Brāhmaṇa 諸テキストの世界観:前科学的学問
目次
凡例
テキスト引用中の略号(たとえば AB. = Aitareya Brāhmaṇa、BĀU = Bṛhad Āraṇyaka Upaniṣad)は、通じている者には容易に理解できよう。ここでは ŚB. = Śatapatha Brāhmaṇa、K. = Kāṭhaka を挙げておく。KU. は Kaṭha Upaniṣad であり、Kauṣ. Up. = Kauṣītaki Upaniṣad と区別される。
序説Brāhmaṇa 諸テキストの前科学的な供犠の学/Brāhmaṇa 的思考と通俗的思考/史料群
Veda の研究には、まず第一に目に飛び込んでくるもの、すなわち veda 的信仰の神々と祭祀とに、あまりにも一面的に目を向けてしまうという誘惑がつきまとう。しかしわれわれは、存在と生起についての一般的な諸観念もまた、Veda 諸テキストのうちに反映する歴史をもっているという事実を、看過してはならない。高き古代の自生的な諸観念は、祭官による加工、様式化、さらなる発展にゆだねられる。そうして生じてくるのが、ひとりインドにのみ現れるのではなく、まったくもって典型的な形成物であって、これを人は前科学的学問、あるいはまた前哲学的哲学と名づけることができる。それらは混沌としたものでありながら、しかも混沌を克服する素質を自らのうちに担う思想と着想であり、当時はなお全く未発達であった個々の思想家の個性に応じてほとんど分化していないが、だからといって決してそれ自体において完全に一様なのではなく、ここではなお全く原始的であり、かしこでは一定の洗練の萌芽を示しており、半ばは宗教的に拘束され、半ばはこの拘束から自らを解き放ちつつある。哲学が最終的にそこから生い育つ、あるいは生い育ちうる、まさにそうしたものがこれらなのである。
私の見るかぎり、思考の発展におけるこの段階が、古代インドにおけるほど豊富な文献的記念碑を残した場所は、ほかにはない。他の多くの場所では、ここで問題としている思想の総体は、持続的な固定化をまったく与えられなかったか、あるいは不完全にしか与えられなかった。短期間その地位を保ちえたものも、やがて克服されたものとして脇へ投げ捨てられてしまったのである。インドにおいては、傑出して強力な、文献的に訓練された祭官階層の持続的な活動が働いていた。この活動が、当該の思弁――そこでこの階層は自らの最も固有の本質を語り出し、自らの関心を力強く貫徹させたのである――に確固たる形態を与えた。とりわけ「Brāhmaṇa」諸テキスト、すなわち
供犠の祭式を説明するための浩瀚な論述において、そうであった。1
これらのテキストは Veda の正典的な根本テキストに緊密に結びつけられ、早い時期からその権威に与ることとなり、学習熱心な諸学派が用いうる確実な伝承技術の助けによって、さらに発展を続ける思考がとうの昔に別の道を歩み出したのちにもなお、滅亡から守られたのである。実際、そうした諸圏のうちにあっても、確信をもって、またときには好古的知識への偏愛から、古きものに固執する者たちが欠けていたわけではない。そして新たに加わってきた思想の形成物のうちには、その代表者たちが矛盾を巧みに橋渡しすることよりも古きものとの断絶を選んだであろうほどに強力で非妥協的なものは、決して多くはなかった。かくして次のようなことが起こりえた。すなわち、より若くより成熟した Buddhism の文献的所産が、その信仰そのものとともにインドからほとんど跡形もなく吹き払われてしまったのに対し、かの思弁のテキスト、とりわけまさに「Brāhmaṇa」は、多くの学派の数多の校訂本のうちに保存されたのである。
文化史の考察者は、自らの作業の材料を、事の成り行きが彼の手に与えるままに受け取らねばならない。もっとも彼が選ぶことを許されたとして、地上に存在したこの種の思弁の集積のうちどれにこの実に完全な保存を恵んでやりたいかと問われるならば、彼がまさにこれを選ぶかどうかは、おそらく疑わしいであろう。というのも、こうした思考ないし空想から真の学問への発展が最も力強く最も精妙に成し遂げられ、それゆえ最も深く見通しうるようになったのは、インドではないからである。現実のものの観察、吟味、健全な懐疑は、ここではほとんど根づいていなかった。カーストの閉鎖性、自己神格化にまで高められたその自己確信は、brahman 的な教師たちをして、古い不条理を新たなよりバロック的な不条理によって凌駕することにおいて、飽くことなく、また揺らぐことなく競い合わせたのである。私の思い違いでなければ、Brāhmaṇa 諸テキストは研究されるに値するが、ただし医師が狂人の戯言を研究するのと同じ意味においてである、とかつて述べたのは Max Müller である。実際私は、ここで読者の忍耐が、われわれにとってかくも縁遠く、かつ倒錯的で卑小に見える大量の
観念や議論を前にして、真剣な試練にさらされるということを自覚している。このことには、かのインドに特有の諸契機とならんで、ここで考察の対象となっている領域が、他の諸領域のあいだにあって、とりわけ不利な中間的位置を占めているという事情もまた寄与しているであろう。ここではもはや、最も原始的な思考のもつ、その流儀において強制的な論理が支配してはおらず、他方ではまだ、哲学的な思想芸術のもつ光に満ちた自由も支配してはいない。そして古き信仰の生き生きとした偉大な神々からは背を向けているが、しかしまだ、のちに Upaniṣad 群において、さらにそののちに、思考と心の生活とを支配するにいたるはずの諸力の静かな栄光は発見されていない。かくして人はここで、まさしく高みと高みとのあいだの深い低地に身を置いているのである。しかしながら、この「もはや……ならず」と「いまだ……ならず」の領域においてこそ、ある一つの言語が語られているのであり、その言語には、こう言うことが許されるならば、文法のようなものが全く欠けているわけではないのである。人間の思考を、それほど恵まれていない区間においてもなお伴走するに値すると考える者は、この文法を尋ね求めようとする衝動を感じるであろう。それが成功するかぎりにおいてこの文法の一部を作り上げること、それとならんで――この比喩にとどまるならば――それに属する辞書のいくつかの部分を作り上げること、そしてかくして、思考のこうした領域にも結局は存在する法則性を探り出すこと、それこそがここで試みられるべきことなのである。1
われわれが相手にしている段階においてどこでもそうであるように、インドにおいても、ここで問題としている時代の思考が、事物の像をそれ自体のために、見ることと理解することの純粋な喜びから描き出そうと努めることは、ほとんどない。そのような喜びは、より手に触れうる動機のあいだで、またそれらとの混合のなかから、ゆっくりとしか発展しえない。さしあたり世界考察は、なおまったく圧倒的に、日々の生活が思考する者に課する諸課題に依拠している。この思考する者たちは、個々人としては互いにほとんど区別されないが、すでに強調したように、祭官であり、一つのカーストへと結束した祭官階層の成員であり、依頼者にして
報酬の与え手――彼らはその顧客に依存している――のために供犠を執行する職業的な執行者である。1
かくして彼らの思考はまったくもって祭官的なものである。その直接の対象は、存在の構造でもなければ、生起の秩序でもない。むしろそれは、自らの営みのかの大いなる主要内容、自らの存在の基盤、すなわち供犠なのである。供犠を理解するために、人は自らの手もとにある、存在と生起についてのいわば空中に漂っている自生的な諸観念を援用し、それを自分なりにさらに形成してゆく。供犠の無数の、しばしば無意味に見える所作において、また錯綜し奇妙に構成された供犠の連禱において、人は bandhu(文字どおりには「結合」)について、すなわちすべてのものの意味と目的、その秘められた作用について、明らかにすることを学ぶ。2 供犠者が扱う祭具、彼が唱える供犠詩節の言葉は、これこれの隠された超地上的な存在者を意味し、またそれ自体それであって、彼はそれによってその存在者と結合に入り、それを自らのものとして獲得する。彼が朗誦する讃歌の韻律のうちに、歌唱の技術的な特性のうちに、これこれの諸力が宿っている。そのような考察をもって、人は一歩また一歩と、果てしない道を歩みながら供犠の個々の過程を、それに属する典礼の構成要素を追跡し、それらを一つまた一つと説明してゆく。この作業のうちで、やがて能力が育ってくる。考察はさらに大きく振りかぶる。いまや人はより自由に、より昂揚して、より強い概観能力をもって、儀礼をすべての細部を包括する一つの全体として眺め始める。3 かの全体を解釈しようと試みるにあたって、人は
より包括的に世界の存在を概観し、その諸要素を相互の秩序のうちに置くよう促されていることに気づく。かくして最終的に、なお残されている一歩が準備される――文献史的に表現すれば、Brāhmaṇa から Upaniṣad への一歩である。すなわち、世界と自我との考察へと導いたその供犠そのものが、いまやもちろん闘争なしにではないが、背後へと退き、あるいは視野から消え去り、そしてますます独立に営まれる考察のうちで、供犠によっては満たされえない理解と内的生活の新たな諸欲求が、その充足を求めるようになるのである。
