を見下ろすのみならず、昼にもかれを取り巻いていること、そして後者の場合には光の霊たちがこの職務を果たすことを、論証しようと試みるであろう。衣そのものは黄金なす昼の光であり、この衣を担う者は、
光の輝きに貫かれた高き天の家以外の何者でもありえない。
同じ観念をより比喩的でない仕方で表現しているのを、われわれは RV. 1, 123, 8 に見出す。sadṛśīr adya sadṛśīr id u śvo dīrghaṃ sacante varuṇasya dhāma:「かれら(曙光たち)は今日も同じく、明日もまた同じくである。かれらは Varuṇa の広き家へと赴く。」かの箇所で黄金の衣であったものが、ここでは曙光たちであり、かの箇所で Varuṇa 自身がこの衣に身を包むのであったとすれば、ここでは神の代わりにその住処が置かれているのであって、それは結局 Varuṇa と同じことを意味する。
神の家はヴェーダにしばしば言及される。その住処が Mitra のそれとともに挙げられている諸箇所については後段に譲り、ここでは Varuṇa の家に関するものをいくつか付け加えておく。7, 88, 5:bṛhantaṃ mānaṃ varuṇa svadhāvaḥ sahasradvāraṃ jagamā gṛhaṃ te:「Varuṇa よ、svadhā に富める者よ、汝の高き住処へ、千の門をもつ汝の家へと、われは来たれり。」のちに論証するように、これは千の星に覆われた夜の大空——歌い手が己の上に望み見るところの——に関係するのであり、これもまた、上で述べたわれわれの Varuṇa 解釈の一証拠である。
1, 25, 10 をも参照。ni ṣasāda dhṛtavrato varuṇaḥ pastyāsv ā / sāmrājyāya sukratuḥ:「掟をしかと保つ Varuṇa は、その住処に坐した——全支配を行うために、かの賢き者は。」
Varuṇa の家にたいする興味深い並行例を、祭式は Tānūnaptra 儀礼のうちにわれわれに提供している1。この儀礼は、祭官たちが祭主とともに立てねばならぬ聖なる誓いから成り、互いを、とりわけまったくかれらの権能に委ねられた祭主を、儀礼の不正な執行によって傷つけまいと誓うのである。七人の Hotar はこの際、水を満たした銅の釜(madantī と呼ばれる)に手を入れねばならず、この釜は Varuṇa の家を意味する。これは確実に、天神の住処についてのヴェーダ的観念を指し示している。また madantī の釜が水で満たされていなければならないということも、きわめてよく合致する。この水は海を意味するのではなく、天上に住まう水を意味する。そのことをわれわれは A. V. 7, 83, 1 から知ることができる。そこには、水のうちに Varuṇa の黄金の家が
築かれていると言われており、「黄金の」という形容辞はもちろん天にしか関係づけられえない1。
以上が本質的に、古き天神の根本的性格をもっとも原初的な形で示し、その内容において「包むもの」という意義に密接に連なる諸箇所である。引用したすべての詩節がこの思想を変奏しているのをわれわれは見た。そして、あるものが Varuṇa の口を、あるものがその身体を語り、また第三のものが神を万物の上に横たわる衣になぞらえるとしても、これらすべての異なった把握の根底にあるのは、万物を包む天の穹窿というただ一つの観念にほかならない。
われわれがここに、この神の名に結びつくその後のあらゆる展開の核心にして出発点を見出したと期待してよいならば、かれの他の現れかたもまた、この観点のもとにもっとも容易にまとめられ、説明されうるはずである。そして、この立場から Varuṇa の現象の全体を把握しうるかどうかという点にこそ、われわれの論証の正しさの試金石を見るべきなのである。
さてわれわれは、Varuṇa の天神としての性質からもっとも直接に帰結するもの、すなわち次章へと向かう。
III. 昼と夜とにたいする Varuṇa の支配2
かの性格特徴からこの特徴へとわれわれが到達する道は、短いものである。
地の上に穹窿をなす大空を眺め、なお自然現象からその神々を抽象していた時代が、これといかなる観念を結びつけえたかを問うならば、われわれは次のような
結論に達する。すなわち、朝の Uṣas が天を照らし、太陽がそこにその軌道をめぐろうと、あるいは夜が地の上に横たわろうと、大空は、輝く昼の光の衣においてと劣らず、星の輝きにおいても人の眼に姿を現す、ということである。さて Varuṇa がこの大空であり、あるいはその神であるとすれば、この両方の観念をかれに転用することはほとんど自明のこととなる。そしてわれわれは一連の箇所において、あるときは両方の観念を同時に、あるときは一方または他方が強調されているのを見るのである。
挙示すべき証拠のこの相違ゆえに、わたしはそれらを二群に分ける。一方はかれを昼の天と夜の天との神として同時に規定する箇所すべてを含み、他方は一方または他方の見解のみを代弁する箇所を含む。そして後者も両者を総合することによって、前者と同じ結論をわれわれに与えるのである。
A. Varuṇa が昼と夜との双方の主として現れる箇所
1, 24, 8:uruṃ hi rājā varuṇaś cakāra sūryāya panthām anvetavā u / apade pādā pratidhātave 'kar utāpavaktā hṛdayāvidhaś cit:「王 Varuṇa は太陽のために、それが歩みうるよう、広き道を作った。足なきもの1のために、かれは支えとして両の足(太陽と月)を作り、そして心を貫くものすべてを追い払った。」
そしてまさにここに、第 7 詩節と第 10 詩節とを引き入れるべきである。
7)abudhne rājā varuṇo vanasyordhvaṃ stūpaṃ dadate pūtadakṣaḥ / nīcīnāḥ sthur upari budhna eṣām asme antar nihitāḥ ketavaḥ syuḥ:「根なき森のうちに、清き力をもつ王 Varuṇa は高き頂を保つ2。それらは下方に向けられて立ち、上方にその根がある。われらのもとに、その光線が置かれてあれかし。」
10)amī ya ṛkṣā nihitāsa uccā naktaṃ dadṛśre kuha cid diveyuḥ / adabdhāni varuṇasya vratāni vicākaśac candramā naktam eti:「高きところに据えられたかの星々は、夜に姿を現す。昼にはいったいどこへ行ってしまったのか。Varuṇa の掟は(つねに)損なわれることがない。輝きつつ月は夜にめぐりゆく。」
これらの箇所からわれわれは、Varuṇa がいかに昼と夜とを支配し、月と太陽とにその軌道をめぐらせるかを見る。そしてここから、かれの活動が一面的に昼にも、一面的に夜にも関係づけられえないことを結論しなければならない。
同じことを、さらに他の箇所もわれわれに教える。その一つ(RV. 8, 41, 3)はすでに上に引用し、そこからわれわれは、Varuṇa が夜々を包み、曙光たちを据えることを見て取った。同じ讃歌はその第 9 詩節において、さらにもう一つの証拠を提供する。
9)yasya śvetā vicakṣaṇā tisro bhūmīr adhikṣitaḥ / trir uttarāṇi papratur varuṇasya dhruvaṃ sadaḥ sa saptānām irajyati …:「その輝く一対の眼は三つの地の上に耀き、三つの上なる(世界)を、Varuṇa の堅固なる座を満たした(満たし、なお満たしつつある)——かの者は七つのものを支配する。」
10)yaḥ śvetāṃ adhinirṇijaś cakre kṛṣṇāṃ anu vratā / sa dhāma pūrvyaṃ mame …:「輝く覆いをまとった白きもの(=昼)と黒きもの(=夜)とを、秩序に従って造りし者——かれは太古の住処を測り出した。」
白きものと黒きものとが昼と夜以外を意味しえないこと、また「二つの輝く眼1」が、そこに太陽と月とを見る場合にのみ理解しうることは明らかである。そしてこのことはまた、Varuṇa が大空を人格化しているという前提から出発する場合にのみ可能である。したがってわれわれはこれらの箇所を、前章で述べた論述の正しさにたいするさらなる間接的証拠として要求してよいのである。
もっとも、昼と夜との支配者としての Varuṇa の証拠は、これで尽きたわけではない。RV. 7, 88, 2 を挙げよう。svar yad aśmann adhipā u andho 'bhi mā vapur dṛśaye ninīyāt。ここでもわれわれは、かれが同様に光と闇と
に結びつけられているのを見る。「支配者がわたしに、かの壮麗なるものを見させてくれるように——天における輝きと、闇とを。」
この詩節の解釈から出発するならば、われわれはこの讃歌全体の内容を説明する手がかりを得る。この讃歌に関しては、これまで与えられてきた諸解釈と本質的に異ならざるをえない。讃歌の検討を可能にするため、以下にその全訳を掲げる。
「1)Vasiṣṭha よ、慈悲深き Varuṇa に、美しくきわめて望ましき歌を捧げよ——千重の宝とともに、崇むべき偉大なる(太陽の)馬を導き来たる者に。
2)かれを見るに至ったとき、Varuṇa の面はわたしには Agni のそれのごとくに見える1。支配者がわたしに、かの壮麗なるものを見させてくれるように——天における輝きと、闇とを。
3)Varuṇa とわたしとが舟に乗り、それを海の高みへと操るとき、われらが波の背に乗りゆくとき、そのときわれらは幸いのために、揺れる小舟に揺られよう。
4)Vasiṣṭha を Varuṇa は舟へと導き入れた。巧みなる者はその力によってかれを Ṛṣi となし、賢き者は歌い手を日々の安寧2へと(導き入れた)——日々と曙光たちとの及ぶかぎり。
5)しかしいま、われらの友誼はいったいどうなったのか——われらは古くより睦まじく交わっていたというのに(字義どおりには「無害なるものを追い、害なきものに従う」)。Varuṇa よ、svadhā に富める者よ、われは汝の大いなる住処へ、千の門をもつ家へと至った。
6)Varuṇa よ、汝の忠実なる友、汝に愛しき者が、汝の伴侶が汝にたいして過ちを犯したとしても、崇むべき者よ、罪を負うわれらを罰したまうな。汝の智慧によりて、歌い手に守護を与えたまえ。
7)汝の堅固なる座に住まい、Aditi の胎より守護を乞い願うわれら3——Varuṇa がわれらより縛を解いてくれるように。(神々よ)汝らはつねに、われらを幸いのために守りたまえ。」
さてわたしは、この歌のうちに、先に引用した個々の詩節がわれわれに示したのとは別の思想を見出すことができない。それは昼と夜との詩的描写を含むのであり、
Varuṇa はその両者を支配するのである。詩人は、光と闇とに結びつけられる表象から出発し、前者を生に、後者を死に解している。
のちに見るように、ヴェーダ的空想は、夜には Varuṇa が人間の過ちに怒って顔をそむけていると信じる。そしてこの表象がここでも歌い手によって利用されているのを、われわれは見出す。詩人はみずからが Varuṇa に見捨てられたと信じる。かれは、死を意味する夜が到来し、己の上に Varuṇa の千の門をもつ家が穹窿をなしているのを見る。かれはそこに入りゆかねばならぬと信じ、Varuṇa を怒らせたのだと思いなして、みずからの罪を探し求める。かれは、かつてこの神と親しかったことを思い起こし、罪を赦したまえと乞う。
さて、Ṛṣi が Varuṇa との友誼について与える描写(第 3・4 詩節)は特異である。ここに、歌い手が念頭に置いているとされる実際の航海を想定する説があった。しかしわたしは、ここにあるのは比喩的表現にすぎず、Vasiṣṭha についての語りのうちには、物語の形をとった詩的観念しか見て取ることができないと考える。舟による航行は、昼を渡りゆくこと以外の何ものをも意味しない。
そのような解釈の可能性を並行箇所によって裏づける前に、これまで有力であった他の見解の正しさを吟味しておこう。すると、G. K. R. の与えた訳においては、まず文法上の困難に出会う。第 3 詩節にはことごとく現在の両数形が見られるが、これらは『七十の歌』において過去の時称として、したがっておそらく歴史的現在の意味で解されている。しかしこれは容認しがたい。というのも、それにつづく現在の命令法 īṅkhayāvahai「われらは揺られよう」があるからであって、これをどうしても過去の時称と見なし、G. K. R. のように「かくてわれらは揺れる小舟に揺られつつ飛びゆいた」と訳すことはできない。
さらにもう一つの疑義が、上記の訳者たちによる第 5 詩節の解釈にたいして生ずる。かれらは後半句をなお前半句の yad に依存させているが、動詞 jagāma が無アクセントであることは、これを独立のものと標示しているからである。後者をアクセントの示すとおりに解するならば、われわれはこの詩節の後半部に、前半部の問い——友誼はどうなったのか——にたいする
答えを得ることになる。
これに加えて、なお他のいくつかの理由がある。第一に、航海は神との以前の睦まじい交わりを表示するのに、必ずしも適切ではあるまい。第二に、他の諸詩節がこれらの詩節とあまりに脈絡なく見えるため、われわれは第 3・4 詩節、あるいは第 3–6 詩節をこの歌の本来の核と見なさざるをえなくなる。しかしそれは事実ではない。すべての詩節が一つの全体をなしており、第 7 詩節こそまさしく、この讃歌の詩的に描き出された思想を簡潔にまとめる結びなのである。というのも、Aditi の胎からの守護とは、先に航海によって示唆されていた昼の光以外の何ものをも意味せず、また千の門をもつ家に対応する、Varuṇa が解き放つべき縛のうちには、夜以外を見るべきではないからである。そのことは次章の論述から明らかになるであろう。
われわれの叙述に躓きうるとすれば、それは、海の航行が、人が昼を(あるいはおそらく夜をも)海の上のごとくに渡りゆくということの、単に詩的な表現にすぎないとする点だけであろう。しかしこの思想はまったくヴェーダ的である。神々が人を「舟に乗せるごとくに」危難の彼方へと渡す多くの箇所を参照されたい。また ṛta(=昼および供犠)が舟になぞらえられる箇所もよく知られている。
しかしとりわけわれわれの上記の解釈を支持するのは RV. 10, 63, 10 であって、そこで詩人は言う。daivīṃ nāvaṃ svaritrām anāgasam asravantīm ā ruhemā svastaye:「われらは幸いのために、かの神なる舟に乗りたい——櫂よく備わり、瑕なく、朽ちざる舟に」(Roth は「水漏れせぬ」。Sāy. は agacchantīm avinaśvarīm)。
この詩節の意味は、RV. 1, 140, 12 を引き合わせるといっそう明らかになる。rathāya nāvam uta no gṛhāya nityāritrāṃ padvatīṃ rāsy agne / asmākaṃ vīrāṃ uta no maghono janāṃś ca yā pārayāc charma yā ca:「Agni よ、汝はわれらに、車のためにまた住処のために舟を与える——それ自身の櫂と一つの足とを備え、われらの英雄たちと Maghavan たちと、またわれらの人々とを渡し、われらの屋根たるべき舟を1。」
舟の足が太陽以外の何ものでもないこと、そして太陽が
そこから発する光をもって人を渡らせることは、疑いえない。
この観念をさらに照らし出すために、いくらか変異してはいるがきわめて興味深い A. V. 17, 1, 25 の一箇所を付け加えよう。そこでは太陽神の守護する力が、夜にわたっても働くものとして把握されている。āditya nāvam āruhaḥ śataritrāṃ svastaye / ahar mātyapīparo rātriṃ satrāti pāraya //:「Āditya よ、汝は幸いのために、百の櫂をもつ(太陽の)舟に乗った。汝はわたしを昼の彼方へ渡した。夜の彼方へも、まったく渡らせたまえ。」
つまり昼と夜とが二つの海と見なされているのであり、実際われわれは Taitt. Saṃh. 3, 2, 2, 1 にそう呼ばれているのを見出す。dvau samudrau vitatāv ajuryau paryāvartete jaṭhare 'va pādau / tayoḥ paśyanto ati yanty anyam apaśyantaḥ setunā 'ti yanty anyam //:「二つの朽ちざる海が広がっている。それらは(交互に)向きを変える——足が身体を〔運ぶ〕ごとくに。その二つのうち一方(昼)を人々は見つつ渡りゆき、他方を見ることなく橋によって渡りゆく。」
最後に、なお RV. の一箇所を付け加えよう。それはわれわれに、歌い手が朝に乗り込み、そこでかれの儀礼を運び来たらせるところの、渡し舟についての同じ観念を提供する。8, 42, 3:imāṃ dhiyaṃ śikṣamāṇasya deva kratuṃ dakṣaṃ varuṇa saṃ śiśādhi / yayāti viśvā duritā tarema sutarmāṇam adhi nāvaṃ ruhema //:「神 Varuṇa よ、崇め奉る者の力と洞察とを研ぎたまえ(Westergaard, rad. 参照)。それによってわれらがあらゆる苦難を越えゆくところの、よく渡らせる舟にわれらは乗りたい。」
これらの箇所は、われわれの讃歌の第 3・4 詩節にいかなる意味を与えるべきかを示すのに十分である。そしてわれわれの解釈の正しさのさらなる確証を、第 1 詩節が与えてくれる——それが Varuṇa を直接に昼を与える者と呼ぶときに。
したがってわれわれは、この歌を一つの連関ある全体と称してよい。その思想の流れをもう一度簡単にまとめておこう。歌い手は、力ある太陽の馬を導き来たる神 Varuṇa に歌を歌うよう促す。かくして昼と夜との境に立ち、昼の再来を待ち望みつつ、詩人は Varuṇa の力についての省察にふける。かれは神を永遠の光の輝きのうちに見、昼の闇と明るさとにたいするかれの力を知っている。かれは
神に、闇と光とを見させてくれるよう乞う。すなわち、その両者の彼方へ、害なくかれを導いてくれるよう乞うのである。
さてこの対立が、さらなる詩的描写を得る。昼はかれにとって、慈悲深き神との無邪気な交わりの時である。夜にはかれはこの神が怒っていると信じ、みずからを神の光の国から追い出されたものと思いなす。しかし夜はかれにとって死と同義であり、それゆえかれは、己の頭上に穹窿をなす Varuṇa の家へと入りゆかねばならぬことを恐れる。かれはかつての友の敵意の理由を探り、Varuṇa の倫理的側面を思い起こしつつ、罪をもってかれを怒らせたのだと考える。
かれは第 7 詩節における内容の要約をもって歌を結ぶ。この詩節は別の像において、先の六詩節と同じことをわれわれに語っている。すなわち歌い手は、Varuṇa の縛から解き放たれることを願い、ふたたび Aditi の光の国へと入りゆくことを望むのである。
最後に、この歌が Vasiṣṭha 讃歌であること、そしてこの事情がわれわれを、われわれの解釈の正しさのために要求しうるさらなる証拠へと導くことに、触れておかねばならない。すなわちわれわれは同じ Maṇḍala のうちに、Varuṇa が縛られた Vasiṣṭha を縛から解き放つよう乞われている讃歌を見出すのであり(7, 86, 2 以下)、またその前に置かれた他の諸詩節も、いま論じた歌のいくつかの詩節と類似した思想、すなわち Varuṇa が歌い手に怒っているという思想を表明している(下記参照)。次章においてわれわれは、この縛もまた夜を意味することを見るであろう。それゆえここでは、その章を参照するよう指示するにとどめる。
やや長い脱線において論じたこの讃歌がわれわれに示した結論は、上に述べた、昼と夜との支配者としての Varuṇa という解釈のさらなる確証であった。
この思想もまた、ヴェーダの歌い手たちの空想にさらなる変奏の機縁を与えた。そしてわれわれはそのもう一つの解釈を A. V. 13, 3, 13 に見出す。すなわち、夜は一方では、明るい昼にたいして、あらゆる恐ろしきもの、人間にとって畏るべきものの出発点であるかに見えるが、しかし夜にもまた天の光は地上界を照らすのであり、ここから、夜に目覚めている Agni という観念が展開していた。したがって、われわれの神を、夜の恐怖とと同様に、
夜の Agni とも結びつけることは自然であった。そして引用した Atharvaveda の箇所は、実際にそれがなされたことをわれわれに証明する。それは次のとおりである。sa varuṇaḥ sāyam agnir bhavati, sa mitro bhavati prātar udyan / sa savitā bhūtvāntarikṣeṇa yāti etc.
Pet. Wört. においては、この箇所の前半が、Varuṇa がとりわけ夜の神であることの証拠として挙げられている。しかし前半を後半なしに考察してはならない。必要に応じて両文を合わせて解するならば、別の結論が得られる。すなわち、Varuṇa はまさしく昼の神(= Mitra)でもあり夜の神(ここでは= Agni)でもある、ということである。つまりわれわれはこう訳さねばならない。「この Varuṇa は夕べには Agni となる。かれは朝に昇るとき Mitra となる。かれは Savitar となって空界を通りゆく」云々。
このわれわれの解釈は、いま一つの理由によっても確証される。すなわちわれわれは、Agni と太陽神とが光の二人の担い手であり、前者は夜の光の、後者は昼の光の担い手であること、そして太陽神が夕べに Agni のうちに入り、Agni が朝に太陽神のうちに入ることを示す一連の証拠を、Brāhmaṇa のうちに見出すのである。
たとえば Śat. Brāhm. 2, 3, 1, 3 を挙げよう。そこにはこうある。yadā hy eva sūryo 'stam ety athāgnir jyotir yadā sūrya udety atha sūryo jyotiḥ etc.「太陽が沈むとき、Agni が輝きである。太陽が昇るとき、太陽が輝きである。」また 2, 3, 1, 3:atha yad astam eti / tad agnāv eva yonau garbho bhūtvā praviśati:「(太陽が)沈むとき、それは胎児となって Agni のうちに胎として入りゆく。」
ここから、Agni と Sūrya とが本質的に同族と見なされていたことが帰結する。そしてこれによってわれわれは Śat. Brāhm. 2, 3, 1, 36 を説明することができる。そこには、夕べには Agni において同時に Sūrya にも、朝には Sūrya において同時に Agni にも供犠する、云々とある。
これらの箇所はなお容易に増やしうるであろうが、Agni と太陽とが、昼も夜も輝く大空にたいする一つの表現にすぎないことを論証するには十分である。そしてわれわれはいま、われわれの箇所における Agni と Mitra との対置を理解する。それによって Varuṇa は、昼の主神(=太陽)および夜の主神(= Agni)と同一視され、昼と夜とにわたって及ぶかれの輝きが示唆されているのである。
Varuṇa が、上に論証したように、大空の神であり昼と夜との主であるならば、
われわれはそのような表現に躓く必要はない。それはまさに、昼も夜も照らす光の天の詩的描写を含むにすぎないからである。
以上が、Varuṇa の昼の天と夜の天との支配を同時に認識させる諸箇所である。次にわたしは、一方または他方の側面のみを強調する諸箇所を挙げよう。それらは前者よりもなお数が多いほどである。かれを単独に、あるいは光の神々との結びつきによって、太陽の光に貫かれた大空として現す詩節のすべてを挙げねばならず、ついで、恐怖に満ちた夜の主をわれわれに認識させる詩節を挙げねばならない。
前者がわれわれに、Varuṇa の夜の天への一面的な関係を想定することを禁ずるように、後者はわれわれが、かれのうちに昼の天の神のみを見ることを妨げる。そして両群を合わせれば、われわれがかれの本質をいかに正しく理解すべきかが教えられ、本章で論じたより明瞭な諸箇所と同じ証明、すなわち Varuṇa が昼と夜との主であるという証明が与えられるのである。
Ṛṣi たちが個々の詩節において一方または他方の観念のみに場を与えたからといって、われわれがかれの真の本質について欺かれてはならない。これはまさしく、上に述べた古の詩人たちの特性——神の一側面を取り出し、この一つをきわめて多様に変奏するという特性——にまったく対応するものである。
そもそも Varuṇa は、天と地とを創り、太陽と月とを据え、河を導き、人の思いと海における舟の道とを知る全能の神として、つねにその本質の全能のうちに歌われねばならなかったのだろうか。夜に人間を打ちつけた縛を、暁に解いてくれるよう乞うときには、かれを Agni や Mitra や Sūrya と結びつけるほうが自然ではなかったか。雨を待ち望むときには、かれを水の神としてのみ讃え、水に道を開く Indra と結びつけ、その際に他の属性を顧慮しないのが自然ではなかったか。
ギリシア人もまた一つならぬ Zeus をもち、ローマ人もその Jupiter を fulgurator, serenator, pluvius, juventas 等々として崇めたではないか。これらはすべて一つの同じ本質から派生したものであって、その一部には特別な供物をもって、また特別な神殿において仕えたのであり、しかもそのことによって
この存在のその他の権能のすべてをも同時に視野に入れねばならぬ、ということはなかったのである。
このような区別は、ヴェーダの祭式においてもわたしの目にとまった。Varuṇa と Indra-Varuṇa と Mitra-Varuṇa とに、色または種類の異なる獣が供せられるだけではない。一にして同じ神が、その働きのいずれの領域を表示すべきかに応じて、異なる獣を受けるのである。というのも、馬が Varuṇa に属するものとして表示されるならば、それはかれの光の天としての性質を意味し、牝牛がかれに配されるならば、のちに見るように、かれの雨の天としての性質を意味するからである。
この区別はきわめて特殊なところにまで及んでおり、Taitt. Saṃh. 5, 6, 20 においてわれわれは、Varuṇa、rājan としての Varuṇa、そして第三に riśādas としての Varuṇa が分けられ、それぞれに異なる獣が供せられるのを見る。vāruṇās trayaḥ kṛṣṇalalāmāḥ, varuṇāya rājñe trayo rohitalalāmāḥ, varuṇāya riśādase trayo 'ruṇalalāmāḥ1。それゆえわたしは、祭式の研究がこの点についてもまた特別な価値をもつであろうと考える。
さてわたしは、Varuṇa を昼の天および昼の主として示す諸箇所へと向かう。
B. Varuṇa がもっぱら昼の主として現れる箇所
昼および昼の天の特徴的なものは太陽である。それゆえわれわれは、まず、太陽をなんらかの関係において天神と結びつけて現す詩節を挙げねばならない。
a) 太陽と結びついた Varuṇa
そのような関係が示唆されているのは、すでに上に幾度か見たとおりである。われわれは太陽が Varuṇa の舌と呼ばれるのを見出し、またかれがずばり Mitra と同一とされるのに出会った。そしていまわれわれは、ヴェーダの詩人たちが太陽の Varuṇa への関係をいかに幻想的に飾り立てたかを見るであろう。あるときはかれらは太陽を Varuṇa の眼と呼び、あるときはその足、あるときはその使者と呼ぶ。またかれらは Varuṇa を太陽の創造者と呼ぶ、等々。
1, 50, 6. 7:yenā pāvaka cakṣasā bhuraṇyantaṃ janāṃ anu / tvaṃ varuṇa paśyasi // vi dyām eṣi rajas pṛthv ahā mimāno aktubhiḥ / paśyañ janmāni sūrya //:「輝ける者よ、Varuṇa よ、汝が人々のうちの勤しむ者を見つめるその眼をもって、Sūrya よ、汝は天と広き空界とを渡りゆき、夜々をもって日々を測りつつ、生けるものらを見下ろす。」
1, 105, 6:kad va ṛtasya dharṇasi kad varuṇasya cakṣaṇam / kad aryamṇo mahas pathāti krāmema dūḍhyo etc.:「汝らの ṛta の支えは何か。Varuṇa の眼差しは何か。偉大なる Aryaman の道はいかに。それによってわれらが敵らを踏み越えゆかんことを。」
7, 87, 1:radat patho varuṇaḥ sūryāya prārṇāṃsi samudriyā nadīnām / sargo na sṛṣṭo arvatīr ṛtāyañ cakāra mahīr avanīr ahabhyaḥ:「Varuṇa は太陽のために道を開き、海へと向かう河の水を前へと流れさせた。『放たれた疾走』(Ludwig)が牝馬たちを導きゆくがごとく(?)、真なる者は日々のために大いなる軌道を作った1。」
7, 87, 5:gṛtso rājā varuṇaś cakra etaṃ divi preṅkhaṃ hiraṇyayaṃ śubhe kam:「賢き王 Varuṇa は、天にこの黄金の鞦韆を、輝きのために作った。」24 頁に引用した 7, 88, 1cd の詩節を参照。
さらに 8, 41, 8:sa samudro apīcyas turo dyām iva rohati ni yad āsu yajur dadhe / sa māyā arcinā padāstṛṇān nākam āruhat:「隠れたる海である強き者は、この方位に供犠の句を置くとき、いわば天を昇る2。かれは輝く足をもって(敵らの)たくらみを散らし、天の穹窿を昇った。」
この詩節において注目すべきは、Varuṇa が隠れたる海と呼ばれていることである。この表示の意味はただ一つ、詩人が神をもっぱら昼への関係において描き、天空間を満たす光と光の天とのうちに、(夜には)隠れた海を見ている、ということでしかありえない。
これによってわれわれは RV. 7, 87, 6 の理解をも得る。そこにはこうある。ava sindhuṃ varuṇo dyaur iva sthād drapso na śveto mṛgas tuviṣmān:
「Varuṇa は天のごとくに海へと降り立った、輝く滴のごとく、力ある獣(鳥)は。」ただしその際、一つ注意すべきことがある。すなわちここでは Varuṇa と天(もちろん光の天)とが分けられており、したがってこの観念は、輝く大空が光の天から区別されているという点で、より神の本来の性格に遡るものである、ということである。
さらに上に挙げた RV. 9, 73, 9 の箇所を参照されたい。それによれば ṛta(=真=光)の織物は、天において舌(= Agni あるいは太陽)の先に、Varuṇa の智慧によって広げられている。
さらに RV. 10, 123, 6:nāke suparṇam upa yat patantaṃ hṛdā venanto abhy acakṣata tvā / hiraṇyapakṣaṃ varuṇasya dūtaṃ yamasya yonau śakunaṃ bhuraṇyum:「天の穹窿を飛ぶ鳥である汝を、心において希う者たちは見た——黄金の翼をもつ Varuṇa の使者を、Yama の胎へと急ぐ鳥を。」
このほか、太陽が Varuṇa の眼と呼ばれる一連の箇所もここに属するが、それらでは Varuṇa が Mitra と結びつけて言及されているため、これについては後段を参照されたい。
さてこれらの詩節に、なおもう一つ、かれをより近く暁と関係づけ、先の諸箇所と同じ、光の神格としての Varuṇa という観念をわれわれに示す詩節を連ねてよいであろう。1, 123, 5:bhagasya svasā varuṇasya jāmir uṣaḥ sūnṛte prathamā jarasva。Sāy. は jāmi を「bhaginīsthānīyā」と解し、しかも「ekasmin sthāna utpadyamānatvāt」——同じ場所において生まれることのゆえに——とする。したがってかれはこれを svasar の同義語と見なしているのであり、そのことは Yāska 3, 6 によっても証言されている。詩節は以上に従えばこうなる。「Bhaga の姉妹、Varuṇa と同じ生まれの者よ、Uṣas よ、愛らしき者よ、まず初めに(歌のうちに)響きたまえ。」
つまりここにわれわれは、Agni を Varuṇa の兄弟と表示することがわれわれに思い起こさせるのと類似した思想をもつのであり、その表示についてはやがて根拠づけるであろう。そして、Varuṇa を暁の創造者と呼ぶ上記引用の箇所と、Varuṇa が曙光たちの秘密の名を知ると言われる RV. 8, 41, 5 とを想起しさえすれば、この神の Uṣas への密接な関係にここでも躓く必要はないのである(この点についてはなお後述する)。
さてここに、
Varuṇa の太陽への関係と意味においては同じでありながら、観念においてはあまりに異なるため、それらから切り離さねばならぬとわれわれが考えた詩節が連なる。すなわち、
b) Varuṇa の馬にたいする関係
を論ずるものである。
馬そのものが太陽の表示、あるいは少なくともその象徴であることは、あらためて強調するまでもない。そしてわれわれが Varuṇa を太陽と結びつけて見たように、ヴェーダはまた時に、馬を Varuṇa に属するものとして示す。
RV. 7, 44, 3 を参照。dadhikrāvṇam bubudhāno agnim upa bruva uṣasaṃ sūryaṃ gām / bradhnaṃ māṃścator varuṇasya babhruṃ te viśvāsmad duritā yāvayantu //:「Dadhikrāvan をわれは目覚めつつ讃える、Agni を、Uṣas を、Sūrya を、Go を、月を追い払う(?)1 Varuṇa の赤き馬を。これらがわれらからあらゆる危難を遠ざけてくれるように。」
RV. 1, 163, 4:trīṇi ta āhur divi bandhanāni trīṇy apsu trīṇy antaḥ samudre / uteva me varuṇaś chantsy arvan yatrā ta āhuḥ paramaṃ janitram //:「三つ、と人は言う、汝のつながりは天にあり、三つは水のうちに、三つは海のうちにある。汝は Varuṇa のごとくわれの意に適う(共通の輝きに関係する)——そこに汝の最高の生誕の地があると人の言うところの。」
Vāj. Saṃh. 13, 42:vātasya jūtiṃ varuṇasya nābhim aśvaṃ jajñānaṃ sarirasya madhye …… agne mā hiṃsīḥ parame vyoman:「Agni よ、最高天において、風の速さを、Varuṇa の萌芽(臍)を、水の中央に生まれし馬を、損なうことなかれ。」
さらに Śat. Brāhm. 5, 3, 1, 5:sa hi varuṇo yad aśvaḥ を、あるいは同 6, 2, 1, 5——そこでは牡牛が Indra に、馬が Varuṇa に属するものと表示されている——を参照。また同 4, 3, 4, 31——そこでは Varuṇa の四つの異なる贈り物、すなわちその異なる働きを示唆するもののうちに、馬が含まれている(aśvam pratyeti yamāya tvā mahyaṃ varuṇo dadātv iti etc.)——その他、類似の諸箇所を参照。
この馬が太陽を意味することは、おそらく証明を要しないであろうし、Brāhmaṇa にも知られている。この点はとくに指摘しておく必要があると考える。それは、
Brāhmaṇa が Varuṇa をもっぱら夜に関係づけているように見えることのないようにするためである(7, 3, 2, 10:asau vā āditya eṣo 'śvaḥ その他)。
われわれはさらに、Varuṇa が馬の保護者であるのをも見出す。この点については Vāj. Saṃh. 22, 5 以下を参照されたい。yo 'rvantaṃ jighāṃsati tam abhyameti varuṇaḥ paro martaḥ paraḥ śvā //:「駿馬を殺さんとする者、その者を Varuṇa は苦しめる。人は去れ、犬は去れ」(すなわち除かれる)。Taitt. Saṃh. 2, 3, 12, 1:varuṇo vā etaṃ gṛhṇāti yo 'śvam pratigṛhṇāti 云々。
これこそが、Varuṇa が Taitt. Saṃh. 4, 3, 10, 2. 3(ekaśaphāḥ paśavo 'sṛjyanta, varuṇo 'dhipatir āsīt)、Vāj. Saṃh. 14, 30 その他において、単蹄獣の主宰者と表示される理由でもある。
さてわれわれは、この章の別の一節、すなわち Varuṇa の昼への関係についてのわれわれの主張を確証するのにとりわけ適した一節へと向かう。すなわち
c) Varuṇa と Agni
である。
ここで考慮に入るべき諸箇所は、光の神々と結びついた Varuṇa の意味を規定する明瞭さにおいて、他のすべてに抜きんでている。それらはわれわれに、夜が Varuṇa の怒りを意味し、かれが夜のうちにいわば人間界から顔をそむけることを教える。またそれらは、早朝における光の再来が、怒れる者の宥めと、太陽の眼をもってふたたび人間を見下ろす慈悲深き神とを告げることを示す。
Varuṇa が Agni と結びつき、この結びつきがかれの人間への帰還を表示するとき、この Agni は、上に論じたものとは別の Agni である。それは早朝に燃え上がり、闇を追い払い、神々をふたたび供犠へと導く火の神である。この Agni 観がヴェーダにきわめて馴染み深いものであることは、無数の箇所をもって裏づけうるであろう。
Agni-Varuṇa についてのわれわれの提示した見解を確証するために、次の諸箇所を挙げよう。
RV. 4, 1, 2:sa bhrātaraṃ varuṇam agna ā vavṛtsva devāṃ acchā sumatī yajñavanasaṃ jyeṣṭhaṃ yajñavanasam / ṛtāvānam ādityaṃ carṣaṇīdhṛtaṃ rājānaṃ carṣaṇīdhṛtam //:「Agni よ、兄弟なる Varuṇa を導き来たらせよ、(他の)神々のもとへ1、好意をもって、供犠を愛する者を、供犠を愛する最上の者を。ṛta に富める Aditi の子、人々を保つ者を、人々を保つ王を。」
第 3 詩節:sakhe sakhāyam abhy ā vavṛtsvāśuṃ na cakraṃ rathyeva raṃhyāsmabhyaṃ dasma raṃhyā / agne mṛḷīkaṃ varuṇe saca vido marutsu viśvabhānuṣu …:「友よ、友を導き来たらせよ、疾き車輪のごとく、二頭の馬のごとく(Sāy. yojitāv aśvau)急ぎてわれらのもとへ、敵を滅ぼす者よ、急ぎて。Agni よ、Varuṇa とともに、あまねく輝く Marut たちとともに、われらに恵みを与えたまえ。」
第 4 詩節:tvaṃ no agne varuṇasya vidvān devasya heḷo 'va yāsisīṣṭhāḥ / yajiṣṭho vahnitamaḥ śośucāno viśvā dveṣāṃsi pra mumugdhy asmat //:「Agni よ、Varuṇa を知る汝が、われらより神の怒りを転じてくれるように。最良の供犠者にして最良の祭官たる汝は、その輝きをもって、われらからあらゆる敵意を解き放て。」
第 5 詩節:sa tvaṃ no agne 'vamo bhavoti nediṣṭho asyā uṣaso vyuṣṭau / ava yakṣva no varuṇaṃ raraṇo vīhi mṛḷīkaṃ suhavo na edhi //:「Agni よ、汝はその助けをもってわれらにもっとも近き者であれ、この Uṣas の輝くとき、まったくわれらの側にあれ。快く(本来は「それを許しつつ」)Varuṇa を宥めよ。恵みを与えよ。われらの幸いのために呼ばれる者であれ。」
さて、この讃歌のつづく諸詩節(8, 11, 17 その他を参照)の多くが光の昇ることを論じていること、たとえば第 4 詩節が prātaranuvāka において誦されること、そして一方では Agni が Varuṇa の怒りを転ずるよう乞われ、他方ではこの神を導き来たらせるよう乞われていることを考量するならば、われわれは、早朝に Varuṇa が人間のもとへ帰り来たるものと考えられている、という結論以外を引き出すことはできない。
ここと同様に、RV. 1, 128, 7 でも Agni による Varuṇa の怒りの除去が語られている。sa nas trāsate varuṇasya dhūrter maho devasya dhūrteḥ:「かれはわれらを Varuṇa の害から、偉大なる神の害から守る。」
1, 186, 3:preṣṭhaṃ vo atithiṃ gṛṇīṣe 'gniṃ śastibhis turvaṇiḥ sajoṣāḥ / asad yathā no varuṇaḥ sukīrtir iṣaś ca parṣad ariguṛtaḥ sūriḥ //:「われは汝らのもっとも愛しき客 Agni を讃える、讃歌とともに1、勝ち得つつ(すなわちかれを獲得しつつ)——それによって Varuṇa2がわれらに善き歌3となり、熱心なる者らに歌われる Sūri が食を与えるように。」
さて、ヴェーダ詩の精神にとって Agni が昼を導き来たらす神として現れ、その出現が Varuṇa の出現をも随伴するのであれば、Agni が Varuṇa の伴侶として、その兄弟として表示され、さらにはかれと同一視されることも容易に説明がつく。というのも、Agni が姿を現せば Varuṇa もまた人間に近づくのであるから、その到来はまさに Varuṇa のそれと同義だからである。
それゆえ RV. 5, 3, 1 にはこうある。tvam agne varuṇo jāyase yat tvaṃ mitro bhavasi yat samiddhaḥ:「Agni よ、汝は生まれるとき Varuṇa であり、燃え上がるとき Mitra である。」
3, 5, 4:「Agni は燃え上がるとき Mitra である。Mitra は Hotar、Varuṇa は本質を知る者である。」
2, 1, 4:tvam agne rājā varuṇo dhṛtavratas tvaṃ mitro bhavasi dasma īḍyaḥ:「Agni よ、汝は掟をしかと保つ王 Varuṇa である。汝は敵を滅ぼす Mitra1として乞い願わるべき者である。」
10, 8, 5:bhuvaś cakṣur maha ṛtasya gopā bhuvo varuṇo yad ṛtāya veṣi:「(Agni よ)汝が偉大なる ṛta の眼にして守護者たらんことを。汝が ṛta のために(すなわちそれを生ぜしめるために)来たるとき、汝が Varuṇa2たらんことを(すなわち、かれを汝とともに連れ来たれ。汝の出現は Varuṇa のそれと同義であるべきだ、ということ)3。」
「ṛtāya」という表現には、しばらく立ちどまることが必要である。Agni が「ṛtāya」来たるというとき、この目的の与格は ṛta を生ぜしめること以外を意味せず、そしてこの ṛta のもとにわれわれは昼を理解すべきである。
この語をその全範囲において論ずることは別の機会に留保し、ここではそれがこの意味へと展開しうる理由を特徴づけるにとどめたい。ṛta は「真なる」「正しき」を意味し、したがって satya と密接に関連する。さて、われわれは上に、ヴェーダの歌い手にとって光と昼とが真なるものと見なされ、これにたいして夜が真ならざるもの、悪しきものと見なされることを述べた。そしてここから、「真なる」という表示が昼そのものにも転用されたと推論してよい。
このことをきわめてよく示す箇所が RV. 1, 139, 2 である。
そこでわれわれは Mitra-Varuṇa が「正を不正から」分かつのを見る。これはわれわれには、両神によって早朝に遂行される、光と闇との分離にしか関係づけえない。
yad dha tyan mitrāvaruṇāv ṛtād adhy adadāthe anṛtaṃ svena manyunā dakṣasya svena manyunā / yuvor itthādhi sadmasv apaśyāma hiraṇyayam:「Mitra-Varuṇa よ、汝らが ṛta(真なるもの)から anṛta(真ならざるもの)を分かちしとき、汝らの意志の自らの力によって……われらは汝らの座に、かの黄金なるもの(=光)を見た。」
そしてここで ṛta が昼しか意味しえないのと同様の意味を、われわれは他の多くの箇所から見て取る。その一つを挙げよう。RV. 6, 51, 1:ṛtasya śuci darśatam anīkaṃ rukmo na diva udita vy adyaut:「ṛta の輝ける、美しき面は、天の昇るところにて黄金のごとくに耀き出でた。」この詩節において ṛta の面は太陽を意味し、したがって ṛta 自身は昼ないし光以外の何ものをも意味しない。
この説明から出発し、上に挙げた箇所——Agni が「ṛtāya」来たるとき Varuṇa である——の内容をいま一度思い起こすならば、われわれは Varuṇa を ṛtapeśas によって、また ṛta の導き手として表示することの特異さをも理解する。それは昼の光以外への関係をもたない。Varuṇa はその光とともに帰り来たるのであり、それゆえかれはその光の導き手ときわめて正当に呼ばれうるのである。
たとえば 5, 66, 1 にはこうある。varuṇāya ṛtapeśase dadhīta prayase mahe。ここでわれわれは、もっとも意味に即して「光もて飾られたる Varuṇa に」と訳す(Grassmann は「救いもて飾られたる」、Ludwig は「その装いが法である者」)1。
7, 40, 4:ayaṃ hi netā varuṇa ṛtasya mitro rājāno aryamāpo dhuḥ:「ṛta の導き手はまさしく Varuṇa である。かれと、王なる Mitra、Aryaman とが、この業を据えた。」
9, 73, 8(15 頁参照)。9)ṛtasya tantur vitataḥ pavitra ā jihvāyā agre varuṇasya māyayā / dhīrāś cit tat saminakṣanta āsatātra kartam ava padāty aprabhuḥ:「ṛta の織物は pavitra2において、舌の先に、Varuṇa の智慧によって広げられている。
賢者たちは努めてそれに到達した。それに適わぬ者は穴へと落ちるがよい。」
さらに RV. 4, 42, 4 を参照。これはいま挙げた詩節とまったく同じことを、ただ別の語で言っている。dhārayaṃ divaṃ sadana ṛtasya:「われは ṛta の座において天を保った1。」
これによってさらに、かれが ṛtāvan その他と呼ばれる多くの箇所が説明される。ただしそれらはその意味において倫理的領域にも及ぶため、以下の諸章のいずれかに留保しておかねばならない。
さてわたしは Agni-Varuṇa の検討に戻り、なお Atharvaveda の一讃歌(5, 1)に言及しておく。これはこの両神のあいだの関係によってのみ説明されうるものだが、一部はきわめて難解であるため、誤りがあればご寛恕を乞わねばならない。
「1)特別の mantra が、胎に入りゆいた者23、生命力において朽ちざる者、栄える者、優れた生まれの者に向けて誦される。その生命力において損なわれず、昼のごとくに輝きつつ、維持者 Trita は三界を担う。
2)まず初めに諸々の掟に入りゆいた者、それによって汝(Varuṇa よ)は現象を数多からしめる。むさぼり食わんとして†)かれはまず初めに胎へと入りゆいた——語られざる言葉(Veda)を(Hotar として)解する者は††)。
3)汝の輝きのために身体を委ねし者†††)、(その)自らの光線は流れる黄金に従った。そこでは
二者(天と地)がかれの不死なる名を担う。衣(すなわち歌と供犠)を諸族がかれのために整えるように。
4)これら(第 3 詩節の śucayaḥ を補うべし)がさらに進みゆき、太古の、朽ちざる座のおのおのに踏み入りしとき(すなわち光線が天空間に広がるとき)、そのとき Kavi(Varuṇa)は乾かす者のために舐める母たちを1〔目覚めさせ〕、汝ら二者は姉妹のために、軛に属する(本来は「繋ぐに適した」。おそらく「似つかわしい」の意に取るべき)夫を目覚めさせた2。
5)この汝の大いなる崇敬を、広き軌道をもつ者よ、われは Kavi として智慧によってなす。それに合わせて、地へとともに近づき来たり、両者(A. と V.)はそこで二つの大河を増す(?)。
6)七つの境界を賢者たちは定めた。それらの一つへと、苦しめる者3が来た。生命の担い手は、最高者の座に、道の果てに、堅固なる支柱のうちに立つ†)(RV. 10, 5. 6. 7 を参照)。
7)生命力において不死なるわれは、掟のうちに働きつつめぐりゆく、Asura よ。(一なる)魂と(個々の)身体とはそこへと入りゆいた——力ある者が宝を与えるのであれ、あるいは havis を捧げる者として食をもって崇めるのであれ(dadhāti には yat sacate から「yat」を補う)。
8)子は父に(Atharvan は父 Asura に。両者は A. V. 5, 11, 1 以下にともに現れる)支配を〔乞うた〕。最善の Maryāda(境を定める者?=太陽)を、人々は幸いのために呼んだ。V. よ、いま人々が汝の種々の現れかたを見るように。急ぎ近づき来たる者の姿を生ぜしめよ(太陽は一切を光と輝きとに包み、それによってふたたび一切を可視ならしめる。ゆえにその「姿」)。
9)汝は
半分を半分によって1乳もて満たす。半分(下なる世界の半分)によって汝は栄える、力ある者よ、賢き者よ2。われらは羊3を、親しき伴侶を、勤しむ Aditi の子 Varuṇa を栄えさせよう。われらはかれに、Kavi たちに讃えられし現れを告げた、Rodasī よ、真なる言葉をもって。」
わたしがこの讃歌をここに全訳して掲げたのは、それが Varuṇa と太陽とのあいだのいくつかの興味深い関係を示唆しているからである。それらは上に述べることもできたであろうが、一部は変奏にすぎず、したがって Agni-Varuṇa を論ずる冒頭の諸詩節にたいする一種の説明をなすものであるから、むしろここに置くほうがよい。
わたしはたいていの場合、原文に忠実であろうと努めたが、ところどころ批判上の不確実さの可能性は認めざるをえない。また全体の説明を目指したが、この讃歌が種々の——しかしわれわれの論述にとってもきわめて興味深い——部分から合成されていることは、RV. 10, 5, 6 に見出される第 6 詩節がわれわれに示すとおりである。
なお少しく Agni-Varuṇa に留まって、言及に値することをいくつか補っておく。まず、一つの特異な箇所を挙げよう(RV. 10, 51, 4)。そこでは Agni が Varuṇa に、Hotar の務めを恐れて逃れたのだと語る。かれをそのような関係において Varuṇa と見る理由は、上に論じた両者の近しい関係にある。そしてわれわれは
この詩節の説明にあたって、Varuṇa と Agni とが昼には一つに結ばれているというかの表象を想起せねばならない。かれがここで逃れた者として描かれているとすれば、これはいずれにせよそのことの余韻であり、われわれに、ここでは夜に遠ざかった Agni が語られているにちがいないことを思い起こさせる1——たとえ他のさまざまな観念が加わっているにせよ。
ついで A. V. 19, 26, 4 をここに挙げておこう。そこでは Varuṇa が hiraṇya を知る神々のうちに数え上げられている。この hiraṇya はおそらく、第 1 詩節が示唆するように護符であり、おそらく日輪を意味するのであろう。これに言及するのは、第 1 詩節でこの黄金が Agni から生まれたと言われており、第 1 詩節と第 3 詩節とを併せ考えることによって、われわれがかの古き Agni-Varuṇa の観念へと間接的に導かれるからである。
しかしより直接的には、すでに言及した Śat. Brāhm. 4, 3, 4, 28(Vāj. Saṃh. 7, 47)の箇所が、この Varuṇa-Agni-hiraṇya の連関にわれわれの注意を促す。そこにはこうある。hiraṇyaṃ pratyeti: agnaye tvā mahyaṃ varuṇo dadātv ity agnaye hy etad varuṇo 'dadāt etc.