Brāhmaṇa 諸テキストにおいて本領を発揮するかの問い、すなわち儀礼と連禱の作用についての問いは、当然ながらまず第一に、この作用が事実として現に存在すること、それがまさに、そのためにこそ人が聖なる業の労苦を引き受け、危険に満ちた「供犠の荒野」に身を投じたところのものであることを確認するために、提起される。そして最後には、かの作用が、競争相手たちの逸脱した道においてよりも、自らの道においてこそより確実に達成されるということについて確信を得るために、提起されるのである。しかし人が手に入れる知は、儀礼に内在する諸力を確認するだけではなく、知る者に有利なようにそうした力を創り出し、増大させもする。ある出来事の模像が「共感呪術」によってその出来事そのものを呼び起こすように、ある出来事についての知、すなわちその精神的な模像もまた、その出来事そのものと呪術的に結びついている。すなわち知る者は、まさに彼が知るということによって――彼が知る者として巧みにかつ正しく行為するからではなく、これら職業的な知者たちによって限りなく高く評価された知そのものの力によって――彼によって知られた存在ないし生起に対する力を示すことになるのである。この、祭祀的目的と結びつき呪術的観念に絡めとられた知への希求が、知そのもののための知を求める純粋な学問の希求からいかに遠く隔たっているかは、明らかである。しかし他方ではまた、それにもかかわらず、ここでともかくもある種の原始的な学問性の雰囲気、すなわち与えられたものの背後に横たわる何ものかへの計画的な侵入、なぜかを求める探究、賛否を論ずる議論の雰囲気が形成されていたということが、いかなる意義をもたざるをえなかったかも、同様に明らかである。
ところで、Brāhmaṇa の時代においていま述べたような傾向がいかに支配的であったにせよ、この時代から、いやさらに遠い過去から、
供犠の関心から独立に、どうやら事物をそれ自体のために注視する省察の記念碑もまた、ここかしこに保存されているということを、見落としてはならない。ある Veda テキストが宝石細工師を優美さに、陶工を熱に、そして問う者を学習意欲に捧げているのは、無駄なことではないのである(Vs. XXX, 10)。ある種の Rigveda の詩作について語らずにおくとしても、そのような問う者たちとその問いへの意欲の存在を証しているのは、Atharvaveda の諸讃歌、たとえば人間の驚くべき構造と本質について語るあの歌(X, 2)である。誰によって彼の肉は調えられたのか、誰によって巧みな指は。誰がそれを知るのか。誰が彼に両腕を装備させ、そして言ったのか、彼は力強い行いを成し遂げるべしと。多くの快きものと快からぬもの、喜びと歓喜、力強い人間はそれらをどこから得てくるのか。誰が彼のうちに種子を置き、そして言ったのか、種族を存続させよと。誰が彼に知恵を与えたのか、誰が音楽と舞踏を。そしてこうした問いへの答えは。brahman こそがそのすべてを創造し秩序づけたのである――brahman が彼のために年を測り出し、天と地をそれぞれの位置に据えたのである。新鮮な驚嘆と讃嘆に満ちた古代インド的な対応物――もっとも造形においては劣り、深さにおいても劣るが――、かのギリシアの歌の対応物である。曰く、驚くべきものは多くあるが、人間よりも驚くべきものはない、と。このような詩においてもまた、われわれには見えない実践的・儀礼的目的が結局は絡んでいる可能性は、たしかに排除されない。1 しかし私はそれをありそうなこととは考えない。私が信ずるところでは、ここでその充足を求めているのは実際に理念的な関心であり、具体的な欲求から独立に、ひとえに知の幸福、秘密を制圧することの幸福のうちにその満足を見いだす希求なのである。
存在と生起についてのかの諸観念、すなわち知者のカーストがそのうちに生きていた諸観念のすべてが、どこまでその時代の民衆的な思想世界と重なり合っていたかと問うならば、この問いへの答えが肯定的な側面と否定的な側面の双方をもつであろうことは、おのずから理解される。儀礼的・神学的な学問においては、不可避的に、一定の諸要素、一定の観念のあり方、これらの諸要素の
一定の結合の仕方の上に、一面的で最も強い強調が置かれる。それはまさに、かの職業的な関心領域が、その傾向と伝統をもって対応するところのものである。しかし、そこでそうした特別な加工にゆだねられるものは、それ自体としては、やはりその時代に一般的に固有な精神的所有以外の何ものでもない。この所有に対して、人はたいていの箇所において――その神秘的な排他性のうちに人が好んで耽溺するあらゆる秘密の教説にもかかわらず――内的に真に新しいものを何一つ、あるいはほとんど付け加えない。人はかの所有を拡張するというよりは、むしろ一定の特徴を極端にまで高め、一定のモチーフを際限なく反復し、一定の点において不釣り合いな量の着想や観念のアラベスクを蓄積するのである。十全な意味での、大様式における真の新創造が現れるのは、ようやく Upaniṣad の汎神論的思弁においてである。
かくして人は、Brāhmaṇa 諸テキストの学問を、当時実際に生きていた世界観の歪像と呼んでもよいであろう。しかし歪像を通してなお像そのものが透けて見えるのである。そしてわれわれに歪曲として現れるもの、それこそはまさに、前科学的学問がその流儀で、自らの手もとにある手段をもって、かの像に対して加える加工、歴史的必然性に従って加えざるをえない加工なのである。
ここでなお注意しておくべきは、以下の叙述は主として Brāhmaṇa 諸テキストに基づくものではあるが、しかし完全な厳密さをもってこれらに限定されることは許されない、ということである。より古いものもより新しいものも、探究に対する不必要かつ痛切な損害なしには、完全に排除することはできない。より古いものというとき、私が考えているのは Veda 文献の最も古い記念碑たる Rigveda ではない。それはここで考察されるべき諸発展よりも時期的にはるかに先行している。むしろとりわけ、供犠の祭式に属する Yajurveda 諸派の詩節集・呪句集である。また Atharvaveda のテキスト――主として呪術テキストであるが――も、その一部は確実に Brāhmaṇa の時代にまで及んでおり、他の一部はいま述べた yajurveda 的な集成とおよそ同時代のものであろうが、それらは事物の運行とそこに働く諸力についての諸観念について、Brāhmaṇa の証言を補完し生気づける内容豊かな言明を少なからず提供している。1 他方より新しいものとしては、Upaniṣad が考慮に値する。もっとも Upaniṣad にとって特徴的なのは……
……〔前頁より続く〕……的な、思弁の重要な諸展開は、本書の叙述からは除外されている。しかしながら、Brāhmaṇa 群の諸表象、諸表象系列、言い回しが、Upaniṣad 群においてより完全な形で、あるいはより明瞭な形で回帰することはしばしばあり、そうして後者から前者へと光が投げ返される。もちろん、より古い諸テキストとより新しい諸テキストとのあいだで、当該の諸要素の意味と本質とが変化してしまっている可能性は、看過されてはならない。しかしまた同様に、多くの貴重な解明をもたらす証言を、いったん自ら引いてしまった年代的境界線の硬直した適用によって、単純に脇へ押しやってしまうことも許されないのである。
我々はまず、世界における生起がそのもとで演じられるところの存在者たちについての Brāhmaṇa 群の諸表象を取り扱い、次いで、この生起そのものの諸連関、諸法則――あるいは諸無法則――を取り扱う。さらに、価値の領域について、善と悪について語られ、最後に、Brāhmaṇa 群において現れてくる思考の技法について語られることになろう。
第一部神々と実体
神々。 世界の存在のうちに働く諸力についての考察は、神々から、とりわけ rigveda 的讃歌と供犠との古い神々から出発するのがよかろう。この時代において、彼らからは何が生じたのであろうか。1
まぎれもないのは、これらの神々へと向けられていた宗教的関心の著しい減退である。
そしてそれはまた十分に理解しうることでもある。
Indra、Varuṇa、Aśvin は、その姿を万人の意識のうちに目に見え手に触れうるものとして保持しつづけるような、可塑的な形象化を欠いていた。彼らは記念碑的な神殿のうちに家長として君臨することがなかったのと同様に、インドの外の Re、Marduk、Jahve とは異なって、インドに現に存在した国民的・歴史的生の諸制度および諸記憶との解きがたい織り合わせをも欠いていたのである。Indra にとっては、黒い肌をした、神なき者どもの砦を打ち砕くべき仕事は、とうに存在しなくなっていた。そしてそれは社会組織のうちにも根ざしていた。すなわち、伝来の信仰を単純に忠実に保持することへと最も強く傾いていた非祭官的な崇拝者たちは、神への人格的な関係から、ひとりそれに与る資格をもつカースト、祭官のカーストによって押しのけられていたのである。
しかし祭官自身は――その気まぐれな思考世界のうちにこそ神はその存在の基盤をもち、その移ろいやすい気分と思いつきとに神は抵抗するすべもなく委ねられていたのだが――どうであったか。
我々の資料が我々に教えるかぎりでの祭官とは、世俗の権力者たちとの交渉において、小さな手段によって小さな利益を追求することに慣れ、些細な関心と感情とに動かされる者であった。彼には、神への関係に広さと深さとを与え、またそれを保たせうるような運命的経験が欠けていた。彼にとって決定的な体験とは、祭官としての技芸の遂行によって獲得することを心得ていた、驚嘆され報酬を得るということであった。彼が自らの本質の諸特徴、自らの存在の基調を神々にも分け与えるということは、避けがたいことであった。そして、自らの秘められた、特権的な知と能力との自負のうちに、彼はますます神々の僕から神々の主人へと自らを仕立て上げ、神々の決断と行為とについての自由な処分権をますます余すところなく自らのもとへと引き寄せていった。享受されていた安楽な平穏は、そのような廃位に対する Indra や Varuṇa の抵抗を感じさせることもなく、また、あまりに巨大なるもの、崇高なるものの威厳の前での戦慄を、詩篇作者が神の決断を「朝の見張りから次の朝の見張りまで待ち望む」ときのごとき憂いに満ちた緊張を、測りがたい神的な知恵と恩寵とへの帰依を、生き生きと保つこともできなかった。祭官はてきぱきと自らの所作を行い、あれこれの祭具に「Aśvin の腕をもって、Pūṣan の手をもって」手を伸ばした。神的な身体の四肢は、まったく彼の自由になるものであり、彼の四肢であった。そこには距離の感情というものがなかった。後に仏教において聖なる比丘がいわゆる神々のはるか名状しがたく高みに立つとすれば、そのことはすでにこの時期に準備されているのである。「二種類の神々が存在する。神々は神々であり、そして学識ある、veda に通じたbrāhmaṇa たち、それが人間なる神々である」(SB. II, 2, 2, 6)。第二の種類の神々のほうが、多くの点でより重要な神々であった。