つまり Varuṇa は、ここで疑いなく太陽を意味する hiraṇya の、Agni への贈与者として現れるのである。そしてこのことはわれわれを、Varuṇa がふたたび人間へと向かう神として太陽をもまた連れ戻す、というかの古き観念へと立ち戻らせる。かれがそれを Agni に与えるとすれば、これは昼と夜とを分かち、光を導き来たらす神への引き渡しを意味する。この箇所自体はわれわれにこの説明を提供しないが、これは唯一可能な説明であり、これまで述べてきたことを考量するならば、正しい説明である。
Agni の Varuṇa とのその他の一連の結びつきについては、その性格が本質的に異なり、Varuṇa を夜として指し示すものであるため、のちに考慮することとする。
さてわたしは、Varuṇa が光の天を意味することのさらなる証明へと向かう。すなわち
d) Viṣṇu-Varuṇa
ここで挙げるべきはただ一つの長い箇所のみであるが、この一箇所は、それがつねに唯一のものであったわけではないことを示している。それを教えるのは、両神の結びつきの本来の意味を越えて、かれらに付与された宇宙生成的活動である。
このことからわたしは、Viṣṇu-Varuṇa がもともとは特定の部族ないし一家族の神々であって、そこでは Viṣṇu-Varuṇa 崇拝が、他所における Mitra-Varuṇa 崇拝と同様に高い隆盛にあったのであろう、という想定に至る。この想定については、いくつか他の徴証にも依拠するが、それに言及する前に、まずわれわれの箇所を見ておこう。
A. V. 7, 25, 1:yayor ojasā skabhitā rajāṃsi yau vīryair vīratamā śaviṣṭhā / yau patyete apratītau sahobhir viṣṇum agan varuṇaṃ pūrvahūtiḥ // 2)yasyedaṃ pradiśi yad virocate prā cānati vi ca caṣṭe śacībhiḥ / purā devasya dharmaṇā sahobhir viṣṇum agan varuṇaṃ pūrvahūtiḥ:「その力によって諸世界が支えられている二者、その男らしき力によってもっとも雄々しく、もっとも強き二者、その威力によって抗しがたく支配する二者——Viṣṇu-Varuṇa のもとへ pūrvahūti は至った。2)その支配の領域において、可視なるもの、生けるもの、その力によって見るものがある者——古より神の掟に従い、威力によって——Viṣṇu-Varuṇa のもとへ pūrvahūti は至った。」
この最初の詩節は、A. V. のみがわれわれに提供するのではない。われわれはこれが Āśv. Śr. S. 5, 20(異読を伴う)、Ait. Brāhm. 3, 38 および 7, 5 に引用されているのを見出す。後二者の場合それは、Viṣṇu が供犠における過誤の悪しき結果を除去し、Varuṇa がその善き完遂から生ずる善きものを守護すべきだからである。
これがすでに Viṣṇu-Varuṇa 崇拝のさらなる顧慮を示唆するとすれば、かれらのかつての重要性のいま一つの証拠は、Taitt. Saṃh. の目立たぬ一箇所——しかしまさにその把握における長い展開を推測させる箇所——すなわち Taitt. Saṃh. 2, 1, 4, 4 にある。ここではかれらに属する牝牛が語られているのである。そして神々に属する獣は、その特性においてつねに神々の一側面に対応せねばならぬのであるから、われわれはここから、かれらが「牝牛」を人間に与える者として、すなわち雨の神として崇められていたと結論してよい。そして
かれらに属する獣としての牝牛をかれらに供することの根底には、この観念があるのである——たとえ Taitt. Saṃh. 自身がそれに別の説明を与えているとしても。
このことは、Mitra-Varuṇa の場合と同様、かれらの把握における長い展開を物語る。Mitra-Varuṇa においても同じ観念が見出されるが、それは確実に(もちろん相対的に)後代のものと見なすべきものである。
しかし、Varuṇa が光の神々と結びつけられている箇所のうち、圧倒的多数を占めるのは、
e) Mitra-Varuṇa
の讃美に充てられたものである。
Varuṇa の叙述は必然的に Mitra-Varuṇa にも関わらざるをえないが、その叙述は、われわれの Mitra 解釈の個別的叙述が先行することなしには、十分に行いえない。それにもかかわらず、ここでは必要な範囲でのみ Mitra の本質を特徴づけ、より立ち入った根拠づけについては本論考の末尾を参照するようにとどめるほうを選ぶとすれば、それはわたしが実際上の考慮に導かれたからであって、その考慮には、思うに、賛同を惜しまれることはあるまい。
その考慮は Mitra-Varuṇa の本質にある。それはかれらの働きの本来の圏域をはるかに越え、きわめて種々の方向へと拡大している。そのため、雨の神としての性質においても、その倫理的側面に即しても、同時に論じねばならなくなり、それによってわれわれは Varuṇa の叙述における正しい順序を中断してしまうことになるのである。
Mitra がヴェーダと Zendavesta とから現れるかぎりにおいて、その姿はわれわれをアーリアの世界へと遡らせる。かれは、たとえば Aditi や Savitar がそうであるようには、特殊インド的精神の所産ではない。かれの構想、かれの崇拝は、ヴェーダ世界より古く、しかも多くの派生形においてこの世界へと及んでいる一時代に属する。
Mitra はアーリア諸部族の太陽神であった。しかし、ヴェーダの歌い手たちがその讃歌を観、Zarathustra が Ahuramazda を宣べ伝えたとき、これらの部族自身が別のものとなっていたように、古の神々の多くもまたその王座を退いていた。多くは歴史がその名を挙げることもなく消え去ったであろうし、多くは別の神となり、
あるいはその力を失った。それらのうちに Mitra もまた属する。
もっとも、時はかれからその光の姿を奪うことはできなかった。しかしその姿は、精神の視野においてより鮮やかに輝き上がる姿——Savitar や Sūrya のような、ヴェーダ世界の本来の太陽神——の輝きによって、背後へ押しやられた。それでもなお、少なからぬ痕跡が、古き神の栄光とそのかつての力とを示している。
もっとも数が少ないのは、かれが単独で現れる箇所である。比較にならぬほど多いのは、かれが Varuṇa と結ばれている箇所である。かれはその、より力あるかたちに、友に寄りかかるようにして寄り添う。この友は、名は異なるにせよ、かれをアーリア時代の闇のなかから導き出すのである。
Mitra はヴェーダにおいてより精神的な地位を得、一種の太陽の霊(Sonnengenius)となった。それは太陽そのものと同じ本質をもちながら、しかも太陽そのものではない。ここにわれわれは、Savitar その他において観察できるのと類似の現象をもつ。Savitar もまた決してつねに太陽そのものではなく、比較にならぬほどしばしば太陽の主であって、その馬を繋ぎ、また解くのである。
このような個別的太陽神の希薄化のみが、ヴェーダがしばしばわれわれに並べて提示する、この種の同類の姿の多さを説明しうる。しかしその名前そのものから、それらがことごとく太陽の種々の属性の人格化である、と結論することは、わたしには疑わしく思われる——それらをヴェーダ詩人自身の所産と見なそうとするかぎりにおいては。むしろいくつかについては、こう問うてよいであろう。それらはもともと種々の部族の太陽神であって、部族がその空想の捉えかたに応じてそれらに名を与えたのではないか。そしてついで、個々の部族の融合に際して祭祀もまた受け継がれ、しばしば名で遊んだ Ṛṣi たちが、語源に遡りつつ、当の神を、その名が含意すると思われる属性の主たる担い手となしたのではないか、と。
しかしそれはともあれ、Mitra に戻り、Varuṇa と Mitra との結びつきによってかれを昼に現れる神として、したがって昼の天の神として特徴づける諸箇所に向かおう。
1, 23, 5:ṛtena yāv ṛtāvṛdhāv ṛtasya jyotiṣas patī / tā
mitrāvaruṇā huve:「真なるものによって真なるもののうちに栄え、ṛta の輝きの主たる Mitra-Varuṇa を、われは呼ぶ。」
1, 115, 1:citraṃ devānām udagād anīkaṃ cakṣur mitrasya varuṇasyāgneḥ:「輝ける神々の面(太陽)が昇り来たった——M. V. Agni の眼が。」
1, 122, 15:ratho vām mitrāvaruṇā dīrghapsāḥ syūmagabhastiḥ sūro nādyaut:「M. V. よ、幸いをもたらす光線をもつ太陽のごとくに、その姿が遠くまで及ぶ汝らの車は輝き出でた。」
1, 136, 2:adarśi gātur urave varīyasī panthā ṛtasya sam ayaṃsta raśmibhiś cakṣur bhagasya raśmibhiḥ / dyukṣam mitrasya sadanam aryamṇo varuṇasya ca / athā dadhāte bṛhad ukthyaṃ vaya upastutyaṃ bṛhad vayaḥ //:「広き者(太陽)のための道として、より広き者(Uṣas)が現れた。真なるものの道は光線と結ばれ、Bhaga の眼は光線と〔結ばれた〕。輝けるは Mitra の、Aryaman の、Varuṇa の座。しかして両者(M. V.)は、大いなる讃うべき力を、大いなる誉むべき力を得る。」
同 3:jyotiṣmatīm aditiṃ dhārayatkṣitiṃ svarvatīm ā sacete dive-dive jāgṛvāṃsā dive-dive / jyotiṣmat kṣatram āśāte ādityā dānunas patī:「輝きに満ち、人の族を保ち、太陽を具えた Aditi に、この二者は日ごとに従う、日ごとに目覚めつつ。輝ける支配を、Aditi の二人の子(M. V.)、供物の主は得た。」
1, 139, 2 は 38 頁参照。
1, 152, 3:apād eti prathamā padvatīnāṃ kas tad vām mitrāvaruṇā ciketa:「足なきものが、足あるものらの先頭として近づき来たる(暁)。汝らのうち誰がこれを考え出したのか。」
同 4:prayantam it pari jāraṃ kanīnāṃ paśyāmasi nopanipadyamānam / anavapṛgṇā vitatā vasānaṃ priyam mitrasya varuṇasya dhāma:「われらはあまねく、乙女らの情人が現れ出でるのを見る——傍らへ落ちることなく、連なり広げられた(光の)織物をまとうとき、M. V. の愛しき1家2を〔まとうとき〕。」
かれらはその出現に関して 3, 54, 10 に paprathānāḥ「おのれを広げる者たち」と呼ばれる。
4, 13, 2:anu vrataṃ varuṇo yanti mitro yat sūryaṃ divy ārohayanti:「Mitra-Varuṇa は、太陽を天に昇らせるとき、掟に従う。」
4, 39, 2:yaṃ(dadhikrāvāṇaṃ)pūrubhyo dīdivāṃsaṃ nāgniṃ dadathur mitrāvaruṇā:「Agni のごとくに輝く D.〔= Dadhikrāvan〕を、汝らが Pūru たちに与えしところの」(第 3・5 詩節をも見よ)。
5, 40, 7:tvam mitro asi(atre)satyarādhās tau mehāvataṃ varuṇaś ca rājā:「(Atri よ)汝は真なるものを与える Mitra である。汝と王 Varuṇa とが、ここでわれ(Sūrya)を助けてくれるように。」
5, 62, 1:ṛtena ṛtam apihitaṃ dhruvaṃ vāṃ sūryasya yatra vimucanty aśvān / daśa śatā saha tasthus tad ekaṃ devānāṃ śreṣṭhaṃ vapuṣām apaśyam:「真なるもの(=昼)によって、汝らの堅固なる ṛta は覆われている——そこで人々が太陽の馬を解くところの。無数のものが同時にかの一なるものに立った。われは神々の姿のうち、もっとも美しきものを見た。」
同 2:tat su vām mitrāvaruṇā mahitvam irmā tasthuṣīr ahabhir duduhre / viśvāḥ pinvathaḥ svasarasya dhenā anu vām ekaḥ pavir ā vavarta:「M. V. よ、これぞ汝らの力である。密に立ち並ぶもの(?)は日ごとに搾られた。汝らは牛舎のすべての牝牛を膨らませる。汝らのあとに、かの一つの輪縁が転がりゆいた。」
同 6:rājānā kṣatram ahṛṇīyamānā sahasrasthūṇaṃ bibhṛthaḥ saha dvau:「二人の王よ、汝らはともに、慈しみの心をもって、千の柱の上に据えられた支配を担う。」
同 7:hiraṇyanirṇig ayo asya sthūṇā vi bhrājate divy aśvajantvā:「黄金に飾られた青銅がそれ(支配)の柱であり、それは天に鞭のごとくに輝く。」(?)
5, 62, 8:hiraṇyarūpam uṣaso vyuṣṭāv ayaḥsthūṇam udita sūryasya / ā rohatho varuṇa mitra gartam atas cakṣāthe aditiṃ ditiṃ ca:「M. V. よ、汝らは黄金の姿の、青銅の柱に立つ車に乗る——暁の輝き出でるとき、日の昇るときに。そしてそこから、限りあるものと限りなきものとを見る。」
5, 63, 1:ṛtasya gopāv adhi tiṣṭhatho rathaṃ satyadharmāṇā parame vyomani:「真なるものの守護者よ、汝らは最高天の空間において車に乗る——その法が真なる汝らは。」
同 7:ṛtena viśvam bhuvanaṃ vi rājathaḥ sūryam ā dhattho divi citryaṃ ratham:「真なるものによって汝らは全世界を統べ、太陽を輝ける車として天に据える。」
5, 64, 1:varuṇaṃ vo riśādasam ṛcā mitraṃ havāmahe / pari vrajeva bāhvor jaganvāṃsā svarṇaram:「われらは詩句によって汝らを呼ぶ——敵を滅ぼす Varuṇa と Mitra とを、柵のごとくにその腕のうちに
輝きの主を囲みし者らを。」
さらに 3, 61, 7;5, 65, 2. 5;5, 66, 2;67, 2;6, 16, 24;6, 67, 6;7, 60, 1 その他を参照。7, 61, 1 では太陽が「M. V. の眼」。
7, 63, 1:ud v eti subhago viśvacakṣāḥ sādhāraṇaḥ sūryo mānuṣāṇām / cakṣur mitrasya varuṇasya devaś carmeva yaḥ samaviyak tamāṃsi:「豊かなる、一切を見る(本来は「あまねく眼をもつ」)Sūrya が昇り来たる、人々の共通の維持者が。M. V. の眼、皮のごとくに闇を巻き取りし神が。」
8, 90, 2:varṣiṣṭhakṣatrā urucakṣasā narā rājānā dīrghaśruttamā / tā bāhutā na daṃsanā ratharyataḥ sākaṃ sūryasya raśmibhiḥ:「最高の支配をもち、遠くを見、もっとも遠くまで聞く、雄々しき王たち、遠く名高き者たちは、驚異の力をもって、いわば腕のうちに(?)、太陽の光線とともに車を駆る。」
同 3:pra yo vām mitrāvaruṇājiro dūto adravat / ayaḥśīrṣā maderaghuḥ …:「M. V. よ、汝らの疾き使者として先を急ぎし者、青銅の頭をもち、喜ばしき贈り物のうちに歩む者」(Sāy. は madakare dhane gantā。Grassmann は「昂ぶりのうちに急ぐ」)。
10, 36, 3:viśvasmān no aditiḥ pātv aṃhaso mātā mitrasya varuṇasya revataḥ / svarvaj jyotir avṛkaṃ naśīmahi:「あらゆる苦難からわれらを守れ、Aditi よ、富める Varuṇa と Mitra との母よ。太陽を具えた、親しき輝きをわれらが得んことを。」
さらに 10, 37, 1;10, 65, 5 その他を見よ。
これらの箇所——なお容易に大幅に増やしうるであろうが——には、さらにとりわけ、無数に両神に付与される ṛtāvan, ṛtāvṛdh 等々のすべての表示を連ねるべきである。これらの表示は、かれらの光(=真なるもの)への関係においてのみ説明されうる。
さて、同じくこれに基づく、Varuṇa の Aditi にたいする関係の説明に移る前に、なお他のヴェーダ諸書からここに属するものをいくつか挙げておこう。ただしこの内容の箇所は比較的少なく、そもそも M. V. に関する箇所の数は、注目すべきことに A. V. においては RV. よりも比較にならぬほど少ないのである。
A. V. 3, 22, 1. 2:hastivarcasaṃ prathatāṃ bṛhad yaśo 'ditye yat tanvaḥ saṃbabhūva / tat sarve samadur mahyam etad viśve devā aditiḥ sajoṣāḥ // mitraś ca varuṇaś cendro rudraś ca cetatuḥ / …:「象の力が、大いなる栄光へと広がるように——Aditi の身体から生じたものが。これをすべての神々と Aditi とがともにわれに与えた。
Mitra、Varuṇa、Indra、Rudra は心を配った(?)。」
A. V. 4, 29, 1 以下。1)manve vāṃ mitrāvaruṇāv ṛtāvṛdhau sacetasau druhvaṇo yau nudethe / pra satyāvānam avatho bhareṣu tau no muñcatam aṃhasaḥ:「M. V. よ、われは汝らを崇める、ṛta のうちに栄える者らを、心を一にして悪しき者らを突き放す者らを。汝らは戦いにおいて真実なる者を助ける。汝らわれらを苦難より解き放て。」
7)yayo rathaḥ satyavartmarjuraśmir mithuyā carantam abhiyāti dhṛṣṇayā / staumi mitrāvaruṇau nāthito johavīmi tau no muñcatam aṃhasaḥ:「その車が真なるものの軌道1を、まっすぐな光線とともに走り来たり、不正に歩む者を滅ぼすところの汝らを、Mitra-Varuṇa よ、われは讃える。苦しめられてわれは呼ぶ。われを苦難より解き放て。」
A. V. 6, 32, 3:abhayaṃ mitrāvaruṇāv ihāstu no 'rciṣātriṇo nudatām pratīcaḥ:「M. V. よ、ここに恐れなきことがあるように。輝きをもって喰らう者らを退けたまえ。」
さらに 13, 1, 20、Vāj. Saṃh. 33, 38 その他を参照。
まさにここに属するのが、両神を Aditi の子と表示することでもある。Aditi はその不滅性における昼の光の人格化であり2、母と同じく子らも永遠の光にあずかる。Varuṇa の他の Āditya たち——かれはその最初にして最大の者である——との結びつきも、ここにその根拠をもつ。RV. 7, 35, 6、A. V. 19, 10, 6 その他多数を見よ。
以上が、昼の光を両神の本来の生の要素として示すもっとも重要な箇所のいくつかである。そしてこれらの箇所が示唆することは、なお他の多くの箇所からも見て取ることができる。まさにこの点についてこそ、ヴェーダはもっとも豊富な資料を提供するからである。
さらにここには、両神を、同じく朝に現れる Agni とともに示すすべての詩節(1, 75, 5;1, 136, 7;1, 141, 9;3, 4, 2;4, 5, 4;6, 3, 1;6, 51, 10 その他多数)を挙げることもできよう。それらはそれによって、この両神をもまた朝に現れる神として特徴づけている。
しかしこれまで述べたことで、Varuṇa の光の性格を認識するには十分である。
そしてわれわれはいま、より多くの証拠を備えて、いま一度この問いに向かうことができる。すなわち、Varuṇa はもっぱら、あるいは主として夜と同一視されるべきか、と。
第二の見解、すなわち Varuṇa が主として夜の天であるという見解のもっとも優れた代表者は Roth であって、かれは『ドイツ東洋学会雑誌』第 6 巻 70 頁において次のように述べている。
「しかし、これらの歌にわれわれの前にある宗教形成の段階は、すでに次のような区別を透かし見せている。すなわち Mitra は昼の時における天の光であり、Varuṇa は——あらゆる光とあらゆる時との主でありながら——やはり主として夜の天において支配する、という区別である。Vasiṣṭha の一つの歌 VII, 3, 3, 2 はこう言う。『汝らの一方(Varuṇa)は主にして侵しがたき導き手であり、Mitra(すなわち友)と呼ばれる者は人々を活動へと呼ぶ。』
これによって、また他のいくつかの箇所においてほぼ同じ語によって、少なくとも次のことが表明されている。すなわち、生を目覚めさせ、喜びと労苦とを世界にもたらす昼の光が Mitra のより狭い権能の領域である、ということである。しかしそれによって Varuṇa が夜の時にのみ差し向けられているわけではない。というのも、かれは主であり第一の者でありつづけるからである。
したがって、インドのヴェーダ解釈が表明するような表象——たとえば Sāyaṇa が VII, 5, 17, 1 について、Varuṇa は沈みゆく太陽であると言うような——があまりに一面的で狭いものであるとしても、それらはやはり真なるものを含んでいる。そしてこの発展がいかなる道を通って生じえたかは、推測することができる。
Varuṇa が、その名の言うとおり、光り輝く Āditya たちのうち、その座と支配領域とが光の天であり、その胎のうちに生けるものすべてが包まれてある者であり、それゆえまた、人間の思考がそれを越えてそれ以上のものを求めない最後の境界であるとすれば、かれはまた、眼や表象によっては到達しがたい者でもある。
昼には視力はこの最も外なる境界を見出しえず、明るい天はそれに何の止め処も与えない。しかし夜には、Varuṇa が君臨するこの世界の覆いはより近くに寄るように見え、把握しうるものとなる。眼が境界を見出すからである。Varuṇa は人間により近い。そのうえ、雲・大気・光線のうちにあって、地とかの測りがたい最外の周縁とのあいだの空間を満たしていた他の神々の姿は消え失せている。もはや Varuṇa と死すべき見る者とのあいだに、いかなる神も立っていないのである。」
わたしはこの学者の論述の多くに同意する。すなわち、Roth が Mitra を Varuṇa よりも狭い権能の領域に限定する点、Varuṇa を最高者にして第一の者とする点、そしてかれの Āditya としての地位のうちに、光の天におけるその座への指示を見る点においてである。しかし、かれが「主として夜の天において」支配するという見解は、本質的な修正を要する。
Roth が Pet. Wört. においてそのために挙げる諸箇所を見ると、われわれはわずか五箇所を見るのみである。しかもこの五つのうち一つは、上に見たように脱落する。それは文脈のうちで解されねばならず、そうすれば V. はまさしく昼の支配者でもあり夜の支配者でもあることを意味するからである。他の二(三)箇所は Brāhmaṇa から取られたものであるが、これらは一つには後代のものであり、また、あるときはかれの一方の側面を、あるときは他方の側面を強調する。第五は Atharvaveda に属し、この書のうちで、Varuṇa と Mitra との対置(結合ではない)によって、前者をもっぱら夜に関係づけるように見える唯一の箇所である(これについては下述)。
われわれは次章において、Varuṇa の夜の天としての性質が明らかになるいくつかの箇所を引用するであろう。しかしそこから帰結するのは、かれが夜の天でもあるということのみであって、主としてそうであるということではない。
これらの箇所の数は、Varuṇa を光の天として挙証すべき一連の箇所——太陽がかれの眼であるという単純な表象から、Mitra との結合にいたるまで、しかも後者も結局は前者の別表現にすぎない——にくらべて、比較にならぬほど少ない。
そしていま、かれを Aditi の子と表示することがたえず繰り返されること、しかもそれがひとえにかれの光の性格に根拠をもつことを考量するならば、V. のうちに結合された二つの把握のいずれかに優位を与えるべきだとすれば、われわれは、光と闇とについてのヴェーダ的観念に従い、かれを夜の天の神としてよりはむしろ光の神と称したい気持ちになるであろう。
さらに、Varuṇa の怒りと、それを宥めようとする願いとを、われわれはどう理解しうるだろうか——もしかれのうちに、夜には怒って顔をそむけ、昼には親しく留まる神を見ないとすれば。またわれわれは次の語の意味をどう捉えうるだろうか。すなわち、かれが太陽の眼をもって見る、かれが Mitra とともに早朝に車に乗る、かれが(早朝に)おのが身体に入りゆく、という語の意味を——もし Varuṇa が光の神であるという見解を、
かれが夜の天の神であるという他方の見解と少なくとも同等に正当なものと見なさないとすれば。
そしてとりわけ、天神の倫理的側面に注意を促さねばならない。これは内的な理由からのちに扱うことにするが、すなわちかれが真なるものの友、偽なるものの敵であるという点である。この対立は、確実にかれを夜よりも昼に配するものである。
さてわれわれは、これを補うものとして Varuṇa の夜の神としての性質を強調する諸箇所へと向かう。すなわち
C. Varuṇa がもっぱら夜の主として現れる箇所
である。
ここで問題となる資料は、われわれを歌集そのものの外へ、祭式文献のうちへと導く。Brāhmaṇa の多くの文——昼は Mitra に属し、夜は Varuṇa に属す——はよく知られており、この観念はその結果、Yajus と Brāhmaṇa とが密接に結びついている黒 Yajurveda の Saṃhitā にしばしば見出される。
Rigveda からここに属するのは、月を Varuṇa の眼として示し、輝く月と星々とがそれに従って運行する神の法を論ずる、わずかな詩節である。この群はすでに上に引用したので、ここではそれを参照するよう指示すれば足りる。
より数が多いのは、ヴェーダのあらゆる部分に見出される、Varuṇa の縛を論ずる諸箇所である。
わたしは、縛は夜にではなく第一に水腫に関係する、という反論を恐れない。この二重の意味の理由についてはすでに序論で述べ、それが Varuṇa 的活動の二つの領域、すなわちかれの水神としての性質と夜の神としての性質とから導かれることに言及した。
われわれはすでに、インド的精神にとって夜があらゆる災厄と同義であることを知っている。そしてそれゆえ Varuṇa もまた、その光を地からそむけることによって、災厄と破滅と死とを送る神となるのである(上述の Vasiṣṭha 讃歌を想起されたい)。ここからおのずと、かれの縛の意味が拡大し、昼にたいして、人間界にとって考えうるかぎりの
あらゆる苦難を意味することになるのである。
したがってわれわれは、Varuṇa の縛を二群に分けてよい。一方は夜とそれに連なる苦難を、他方は(本来は前者の下位区分であるが)この苦難の特殊な一種、すなわち水腫を表示する。まず前者、すなわち
a) 夜(苦難・死)の表現としての Varuṇa の縛
に向かい、RV. 1, 24, 11–15 から始めよう。
11.「それゆえわれは歌もて崇めつつ汝に申し上げる。それゆえ祭主は havis の供物とともに乞い願う。Varuṇa よ、怒ることなく、ここに留まりたまえ。遠くまで統べる者よ、われらの生命をわれらから取り去りたまうな。」
12.「かれらはわたしにそれを昼に語った、それを夜に語った。それをわが心は胸より知る。Śunaḥśepa が捕らえられて呼びしその者、王 Varuṇa がわれらを解き放ってくれるように。」
13.「Ś. はまさに、捕らえられ三本の杭に縛られたとき、Āditya を呼んだ。王 Varuṇa がかれを解き放ってくれるように。誤ることなき、知れる者が縛を解いてくれるように。」
14.「Varuṇa よ、われらは崇敬をもって汝の怒りを退けんことを乞い願う、供犠をもって、havis の供物をもって。支配の力をもつ賢き Asura よ、王よ、われらの犯せる罪を解きたまえ。」
15.「Varuṇa よ、われらより最上の縛を、最下の、中なる縛を解きたまえ。しかしてわれらが汝の領域において、Aditi にたいして罪なき者たらんことを、Āditya よ。」
ここに挙げられた Śunaḥśepa は、Rigveda 5, 2, 7 の Agni に向けられた歌のうちに、いま一度現れる。これはとくに注目に値する事情である。śunaś cic chepaṃ niditaṃ sahasrād yūpād amuñco aśamiṣṭa hi ṣaḥ / evāsmad agne vi mumugdhi pāśān hotaś cikitva iha tū niṣadya //:「汝は縛られた Ś. を千の杭から解き放った。かれが切に〔乞うた〕がゆえに(Ludwig は「かれは贖いを果たしていた」とする)。Agni よ、かくのごとくわれらより縛を解きたまえ、知れる Hotar よ、ここに坐して。」
ここにわれわれは、Agni を Varuṇa の縛から解き放つ神として見る。そしてこのことはわれわれを、先の叙述の一節へと立ち戻らせる。われわれは上に Agni を、Varuṇa の怒りを転じ、かれを和解させて導き来たらす神として見出した。そこからわれわれは、怒れる Varuṇa が夜を意味するにちがいないことを見た。ここからわれわれは、いまの場合について一つの教えを
引き出すことができる。縛を解くべき Agni とは、まさしく昼と夜とを分かつ神を意味し、縛は夜の象徴にほかならない。
このわれわれの解釈は、Ait. Brāhm. 7, 14–17 の物語によって確証される。そのもっとも重要な点をここに簡単に伝えておきたい。
王 Hariścandra には男子の後嗣がなかった。それゆえかれは Varuṇa のもとへ赴き、子を乞い、その謝礼としてその子を神に供犠しようと願った。神は王の願いを聞き入れ、かれに子 Rohita を与える。
しかしいざ Varuṇa がその子を供犠として求めると、Hariścandra は応じようとしない。かれは、Kṣatriya の子は武器を執れるようになるまでは供犠に適さないとして、その時まで神を引き延ばそうとする。
その時が来て、王 H. は約束を果たすべく子を呼ぶ。しかし Rohita は父の意志に従わず、荒野へ去る。そのため父は Varuṇa によって水腫をもって罰せられる。
Rohita はそのことを聞き、森を去ろうとするが、そのとき Indra が人間の姿でかれに近づき、なお彷徨いつづけよと命ずる。こうして数年が過ぎる。
ついに六年目に、かれは Ṛṣi Ajīgarta に出会う。この者には三人の子があり、その次男を Śunaḥśepa という。Rohita は Ṛṣi と交渉し、その子の一人によって身を贖うことができるならば百頭の牝牛を与えようと約束する。両者は、次男を Rohita の代わりに供犠させることで合意し、R. はその身代わりとともに父 Hariścandra のもとへ赴く。
父はいま Ajīgarta の子を Varuṇa に捧げようとする。しかし供犠の始まりに際して、Śunaḥśepa は自分が人間としてではなく殺されようとしていることを見て取り、神々そのものに助けを求めることを決意する。
かれは Prajāpati に向かうが、この神はかれを Agni に送る。Agni は Savitar に、Savitar は Varuṇa に送る。かれは Varuṇa に 31 の詩節(RV. 1, 24, 6–1, 25, 21、すなわちかれについての物語がすでに示唆されている讃歌である!)を向ける。しかし Varuṇa はかれにふたたび Agni のもとへ行けと命じ、そこからかれは Viśve devāḥ に向かわねばならず、ついで Indra に向かう。Indra はかれに黄金の車を贈り、Aśvin たちを讃えよと命ずる。Aśvin たちからかれは Uṣas に向かい、かれがその詩節を唱えるあいだに、かれの縛は解け、H. の身体は
細くなってゆき、ついに最後の詩節において Ś. の縛はまったく落ち、王は健康になるのである。
以上が、われわれにとって関心のあるかぎりでの、この物語の大筋の内容である。
われわれは、Varuṇa の縛の解放が、いま引用した箇所において Agni によってなされたのと同様に、ここでは Uṣas、すなわち暁によって遂行されるのを見る。それによってわれわれは、いっそう明確に縛の意味へと指し示されるのである。
ここでわれわれが完全に発達した儀礼を相手にしていること、そしてあらゆる神への呼びかけが一定の意味をもつことは、おそらく疑いえない。しかし注目すべきは、挙げられた神々のほとんどが、なんらかの仕方で昼の光と早朝とに関係をもつということである。
もっとも明瞭にこの指示を与えるのは、最後に挙げられた Aśvin たちである。かれらは薄明の神として暁に先立つ。また、Agni に二度の言及によって与えられた重要な役割も、確実に注目に値しつづける。
他の神々(Viśve devāḥ, Prajāpati)に関しては、ここでのその登場の説明は困難である。かれらはここでは、むしろ重要な神一般としての地位によってその場を得たように見える。
しかしそれはともあれ、この箇所は、かの Rigveda の詩節と同じ結論しか許さない。すなわち、Ś. の縛は本来は夜、あるいはそれと同一の死を意味し、それからの解放が死からの救出と見なされる、という結論である。
この観念をいま、Taitt. Saṃh. もまたわれわれに映し出している。そこ(5, 2, 1, 3)にはこうある。śunaḥśepam ājīgartiṃ varuṇo 'gṛhṇāt, sa etāṃ vāruṇīm〔ukhām〕apaśyat, tayā vai sa ātmānaṃ varuṇapāśād amuñcad, varuṇo vā etaṃ gṛhṇāti ya ukhām pratimuñcate; ud uttamaṃ varuṇa pāśam asmad ity āha etc.:「Ajīgarta の子 Ś. を Varuṇa は捕らえた。かれは Varuṇa に属する ukhā を見、それによっておのれを Varuṇa の縛から解いた。Varuṇa は、ukhā をおのれに結びつける者を捕らえる。かれは『最上の縛をわれらより解け』という詩節を誦する」云々。
ここでは Varuṇa の縛の物語が、一つの儀礼の連関のうちに語られている。そしてこの儀礼は、その前後の呪句(——viṣṇoḥ kramo 'sy——agre bṛhann uṣasām ūrdhvo asthād nirjagmivān tamasaḥ 云々)を見るならば、否定しがたく夜と夜明けとの表現に関係している。
同じ儀礼をわれわれは Vāj. Saṃh. にも描かれているのを見出す。そこでしばらく立ちどまり、ここでもまた Varuṇa の縛が夜(および死)に関係することを示し、そこから上記の解釈のさらなる確証を得ることにしたい。Vāj. Saṃh. 12, 1 以下、および Kātyāy. Śr. S. 16, 5, 1 以下を参照。
Kāt. 16, 5, 1 によれば、祭主は 21 の piṇḍa1を付し、黒い(羚羊の)皮に縫い込んだ黄金の板を頸に結びつけ、云々し、それに際して Vāj. Saṃh. 12, 1「その現れ出でるとき、黄金の円板は遠く輝き出でた」云々を誦する。
かれはついで、暁(昼)と夜とを意味する二つの iḍā〔?〕をもって ukhā を(16, 5, 3)両側から取り、これを運び、担い紐(sikya)を付した āsandī の上に置く(16, 5, 4. 5)。後者は「devā agniṃ dhārayan draviṇodāḥ」という語をもってなされ、これから ukhā が Agni を表すことが明らかになる2。
つづいてかれは六本の綱から成る(ṣaḍudyāma)sikya の縛を頸(項)に結び(16, 5, 6)、Agni を担い紐とともに東へ差し伸べる(これによって Āditya が上方へ、東へ向けられる。Śat. Brāhm. 6, 7, 2, 9 参照)。
Sūtra 11 では Viṣṇu の歩みの表現がつづく。これは太陽の道を表示するもので、その際 Agni はつねに上方へと導かれる。そして最後にかれは yajus「diśo 'nuvikramasva」をもってあらゆる方位を見わたす。それによって Agni はあらゆる方位を獲得する(Vāj. Saṃh. 12, 5 への注釈)。
かれはついで(Vāj. Saṃh. 12, 7 への注釈)Agni を降ろし、これを臍の上(そこには黄金の板も掛かっている)に保ち(Kāt. 16, 5, 16)、ud uttamaṃ varuṇa 云々の語の誦唱のもとに、二つの縛、すなわち rukma の縛と sikya の縛との解放がつづく。
これがなされるとき、かれは ukhā(= Agni)を東南に押し出し、次の呪句を誦する。Vāj. Saṃh. 12, 13:agre bṛhann uṣasām ūrdhvo 'asthān nirjaganvān tamaso jyotiṣāgāt / agnir bhānunā ruśatā svaṅga ā jāto viśvā
sadmāny aprāḥ //:「力ある者は曙光たちの先頭に立ち昇った。闇より出でて、輝きとともにかれは来たった。麗しき肢体をもつ Agni は、その生誕に際して、耀く光線をもってすべての座を満たした。」
ここに簡単に示唆したにすぎない儀礼上の所作は、疑いなく自然からの観念を、しかも太陽神(Agni)の昼と夜とにたいする関係を象徴している。
黄金の板を含み、Yajamāna の頸に結ばれる縛は、夜の象徴でしかありえない。夜は太陽を縛りつけているのと同じ仕方で、祭主を巻き込むのである。
類似の観念が sikya の縛の根底にもあるにちがいない。その六本の綱はおそらく、闇が広がっている六つの方位に解すべきであろう(Śat. Brāhm. 6, 7, 1, 16 参照。それらが ṛtu に関係するとするのは、より蓋然性が低いように思われる)。
さて縛が解かれると、Agni が現れ出で、呪句「agre bṛhan」が示すように、昼を導き来たらす。この儀礼をわたしが正しく理解しているとすれば、まず縛の解放に先立って Agni の運行が象徴的に描かれ、それによってかれが縛からの解放の原因であることが示唆される。ついで「ud uttamam」の語とともに、先に示唆されたことの実行が始まるのである。
われわれは、ここでもまた Varuṇa の縛が、先にわれわれの導かれたのと同じ意味をもつこと、すなわちそれが一切を強いる夜の代表者であり、その力から Agni が解放することを見る。
さて、われわれがここで出発点とした Śunaḥśepa の伝説1に関していえば、Ait. Brāhm. の物語が一つの鋳型から成るものではないことは、すでに Roth が注意を促している。そして——他は措くとして——まさに Hariścandra と Rohita との物語と、Śunaḥśepa の物語とが合成され、おそらくは傾向的に融合させられたように見える。というのも、ヴェーダ自身は Ś. の伝説しか知らないからであり、そのことは引用した諸箇所の比較から誰にでも見て取れる。
前者に関しては後段を参照されたい。後者に関しては
われわれは、それが史的なものを含むのか、それとも、ヴェーダにしばしばあるように、ここにも自然観察から生じた小さな物語——本来は昼と夜との人間にたいする関係の詩的な粉飾にすぎなかったもの——があるのではないか、と疑うことができる。それはまさしく、先に論じたかの Vasiṣṭha 讃歌において詩的に描き出されているのと同様である。これを決定することは困難である。