さて、意志と感情との領域における右に述べた諸過程に、思考の領域におけるそれが結びついて、これもまた古い神々の妥当性を引き下げることとなった。
これらの神々を高揚した調子で讃美するという営みを生き尽くし、使い果たしてしまった詩人たちに代わって、いまや思索者たちが、居心地悪げに、批判的に身動きしはじめたのである。すでに rigveda の時代に疑念が頭をもたげていた。「Indra など存在しない、と多くの者は言う。いったい誰が彼を見たのか。我々は誰を讃えるべきなのか」(VIII, 100, 3)。そして atharvaveda(XI, 2, 28)は「神々は存在すると信じる者」について語り、それによって
不信の存在をもまた証示している。神的存在の否定が当面はなお遠く貫徹しなかったこと、それは理解しうることである。伝来の諸表象はやはりあまりに堅く根を下ろしており、また祭官の身分的利益にとってあまりに手放しがたいものであった。しかし変形は生じつつあった。新形成が古きものを覆って生い茂り、Indra の大蛇に対する勝利といったあの奇怪な形象を背景へと押しやっていった。
まず「神々の上にある唯一なる神」を問う声が高くなった。rigveda の最も新しい時代に属する讃歌(X, 121)は、その歌が語るところによれば、詩節ごとに反復句へと帰着していく。「我々が供犠をもって仕えるべきその神は、誰であるのか。」ここに現れているのは、この時代において作用しつづけていた思考の動機の一つであり、Indra や Varuṇa に捧げられた歌のほうこそが、古い、力を失った潮流の余波にすぎないのである。かの反復句は特徴的である。供犠こそが――そこに祭官と祭官的利害とが存する――確固たる点なのであって、供犠はいかなる場合にも行われねばならない。誰がその神であるのか、誰に供犠すべきなのかという問いは開かれたままである。新しい唯一なる神、Prajāpati について――その名によってやがてかの問いに答えようと試みられ、その影のごとき人格性については後に語られることになるが――は後述する。
この、神的なるものの統一へと向けられた思考運動と並んで、さらにもう一つの、これもまた古い信仰表象の稚拙さを越え出ようとする運動が現れた。それは、少なくとも当初においては、より強力なものであるように見える。
我々はすでにその問いに出会った。いったい誰が Indra を見たのか、と。かくして、その大部分が見られることのなく、体験されることのなかった rigveda のあの天上の権力者たちを押しのけて――もちろん Agni すなわち火や、いくつかの他のものは除外されねばならないが――、生身の可視性と手に触れうることとによって、その存在をあらゆる瞬間に反駁の余地なく証明するような存在者たちが、ますます前景へと出てくることになった。そこにあったのは自然の諸力であり、人間的人格性の諸力であった。祭官たちの視野のうちには、供犠あるいは呪術の諸要因もまたそれと一線を画して並んでいた。さらにそこに加わったのが、繰り返し体験される事物の運行を、具体的なるものに近い直観性のうちに表現する抽象概念であった。最古の讃歌集成たる rigveda の代わりに、より新しい veda 諸文献が描き出すところの、詳細に仕上げられ、確固と固定された供犠の像を考察するならば、我々はこの種の絶えざる前進に出会うのであって、そこでは古い粗野な人間形態論的な
rigveda 神話の名称の代わりに、より啓蒙的な、現実により近い思考の一定の傾向が現れてくるのである。soma 供犠に属するいくつかの定型句がそのことを例示しうるであろう。soma を車から降ろすとき、人はそれに向かってこう言う。「心のために、息のために、天のために、太陽のために汝を〔降ろす〕……汝は被造物たちのもとへと降り来たれ、被造物たちが汝のもとへと昇り来たらんことを」(Caland-Henry, L'Agniṣṭoma 128 f.)。これは、あたかも soma を運ぶ鷲やそれを見張る Gandharva について、その陶酔のうちに大蛇を打ち倒す神について語るのが古い時代の流儀であったのと同じような、一つの新しい語り方である。詠唱ないし連禱の後には、それらすべての詠唱に呼びかけが続く。「讃えられし者よ、汝は讃えられし者である。滋養の力を我がために搾り出せ。我のもとに讃えられし者らが来たらんことを。連禱よ、汝は連禱である。滋養の力を我がために連禱より搾り出せ。我のもとに連禱が来たらんことを」(Cal. Henry 180. 233)。祭官が一定の soma の杯を手に取るとき――「言葉の守護者よ、我が言葉を守れ。言葉は息とともに我を呼び招いた。言葉は息とともに我を呼び招かんことを。呼び招かれしは神的な諸様態、身体の身体保護者たち、苦行より生まれし者たちである。神的な諸様態、身体の身体保護者たち、苦行より生まれし者たちが我を呼び招かんことを」(同 213)1。ここに示されているのは、それ自体としては太古の供犠に対する、より新しい典礼的付加物のうちに呼び起こされた諸力の、この変化した、合理的な性格である。同じ変化はまた、きわめて明瞭な形で――いましがた観察されたことの確証として――
――祭式芸術のいくつかの創造物にも現れており、それらはまったくもってより新しい由来のものである。たとえば、最高度の典礼的荘厳をもって整えられた火の祭壇の複雑な積み上げ(agnicayana)1 においてそうである。もちろん古い神々がここで単純に顧みられぬままに置かれているわけではないことは、おのずと明らかである。しかし主たる重点はやはり、かの祭壇構築において積み上げられる焼成煉瓦が、非人格的な、あるいはなかば人格的な、宇宙的、身体的、精神的、祭祀的な諸力を体現するという点に置かれている。すなわち、季節、天の方位、呼吸、韻律であって、これらすべてが儀礼の目的に奉仕させられることがここでの主たる事柄なのである。
これによって明らかとなるのは、ここに一つの新しい思考の方向が、先に強調した他の諸影響と一緒になって、古い神々の世界の引き下げ、その衰退へと作用しているということである。この新しい方向は、祭官的思考が幅広い道を切り開くのを助け、そのようにして祭官的思考は、優越した賢明な知の意識に満たされて、いまや支配権を得た世界の諸力の働きを、より大きな確信をもって指導することに着手するのであり、そのようなことは古い気まぐれな Indra のごとき神に対しては考えられなかったことなのである。
さて、祭官的な思考と行為とのそのような新しいあり方に対して、いまや古い神々にはいかなる役割が残されるのであろうか。彼らは生きた潮流からますます外れていったとはいえ、しかし、先に述べたように、伝来の祭祀のうちにあまりに堅く根を下ろしていたために、単純に消滅してしまうことはできず、したがってともかくも死ぬことなく生きねばならなかったのである。
答えは間近にある。彼らの本質の古い非合理的な諸特徴が弱まり、あるいは失われるにつれて、神々は、その働きの計算可能性という類型に関するかぎりにおいて、かの世界の諸力と等しくなった――少なくとも、祭官がこの働きに関心を寄せ、それを自らの側へと導いていったかぎりにおいては。しかしまた第二の可能性も存在した。神々はまさしくかの諸力と融合し、それらへと解釈し直されたのである。
いましがた述べた過程のうち第一のものについては、後により詳しく語られることになろう。そこでは世界を導く諸因果性の考察において、神的な因果性と供犠の因果性とが描き出されることになる。そこでは、神がしばしば自由に恩寵を働かせ、あるいは怒りを働かせる能力を奪われているのに対し、供犠、祭祀的定型句の作用がいかにして、なんらかの実体に対する機械的な作用として現れてくるかが示されねばならない。
しかしとりわけ――第二に――、祭官的な空想のうちに支配的であった、世界に働きかけるかの存在者たちあるいは抽象概念についての表象は、神々に対して次のような帰結をもたらした。すなわち、この時代の合理主義的傾向のただなかにあってなお存在の権利を保ちつづけるために、神々はこれらの存在者たちと自らを同一視し、自らをそれらの現象形態として、あるいはそれらの名称として表すようになったのである。ここに触れられた技法、Brāhmaṇa 群に広く行き渡り、それらにとってとりわけ特徴的な同一視の技法については、我々は後に立ち返って詳しく論ずることになろう。さしあたりは、数え切れないほどの同一視の実例のうちから、いま問題としている諸連関に属するものをごくわずかだけ挙げておこう。
「神々は皆 Agni である。Viṣṇu は供犠である。Sarasvatī は言葉である。Bṛhaspati は brahman である」(K. X, 1, p. 124, 14 f.)。実際には Bṛhaspati は元来、その名(= brahmaṇaspati)が語るとおり、brahman の主、すなわち聖なる定型句の、そしてさらにはそのうちに宿る流動体たる呪術的な聖性の主である。いまや brahman の人格的な支配者は brahman そのものへと変じるのである。「Vasu たちとは誰か。Agni と大地、Vāyu と大気、Āditya(太陽)と天、そして月と星々である。これらが Vasu たちである。というのも、これらのうちに存在するすべてのものが住まう(vāsayante)からである……それゆえに彼らは Vasu たちなのである。Rudra たちとは誰か。人間のうちなるこれら十の呼吸の力、そして第十一のものとしての自己である。それらがこの死すべき身体から出て行くとき、それらは泣くこと(rud-)を引き起こす……それゆえに彼らは Rudra たちなのである。Āditya たちとは誰か。年の十二の月である。それらが Āditya たちである。というのも、それらは進み行きつつ、存在するすべてのものを取り込む(ādadānā yanti)からである……それゆえにそれらは Āditya たちなのである。誰が Indra であるか。誰が Prajāpati であるか。雷が Indra であり、供犠が Prajāpati である」(SB. XI, 6, 3, 6–9)。かくして神々はいまや二重の姿において現れる。Viṣṇu はここでは、かの三つの巨大な歩みを行った神としては現れない。しかし絶えず繰り返されるのは、Viṣṇu は供犠であるということである1。