Roth は、かの Rigveda の記述には、Ś. が祭壇の前で、また供犠において屠られる目的で縛られたことを示すものは何も含まれていないと言い、第二の箇所における yūpa という語を供犠柱に関係づけることに反対する。それは、第一の箇所では 3 本の杭(drupada)が語られているという理由からしてすでに容認できない、というのである。
しかしこの後者の困難は、drupada について、より普通の意味「木の柱、杭」を離れて「木の箇所」を選ぶことによって除去できる。そうすれば三つの drupada とは、杭の三箇所——上、中央、下——における縛りつけと解されることになる。これは呪句そのもの「ud uttamam」もまた指し示している縛りかたである。
わたしにはこの解釈のほうが、もう一方の解釈——Ś. が敵によって、身体と伸ばした両腕とをもって三本の杭に繋がれ、かれに定められた拷問ないし刑罰が執行されるまでそうされていた(II, 110. 111 頁を見よ)——よりも分がある。というのも、後者にはまったく拠り所がないからである。
しかしそれはともあれ、われわれはいずれにせよ次のことから出発せねばならない。すなわち、Varuṇa が課し、あるいは取り除く縛が、(Roth も強調するように)病と死とを意味する、ということである。さらに考量せねばならないのは、Rigveda の第一の箇所の結びの詩節が「Varuṇa よ、最上の、最下の、中なる縛を解きたまえ。しかしてわれらが、Āditya よ、汝の領域において Aditi にたいして罪なき者たらんことを」であり、これによって光の女神 Aditi と光の神 Varuṇa とが縛と明確な対立に立つこと、さらに他の Rigveda の箇所では、朝に Varuṇa を和解させて導き来たらす神 Agni が解放者と見なされていること、Taitt. Saṃh. によれば祭主が ukhā(= Agni)によって Varuṇa から解放されること、そして Ait. Brāhm. では Uṣas への mantra がこの効果をもつこと——これらすべてを考量するならば、われわれは、Varuṇa の縛が本来は
まさしく夜を意味し、ここにこそ、それが死の表現である理由がある、という結論以外に到達しえない。
Śunaḥśepa が史的人物であろうとなかろうと、Śunaḥśepa なる者の供犠と解放とが事実であろうとなかろうと、Varuṇa の縛への言及と、神自身によるその解放とは、いずれにせよ、Varuṇa の夜(および昼)にたいする支配という観念と、生と死とを光と闇とに同一視することとから生じた一つの像にすぎないのである。
縛が本来は夜を意味することのさらなる証拠を、わたしは、RV. 10, 85, 24 において縛が「ṛtasya yoniḥ」および「sukṛtasya lokaḥ」と対立に立つことのうちに見る。
pra tvā muñcāmi varuṇasya pāśād yena tvābadhnāt savitā suśevaḥ / ṛtasya yonau sukṛtasya loke 'riṣṭāṃ tvā saha patyā dadhāmi //:「われは汝を Varuṇa の縛から解く——それをもって親しき Savitar が汝を縛ったところの。真なるものの胎に、善く成れるものの世界に、われは汝(女よ)を、夫とともに損なわれることなく置く。」
婚礼の祭式に属するこの mantra において、縛が、その本来の夜という意味に存する意味——悪しきもの、災いなるものという意味——以外をもちえないことは明らかである。
われわれの解釈——ここでも縛のうちに夜(=災厄)の表現を見るという解釈——の正しさの吟味にとって、次の事情はきわめて注目に値する。すなわち、昼と夜とを導き来たらす神 Savitar が縛でもって縛るということ、そして、われわれがすでに真なるもの(=光)の表現として知った ṛta の胎が、この綱にたいする対立をなす、ということである。
Śat. Brāhm. 3, 7, 4, 1 において Varuṇa の縄(rajjuḥ)が ṛtasya pāśaḥ と表示されるのは、そうすればそれが傷つけないからであるが、これもわれわれの論証のさらなる証拠と見なしてよい。つまり pāśa はここで間接的に ṛta と対立に立っており、ṛta は縛にたいする婉曲的表現として用いられているのである。
ここでなお、Rigveda の興味深い一箇所に触れておこう。それは明示的に Varuṇa の縛に言及してはいないが、光と、光の外に住むこととの対置によって、ṛta と縛との対立を論ずるこれらの詩節にたいする一種の敷衍を提供している。RV. 2, 28, 7:mā no vadhair
varuṇa ye ta iṣṭāv enaḥ kṛṇvantam asura bhrīṇanti / mā jyotiṣaḥ pravasathāni gaṇma vi ṣū mṛdhaḥ śiśratho jīvase naḥ //:「Varuṇa よ、Asura よ、汝の命によって罪を犯す者を罰する武器をもって、われらを(滅ぼしたまうな)。われらは輝きの外に住むことを願わぬ。敵を解き放ちたまえ、われらが生きるように。」
——これはわれわれに、輝きの外に住むことを明瞭に Varuṇa の罰として示す箇所であり、したがってまさしく、いま論じた縛、すなわち ṛta の対立物についてのかの観念の一変奏を提供するにすぎない。
しかし、Varuṇa の縛を夜のそれとして証明する箇所は、これで尽きたわけではない。
まず Taitt. Saṃh. 1, 3, 4, 1 を挙げよう。そこでは縛が suvar および vaiśvānaraṃ jyotiḥ と直接の対立に立っている。idam ahaṃ nir varuṇasya pāśāt suvar abhi vikhyeṣaṃ vaiśvānaraṃ jyotiḥ /:「ここにわれは V. の縛より自由である。輝きを、Vaiśvānara の耀きをわれが見んことを。」
さらに Vāj. Saṃh. 8, 23 に注意されたい。namo varuṇāyābhiṣṭhito varuṇasya pāśaḥ:「Varuṇa に崇敬あれ。Varuṇa の縛は踏みしだかれた。」
この呪句は、祭主が沐浴に入り、足で水に踏み入るときに誦される。したがって水が縛を意味することになる。しかし見かけに欺かれて、ここで縛を水腫に関係づけてはならない。より詳しく検討すれば、そうすべき理由はないからである。
Vāj. Saṃh. においても Kātyāyana(10, 8, 15)においても、その少し前に「王 Varuṇa は太陽のために広き道を作った」云々(上述!)という呪句が置かれており、Yajamāna はこれを東に向かって唱える。そしてその直後に、一片の木が次の yajus とともに水に投げ入れられる。「Agni の面は水のうちに入りゆいた、水の子は、Asurya を守りつつ(原文ママ)。あらゆる住処において samidh を崇めよ。汝の舌はバターへと伸びよ1。」
さらに、その少しあとに Kātyāyana(10, 8, 27)において Agni-Varuṇa への供物が言及されていることを考量するならば、ここで Varuṇa の縛を、天の水のうちに入り込んだ闇以外の何ものにも関係づけないのが正しい判断であると考える。ここで水のもとに天の水を理解すべきことは、
引用した呪句「Agni の面は」云々が示している。Vāj. Saṃh. 8, 24(Taitt. Saṃh. 1, 4, 45, 1 および 6, 6, 3, 2 をも参照)。
同じく夜に関係するように思われるのが、Taitt. Saṃh. 6, 2, 9, 1. 2 における Varuṇa の縛である。baddham ava syati varuṇapāśād evainaṃ muñcati, pra ṇenekti medhyam evainaṃ karoti / sāvitryā 'rcā hutvā havirdhāne pra vartayati savitṛprasūta evaine pra vartayati / varuṇo vā eṣa durvāg ubhayato baddho yad akṣaḥ, sa yad utsarjed yajamānasya gṛhān abhyutsarjet; suvāg deva duryāṃ ā vade 'ty āha gṛhā vai duryāḥ, śāntyai:
「縛られたものをかれは解く。Varuṇa の縛から、まさにそれを解き放つ。かれはそれを清める。供犠に適したものとなす。Savitar への詩節をもって供犠したのち、かれは二つの havirdhāna を動かす。Savitar に命ぜられて、かれはそれらを動かす。両側から縛られた車軸は、悪しき声をもつ Varuṇa である。それが軋るならば、祭主の住処に向かって軋ることになろう。それゆえ『神よ、善き声をもって住処に語りかけよ』とかれは言う(duryāḥ = gṛhāḥ)——śānti のために。」
かれが「Savitar に命ぜられて」havirdhāna を動かすこと、そしてそれが Savitar への詩節をもってなされ、これに Varuṇa の縛が対立していること——このことはふたたび、後者がまさしく夜の象徴にすぎないことを証明している。
ここでなお、Agni と Varuṇa との関係を論じ、同じく Varuṇa を夜として示す祭式上の一慣行に場を与えてよいであろう。それは 35 頁以下で論じたこの両神の把握とはまったく異なるものである。Taitt. Saṃh. 5, 1, 5, 2. 31:sujāto jyotiṣā sahe 'ty ānuṣṭubho 'pa nahyaty, anuṣṭup sarvāṇi chandāṃsi, chandāṃsi khalu vā agneḥ priyā tanūḥ, priyayaivainaṃ tanuvā pari dadhāti; veduko vāso bhavati ya evaṃ veda vāruṇo vā agnir upanaddhaḥ; ud u tiṣṭha svadhvara ūrdhva ū ṣu ṇa ūtaya iti sāvitrībhyām ut tiṣṭhati, savitṛprasūta evāsyo 'rdhvāṃ varuṇameniṃ utsṛjati.
「『光とともに善く生まれし者よ』という語をもって、かれは Agni を Anuṣṭubh 韻に結びつける。Anuṣṭubh はあらゆる韻を意味する。韻は Agni の愛しき身体である。愛しき身体をもってかれはこれを取り巻く。かく知る者は衣を知る。縛られた
Agni は Varuṇa に属する。Savitar に向けられた二つの詩節『ud u tiṣṭha svadhvara ūrdhva ū ṣu ṇa ūtaye』をもってかれは立ち上がる。Savitar に命ぜられて、かれはその Varuṇa の投擲物を上方へと放つ」云々。
この箇所が Agni-Varuṇa のもとに引用した諸箇所と異なるのは、そこでは Varuṇa が光の神との結びつきによって親しき神となっていたのにたいし、ここではかれが Agni に敵対して立ち向かうからである。したがってわれわれはここに、41 頁で論じた、逃れた Agni を扱うヴェーダの詩節にたいする対をなすものを得る。両方の観念は、Agni が夜に姿を消すという同一の自然現象にたいする異なった表現にすぎないからである。
さて、夜がインド的精神にとって苦難・困窮等々と同一であるとすれば、われわれはいまや当然、そのようなものを論ずる諸箇所をもここに連ねねばならない。いくつかの Rigveda の詩節から始めよう。
2, 28, 5:vi mac chrathāya raśanām ivāga ṛdhyāma te varuṇa khām ṛtasya / mā tantuś chedi vayato dhiyaṃ me mā mātrā śāry apasaḥ pura ṛtoḥ //:「綱のごとくに罪をわれより解きたまえ。Varuṇa よ、われらが汝の ṛta の泉を栄えさせんことを。儀礼を織るわれの糸が断たれることなかれ。業の尺度が(儀礼における過誤によって)時ならぬうちに砕かれることなかれ。」
6:apo su myakṣa varuṇa bhiyasam mat samrāḍ ṛtāvo 'nu mā gṛbhāya / dāmeva vatsād vi mumugdhy aṃho nahi tvad āre nimiṣaś caneśe //:「Varuṇa よ、優れた仕方をもって恐れをわれより追い払え。全支配者よ、ṛta に富める者よ、われを顧みたまえ。仔牛から縄を解くごとくに、困窮を解きたまえ。われは汝から離れては、瞬く間さえも主ではない。」
10, 97, 16:muñcantu mā śapathyād atho varuṇyād uta / atho yamasya paḍbīśāt sarvasmād devakilbiṣāt:「(薬草たちが)われを、呪詛による不幸から、また Varuṇa に由来するものから解き放つように。また Yama の足枷から、あらゆる神々への冒瀆から。」
7, 86, 5:ava dṛgdhāni pitryā sṛjā no 'va yā vayaṃ cakṛmā tanūbhiḥ / ava rājan paśutṛpaṃ na tāyuṃ sṛjā vatsaṃ na dāmno vasiṣṭham //:「われらの父祖の悪行を赦したまえ、われら自身が犯した過ちを(すなわちわれらの過ちの結果を)赦したまえ。王よ、牛を好む盗人のごとく(G. K. R. の訳)、Vasiṣṭha を縛から解き放ちたまえ、仔牛を縄から〔解くごとくに〕。」
1, 25, 2:mā no vadhāya hatnave jihīḷānasya rīradhaḥ / mā hṛṇānasya manyave /:「われらを
敵の滅ぼす一撃に引き渡したまうな、怒れる者の憤りに〔引き渡したまうな〕。」
2, 28, 7 は 59 頁参照。
2, 28, 9:parā ṛṇā sāvīr adha matkṛtāni māhaṃ rājann anyakṛtena bhojam / avyuṣṭā in nu bhūyasīr uṣāsa ā no jīvān varuṇa tāsu śādhi //:「われの犯した過ちを除きたまえ。王よ、われは他人の罪を償うことを願わぬ。より多くの曙光がなお昇っていない。Varuṇa よ、それらのうちにわれらを生きて置きたまえ。」
7, 86, 4:kim āga āsa varuṇa jyeṣṭhaṃ yat stotāraṃ jighāṃsasi sakhāyam / pra tan me voco dūḷabha svadhāvo 'va tvānenā namasā turā iyām //:「Varuṇa よ、汝が最良の、友たる歌い手を殺さんとするとは、いかなる過ちであったのか1。それをわれに告げたまえ、欺きがたき者よ、svadhā に富める者よ。罪なくして、崇敬をもって、われは切に汝のもとへ行きたい2。」
Atharvaveda からは次を挙げる。
2, 10, 1:kṣetriyāt tvā nirṛtyā jāmiśaṃsād druho muñcāmi varuṇasya pāśāt:「われは汝を kṣetriya3から、Nirṛti から、親族の呪詛から、Varuṇa の害する縛から解き放つ。」
4, 16, 6:ye te pāśā varuṇa saptasapta tredhā tiṣṭhanti viṣitā ruśantaḥ / sinantu sarve anṛtaṃ vadantaṃ yaḥ satyavādy ati taṃ sṛjantu //:「Varuṇa よ、汝の七重の縛は三重に(捕らえるべく)開かれて立つ、傷つけるものらは。それらすべてが、不正を語る者を縛るように。真を語る者は放つように。」
さらに A. V. 6, 121, 1. 2;7, 83, 1. 2. 3. 4;10, 5, 44;14, 2, 49 その他を参照。
さて、Varuṇa が水の神であることを加えて考えるならば、水と関係する病もまたかれから発するものと見なされることは説明がつく。そしてそれは、かれの送る苦難の特殊な一種をなす。すなわち
b) 水腫の表現としての Varuṇa の縛
となるのである。
移行を示してくれるのは Rigveda の一つの歌であって、それは Varuṇa を明瞭に水腫をもって罰する神として
特徴づけている——たとえそこではまだ、水腫がかれの縛としては表示されていないにせよ。その歌は次のとおりである。
RV. 7, 89:「1. 王よ、われは土の家に入りゆくことを願わぬ。慈悲深くあれ、優れたる支配者よ、恵みを与えたまえ。
2. われが膨れ上がった革袋のごとく、よろめく者のごとく歩むとしても、武器を備えたる者よ、慈悲深くあれ、優れたる支配者よ、恵みを与えたまえ。 3. 洞察の弱さゆえに、清らかなる者よ、われはなにがしか過ちを犯した。慈悲深く……云々。 4. 水の中央に立ちながらも、汝の歌い手は渇いていた。慈悲深く……云々。 5. われら人間が神々の族にたいしていかなる冒瀆を犯すにせよ、われらが迷いから汝の掟を破ったとしても、神よ、この罪のゆえにわれらを殺したまうな。」
さらに、水腫からの解放のために誦される一讃歌、A. V. 1, 10 を比較されたい。そこの第 2 詩節にはこうある。「王 Varuṇa よ、汝の怒りに崇敬あれ。力ある者よ、汝はあらゆる不正を罰するのだから。他の千のものをわれは同時に汝に委ねる。この者は汝のものとして百年生きるように。」第 4 詩節をも見よ。「われは汝を Vaiśvānara(= Varuṇa)から、大いなる海から解き放つ。」
A. V. 4, 16, 7:「Varuṇa よ、百の縛をもってかれを取り巻け。不正を語る者が汝から解き放たれることなかれ、人々を見わたす者よ。悪しき者は身を垂らして坐るがよい、箍なき樽が巻き取られるごとくに。」第 8・9 詩節をも見よ。
同じ把握のもとに、わたしは Taitt. Saṃh. のいくつかの箇所をも数えるべきだと考える。それらはわれわれに、Varuṇa を水神として、しかも特別な仕方で示すものである。
Taitt. Saṃh. 2, 3, 12, 1 にはこうある。「Prajāpati は Varuṇa のもとから馬を連れ去った。かれはおのれ自身の神格を犯した。かれは全身水腫となった。かれは Varuṇa に属する、四つの破片の上の puroḍāś の供物を見、それを(捧げつつ)取り出した。それゆえかれは Varuṇa の縛から解放された。Varuṇa は、馬を取る者を捕らえる。かれが捕らえるだけの数の馬にたいして、それだけの回数、四破片の puroḍāś の供物を取り出すがよい。かれはおのれ自身の分け前によって Varuṇa に向かう。それがかれを Varuṇa の縛から解放する。」
ヴェーダ文献の物語にしばしばあるように、この物語もまた、一見して思われる以上に深い背景をもつであろう。われわれは 34 頁で Varuṇa が馬ともっとも密接に結びついているのを見た。そのことの想起は、われわれにここでも
より深い関係を探ることを促さずにはおかない。
わたしは、ここには Varuṇapraghāsa 祭の場合と同じ思想が根底にあると考える。この祭はすなわち Varuṇa の縄の解放のために催されるものであり、Āṣāḍha あるいは Śrāvaṇa の満月にあたる第二の四か月祭である。しかしこの両月はいずれも雨季の月であり、それゆえ Varuṇa の縛は雨季そのものにたいする表現であるべきものだろう、とわたしは考える1。
これをわれわれの物語に適用すると、きわめてよい意味が得られる。ここでも「水腫」のもとに、太陽の馬が雲の背後に姿を消すときに始まる雨季を理解しうる。そして Prajāpati に関していえば、かれは生殖力の主であるのだから、雨季の開始の代表者ときわめてよく見なしうる。太陽の消失に際してかれがいわば罰せられる水腫とは、かれが見かけ上それに満たされ、大地を実らせるところの水を意味する2。
この解釈にたいする確証は、雨季の月数と同数の破片が用いられるという点にもある。というのも、馬は四本の足をもち、それゆえ四つの破片である、という Taitt. Saṃh. の理由づけは、やはり支持しがたいからである3。
ここから出発するならば、上に述べた Hariścandra と Rohita との物語——Śunaḥśepa の物語と外的な連関に置かれているもの——を説明する手がかりをも得られる。
Hariścandra は「輝ける者」を意味する。そして「輝ける者」の子 Rohita「赤き者」が去りゆくとすれば、本来の自然関係への思いが浮かぶのは自然であろう。Muir は Rohita を正当にも「火と太陽との一形態」と規定している。そして「輝ける者」(=天)が水に覆われるならば、太陽は姿を消す。
これにきわめてよく適合するのが、Indra が脇道を彷徨う太陽神に近づき、さらに彷徨いつづけよと命ずることである。Indra はまさに水の神なのだから。
ただわたしに不明なのは、Rohita が森にいる年数をどう解すべきかという点のみである1。
これらの箇所でわれわれは満足してよい。それらによって、Varuṇa の縛(=夜および死、=水腫)についてわたしが見出した観点はすべて片づけられており、なお付け加えうる他の諸箇所も、わたしにそれ以上の観点を開いてはくれなかったからである2。
Varuṇa を、かれの課する苦難ないし病以外の仕方で夜に関係づけうるような箇所を、わたしは Rigveda に見ていないし、またかれをもっぱら夜の神と表示することを要求するような箇所も見ていない。
Varuṇa がもっぱら、あるいは主としてこのように解されうるとすれば、かれの性格のこの側面と、万物を包む天神という他の側面との連関を突きとめることは困難であろう。われわれがかれについて無理のない自然な観念に到達するのは、かれを昼と同様に夜をも統べる者と取り、ヴェーダの詩人たちがその時々の感情と傾向とに応じて、あるときはこの性格特徴を、あるときはあの性格特徴を強調したという前提から出発する場合のみである。
もし Varuṇa がもっぱら、あるいは主としてわれわれの反対する仕方で
説明されるべきだとすれば、われわれは、かれが崇められるよりもむしろ遠ざかれと願われるのを見ることを期待してよいはずである。というのも、その場合かれは本質的に、Agni が除去する Rakṣas と一致してしまうからである。
Atharvaveda にわたしは、Mitra にたいするその位置によってかれを夜の神として証示し、それゆえわたしにはかなり後代のものと思われる一箇所を見出した。9, 3, 18:iṣyāsya te vi cṛtāmy apinaddham aponuvan / varuṇena samubjitāṃ mitraḥ prātar vy ubjatu //:「覆いを取りつつ、われは筵の覆われたるものを解く(汝において筵が覆っていたものを)。Varuṇa によって覆われたものを、Mitra が朝に開くように」(筵を)。
同じくここに引き入れてよいのが A. V. 6, 46, 1 であって、そこにはかれの妻が挙げられている。この妻はここでは夜と同一でなければならない。yo na jīvo 'si na mṛto devānām amṛtagarbho 'si svapna / varuṇānī te mātā yamaḥ pitārarur nāmāsi //:「汝は生けるにあらず、死せるにもあらず、神々の不死なる胤である、眠りよ。Varuṇānī は汝の母、Yama は汝の父。Araru が汝の名である1。」
Varuṇa =夜のためのもっとも豊富な資料は、ようやく後代の文献がわれわれに提供する。そこでは Atharvaveda の箇所と同様に、かれを Mitra と対立に置く。Mitra をその本来の意味から離れて「親しき者」として昼となすことによって、Varuṇa はこの親しき者への明確な対立に立ち、恐ろしき神となる。その結果、Brāhmaṇa においては Varuṇa と Mitra とがしばしば2昼と夜とを意味することになるが、これはヴェーダの他のより古い部分については断固として否定すべきことである。
この性格をまた、両神に共通して属し、その白黒の色によって両者への帰属を証示する獣等々も帯びている。Taitt. Saṃh. 2, 1, 7, 4 で二色の牝牛3が取られるのは、これが理由である。あるいは、Mitra のために白いものを、Varuṇa のために黒いものを同時に選ぶ。たとえば Taitt.
Saṃh. 2, 1, 9, 3 を見よ。そこでは白い yūpa が Mitra のために、黒いものが Varuṇa のために取られる、云々1。
この章——Varuṇa を昼と夜との支配者として示した章——の結びに、なお Śat. Brāhm.(11, 6, 1)の一つの物語に触れておきたい。これは先の叙述によって新しい光を受けるものである。Weber はすでに以前これを「死後の懲罰的応報についての Śatapatha-Brāhmaṇa の一伝説」という題のもとに論じており2、そのうちに巧みに多くの古い遺産を見て取っている。
われわれはそこに、Varuṇa の子 Bhṛgu が、父を知識において自分より劣ると見なしたために、父の上に驕り高ぶるさまを見る。それゆえ Bhṛgu は父によって東・南・西・北へと遣わされ、種々の地獄を知ることとなる。最後にかれは、最初の二つのあいだの上方の中間方位に沿って歩みゆき、二人の女に出会う。その女たちのあいだには一人の男が立っている。黒く、黄色の眼をもち、手に杖をもった男である。これを見るや、かれは恐れおののいて帰り来たる。
Weber がここに古い表象を語り、この男のうちに天の主としての Varuṇa 自身を見るのは正しい——たとえ物語においてかれが Varuṇa から分けられているにせよ。
さてわたしは、先の叙述を基礎に置いたうえで、この物語のなお数点について、神話の起源を解き明かそうとする解釈を提案したい。そこに見られる応報は後代のものと思われるが、その他はすべて古い遺産である。というのも、Weber も強調するように、Rigveda は悪しき者への罰を、地獄における死後の処罰よりもむしろ、かれらの速やかな滅亡に置いているからである。
さてここでの Bhṛgu の Varuṇa にたいする関係についていえば、これはわれわれを、上に述べた
天神と Agni とのあいだの関係へと立ち戻らせるであろう。
Bhṛgu は火神にたいする別の名以外ではありえない。というのも、Bhṛgu の意味は——これについてはすでに Weber が注意を促しているが(bhṛj, φλέγω〔?〕)——「燃える者、輝く者」だからである。
さてわれわれは、Rigveda においても Agni が Varuṇa から遠ざかり、Hotar の職を恐れて逃れたのだと V. に語ることを知った。ここではかれが遠ざかる理由はもちろん別のものであるが、遠ざかった Agni という事実は変わらない。
しかしこれは、夜に消え失せた光の輝き以外の何ものをも意味しない。その輝きなしには Varuṇa は恐ろしく見える。四つの方位すべてを、高き天そのものとともに闇が覆うからである。この後者を指し示すのが「黒き男」であって、かれは上方の方位に立ち、その杖によって一切にたいするその支配を示唆している。そして、一切に広がりゆく夜の恐怖のうちに、同じく夜に包まれた四つの天の方位に恐怖の住処を見る機縁がある。
これこそが、Brāhmaṇa の思弁が、供犠における獣等の殺傷についての教説と応報についての教説とを織り込んだ枠組であろう。その際、獣や樹木等々が一定の観念に従って個々の方位に配当されたのである。
さてさらに Bhṛgu が Varuṇa の子と呼ばれることについては、両者の近しい関係を指摘すれば説明として十分である。それによって Agni は Varuṇa の兄弟あるいは伴侶と呼ばれ、あるいは明瞭に一定の従属関係に立つのである(RV. 10, 124, 3:śaṃsāmi pitre asurāya śevam を参照)。また、天から生じた火という観念が根底にあることもありうる。というのも、下に見るように、Agni は天の Asura から生ずるのであり、その Asura のより明確な表現が Varuṇa だからである(第 IX 章を見よ)。
さて、Bhṛgu が知識において Varuṇa の上に驕り高ぶるという事情も、同じくヴェーダ的観念に遡ると思われる。その理由は、Agni が天神と同様に全知と呼ばれること(RV. 10, 11, 2)にあるというよりは、むしろ次の事情にある。すなわち、Varuṇa の本質は Agni との結びつきによってはじめて充溢すること、Agni がかれを光の神となし、朝にふたたびかれを導き来たらすこと、それゆえ Agni が Varuṇa と同義であること——実際われわれは両者が
現に同一視されているのをも見出す。
このことを思い、さらに、この Agni が夕べには遠ざかることを思い浮かべるならば、そのような観念は容易に一つの伝説の機縁となりえたであろう。すなわち、子が父の上に驕り高ぶり、(夕べに)父から遣わされ、Varuṇa のもう一つの権能の領域、すなわち恐ろしき Varuṇa をも知ることになる、という伝説の機縁である。
天神の二つの権能領域、すなわち昼と夜とへの暗示を、わたしは、二つの黄色の眼(太陽と月。RV. 8, 41, 9)のうちにも、またかれの傍らに立つ二人の女のうちにも見る。一方の「美しき女」は昼と、それに連なる善きもの・真なるものとの代表者である。他方の「美しすぎる女」(すなわち化粧した女)は悪しきもの・真ならざるものを意味し、それゆえ夜にたいする表現である。
わたしに困難なのは、なぜ Bhṛgu がまさに四つの方位へ赴くのかという説明のみである。それが、あまねく広がる夜の領域を意味するにすぎない、ということもありうる。しかしおそらくこの伝説は、一定の祭式上の所作と関連するのであろう。証明を欠くため、その示唆を与えるにとどめたい。
すなわちわれわれは上に、Varuṇa の縛の解放を論じたとき、ukhā が Viṣṇu の三歩の表現ののち、第四歩において「diśo 'nuvikramasva」という語によってあらゆる方位を獲得すべきことを見た(Kātyāy. 16, 6, 13)。しかもこれは(夜を意味する)縛の解放が行われる前である。ここにかの伝説を説明する拠点が見出されるかもしれない——これはあくまで推測として述べておくにとどめるが。
IV. 世界の創造者にして支配者たる Varuṇa
万物を包む天の神としての Varuṇa の地位は、かれを昼と夜との主へと発展させたのと同様、他の方向へも発展させる。かれが天と地と空界とをおのれのうちに包み、太陽と月とがかれの領域をめぐり、河がかれのうちを流れるならば、その権能領域のさらなる拡張は
おのずと現れてくる。すなわち、一切をおのれのうちに包む者は、かれに包まれた世界の創造者でもある、と。
この把握を、Rig- および Atharvaveda の一連の詩節がわれわれに示している。そのいくつかをここに挙げよう。
RV. 5, 85, 1:「全支配者に、高く深き歌を歌え、名高き Varuṇa に愛しき歌を——皮を鞣す者のごとくに、太陽のために大地を広げし者に。
2. 樹々のうちに空界を、馬のうちに力を、牝牛のうちに乳を広げ、心のうちに智慧を、水のうちに Agni を、天に太陽を、岩のうちに Soma を据えた者に。 3. 口を下に向けて、Varuṇa は樽(雲)を天と地と空界とに注ぎ出した。それによって、雨が穀物を潤すごとくに、万有の支配者は大地を潤す1。
4.(下の「Varuṇa と水」の項を見よ。)
5. われは名高き Asura 神、Varuṇa の大いなる幻力を告げ知らせよう——測り棒をもってするごとくに、空界に立ちて大地を太陽とともに測りし者を。 6. 誰一人として、Kavi たちの第一の者、この神の大いなる智慧に触れた者はない——急ぎ流れる河がその波の奔流をもってしても、かの一つの海を満たしえないという智慧に。」
6, 70, 1:dyāvāpṛthivī varuṇasya dharmaṇā viṣkabhite ajare bhūriretasā:「天と地とは Varuṇa の法によって分かたれている、朽ちざるもの、種子に富めるものらは。」
7, 86, 1:dhīrā tv asya mahinā janūṃṣi vi yas tastambha rodasī cid urvī / pra nākam ṛṣvaṃ nunude bṛhantaṃ dvitā nakṣatram papratha ca bhūma //:「天と地とを、広きものらを、支え分かちし者の偉大さによって、生きとし生けるものは賢い。かれは高く大いなる天の穹窿を突き上げ2、星(太陽)と大地とを分かち広げた3。」
7, 87, 1 は 32 頁参照。2:ātmā te vāto raja ā navīnot paśur na bhūrṇir yavase sasavān / antar mahī bṛhatī rodasīme viśvā te dhāma varuṇa priyāṇi //:「汝の息は風として空界を轟き渡った1、牧場で草を食んでいた(そして追い立てられる)荒々しき獣のごとくに。天と地との、大いなる高きものらのあいだにあるすべては、汝の愛しき住処である、Varuṇa よ。」
第 5・6 詩節は 15 頁・32 頁参照。
4, 42, 1:「わが、王たる支配は二重である。すべての民の上にあると同様に2、われらすべての不死なる者らも(そうである)。Varuṇa の智慧に神々は従う。われは大地の最高の覆い(=天幕。Kern も同所でそう解する)の上に君臨する王である。
2. われ Varuṇa は王である。われには第一の神性が具わる…… 3. われは Indra3でもある、Varuṇa は。わが力によってこの世界の対は存立する、広く、深く、美しき姿のものは。Tvaṣṭar のごとくに、われは巧みに一切の存在を、天と地とを創り、これを保った。 4. われは潤す水を流れさせた。われは天を ṛta の座に保った。真なるものによって Aditi の子は真実である。かれは(かくて)三分された世界を広げた。」
さらに 8, 41, 3 は 14 頁参照。4:yaḥ kakubho nidhārayaḥ pṛthivyām adhi darśataḥ / sa māta pūrvyaṃ padaṃ tad varuṇasya saptyaṃ sa hi gopā iveryaḥ //:「見るべき者として、大地の上に山の頂を据えし者——かれは古の場所を測り出す。それは Varuṇa の七つの(姉妹)を含む。というのも、Varuṇa は牧人のごとくに勤しむからである。」
5:yo dhartā bhuvanānāṃ ya usrāṇām apīcyā veda nāmāni guhyā / sa kaviḥ kāvyā purū rūpaṃ dyaur iva puṣyati //:「諸世界を保ち、曙光たちの隠された
秘密の名を知る者——その Kavi は「多くの智慧を栄えさせる、天がその輝きを〔栄えさせる〕ごとくに」(rūpam =姿、輝く姿。Grassmann の解)。」
10:… yaḥ skambhena vi rodasī ajo na dyām adhārayat:「一本の支柱をもって世界の対を、生まれざる者として天を、支え分かちし者。」
8, 42, 1:astabhnād dyām asuro viśvavedā amimīta varimāṇaṃ pṛthivyāḥ / āsīdad viśvā bhuvanāni samrāḍ viśvet tāni varuṇasya vratāni …:「全知の Asura は天を固めた。かれは大地の広がりを画した。全支配者はあらゆる世界に坐した。これらすべてが Varuṇa の領域である。」
——これに関係するのが、7, 88, 4 でかれに付与される「svapas」(巧みなる)という語でもある。なお 2, 28, 4 を見よ。
諸世界を創造する神は、必然的にその支配者、それを導き統べる王でもある。それゆえ Varuṇa は世界の、生けるものと死せるものの、神々と人間との王と呼ばれる。5, 85, 3:viśvasya bhuvanasya rājā。2, 27, 10:tvaṃ viśveṣāṃ varuṇāsi rājā ye ca devā asura ye ca martāḥ 云々。かれはまた、一切にたいするその上位支配のゆえに、しばしば samrāj とも呼ばれる1。
全世界の支配者には大いなる強さと力とが伴う。かれは打ち勝ちがたく、到達しがたい。
RV. 7, 34, 11 を見よ。rājā rāṣṭrāṇāṃ peśo nadīnām anuttam asmai kṣatraṃ viśvāyu:「諸王国の王、河の飾り。かれはあらゆる存在にたいして揺るがぬ支配をもつ。」
1, 24, 6:nahi te kṣatraṃ na saho na manyuṃ vayaś canāmī patayanta āpuḥ / nemā āpo animiṣaṃ carantīr na ye vātasya praminanty abhvam:「汝の支配にも、汝の強さにも、汝の心にも、かの鳥たちがその飛翔をもってしても達しなかった。絶えず流れる水も、また風の速さを打ち破る者らも2。」
1, 25, 14:na yaṃ dipsanti dipsavo na druhvāṇo janānām / na devam abhimātayaḥ:「害を好む者らも、人々のうちの悪しき者らも、狙う者らも、害そうと試みることのできぬ神(Varuṇa)」云々、その他。
Varuṇa が世界の王にして支配者であるという考察は、われわれをもう一歩先へ、すなわち Varuṇa の法へと導く。
かれの統べる世界には恣意が支配していない。永遠に昼は夜に継ぎ、月と星とは、姿を消したかに見えてもふたたび帰り来たり、世界の運行は絶えることなくその軌道を進む。
それゆえ RV. 1, 24, 10 にはこうある(上述 23 頁参照)。「高きところに立つかの星々は、夜に姿を現す。昼にはいったいどこへ行ってしまったのか。Varuṇa の法は損なわれることがない。輝きつつ月は夜にめぐりゆく。」
2, 28, 8:tve hi kam parvate na śritāny apracyutāni dūḷabha vratāni:「欺きがたき者よ、汝の揺るがぬ法は、山の上に置かれるごとくに、汝の上に置かれている。」
それゆえ Varuṇa はきわめてしばしば dhṛtavrata「その法が堅固なる者」あるいは「かれによって法がしかと保たれている者」と表示される。1, 25, 10;1, 44, 14 その他。
かれはまた dharmapati とも呼ばれる(Taitt. Saṃh. 1, 8, 10)。「varuṇo dharmapatīnām」(同 1, 8, 10 c)等々。
これにさらにもう一つの契機が加わる。Varuṇa の法には倫理的思想が混じり込み、それがわれわれを、倫理的領域における Varuṇa の法へと導いてゆくのである。
Varuṇa は人間界の支配者でもあるがゆえに、その掟の意味は、それが人間界に適用されるのと同じ度合いで深まってゆく。
人間には二つのもの、すなわち物理的なものと倫理的なものとが結合されている。したがって全支配者の法もまたこの二重の性格を帯びる。かれは生と死、病と健康との主である。しかしかれはまた人間の倫理的生をも秩序づける。そして人間の思いと言葉と行いとが善であるか悪であるかに応じて、かれの命令は善を求め、悪を禁じ、罰するのである。
このことを正しく理解しようとするならば、われわれはしばらく、上に描いたわれわれの神の性格に留まらねばならない。
Varuṇa が昼には人間へ親しく面を向け、夕べにはその過ちに怒って人間を見捨て、それによって闇が地の上に到来するように(たとえば Vasiṣṭha
讃歌 7, 88 を見よ)、かれの光の本性のうちには、光に従って生きるすべてのものへの友愛と、闇の業にたいする敵意とが根拠づけられている。
したがって Aditi の子の掟もまた、悪しき思いと言葉と行いとを遠ざけることと、光の道における正しき歩みの命令とに存する。そしてかれが前者を輝きの国から突き放し、重い縛をもって、死と病とあらゆる種類の苦難とをもって罰し、これを闇の悪霊に委ねる一方で、他の者らを庇い、これに満ちた寿命を与える、等々である。
これに関する箇所の一部は、Varuṇa の縛を論じたときにすでに引かねばならなかった。ここではさらにいくつかの例を補っておく。
7, 86, 2:「そしてわれは自分自身と相談する。いつになればわれはふたたび Varuṇa のうちにあるだろうか。かれは怒ることなくわが供犠を受け入れてくれるだろうか。いつになればわれは心晴れやかに、かれの慈悲深きさまを見るだろうか。
3. それを知るために、Varuṇa よ、われは罪について問う。知れる者らのもとへ、それを探るために行く。賢者たちはわれに一つの同じことを言った。Varuṇa が汝に怒っているのだ、と1。 4.
5. 63 頁・62 頁参照。 5. それはわが自身の心ではなかった、Varuṇa よ。それは惑い、酔い、怒り、賭博、迷妄であった。年長者は年少者の過ちのうちにあり2(?Sāy. は samīpe と読む)、眠りさえも不正を防がない。 6. 奴僕のごとくに
われは慈悲深き者に仕えたい、厳しき神に罪なくして仕えたい。高貴なる神は迷える者らを照らした。賢き者に、さらに賢き神は富を得させる。」
1, 25, 1. 2:「汝のいかなる掟をも、われらが臣下のごとくに(王の掟を)日ごとに破るとしても、V. よ、われらを敵の滅ぼす一撃に引き渡したまうな、怒れる者の憤りに〔引き渡したまうな〕。
3. Varuṇa よ、われらは宥めのための歌をもって汝の心を解き放つ、御者が繋がれた馬を〔解く〕ごとくに(すなわち Varuṇa の怒りはいわば繋がれている)。 4. 鳥が巣へ飛ぶがごとく、まさに怒りなく1かれらは飛び去る、われが幸いに至るように。 5. いつになればわれらは、王の幸運をもつ雄々しき Varuṇa を、遠くを見る者を、恵みへと導き来たらせるだろうか。 6. われらがふたたびともに語り合えるように、わが蜜が運ばれてきたのだから2。Hotar のごとくに汝は愛しきものを食べる3。 7. いまわれは、あまねく見らるべき者を見たい、地の上の車を見たい。かれがわが歌を受け入れてくれるように。」
2, 28, 7. 9 は 59 頁・63 頁参照。
5, 85, 7:「われらがかつて、親しき者(あるいは庇護者?)に、友に、伴侶に、兄弟に、自身の、あるいは他人の(=客たる)同居人に、いかなる不正をなしたにせよ、それを解きたまえ、V. よ。
8. 賭博者らが遊びに際していわば塗りつけたもの(汚らわしい言辞)、われらが(罪について)確かに知っていること、また知らぬこと——それらすべてを、神よ、ただ緩く結ばれてあるものであるかのごとくに解きたまえ†)(それは固く付着すべきではなく、
容易に解けるべきである。字義どおりには「解け、緩めよ」)。われらが汝に愛しき者であらんことを、Varuṇa よ。」
A. V. 6, 51, 3(= RV. 7, 89, 5)は上述参照。さらに 7, 28, 4;7, 87, 7 その他を参照。
A. V. 19, 44, 8:bahv idaṃ rājan varuṇānṛtam āha pūruṣaḥ / tasmāt sahasravīrya muñca naḥ pary aṃhasaḥ // 9. yad āpo aghnyā iti varuṇeti yad ācima / tasmāt … //:「王 Varuṇa よ、人は多くの不正を語る。それより解き放ちたまえ、千の力をもつ者よ、われらをあまねく苦難より。われらが『apo aghnyāḥ』と、われらが『varuṇa』と言った(誓った)ならば、それより解き放ちたまえ」云々1。
Varuṇa が一方で不正を罰するように、他方でかれはおのれに属する者に善きものを与える神として現れる。
かれは長い生命を与える(2, 27, 10)。よき日々を与える(1, 25, 12;7, 88, 4)。豊かに与える友を与える(2, 27, 17)。守護を授ける(2, 28, 3. 10;A. V. 9, 2, 6;6, 93, 3 その他)。
かれは守護を授けるがゆえに、導き手と見なされる(2, 28, 3;1, 105, 15 の gātuvid2。4, 55, 4 の ceti panthām 云々)。また維持者としては S. V. 1, 3, 2, 5, 63。
この列挙の結びに、なお A. V. の一箇所を挙げておく。それは呪文であり、同時に Varuṇa の水神としての地位に関係づけて説明すべきものである。
A. V. 5, 13, 1:dadir hi mahyaṃ varuṇo divaḥ kavir vacobhir ugrair ni riṇāmi te viṣam。またまさにここに A. V. 5, 19, 10 を引き入れてよいであろう。viṣam etad devakṛtaṃ rājā
varuṇo 'bravīt / na brāhmaṇasya gāṃ jagdhvā rāṣṭre jāgāra kaścana //:「天の Kavi たる Varuṇa はわれに与える者である。力ある言葉をもって、われは汝の毒を打ち砕く」、また「神の作りしこの毒を Varuṇa は名づけた。Brāhmaṇa の牝牛を食らいし者で、王国において目覚めていた者は一人もない。」
一方の箇所では Varuṇa は間接的に毒を滅ぼす者として現れ、他方ではかれの罰が brahmajya のために定められており、しかもそれは死刑である。前者においてわれわれはかれを守護者として見、後者においてはかれを Brāhmaṇa の友、その敵対者の敵として見る。
さて説明に関していえば、後者についてはもっとも容易に与えられる。Varuṇa は、のちに見るように、牝牛の所有者にして与え主である。それゆえかれはまさにここでその守護者として挙げられているのである。
その際かれが毒とともに挙げられているとすれば、そこにも同じく、かれの水にたいする地位への追憶があるのであろう。水が治療手段と見なされ、それゆえ Rudra が、さらにはのちに見るように Varuṇa もまた医者と見なされるように、この治療手段を、神に敵対する者にとっては毒とならせることは自然である。
そのような観念がこれとよく結びつきうることを、別の領域からの一例が示している。RV. 10, 87, 18:viṣaṃ gavāṃ yātudhānāḥ pibantu:「Yātudhāna たちは牝牛の(乳を)毒として飲むように」(本来は「牝牛の毒を」)。
したがって、かれが毒を与える者であるという、より一般的な把握もまた、いつか Varuṇa と結びつきえたのであろう。これにたいして前者の箇所では、かれは毒を滅ぼすのを助けており、これはかれの癒す力に関係する。
この節においてわれわれは、Varuṇa を世界の創造者として、また、おのれの法に従って導く神々と人間との支配者として見た。そして同時にわれわれは、かれが善なるものと真なるものとの友であるという倫理的思想の代表者としてかれを知った。
そこで、われわれが各章ごとにたえずそこから出発せねばならぬところの、大空の神としての Varuṇa への立ち戻りは、われわれをこの高き天神のさらなる性質へと導く。すなわち
V. Varuṇa の全知
Varuṇa が高き天蓋として、昼であれ夜であれ揺るぎなく同一のものにとどまるとすれば、彼はまたその高みから絶えず世界を見下ろし、常に目覚めている者の眼から何ものも隠れたままではありえない。彼を数千の斥候(Späher)たちが取り巻いている。それは光の霊たちであり、この光こそ Aditi の子の本来の本質的要素である。しかも、この概念に何か確定したものを結びつけようとするならば、これら彼の斥候たちとは、昼にはおそらく光り輝く Āditya たち――彼を彼らの第一の者として取り巻く者たち――であり、夜にはおそらく天蓋にきらめく星々であろう。かくして Varuṇa 的全知の概念はおのずと展開し、容易に説明されるのである。ṚV. 7, 49, 3 を見よ。yā́sām (apā́m) rā́jā váruṇo yāti mádhye satyānṛté avapáśyañ jánānām /「それら(水)の中を王 Varuṇa は歩む、人間たちの真実と虚偽とを見下ろしつつ。」8, 41, 5 yá usrā́ṇām apīcyā̀ véda nā́māni gúhyā「暁の女神たちの隠れた、秘められた名を知る者」(すなわち、誰も知らぬことを知る者)1。ṚV. 1, 25, 7〔OCR は「1, 26」。原文は 1, 25 と読むべきである〕「空中を飛ぶ鳥たちの道を知り、海における船の道を知り、8. その子孫(= 日々)を伴う十二の月を知り、また後に生まれた(第十三の)月をも知り、9. 広く高く大いなる風の道を知り、その上に住まう者たちを知る者――10. 定めの堅固なる Varuṇa は(天の)住まいのうちに坐した。全支配を行使すべく、供犠に富める者は。11. そこから彼は一切の不可思議なるものを認識しつつ、過ぎ去りしものと来たるべきものとを見渡す。」A.V. 4, 16, 1「あたかも近くからのように、諸世界の強大なる主宰者は見る。人が、自分はひそかに振る舞っていると思うとき、そのすべてを神々は知っている。2. 立つ者も、歩む者も、隠れて身をかがめる者も、忍び寄って事をなす者も、また二人が寄り合って語ることも、それを第三の者として Varuṇa は知る。3. ここなる大地も、かなたの天も、
かの大いなる広き天も、王 Varuṇa に属する。二つの海は Varuṇa の身体であり、また小さな水のうちにも彼は隠れている。4. たとえ天の彼方へと忍び出る者があろうとも、王 Varuṇa から逃れ去ることはできまい。天から彼の斥候たちは世界へと赴き、千の眼をもって大地を見渡す。5. 天と地とのあいだにあるもの、またその彼方にあるもの、すべてを王 Varuṇa は見る。人々の瞬間は彼によって数え尽くされている。賽の打ち手が賽を据えるように、彼はこのすべてを定める。」
かくして Varuṇa は、一切を見、一切を知る者として urucakṣas(ṚV. 1, 25, 5. 16)と呼ばれ、sahasracakṣas(ṚV. 7, 34, 10)と呼ばれ、viśvavedas(8, 42, 1)と呼ばれ、また何ものも彼を逃れぬがゆえに dūḷábha〔原本の当該語は判読不確実。OCR は "dṛqabha"。文脈(「彼から何ものも逃れぬがゆえに」)からすれば「欺きがたき者」の意の語であろう〕(2, 28, 8)、adabdha(1, 24, 13)等と呼ばれる。「一切を見る者」という彼の性質は、なお別の表現をも見出した。すなわちヴェーダの詩作が、彼にすべてを告げ知らせる斥候たちをもって彼を取り巻かせたのである。この点についての一箇所はすでに A.V. から挙げておいた。ṚV. からはなお次を付け加えよう。1, 25, 13「黄金の胸当を担いつつ Varuṇa は衣をまとった。斥候たちは彼のまわりに坐している」(この詩節が日中の光に関わることは、すでに上に述べた。19 頁)。7, 87, 3「Varuṇa の斥候たちは、彼から委任を受けて(かく「委託を与えられた」と Pet. Wört.)、美しき姿の二つの世界を監視する。」9, 73, 4「彼の熱心な斥候たちは眼を閉じない。あらゆる場所に、罠に富む彼の縄目がある1。」
上において我々が神の斥候たちを昼と夜とに関係づけたとすれば、その理由は次の点にあった。すなわち、(1, 25, 13 を除いて)いかなる詩節も、それらを昼または夜の一方のみに関係づけることを要求してはいない、ということである。天は常に地を見下ろしており、したがって彼を常に彼の斥候たちが取り巻いているのである。私は 1, 25, 3 を夜に関係づけようとは思わない。というのも動詞 niṣedire は、それらを天の衣の上にいわば坐している星々と解することを、決して必然的に要求するものではないからである。斥候について語りうるのは夜においてのみである、ということへの反証を得ようとするならば、それは Mitra-Varuṇa 諸箇所への指示によって容易に与えられる。そこではこの両神にも同じく守護者たちが付されるが、それらは
昼、ないし光の斥候的霊たちにのみ関係づけられうるのである(下記 6, 67, 6; 7, 61, 3、Mitra-Varuṇa の項を見よ)。これらの斥候に確定した概念を結びつけようと欲して初めて、我々は夜の守護者としては星々を、昼の守護者としては光の霊たちを解しうるのであって、後者はおそらく、その名を一般的に解した場合の Āditya たちにほかならない。
すべてを知りすべてを見る神が、正しきものを正しからざるものから区別しうるほどに、あらゆる事柄についての知識をも有していなければならぬことを考えるならば、上に述べたあの「導き手」という呼称――それは一部には、統治者としての、また法による賢明な秩序づけ手としての彼の性質に基づく――は、我々にとっていっそう明瞭となる。また我々は今や、すべてを導くこの神がなにゆえ「賢者」と呼ばれうるかをも理解する。彼はその全知において常に正しきものを認識せざるをえず、正しい道を誤った道から分かつことを心得ているのである。かくして彼は pracetas(RV. 1, 24, 14)、māyín(ṚV. 6, 48, 14; 7, 28, 4 等)、vipra, gṛtsa, amūra, kaví(RV. 2, 28, 1. AV. 5, 13, 1)、kavítara(RV. 7, 86, 7)、kavítama(RV. 5, 85, 6)と呼ばれる。kavi たること(Kavithum)については AV. 5, 11, 3 に美しい一節がある。「まことに私(Varuṇa)は kavi の性質(kavyena)によって深遠であり、まことに本質によって本質を知る者である。」4.「汝にまさる kavi は存在せず、洞察において汝より賢き者はない、おお Varuṇa よ、svadhā に富める者よ。」
さて Varuṇa は賢明であるのと同様に、また「kratu」すなわち洞察を人々の心に与え(RV. 5, 85, 2)、人間たちの思念を守護し(RV. 8, 41, 1)、洞察を鋭くする(RV. 8, 42, 3)。それどころか彼は、たしかに限られた仕方においてではあるが、神々の教師としてさえ登場する。この点における彼の活動は、彼によって教えられる神々の種類によっていっそう明確に規定される。A.V. 2, 29, 4: índreṇa datto váruṇena śiṣṭo marúdbhir ugráḥ prahito na āgan / eṣá vāṃ dyāvāpṛthivī upásthe mā́ kṣudhan mā́ tṛṣat:「Indra によって与えられ、Varuṇa によって指示され、Marut たちによって遣わされた強大なる者が、我らのもとへ来たった。この者が、おお天と地よ、汝らの膝のうちにて飢えることも渇くこともなからんことを。」この詩節は明らかに Agni、すなわち天と地との子に関わるものであって、稲妻のうちなる彼の誕生に際して、水によって食物と飲料とが彼に施されるのである。
Indra および Marut たちとの関係は、それによって説明されたことになろう。しかしなお彼が Varuṇa と結びつけられているとすれば、その理由は、我々が上に見た彼の神に対する関係のうちにのみあるのではなく、同時に、後に論ずるところの Varuṇa の水との関係のうちにも、また Varuṇa の「通暁せる」「知れる」「導き手」としての性質のうちにもある。この両者を合わせ考えるとき、彼はここで Agni の教師として現れるのである。まったく同じ意味が、RV. 10, 66, 2 の根底にも横たわっている。そこでは Marut たちについて語られる。indraprasūtā́ váruṇapraśiṣṭā́ ye (marútaḥ) sū́ryasya jyótiṣo bhāgám ānaśúḥ /「Indra によって遣わされ、Varuṇa によって教えられて、太陽の光の分け前を得た者たち。」上に雷雨の Agni を Varuṇa と結びつけさせたのと同じ二つの理由が、ここにも存する。猛々しき戦士たる Indra が嵐の神々を戦いへと呼ぶのに対し、Varuṇa においては、Marut たちを教えるという点で、より静穏な、助言する要素が現れている。彼がまさしく嵐の神々とともに現れることの理由は、これまた先に述べた水との関係のうちにある。同じ説明は、彼が Soma とともに現れる A.V. 3, 5, 4 についても適用しうる。sómasya parṇáḥ sahá ugrám agann índreṇa dattó váruṇena śiṣṭáḥ / táṃ priyāsaṃ bahú rocamāno dīrghāyutvā́ya śatáśāradāya.「Soma の parṇa(= maṇi か?)が大いなる力とともに来たった。Indra によって与えられ、Varuṇa によって教えられて。それを私は、いたく輝きつつ、百秋の長寿のために満たしたい〔と願う〕。」我々は後に、Varuṇa が Soma と密接な関係に立つことを見るであろう。しかしここに根底にある意味は、先の諸詩節におけるそれと本質的に異なるものではないであろう。Indra が Soma を流れ下らせるように、Varuṇa はここでも再びその知恵によって助言者・導き手とみなされているのである。
これらの箇所に対して、A.V. の第四の箇所が対置される。そこでは Marut たちと同じ仕方で Āditya たちが、この神の弟子として示されている。後者〔Marut たち〕が Varuṇa の雨との関係を思い起こさせるとすれば、前者〔Āditya たち〕は彼の昼との関係を指し示しており、彼はその知恵のゆえに、再び光の神々たる Āditya たちの教導者として現れる。19, 56, 4: trité svápnam adadhur āptyé nára ādityā́so váruṇenānuśiṣṭā́ḥ:「Trita Āptya のもとへ眠りを置いた、Varuṇa によって教えられた雄々しき Āditya たちは。」
私は今や、Varuṇa の活動の別の一面へと向かう。すなわち――
VI. Varuṇa と水
この論究において考察の対象となる讃歌および詩節の範囲は、Atharva- および Ṛksaṃhitā に劣らず、Taitt. Saṃh. および Brāhmaṇa 群にも及んでいる。また私は、人が一部は正当に一部は不当に後代のものと呼ぶ特定の個々の書物、たとえば Ṛk の第 10 マンダラのごときものを、この一つの見解の特別な代表者として知るには至らなかった。そして私は、この見解が後になって初めて Varuṇa と結びつけられたのだ、という説に強く反対せざるをえない。私は後者の見解のいかなる根拠をも見出しえない。もしあるとすれば、それは、後代の文献が彼をしばしば専ら水と結びつけている、という点にあるにちがいない。しかしこの後者の事情が我々に証明するのはただ一つのこと、すなわち、彼の活動のこの一面が、他の諸側面よりも長く神話的見解の変転に抗しえた、ということであって、それが後になって初めて神に転移されたということではない。
さて、Varuṇa のこの捉え方がいかなる道筋を経て発展しえたかという問いの論究へ、また、この見解がヴェーダの諸書のうちにどこまで見出されるかという問いの論究へと進もう。後者の点は同時に、Indra と Varuṇa とのあいだに、その本質的類縁性にもかかわらず存する相違を論ずることを、そして、Indra-Varuṇa 讃歌における両者の緊密な結合にもかかわらず、両者の性格のまったき相違がインド人の精神に隠されてはいなかったことの証拠を挙げることを、我々に要求する。
さて、我々の全論究の出発点へ、すなわち一切を包む天としての Varuṇa へと立ち帰り、この天が、日の光がそれを貫き輝こうと夜の闇がそれを満たそうと、同一の不滅の天であり続けることを想起するならば、我々にはさらなる問いが迫ってくる。天が人間に提供するものは、これですべて汲み尽くされたのであろうか。我々はこれによって、その本質の全能のうちにある彼を把握したのであろうか。私はそうは思わない。天が光と闇のほかに地上の世界に提供するもの、そしてその最も恵み豊かな賜物をなすものは、
〔ページ下部欄外〕6*
ほとんどすべてのヴェーダ讃歌が我々に示している。天には牝牛たちが住まい、それらが人間に雨の乳を滴らせ、その水気をもって世界を潤す。Dyaus は水の座であり、ヴェーダにおいて無数回そう呼ばれる。あるときはこの Dyaus が、あるときは Indra が、あるときは Trita ――天の古き名であり、その添え名 āptya は、雨を垂らす天、すなわち雨を流れ下らせる天にほかならぬものを意味する――が、それにあたる。ローマ人にもまた彼らの Jupiter pluvius があり、ギリシア人にも aegis を担う Zeus があった。それは、黒い雨雲に包まれて見る者の眼に現れる限りでの地平線にほかならぬものを意味する。それゆえ我々は、インド人においてもまた最高の天神が天のこの最も本質的な性質にあずかることを期待してよいし、彼の人格化が遂行されるにつれて、上界の賜物のうちおそらく最も讃うべきものとして人間に現れたところの Dyaus の性質もまた、彼に付与されたであろうと前提してよい。Varuṇa はその全本質の根底において、水神への展開を自らのうちに担っていた。これは後代の見解ではないし、またそうでありえない。なぜなら天とは、雨の天と本質的に一体的に結びついているからである。
かくして次の諸箇所はおのずから説明される。RV. 7, 49, 3(= A.V. 1, 33, 2)yā́sāṃ rā́jā váruṇo yāti mádhye satyānṛté avapáśyañ jánānām:「(水よ、)その中を王 Varuṇa が歩み、人間たちの真実と虚偽とを見下ろすところの(水よ)。」Vāj. Saṃh. 10, 7: sadhamā́do dyumnínīr ā́pa etā́ anādhṛṣṭā́ apásyo vásānaḥ / pastyā̀su cakre váruṇaḥ sadhástham apā́ṃ śiśúr mātṛ́tamāsv antáḥ //「ともに喜ぶ、輝ける、抗いがたき、働きある1水、それを身にまとって2、Varuṇa は(それらを)自らの住まいとして座を設けた。水の若子は、最良の母たちのただ中に。」(cf. Taitt. Saṃh. 1, 8, 12, 1.)A.V. 7, 83, 1: apsú te rājan varuṇa gṛhó hiraṇyáyo mitáḥ:「水のうちに、おお王 Varuṇa よ、汝の黄金の家は建てられた3。」
ここで早くも注意しておきたいのは、この水とは、必ずしも Indra や Parjanya が導くような、雨となって降り注ぐ水のみが解されるべきではない、ということである。むしろ、天の上半部にあると考えられる(RV. 1, 164, 12 を参照せよ)静止せる水もまた、彼の領域に属する。Śat. Brāhm. 4, 4, 5, 10 に「流れるものどものうちに静止せる湖(hrada)であるところのもの、それへと彼は水のうちへ降り立とうとする。水のうち、流れるものどものうちにあって流れぬものどもは、Varuṇa によって捕らえられている」と言われるとき、その意味はこれである。avabhṛtha は Varuṇa に属する。Taitt. Saṃh. 6, 4, 2, 3. 4: na sthāvarāṇāṃ gṛhṇīyād, varuṇagṛhītā vai sthāvarāḥ; yat sthāvarāṇāṃ gṛhṇīyād varuṇenāsya yajñaṃ grāhayed.「静止せる(水)から汲んではならない。静止せるものは Varuṇa によって捕らえられているからである。もし静止せるものから汲むならば、彼は自らの供犠を Varuṇa によって捕らえさせることになろう。」彼が apām adhipatiḥ(cf. たとえば A.V. 5, 24, 4)と呼ばれる理由もまたこれであり、この関係において彼は、彼と Mitra とがともにそう呼ばれるところの vṛṣṭyā adhipatī とは本質的に異なるものと見なされねばならない。
静止せる水(天に住まう水。というのは、最後に挙げた諸箇所の解釈は祭式に属するものであり、前者へと立ち帰らせるからである)の主に対して、彼を降り注ぐ雨の主とし、また――その源を天に有する――河川の主とする見解が、おのずと接続する。RV. 2, 28, 4 を参照せよ。prá sīm ādityó asṛjad vidhartā́ṃ ṛtáṃ síndhavo váruṇasya yanti / ná śrāmyanti ná ví mucanty eté váyo ná paptū raghuyā́ párijman.「保持者たる Āditya がそれらを放った。Varuṇa の秩序に従って河川は進む。それらは疲れることなく、やめることもない。鳥のごとくに彼らは速やかに周囲を飛ぶ。」4, 42, 4: ahám apó apinvam ukṣámāṇāḥ.「私は潤す水を流れさせた(漲らせた)。」5, 85, 3: nīcī́nabāraṃ váruṇaḥ kávandhaṃ prá sasarja ródasī antárikṣam / téna víśvasya bhúvanasya rā́jā yávaṃ ná vṛṣṭír vy ùnatti bhū́ma. 4. unátti bhū́mim pṛthivī́m utá dyā́m yadā́ dugdháṃ
〔脚注 *** の続き〕結びつける契機が与えられた。かくして Varāha Purāṇa sect. 121(Aufrecht Cat. p. 59 b)は「sarve lokā hi jānanti varuṇaḥ pāti sāgaram」等と言う。Varuṇa の地上の海への転移は、彼の天の水との結合より確実に後のことである。
váruṇo váṣṭy ā́d ít 等。「口を下に向けて Varuṇa は樽を注ぎ出した、天と地と空界とに。それによって全世界の王は、雨が穀物を〔潤す〕ごとくに大地を潤す。4. Varuṇa は世界を、地と天とを潤す、彼が搾られたものを欲するとき1」……7, 34, 11、そこで彼は「péśo nadī́nām」「河川の飾り」と呼ばれる。7, 87, 1「彼は海に属する河川の水を前へと流れさせた。」8, 41, 2: nábhākasya praśastíbhir yáḥ síndhūnām úpodayé saptásvasā ca madhyamó「Nābhāka の讃歌をもって(讃えよ)、河川の湧き出づるところに、七人の姉妹たちのただ中に立つ者を。」第 9 詩節 sá saptā́nām irajyati.
8, 58, 11: ápād índro ápād agnír víśve devā́ amatsata / váruṇa íd ihá kṣayat tám ā́po abhy ànūṣata vatsáṃ saṃśíśvarīr iva // 12. sudevó asi varuṇa yásya te saptá síndhavaḥ / anukṣáranti kākúdaṃ sū́rmyaṃ suṣirā́m iva // 11.「Indra は飲んだ、Agni は飲んだ、すべての神々は酔い痴れた。Varuṇa こそここに留まらんことを。子牛に対して子を持つ牝牛たちがそうするように、水は彼に向かって鳴りとよもした。12. 汝は善き神である、おお Varuṇa よ、汝の喉に沿って七つの河が、あたかも軽やかに流れる管の中を流れるごとくに流れ下るところの。」
10, 75, 2: prá te 'radad váruṇo yā́tave patháḥ síndho yád vā́jāṃ abhy ádravas tvám「Varuṇa は汝に、おお Sindhu よ、流れゆくべき道を開いた、汝が糧(?)へと急いだとき。」10, 124, 7: áprabhūti váruṇo nír apáḥ sṛjat / kṣémaṃ kṛṇvānā́ jánayo ná síndhavas tā́ asya várṇaṃ śúcayo bhárībhrati //「(暴力によらずして、すなわち)労苦なくして Varuṇa は水を放った。婦人たちのごとくに河川は快きものをつくり出す。輝きつつそれらは力強く彼の光輝を担う2。」
同じところへ私は 9, 73 の第 3 詩節をも引く。maháḥ samudráṃ váruṇas tiró dadhe dhī́rā íc chekur dharúṇeṣv
ā́rabham.「大いなる Varuṇa は海を取り除く(すなわち注ぎ出す)〔訳注:原文の動詞は判読やや不確実。tiró dadhe に対する訳語〕。賢者たち(= 滴。第 4 詩節および第 7 詩節を参照)は堅固なるものに身を支えることができた。」
A.V. 4, 15, 12: apó niṣiñcann ásuraḥ pitā́ naḥ svásantu gárgarā apā́ṃ varuṇa / áva nīcī́r apáḥ sṛja vádantu pṛ́śnibāhavo maṇḍū́kā iriṇā́nu //「水を注ぎ出すのは、我らの父たる Asura である。水の渦は鳴りとよもすがよい、おお Varuṇa よ。水を下方へ放て。まだらの腕をもつ蛙たちは、穴のうちで鳴くがよい。」
RV. 10, 65, 8: dyā́vāpṛthivī́ váruṇāya savraté ghṛtávat páyo mahiṣā́ya pinvataḥ //「同じ定めに従う天と地とは、牡牛たる Varuṇa に ghṛta 豊かな乳を注ぐ。」cf. A.V. 3, 3, 4 等。
すべてのヴェーダにおいて、また Brāhmaṇa 群において、まさしく「Varuṇa と水」のみを我々に示すところの数多の箇所を、私はここに挙げることを省く。それらは Varuṇa の把握について、これまで我々が述べた以上のものを何ら付け加えないからである1。
ただ一つのことだけはなお述べておきたい。それは Varuṇa の水に対する位置によって説明されるところの、彼の西方との関係である。我々は Roth とともに、そこから沈みゆく太陽への関係を引き出してはならない。それは他の何ものによっても確証されないであろう。それが専ら Varuṇa の水との結合に基づくことの証拠は、むしろヴェーダ自身が我々に与えてくれる。私はそれについて Śruti から、西方がしばしば水の方位とみなされる証拠(cf. たとえば Ait. Brāhm. 1, 7)を挙げようとは思わず、私の証拠を直接 Saṃhitā から借りることにする。すなわち A.V. 15, 2, 3 にはこうある。sa úd atiṣṭhat sa pratī́cīṃ díśam ánu vy àcalat / taṃ vairūpáṃ ca vairājáṃ ca
cā́pāsyaś ca váruṇasya ca rā́jño 'nu vy àcalan / vairūpā́ya ca vai sa vairājā́ya cādbhyaś ca váruṇāya ca rā́jña ā́ vṛścate ya eváṃ vidvā́ṃsaṃ vrā́tyam upavádati 等々。さらに 15, 14, 3: sa yát pratī́cīṃ díśam ánu vy àcalad váruṇo rā́jā bhūtvā́nu vy àcalad apó 'nnādī́ṃ kṛtvā́ / adbhír annādī́bhir ánnam atti ya eváṃ véda.