……そこに何らの矛盾も感じないという構想力の能力については、後の箇所で立ち返らねばならない。ここではなお、神々が世界生活のうちで作用する諸実体と混じり合おうとする傾向が、別の仕方でも見て取れることを指摘しておかねばならない。すなわち、次のような列挙においてである——類似のものはしばしば見出される。soma 供犠の個々の段階が、あるところで(SB. XII, 1, 3)一連の神格へ捧げられる供犠行為として記述されている。Agni と Viṣṇu のため、Aditi のため、等々。そこには、いま挙げたような古い人格的な神々、あるいは Indra, Mitra, Varuṇa が、他方では年、季節、天の諸方位と入り混じって現れる。これらの存在者は、ここでも、また他の多くの箇所でも1、Agni や Indra とまったく同様に、端的に「神格」と呼ばれている。Empedokles が神々を元素として解したのと似た、思考様式の移動である。
これらの現象のうちに露呈している、古い神々のこの同じ衰弱化は、さらに個々の神的個性のある種の色褪せとしても現れる。大多数の神々に古来そなわっていた自然的意味——もっとも、いくつかの神においてはすでに Rigveda の時代に消滅ないし著しく弱化していたのだが——から、彼らはいまや再び、感じ取れるほどの一歩をさらに遠ざかった。そして、より古い時代には、自然との連関の喪失にはそれ以外の性格、たとえば倫理的ないし社会的な性格のより強い形成が対応するのが常であった(Varuṇa はもはや、おそらく先史時代にそうであったような月ではないが、法の守護者である。Indra はもはや雷雨をもたらす者ではないが、勝利する闘士である)のに対して、いまや通例2そうした代償は生じない。いまや個々の神は、まったく単純に他の神々のうちの一柱の神であること、神々の家族の一員であって、他の神々と共同でその本性を営み、他のどの神ともまったく同様に、たまたま分配されることになった善きものや快適なものへの自らの要求を主張する、という状態へと近づいてゆく3。それでもなお区別
する徴表としてあれこれの神に付与されるものも、しばしばまさしく、古い神々を、いまや真に規準的なものとなった諸力、世界を貫いて働く諸実体の図式のうちへ編入することにのみ基づいている。Brāhmaṇa 文献にとって、Agni, Indra,「全神格」の本性において、次のことほど強く前面に出る特徴はほとんどない。すなわち、第一の者が数「八」と、brahman 階級と、春と結びつけられ、第二の者が数「十一」と、戦士階級と、夏と、第三の者たちが数「十二」と、vaiśya たちと、雨季と結びつけられているということである1。これによって、これらの神々を確実な因子として祭官的呪術の計算問題のうちへ導入するための、きわめて多様な手がかりが与えられるのである。これらすべてと連関しているのが、神々がいまやとりわけ好んで体系的な群として登場するということでもある——もっともその萌芽はすでに最古の讃歌詩のうちにも存在する——。そこでもまた、本来いわば通約不可能な個性が図式によって合理化される。たとえば神々が Vasu, Rudra, Āditya の三階級に配分され、さらにこれが先に述べた呪術的な数「八」「十一」「十二」に、またそれらと相属する諸階級・諸季節等々に対応させられる、というように。ここではさらに、Āditya の群と Aṅgiras の群という二つの群がしばしば対置され、たがいに競い合いながら天界を目指す、というありようを想起しておこう。Rigveda の観念によれば、これらの存在者の階級はたがいに何の関わりもない。Āditya は天上の光の神々であり、Aṅgiras は祭官家系の祖霊である。いまや両者が並行させられ、あるいは対置されることのうちに、この時代がそれらの個性的本性に対して無関心であることが露呈している。両者はもはや単なる端役となってしまっており、必要に応じてその位置をあてがわれるのである。しかしそうした群化のうち最も重要なものは、神々(deva)の総体を一方とし、他方に神々の
敵、asura を置く対置である1。以前には、世界生活の最大の、比類なき決着として Indra と Vṛtra の闘いが前景に立っていたのに対して、いまや——構想力の変化した様式にとって特徴的なことに——軍勢が軍勢と闘う。当然ながら祭官的著者は神々の側に与する。彼らのものは光と真理であり、asura のものは闇と虚偽である。神々は創造主の口から出で、asura はその後部から出た。asura には災厄(pāpman)が付着しており、悪しき呪術(māyā)も彼らのものである3。この時代に善と悪との対置を帰しうるかぎりにおいて4、その一方と他方はそれぞれ神々と asura とに割り当てられている。少なくとも一般的な言表においては、いわば理論においてはそうである。もっとも実践においては、神々はあらゆる虚偽と背信の手段によって asura を制圧することを躊躇しない(下記 24 頁参照)。両党派の闘いは、絶えず供犠と呪術の小細工を弄する卑小な遊戯へと堕してゆく。Zarathustra の教説の壮大な様式における善悪の対立による世界存在の方向づけといったものは、ここにはまったく存在しない5。——
神々の人格に起こることは、当然ながらその行為を語る神話ないし伝説にも起こる。それらもまた色褪せ、消え去り、新たな方向へ変形され、あるいは解釈し直される。というのも、当然のことながら祭官たちは、神そのものを自らに奉仕させる術を心得ているのと同様に、その行為についての報告を思うがままに改鋳することにも何ら躊躇を覚えないからである。Indra の dāsa に対する勝利、Aśvin の救助の業は、供犠呪術の目的にとって無価値であるがゆえに忘れ去られる。ただ dāsa 冒険譚の一つ、Namuci の物語だけは別で、そこではどうやら、より新しい時代の供犠技術者がたまたま、大いなる人気を博した一つの祭式(Sautrāmaṇī)をその上に築き上げるという着想を得たらしいのである。記憶のうちに保たれたもののうち、当然ながら筆頭に立つのは、Rigveda においても際立っている神話、Indra の Vṛtra 討伐である。しかし古い竜退治の重量感と荒々しさは、いまや完全に不条理な祭官的思いつきの下に埋もれてしまっている。そこでは Indra の武器として金剛杵の代わりに供犠の献供が現れる(SB. II, 4, 4, 15)。そして、勝利という結末をもたらしたのは言葉の詮索であった、と語られる。すなわち、Vṛtra に向かって誰かが「汝、その敵が Indra であるところの者よ」と言った。もし「汝、Indra の敵よ」と言われていたならば、Indra ではなく Vṛtra が勝利していたであろう、というのである1。かくして、古い観念圏とそのうちに宿る生命が、この衒学的な狂気の地平からまったく完全に消え失せてしまったことが、この上なく明瞭に示されている2。
神々の個々の身体的および道徳的な性格の特徴を考察するならば、ここでもまた全体として、Rigveda の時代に比しての水準の低下が認められるであろう。もっとも、ここでの像が一様でないことは自ずと明らかである。相争う動機が働いている。神々と asura との対置において既に触れたように(17 頁)、神々に種々の最高の完全性を帰する一般的な言い回しには、当然ながら事欠かない。何らかの関係において、神々のもとでは人間のもとでとは別のこと、あるいは正反対のことが妥当する、という手近な捉え方にもしばしば出会う。その際、より好ましい役割が神々に帰せられるのは当然のことである1。しかし他方また、まったく無邪気に神々の長所に関する制限が加えられもする。そして、神々の営みを素朴に、しばしば陽気にすぎるほどに描き出す多くの物語においては、理論上彼らに帰せられる完全性はまったく忘れ去られており、ただ人間的なもの、あまりに人間的なものだけが彼らに残されているのである。
これらすべてについて、見渡しがたいほど多量の典拠のうちから短い選択を挙げておく2。「(創造主)prajāpati は諸存在を創造した……。われらがいかに生きるべきかを、あなたが定めたまえ。」そこで神々が彼に近づいた……。彼らに向かって彼は語った。「汝らの食物は供犠であれ。汝らのものは不死であれ。汝らのものは液汁であれ。汝らのものは太陽であれ。」同様にして次に人間には死が与えられる(SB. II, 4, 2, 1)。「神々はより長く生き、人間はより短く生きる」(同 VII, 3, 1, 10)——これはおそらく、見かけ上そう思われうるように、後代の教説に対応して神的不死性を超長寿へと引き下げようとするものではなく、当該箇所の