これによって、Varuṇa の西方に対する位置がいかなるものであるかについては、もはや何の疑いもありえない。そして我々は今や、水が名指されていないにもかかわらず彼がこの方位と結びつけられている正しい理由をも認識しうるのである。A.V. 12, 3, 24「Varuṇa よ、西方より汝を固めよ」を参照。12, 3, 57: pratī́cyai tvā díśe váruṇāyā́dhipataye 等。ここではそれは、しばしば反復される apā́m ádhipatiḥ とほとんど同一のものとみなしうる1。
a) Varuṇa と牝牛
かくして我々が Varuṇa を、天上の水および地上の水――後者はその起源を天界に有する――の神としての性質において見るとき、我々は彼のさらなる属性の一つをも理解する。我々は昼の神としての彼に馬が属することを見た。闇の支配者としては黒い動物が彼に固有である。雨を施す神としての彼の活動の特徴をなすのは牝牛である。天そのものが牝牛と呼ばれ、雨雲は牝牛と呼ばれる。それらがその水気をもって大地を潤すからである。かくして乳を流れさせる Varuṇa は、牝牛の所有者ないし施与者とみなされる。
このことについて最も特徴的な箇所の一つを、我々は A.V. 5, 11 に見出す。そこには Atharvan と Varuṇa との対話があり、前者が神に牝牛を乞うのである。1) kathā́ mahé asuryā̀ya bravīr ihá kathā́ pitré haráye tveṣánṛmṇaḥ / pṛ́śniṃ varuṇa dakṣiṇā́ṃ dadā́van púnarmagha tváṃ mánasā́cikitsīḥ //「汝はいかに大いなる Asura に語ったか、いかに猛き勇気をもって黄金に輝く父2に語ったか。まだらの牝牛を、おお Varuṇa よ、汝は与えた。強欲なる者よ!(かく Roth)汝はそれをことさらに連れ去った。」
(Westergaard, rad. s. v. kit: Desid. act. cikitsati 1) sanare. 2) coercere. 3) abducere, auferre. Roth は「渇望する」を採る〔Pet. Wört.〕。)
2. ná kā́mena púnarmagho bhavāmi sáṃ cakṣe káṃ pṛ́śnim etā́m úpāje //「私は欲望から強欲であるのではない。私は考量する、『誰のもとへこの牝牛を連れて行こうか』と。」 3. tváṃ hy àṅga varuṇa bravīṣi púnarmagheṣv avadyā́ni bhū́ri / mó ṣú paṇī́n abhy ètávato bhūn / mā́ tvā vocann árādhasaṃ jánāsaḥ //「汝はまことに、おお Varuṇa よ、強欲なる者たちのあいだで多くの言うべからざることを語る。(されど)それがかくのごとき Paṇi たちを超えることのなからんことを。人々が汝を施与なき(吝き)者と呼ぶことのなからんことを。」 4. mā́ mā vocann árādhasaṃ jánāsaḥ púnas te pṛ́śniṃ jaritar dadāmi / stótraṃ me víśvam ā́ yāhi śácībhir antár víśvāsu mā́nuṣīṣu dikṣú //「人々が私を吝しと呼ばぬように。ふたたび私は汝に、おお歌い手よ、牝牛を与える。私の讃歌のすべてへと、熱意をもって、人の住まうすべての国土のうちに来たれ。」
同じく牝牛との結びつきにおいて我々は Varuṇa を A.V. 7, 104 に見る。káḥ pṛ́śniṃ dhenúṃ váruṇena dattā́m átharvaṇe sudúghāṃ nítyavatsām / bṛ́haspátinā sakhyáṃ juṣāṇó yathāvaśáṃ tanvàḥ kalpayāti //「彼は、Varuṇa によって Atharvan に与えられたまだらの牝牛、よく乳を出し、常に子牛を有する(すなわち常に多産な)牝牛を〔かくのごとく〕なさんことを。Bṛhaspati との友誼を喜びつつ、彼(Tvaṣṭṛ か?)は意のままに身体を形づくらんことを。」
さらにここに属するのが、すでに幾度か言及した Śat. Brāhm. 4, 3, 4 の一節である。これをここで挙げるのはとりわけ好都合である。というのもそれは、Varuṇa の hiraṇya(= 日輪)、aśva(= 太陽の馬)等との結びつきによって、Brāhmaṇa 群が彼を夜の賜物としてのみ知るのではないことを証明するからである。そこの第 29 節にはこうある。gā́m pratyeti / rudrā́ya tvā máhyaṃ váruṇo dadātv íti rudrā́ya hy ètā́ṃ váruṇo 'dadāt. ここで Varuṇa-Go-Rudra の並置から、我々は牝牛と Varuṇa との結合の意味を明瞭に認識するのであり1、そこから Brāhmaṇa もまた Varuṇa 的活動のこの側面を知っていることを見て取る。
さらに Taitt. Saṃh. を参照せよ。そこでは黒い牝牛が Varuṇa に属するものとして示されている。2, 1, 9, 1: váruṇaṃ suṣuvāṇám annādyaṃ no 'panamat, sa etā́ṃ vāruṇī́ṃ kṛṣṇā́ṃ vaśā́m apaśyat, tā́ṃ svā́yai devátāyā ā́labhata táto vai tam annādyam upānamad / yám álam annādyāya sántam annādyaṃ no 'panámet sa eṣā́ṃ vāruṇī́ṃ kṛṣṇā́ṃ vaśā́m ā́ labheta; váruṇam evá svéna bhāgadhéyeno 'pa dhāvati 等。「Varuṇa が灌頂を受けたとき、彼には食物が与えられなかった。彼は Varuṇa に属する黒い牝牛を見出し、それを自らの神格のために取った(= 供犠に供した)。そこから彼に食物が与えられた。それにふさわしいにもかかわらず食物の与えられぬ者は、Varuṇa に属する黒い牝牛を取るべきである。彼は自らの分け前によって Varuṇa へと赴くのである」等々。
牝牛の形容語「黒き」については、私はそこに夜の天としての Varuṇa への示唆を見なければならないとは思わない。牝牛が Varuṇa に属するものと示される Taitt. Saṃh. の他の諸箇所についても同様である。5, 6, 21, 1 vāruṇī́ kṛṣṇé vaśé「Varuṇa には二頭の黒い牝牛が属する。」cf. また 5, 6, 11, 1。その理由はむしろ別のところにあるように私には思われる。天が雨に満ちて垂れこめるとき、それはもはや輝けるものとしてではなく、覆われ暗鬱なものとして現れ、ほとんど夜に比しうるほどになる。そして私は、Varuṇa の黒い牝牛について語られるところに、ただ暗い雨天への示唆のみを見る。この我々の見解は、すでに引用した Taitt. Saṃh.(2, 1, 8, 5)の一箇所、すなわち雨を望むならば Prajāpati のために黒い動物を犠牲に供さねばならぬ、という箇所によって確証される。そしてこの点に夜への示唆が含まれていると主張しようとする者は誰もいないであろう。
さて、この論究が私を導く道をさらに進める前に、なお Rigveda から一箇所を挙げることを許されたい。それは、牝牛が Varuṇa となぜより近い関係に立つのかという理由を我々が知った今、正しい光を受ける箇所である。ṚV. 10, 65, 6 sā́ (gaúḥ) prabruvāṇā́ váruṇāya dāśúṣe devébhyo dāśad dhavíṣā vivásvate //「この(牝牛は)、讃えつつ、恵み深き Varuṇa を、神々を、Vivasvat を havis の供献をもって敬え。」また A.V. 11, 5, 15 も Varuṇa の牝牛への関係によって説明されうる。そこには、Varuṇa が ācārya となった後、バターを自らのものとする、と言われている。
b) Varuṇa と羊
牝牛の水神 Varuṇa に対するあの関係は、今や我々に Vāj. Saṃh. の二つの難解な箇所、すなわち 13, 44 と 13, 60 の解釈への手がかりをも与えてくれる。
1. varūtríṃ tváṣṭur váruṇasya nā́bhim áviṃ jajñānā́ṃ rájasaḥ párasmāt / mahī́ṃ sāhasrī́m ásurasya māyā́m ágne mā́ hiṃsīḥ paramé vyòman //「Tvaṣṭṛ の守護女、Varuṇa の血族、遠き世界圏より生まれし牝羊(= 羊)、Asura の大いなる知恵(あるいは = 呪術)、千倍なるものを、おお Agni よ、最高の天において害するなかれ。」 2. imám ū́rṇāyuṃ váruṇasya nā́bhiṃ tvácaṃ paśūnā́ṃ dvipádāṃ cátuṣpadām / tváṣṭuḥ prajā́nāṃ prathamáṃ jánitram ágne mā́ hiṃsīḥ paramé vyòman //「この毛深き Varuṇa の血族、二足および四足の家畜どもの毛皮、Tvaṣṭṛ の被造物どもの最初の生誕の座を、おお Agni よ、最高の天において害するなかれ。」
ここで羊の多くの難解な関係が何を示唆しているかは、しばらく措いておこう。我々にとって問題なのは、ただ avi と Varuṇa とのあいだに存する関係のみである。それをどこに求めるべきかは、「最高の天」について語る両詩節の結びが示しており、その本来の理由を指し示すのは ū́rṇāyu という語である。ū́rṇāyu は Varuṇa と同一起源であり、「覆う」を意味する語根 var を基礎とする。羊は、その覆う羊毛のゆえにこの名を有するのである。
さて雨の天を眺めるならば、それもまた垂れ下がる雲によって、あたかも房々とした毛皮によって覆われているかのように見える。そして我々が Varuṇa のうちにこの雨の天を見たとすれば、房々とした毛皮によって雨天に似た羊が彼の動物となりえた理由もまた明白である。この毛皮はヴェーダにおいてしばしば言及されるが、それは多くの場合、雨を大地へ流れさせない敵対的な悪魔たちの住処として現れる。その実例を挙げることは差し控えてよかろう。ここから、毛皮は何か敵対的なものを意味するのであって、したがって我々が上に行なったような仕方で Varuṇa と関係づけてはならない、と結論することもできよう。しかしヴェーダを知る者は、その形象がいかに多様であるか、リシたちが同一の思想をいかに驚嘆すべき仕方で変奏し、同一の自然現象から最も多様な、一部はまったく
相反する見解を導き出したかを知っている。したがって我々は初めから、天を覆うこの毛皮という形象もまた一方向にのみ解されたのではないと想定してよく、実際に別の把握の痕跡を見出すのである。
ṚV. 4, 22, 2 を参照せよ。vṛ́ṣā vṛ́ṣandhiṃ catúraśrim ásyann ugró bāhúbhyāṃ nṛ́tamaḥ śácīvān / śriyé páruṣṇīm uṣámāṇa ū́rṇaṃ yásyāḥ párvāṇi sakhyā́ya vivyé //「牡牛は四つの刃をもつ雨の容器(Ludwig)を投げつける。強き者は両腕をもって、最も雄々しく力ある者は。美のために Paruṣṇī のうちへ羊毛(羊毛の衣)として身を包みつつ、その肢節(= 結節 = 綿毛)を彼は友誼のために(その友誼を示すために)身につけた。」
5, 52, 9 utá sma te páruṣṇyām ū́rṇā vasata śundhyávaḥ / utá pavyā́ ráthānām ádriṃ bhindanty ójasā //「輝ける者たちは Paruṣṇī において羊毛(= 羊毛の衣)を身にまとった。またその力をもって彼らは車の輪縁によって岩を裂く。」
両詩節のうち最初のものについて言えば、私は続く parvāṇi のゆえに paruṣṇīm を固有名詞と解する方を選んだ。「parvan」はまさしくこの河の特徴であり、この河は Nir. 9, 25 において parvavatī と呼ばれている。それはいずれにせよ河流の多くの結節と屈曲のゆえであって、注釈者はそのことを「kuṭilagāminī」というさらなる付加によって示唆している。
これらの箇所の解釈にあたって我々は、天における河川の流れについてのヴェーダ的見解を想起し、ここでも天上の Paruṣṇī が語られていると想定せねばならない。最初の詩節では Indra が、第二の詩節では Marut たちが、流れ(= 天または空界の水)のうちにあって敵と戦う者たちである。前者では河が直接に羊毛(= 羊毛の衣)と呼ばれ、それによっていずれにせよ、綿毛のように見える垂れ下がる雲と等置されている。後者の詩節では、この綿毛状の雲は、流れのうちにある神々が身にまとう衣としてのみ示されている。
これによって羊毛を担う羊と Varuṇa との結合はすでに十分に説明されたが、さらなる証拠は、Soma の濾し器が羊毛から作られ、avyas vā́raḥ ないし avi そのものと呼ばれるという点にある。これはただ一つの理由しか持ちえない。それは、Soma がそれによって浄められ pūta-
bhṛt 器へと流れ落ちるところの濾し器の意味のうちに求められるべきものであり、すなわち Soma の濾し器とは、雨がそれを通って大地へ降り注ぐところの雨天(あるいは空界)の表象にほかならない、ということである。
さて、羊が Varuṇa の血族と呼ばれたという事情は、A.V. 5, 1, 9 における avi という語を = Varuṇa と解した我々の上述の翻訳と解釈とを正当化する。この詩節において我々は、まさしく「上なるものによって下なるものを」促進する Varuṇa の活動が指し示されているのを見た。そして我々は、これまでの avi と Varuṇa との関係についての論究のほかに、まさしくこの箇所の内容を、我々の主張の正しさの証拠とみなしてよいのである1。
c) Varuṇa と Vibhvan
Varuṇa を雨天の神と解することは、さらに我々に RV. 4, 33, 9 の説明の鍵を与える。そこでは Ṛbhu の Vibhvan が Varuṇa とともに言及されている。apó hy èṣām ájuṣanta devā́ abhí krátvā mánasā dī́dhyānāḥ / vā́jo devā́nām abhavat sukármendrasya ṛbhukṣā́ váruṇasya víbhvā //「というのも神々は彼ら(Ṛbhu たち)の作品を、洞察と理解をもって眺めたとき、喜んだからである。Vāja は神々の巧みなる工匠となり、Ṛbhukṣan は Indra の、Vibhvan は Varuṇa の〔工匠となった〕。」
Ṛbhu たちの創造的活動における分掌は変動し、しばしば一方の機能が他方に転移されるとはいえ、まさしく Vibhvan の働きは一定の領域と結びつけられており、それを考慮することが我々をここで正しい説明へと導く。ṚV. 6, 61, 13 を参照せよ。rátha iva bṛhatī́ víbhvane kṛtā́ upastútyā cikitúṣā sárasvatī /「通暁せる者によって讃えらるべきは Sarasvatī、車のごとくに大いなるものとして Vibhvan のために作られた〔Sarasvatī〕」(Ludwig は「拡がりのために作られた」。Grassmann は vibhvanā と推測訂正する。すなわち「巧みなる工匠によって作られた車のごとくに崇高な」)。
さらに RV. 3, 49, 1 を見よ。(índraṃ) vibhvatáṣṭaṃ ghanáṃ vṛtraṇáṃ。ここでは
雷雨神への関係によって、彼の水との近しい関わりが示唆されている。ṚV. 5, 58, 4:「rā́jānam … janaya vibhvataṣṭáṃ janayathā yajatrāḥ」、これも同じく Indra に関わる。他のいくつかのより重要でないが同じ観点から説明されるべき諸箇所は措くとして、私はなお一箇所を挙げる。それは我々のこれまでの把握の正しさを確証し、Vibhvan がなにゆえ Varuṇa と結ばれるかを明瞭に語る箇所である。5, 42, 12: vṛ́ṣṇaḥ pátnīr nadyò vibhvataṣṭā́ḥ:「牡牛の妻たる河川は、Vibhvan によって形づくられた。」
この箇所の内容を考量し、またこの一箇所においてのみならず他の諸箇所においても何らかの仕方でこの Ṛbhu が水と結びつけられていることを考えるならば、ここ(4, 33, 9)でも Vibhvan が Varuṇa と結ばれているのは、彼がこの神に属する河川の形成者と解されているからである、ということについて何の疑いもありえない。
d) Varuṇa と Trita
水神としての Varuṇa の位置は、さらに彼の Trita との結合を我々に説明する。Trita は本来、輝ける天の神であり、Indra のごとくに悪魔たちを打ち、水に道を開く。かくして両者はその活動において出会うのであり、それゆえ我々は ṚV. 8, 41, 6 において Varuṇa が Trita と同一であることを見出す。yásmin víśvāni kā́vyā cakré nā́bhir iva śritā́ / tritáṃ jūtī́ saparyata …「その者のうちに一切の知恵が、車輪における轂のごとくに宿るところの、その Trita を熱意をもって敬え……」。ここでは讃歌の連関が Trita = Varuṇa と置くほかの選択を許さない。
Varuṇa と Trita とを連関において示す Ṛgveda のもう一箇所が、ここに属するのか、それともむしろ別の節「Varuṇa と Soma」に属するのかは、私には疑わしく思われる。それは Soma に向けられた歌のうちに含まれ、次のように言う(9, 95, 4): táṃ vāvaśānáṃ matáyaḥ sacante tritó bibharti váruṇaṃ samudré //「吼えるものに歌はつき従う。Trita は海のうちに Varuṇa を担う」(Ludwig:「Trita として彼は海のうちに Varuṇa を保つ」)。この名において我々の神そのものの呼称を見ることへの主たる懸念は、まったく専ら Soma に捧げられた讃歌の性格のうちにある。というのも我々は、いったい何ゆえに脈絡なく
ここで V.〔= Varuṇa〕の名が挙げられることが何を意図するのか、と問わねばならないからである。Ludwig は Trita = Soma と置くことによってこれを切り抜ける。Trita はしばしば Soma と関係に立つのであるから、これは実際に許されることではある。しかしこれらの関係に目を向けることは、この箇所について、私の考えではより良い説明を我々に与える。
我々は圧搾された飲料が水と混ぜられることを知っており、水と結ばれた神 Soma についてはヴェーダから無数の箇所を挙げうる。ところで Trita は水の神であり、我々はここから、ここではこの位置が暗示されているのであって、詩的表現を離れてその意味を問うならば、この詩節は「Soma は水と結ばれている」以外の何ものをも意味しない、と結論しうる。私はここで「Soma」を直接に「Varuṇa」の代わりに置いた。そしてこれこそ、我々の解釈において人が躓きうる唯一の点であろう。しかしこの等置へと我々を権利づけるのはヴェーダ自身なのであって、それゆえ私はしばし次の項に向かう。
e) Soma と Varuṇa
両神の接点は数多く、そのうち最も重要なのは、Varuṇa も Soma も高き天の家に住まい、両者ともに天上の水に取り巻かれている、という点である。この関係について Ṛgveda が我々に提供する諸箇所のうち、次のものを挙げるべきである。
5, 85, 2: (váruṇo) diví sū́ryam adadhāt sómam ádrau /「Varuṇa は天に太陽を、石のうちに Soma を置いた。」
1, 91, 3: rā́jño nú te váruṇasya vratā́ni bṛhád gabhīráṃ táva soma dhā́ma /「汝のものは王 Varuṇa の領域(すなわち天)である。大いにして深きは、おお Soma よ、汝の家である。」
9, 77, 5: cakrír diváḥ pavate kṛ́tvyo ráso mahā́m̐ ádabdho váruṇo hurugyaté /「天の働きある実効的な液汁が浄められて流れる。悪しき者に対しては欺きがたき大いなる Varuṇa が。」
9, 90, 2: vánā vásāno váruṇo ná síndhūn ví ratnadhā́ dayate vā́ryāṇi /「水1のうちへ、Varuṇa が河川のうちへ〔身を包む〕ごとくに身を包みつつ、富の施与者は良きものを分かち与える。」
cf. また 10, 167, 3: sómasya rā́jño váruṇasya dhármaṇi bṛ́haspáter ánumatyā u śármaṇi。ここでの Varuṇa と Soma の緊密な並置は、確実に両者の類縁性に帰せられるべきものである。
かくして我々はここに、Soma がさまざまな結びつきにおいて Varuṇa と関わるのを見る。あるときは彼は Varuṇa の被造物であり(Varuṇa が水を施すのであるから、この見解が最も自然である)、あるときは彼は、悪人に対する罰する欺きがたき神として Varuṇa に等しく、あるときは両者がともに包まれている水のゆえに Varuṇa に比せられる。
この最後の見解こそ、いくぶん変容された形で、引用した箇所 RV. 9, 95, 4 に再び現れ、Soma を端的に Varuṇa と同一視する契機を与えたのである。というのも「váruṇam」は = váruṇam iva sómam = váruṇam iva apo vásānaṃ sómam だからである。
祭式もまた、Varuṇa と Soma との関係についていくつかの寄与を我々に与えており、しかもそれは、先に述べた詩節におけると同じく、しばしば Varuṇa をそのまま Soma の意で用いるという仕方においてである。かくして Vāj. Saṃh. 4, 36 にはこうある。a) váruṇasyottambhanam asi, b) váruṇasya skambhasarjanī sthaḥ, c) váruṇasya ṛtasādany asi 等々。これらすべての Yajus において Varuṇa は Soma を意味する。それはおそらく Soma が縛られているからであろう。すなわち「váruṇa upanaddhaḥ」(cf. Taitt. Saṃh. 4, 4, 9, 1)、あるいは vā́ruṇo vai krītaḥ sóma upanaddhaḥ(Taitt. Saṃh. 6, 1, 11, 1. 5)等々。
私は、縛られた Soma が Varuṇa に属するというこの見解の根拠は、Soma の飲料が地上へ降り来たる前に本来天に保管されている点にあり、したがって Varuṇa はここでは天神という彼の古い把握において取られるべきである、と考える。
なお Vāj. Saṃh. 8, 56 をも参照せよ。sóma āgatáḥ / váruṇa āsandyā́m āsannáḥ /「Soma は帰ってきた」(Mahīdhara: śakaṭād āgato 'varūḍhaḥ)、「Varuṇa は āsandī に据えられた」。ここで我々は Soma-Varuṇa についての第二の把握に出会うのであって、それはおそらく「王」たる Soma を示唆するものであろう。――
これら試みとして与えた解釈の後、私はいま一度、我々の論究の出発点へと立ち帰り、Varuṇa を水神と解することによって容易に説明されるいくつかの箇所を補っておきたい。そこに属するのは、水を Varuṇa の妻と呼ぶ容易に理解しうる呼称であり、これを我々は Taitt. Saṃh. 5, 5, 4, 1 の「āpo váruṇasya pátnaya āsan」という言葉のうちに見る。また、七つの河は Varuṇa の姉妹であり、彼はその
ただ中に(むろん天において)立つ、という ṚV. 8, 41, 2 に代表される見解もそこに属する。
さらに我々は、なにゆえ Varuṇa が多くの薬を所有すると考えられ、彼が「医者たちの主」へと発展するのかを理解する。ṚV. 1, 24, 9 を参照せよ。「śatáṃ te rājan bhiṣájaḥ sahásram」(= Taitt. Saṃh. 1, 4, 46b)。Vāj. Saṃh. 21, 58:「savitā́ váruṇo bhiṣág iṣṭé devó vánaspátiḥ 等」。21, 40:「savitā́raṃ váruṇaṃ bhiṣájāṃ pátim.」
ここに私は Vāj. Saṃh. 19, 80 をも引く。sátena tántraṃ mánasā manīṣíṇa ū́rṇāsūtreṇa kaváyo vayanti / aśvínā yajñáṃ savitā́ sárasvatī índrasya rūpáṃ váruṇo bhiṣajyán「錘をもって賢者たちは心において織物を織り、羊毛の糸をもって kavi たちは〔織る〕。Aśvin 双神、Savitṛ、Sarasvatī は供犠を、Varuṇa は Indra の姿を癒しつつ〔織る〕。」これについては Vāj. Saṃh. 21, 22 を参照せよ。そこでは Varuṇa が供犠を(Mahīdh. の付言によれば Indra のための)薬とすべきものとされている1。――
かくして我々は Varuṇa を、水を支配し、それを天から流れ下らせる神として見たが、この論究は我々をさらに一歩先へと導く。すなわち、大地を潤す雨と最も密接な連関に立つ神々そのものへと。それは何よりも嵐の神々であり、また Vṛtra との戦いにおいてその稲妻をもって彼らの側に立つ Indra である。この両者の Varuṇa に対する関係を論ずることが、いま我々の課題である。
f) Varuṇa と Indra および Marut たち
Varuṇa が一方では Indra および Marut たちと、他方では Mitra-Varuṇa および Āditya たちと結びつくとき、それらが我々の神の大いなる活動圏における種々の領域を表す神話的表現ないし記号にほかならぬことを観察するのは、特別な興味を惹くと同時に、ヴェーダ神話学の他の諸問題の解明にとっても重要である。
〔ページ下部欄外〕7
これは一般化するならば、ヴェーダ神話学の上に、したがってヴェーダ全体の上に垂れこめる暗闇を除去するために原理的な意義をもちうる一点である。すなわち、傑出した個々の神々が他の神々と結合することによって、彼らはその活動の広い圏域から出て、より特殊な領域へと入る。その領域は、彼らが結びつく相手の神の性格によって規定されるのである。
かくして Indra-Agni、Indra-Varuṇa、Indra-Viṣṇu、Indra-Soma は、おそらく Indra の全領域における種々の領域であって、彼が結びついた個々の神々によって特殊化されたものである。同じ仕方で Indra-Varuṇa と Mitra-Varuṇa もまた、我々の神の支配圏における二つの重要な領域の表現にほかならない。一方は水と雨の天を、他方は太陽光に貫かれた蒼穹を、その上を歩む太陽神とともに示すのである。
これについて意味深い一箇所を Ṛgveda 7, 82, 5 が我々に提供する。índrāvaruṇā yád imā́ni cakráthur víśvā jātā́ni bhúvanasya majmánā / kṣémeṇa mitró váruṇaṃ duvasyati marúdbhir ugráḥ śúbham anyá īyate //「おお Indra-Varuṇa よ、汝らが(汝らの)力によって世界のこれらすべての生類を創って以来、Mitra は平安のうちに Varuṇa を敬い、他の者(Indra)、かの強大なる者は、Marut たちとともに輝きを目指して進む1。」
我々はこの詩節において両方の見解を同時に見出し、それぞれの領域を特別に強調しつつ、Mitra も Indra もともに天神と結ばれているのを見る。kṣémeṇa duvasyati が太陽天の平和な輝きにのみ2、marúdbhir śúbham īyate が雷雨の荒れ狂う戦いにのみ関係づけられうることは、また kṣémeṇa 等々に対して第二の半詩節が対置されていることは、たとえこの形象自体が別の仕方で続けられるにせよ、直ちに明らかである。
この詩節は我々に三神の位置を最も原初的な形で示している。しかしこのことは当然、両方の場合において
さらなる発展があり、両群のいずれもがより高次の宇宙開闢的活動を獲得することを排除するものではない。
さて、Varuṇa を Marut たちとともに示す諸箇所を挙げよう。
ṚV. 1, 161, 14: divā́ yanti marúto bhū́myāgnír ayáṃ vā́to antárikṣeṇa yāti / adbhír yāti váruṇaḥ samudraír yuṣmā́m̐ ichántaḥ śavaso napātaḥ.「天を Marut たちは行き、地上を Agni が、空界を通ってこの風が行く。(天の)海の水のうちを Varuṇa が行く。汝らを求めつつ、おお力の子らよ」(すなわち、汝らが水を導き下す雷雨を呼び起こすようにと)。
8, 41, 1: ásmā ū ṣú prábhūtaye váruṇāya marúdbhyo 'rcā vidúṣṭarebhyaḥ / yó dhītā́ mā́nuṣāṇāṃ paśvó gā́ iva rákṣati …「この Varuṇa に、その力に向けて歌え。より賢き Marut たちに歌え。人間たちの思念を、牧人が牛を〔守る〕ごとくに守る者に。」
そして続く二詩節においても、その名は挙げられていないものの、同じく Marut たちが意味されている。5, 85, 4ab は 85 頁を見よ。cd: sám abhréṇa vasata párvatāso tviṣīyántaḥ śrathayanta vīrā́ḥ //「山々は雲をもって身を包んだ。猛々しく突き進む男たちがそれ(雲)を解き放った」(すなわち Marut たちが、雲が雨となって降り尽くし消え去るようにした)1。
8, 41, 6: tritáṃ jūtī́ saparyata vrajé gā́vo ná saṃyúje yujé áśvām̐ ayukṣata /「熱意をもって Trita を敬え。彼ら(Marut たち)は軛につなぐべく馬を繋いだ、あたかも囲いのうちの牛が結び合わされるべきであるかのように(?)。」
我々はこの同じ Varuṇa と Marut たちについての見解に、Śat. Brāhm. においてすら出会う。2, 5, 2, 6 にはこうある。「支配権は Varuṇa である。Marut たちは諸部族である。」
Varuṇa と Marut たちの両者はさらに、Mitra と結びついて(これについては後述に譲る)、また Indra と結びついて我々の前に現れる。後者については RV. 3, 62, 2. 3 を引用する。ayám u vāṃ purutámo rayīyáñ chaśvattamáṃ ávase johavīti / sajóṣāv indrāvaruṇā marúdbhir dyā́vā pṛthivī́ śṛṇutáṃ hávam me //「この汝らの最も熱心な(崇拝者)は、富を求めつつ、たえず汝らを助けへと切に呼ぶ。相ともに、おお Indra-Varuṇa よ、
〔ページ下部欄外〕7*
Marut たちとともに、天と地とともに、私の呼び声を聞け。」3. asmé tád indrāvaruṇā vásu ṣyād asmé rayír marutaḥ sarvávīraḥ /「我らのもとにこの財あれ、おお Indra-Varuṇa よ。我らのもとに富あれ、おお Marut たちよ、豊かな子孫とともに。」
9, 33, 3 および 34, 2:「Soma は Indra のために、Vāyu、Varuṇa、Marut たちのために流れる。Viṣṇu のために流れる1」等々。
さて我々は Indra-Varuṇa へと向かい、彼らに関わる諸箇所を直ちに挙げる。
ṚV. 7, 82, 3: ánv apā́ṃ khā́ny atṛntam ójasā sū́ryam airayataṃ diví prabhúm / índrāvaruṇā máde asya māyíno 'pinvatam apítaḥ pinvataṃ dhíyaḥ //「汝らはその力によって水の流路を穿った。強大なる太陽を天に据えた。おお Indra-Varuṇa よ、この呪力ある飲料の陶酔のうちに、汝らは乾けるものを漲らせ、祭儀を漲らせた(それを効力あるものとした)。」
7, 85, 3: ā́paś cid dhí svayáśasaḥ sádaḥsu devī́r índraṃ váruṇaṃ devátā dhuḥ /「すべての神なる水は、その座において自ら輝きつつ、Indra と Varuṇa とを神々となした。」
Vālakh. 11, 4: ghṛtápruṣaḥ saumyā́ jīrádānavaḥ saptá svásāraḥ sádane ṛtásya / yā́ ha vām indrāvaruṇā ghṛtaścútas tā́bhir dhattaṃ yájamānāya śikṣatam //「バターを注ぎ、Soma と結ばれ、速やかに施す七人の姉妹が ṛta の座にある。おお Indra-Varuṇa よ、汝らのバターの滴る牝牛(あるいは姉妹)をもって施し、供犠者を助けよ。」なお第 3 詩節(そこで彼らは śúbhas pátī と呼ばれる)、第 7 詩節(そこで彼らは子孫と食物の施与者と呼ばれる)を参照せよ。
さらにここに属するのが AV.〔原文 AN.〕3, 13, 2 であり、そこでは語源解釈的に両者の自然的関係が論じられている。yát préṣitā váruṇenā́cchībhaṃ samávalgata / tád āpnod índro vo yatī́s tásmād ā́po ánuṣṭhana //「Varuṇa に遣わされて汝らが速やかに(転がり跳ねる)運動を始めたとき、Indra は道の途中で汝らに追いついた。それゆえ汝らは『āpas』として身を差し出すのである。」なお Vāj. Saṃh. 19, 48、A.V. 3, 4, 5. 6 をも参照せよ。そこでは Varuṇa は、Indra を極遠のかなたから呼んだ者として示されている、等々。
さて、両神のこの性格から出発し、彼らの水神としての位置から生ずる帰結を引き出すならば、我々は(上に Varuṇa について見たように)牝牛が彼らの賜物であることを見、彼らを人間の維持者、富と食物と子孫の施与者として知る。彼らを讃える者に彼らは名声を与え、また彼ら自身が戦うのと同じく、彼らは味方の者たちを敵に対して援け、勝利を与える。
かくして彼らは RV. 4, 42, 10 において牝牛の施与者として現れる。tā́ṃ dhenúm indrāvaruṇā yuváṃ no viśvā́hā dhattam anapasphurántīm /「おお Indra-Varuṇa よ、汝らは我らに、日毎に、蹴り放たぬ牝牛を与えよ。」
彼らの援助・保護・富等々の施与者としての活動に関わるさらなる詩節としては、次を挙げる。
ṚV. 1, 17, 2: gantā́rā hí stho 'vase hávaṃ víprasya mā́vataḥ / dhartā́rā carṣaṇīnā́m //「汝らはまことに、私のごとき歌い手の呼び声に応じて助けに来る、人々の維持者たちよ。」
6. táyor íd ávasā vayáṃ sanema ní ca dhīmahi / syā́d utá prarécanam //「かの両者の助けによって我らは獲得し、蓄えたい。また余剰があるように。」 7. índrāvaruṇā vām aháṃ huvé citrā́ya rā́dhase / asmā́n sú jigyúṣas kṛtam //「汝らを私は呼ぶ、おお I.V. よ、輝かしき賜物のために。我らを見事に勝利者となせ。」
6, 68, 2: tā́ hí śréṣṭhā devátātā tujā́ śū́rāṇāṃ śáviṣṭhā tā́ hí bhūtám / maghónām máṃhiṣṭhā tuvíśuṣma ṛténa vṛtratúrā sárvasenā //「かの両者はまことに、神々のうちその熱意によって最良の者であり、英雄たちのうち最も力ある者となった。Maghavan たちのうち最も気前よき者、大いなる力を有し、ṛta によって Vṛtra を征する者、全軍勢の導き手である。」
同 5. sá ít sudā́nuḥ svávām̐ ṛtā́vendrā yó vāṃ varuṇa dā́śati tmán / íṣā sá dviṣas tared dā́svān vaṃsad rayíṃ rayivátaś ca jánān //「彼こそ良き賜物と助けとを備え、ṛta を備えた者である、おお I.V. よ、汝らを自ら敬う者は。彼は施しつつ、食物において敵に勝り、富と富める民とを得る。」
4, 41, 2: índrā ha yó váruṇā cakré āpī́ devaú mártaḥ sakhyā́ya práyasvān / sá hanti vṛtrā́ samithéṣu śátrūn ávobhir vā mahádbhiḥ sá prá sṛṇve //「もし人が I.V. の両神を、食物に富みつつ友誼を得るために(すなわち施しつつ)自らの友としたならば、その者は Vṛtra たちを、戦いにおける敵を殺す。汝らの大いなる助けによって
彼は名高くなる。」
4. índrā yuváṃ varuṇā didyum asminn ójiṣṭham ugrā ní vadhiṣṭaṃ vájram / yó no durévo vṛkátir dabhī́tis tásmin mimāthām abhíbhūty ójaḥ //「I.V. よ、おお強き者たちよ、彼の上に最も力ある投槍を、雷杵を投げよ。我らにとって敵意ある、害をなす破壊者たる者、その者に対して汝らの卓越せる力を示せ1。」
彼らが子孫を得ることにも助力することは RV. 7, 84, 5; 7, 82, 9 等が示す。――
この三点、すなわち勝利――富――子孫は、そもそも Indra-Varuṇa に向けられたすべての讃歌の本質的内容であり、それゆえ私は引用した諸箇所をもって満足しうる。
しかし両神の緊密な結合にもかかわらず、彼らの本質は完全に融合してはいない。両者は同じ方向に向けて活動するが、それでも彼らの本来の性格はまったく消し去られてはいない。ここでもかしこでも我々は Indra-Varuṇa 讃歌のうちに、両神の本来の性格に基づく差異が詩人たちによく知られていたことの痕跡を見出す。私が見出したすべての詩節を挙げよう。
6, 68, 3: vájreṇānyáḥ śávasā hanti vṛtráṃ siṣakty anyó vṛjáneṣu vípraḥ /「一方はその力によって雷杵をもって Vṛtra を殺し、他方たる賢者は労苦に際してその恩寵を与える。」
7, 82, 2: samrā́ḷ anyáḥ svarā́ḍ anyá ucyate.「一方は全支配者(samrāj)と呼ばれ、他方は自主者(svarāj)と呼ばれる。」
同 6. ajā́mim anyáḥ śnathayantam ā́tirad dabhrébhir anyáḥ prá vṛṇoti bhū́yasaḥ /「他部族に属する破壊者を一方は打ち破った。少数の伴侶をもって他方ははるかに多くの敵を防ぐ。」
7, 83, 9: vṛtrā́ṇy anyáḥ samithéṣu jíghnate vratā́ny anyó abhí rakṣate sádā /「一方は戦において敵を殺し、他方は常に定めを守護する。」
7, 84, 2: pári ṇo héḷo váruṇasya vṛjyā́ urúṃ na índraḥ kṛṇavad u lokám /「我らを Varuṇa の怒りが避けるように。Indra は我らに広き場所を作れ(すなわち支配を広くせよ)。」
7, 85, 3: kṛṣṭī́r anyó dhāráyati práviktā vṛtrā́ṇy anyó apratī́ni hanti /「一方は怯えた諸部族を保持し、他方は抗いがたき Vṛtra たちを殺す。」
そのほかなお 7, 82, 5 を挙げておこう。そこでは、平安のうちに Mitra が Varuṇa を
敬い、Indra は Marut たちとともに敵に向かって出撃する、と言われている。後者についてはある意味で A.V. 3, 4, 5 を挙げうる。「最も遠き遠方から来たれ。天と地とが汝に恵み深くあれ。かく王 Varuṇa は語った。彼が汝を呼んだ。それゆえ来たれ。」
最後の二箇所においてなお、我々に天神を常住不変のものとして示し、そこへ Indra が時折加わるにすぎぬという本来の自然観を見出すとすれば、他の諸箇所は我々をこの本来の関係を超えて導く。すなわち我々は、かの単純な自然表象から samrāj と rājan との対立が生じてくるのを見る。Varuṇa の領域たる天はあらゆる時に姿を現すのに対し、Indra の領域は彼が Marut たちとともに戦へ出るときにのみ姿を現すからである。我々は Indra の戦闘的本質に対して Varuṇa の倫理的性格が際立たされているのを見、この対立が、前者は定めを守護し、後者はこれに対して敵そのものと戦う、という形で表現されているのを見る。
我々がここで出会うこれらの観念を、私は支配者と将軍との関係に比したい。前者は国を統治し秩序づけ、後者はそれを外部の敵から守るのである1。
それゆえ我々は Varuṇa が戦士に対して vipra と呼ばれるのを見るのであり、彼の与える恩寵を平和における労苦と労働に関係づけねばならない。さらに我々はかの諸詩節において Varuṇa の怒りが挙げられているのを見出し、それによって神の倫理的性格への直接の関係を得る。というのも「我らを Varuṇa の怒りが避けるように」というこの言葉の根底にある願いは、犯された不正を赦し、Indra が戦う相手たる敵を襲来させることによって罪を罰しないでほしい、ということ以外ではありえないからである。
我々がこう解してよいことは、RV. 7, 28, 4 がきわめて明瞭に示す。ebhír na indrā́hobhir dāśasya durmitrā́so hí kṣitáyaḥ pávante / práti yác cáṣṭe ánṛtam anenā́ áva dvitā́ váruṇo māyī́ naḥ sāt //「これらの日々において、おお Indra よ、我らを守れ。敵意ある諸部族が(武器の)輝きとともに押し寄せるのだから。罪なき者が見るところの不正を、賢き Varuṇa が二重に我らから解き放たんことを。」
ここでもまた我々は両者の差異が示唆されているのを見る。その際 Varuṇa は彼に固有のより倫理的な性格において前面に現れる1。
さて両神の大いなる対立が最も明瞭に我々の前に現れるのは RV. 4, 42 においてであり、そこでは両者がそれぞれ自らの優越を誇る。この讃歌の最初の四詩節はすでに上に引用したので、ここではそれを参照するにとどめうる。第四詩節については、Ludwig はこれを Indra に帰したが、それは不当である。彼はいずれにせよ「ahám apó apinvam」がこの詩節を導入することからそう結論したのであろう。しかし我々はすでに、Varuṇa を水神とするこの見解がヴェーダ全体に固有のものであることを知っており、したがってここでそれを離れる理由をもたない。
さらに、第 3 詩節で Varuṇa が、位階争いにおいて自らの対等性を証明するために自らを Indra と称していることも加わる。またこの詩節が Varuṇa に属することを一層明瞭に語るのは、まさしく Varuṇa に固有な ṛta との結合、彼が Aditi の子と呼ばれること、さらに彼の宇宙開闢的活動への言及である。
両神のこの位階争いの意味については、その説明のために、まず Indra の諸詩節そのものを挙げよう。
5.「輝かしい馬をもつ男たちが、戦利品を求めて私を呼ぶ。戦において取り囲まれた者たち(Sāy. sántaḥ。Gr.〔Grassmann〕は『選ばれし者たち』)が私を〔呼ぶ〕。私は戦いを呼び起こす。私は Maghavan であり、Indra である。私は塵を巻き上げる、力において卓越して。」
6.「これらすべてを私は行なった。いかなる神の力も、征服されざる私を妨げはしない。Soma の飲料と朗誦とが私を酔わせたとき、限りなき天と地とは恐れおののく。」
7.(歌い手:)「全世界が汝をそのような者として知っている。汝はその行ないを、おお賢者よ、Varuṇa に告げる。汝は敵を滅ぼす者として名高い。汝は閉じ込められた河川を解き放った。」
我々の讃歌の評価にとって決定的な意味をもつであろうのは、両神が互いに対置される仕方である。我々は一方の権能の縮小と他方の権能の拡大を見るのではなく、ただ初めから彼らと結びついていた活動全体の対置を有するにすぎない。詩人の結びの言葉によって今や Indra には競争相手に対する優越が直接に与えられるが、第 5 詩節を思うならば、それは明らかに彼の戦神としての性質のゆえである。
これはヴェーダの詩人たちの慣習にほかならないと考えることもできよう。彼らは、その時々に讃えている神をほかのすべての神より高く置くことを好んだのである。この点については Muir(or. S. t. V. 125 頁)も注意を促しており、大意次のように述べている。すなわち、Indra をこれほど讃美するこれらのテクストはすべて、Ṛgveda において、Mitra および Varuṇa に関する類似のテクストによってのみならず、他の神々が同じ讃辞の様式で称揚されるさらに一連のテクストによっても並行例を見出しうる。これは、その時々に讃美の対象となる特定の神格の属性を(しばしば相互に矛盾する仕方で)誇張するというインドの詩人たちの慣行に合致する(cf. Müller's history 532 頁以下)、と。
彼はさらにその主張の証明として、種々の神が他の神に従属せしめられている数々の教訓的な実例を挙げる。そして実際、ほとんどすべての神について、その活動の特殊な領域を、他のすべての神々を支配する領域とすることができるのであって、他の神々はそこにおいて彼に従属するものとして現れざるをえない。
したがって我々は、いくつかのヴェーダの箇所について、Varuṇa のこの従属的関係を、同じくただ詩的な仕方によるものとして説明せざるをえず、そこからさらに歴史的射程をもつ結論を引き出すことはできない、と考えるべきであろう。たとえば RV. 1, 101, 3:「(Indra の)大いなる男らしき力に天と地とが(従い)、その領域のうちに Varuṇa と Sūrya とがあり、その定めに河川が従うところの〔Indra〕」等。cf. A.V.