連関——より長い呪句とより短い呪句とが並び立つことの象徴的説明——が、不死性を短い人間の生に対するより長いものとして名指すことに導いているのである。「神々は老いから己を解き放った」(Av. III, 31, 1)。「ここから上方に神々は住まう。天に神々は住まうのだから」(SB. IV, 1, 2, 8)。「広大に拡がっているのは、神々の住まうかの世界である。栄光あるものである、神々の住まうところは……大いなるものである、神々の住まうかの世界は。英雄的力である、そのうちに神々の住まうものは」(同 I, 4, 1, 27 以下)。「人間の前から神々は隠されている」(同 III, 1, 1, 8)。もっともこれは常にそうであったわけではない。供犠の食事に関して、神々と人間、そしてまた祖霊たちは「以前は目に見える形で共に飲んだが、いまや目に見えない形で飲む」と言われる(同 III, 6, 2, 26)。さらに神々と神々のあいだにも差異がある。目に見える神々と手に触れうる神々について語られることもある。「われらはある神々のもとには受け入れられているが、他の神々のもとには受け入れられていない。ある神々とは接触のうちに生き、他の神々とは(単なる)まなざしのうちに生きる。地、風、水——これらのもとにわれらは受け入れられており、これらとの接触のうちに生きる。Agni(火)、太陽、天——これらのもとにわれらは受け入れられておらず、これらのまなざしのうちに生きる」(K. VIII, 11, p. 95, 3 以下)。——いま触れたように、神的本性と人間的本性との相違は絶えず現れている。祭官が乳食の摂生を課された祭主に乳を数度にわたって手渡すとき、彼はそれを「区別のために」行うのであり、「それによって彼は神的なものと人間的なものとを区別する」(SB. III, 2, 2, 16、VII, 3, 1, 10 参照)。「まず神々、次いで人間」(同 VI, 6, 4, 6)。「神々のもとでの一日は年である」(K. XXXIII, 4, p. 30, 15)。「人間のもとでの十六分の一であるものは、神々のもとでは一音節である」(SB. X, 4, 1, 16)——ここにはおそらく、物質的な計量法の代わりに彼らのもとではより精妙な、より精神的な尺度、すなわち言葉の領域において計られる尺度が妥当する、という意味が含まれている。「神々のもとで na(人間の言葉では「否」を意味する)と呼ばれるもの、それは彼らにとっては om(「然り」)である」1(AB. I, 16, 19)。——「神々は目覚めている」(SB. II, 1, 4, 7)。「神々は眠らない」(III, 2, 2, 22)。「神々は人間の思念を知っている」(I, 1, 1, 7)。「心(思
念)によって彼は自らの意図を捉える。それは彼の息へと行く。息は風へ。風は神々に、人間の思念が何であるかを告げる」(III, 4, 2, 6、Av. XII, 4, 31 による)。「一つの秩序があり、そのうちを神々は歩む。すなわち真理である」(SB. IV, 1, 2, 8)。「真理と神々は結ばれ、虚偽と人間は結ばれている」(AB. I, 6, 7)。真理を神々の所有として強調するこうした言い方は——この点で人間に対してはきわめて慎ましい要求しか課されなかった——とりわけ頻繁に出会われる1。——Viśvarūpa が殺害される。Indra がそれを為したということがありうるか。否、それは Trita であった。「Indra はそれ(この罪)から自由であった、なぜなら彼は神だからである」(SB. I, 2, 3, 2)。——「初めには神々はすべてたがいに等しく、すべて幸に満ちていた」2(同 IV, 5, 4, 1)。連関が示すように、これはその一部の神々が後に幸を失ったという意味ではなく、その後いく柱かの神がとりわけ優遇された地位を得た、ということが語られているのである。——「神々からは災厄が追い払われている……神々は不死である……栄光は神々のもとにある……名声は神々である」(II, 1, 4, 9)。——ある供犠との連関において Agni と Soma が Indra の側に付き、「そして彼らに、すべての神々、すべての学知、すべての名声、すべての糧、すべての栄光が従った。この供犠の遂行によって Indra はまさに Indra であるところのものとなった」(I, 6, 3, 15)。——かつて Prāvarata が吹き渡る風に向かって「歓喜が汝の自己(ātman)である——こちらに吹くのであれ、かしこに吹くのであれ」と語ったように、神々に願いをもつ者は彼らに向かってこう語るべきである。「歓喜が汝らの自己(ātman)である——それが私の願いである」。そうすればその願いは成就する(X, 3, 5, 14)。
しかし今度は他方の側に、神々の本質をはるかに明るさの乏しい光のもとに示す一連の言表がある1。
この側面からわれわれにより詳しく描写される唯一の神の外的な現れに、どれほどの重みを置くべきかは未決のままにしておかねばならない。varuṇa は禿頭であり、癩病に冒されている。彼は赤みを帯びた眼をもつ2。もっともここで問題となっているのは、まさしく特別に不気味で危険な性格をもつ神なのである。
その振舞いにおいて神々は――ギリシアにおいてオリュンポスの神々に対してあれほど鋭く向けられたあの批判が、そのために生じることはなかったにせよ――絶えず、計算しがたい気まぐれ、思いつき、さらにはより悪しきものに導かれた者として現れる。祭官の呪術的呪文に、すなわち供犠に、彼らが確実に従うのと同じだけ、この操縦が欠けるところでは、彼らは奇矯な跳躍をやってのける。彼らは、互いに逃げ去るとか、互いに隠れるとかいった、子供じみて幾分道化じみた振舞いを特に好む。しばしば彼らを情欲が襲う。prajāpati が自らの神なる娘に対して(下 S. 30)、あるいは soma が(女性的に考えられた)方位に対して(ŚB. III, 9, 4, 20; NGGW. 1915, 188)そうであるように。彼らは臆病である。あるとき、彼らの敵である asura たち(上 S. 17)が、(実体として表象された)夜のうちに確固たる足場を固めたことがあった。indra は彼らをそこで攻撃しようとして、味方を求める。「彼はそれを神々のうちに見出さなかった。彼らは夜を、闇を、死を恐れたのである」(AB. IV, 5, 1)。indra 自身もまた同様に恐れる。「indra は考えた。この供犠と言葉との交合から、大いなる怪物が生まれ出るであろう。それが私を打ち負かすことのないようにと。かくして indra 自身が胎児となり、あの交合のうちに入り込んだ」(ŚB. III, 2, 1, 26)。
神々のいわゆる全知性、すなわち人間の行いを見通すその力もまた、時として拙劣にしか働かない。供犠者が一定の時間、二つの祭火のあいだを通り抜けねばならないことを、人は次のように説明する。「神々は人間を知らない。しかし彼が二つの(祭火)のあいだを通り過ぎるとき、彼らは彼を知るようになる。これがそれだ、われわれに供犠する者は、と」(同書 II, 3, 3, 13)。
いたるところで神々においては、供犠の贈与やそれに類するものに対する、きわめて自然のままの執着が前面に現れる。なるほど彼らの側では、その
崇拝者たちから祈願によって煩わされることを、彼らはたやすく不快に感じる。事物の始まりにおいてなお人間と神々とが共に住んでいたとき、「人間たちは神々に、自分たちが持たないものを求めて願った。『これをわれわれは持っていない、これをわれわれは欲しい』と」。そこで神々は、そうした祈願に対する嫌悪から、姿を隠すようになった。「(それゆえ人はこう考えよ。)私は(神々を)害したくない、私は彼らの嫌悪をかき立てたくない、と。そして(祭火の)崇拝1を行ってはならない」(II, 3, 4, 4)。しかし神々自身は、彼らに向けて差し出されるあらゆる賞讃や贈与を取り込もうとして、あらん限りの熱心さを発揮する。「hotar(詠唱祭官)が朝の連禱を唱えようとすると、あらゆる神格が彼のもとへ押し寄せてきて、期待するのである。『私から彼は始めるだろう! 私から彼は始めるだろう!』と」(KB. XI, 4)。供犠が整えられると、「あらゆる神格が adhvaryu(供犠執行者)のもとへ来て、こう考える。『私の名を彼は唱えるだろう! 私の名を彼は唱えるだろう!』と」(ŚB. I, 1, 2, 18)。実際、神々はその糧のためにまさしく供犠に依存しているのである。太古において、供犠をしないほうが良いという信念が人間のあいだに広まったことがあったとき、神々は苦境に陥った。「ここ(人間界)からは何の供物も神々のもとへ来なかった。というのも神々は、ここから彼らに与えられるものによって生きているからである」――そこで神 bṛhaspati が、人間の誤りを取り除くことを引き受けるのである(I, 2, 5, 24 以下)。
こうした事情のもとでは、当然ながら神々のあいだには絶えず嫉妬、羨望、不和が支配している。ある供犠者たちが供物の浄化に際して米粒や大麦粒に向かって「神々のために清くあれ」と言うとすれば、それは拙劣なことである。「それによって彼はそれを、すべての神々に属するもの2にしてしまう……かくして彼は(神々のあいだに)不和を引き起こす」(I, 1, 4, 24)。「神々が客人供犠を執り行ったとき、彼らのあいだに不和が生じた。彼らは四つの党派に分かれて散り散りになった。互いに相手にその栄光を所有させまいとしたからである」(III, 4, 2, 1)。「indra は心中に考えた。vāyu はわれわれのうちでこの供犠から最大の分け前を得ている。というのも彼にまず最初に vaṣaṭ3 がこの王
soma1 に際して属し、また彼にちなんでこれらの(供犠)容器が名づけられているのだから。よし、私もそれにあずかる分け前を得ようと努めよう」(IV, 1, 3, 11)。
ある神が他の神に何らかの願いを述べ、提案をなし、そしてそのつど必ず返ってくる答えを受け取る、という物語は数知れない。「そのために私は何をもらえるのか」。それはまさしく規則として言い表されている。「prajāpati(S. 27 参照)が神々から何かを望むときにはいつでも、彼らはこう言った。『そのためにわれわれは何をもらえるのか』」(VIII, 4, 1, 4)2。供犠の主宰者が特定の機会に祭官たちと交わる際に、一つの願いを述べてよいのと同じように、神々もまた互いに願いを述べ合い、供犠における多くの特殊事項は、そのつど問題となっている神のそうした願いに基づくものとして説明される3。あるいは神は、望まれたことを行うにあたって自らの利益を条件として付ける――目下の場合には自らの虚栄心の満足を――次の物語に見られるようなしかたで。「神々が asura たちに対して勝利を得たとき、彼らは天界へと昇っていった。そのとき agni は、天が触れんばかりの高みへと自らを高め、天門を塞いだ……彼らはまず彼のところへ来て、彼に言った。『われわれを通してくれ、道をあけてくれ!』彼は答えた。『もしお前たちが私を讃えないなら、私はお前たちを通しはしない。それゆえ私を讃えよ』。『よろしい』。そこで彼らは彼を讃歌 tṛpra によって讃えた。彼らの努力によって彼は彼らのために通り道をあけ、彼らは自らの場所に到達した」(AB. III, 42, 1 以下)。――他方また神々は、何らかの利得を手に入れると、他の者をそれから締め出そうと気を配る。「ādityā たちは、ここから最高の者として天界に到達した。彼らは、後から来る者を突き返す」(TB. I, 1, 9, 8)。
神々に無罪性が称えられている(S. 21)としても、それは「神の罪」、「神のなした罪」ということが語られるのを妨げはしない(Av. VI, 111, 3; X, 1, 12; PB. I, 6, 10; Bloomfield SBE. XLII, 520)。彼らが巻き込まれている絶え間ない争いにおいて、
彼らが用いる手段について彼らが厳密であることを期待するのは不可能である。われわれは(S. 21)、神々に真理が属することを見た。しかしそうした所有は、いかに貴重であろうとも、煩わしいものともなりうる。だが幸いなことに、真理は結局のところ他のものと同様に一つの実体にすぎない。しかるべき時にそれを厄介払いする手段はあるのである。「神々と asura たち(上 S. 17)は互いに戦っていた。そのとき神々は真理を aśvin と pūṣan のもとに預け、非真理によって(敵を)克服した。彼らは aśvin と pūṣan のために十二の皿からなる供犠菓子を用意した。そうして彼らは(再び)真理を自分たちのものとし、言葉を制圧した。もし(人間の供犠者が)aśvin と pūṣan のために十二の皿からなる供犠菓子を用意するならば、彼は非真理を克服し、言葉の真理を自分のものとする」(TB. I, 8, 3, 3 以下)。こうした背信は、悪しき敵に対してのみならず、神々自身のあいだでも通用する。viṣṇu は強力な努力によって賞を獲得し、神々のあいだで結ばれた協定によって見込まれるはずのものを手に入れた。彼は神々に対して優先権を得た。今や viṣṇu は、頭を張り詰めた弓の上に支えて立っていた。「神々はあえて彼に手を出さず、彼のまわりに座り込んだ。そのとき蟻たちが言った。『われわれに何をくれるのか……彼の弓弦を噛み切ったなら』。『われわれはお前たちに食物の享受を授けよう。砂漠にあってさえお前たちは食物と水を見出すであろう』。『そうしてわれわれはお前たちにあらゆる食物の享受を授けよう』。『よろしい』(と蟻たちは答えた)。そこで彼らは這い寄って、弓弦を噛み切った。それが切れると、弓の両端が跳ね上がって、viṣṇu の頭を引きちぎった」(ŚB. XIV, 1, 1, 1 以下)。
見られるとおり、これらの神々には、真剣な道徳的欠陥も、小人物じみた醜い習癖も、同じように欠けてはいない。これらの描写のもとになっている祭官たちは、その手本を遠くに求める必要がなかった。ここに現れているものを、善悪の彼岸にある無邪気な、古拙な非道徳性として一括してしまうのは、われわれには全く正しいとは思われない。ここに立ち現れているものが古拙であることは、たしかに否定しがたい。しかしその背後にある時代には、これから論じられるように、あの水準を超えて発展した道徳的感情、否、一定程度の道徳的反省が決して無縁ではないのである。そのことが、
神々についての表象にほとんど色を与えていないということ、まさにそれこそが特徴的なのである。後に brahman 思弁において明るみに出るものは、すでにこの前段階においても示されている。すなわち、この思考の決定的な着眼点は、神信仰の強化、清め、発展からはるかに隔たったところにあるということが。これらの神々がいくらか行儀よくふるまうことを学んだと想定し、そして karman についての教説を付け加えてみるがよい。そうすれば、いかにして仏教の神々――絶えざる至福のうちに生きる端役であって、宗教的思想の現実の運動からかくも望みなく遠く離れて立っている者たち――が、その神性を負っているのかが分かるであろう。
Prajāpati
Prajāpati1。神々についての表象の凋落と時を同じくして、この領域には、まずはおそらく奇異に思われるかもしれないが、わずかな、あるいは純粋に一時的な新形成2と並んで、はるかに重要な意義をもつ一つの形姿が現れる。すなわち最高神にして世界創造者である。
Rigveda の信仰にとっては、あるときはこの神が、あるときはあの神が、あるときは indra が、あるときは varuṇa が、そのつどその一瞬間においては、常に第一の、すべての者のうちで最高の、世界の創造者ないし秩序づける者であったことは周知のとおりである。そうした名誉的な述語は、その起源からも本来の本質からしても、それに対して何の権利ももたない神格にも、緩やかに結びついていた。そこで rigveda 時代の終わり頃に、神々のうちから、いわば試みの型とでも言うべきものが現れ、その規定がまさしくこのこと、すなわち最高神ないし世界創始者の役割を引き受けることにあるようなものが立ち現れる。たとえば viśvakarman(「万物の作り手」)、「天と地を生んだ唯一の神、われらの父にして生み主、秩序づける者、すべての創造物と存在者を知る者、神々の唯一の名づけ親」(Rigv. X,
81, 3; 82, 3)1。ついで何よりもあの hiraṇyagarbha(「黄金の胚」)であり、彼は未知の神として感じ取られていた。すなわち、すでに述べたように、彼に捧げられた歌(X, 121)の各詩節は、次の問いに帰着する。「いかなる神にわれらは供犠をなすべきか」と。彼への讃歌は、同じく詩節ごとに反復される折り返しをもつ indra 讃歌(II, 12)の模作である――ただしそれは問いではなく、最も確固たる形で表明された確信である。「これこそが、人々よ、indra である!」と。この二つの歌を並べてみるならば、ここでいかなる推移が生じているかがきわめて明瞭に示される。すなわち、宗教的表象の古い様式から、brāhmaṇa の様式の方向への運動である。より古い歌においては、揺れ動く大地と天の固定者にして支柱は、indra であり、七つの手綱をもつ強き牡牛であり、その激しさの前に山々が恐れ、竜を打ち殺し、山中に住む悪魔を第四十の秋に見出した者である。より新しい讃歌においても同じく、その神は天によって強大であり、大地を固めている。しかし彼は未知の者、神々のうえに立つ唯一の神、生命を与える者にして力を与える者であり、その両腕は天の諸域であり、その影ないし不死性と死とがそこにあり、その偉大さのうちに水を見わたし、正しい心をもつ創造者たち、供犠を生む母たちを見わたす者である。神話の生き生きとした形姿の位置に、より広範な、より純粋な、望むならばより色あせた表象が現れているのが見てとれる。
「黄金の胚」という詩人の着想に比して、相対的に確固たる妥当性をもつに至ったのが、世界創造者 prajāpati、「被造物の主」、本来明らかに「子孫の主」3の形姿である。ある意味でこの神は
jāpati を生み出さんことを」や Av. X, 1, 21 のような箇所であり、後者では確実に Roth に従って prajānām … prajāpatī「被造物の二人の被造物主」と読むべきである。
Rigveda にまで遡る。彼はそこで数回、ほとんどもっぱらより新しい箇所において言及される。しかし彼はそこではなお――少なくともいささかの確実性をもってしては――唯一存立する世界創造者にして世界の主としての妥当性をもたず、他の神々と並ぶ一柱の神であって、その特殊な機能は子孫についての配慮にあるのである。それゆえ彼は婚礼に際して、夫婦の交わりに際して呼びかけられ(X, 85, 43; 184, 1)、また家畜の増殖を委ねられる(X, 169, 4)。生殖への特別な配慮は、後代の prajāpati にもまた欠けてはいない。しかし何よりも、人はこの出発点から彼を世界創造者としての妥当性へと、そしてある意味では最高神としての妥当性へと高めたのである。かくして「黄金の胚」についてのあの歌(上 S. 27)には、いかなる神に人は最高者として供犠をなすべきかという問いへの答えとして、一詩節が付加された。「prajāpati よ、これらすべてを生じさせ、取り囲んでいる汝のほかに、何者もない」2。
主要な点においては、この世界創造者にして最高神である prajāpati の発展は、明らかに Rigveda と brāhmaṇa とのあいだの時期に属する。この時代の詩と箴言のうちに、彼はしばしば現れる3。そしてついに brāhmaṇa においては、彼は常在の、無数の回数にわたって登場する形姿となっている。神信仰にとってはそれ以外にはほとんど恵まれていないこの時代に、それでもなお
一柱の新しい大神が現れるとき、それは明らかに、既に上で示唆したように、強力な努力をもってなされたものである。すなわち、太古以来自然生長的に混乱していた神々の世界に、秩序と統一性とをもたらそうとする努力である。神々が大集団をなして、なかんずく数の象徴によって段階づけられた諸群へと分節され、とりわけ互いに均衡を保つ二大陣営、すなわち神々と Asura たちとが、かくも相対立して立ち現れるとき、そこには、そのすべての起源をなすと同時に頂点をも意味する一柱の神が要求されるのである。この統一への努力には、たしかにある種の乾いた、衒学的な特徴がまとわりついている。神秘的な情熱—— Upaniṣad や Bhagavadgītā に生きているような——については、ここではその痕跡は感じられない。それは、当該時代の全性格を理解するとき、いかにも当然のことである。