20, 106, 3。――Vāj. Saṃh. 8, 37 では、同じ理由から彼〔Indra〕が samrāj、Varuṇa が rājan と呼ばれている、等々。
したがってこのような詩節は、そこから Indra への権力の漸次的移行〔Varuṇa から Indra へ〕を結論するには適さないと思われる。また私は Roth(73 頁)にも同意しえない。彼はこの移行の証拠として、第 10 マンダラには Varuṇa に向けられた歌が一つもないという事情を挙げるのである。
むしろ Muir に従おう。彼は上に引用した書の 121 頁で、この Roth の言葉について大意次のように述べている。すなわち、彼は讃歌そのもののうちに、それらが作られた時期に Indra 崇拝が Varuṇa 崇拝に取って代わりつつあったことの決定的証拠と解しうるものを何ら認めていない。確かにヴェーダのより古い部分においてさえ、前者の神に向けられた讃歌の数は後者が讃えられる讃歌の数よりはるかに多い。しかし彼は、一方の人気が衰えつつあり他方のそれが増大しつつあることを明瞭に示すような表現を何ら見出さなかった、と。
とはいえ、と Muir は続けるが、そのような権力移行の想定と両立しえないわけではない箇所もいくつか存在する。彼は一部、我々が両神の差異を特徴づけるために挙げた諸箇所を援用している。しかし我々が見たように、これらの箇所は我々にただ両者の区別のみを示したのであって、権力の移行の痕跡はそこには見出されなかった。
そして第 10 巻について言えば、私はその沈黙から何らの結論をも引き出したくない。第 10 巻全体が後代のものであるという証明は、実際の証拠よりも一般的な想定に基づくものである――たとえ多くの歌についてこの想定が妥当しうるとしても。そして我々はこう問うてよかろう。ヴェーダの編纂者に、Varuṇa に関して存在する歌を、その重要性のゆえに先に置かせたのは、配列上の原理ではなかったか。また Varuṇa 崇拝はまさしく特定の家系に特に固有のものだったのではないか、と。
第 10 巻に讃歌がないとはいえ、Varuṇa を扱う個々の箇所はある。そしてそれらを総合しても、ヴェーダの他の部分と異なる見解は何ら示されない。たとえば 10, 8, 5 では Agni が Varuṇa と同一視される(すなわち Varuṇa は昼の神)。10, 11, 1 では Agni が Varuṇa のごとく全知と呼ばれる。10, 14, 7 では彼は死の神として挙げられる(= Varuṇa
すなわち夜の神としての Varuṇa)。10, 51, 4 では Agni が Varuṇa に、自分は hotṛ の職を恐れて逃げ去ったと語る(同前)。10, 65, 6 では Varuṇa は牝牛との結びつきにおいて、8 では ghṛta との結びつきにおいて現れる(水の神としての Varuṇa)。10, 66, 2 では Marut たちは彼によって教えられ、Indra によって遣わされる(同前)。10, 66, 5 では彼は dhṛtávrata と呼ばれる。10, 93, 4 では彼は光の神々 Aryaman、Mitra とともにある。10, 98, 1 では Bṛhaspati が彼と同一視される。10, 99, 10 では彼は賢しと呼ばれる(「V. のごとくに賢し」)。10, 123, 6 では太陽が彼の「黄金の翼をもつ使者」と呼ばれる(昼の天としての Varuṇa)、等々。――我々の見るところ、これらはいずれも権力移行の想定への手がかりを何ら与えぬ箇所である。
とはいえヴェーダは、そのような想定のための証拠を我々に提供している。しかもそれは二つの讃歌においてであり、そのうち一方は我々の論究の出発点であった。そこでは Indra と Varuṇa の二つの性格の対立があまりに明確に表現され、戦神としての Indra の本質があまりに鋭く Varuṇa のそれに対置されており1、また第 7 詩節における詩人の言明があまりに明白に Varuṇa に不利であるため、我々はこの讃歌を、Indra 崇拝に帰依したインド人の信仰告白としてしか見なしえないほどである。
この解釈の証拠として、我々はインド宗教史にとってきわめて重要な讃歌 ṚV. 10, 124, 1–5 を援用する。最初の五詩節(他はおそらくこれに属さない)は次のように言う。
1.「来たれ、おお Agni よ、五つの道をもつ、三重の、七つの糸をもつ我らのこの供犠へ。我らの供犠の導き手・指導者たれ。汝は長く深き闇のうちに横たわっていた。」
2.「非神的なるもの(すなわち他の偽りの神々への崇拝。第 3・5 詩節が示すとおり)から、私は神々に属する者(字義どおりには『神的な者』)として、隠れて、ひそかに歩みつつ、不死を見つめて歩む。愛なくして愛する者を私が去るならば、私は自らの友から他の氏族へと赴くことになる2。」
3.「他の枝の客1を見つつ、
私は供犠の多くの住まい2を測り出す。私は父 Asura に、愛する者3を讃えつつ告げる。私は「ayajñíya」(すなわち供犠に値せぬもの)から、供犠に値する部分へと赴く。」
4.「多くの年を私は彼のもとで過ごした。私が Indra を選ぶならば、私は父(Asura-Varuṇa)を去る。Agni、Varuṇa、Soma、これらは揺らいでいる。支配権は転じた(移った)。私は近づいてそれを支える。」
5.「Asura たちは欺きなき者となった(私の眼前において。私は彼らこそ正しい神々であって欺く者ではないと認める)。そして汝、おお Varuṇa よ、私を愛したまえ。真なるものから偽りなるものを分かつ汝よ、我が王国の上に、その主権を執るべく来たれ。」
私はこれらすべての詩節を相互に属するものと解し、それらを Agni、Indra、そしておそらくは歌い手たちに配分して考えることはできない。そのような仕方では明瞭な理解は得られないからである。
この讃歌は明らかに、古い Varuṇa-Agni 信仰に属する、あるいはそこへ立ち帰りつつある歌い手の歌である。というのも、そこには二つの異なる信仰体系が相対しているからである。一方には Agni、Soma、Varuṇa(Asura)、他方には Indra があり、父 Asura に対する Indra の明確な対立は、第 4 詩節の「Indra を選びつつ私は父を去る」という言葉によって明瞭に特徴づけられている。
さらに加わる種々の要素が最高の注意に値する。すなわち、詩人が自らのこれまでの態度を「adeva」と呼ぶこと、ayajñíyo bhāgáḥ を yajñíyaḥ に対置すること、Agni が長く闇のうちに横たわっていたとすること、Agni を去ることを友を去ることであり他氏族に従うことであると呼ぶこと、そして再び彼を「父 A. に讃えつつ告げる」こと。いやそれのみならず、彼は三神の
揺らぐ支配権と、それを支えようという自らの決意について語り、Asura たちが欺きなき者であり彼らのみが真の神々であるという認識に至り、父 Varuṇa、最高の Asura に、歌い手たる自らの王国の上に支配権を執るよう乞うのである。
このような言葉のうちに、私は古き信仰への回帰と新しき神々の棄却以外の何ものをも見出すことができない。そして私は、この歌のうちに、インド人とイラン人とを Asura 宗教と Deva 宗教の信奉者へと分かったあの古い信仰上の対立が響いていることを疑わない。讃歌そのものがそれほど古くまで遡るなどと主張するつもりは毛頭ない。しかしそれは、おそらくそのような対立がなお存続していたであろう後代からの余韻であるように思われる。
あらゆる点から見て、この歌は我々に、Indra に対立する火の祭祀を、したがってこの火の祭祀の代表者たる Atharvan たちを指し示している。これらの Atharvan たちがその祭祀に関して Zoroaster 教徒と近い関係に立っていたことは蓋然的であり、Haug によってすでに幾度も指摘されている。そしてそれによって条件づけられた彼らのバラモンたちに対する宗教的敵対関係から、なぜ彼らが Indra 崇拝者たちに軽んじられたのか、なぜ Atharvaveda が、少なくとも長い期間、他のヴェーダと同等の権威を享受しなかったのかを説明しうる1。
さて私は 10, 124, 1–5 を、古き火の奉仕に属するそのようなインド人信奉者の歌、すなわち Agni および Asura に対立する新しい Indra 宗教を棄てる者の歌とみなす。このことを支持するのは、上に略述した一般的な思想の流れのほかに、とりわけ歌い手に対する Varuṇa の位置である。Varuṇa は少なくともその形姿からすれば
アーリア時代にまで遡る神格の現れであり1、その別の枝が Ahuramazda であるところの同じ幹から発展したものである。名そのものは、アーリア時代においては天の呼称であり、神名となったのはおそらく後になってからのことであって、しかもそれは、Varuṇa の根底にある pitā́ ásuraḥ の形姿を varuṇa と名づけたことによる。
この Asura あるいは Varuṇa は、Atharvaveda の記述によれば、Atharvan とより近い関係において考えられていたようである。たとえば 88 頁に引用した、彼としばしば「Varuṇa」と呼びかけられる父 Asura との対話を参照せよ。さらに同じ讃歌の第 11 詩節を見よ。これも同じく両者の近しい関係を証言する。というのもそこには明示的に、Varuṇa が Atharvan、すなわち神に縁ある父を生んだ、と言われているからである。また同じ詩節において祭官が自らを「deva」と称していること2も見過ごされてはならない。それは我々が Ṛgveda の讃歌において彼が自らを「deva」と称するのを見たのとまったく同じである。要するにここではすべてが古い歴史的関係を指し示している。
さて、Agni と Varuṇa との関係が、いずれにせよ太古の時代においていかに緊密なものであったにちがいないかを考えよう――我々はそれがヴェーダにおいて実に頻繁に示唆されているのを見出すのだから。また、第 3 詩節(cd)に述べられた Agni(seva)の Varuṇa(父 Asura)に対する緊密な関係と類比的に、Zendavesta が火を「ātarem ahurahe mazdāo puthrem」と呼ぶのが無数回であることを考えよう。そうすれば、この讃歌から古い文化史的関係への指示を読み取ることは、正当になされうるように思われる。
私が我々の歌の最後の四詩節を顧慮しなかったとすれば、それは、それらのうちに最初の諸詩節との連関を見出しえないからである。外的な理由として加わるのは、第 7 詩節が Jagatī 韻律で作られており、この韻律が Triṣṭubh に後続しかつ先行しているのに、そのような韻律の交替が意図された
詩節構成の転換によって説明されえない、という点である。さらに我々は第 9 詩節において、突如として Indra が第 1–5 詩節の論争的な仕方によってではなく、高く讃美された神として挙げられているのを見る。同じことは第 6 詩節についても言えよう。そこでの Vṛtra 殺害は、その英雄的行為が歌われている Indra にしか関係しえないからである1。さらに我々は第 6–9 詩節のあいだに、これらの詩節を相互に属するものとして特徴づけるような思想の流れを見出さない。――これらは、これらの詩節をここに付加された他の讃歌の部分と呼びうるだけの十分な理由である。我々はヴェーダにおいてしばしばそうせざるをえないのである。
Indra-Varuṇa についてなお述べうることは些細である。雨によって創造する神々としての彼らの性格は、彼らを宇宙開闢的に活動する存在へと発展させえたのであり、我々は稀ではあるがこの関係において彼らが挙げられているのを見出す(cf. ṚV. 7, 82, 5)。また彼らが戦において保護を与えるように、彼らは一般に保護する神々となり、この関係においてしばしば呼びかけられる。
私は自らの課題の最後の部分へと向かう。すなわち Varuṇa の Mitra との結合の立ち入った論述へと。そしてこの論述に先立って、この神の性格描写を置く。
VII. Mitra2
ヴェーダが Mitra について我々に提供する材料は多くない。我々は先の諸章におけるように最も特徴的なものを取り出して個々の箇所を実例として挙げることはできず、彼が単独で、かつ把握可能な形で登場する箇所というわずかな蓄えを注意深く用いなければならない。彼のかき消された性格の特徴を識別し、すでに甚だしく色褪せたその姿を生き返らせる可能性を得るためである。その際我々は、ヴェーダのみに頼るのではなく、
Zendavesta のうち Mithra のみに捧げられた第 10 Yesht が解釈の助けとなってくれる点で、有利な位置にある。
Mitra と Mithra とが、古文書から現在我々の前に現れる限りにおいて、まったく同一のものであるとは、両宗教体系の相違に鑑みて主張することはできない。Mitra が Savitṛ、Pūṣan、Varuṇa その他と同等の位置を占め、並列的であり、ただ神話的概念の絶えざる流動によって新たに生ずる神格の背後へ押しやられるにすぎないのに対し、Mithra は最高の力をもつ Yazata として現れる。Ahuramazda が自らと同じ本質のものとして創った者、κατ' ἐξοχήν 太陽の霊として。ただしなお Zarathustra 教の見解によって多様に変容されている。しかしあらゆる相違にもかかわらず、彼らの像には非常に多くの一致する特徴が我々の前に現れるので、我々は彼をアーリア時代の強力な神と呼ぶ権利をもつ。
まずヴェーダの神について与えられてきた従来の把握を検討し、Roth の先述の論文に向かおう。そこには 70 頁にこうある。「両者(Varuṇa と Mitra)の本質は、その相互の差異において、諸歌のうちどこにも鋭く言い表されておらず、またその起源においても概念的に完全に区別されうるものではおそらくなかった。しかし諸歌のうちに我々の前にある宗教形成の段階は、すでに次の区別を透かし見せている。すなわち Mitra は昼の時における天の光であり、Varuṇa は――あらゆる光とあらゆる時の主であるとはいえ――やはり主として夜の天において支配する、という区別である。」
最後の点については、我々はすでに上において我々の異なる見解の根拠を示し、Varuṇa が昼の支配者でもあり夜の支配者でもあることを論証しようと努めた。この論究はおのずと我々を、両神の本質が本来概念的に完全には区別されえぬものであった、という想定から離れさせる。
Roth はたしかに、両者の差異がどこにも――あるいはむしろ稀にしか、と言うべきだが――鋭く言い表されていないと言う点では正しい。しかしその理由を私は Roth とともに、彼らの本質がその起源において概念的に完全に区別されうるものではなかったという点に求めたくはない。むしろそれをヴェーダの見解と言語のうちに求めたい。ヴェーダは蒼穹を Agni、Viṣṇu、Mitra と結びつけることによって、それを
昼の天として特徴づけるのである。それゆえ彼らはかくも頻繁にともに現れ、それゆえ彼らは曙光の輝き出づるときにともに車に乗るのである。両者はそのとき Aditi の子であり、両者ともに永遠の光にあずかる。それゆえ彼らは、互いにいかに異なっていようとも、また「昼の時における天の光」からいかに異なっていようとも、かくも近い縁者と見えるのである。
Muir はその記述において Roth およびヴェーダ註釈家たちの説明に依拠している。Angelo de Gubernatis はその「Letture」の数箇所で、Mitra が太陽神であったことを指摘しているが、その本質に立ち入って論ずることはない(たとえば 66 頁、190 頁、80 頁)。Ludwig もまた、先に引用した論文の 51 頁において同様である。
インド側の説明について言えば、私は Yāska においては若干の語源解釈のほかに、神そのものを説明するものを何ら見出さなかった。これに対して Sāyaṇa と Mahīdhara はいくつかの解釈を提供する。彼らは本質的に二つの説明を与える。一つは Mitra を「ahar-abhimānī devaḥ」と呼ぶもの(この点で彼らはいずれにせよ Brāhmaṇa 群の見解に遡っている)、もう一つは「太陽神」と呼ぶものである。(後者については RV. 1, 151, 1; 1, 156, 1; 5, 10, 2 等への註、Vāj. Saṃh. 4, 19; 27, 5 等への註を参照。また Taitt. Saṃh. 1, 8, 16, 1 への註解をも参照。)
この二つの見解は並存しえない。一方のみが本来のものであるはずであり、我々はそれが後者であることを見るであろう。
両註釈者が mitra を形容詞的にも実詞的にも用いていることは、それについてどこにも疑いが存しないので、措いておく。ただ、ある箇所において mitra を固有名詞と解すべきか普通名詞と解すべきかについては、我々は不明のままでありうる。そして私はそれゆえ、一連の詩節において従来の解釈を離れざるをえないであろう。それは探究の進行から明らかになるとおりである。
語源そのものは不明であり、ここに私が与えるものもまた一つの推測にすぎない。
mithra と mitra とが同一の語根から、tra によってか ra によってか、いずれかによって形成されたにちがいないことは自明である。さて Zend 文献学の側からは、mithra は「結ぶ、近づく」を意味する miθ から導かれ、Mithra は原初の光と原初の闇との媒介者と規定されてきた。しかしこの後者の解釈は
おそらく Zoroaster 教信仰への適用しか見出しえないであろう。「媒介者」という名は、Mithra のようなかくも具体的な古い神の名としてはほとんど許容しがたい。この意味は確実に本来のものではなく、後から派生したものである。
人はこの miθ にサンスクリットの mith(meth)を対置し、Pet. Wört. はこの語根へ、mit-tra という形の媒介を経て mitra という語を遡らせる。しかし tra による派生は、次の理由で許容されない。すなわち Zend の音法則によれば、t(th)に先行する t 音は摩擦音に移行せねばならず、したがって我々は mithra のみを期待することはできないからである1。したがって我々には、この語が mit + ra から成るという可能性しか残されていない。
さて我々は、mitra がサンスクリットにおいて「親しき」「友」を意味することを知っており、さらにインドの註釈者たちが mitra をきわめてしばしば medyati = snihyati と説明することを知っている。それゆえ Pet. Wört. とともに mith を語根と想定せざるをえないように思われる。同じ典拠によれば mith は 1)誰かに交わる、2)(競争相手に出くわす)激しくぶつかり合う、等を意味する。前者の意味には mithas, mithuna が属し、そのうち第二の語は「ともに交わっていること」「対」すなわち仲間関係を意味する。
この根本義から出発するならば、mith は zd. miθ と同一の語根であり、意味においても一致する。後者は「近づく、留まる」を意味するからである。したがって我々は、見たところ mith に対する副次形 mit を推定せざるをえない。かくして mitra については、「誰かに交わる、誰かと(とりわけ友好的に)結びつく」という意味を経て「友」の意味が生ずるのであり、同じ概念上の移行は mithra についても想定しうるであろう。
Mitra についての我々の探究の出発点となりうる箇所として、私はまず RV. 5, 81, 4 を挙げる。そこでは Mitra が太陽神 Savitṛ と同一視されて現れる。utá yāsi savitas trī́ṇi rocanótá sū́ryasya raśmíbhiḥ sám ucyasi / utá rā́trīm ubhayátaḥ páry īyasa utá mitró bhavasi deva dhármabhiḥ //「汝は行く、おお Savitṛ よ、三つの
〔OCR の柱には「116」と出るが、実際は 115 頁〕
rocana へと。汝は Sūrya の光線と相合する(Sāy. saṃgacchasi)。夜を汝は両側から迂回する。汝は定めによって Mitra である、おお神よ。」
ここで Savitṛ が直接に Mitra と呼ばれているのを見るならば、我々はこの等置の理由を問わねばならない。そしてそれを指し示すのが「dhármabhiḥ」である。それに従うことによって Savitṛ が Mitra となるところの定めとは、詩節の先行部分に述べられているもの、すなわち Savitṛ が太陽光線と結ばれていること、彼が昼と夜とを限ること――要するに彼が不変の確固たる定めに従う太陽神であること――である。
このような把握は Vāl. 4, 3 においても我々の前に現れる。そこにはこうある。yásmai víṣṇus trī́ṇi padā́ vicakramá úpa mitrásya dhármabhiḥ //「その者(Indra)のために Viṣṇu が Mitra の定めに従って三歩を歩んだところの〔Indra〕。」
ここでもまた我々は Mitra が太陽神と同一視されているのを見る。しかもそれは再び、秩序に従って遂行される太陽の運行のゆえである――というのも Viṣṇu の三歩とはこれと解すべきだからである。したがって我々は少なくとも Mitra のうちに、太陽の運行を秩序づける霊を見なければならない。
より明瞭な示唆を我々に与えるのは ṚV. 1, 14, 10 である。víśvebhiḥ somyám mádhv ágna índreṇa vāyúnā / píbā mitrásya dhā́mabhiḥ //「甘き Soma を飲め、おお Agni よ、Indra、Vāyu とともに、Mitra のすべての dhāman とともに。」
dhāman についてこの箇所に Grassmann(Wörterbuch)は「随伴する群」という意味を与え、Ludwig は「諸力」と訳す。しかしこれは別様に解すべきであり、そもそも Mitra の群について語られることは他にないのだから、従来の解釈を離れることはなおさら許されよう。
dhāman の本来の意味「座、住まい」に立ち帰るならば、我々はきわめて良い意味を得る。太陽の住まいとは種々の季節、すなわち ṛtu であり、ここで「dhā́mabhiḥ」はこれに関係づけるべきである。
我々がこう解する権利をもつことは、そこから生ずる納得のゆく意味のみならず、きわめて明瞭な一箇所 A.V. 3, 8, 1 が証明する。ā́ yātu mitrá ṛtúbhiḥ kalpámānaḥ saṃveśáyan pṛthivī́m usríyābhiḥ / áthāsmábhyaṃ váruṇo vāyúr agnír bṛhád rāṣṭráṃ saṃveśyàṃ dadhātu //「Mitra は来たれ、ṛtu たちと調和しつつ(「調和する」Pet. Wört.)、大地1を
〔ページ下部欄外〕8
赤みを帯びた牝牛たちと合わせつつ。しかして我々に Varuṇa、Vāyu、Agni が大いなる王権を所有すべく与えよ。」
最初の語句は、季節への言及によって、mitra が季節とともに変わりつつ結ばれる太陽神にほかならぬことをきわめて明瞭に示している。そして、彼が大地を牝牛と合わせる、すなわちそれを照らす、と付け加えられているのは、いわばそれを確証するものである――このことは太陽神にしか帰しえないのだから。
季節を家と呼ぶことがインド人の精神によく知られていたことは、Ait. Brāhm. 5, 25 の一節「asau vai gṛhápatir yo 'sau tápaty eṣá pátir ṛtávo gṛhā́ḥ」によってなお確証しておきたい。
Mitra が太陽とみなされたことのさらなる証拠は、すでに上に論じた A.V. 13, 3, 13 である。そこでは Varuṇa が、一方では Agni と、他方では Mitra と等置されていた。それは彼が夜においても昼においても光の輝きの主であることを示すためである。我々はそこでまた、インドの見解によれば夜の Agni に昼の Āditya が対応することを見、ここから、この箇所における Mitra は他所において Agni に対置される Āditya とまったく同じことを意味するにちがいない、と結論しえたのである。
このことをなお証明するのが RV. 10, 8, 4 の一詩節である。そこに我々は、上述の Agni と太陽との対置、および Agni が(朝方)太陽へと移行するという見解を、正確に見出す。úṣa úṣo hí vaso ágram eṣi tváṃ yamáyor abhavo vibhā́vā / ṛtā́ya saptá dadhiṣe padā́ni janáyan mitráṃ tanvè svā́yai //「汝は、おお Vasu よ、あらゆる曙光の先頭を行く。汝は双子(太陽の Agni の生み手としての Aśvin 双神)から輝きつつ生じた。供犠のために汝は七つの位置を据えた、自らの身体のために Mitra を生みつつ。」
Agni が生む「自らの身体」とは、Mitra と名づけられた太陽の身体――Agni が朝方それへと移行するために連れ来たるところのもの――にほかならぬことは、おそらく明白である。
これに対する確証は並行箇所 RV. 10, 88, 6 から生ずる。それはまったく同じ見解を含んでおり、我々はただ Sūrya の代わりに Mitra を置けばよいだけである。mūrdhā́ bhuvó bhavati náktam agnís tátaḥ
sū́ryo jāyate prātár údyan /「Agni は夜には大地の頭である。彼から太陽が生まれる、朝に昇るとき。」
この論究の後、とりわけ最後の二箇所に照らして、我々には A.V. 2, 6, 4 が理解可能となる。kṣatréṇāgne svéna sáṃ rabhasva mitréṇāgne mitradhā́ yatasva /「おお Agni よ、汝自身の支配権を取れ。友誼のうちに Mitra と結ばれよ。」というのも、これらの言葉の意味は先の諸詩節の意味とまったく同じであり、ただ別様に表現されているにすぎないからである1。
これらの箇所の後、我々はもはや Mitra が太陽であることを疑いえない。
これらの箇所に現れた Agni と Mitra との近しい関係は、我々をさらに一歩先へと導く。すなわち、Agni が Mitra に比せられ、そこでの Mitra が実詞ではなく固有名詞として要求されねばならぬ数多の詩節へと。
これらの比較の根底には明らかに次の思想がある。すなわち Mitra はより大きくより明るい光であり、Agni の輝きは、彼が明るく燃え上がるあらゆる光の光たる太陽神と比較的に並置されることによって、とりわけ高く讃美される、という思想である。火の祭壇の上に明るく燃え上がる Agni の輝きは、その壮麗さにおいて太陽神のそれに等しくあるべきなのである。
それゆえ我々は Agni がしばしば Sūrya そのものと結びつけられているのを見る。かくして RV. 1, 66, 1 で彼について「sū́ro ná saṃdṛ́k」と言われ、1, 149, 3 で「sū́ro ná rurukvā́n」、6, 4, 3 で「sū́ryo ná śukráḥ」等と言われる。
さて sū́rya の代わりにしばしば Mitra が立つ。ṚV. 3, 5, 4 を参照せよ。mitró agnír bhavati yát sámiddho mitró hótā 等 /「Agni は、燃え上がるとき Mitra である。Mitra は hotṛ である」等々。
5, 3, 1: tvám agne váruṇo jā́yase yát tváṃ mitró bhavasi yát sámiddhaḥ /「汝は、おお Agni よ、生まれるとき Varuṇa である。汝は燃え上がるとき Mitra である。」
1, 38, 13: agním mitráṃ ná darśatám(を讃えよ)「Mitra のごとくに見るべき Agni を2」。Mitra 自身は 5, 65, 1 で「darśatáḥ」と呼ばれる。
それゆえ次の諸箇所においても Mitra は固有名詞と解すべきであって、人がなしたように単なる実詞と解すべきでは決してない。
ṚV. 1, 151, 1: mitráṃ ná yáṃ śímyā góṣu gavyávaḥ
svādhyò vidáthe apsú jījanan /「Mitra のごとき彼を、(雲の)牝牛のうちに、牝牛を求めつつ、祭儀の業によって生んだ、水のうちに、供犠に際して心を用いる者たちが1(その前に――天と地とは震えた)」。すなわち、雲のうちに生まれる Agni は輝きにおいて Mitra に等しい。
同じくこの語は 1, 143, 7 において固有名詞である。agním mitráṃ ná samidhāná ṛñjate「彼は Agni を、Mitra のごとくに燃え上がらせつつ求める」(すなわち彼が Mitra に似るように)。
5, 16, 1: yám mitráṃ ná práśastibhir mártāso dadhiré puráḥ /「人々が Mitra のごとくに讃辞をもって先頭に立てたところの者を」等。
これらの考察はまた我々に mitramahas を正しく説明する手がかりを与える。しかもそれは、Ludwig がすでに行なったとおり(その論文 51 頁)「Mitra の壮麗さを有する」と解する仕方においてである。Pet. Wört. はこれを「多くの友を有する」と説明し、この解釈もまた、Agni の広く行きわたった祭祀について語るヴェーダの若干の記述に合致する。
しかしここに先立って述べた考察は別の解釈をより正しいものと見せるのであり、それはさらにこの語の用法によって支持される。すなわち mitramahas は任意の神々の形容語ではなく、Ṛgveda において(また私がそれを見出した他のヴェーダにおいても)まったくもっぱら Agni または太陽に、しかも主として前者に帰せられるのである。(cf. 1, 44, 12; 1, 50, 11(Sūrya); 1, 58, 8; 2, 1, 5; 4, 4, 15 等。)
したがって我々は mitramahas にもより特殊な意味を付与し、そのうちに特に彼の Mitra への関係の示唆を見てよかろう。それゆえ我々はこれを Ludwig とともに「Mitra の大きさ、輝き、あるいは壮麗さを有する」と訳さねばならない。
この訳を支持するものとみなしうるのは、この語が見出されるほとんどの詩節において、まさしく Agni の輝きが何らかの仕方で強調されている、という事実である。それゆえ 1, 44, 12 を参照せよ。「汝が神々の purohita として、おお mitramahas よ、彼らの信頼を得た者としてその使者の職に就くとき、Agni の光線は、河の前へと轟く波が(きらめく)ごとくに輝く。」
4, 4, 15:「……Rakṣas を焼き尽くせ。おお mhs.〔mitramahas〕よ、欺きから守れ……」1, 58, 8:「保護を与えよ、おお mhs. よ、歌い手たちに」(むろん「汝の光によって」の意である)。そしてここと同じく他の諸詩節においても、多くの場合何らかの仕方で輝きが暗示されている。
Mitra が太陽の名であるという我々の論証へ、いま一度立ち帰り、いくつかの確証的な要素を補っておこう。
我々は上に Agni が Mitra と近しく縁づけられているのを見た。我々は Mitra を、いわば Agni の別の身体――朝に Agni がそこへ入りゆくところの身体――としてのみ知るに至った。
これについては祭式もまた我々に若干の興味深い証拠を提供し、まさしくかの上述の諸箇所と同じく、神 Mitra の独特な祭式上の用法によって、彼が決して一般に昼の光を意味するのではなく、ただ一つ太陽神のみを意味することを証明してくれる。
我々は彼を、ukhā が語られるところに見出す。そして我々は、祭儀に結びつく思弁が供犠場のあらゆる器具をより高い宇宙開闢的意義へと高めたこと、Agni が単なる火とみなされず、火の壺が単なる壺とみなされずに、前者は大いなる天の火を、後者はしばしば世界を表すべきものとされたことを知っている。それに応じて、Agni の代わりにより大いなる、しかも本質を同じくする者が置かれ、Mitra が時に彼の位置を代表することも容易に理解される。
これが Taitt. Saṃh. 4, 1, 6, 2 の意味である。mitrai 'tám ukháṃ paca, éṣā mā bhedi etáṃ te pári dadāmy ábhittyai.「Mitra よ、この壺を焼け。それが割れることのないように。割れぬようにと、私はそれを汝に委ねる。」そしていわば、我々がここでより高い宇宙的な事柄を考えるべきであることの確証として、これに Ṛgveda の詩節 3, 59, 7 abhí yó mahinā́ 等が続く。これは(その輝きによって)天と地とをはるかに超えてそびえる Mitra を扱うものである。天と地とはその際おそらく ukhā によって表されているのであろう1。
同じ呼びかけが、ただ「paca」の代わりに「tapa」を用いて 4, 1, 9, 2 に見出される。そこでも Mitra は太陽神を意味し、彼が
その熱によって大地を滅ぼすことのないようにと〔祈られる〕。cf. Taitt. Saṃh. 6, 1, 7, 3: vā́ruṇy ùkhā́ 'bhī́ddhā; maitró 'paiti, ...ébhyai。6, 1, 9, 3 等1。
Agni に対して「mitra」がただ婉曲的に、単に「友」の意味で、同時に彼が友好的な者であるべきことを示唆するために選ばれたにすぎない、と反論する者はあるまいと私は考える。婉曲法はたしかに存するかもしれないが、それはまさしく、人が Agni を、κατ' ἐξοχήν「友」とみなされた太陽神の名で呼んだ、という点に存するのである。
このことは我々を Taitt. Saṃh. 5, 1, 6, 1 の一箇所へと導く。それは Mitra の友好的な者としての性格を示している。すなわち、Adhvaryu が Agni を縛り、彼が「Savitṛ に噛まれて」その Varuṇa の投槍(「怒り」ではない)を放ったとき、彼は友好的な水を遣わし、それによって Agni の熱を和らげるのである。これに続いて呪文(4, 1, 5, 1)「mitráḥ saṃsṛ́jya pṛthivī́m2」等が唱えられる。というのも、Mitra は神々のうち友好的な者である、と言われ、彼をもって Agni を śānti のために結合させるからである。
かくして我々はここに、Agni の熱が水によって鎮められた後に、Agni の代わりに Mitra が登場するのを見3、ここから、インド人の精神にとって Mitra は主として「友」とみなされていたこと、すなわちその友好的な活動における太陽神とみなされていたことを結論しうる。
我々はこの点に再び立ち帰り、また先の論述が示唆したもう一つの点、すなわち Mitra と水との結合にも立ち帰るであろう。
さていま、Mitra の太陽への関係によって説明を見出す RV. の若干の箇所を補っておきたい。5, 40, 7: tváṃ mitró asi satyárādhās táv éhi mehā́vataṃ váruṇaś ca rā́jā /。これは Svarbhānu によって覆われた太陽が Atri に自らを解放するよう乞う言葉であり、そこで Atri は「真実を施す Mitra」、すなわち太陽を天に据える太陽神と同一視されている1。
〔p. 120 の脚注 * の続きは以下〕
我々はさらに、これまでの叙述に、Mitra の太陽神としての位置から生ずる彼の諸性質を接続させる。
太陽神が朝に昇るとき、彼はすべてを活動と生命へと呼び覚ます。それゆえ Mitra は「yātayájjana」と呼ばれる。cf. 3, 59, 1: mitró jánān yātayati bruvāṇó mitró dādhāra pṛthivī́m utá dyā́m「Mitra はその言葉をもって人々を動かす。Mitra は地と天とを保つ。」同第 6 詩節「yātayájjanaḥ」。8, 91, 12「mitráṃ ná yātayájjanam」。
しかし太陽神の主要な所有物は、彼が天と地とをはるかに超えて放つ明るい輝きである。これに関わる Taitt. Saṃh. の一箇所を我々は上に知った。「輝ける Mitra の領域に我らは属する者となった」(16 頁)。さらに彼は RV.(1, 91, 3)の一箇所で「śúciḥ」と呼ばれる。そこでは Soma が輝きのゆえに彼に比せられている。śúcir asi priyó ná mitráḥ「汝は輝ける者である、愛しき Mitra のごとくに。」(cf. また 9, 2, 6 mitró ná darśatáḥ。)
我々は彼が全世界にわたって広がるのを見る。3, 59, 7: abhí yó mahinā́ dívam mitró babhū́va saprathāḥ / abhí śrávobhiḥ pṛthivī́m:「その大いさによって天を遠くまで超えそびえ、その壮麗さによって大地を〔超えそびえた〕ところの Mitra。」
ここで彼が sapráthāḥ と呼ばれるとすれば、A.V. 19, 49, 2 で夜が Savitṛ の妻として「Mitra のごとくに」広がると言われるのも、同じく彼の輝きへの言及である、等々2。
我々は今や、ṚV. 10, 132, 4 に「asā́v anyó asura sū́yata dyaúḥ」
「かの他の者は、おお Asura よ、天として生まれた」と言われる理由1、あるいは昼の光に関して RV. 6, 13, 2 に「(agne) mitró (ná) bṛhatá ṛtásyāsi kṣattā́」:「汝は、おお Agni よ、Mitra のごとくに大いなる ṛta の分配者である」と言われる理由、あるいは 4, 56, 7 で ṛta が彼自身のものと呼ばれる理由をも理解する。なお Taitt. Saṃh. 4, 4, 12, 3 を参照せよ。そこには mitrávad ójaḥ および kṣatrám mitrávat が挙げられている。
友好的な太陽神としての Mitra の性格は、なお彼が味方の者たちに与える援助と保護からも示される。我々は彼の助けが「sapráthastama」(RV. 5, 65, 5)と呼ばれるのを見る。彼は苦難からの自由を作り出し、その好意を与え(5, 65, 4)、味方の者たちを死・敗北・病から守る(3, 59, 2. 3)、等々。cf. 5, 9, 6。5, 64, 3。8, 46, 4。4, 55, 5。A.V. 2, 28, 1 等。
彼は「kṣetrasā́dhas」すなわち所有を促進する者と呼ばれ(8, 31, 14)(勝利を与えることによって)、人々に健康を与える。10, 22, 2: mitró ná yó jáneṣv ā́ yáśaś cakré ásāmy ā́ //「Mitra のごとくに完全な健康を人々のうちに与える者」(?)。
この彼の恵み深き働きのゆえに、彼は priyá, priyátamo nṛṇā́m, suśéva 等と呼ばれる。
Mitra の太陽神としての性格は、なお彼に付されるいくつかの別の形容語をも条件づける。太陽神が闇を突き破るとき、彼は勝利を得つつ夜の暗き力を貫き通り、敵を屈服させる不可征の者である。この性質を私は durniyántu, durdharītu, pratūrvat という表現のうちに示唆されていると見る。
RV. 1, 190, 6: durniyántuḥ paripríto ná mitráḥ「(Bṛhaspati は)遮りがたい、あまねく敬われた(喜ばされた)Mitra のごとくに2。」
10, 20, 2: agním īḷe bhujā́ṃ yáviṣṭhaṃ śāsā́ mitráṃ durdharītum /「Agni を私は讃える、享受する者たちのうち最も若き者を、
讃辞1をもって、遮りがたき Mitra を」(ここには Mitra との同一視が存する)。
同じところに属するのは、Mitra が(Agni との同一視のもとに)2, 1, 4 で dasmá と呼ばれる場合、あるいは 7, 62, 4 で Mitra の怒りが語られる場合である。「我らは Varuṇa の怒りのうちに、Vāyu の怒りのうちに、また男たちのうち最も愛しき Mitra の怒りのうちにあることを欲しない。」
この Mitra の怒りについては、Mitra-Varuṇa 讃歌になお複数の箇所が見出される。これはいずれにせよ太古の見解であり、Mir Yesht に現れることによって純アーリア的なものとして立証される。すでに Spiegel も該当箇所において、このような表象は純粋に Zoroaster 教的なものではなく、より古い時代にまで遡るにちがいないことを指摘している。
Zendavesta において我々は怒れる神という観念をはるかに頻繁に見出す。そしてこの事情は私には、Mithra 崇拝者とこの祭祀の敵対者たちとのあいだの太古の闘争を指し示しているように思われる。サンスクリットの「amitra」(敵)という名がひょっとすると本来宗教的意味をもち、そこからより一般的な意味を得たのではないか、ということは私には決しかねるが、そのような可能性に注意を促すことは怠るまい。
我々の神の光としての性格は、光のうちに住まうすべての神々におけると同じく、我々を次に彼の倫理的側面へ、また夜――すべての悪しきもの・罪深きものの巣窟――の「偽り」に対する「真実」としての彼の性質へと導く。
かくして ṚV. 10, 29, 4 に「mitró ná satyáḥ」とある。Taitt. Saṃh. 1, 8, 10a では彼は「satyáḥ」と呼ばれ、3, 4, 5, 1 では「satyā́nām ádhipatiḥ」と呼ばれる。ṚV. 5, 40, 7 では「satyárādhas」、すなわちその賜物が真実であるところの者と呼ばれる。彼は罪から守る(5, 65, 5)。――
そのほかなお RV. 10, 132, 5 を挙げておこう。この詩節を私は同じ観点から説明せねばならぬと考える。asmínt sv ètác chakapūta éno hité mitré nígatān hanti vīrā́n /「Śakapūta のもとで罪は、Mitra が(味方の者たちに)友好的であるとき、罪に陥った英雄たちを殺す」(すなわち Mitra はその我らへの友誼のうちに、我らの罪深き敵たちにその罪の結果を味わわせ、殺されるにまかせる)。もっとも私自身、この説明にまったく確信をもっているわけではない2。
〔** は次頁冒頭に置かれる〕
さて私にはなお一点を補うべきものがある。それは、上に行なった Agni と Mitra との関係の論述が我々を導いた点、すなわち Mitra の水に対する位置である。
Agni を縛った後に水を放つことによって彼を Mitra とならしめる(上述参照)という発想に、根底にある自然観なしに到達したのではあるまい、と期待してよい。私は、その際に人が次のような発想から出発したのだと考える。すなわち、水と結ばれた太陽の神、つまりその熱によって大地を焦がすのみならず、その光線によって吸い上げた雨によって大地を潤しもする神――この太陽神を「友」と呼ぶ、という発想である。
Mitra を雨を施す神とする把握を、我々はより詳しくは Mitra-Varuṇa 讃歌のうちに見出す。それを考察することが後の我々の課題となろう。しかし私は Mitra 単独についても、そのような見解を推測させる痕跡を見出したと考える。それは今でこそわずかであるが、以前には、より広く行きわたった祭祀の時代には、おそらくより大きな広がりをもっていたのであろう。
いくつかの不確かな証拠は措くとして、ここでは ṚV. 6, 47, 28 を挙げたい。この箇所を私はこの観点からしか説明しえない。índrasya vájro marútām ánīkam mitrásya gárbho váruṇasya nā́bhiḥ / semā́ṃ no havyadā́tiṃ juṣāṇó devá ratha práti havyā́ gṛbhāya //「Indra の雷杵、Marut たちの面貌、Mitra の子、Varuṇa の血族よ。そのような者として供物を友好的に受け入れつつ、我らの供物を受け取れ、おお神なる車よ。」
これらの詩節が「戦車」に向けられていることを私は否定しない。しかし人がそれを通常の車と見なさず、その意義をより高く解し、そのうちに悪魔たちと戦う κατ' ἐξοχήν の戦車、すなわち Indra の雷杵として駆けゆき、その
輝きによって Marut たちの現前を告げる稲妻を見たことは確実である。
Mitra への言及もそれと連関していなければならず、彼の稲妻に対する関係が示唆されているのでなければならない。車が Varuṇa と結ばれる理由は、上述の Indra-Varuṇa 讃歌から容易に見て取れる。それが Mitra の子と呼ばれる契機は、彼の水に対する関係のうちにしかありえない。太陽神は水を自らのもとへ引き寄せ、天からそれは再び大地を潤しつつ流れ下る。その際「車」が悪魔たちに向かって駆けるのである。
これはまた、第 27 詩節で車を「góbhir ā́vṛtam」と呼ぶ契機でもある。人はこれを誤って「革紐で結ばれた」と解してきたが、それは「牛たちに豊かに取り巻かれた」以外の何ものをも意味せず、車がその下を駆けゆく雲の牝牛たちのことと解すべきである。
これが恣意的に読み込まれた呼称ではなく、意味の要求する、きわめて妥当な呼称であることは、この詩節の先行する語句「apā́m ójmānam」が我々に示す。それはこの同じ第 27 詩節における車の他の呼称と結びついて、我々にここで車をより高い宇宙的意味において解するよう促すのである。
第 26 詩節ではそうではない。そこでは戦士が乗り込む戦車そのものが意味されているにすぎず、続く二詩節 27・28 に至って初めてその把握が深められ、それを象徴へと高めるのである。それゆえかの詩節の「góbhiḥ sáṃnaddhaḥ」1もまた、「góbhir ā́vṛtaḥ」とはよく区別されるべきである。ある種の連関を確認しようとするならば、我々は後者の表現のうちに前者の思弁的拡張を見ることができよう。
かくして雷杵が直接に太陽神 Mitra の子と呼ばれているのを我々が見出すとすれば、RV. 6, 52, 11 で Mitra が「tváṣṭṛmant」と呼ばれる理由もまた理解される。すでに一方における Indra と Marut たち、他方における牝牛を搾る Aryaman2 という並置が、我々にここで Tvaṣṭṛ を伴う Mitra に
割り当てねばならぬ領域を示している。
Tvaṣṭṛ は、我々の知るとおり、Indra のために雷杵を作る者である。そして我々が彼をただ一般にこの雷杵の作り手とみなし、その際に雷杵が Mitra の子と呼ばれたことを想起するならば、Tvaṣṭṛ もまた一度は Mitra との結合において現れうることは完全に明らかである。
以上が、Mitra の認識にとって重要な諸箇所の本質的なものである。そこから私は、概念の確定にほとんどあるいはまったく寄与しない箇所、あるいはこの語の確実に実詞的な解釈を含む箇所を除いた。いくつかの意味深い箇所は、Mitra を Varuṇa との結合において叙述せねばならぬときになお考察の対象となる。
ただ一点だけなお注意を促しておきたい。それは Mitra の祭祀と、彼のインドの神々の万神殿における位置にとって、意義なきものではない。
すなわち、Mitra を扱う諸箇所そのものを見るならば、彼に直接向けられた讃歌が一つしかなく、他の箇所はむしろ折にふれて比較的に彼に言及し、他の神々に捧げられた讃歌のうちに見出される、という事情が我々には不思議に思われるにちがいない。
我々はここから、ヴェーダにおいて我々の前にある文化期が彼からその自立性の多くを奪っており、彼の名は、なお民衆の意識のうちに、あるいはむしろヴェーダの詩人たちの精神のうちに力強く保たれていたというよりは、むしろ過去に属している、と結論してよい。
とはいえ、彼の祭祀がかつては広く行きわたったものであったにちがいないことを示す残響は少なからず存在する。私はそのような残響を、他の神々に向けられた、その崇拝が Mitra のそれと比較されている多くの詩節のうちに見る。ヴェーダにおいて Mitra 単独について語られることはわずかなのだから、そのような比較は、先行する崇拝、あるいはおそらく他の部族によって行なわれた崇拝にしか関係しえない。この二つの場合のうち、前者のほうが私にははるかに蓋然的と思われる。
ṚV. 2, 2, 3 を参照せよ。tám (agním) devā́ … ny èrire / mitráṃ ná kṣitíṣu praśasyám /「神々は Agni を据えた、Mitra のごとくに諸部族のあいだで讃えらるべき者を。」
6, 48, 1: prá-pra vayám amṛ́taṃ jātávedasam priyám mitráṃ ná śaṃsiṣam:「高らかに我らは、不死なる
〔訳注:以下、Avesta 引用は OCR の劣化が著しい。原綴の復元は暫定的であり、疑わしい箇所には〔?〕を付した。〕
本質を知る者を、愛しき Mitra のごとくに讃えよう。」
1, 190, 6: durniyántuḥ paripríto ná mitráḥ ―― 122 頁を見よ。
5, 10, 2:「mitró ná yajñíyaḥ」。
8, 63, 2: yám (agním) jánāso havíṣmanto mitráṃ ná sarpírāsutim / práśaṃsanti práśastibhiḥ //「havis を携えた人々が、その飲料が溶かしたバターであるところの Mitra のごとくに、歌をもって讃えるところの Agni を。」
10, 22, 1: kúha śrutá índraḥ kásminn adyá jáne mitró ná śrūyate「かの名高き Indra について人はどこで聞くのか、今日いかなる民のもとで、あたかも Mitra について〔聞く〕ごとくに。」