この新しい神が他の神々と並び、またそれらの上に立つという特別な地位は、いたるところに認められる。人は「Prajāpati と神々」、「神々と Prajāpati」と言う(ŚB. VI, 1, 2, 27)。「神々は三十三である。Prajāpati は第三十四である」(同 IV, 5, 7, 2、およびしばしば)。「Prajāpati がこの祭式を最初に執り行った。その後に神々がこれを執り行った」(同 VI, 3, 1, 18)。「Prajāpati は最高の主であった」(VIII, 4, 3, 19)。Rossopfer(馬の供犠)においては、リュートの奏者たちが、供犠者を最初に「神々とともに」歌う。それによって彼らは彼を神々の世界の分有者となすのである。しかしその後には「Prajāpati とともに」と歌う。それによって彼らは彼を、結末において Prajāpati の世界の分有者となすのである(XIII, 4, 4, 3. 4)。限定されたもの、認識しうるもの、言表しうるものは、不確定なもの、秘められたもの、言表しえぬものに比して劣ったものと感じられるがゆえに、こう言われる。「言表されざるもの(われわれは「言表しえぬもの」と訳してよかろう)が Prajāpati である」(I, 6, 1, 20 その他)。「量られざるものが Prajāpati である」(KB. XI, 7)。あるいはまた、あらゆる存在の充溢、あらゆる可能性の実現を彼のうちに置くために、こう教えられる。「Prajāpati はこの両者である。言表されたものと言表されざるもの、量られたものと量られざるものと」(ŚB. XIV, 1, 2, 18)。有名なあのRigveda讃歌——そこでは常に繰り返される問い、「いずれの神にわれらは供犠すべきか」をもって、人は彼を「Ka(誰)」と名づける——にならって、人は彼をいわば受肉した疑問符となすのである(上掲 S. 28 注 2 参照)。Indra は Prajāpati に語る。「私はあなたが何であるかを知りたい、私は大きくなりたい」。Prajāpati は答える。「では私は誰になるのか」。「あなたが言ったところのものだ」と彼は応じた。それ以来 Prajāpati は「Ka」という名をもつ(AB. III, 21, 1)。
Prajāpati を世界創造者として——これは
彼の像の主要要素であるにもかかわらず——ここでは論じないこととする。創造についての諸観念のうちには、じつに多様な要素が集まっているので、それらについては後段の独立した章で論じるのが適当と思われる。
世界の支配者としても Prajāpati は現れる——ただしこの点に特別な強調が置かれるわけではないが。
いかなる世界支配者も、その全能と威厳とを信者が真に真剣に受け取り、全き生動性をもって、あらゆる出来事の主権的な指導者として現れる、というほどのものではない。そうであるには、この全体の観念はあまりに脆弱であり、彼の効力への要求は、他者たちの——すなわち神々一般の——あまりに多くの要求と交叉している。天空神とその娘との近親相姦という古い神話を、彼に転嫁することにも人は何ら躊躇しない。彼の創造は、根本において彼の力を超えたものであった。「Prajāpati が被造物を創造したとき、彼は自らが搾り尽くされたと感じた」(ŚB. III, 9, 1, 1)、あるいは「空にされた」(PB. IX, 6, 7)。「Prajāpati が被造物を創造したとき、彼の関節は離れ落ちた」(ŚB. I, 6, 3, 35)2。彼は「ああ、わが生命よ」と叫ぶ(TB. II, 3, 6, 1; ŚB. X, 4, 2, 2)。彼は死を恐れる。彼が黄金の卵から這い出たとき、彼は一年ののちにようやく語ることを試みた——ちょうど子どもが一年ののちに語りはじめるように(ŚB. XI, 1, 6, 3)。「神々と Asura たち」とあるところでは(IX, 5, 1, 12)、「両者はともに Prajāpati の子孫であり、彼らの父 Prajāpati の遺産、すなわち言葉、真実と虚偽とを相続した」——とすれば Prajāpati は死んだのか、あるいは老衰して自らの所有から身を退いたのか。
しかしそれでもなお、彼については、過去においてのみならず現在においても支配し統べる者として語られることが少なくない。存在者たちは彼のもとへ来る。「われわれがいかに生きるべきかを、あなたが定めたまえ」と、いま神々、人間、その他の存在階級は、それぞれその分を彼に語る(II, 4, 2, 1 f.; 上掲 S. 19)。多くの場合、彼は裁き手であり、争う神的存在者たちがそのもとへ赴き、彼が両者の間を裁定する(IV, 1, 3, 14 その他しばしば)1。「Prajāpati は、久しく未知の苦しみに病む者について知っている。Prajāpati は彼のもとへ赴く……」(TS. II, 1, 6, 5)——おそらくは、Prajāpati が不確定なもの、言表されざるものへと傾く傾向(上掲 S. 29)が、この関連においてまさに彼を想起させたのであろう。「Prajāpati を知る者は、幸福となる」(同 I, 6, 11, 4)。「およそ人は思う、『私は Prajāpati の力によって在る』と」(ŚB. VII, 3, 2, 12)。「雨を望む者は、黒い供犠獣を Prajāpati に献ぜよ。Prajāpati は雨を支配する。かくして人は Prajāpati に、彼に帰すべき分をもって近づく。彼は Parjanya(雨神)に、雨降らしめる」(TS. II, 1, 8, 5)。他の願い事のための供犠についても同様である。「Prajāpati は彼に長寿を授ける」、「Prajāpati には家畜が属する。Prajāpati は彼に家畜を生ましめる」(同 II, 3, 2, 1. 9)。
ここにわれわれは、Prajāpati が祭儀のうちに織り込まれているのを見出す。彼には、神々と同じ列において——本質的にはそれらのうちのより重要なものよりも稀にではあるが——「願望供犠」が捧げられる。それは、彼への方向づけをもって構成することが容易だったからである。だが、古来変わらず堅固に組み立てられた Soma 祭においては、彼はまったく副次的な役割しか果たさない。彼と真の祭儀との関係が、後から、表面的に挿入されたものであることは疑いない。場所はすでに占められており、また Prajāpati への関心は、この新たに造られた上位神に古い祭儀秩序を新たに方向づけるには、あまりに脆弱であった2。その代わり、Prajāpati はあらゆる種類の神秘的思弁においていっそう愛好された。すなわち、神的存在者たちと宇宙的な
あるいは祭式的な存在者との同一視——これについてはすでに触れ(S. 14)、後に立ち返ることになる——におけるそれである。Prajāpati の創造的本性、その全包括的な広がり、その頂点における位置は、彼を最も一般的で最も生産的な諸力との同一視へと推奨した。Prajāpati は年である。Prajāpati は供犠である。Prajāpati は年であると同時に供犠である1……。
黄金の胚の讃歌(S. 27)が立てた大胆な綱領——すべての神々を超えた唯一最高の生命の授与者、力の授与者を求めるという綱領——は、Prajāpati の形姿によって真に実現されたであろうか。供犠という粗雑な機構のうちに、新しい歯車が一つ嵌め込まれた。しかしそれはやっとのことで嵌まったにすぎない。あらゆる種類の神秘主義のために、多様な宇宙生成論的思弁の緩やかな構築のために、新しい一つの形姿が造られたのである。しかしそれは、彼がすでに所有していたよりも高い高みや深い深みに到達することはほとんどなかった2。祭官たちによって構成された、神々の体系の頂点。空想のあらゆる風の息吹に揺れ動き、学派の影響に易々と身を委ねる一柱の神。人間の魂の生において、民族の闘い、苦しみ、勝利においてその力を証示するような生ける神ではなく、後の Śiva のような神ではない。かくして Prajāpati は、彼がかつて所有したかぎりの支配権を、急速に、しかもほとんど跡形もなく再び失った。仏教文献と叙事詩文献とがそれを証している。
世界を満たす実体
Prajāpati には、すでに上で(S. 19; ŚB. II, 4, 2, 1 f.)言及した物語の一つの系列において、さまざまな階級の存在者が近づき、彼は彼らそれぞれに、いかにして自らを養うべきか、またいかなる光が彼らを照らすべきかを指示する。そこには神々、「父祖たち」(Manen)、人間、Asura たち(悪しき霊)がいる3。神々についてはすでに扱った。他の諸階級
を一つ一つ通覧することは、ここでは企てないこととする。いわば語られるべきものの一部は、以下の叙述のさまざまな箇所に収められることになろう。その叙述の当面の意図は、神々に次いで、それらと並んで世界の出来事の重要な担い手として立つ、世界を満たす実体を記述することにある1。
そうした実体に用いられる通常の名称についてのより一般的な論述、また、存在のあらゆるものに多かれ少なかれ共通する根本性格についての論述は、後に譲ることができよう。まずは主要な個別の実体2、およびそれらのうちから際立ってくる諸群を概観することにする。この概観については、若干の導入的な注意のみが有用であろう。