これらすべての詩節は互いに支え合って、我々がそこでこの名を単なる実詞と解する立場から離れねばならぬことを証明する。というのも、そのような「友」という訳語はそこではきわめて弱いのみならず、正しくもないからである。人は友を神のようには讃えないのである。
付言に値するのは、挙げたすべての箇所において、一つを除いて、Mitra と比較されているのは再び Agni である、ということである。この事情だけでもすでに、固有名詞と解することの支えとなる。
さらに我々は次のことを考慮せねばならない。すなわち、上に挙げた Agni と Mitra の輝きとの比較は、この後者をはるかに広く語られた神格として特徴づけ、それによって、その乏しい讃美から予期されるよりもはるかに大きな彼の祭祀の広がりを推測させる、ということである。要するに複数の徴候が、我々の神のかつてのより大きな崇拝を指し示している。
かくして我々は、Zendavesta の考察が我々を導くのと同じ道へ、すなわち両アーリア族の共通信仰の時代へと導かれる。
すでに上に述べたように、Mithra と Mitra とは、諸民族が分離し、それによってその本質においても少なからぬものが変容される以前には、同一のものであった。
Mithra の叙述を与えることは私の意図ではない。それについてはすでに Windischmann の周到な労作がある。ここではただ、イランの神の理解にとって重要ないくつかの本質的な点を強調するにとどめる。
我々はインド人のもとで Mitra を太陽神として知った。そして我々は、Zend の典拠もまたそのような把握を確証すると想定してよかろう。
さて Windischmann はその論文の 52 頁で Mithra を「創造された、一切を貫き、一切を生かす光、しかも太陽・月・星辰との区別における光」と規定し、この見解を
Zend のテクストおよび西洋の後代の著述家の記述に基づけている。
たしかに Mithra が、いずれの典拠においても太陽と同一ではないことに疑いはない。しかしこの区別は、彼の太陽への最も緊密な関係を決して排除しない。それは、ヴェーダにおいて Savitṛ が太陽を昇らせ、あるいは沈ませるのを我々が見るからといって、彼が太陽神であることをやめないのと同様である。
そして、西洋の著述家から一人を挙げるならば、Curtius がペルシア人について、Mithra が太陽および火とならんで呼びかけられるとするとしても、それが証明するのはただ、ペルシア人が彼を太陽から区別したということだけであって、彼のうちに光への関係を見るための手がかりを何ら与えるものではない。
このことは、Windischmann および Spiegel(後者は Avesta oder die heiligen Schriften der Parsen 第 III 巻 XXV 頁)が Mithra の光への関係の証拠として挙げるほとんどの箇所についても妥当する。
Yt. 10, 145 を参照せよ。mithra ahura berezañta aithyejaṅhā ashavana yazamaide strēusca māoṅhemca hvarecā … mithrem vīspanãm daqyunãm daṅhupaitīm yaz°「Mitra と Ahura、かの高き、不滅の、聖なる両者を我らは敬う。星々と月と太陽とを、また万国の国土の主 Mithra を我らは敬う。」
Khurshed Nyāyish 6: hvare-khshaētem ameshem raēm aurvat̰-aspem yaz° mithrem vouru-gaoyaoitīm yaz° arsh-vacaṅhem vyākhanem hazaṅra-gaosham 等々。「不滅の輝ける、速き馬をもつ太陽を我らは敬う。広き牧地を治める Mithra を我らは敬う、真実を語る賢き者1、千の耳をもつ者を」等。
7. mithrem … yazamaide yim fradathat̰ ahurō mazdāo qarenaṅhastemem mainyavanãm yazatanãm tat̰ nō jamyāt̰ avaṅhe mithra ahura berezañta. hvare-khshaētem ameshem … yazamaide:「Mithra を我らは敬う、万国の国土の主を、Ahuramazda が天上の Yazata たちのうち最も輝かしき者として創ったところの者を。かの Mithra と Ahura、高き両者が我らの助けに来たらんことを。太陽を……我らは敬う。」
これらの箇所は太陽と Mithra との区別以外の何ものをも証明しない。しかしそれらは、Mithra が何に関係づけられるべきかについて、なお何らの証言をも与えない。
見かけ上
彼を光の神と呼ぶための確実な証拠と見えるのは、これに対して Yt. 10, 13 である。yō paoiryō mainyavō yazatō tarō harãm asnaoiti paurva-naēmāt̰ ameshahe hū yat̰ aurvat̰-aspahe. yō paoiryō zaranyō-pīsō srīrāo bareshnava gerewnāiti adhāt̰ vīspem \[ā]idhāiti airyō-shayanem sevishtō:「最初の天上の Yazata として、不滅の、速き馬をもつ太陽に先立って Hara の上に昇る者、最初に黄金の姿をもって美しき峰々を捉える者。しかして最も福をもたらす者はアーリアの全住地を見渡す。」
ここには実際、太陽と Mithra との区別のみならず、彼が太陽そのものに先立って現れ、山々の頂を黄金に染めるのを我々は見るのであって、見かけ上は光以外への結論は許されないように思われる。
しかしすべてを正しく考量するならば、我々の太陽神への関係づけはやはり動かされないであろう。
天と地とに光を広げ、太陽そのものを昇らせることが太陽神に帰属するのであれば、夜が退くときの光の最初の光線を彼の到来と解すること、彼が最初の光線をもって、あたかも手をもってするかのように東方の山々を捉え、やがて完全に昇り出ること――これもまた自然である。
ヴェーダ神話学において我々がかくもしばしば見るように、いったん太陽神をより抽象的に解し、太陽の身体そのものから切り離してしまえば、彼が――その命に従う――太陽に先立って現れ、その出現の最初の徴が山々を照らす朝の黄金、すなわち神が身を包む光の衣である、という見解ほど自然なものはない。
したがってこの箇所もまた Mithra を昼の光とすることの証拠ではなく、我々は彼をここでこの意味に解することを断念せねばならない。
Spiegel が我々の Yesht(95)からなお付け加える箇所1は、Haug(Zustand der Zendphilologie 19 頁)が示したように別様に解すべきものであり、夜の到来に際して
〔脚注の続き〕目覚めている者」をも参照せよ。
地平線の境において目覚めている Mithra に関係づけるべきものである。しかしそれは昼に適用されたとしても、なお何も証明しないであろう。というのも、大地のごとくに広く歩み来たる Mithra のうちに、なおも、彼から発する一切を満たす光の衣を伴う太陽神を解しうるからである。
さて Mithra を昼の光とするために引かれた諸箇所が有効でないとすれば、我々は Mithra を太陽神とする、したがって本来は太陽とする証拠を問わねばならない。
これについて最も意味深い箇所は Yt. 10, 104 であり、これについては Haug(Zustand der Zendph. 62–63 頁)が論じている。yeṅhe dareghācit̰ bāzava fragerewnāiti mithrō-aojaṅhō yatcit̰ ushastaire hindvō ā\[.]gerewnāyeiti yatcit̰ daoshataire nighne「その長き腕が、友誼において強き者たちを捉える(すなわち彼らを守る)ところの者、彼が東方のインドにおいて昇るとき、彼が西方の〔インド〕において沈むとき。」
この箇所は Mithra がまさしく太陽神にほかならぬことを明瞭に示す。そしてこの一箇所にさらにいくつかの箇所が加わる。
かくして私は、Mithra の車について語られるときも、それを太陽神にしか関係づけえないし、白い馬が彼の車を引くと言われるときも、それを太陽神の馬にしか関係づけえない。それを一般に光に関係づけることはできない――光と太陽とを同一と宣言しようとするのでない限り(それは許されない)。
Yt. 10, 124. 125: uzbāzush paiti amerekhtīm fravazaiti mithrō … haca raokhshnāt̰ garō-nmānat̰ \[va]shem srīrem vavazanem hāmō-takhmem vīspō-paēsaṅhem zaranaēnem. 125. ahmya vashe vazeñti cathwārō aurvañtō spaētita 等。「腕を高く掲げて Mithra は……不滅へと、輝ける Garō-nmāna から、美しき、転がりゆく、等しく堅固なる、あらゆる姿をもつ1、黄金の車を〔駆る〕。125. この車を四頭の白き駿馬が(引くのを常とする)」等。
136. yahmāi aurusha aurvañtō yukhta vasha thañjayeñti aēva cakhra zaranaēna asanasca vīspō-bāma:「その者のために、白き駿馬が車に繋がれて走る、黄金の一つの車輪によって、また輻において全く輝ける車を2。」
この箇所もまた次のことを示している。
すなわち、我々が Mithra および一つの車輪をもつ彼の車のうちに、太陽の霊と一輪の太陽車以外の何ものをも解しえない、ということである。
同じくこの車との結びつきにおいて我々は彼を 67 に見る。yō (mithrō) vasha mainyu-tāshta berezi-cakhra fravazaite haca karshvare yat̰ arezahi upa karshvare at̰ qanirathem bāmīm rathwya cakhra hacimnō qarenaṅhaca mazdadhāta verethraghnaca ahuradhāta:「神の造りし車1に、高き車輪をもって、Karshvare Arezahi から輝ける Karshvare Qaniratha まで駆けゆく者、支配の車輪(?)と、Mazda の与えし輝きと、Ahura の与えし勝利とに伴われて。」
ここに一箇所を接続させたい。それはある意味で 116 頁に引用した ṚV. 10, 8, 4 の詩節に対応し、我々に Mitra を太陽の霊として示すものであろう。Yesht 10, 142: mithrem … jaghāurvāoṅhem, yō paoirīsh vaēdhish sūrem fradhaiti speñtahe mainyēush dāmãn hudhātō mazishtō yazatō yatha tanūm raocayeiti yatha māoṅhō hvāraokhshnō …「最初の告知者として、Speñta Mainyu の被造物のうちに強き者(太陽)を促進する者、よく造られた最大の Y.〔Yazata〕、彼が身体を照らすとき、自ら輝く月のごとくに2。」
かくして疑いはありえない。Mithra は太陽そのものとは異なるとはいえ、それと最も緊密な連関に立つのであり、彼は「光」一般ではなく、それより高く、太陽そのものよりも高く立ち、太陽を導き操る太陽の天使と呼ばれるべきであって、それによって天体からいたるところへ送り出される光の支配者ともなるのである。
かくして Avesta は、我々がヴェーダから引き出した結果を確証する。そこで我々は、いくつかの一致する、いずれにせよ太古の特徴を挙げることに向かう。――
太陽神としてまず彼に帰属するのは絶えざる覚醒であり、太陽があらゆる深みとあらゆる場所へその窺う眼を投げるように、彼にはその遍在を示す属性と形容語が付され、彼は全知の者として讃えられる。
〔ページ下部欄外〕9*
かくして RV. 3, 59, 1 にはこうある。mitráḥ kṛṣṭī́r ánimiṣā́bhi caṣṭe「Mitra は眼を閉じることなく人々を見渡す。」Varuṇa とともに彼は ṚV. 1, 136, 3 で jāgṛváṃsā「かの覚めたる両者」と呼ばれる。
これに対して Avesta は無数回「mithrem aqafnem jaghāurvāoṅhem」を対置する。我々は彼を Yt. 10, 141 に temaṅhidha jaghāurum「闇のかなたより覚めたる者」として見、これをより詳しく説明するのが 10, 95(上述参照!)である。
さらに彼については、千の耳と一万の眼をもつ(hazaṅrō-gaosha および baēvare-cashman)1、あらゆる高み、あらゆる物見の座に、Mithra を担う者を見つめる斥候たちを座らせている(45)、と言われる。それゆえ彼は「baēvare-spasanō」(82)、一万の斥候をもつ者、「一万の斥候をもつ者」と呼ばれ、また一切を聞き見るがゆえに全知にして欺きがたい者である(「vīspō-vīdhvāo」「adhaoyamnō」46. 82. 141 等)。
ヴェーダにおいて我々は彼の斥候たちを(Varuṇa のそれとともに)6, 67, 5; 5, 62, 1(?); 7, 61, 3 に見る(下記参照!)2。我々は彼(および Varuṇa)が viśvávedas と呼ばれるのを見出す(8, 25, 3)、等々。
さらに我々はヴェーダにおいて Mitra を、味方の者たちの友として知った。彼は味方を守り、危難から護る。しかし我々は彼の怒りが言及されるのをも見、Mitra-Varuṇa の諸歌からは、彼が敵と戦い、敵を滅ぼす者(riśā́das)であることが明らかとなる。
同じく Mithra もまた友であり敵として現れる。Yt. 10, 29 にはこうある。tūm aka vahishtasca mithra ahi daṅhubyō tūm aka v. m. a. mashyākaēibyō:「汝は悪しき者であると同時に最良の者である、おお Mithra よ、諸国にとって。汝は悪しき者であると同時に最良の者である、人間たちにとって。」
しかし彼らの崇拝者に対する要求を我々は何において認識するのか。何が敬虔を特徴づけ、Mitra と Mithra の報いあるいは罰とはいかなるものか。
ここでもまた Mitra と Mithra は種々の比較点を提供する。ヴェーダの神は「真実なる者」と呼ばれ、それに応じてその崇拝者たちは、「真実なるもの」へと努め、虚偽と不正とを避けるという点で他の者たちと区別される。
この見解に Zendavesta は正確に対応する。10, 16 にはこうある。… \[yō vīspāhu karshvōhu mainyavō yazatō vazaiti khshathrō-dāo]. aēshãm gūnaoiti verethraghnem yōi dim dahma vīdush asha zaothrābyō frayazeñte:「彼らの勝利を彼は促進する(?)、呪力を備えた者として、真実(= ṛta)に通じた彼を zaothra をもって敬う者たちの〔勝利を〕。」
10, 3: āsu-aspīm dadhāiti mithrō yō vouru-gaoyaoitish yōi mithrem nōit̰ aiwi-drūzheñti 等。「速き馬を Mithra は与える、広き牧地を治める者は、人が Mithra を欺かぬとき」等々。
我々はここから、真実と正義とがその崇拝者たちの第一の義務であることを見る。そしてこの思想は Yesht 全体を貫いている。そのような者たちに彼は身体のための健康を、馬のための力を、敵の滅びを与え、彼らを不安と破滅から運び去る。
これに対して、人が彼を欺く諸国にとって彼は敵対的な神である。彼は敵を滅ぼし、かの「vīdush-asha」を促進する一方で、「ashava-janō」を根絶し(76)、悪しき者たちの国を破壊し(78)、敵の軍に罰と恐怖をもたらす(36)。
Spiegel はその訳の 86 頁で、彼の本質を戦士とする把握は Mithra の「媒介者」としての職務のうちにその根拠を見出すように思われる、と述べている。「彼は一切を見るがゆえに一切を知り、したがって戦う両党のいずれに勝利を与えるべきかをも知る」と。
私はここで Mithra の「媒介者」としての性格について詳論しえないが、たとえ彼がそのような者であるとしても、そこには彼の戦士性の契機は決して存しない。
Mithra は太陽神である。したがって彼は光のうちに生きる者たちの友であり、光を避けて闇のうちを歩む者たちの敵である。これは光の神々の性格に eo ipso 含まれる見解であって、それについてはヴェーダが我々に十分な解明を与えてくれる。
闇と戦う太陽神の怒りは、まさしく闇の業を愛するすべての者に及ぶ。そして私は、「怒れる」Mithra という現象のうちに、古い時代からの一つの把握を我々は有していると考える。それを Spiegel(82 頁)はきわめて正当にも純粋に Zoroaster 教的なものではないと呼んでおり、おそらく共通信仰の古き時代にまで遡らせるべきものである。
私は共通の、あるいは類縁の観念の探索において、なおさらに進むべきだと考える。我々は上に
Mitra を Tvaṣṭṛ とともに見、稲妻が彼の子と呼ばれるのを見た。これは我々を彼の水との結合へと導いたのであり、この結合は Mitra-Varuṇa 讃歌において頻繁に観察されることになろう。
そのような関係を Mir Yesht もまた二つの語において我々に示す。すなわち「frat̰-apa」と「tacat̰-apa」(61)であり、それによって彼は「水を増す者」および「水を流れさせる者」と呼ばれている。
我々はまた一箇所において Mithra が牝牛と結びつけられているのを見出すが、これはおそらく「雲の牝牛」に関わるのではなく、太陽神の光線に関わる。この点についてやや詳しく立ち止まることを許されたい。というのもこれは我々を、たとえ現在その痕跡が見出されぬにせよ、Mitra とも結びついていたかもしれぬ古い見解へと遡らせるからである。
私は、この箇所が我々を Zoroaster 教的表象の圏を超えて導く、アーリア時代への残響であると考える。すでに Windischmann もこれに深い意味を付与していたようである。彼はその註解において、Indra による牝牛の解放を扱う ṚV. 1, 6, 5 への Rosen を引用しているからである。
その箇所そのものを見よう。Yt. 10, 86: yā vareta azemna bādha ustānazastō zbayeiti avaṅhe gavaithīm paitis-maremna. kadha nō arsha gavaithīm apayāt̰ paskāt̰ vazemnō mithrō yō vouru-gaoyaoitish kadha nō fraourvaēsayāiti ashahe paiti paṇtãm drujō dēmānem azemnãm:「戦利品として連れ去られた1(牝牛)は、手を挙げて、厩を思いつつ助けを求めて叫ぶ。『いつかの強き者は私を牛の厩へと導いてくれるのか、後から急ぎ来たりつつ、広き牧地を治める Mithra は。いつ彼は私を Asha の道へと連れ行ってくれるのか、Druj の住まいへと連れ去られた私を。』」
この箇所の意味は理解しがたく、それゆえ私は自らの見解を確実な把握としてではなく、むしろ提案として述べうるにすぎない。Druj の住まいとは夜、すなわちすべての悪しきものの故郷であり、そこに太陽神の牛たちが囚われており、朝になって初めて再び彼によって解放され、正しい厩へと導かれるのである。
このような解釈にはいくつかの点が非常によく合致する。たとえば Druj の住まいが「ashahe paṇta」と対立する関係にあること――これを Windisch-
mann はきわめて正当にもヴェーダの「ṛtásya pánthāḥ」と比較しているのであって、それは昼と、昼に結びつく真実なるものとの呼称にほかならない。
さらに私の推測を強めるのは「paskāt̰ vazemnō mithrō」「後から駆けゆく(あるいは急ぎゆく)Mithra」という表現である。これは、我々の説明の連関において、光線(= 牝牛)の後を急ぎつつ牝牛を自らの前に駆り立てる太陽神と解するならば、きわめて良い意味を与える。
私の主張の正しさのさらなる証拠として、先行する節(10, 85)の内容を挙げよう。そこでは、若干の不明瞭さはあるものの、きわめて明瞭に夜が語られている。yeṅhe vākhsh gerezānāo ush ava raocāo ashnaoiti ava pairi imãm zãm jasaiti vi hapta karshvãn jasaiti yat̰cit̰ nemaṅha vācim baraiti yat̰ gaoshaēcit̰:「彼の、泣く者の声は星々へと昇り、七つの karshvare に分かたれ、大地の上に広がる。彼が崇敬をもって声を上げるにせよ、耳をもって(聞く)にせよ1。」
最後の語句は、泣く者の声が人間のそれであることを示しており、その意味は、夜に自分が Mithra に見捨てられたと思うとき、彼が Mithra を呼び寄せる、ということであるように思われる2。
この箇所全体は Yesht との連関においていくぶん奇異に見え、我々は、ここに古い民間信仰の残響が挿入されていると想定してもおそらく誤らないであろう。そもそも Mithra 崇拝全体が、純粋な Zarathustra 教の教説から、民衆のうちに保たれた古い伝統への譲歩であったのかもしれない。
というのも、Mithra の名が、まず第一に預言者の教説をなす文書、すなわち Gāthā には見出されないことは注目に値するからである。
そして我々はそこから次のように結論する権利をもつ。すなわち、彼〔Zarathustra〕の教説は本来 Mithra 祭祀を Homa 祭祀と同様に排除していたが、後代はその信仰と民衆の意識に生きる神々との対立を調停しようと努め、Mithra にも信仰体系のうちに位置を与えた。むろん彼を体系に適合させるための少なからぬ変更を伴ってではあるが、しかしなお彼の性格の多くの特徴が保たれるような仕方で、と。
そして我々は実際に Mir Yesht のうちに(たとえば Hom-Yesht におけると同じく)彼の祭祀受容の痕跡を見出す。54. 55 および 74 を見よ。そこで Mithra は語る。āat̰ mā nōit̰ mashyāka aokhtō-nāmana yasna yazeñte yatha anye yazataoṅhō aokhtō-nāmana yasna yazeñti1/「しかるに人間たちは、他の Yazata たちが〔崇拝され〕、名を挙げて供犠がなされるようには、私を名を挙げての供犠によって敬わない。」
55. yedhi zī mā mashyāka aokhtō-nāmana yasna yazayaṇta yatha anye yazataoṅhō — yazeñti2. frā nurnyō ashivaoyō shusuyãm /「というのも、もし人間たちが私に、名を挙げての供犠をもって供犠するならば――他の Yazata たちが〔崇拝される〕ように――私は敬虔なる男たちのもとへ――赴くであろうに。」
そしてこの Mithra の言葉に続いて 59 に誓約がある。「私は汝に供犠しよう、おお Mithra よ、汝の名を挙げての供犠をもって」3。
このような言葉によって、少なからぬ神々の祭祀への受容が暗示され、ある程度正当化されていることは明らかである。そして他の神々におけると同じく、我々は Mithra についてもこの結論を引き出さねばならない。
古アーリアの神から、その古き壮麗さのどれほどが奪われたのか、その把握における変更がいかなるものであったのかは、我々の課題の目的の内にもなく、また前者の点に関しては我々の能力の及ぶところでもない。ただ次のことだけは確実に想定してよい。すなわち、イラン人とインド人の祖先の信仰における彼の位置は、きわめて重要なものであったにちがいない、ということである。
我々は我々の主題の最後の節に向かう。すなわち――
VIII. Mitra-Varuṇa
両神の性格はすでに上に一般的な輪郭において描かれ、また我々の希望するところでは、その本来の概念が正しい範囲へと引き戻された。我々は Mitra を古き太陽神として見た。そして彼の一切を包む蒼穹との結合は、我々にとってはただ、Mitra がその軌道を歩む光に貫かれた高き天蓋の表現にすぎなかった。
両神のこの本来の本質を示す諸箇所もすでに挙げた。我々に残されているのは、そこから生ずる帰結を引き出すこと、すなわち彼らの働きが及んだ他の諸領域を考察することだけである。
彼らの天における座を挙げ、その座の描写に及ぶ諸詩節を挙げることは省いてよい。前者はこれまでの我々の論究からすればあまりに自明であって、もはや何の証拠も要しない。後者はまさしく、天に、とりわけ光の天に帰属するあらゆる形容語を伴う天の種々の呼称にすぎないか、あるいは太陽、すなわち Mitra-Varuṇa がその上を駆りゆく天の車の多様な名称にすぎない。
これに対して強調されねばならないのは、光の支配者としての彼らの性質のうちに、世界に対する彼らの支配の根拠もまた存する、ということである。光がその明るい光線を送る限り、そこまで Mitra-Varuṇa の光の王国は及び、彼らが太陽車に乗る夜明けとともに、彼らはその支配を開始する。
かくして 8, 25, 3 にこうある。tā́ mātā́ viśvávedasāsuryā̀ya prámahasā / mahī́ jajānā́ditir ṛtā́varī:「かの全知の大いなる両者を、その神威の行使のために、母たる、大いなる ṛta に富む Aditi が生んだ。」
8, 25, 8: ṛtā́vānā ní ṣedatuḥ sāmrājyāya sukrátū / dhṛtávratā kṣatríyā kṣatrám āśatuḥ //「ṛta に富む、供犠に富む両者は、その全支配の行使のために坐した。定めを堅く保つ支配者たちは支配権に就いた」等々、他にも 1, 15, 6; 5, 67, 1 など多数。これらは一部すでに 45 頁以下に挙げた。
それゆえ彼らは
王(「rā́jānā」)あるいは支配者(「kṣatríyā」)と呼ばれる。
光はすべての敵に勝利して凱歌を上げるがゆえに、彼らの支配はどこからも攻撃しえぬものと呼ばれる(1, 136, 1:「áthainoḥ kṣatráṃ ná kútaś canā́dhṛ́ṣe devatvàṃ nū́ cid ādhṛ́ṣe」)。そして彼らの強さはしばしば歌い手たちの讃嘆の対象となる。
かくして彼らは「dákṣapitarā」と呼ばれるが、これは「Dakṣa の父たち」ではなく「Dakṣa を父としてもつ者たち」と訳すべきであって、それは śávaso nápātā 等の表現が証明するとおりである。tuvijātá(1, 2, 9; 7, 66, 1)や sudákṣa(7, 66, 2)等の表現をも参照せよ。
諸箇所のうちからは、多くを代表するものとして ṚV. 1, 2, 9 を挙げよう。kavī́ no mitrā́váruṇā tuvijātā́ urukṣáyā / dákṣaṃ dadhāte apásam:「我らの二人の kavi、M.V. は、力強き、広く支配する者たちは、働きある力を身に帯びた。」
なお彼らが ṛtā́dakṣas と呼ばれること(5, 66, 4; 8, 23, 30 等)にも触れておこう。これを私は、pūtábandhu(6, 67, 4)と同じく、純粋な光に属する、あるいはそこから発する、純粋な光のうちに働くという彼らの性格に関係づけねばならぬと考える。さらに彼らが dhṛtádakṣa(5, 62, 5)、すなわちその力が堅固である者、あるいは力を堅く保つ者、つまり彼らから奪いえぬ力をもつ者と呼ばれることにも触れておく。
彼らの支配の光の王国への関係によって、さらに 6, 16, 24 で彼らが呼ばれる śúcivrata「光ある、輝ける領域をもつ」も説明される。光は広がるがゆえに、彼らは「urukṣáyā」(1, 2, 9)、あるいは(他の Āditya たちとともに)「paprathānā́ḥ」(3, 54, 10、上述参照)と呼ばれる。
光はなお Mitra-Varuṇa の本質の別の一面を我々に理解させる。友好的な昼は人間に福をもたらすものであり、生命の告知者である。それゆえ ṚV. 5, 62, 7 にこうある。híraṇyanirṇig … aśvājániva ―― 47 頁を見よ ―― bhadré kṣétre nímitā tílvile vā sanema mádhvo ádhigartyasya:「……幸多き実り豊かな領域に(彼らの支配の柱)1が立てられている。我らは車の madhu を得たい。」
光は生命へと呼び覚ますもの、あるいは生命を与えるものであるがゆえに、彼らは 5, 67, 2 で「dhartā́rā
carṣaṇīnā́m」〔人々の維持者〕と呼ばれる。10, 132, 2:「dhārayátkṣiti」。5, 65, 6: yuváṃ mitremáṃ jánaṃ yatáthaḥ sáṃ ca nayathaḥ:「汝ら、おお M.V. よ、この民を駆り立て、ともに導く」(Ludwig)。6, 67, 1: ā́ yā́ raśmeva yamatur yamíṣṭhā dvā́ jánām̐ ásamā bāhúbhiḥ svaíḥ「あたかも手綱をもってするごとくに導いた両者、最良の導き手たち、比類なき両者は、その両腕をもって人々を〔導いた〕」。第 3 詩節をも参照。6, 72, 2 で彼らは「yātayájjanā」と呼ばれる、等々。
人間の領域から出発して、彼らの働きは全世界の維持者へと拡がり、地と天と空界とは彼らによって存立する。
5, 69, 1: trī́ rocanā́ varuṇa trī́m̐r utá dyū́n trī́ṇi mitra dhārayatho rájāṃsi /「汝らは、おお M.V. よ、三つの rocana、三つの天、三つの rajas を保つ。」
第 4 詩節: yā́ dhartā́rā rájaso rocanásyotā́dityā divyā́ pā́rthivasya /「天と地上界との担い手たる汝ら、おお天なる Āditya たちよ。」
6, 62, 3: ádhārayatam pṛthivī́m utá dyā́m … máhobhiḥ:「汝らはその力によって地と天とを固めた」等々。
とはいえ Mitra-Varuṇa の働きはそれに限られない。光の神々としての彼らの性格から、その本質は複数の方向へとさらに形成される。すなわち一方で光は彼らを一切を見、一切を知る神々とし、それによって賢者、kavi とする。他方で彼らは罪の敵、悪と戦う者となり、それによってまた味方の者たちを敵から守る者ともなる。
前者の把握については 8, 90, 2 を挙げよう。そこで彼らは「urucákṣasā」と呼ばれる。5, 66, 6 では「tyácakṣasā」と呼ばれる。さらに 5, 62, 8 を見よ。ā́ rohatho varuṇa mitra gartám átaś cakṣāthe áditiṃ dítiṃ ca:「汝らは、おお Mitra-Varuṇa よ、汝らの車に乗る。そこから汝らは Aditi と Diti とを見渡す。」
8, 25, 9: ákṣaś cid gātuvíttarānulbaṇéna cákṣasā / ní cin míṣantā nicirā́ ní cikyatuḥ //「いかなる眼にもまして道を見出す両者は、覆いなき眼差しをもって(Ludwig。――Grassmann は「雲なき眼差しをもって」)、眼を閉じるときですら覚めて注意を払う。」
7, 61, 5: ná vāṃ níṇyā́ny ácite abhūvan:「汝らの知らぬ秘密は存在しなかった」等々。
Varuṇa と Mitra とがそのうちに生きる光の霊たちから、一切を探る斥候たちの表象が発展する。6, 67, 5: pári yád bhūthó ródasī cid urvī́ sánti spáśo ádabdhāso ámūrāḥ /「汝らが天と地とを、広きものを包むとき(すなわち汝らの光がその上に広がるとき)、そのとき汝らには欺きがたく賢き斥候たちがある。」
7, 61, 3: prá vāṃ sá mitrāvaruṇāv ṛtā́vā prá diváḥ pṛthivyā́ ṛ́ṣvād bṛhatáḥ sudānū / spáśo dadhāthe óṣadhīṣu vikṣv ṛ̀dhag yató ánimiṣaṃ rákṣamāṇā //「広き大地から、高く大いなる天から、おお豊かに施す M.V. よ、汝らは絶えず目覚めて監視しつつ、家と森(Grassmann)に、分かれゆく(あるいは身を隠す)斥候たちを遣わす。」第 4 詩節をも見よ。
それゆえ彼らは(Aryaman とともに)7, 60, 7 で「imé divó ánimiṣā pṛthivyā́ś cikitvā́ṃsaḥ」「絶えず地と天とに注意を払う者たち」、「全知の者」(viśvávedasā)、「世界の守護者」(víśvasya あるいは bhúvanasya gopā́)等と呼ばれる。
さらに彼らの知識に知恵が結びつくこと(彼らはやがて見るように、その法によって一切を秩序づけるのだから)を考えるならば、1, 2, 9; 3, 54, 10 その他で彼らに付される kavi という表現も容易に説明しうる。彼らは知識に富み、聡明さに富むからである。
我々は上に、光の神々としての彼らの性質から、あらゆる悪しきものへの彼らの敵対を導き、彼らが真実なる者をあらゆる敵から守ると述べた。ここではそれについて、きわめて教訓的ないくつかの実例を挙げ、保護を与える神々としての Mitra-Varuṇa の表象がまず第一に昼の光の神々としての彼らの性格に基づくことを示そう。
ṚV. 10, 132, 2: tā́ vām mitrāvaruṇā — yajāmasi yuvóḥ krāṇā́ya sakhyaír abhí ṣyāma rakṣásaḥ /「そのような者として我らは汝らを敬う。働きある者(= 供犠者)への汝らの友誼によって、我らは Rakṣas に打ち勝ちたい。」Rakṣas とは夜の悪しき霊たちであり、助けとなる友誼はむろん光の施与のうちにしか存しえない。
7, 65, 3: ṛtūyā́ mitrāvaruṇā pathā́ vām apó ná nāvā́ duritā́ tarema:「汝らの ṛta(真実 = 昼)の道の上を、我らは、船で水を〔渡る〕ごとくに、危難を越えてゆきたい」(この見解については上に論じた Vasiṣṭha 讃歌を参照)。cf. 1, 139, 2、そこでは彼らが ṛta と anṛta とを分かつ。また 49 頁に挙げた Atharvaveda の諸箇所をも参照。
したがって、彼らの保護が呼び求められ、苦難等を越えさせるよう祈られるのも容易に理解される。ṚV. 2, 27, 5: yuṣmā́kam mitrāvaruṇā práṇītau pári svábhreva duritā́ vṛjyām /「汝らの導きのもとに、おお M.V. よ、私は裂け目を避けるごとくに危難を避けたい。」
6, 62, 9: yád báṃhiṣṭhaṃ nā́tivídhe sudānū áchidraṃ śárma bhuvanasya gopā /
téna no mitrāvaruṇāv aviṣṭaṃ síṣāsanto jigīvā́ṃsaḥ syāma //「汝らの最も強き、打ち破りえぬ、破れなき保護、おお豊かに施す者たちよ、世界の守護者たちよ、それをもって我らを助けよ、おお M.V. よ。我らが得んと欲するとき、勝利する者でありたい。」cf. 7, 60, 1; 7, 66, 3; 8, 47, 1、その他きわめて多数。
それゆえ、彼らは悪しきもの・暗きものの敵であるがゆえに、弱き人間を罪から解放し、神々を害する行ないやそれに類するものから、また人間に対する不正から守る。他方、悪しき者にとって彼らは恐るべき者である(ṚV. 6, 67, 4: ghorā́ mártāya rípave)。
これらの性質のうちに、彼らの戦の神々への発展が含まれていたことは自明であり、我々はすでに引用した若干の箇所によってその点へ導かれた。彼らは自ら Rakṣas との戦いの神々なのだから、それに応じて彼らはまた、忠実なる者がその敵と戦う際の促進者ともなり、彼を勝利へと助ける。
かくして私は 5, 66, 3 をそう解さねばならぬと考える。そこにはこうある。tā́ vām eṣé ráthānām urvī́ṃ gávyūtim eṣām / rātáhavyasya súṣṭutiṃ dadhṛk stómair manāmahe //「汝らを我らは讃える、彼ら Maghavan たち(cf. 第 6 詩節: vayáṃ ca sūráyaḥ)の車が広き牧場へと(それを獲得すべく)急ぐとき、讃歌をもって、Rātahavya の見事な歌に依りつつ1。」
2, 31, 1: asmā́kam mitrāvaruṇāvataṃ rátham ādityaí rudraír vásubhiḥ sacābhúvā / prá yád váyo ná paptan vásmanas pári śravasyávo hṛṣīvánto vanarṣádaḥ //「我らの車を助けよ、おお Mitra-Varuṇa よ、Āditya たち、Rudra たち、Vasu たちと結ばれて。鳥のごとくにその座から前へと急ぐとき、名声を求める、(戦いに)勇む、木(= 戦
車か?)のうちにある者たち2が」(すなわち Maghavan たち等)。第 2 詩節をも参照。
さて Mitra-Varuṇa の友と敵とは、彼らが Mitra-Varuṇa の定めに従うか否かによって区別される。そしてこのことは我々を一歩進めて、定めそのものへと導く。
その起源を、またその倫理的意義への発展の出発点を問うならば、我々は再び自然へと、そして両神がそこから人格化された自然現象の恒常性へと引き戻される。日ごとに蒼穹は太陽の光のうちに輝き、日ごとに太陽はその上をその軌道に沿って歩む。神々の誰も、人間の誰も、この定めを妨げることはできない。
ここに出発点を見る正当性は、ヴェーダ自身が我々に与える。かくして ṚV. 4, 13, 2 にこうある。ánu vratáṃ váruṇo yanti mitró yát sū́ryaṃ diví ā́rohayanti /「Mitra-Varuṇa は定めに従う、彼らが太陽を天に昇らせるとき。」
3, 55, 6: śáyuḥ parástād ádha nu dvimātā́bandhanaś carati vatsá ékaḥ / mitrásya tā́ váruṇasya vratā́ni mahád devā́nām asuratvám ékam //「(夜には)遠くに憩い、二人の母(天と地)に属するものが、いまや縛めなく歩みゆく、唯一の子牛が。これらは Mitra-Varuṇa の法である。大いなるかな、神々の唯一の Asura 性は。」
10, 65, 5: yáyor dhā́ma dhármaṇā rócate bṛhád「その大いなる家が定めに従って輝くところの両者。」
5, 69, 1: vāvṛdhānā́v amátiṃ kṣatríyasyā́nu vratáṃ rákṣamāṇāv ajuryám /「力を増しつつ、支配者の輝き(= 太陽)を、定めに従って不滅のものを守りつつ」。ここで私は ajurya を、他所では最高天における光に関わる amṛ́ta と同義に解する。
6, 72, 2: vraténa stho dhruvákṣemā dhármaṇā yātayájjanā「定めによって汝らの住まいは堅固である(すなわち汝らは常に天に住まい、そこに汝らの光が広がる)。法によって人々を動かしつつ」3。まさしく
〔p. 142 の脚注 *** の続き〕……その大いさによって〔押し分けた〕。」Grassmann は「Varuṇa と Mitra の支配を私は讃える。彼らの高き勇気は地と天とを襲う」と訳す。この場合、我々は śúṣma を、地と天とを包み、朝に「力」をもって突き出る光にしか関係づけえない。
ここに属するのが、Agni が M.V. の定めの守護者とみなされる場合である。彼は闇を押し戻し、光に道を開くからである。その守護を悪しき者たちとの戦いに転移すること(4, 5, 4)は、かの最初の見解の拡張にすぎない。
付言せねばならないのは、両神の支配領域が拡大するのと同じ度合いで、その法の作用圏もまた範囲を増した、ということである。
我々はやがて Mitra-Varuṇa を雨を司る神々として知るであろう。雨を扱う讃歌の末尾に次の言葉が見出される理由も、ここにしかありえない(6, 63, 7)。dhármaṇā mitrāvaruṇā vipaścitā vratā́ rakṣethe ásurasya māyáyā /「汝らの定めによって賢く、おお Mitra-Varuṇa よ、汝らは Asura の呪力によって定めを守る」(おそらく、汝らは天が正しい時に雨を施すようにさせる、の意)。
同様に説明すべきであろうのが ṚV. 9, 107, 15 である。árṣan mitrásya váruṇasya dhármaṇā prá hinvāná ṛtáṃ bṛhát:「Soma は M.V. の定めに従って流れよ、大いなる真実を促進しつつ」1。
永遠に回帰する自然現象から導かれる定めの本性上、それらが「堅固」と呼ばれること(たとえば 5, 69, 4 を見よ)、またそこから、それによって世界を統べる神々が「dhṛtávrata」――「堅固な定めをもつ者」あるいは「その定めが堅く保たれる者」、すなわち定めを決して踏み越えず、また踏み越えさせない者――と呼ばれることは、当然である。神々でさえそれに抗うことはできない。
RV. 5, 69, 4 を見よ。ná vāṃ devā́ amṛ́tā ā́ minanti vratā́ni mitrāvaruṇā dhruvā́ṇi /「汝らの堅固な定めを、おお M.V. よ、不死なる神々も侵さない。」
雨の神々としての Mitra-Varuṇa
「Mitra-Varuṇa」の領域において我々に論ずべく残されているのは、なお一章のみである。それは上に Mitra-Varuṇa の定めに言及した際にすでに触れざるをえなかったもの、すなわち彼らの雨の天への関係である。
この両神のこの把握の根底に置くべき理由は、我々に Indra-Varuṇa のうちに雨の神々を見させたものとは明らかに別のものである。後者の一組が我々を雨を垂れこめた暗い天へと導いたのに対し、前者においては Mitra の、そしてそれとともに Varuṇa の光の姿が、かの見解をこの一組に転移することを妨げ、我々を太陽そのものと光に包まれた蒼穹のもとに留まらせる。
そして実際、ヴェーダの見解によれば、そこから雨の天への移行は十分に近い。一見して思われるよりも近いのである。
インド人は、暗い雲の天のうちに上方にある水の呼称を見るのみならず、輝ける Dyaus のうちにも、水を流れさせる牝牛たちの座を知っている。その証拠が上に引用した Varuṇa の箇所であり、それによれば蒼穹の神は自らの黄金の家を水のうちに建てたのであって、したがって間接的に輝ける天が水の座と呼ばれているのである。
かくして Varuṇa が光の神としての性質においても雨の神へと発展しうることは容易に説明されよう。Mitra についてはこれはより困難に見えるが、ここでもヴェーダの見解そのものが我々に解明を与える。
我々は上に Mitra を太陽神として知り、稲妻のうちに彼の子を、Tvaṣṭṛ のうちに彼の伴侶を見た。Zendavesta は彼を、水を流れさせる者として我々に示した。――この見かけ上の二つの対立の媒介は、まさしく彼の太陽神としての位置のうちにある。
太陽はその光線によって水を自らのもとへ引き寄せ、天において自らのまわりに集め、後にそれを雨として降り注がせる。そして我々はヴェーダにおいて、あちらこちらで Sūrya が水との連関において現れるのに出会う。
RV. 7, 47, 4 では Sindhu たちについてこう言われる。yā́ḥ sū́ryo raśmíbhir ātatā́na1「Sūrya が光線をもって広げたところの〔水〕」。
4, 38, 10: ā́ dadhikrā́ḥ śávasā páñca kṛṣṭī́ḥ sū́rya iva jyótiṣāpás tatāna「Dadhikrā はその力によって五つの部族を広げた(すなわち朝それらを見えるようにした)、あたかも Sūrya がその輝きによって水を〔広げる〕ごとくに。」
Taitt. Saṃh. 3, 3, 4, 1〔OCR「3, 34, 1」〕には端的に sū́ryasya raśmáyo vṛṣṭyā́ īśate「太陽の光線が雨を支配する」とさえある。
RV. 8, 61, 16: ádhukṣat pipyúṣīm íṣam … aríḥ sū́ryasya saptá raśmíbhiḥ「敬虔なる者は太陽の七つの光線によって、豊かな糧を搾り出した。」
我々の場合にとってきわめて特徴的かつ意味深いのは ṚV. 1, 164, 7 である。「ここに語るべし、美しき鳥の残された足跡をよく知る者は。その頭から牝牛たちは乳を滴らせ、(その)衣に身を包みつつ、足で水を飲んだところの〔鳥の〕」(Haug, Vedische Räthselfragen und Räthselsprüche 19 頁を見よ)。
ここに我々は太陽が雨と最も直接的な関係にあるのを見る。牝牛たち、すなわち光線あるいはそのまわりに集まった雲が、その頭から水を流れさせるのである。そしてそれゆえ、Mitra もまた Varuṇa とともに雨の神として現れることは十分に理解しうる。
数多く提供される箇所のうちから次を挙げる。
RV. 7, 60, 4: úd vām pṛkṣā́so mádhumanto asthur ā́ sū́ryo aruhac chukrám árṇaḥ「汝ら両者の madhu 豊かな馬たちが昇り来たった。Sūrya は輝ける海に登った。」
5, 62, 7: sanema mádhvo ádhigartyasya「我らは(汝らの)車の上の madhu(甘きもの)を得たい。」
5, 68, 5: vṛṣṭídyāvā rītyāpéṣas pátī dā́numatyāḥ / bṛhántaṃ gártam āsāte //「雨降る天を有し、流れる水を有する者たち、恵み豊かな糧の主たちは、その高き(太陽の)車を得た。」
5, 69, 2: írāvatīr varuṇa dhenávo vām mádhumad vāṃ síndhavo mitra duhre /「汝らの牝牛たちは、おお Varuṇa よ、糧に富む。河川は汝らのために、おお Mitra よ、甘きものを搾った。」
これら個々の箇所に、きわめて特徴的な讃歌 5, 63 を接続させる。それは我々に Mitra-Varuṇa を、雨の天の他の神々、すなわち Marut たちおよび Parjanya とのまったき連関において示し、我々をそれ以上の証拠立てから解放してくれる。
1)「真実の守護者たち、汝らは最高天において車に乗る、真実の定めの主たちよ。汝らがここで助ける者には、おお M.V. よ、天から雨が甘きものを注ぐ。2) 全支配者として汝らは世界を統べる、おお
〔ページ下部欄外〕10
M.V. よ、供犠に際して光の王国を見つつ。我らは雨を、汝らの賜物を、不死を乞い願う。天と地とを雷鳴する者たちが遍歴する。3) 全支配者たる汝らは強大なる牡牛たち、天と地との主たち、M.V. よ、窺い見る者たちよ(cf. Ngh. 3, 11)。輝ける雲とともに汝らは轟き始め、Asura の呪力によって天を降らせる。4) 汝らの呪力は天に据えられている。太陽は輝きのうちへ、きらめく武器のうちへと入る。汝らはそれを雨雲によって(雨と雲によって)天において覆い隠す。おお Parjanya よ、甘き滴が急ぎゆく。5) 美しき車を Marut たちは輝きのために繋ぐ、あたかも英雄が略奪の遠征に際してするごとくに、おお M.V. よ。輝ける領域を通って雷鳴する者たちは遍歴する。我らを潤せ、おお全支配者たちよ、天の乳をもって。6) Parjanya は、おお M.V. よ、その滋養に富む(その際の雨によって)、きらめく(稲妻によって)、荒々しい(嵐によって)(雷の)声を高く上げる。Marut たちは呪力によって見事に雲を身にまとった。汝らは赤き、汚れなき天を降らせた。」第 7 詩節は上述を見よ。
この讃歌は、この関係において M.V. について語るべきすべてを最も完全な仕方で含み、同時に我々に彼らの支配のもう一つの領域をも示している。第 1 詩節で彼らの車が語られ、それは太陽車としてしか解しえないからである(第 7 詩節をも見よ)。
かの歌から我々の前に現れるのと同じ思想は、なお 1, 2, 7; 1, 122, 11(nabhojúvaḥ); 1, 167, 8; 1, 152, 6. 7; 3, 62, 16; 5, 62, 2. 3; 6, 67, 11; 7, 64, 2. 4; 7, 62, 5; 7, 65, 4; 8, 25, 5 その他多数において示唆されている。
彼らが「sindhupátī」「河川の主たち」と呼ばれること(7, 64, 2)、Taitt. Saṃh. において「apā́ṃ netā́rau」「水の導き手たち」1(6, 4, 3, 3 等)、あるいは vṛṣṭyā́ ádhipatī と呼ばれることをも参照せよ。
これによっていずれにせよ、なぜ Soma がかくもしばしば Mitra-Varuṇa のために流れるのかも説明される。それは Indra のそれと同じく Mitra-Varuṇa に属する飲料であって、彼らは常にそれを地上へ送り下すのである。そしてまさしくそこから、なぜ彼らにしばしば「payasyā」すなわち乳の供献(Śat. Brāhm. を見よ)が属するのかという理由も見て取れる。
さらにこの把握は我々に、ṚV.
6, 70, 2. 3 で彼らに与えられた「Rudra たち」1という呼称への手がかりを与える。その契機は、Mitra-Varuṇa の雨と雷雨への、また Marut たちへの近しい関係のうちに求められるべきであろう2。
なおもう一点をここで述べておきうる。我々は時折、Varuṇa と Mitra とが牝牛を漲らせるという表象を見出す(RV. 5, 62, 2. 3 その他を見よ)。そしてここから彼らに属する牝牛という見解が生じ(Śat. Brāhm. 2, 4, 4, 14; 4, 5, 1, 6 等)、これが小さな物語へと移行した。
たとえば Taitt. Saṃh. 2, 6, 7, 1 にはこうある。mánuḥ pṛthivyā́ yajñíyam aichat, sa ghṛtáṃ niṣiktám avindat so 'bravīt: ko 'syai 'śvaro yajñe 'pi kartor íti, tāv abrūtām mitrā́váruṇau: gór evá 'vām īśvarau kartor íti, tau táto gā́ṃ sám airayatām sā́ yátra-yatra nyàkrāmat táto ghṛtám apīḍyata, tásmād ghṛtapadī́ ucyate 等。「Manu は大地を巡って供犠にふさわしきものを求め、注ぎこぼされたバターを見出した。そこで彼は言った、『誰がこれを供犠においても作りうるのか』と。これに対し Mitra-Varuṇa は答えた、『我らは牝牛を作りうる』と。そこで彼らは牝牛を生ぜしめた。それが歩みゆくところどこであれ、そこからバターが滴り出た(搾り出された)。それゆえそれは『その足跡がバターであるもの』と呼ばれる」(cf. 4: asyai padád ghṛtám apīḍyata)。
さて少なからぬ箇所でこの牝牛が二色(dvirūpā)と呼ばれる場合(たとえば Taitt. Saṃh. 2, 1, 7, 4)、その理由は、Taitt. Saṃh. が考えるように Parjanya が昼も夜も降らせるからではおそらくなく、Brāhmaṇa 群が Mitra と結ばれた Varuṇa を夜と解し、それゆえ二色の牝牛がいわば両神の標識を担うべきものとされたからであろう。
かくして Mitra-Varuṇa が牝牛の創造者とみなされるとすれば、この見解もまた拡張されたと想定してよく、牝牛の所有が富の徴であったのと同じく、彼らはこれによって財を与える神々ともなる。これは雨の神々の性格から直接に生ずる。彼らは大地の豊饒を施し、
田畑を実り豊かにし、牝牛に良き牧草を与える。そして豊饒の施与と密接に結びつくのが、乳を出す牝牛・孕む牝牛の富、馬の富、さらには彼らが崇拝者に施す子孫の富である。
これに加えて、M.V. は戦において味方の者たちを助け、彼らに勝利を与え、それによって戦利品を与える。したがってこの点にもまた、彼らが富と食物とを施すようにという祈願の理由がある。それについては我々はすでに一部の箇所を引用した。
これらの見解については、なお次を証拠として挙げておこう。
5, 68, 3: tā́ naḥ śaktam pā́rthivasya mahó rāyó divyásya /「我らに天上の、また地上の大いなる富を施せ。」
5, 69, 3: rāyé mitrāvaruṇā sarvátātéśe tokā́ya tánayāya śáṃ yóḥ /「富のために、おお Mitra-Varuṇa よ、無傷なることのうちに私は汝らを呼ぶ。子と孫のために、福と幸のために。」
5, 64, 6: urú ṇo vājasātaye kṛtaṃ rāyé svastáye「我らに広き場所を作れ、財(食物)の獲得のために、富と安寧のために。」
1, 153, 3: pípāya dhenúr áditir ṛtā́ya jánāya mitrāvaruṇā havirdé:「尽きせぬ牝牛は(乳に)満ちている、真実なる、havis を施す人間のために、おお M.V. よ。」
5, 62, 3: várdhayatam óṣadhīḥ pínvataṃ gā́ (áva vṛṣṭíṃ sṛjataṃ jīrádānū)「汝らは草木を茂らせ、牝牛を漲らせた(雨を送り下した、おお速やかに施す者たちよ)」等。
この論述になお一点を接続させることを許されたい。それは、Mitra-Varuṇa を雨の神々と解することによってしか説明しえないと私の考える点、すなわち Vasiṣṭha の奇跡的誕生に結びつく伝説に関わるものである。
このリシの超自然的な出生は、一度は RV. 7, 33, 10 以下に言及され、もう一度は ṚV. 10, 95 への Sāyaṇa の註解において言及される。そして私は次のように推測する。すなわち Vasiṣṭha 家の人々は、その gotra の始祖を讃えるために彼を伝説で取り巻いたのであり、その核はヴェーダの数多の小話と同じく自然観から生じたものであって、我々の場合には「最も輝かしき、最も壮麗な、最良の者」という名に最もふさわしい浮彫りを与えうるような自然観から生じた、と。
そして実際、上に挙げたヴェーダの詩節は伝説の出発点を指し示している。後にそれに言及するため、ここにそれらを掲げる。
第 10 詩節にはこうある。「Mitra-Varuṇa が、汝が稲妻の輝きを脱ぎ捨てる1のを見たとき、それが、おお Vasiṣṭha よ、汝の出生であった。しかも唯一の〔出生〕であった。Agastya が汝を住まいから連れ出したのが。
11. 汝は Mitra-Varuṇa に由来する、Vasiṣṭha よ、Urvaśī への愛によって生まれた、おお Brahman よ。神なる Brahman によって落ちた滴として、すべての神々は汝を桶のうちに受けとめた。12. 両世界を知る賢者、千倍に施し施与に富む Vasiṣṭha は、Apsaras から生まれた、Yama の張った縦糸(枠組み)を織るために。13. Soma の供犠において生まれ、崇敬によって促されて、彼らはその共通の種子を桶のうちに注いだ。その中から詩人(?)が出で来たった。そこから、と彼らは言う、リシ Vasiṣṭha は生まれたのだ、と。」
Sāyaṇa は先に引用した箇所で、Mitra-Varuṇa は灌頂を受けており、ニンフ Urvaśī を見たとき自らの種子を滴らせた、と述べている。
さてこれらの伝説の解釈について言えば、Mitra-Varuṇa が天を降らせるという表象がその出発点であったように思われる。雷雨において雨が降り注ぐとき、「最も美しき、最も光り輝く者」が生まれ、彼はいわばその輝ける姿を捨てて、落ち下る滴へと変ずるのである。
ここでのニンフ Urvaśī について言えば、「vasiṣṭha」の母たる彼女のうちに、稲妻がそこから生ずる空界の雷雲を見るべきであろう。少なくともこのことを示唆するのが RV. 10, 95, 17 である。antarikṣaprā́ṃ rájaso vimā́nīm úpa śikṣāmy urváśīṃ vásiṣṭhaḥ。そこで彼女は「空界を満たす者、領域を測る者」と呼ばれている2。
我々の伝説の根拠についてのこの解釈には、我々の讃歌の冒頭部に間接的な確証が見出される。第 2 詩節以下によれば、Indra は Vasiṣṭha 家の人々によって遠方から招き寄せられ、彼は他のすべての歌い手より彼らを優先する。彼らの歌に応じて神は十王戦において Sudās を助ける。Vasiṣṭha の讃歌のゆえに彼は敵を押し戻し、Tṛtsu たちに自由な空間を作り出す。
さてたしかに
歴史的な事柄がこの歌の根底にあることは疑いえないが、Sudās の敵に対する戦いは天上に原型をもつ。そこでもまた Indra が主たる戦士であり、多くの敵に勝利するのである。
この天の戦いにおいてもまた「vasiṣṭha」が導き手であり、それはリシ Vasiṣṭha が Tṛtsu たちの戦いにおいて puraetṛ と呼ばれるのと同じである。そして実際に「vasiṣṭha」は幾度も Agni の呼称であり、一箇所では Indra 自身の呼称である。
かくして人は、地上の出来事を天上の出来事と結びつけようと努め、それによって部族の長の活動により深い背景を与えようとしたのだ、と私は考える。そして人は彼の出自を Mitra-Varuṇa から導こうとした。雨を施す神々として稲妻を生む彼らから。その稲妻の本来の姿こそ Vasiṣṭha たちであり、彼はそれを捨てて(vidyúto jyótiḥ pári saṃjihānáḥ)地上へと降り下ったのである。
昼と夜としての Mitra-Varuṇa
両神についての我々の叙述の結びとして、なお一つの把握に触れておきたい。それは Brāhmaṇa 群にはまったく確実に見出されるが、Ṛksaṃhitā および Atharvaveda の大部分については否定されるべきものである。すなわち、Mitra-Varuṇa という結合を昼と夜に関係づける解釈のことである。
私はこの後代の逸脱した解釈を、人が両者のあいだに設けた区別に帰さねばならぬと考える。すなわち、人は Mitra を専ら友好的な者と呼び、これに対して Varuṇa を恐るべき者と呼んだのである。
より大いなる神たる Varuṇa に本来従属していた神をより強く強調することによって、かの Varuṇa はより狭い権力領域に限定され、人はこの結合の根底に本来あった意味――蒼穹と、それを照らす太陽という意味――を忘れた。この意味を我々は最古のヴェーダ時代においてあるときはこう、あるときはああと、しかし常に Varuṇa に依存するものとして見出したのである。
かくして、本来本質を同じくしていた Aditi の子らから、昼と夜との対立が生じた。ただし Brāhmaṇa 群がこの一面のみを彼らにおいて強調することに終始したわけではないことは、いま一度強調しておかねばならないと私は考える(89 頁を参照)。
これをもって私は、ヴェーダの典拠から我々の前に現れる限りでの Varuṇa と Mitra の叙述を閉じる。
私はよく承知している。ヴェーダ研究の視野が Ṛgveda に向けられた一面性から解放され、大いなるヴェーダ文献の他の諸書をも当然の顧慮の対象とするようになればなるほど、この論究にはなお多くのことが付け加えられ、多くのことがより明るい光のもとに置かれるであろうことを。
個々の点で少なからぬものが改善の余地をもつのと同じく、ヴェーダ研究の深化とともに新たなより高い観点が達成されるであろうことを私は疑わない。それゆえ、これらの紙葉が、なお遠い彼方にあるその目標の達成への一寄与にすぎぬことは、あらためて付言するまでもなかろう。
我々に残されているのは、なお僅かな言葉をもって、我々の天神を次の連関において考察することである。
IX. Varuṇa ―― varena ―― οὐρανός
我々は「varuṇa」という名の意味についての章の初めに、それが Zend の varena と等価であると述べた。いまその主張の証明を行なうことが我々の務めである。
varena は Justi によれば Zendavesta の四箇所に見出され、そのいずれもが顧慮に値する。
Vend. 1, 18 でそれは Ahuramazda によって創られた諸国のうちに挙げられ、それについて次のように言われている。(frāthweresem azem yō ahurō mazdāo:) varenem yim cathru-gaoshem. yahmāi zayata thraētaonō janta azhōish dahākāi(「私、Ahuramazda は創った」)「四角なる Varena を。その益のために Thraētaona が生まれた、Azhi Dahāka を斃す者が。」
ここに我々は太古の見解を有するのであり、その観念はここでは現実の一国へと狭められているが、その契機は天と自然観とに遡らせるべきものである。
まずこの想定を確証するのが cathru-gaosha「四角なる」という添え名である。これは上に挙げた Varuṇa の形容語「cáturanīka」とまったく類似した意味をもち、本来は四つの方位から成り、大地のまわりを巡る高き天空を意味する。
次いで、そしてこれが何よりも重要であるが、Thraētaona と Azhi Dahāka とが国名と最も直接的な結合において挙げられていることである。
Thraētaona は Āthwya の子であり、その名は正確にヴェーダの Āptya に対応する。これは Trita の添え名であり、それによって Trita は雨を垂れこめた天として特徴づけられる。
この Thraētaona に対立するのが蛇の悪魔であり、それは輝ける天を覆い隠し、水の流れ下るのを妨げる。
したがって、Āthwya の子のうちに天の守護者(cf. Ys. IX, 10. 11)をその恵み豊かな諸性質とともに見、四隅をもつ Varena のうちに四方位を伴う天の呼称を見るならば、よく適合する。
さてきわめて注目すべきは、Thraētaona がこの箇所においてのみならず、他の三箇所においても varena とともに言及されていることである。
Yt. 9, 13 を見よ。tãm yazata vīsō puthrō āthwyānōish vīsō sūrayāo thraētaonō upa varenem cathru-gaoshem satem aspanãm hazaṅrem gavãm 等。「彼女(Drvāspā)に供犠したのは Thraētaona、Āthwya の地の、英雄的な地の子であった、四角なる Varena のかたわらで、百の馬と千の牛とをもって」等。
Yt. 15, 23 では彼(Rāma)に供犠したのは……(9, 13 と同様に)……黄金の玉座の上で、等。そして最後に Yt. 5, 33(同様であるが、Ardvīsūra Anāhitā に関わり、また処格 upa varenaēshu cathru-gaoshaēshu を用いる)。
これらすべての箇所は我々に Thraētaona と varena とが最も緊密な結合にあることを示している。そして我々は varena のうちに、ヴェーダの「varuṇa」におけると同じ対象の同じ名を見る権利をもつ。
このことによって、ここから varana ないしそれに類する神の古い崇拝を結論しようというのではない。それについては何の根拠もないからである。あらゆる天の呼称に一般に存する根拠を別とすれば、である。
なおこの際に一点に触れておこう。悪しき霊を指す zd. の名「varenya」である。ここに推測の余地が許されるならば、それは、この語が当初「天なる者たち」の呼称であった、というものである。それはちょうど、パールシーの Dev が本来神々を指したのと同様である。後者がイラン人とインド諸部族との敵対によって悪魔となったのと同じく、「varenya」の呼称もまた同様の事情に基づいて
悪しき霊を指す名へと発展しえたのであろう。
サンスクリットの varuṇya はこれについて何の解明も与えない。それは単に「Varuṇa に属する」を意味するにすぎず、多くの場合 Varuṇa に由来する災厄、あるいは rajju, granthi 等に適用されるからである。
これに対して、正確に一致するギリシア語の οὐράνιοι は、varenya もまたかつて「天なる者たち」を意味したことの証拠であるように私には思われる。――
さて、Varuṇa に名の上で対応する存在の古い崇拝は結論しえないとしても、意味の上で彼に類比的で、しばしば彼のうちへ入り込む存在が古い信仰のうちに位置を占めていたように思われる。私はこの存在の名を asura = ahura という語のうちに見る。そして私は、そのような神が一方では Ahura Mazda へ、他方では名を変えて Varuṇa へと発展したのだと推測する。
Roth は本質的にはいずれにせよ正しい。彼は Pet. Wört. の asura の項でこの語を最高天の呼称と呼び、またそこに支配する霊の呼称と呼び、そのより限定された把握が Varuṇa である(Ahura Mazda がそうであるように)とするのである。
Zendavesta の最高神とヴェーダの古き天神とは、確実に唯一同一の存在の継続・改変・拡張にほかならない。もっともそれを確実に規定することは、イランの信仰の綿密な探究なしには、またかの存在そのものについてのさらなる情報なしには、容易には可能でない。
Spiegel は Ahuramazda と Varuṇa とのあいだにいかなる類似も認めていない。これは Muir(V. 120 頁)から知られるところである。また Windischmann(Zor. Stud. 122)も前者を純粋にイラン的な神とみなす。
しかし、現在の Ahuramazda と、現在ヴェーダに現れる Varuṇa とを問うのと、その由来の痕跡を探るのとは別のことである。パールシーの神が常にそのように形成され明確に性格づけられていたはずはないのだから。
Varuṇa が Āditya の一人であり Ahuramazda が Ameshaspenta の一人であるという事実は、私には僅かな意義しかもたぬように思われる。歴史的な親縁性はまだ十分に証明されておらず、また最も著名な Zend 研究者たちによっても否定されているからである。すなわち、Mithra と Airyaman とが後者の数に含まれていないという一点だけでも、
それに対する明確な反証とみなしてよく、これを解消することは困難である。
より本質的なのは、イランの神が Ahura と呼ばれることである。彼はあるときはこの名で、あるときはその完全な名で、あるときは単に Mazda 等と呼ばれる。そしてこの Ahura に対して、ヴェーダにおける Varuṇa の asura という頻繁な呼称が対応する。
これに対してより大きな注意に値するのは別の二点であり、その一方は Mitra-Varuṇa と Mithra-Ahura という結合に、他方は Ahura と Varuṇa との天に対する位置に存する。
すなわち、我々がヴェーダにおいて Varuṇa と Mitra とをともに見出すのと同じく、Avesta においても同じ Mithra が時に Ahura とともに我々の前に現れる。
かくして Ys. 1, 11 にはこうある。nivaēdhayemi hañkārayemi ahuraēibya mithraēibya berezañbya aēthyejaṅhaēibya ashavanaēibya 等。「私は称号と名をもって呼び求め、数え上げる、Ahura と Mithra、かの高き、永遠の、聖なる両者を」等。同じくそう呼ばれるのが Ys. 2, 11 であり、また Yt. 10, 113 および 145 でも両者はともに言及されている。
さて Mitra = Mithra であったのだから、Varuṇa ないし ahura との緊密な結合は、この両者もまた(本質の上で)かつて同一であったという結論を許す。
これに確証的に加わるのが第二の点である。我々は上に、広き天空を Varuṇa の身体、口、あるいは体躯として見た。我々は V. が黄金の胸当を身につけ、あるいは衣のごとくに一切の上に身を横たえるのを見た。
まったく類似した見解を、天と Mazda について我々に示すのが Fravardīn Yesht 2. 3 である。āoṅhãm (fravashinãm) raya qarenaṅhaca vīdhāraem zarathushtra aom asmanem yō usca raokhshnō fradaresrō yō imãm zãm āca pairica bavāva. 3. mãnayen ahe yatha vish aēm yō hishtaiti mainyutāshtō handarakhtō dūraē-karanō ayaṅhō-kehrpa qaēnahe raocahinō avi thrishva yim mazdāo vaste vaṅhanem stehr-paēsaṅhem mainyu-tāshtem1「Fravashi たちの輝きと美とによって私は天を保つ、おお Z.〔Zarathustra〕よ。かくも美しく輝き、大地に触れ、それを取り巻く天を。3. それは、神によって呼び出されて立つ鳥に似ている。堅固に、広く広がり、青銅の身体をもち、三つの世界において自らの光をもつ
(かく Haug, essays 187)。その天を Ahuramazda は衣のごとくに、すなわち『星をちりばめた、神の織りなせる』衣のごとくに身につける。」
同じ見解を我々は Ys. 30, 5 に見出す。ashem mainyush spenishtō yē khraozhdishtēng asenō vaste:「徳を(選んだのは)繁栄を施す霊であり、その衣は堅固な天である。」
見られるとおり、ここには軽視しえぬ手がかりが存する。そして私は、Zendavesta のさらなる探究、とりわけ Ahuramazda の立ち入った叙述が、なお少なからぬ材料を提供するであろうと考える。
とりわけ、パールシーにおいてもインド人においても、火の祭祀の綿密な取り扱いが大きな意義をもつであろう。Agni の Varuṇa への近しい関係にはすでに注意が促されており、我々はここでいま一度とりわけ、Atharvan と父 Varuṇa とのあいだに上に示された近しい関係を、また論じた讃歌 RV. 10, 124 を指摘しておく。そこで我々は Varuṇa と Agni とを、Ahuramazda と火との関係とまったく類比的な関係において見るのである。
なお、かの Atharvaveda 讃歌(5, 11)の第 1 詩節をも挙げておこう。それは我々に Varuṇa をまったく疑いなく「pitā́ ásuraḥ」としてのみ示している。
さて我々が Varuṇa をこの Asura の継続と呼んだのであるから、後者の性格づけのためになお若干の箇所を挙げよう。
ṚV. 3, 29, 14: ná ní miṣāti surabhír divé-dive yád ásurasya jaṭhárād ájāyata「(Agni は)喜ばしき者は、日ごとにその眼を閉じない、彼が Asura の胎から生まれて以来1。」
10, 124, 3「私は父 Asura に、愛しき者(Agni)を讃える。供犠に属さぬものから、私は供犠に値する部分へと赴く。」
5, 47, 3 … suparṇáḥ pūrvásya yónim pitúr ā́ viveśa / mádhye divó níhitaḥ pṛ́śnir 等。「鳥は古き父の胎に入った。天の中央にまだらなる者が据えられた。」
さらに我々は Asura が、Varuṇa と同じく Indra および Marut たちとの関係に立つのを見る。1, 131, 1: índrāya hí dyaúr ásuro ánamnatendrāya mahī́ pṛthivī́:「Indra の前に天の Asura は身を屈めた、Indra の前に大いなる
大地は〔身を屈めた〕。」
5, 83, 6: árvāṅ eténa stanayitnúnéhy apó niṣiñcánn ásuraḥ pitā́ naḥ /「我らの父 Asura が水を流れさせつつ、この雷とともにこちらへ来たれ。」(Parjanya が彼と同一視されている。)
8, 20, 17 では Marut たちが Asura の子らと呼ばれる。
いずれにせよ、父 Asura が本質的に(おそらく彼にならって名づけられた)Varuṇa と同一であったという想定にとっての主要箇所は、A.V. 5, 11, 1 および ṚV. 10, 124, 1–5 であり続ける。そして、他の研究、とりわけ Zendavesta と火の祭祀のより綿密な探究が我々にこれについていかなるさらなる確証を与えるかは、今後を俟つほかない。――
Varuṇa のさらなる比較をギリシア語の οὐρανός と行なうことができる。
ここでもまた我々は、οὐρανός が最古の時代に崇拝された神であったと主張することを敢えてしない。むしろ我々は、οὐρανός もまた varena とまったく同じく単に天の名であったにすぎず、それを高き力をもつ神へと発展させたのはインド人のみであり、ギリシア人においてそれを自立した神へと形成することは Hesiod に至って初めてなされたように思われる、と考える。というのも、Ilias 15, 36 や Odyssee 5, 184 において天にかけて誓われるとしても、それは天が何か聖なるものとみなされていたことを示しはするが、それ以上のことを何ら証明しないからである。
しかしここでも問題は、οὐρανός が神として崇拝されたか否かを論ずることではない。我々はただ、人が Varuṇa と同じ表象を οὐρανός とも結びつけていたこと、すなわち彼が昼にも夜にも、あるいは雲の衣においても、高き堅固な天であることについて、若干の詩人の箇所を挙げようとするにすぎない。
Varuṇa が不滅にして永遠であるように、οὐρανός についても Ilias XVII, 425 にこうある。σιδήρεος δ' ὀρυμαγδὸς χάλκεον οὐρανὸν ἷκε。Pindar Nem. 6, 5: ὁ δὲ χάλκεος ἀσφαλὲς αἰὲν ἕδος μένει οὐρανός。
Varuṇa が太陽と結ばれ、太陽が蒼穹たる彼の上にその軌道を描くのと同じく、Soph. Ajax 845 にはこうある。ὦ τὸν αἰπὺν οὐρανὸν διφρηλατῶν Ἥλιε。cf. また Odyssee 20, 357。
天には星辰が固定されており、それゆえ天は ἀστερόεις と呼ばれ、それによって夜の天としての Varuṇa に正確に対応する。Ilias 18, 485: ἐν δὲ τὰ τείρεα πάντα, τά τ' οὐρανὸς ἐστεφάνωται, Πληϊάδας θ' Ὑάδας τε 等。同 22, 318。cf. また Hesiod. Theog. 126, 178。
Varuṇa が雲に身を包むように、οὐρανός は Pind. Nem. 3, 16 で πολυνεφέλας と呼ばれる。cf. Odyssee 5, 302:
τὰ δὲ δὴ νῦν πάντα τελεῖται, οἵοισιν νεφέεσσι περιστέφει οὐρανὸν εὐρὺν〔Ζεύς〕。あるいは Ilias 15, 192: Ζεὺς δ' ἔλαχ' οὐρανὸν εὐρὺν ἐν αἰθέρι καὶ νεφέλῃσιν、等々。
これで、たとえその人格化が高きアーリア時代にまで遡らぬにせよ、ギリシア語の「天」が Varuṇa といかに完全に一致するかを示すには十分である。
οὐρανός についてなお述べうることは、ギリシア神話学あるいは比較神話学の領域に属するものとして、ここでは措いておこう。
ただ一点のみこの領域から挙げておく。Uranos が Ἀκμονίδης、すなわち Ἄκμων の子と呼ばれることである(cf. Preller, Griech. Myth. I³, 40)。Ἄκμων はサンスクリットの aśman、Zend の asman と同じ語であり、両者はともに天を意味する。しかもそれは、天が χάλκεος あるいは σιδήρεος と呼ばれるのと同じ理由から、すなわちその揺るぎなさと堅固さのゆえにである。
さて Uranos が Ἄκμων の子であるとすれば、これはまさしく彼の堅固さを示す表現にほかならない。両者はもともと「天」を指す名であって、一方は天を包み込むものとして、他方はそれを堅固なるものとして特徴づけたのである。
おそらく οὐρανός と ἄκμων とはもともと並行して用いられ、やがて人格化されて、単なる呼称から神話的存在が形成されたのであろう。その際、概念のある種の共通性と親縁性が記憶のうちになお残存しており、それが両者をそのような〔父子〕関係に置く契機となったのであろう。
補遺(Nachträge)
14 頁、下から 6 行目:第二の pari を sasvaje と結びつけることに躓きを覚えるならば、「彼は(据えた)あまねく見えるものとして万有を」と訳すべきである。この箇所の我々の目的にとっての意義はそれによって変わらない。
18 頁、註 \*:Ludwig は「三たび刃が当たり、四たび恐るべき刃が〔当たる〕」と訳す。私はこの推測訂正が多分に魅力的であることを認める。しかしその後に来る asrim から asriḥ へのさらなる推測訂正は懸念を呼び起こす。さらにそれには caturasri を catur asri へ分解することが続く。これは、一箇所における推測訂正として許される以上に多いと私には思われる。しかし ἅπαξ λεγόμενα はヴェーダにおいてそれほど稀ではなく、おそらく当該の語は方言的用法に遡るのであろう。私はまだ決しかねるが、この周到な研究者の熟慮された推測訂正をここに追記しておくことが必要と考えた。
23 頁、20 行目以下:RV. 8, 41, 10 は、Taitt. Saṃh. 3, 2, 2, 1 を顧慮するならば、「黒きものと白きものとを覆いとして秩序に従って創った者」と訳すこともできよう。そこでは「ékaḥ keśī́」が太陽神である。
27 頁、上から 12 行目:Stenzler 教授が、註解は jaṭharā́ を(対格複数ではなく)処格単数と解し、「(交互に)こちらへ向かう」と訳している、とご教示くださった。
40 頁、13 行目について:私には「aṅhura」が太陽であり、彼が到達する七つの方位の一つが天であるように思われる。「苦しめられた」あるいは「不幸な」と呼ばれるのは、それが生まれるや否や繰り返し死なねばならぬからである。それゆえ、40 頁の註 2 に述べたように、aṅhura は実際におそらく Aditi の第八子 Mārtāṇḍa――彼らのうち唯一、把握しうる姿をもつ者。他の者たちはそこでは一般に光の存在である――と同一である。
それゆえ私は、「Ueber die Göttin Aditi」30 頁に述べたこの奇異な現象についての私の見解が、上述の意味で訂正されるべきではないか、疑わしく思うに至った。
56 頁:祭儀の叙述は完全性を主張するものではない。そこで問題としたのはこの章の特殊な目的のみである。
72 頁:RV. 4, 42, 1 はおそらく Ludwig とともに次のように訳すほうがよい。「我が、王たる者の王国は太古よりのものである。それゆえ、生きとし生けるものすべての上に立つ我に、不死なる者たちすべてが従属する。」
76 頁、第 17 詩節:我々はおそらく kṣadase を yatáḥ と結びつけるほうが正しい。Ludwig もそうする。
102 頁:ṚV. 6, 68, 3 の「vṛjáneṣu vípraḥ」は、次のようにも理解しうる。すなわち、Varuṇa は「vipra」賢者として戦いに際して助言を与え、他方 Indra は雷杵をもって戦う力ある者として力を与える、と。その場合 vṛjáneṣu は戦いの労苦に関わることになろう。
115 頁:ṚV. 1, 14, 10 の「dhā́mabhiḥ」を「群」と訳して斥候に関係づけることは、「Mitra の dhāman とともに Soma を飲め」という呼びかけからしてすでに許されない。この斥候たちが Soma を飲むことは、私の知る限り祭式にはまったく無縁であるのに対し、Ṛtu たちは祭式においてきわめて頻繁に挙げられているからである。
133 頁、下から 14 行目:「身体を照らしつつ」すなわち、Mithra の身体である太陽が〔照らす〕、したがって結局は Mithra 自身が輝くのである。
140 頁:ṚV. 7, 61, 3 において私は pṛthivyā́ḥ を属格 uróḥ に依存するものと解する。
142 頁:Mitra-Varuṇa の定めが倫理的なものとなる道筋は容易に見て取れる。Mitra-Varuṇa はまさしく光の神々であり、したがって彼らの定めは当然、光の道の上を歩むことをも指示するのである。
Vāj. あるいは Taitt. Saṃh. とあるところは、むろんいずれも Vāj. あるいは Taitt. Saṃh. と読むべきである。ṚV. 1, 25, 3 は 1, 25, 13 と〔読むべきである〕。80 頁、〔以下、OCR ではこの正誤表の残余が判読不能。原本での確認を要する〕
〔奥付〕Druck von Robert Nischkowsky in Breslau.〔ブレスラウ、Robert Nischkowsky 印刷〕