神々と、いまわれわれの関心の対象である存在者たちとの境界線は、当然ながら鋭くない。魂を与えられ、あるときは力強く充実し、あるときは背景に退いたままであるという性格は、われわれが見るであろうように、大部分は後者にも当てはまる。そしてわれわれが、諸元素の例示的な列に含めて火について語るとき、われわれはただちに、古来最も傑出した神の形姿(Agni)に受肉した一つの存在に出会うのである。神的なものと元素的な自然との相互浸透という関連については、後にわれわれの関心事となろう。他の仕方でも、われわれはすでにRigvedaにおいて見出したものと同種のものに多く出会う。「一切神」への讃歌(たとえば VII, 34. 35 を読まれよ)においては、Indra や Agni のような大神と並び、また「一本足の牡山羊」や「深みの
蛇」のような小神と並んで、水と山とが現れるだけではない。それらはなお、狭義の神格という語を要求しうるものではあるが、そこにはまた、宝(rāyaḥ)、四方位、Brahman(聖なる定式)、Soma の圧搾石、贈与者たちの贈与も現れる。しかしRigvedaと Brāhmaṇa との間には明らかに、次のような相違が存する。かの地では主要な比重が疑いなく本来の神々に置かれているのに対し(S. 9 f. に述べたことを想起されたい)、後代においては彼らの力は減退しつつあり、代わって他の群の存在者たちが——これらもまた実際には多くの場合「神々」という名称のもとに(S. 15)——前面に押し出てくるのである。
もちろん、これらの存在者のうち、Brāhmaṇa においてどこでも同じ比重をもって現れるものはない。世界像の自然的な比率——それは祭官の目を通して見られた世界像においてすらそうなのだが——は、テキストにおいては絶えず、いま論じられている祭式への顧慮によってずらされている1。その特殊性ゆえに、通常は背景に立つ何らかの実体が、しばらくの間、第一の場所へと押し出されることがある。そして総じてわれわれは絶えず考慮に入れねばならない。呪術師の実験室においては、事物は外の世界における様相とは、また呪術師自身にとってすら、異なって見えるということを。
当然ながら、扱われるべき存在者は、叙述者によって選ばれた何らかの秩序のうちに並べられるほかない。しかしそれによって真の事態を偽らないために、後から改めて、実体を列挙する際に立ち現れる秩序の欠如について、さらにはテキストのうちに現れてくる秩序と分類の萌芽について、また、なお観察されるべきそうした秩序づけられたものの増大について、語ることになろう。
個別の点においては、われわれは鋭い観察、固有なるものの深みへの侵入をあまり多く見出さない。むしろ、覆いの上に覆いが重なり、そのうちで現実の輪郭は紡ぎ込まれ、歪められ、あるときは幻想的な見通しがたさへと
流れ去り、あるときは衒学的な法則をもって互いに絡み合う。それらすべての間に——それは錯覚であろうか——ここかしこに、祭官的な事物精通によって完全には押し潰されていない、詩情のうごめきが、静かな、弱い息吹として感じられる。
天界の実体
先頭に天と地1を置くこととする。この偉大な両親の対、神々の両親、Agni の両親、植物の両親であり、それらは一致して雨を授ける。はじめ両者は互いに緊密に接触していた。それから両者は分かれた。「その間には道が生じた」2。——太陽は「熱い」、「灼ける」。彼は天蓋の下を、神々の方向に、すなわち左から右へと巡る。彼は力強く牡牛の姿に輝く。彼が昇るとき、すべては動き出す。彼が地上的な現象において黄金として受肉するのに対し、銀は月である。月は太陽よりも弱く輝く。なぜなら太陽が彼から輝く力を奪ったからである。彼は常に新たに成長する。十五日間彼は成長し、十五日間彼は減じる。増大する半月のすべての夜は、その力とともに満月の夜のうちに入り込み、減少する半月のすべての夜は満月の夜のうちに入り込んでいる。月は Soma であり、神々の食物である。「満月の夜に彼らは彼を圧搾する」4。彼は減少する半月において水と植物のうちに入る。家畜は水と植物を摂取する。かくして彼は(新月祭の執行者は、その祭式的な行為によって)家畜(新月のそれ)から自らを集めるのである(ŚB. XI, 1, 5, 3)。星々、すなわち天蓋であるかの頭の毛髪については、総じて
多くは語られていない。惑星の特殊な本性が——Venus や Jupiter のような星々のそれが——知られていなかったなどということは、私には考えられない。1
しかし明らかに、当時の原始的な天文学は、惑星の複雑な運動に対して、それらを独自に作用する諸力として世界像のうちにより重要な位置を与えるほどには、十分な注意を払っていなかった。北極星、すなわち「より堅固なるもの」と並んで、より立ち入った注意を受けたのは、ほとんどもっぱら、多様な力に満たされた月の軌道上の 27 の星宿(nakshatra)2 ——王 Soma(月)の妻たち(K. XI, 3)——であった。それらが月の運命にとって、暦の計算にとって、祭時の決定にとってもつ意義は、必然的にそれらに関わることを促したのである。3
天と地のあいだには空界(antariksha)、あるいは自由な空間(ākāśa)が横たわっており、その表象については後にもう一度立ち返ることになる。そこでは風がその本領を発揮する、「清めつつ吹くところの彼」が。太陽は、月からその輝きを奪ったように、風からはその姿を奪った。それゆえ人は、風が荒れ狂って進みゆく音を聞くばかりで、その姿を見ることはない。彼、世界の力強い息は、雷雨のなかで植物どもに向かって咆哮し、それらに受胎をもたらす。「自己(Selbst)には歓喜あれ」と人は彼に語りかける、「汝、ここにもかしこにも吹け」と。4 水、というよりはむしろ「もろもろの水」(女性複数形)、および火については、ここでは簡単に触れるにとどめ、後により立ち入って論じることにしよう——これらの元素が、いわば呪術的存在から次第にますます自然的存在へと転じてゆくさまを。テキストにおいては雨について多くが語られ、雷雨については少ししか語られない。稲妻と雹は雨の「二つの恐るべき身体」である。5 決定的な意義、
すなわち古代インドにおいて雨が人間の福祉に対してもつ決定的な意義は、雷雨そのものにも及んでいる。1
その影響が出来事に対してとりわけ強く働くさまが絶えず前面に現れてくる諸力は、空間の領域においては方位であり、時間の領域においては年およびその諸部分、すなわち季節、月と半月、昼と夜である。方位も年も、むろん Rigveda にとって無縁ではないが、しかしその意義の完全な高みに達するのは Brāhmaṇa 群の思弁においてであった。これは、具体的に目に見えぬものにおいてもまた作用を把握するという点における進歩を特徴づけている。「季節に従えばそれは七重であり……方位に従えばそれは七重である」——このようにあるとき供犠神秘説のひとつの存在者が同一視され(ŚB. X, 2, 6, 2, 3)、それによって季節の表象が方位の表象と明瞭に並列されている。ここで人が、この時代に固有のあの未熟な仕方で、空間と時間について語っているのを見過ごすことができようか。2 人はまだ、この両者を、内容の一切の多様性を空しくされた純粋な形式として把握するには至っていない。そうではなく、空間直観を表現しようとする努力は、ここではなお、個々に個別的な性格を与えられた空間的諸要素の群、すなわち方位に固着したままである。それらはすべて神的な支配者をもち、それぞれ特有の相貌と意義をもつ——東は神々の方位として、南は祖霊(Manen)の方位として、等々。3 そしてまったく同様に、時間直観を目指す思考は年の像に固着したままである、その年のうちで相継ぎ、さまざまなものをもたらし作用する季節の多様性とともに。4
すなわち「一切の存在がそこから生じ出る母胎」の像、「産出する力」であると同時に滅ぼす力の像である。というのも、われわれが時間の破壊する力について語るように、ここではこう言われるからである。「年は死である。そして昼と夜とによって死すべき者どもの生命は滅ぼされる」(ŚB. X, 4, 3, 1)。1
この関連において、さらに他の二つの表象に言及しておかねばならない。それらもまた前段階として——第二のものはおそらく単なる前段階としてのみならず——確定的な空間表象ないし時間表象の前段階とみなしうるものである。すなわち ākāśa と kāla である。
ākāśa とはさしあたり、何らかの周囲の物体のあいだにあって、そこを何かが通り抜けて動きうるような自由な空間である。2 天の門を塞いで立つ Agni は、天へ昇ろうとする Vasu たちの行く手を遮っている。彼らは彼に言う、「われらに ākāśa を作れ」、すなわち「われらに場所をあけよ」と(AB. III, 42, 1)。ある儀礼の関連において結び目を結ぶ祭官は、この結び目の真ん中に「指の ākāśa」を、すなわち指を一本通しうるほどの穴を作る(ŚB. III, 3, 2, 19; Caland-Henry 43)。3 そのような ākāśa が小規模において存するものは、大規模においては天地のあいだの広大な空間である。それを空界(antariksha)と呼ぶこともできるし、4 またそれを κατ' ἐξοχήν の意味での自由な空間と呼ぶこともできる。鳥は空界(antariksha)を飛ぶ。しかしまた同様に、古い Upaniṣad があの美しい比喩において(ŚB. XIV, 7, 1, 19)、鷲あるいは隼が ākāśa のなかを飛びまわったのち、今や翼をたたんで休らう、と表現することもできるのである。特徴的なのは、天界と地界とが互いに分離したとき、その両者の中間にある ākāśa が
空界(antariksha)となった、と言われている箇所である(同書 VII, 1, 2, 23)。そこでは ākāśa は一般的な中間空間であり、antariksha は空界の空間である。すなわちかの中間空間が空界という具体的な形姿をとったのである。しかし ākāśa は、その空虚さにおいてもなお、古代人にとってはそれ自体ひとつの「何ものか」であった。非存在すらもある仕方では存在するのだ(下記参照)ということを考えれば、これを驚くべきこととは思わないであろう。人間はあるとき「ākāśa を母胎として生まれた」と言われる(Kauṣ. U. I, 6)。熱気が ākāśa を熱するとき、雨が降るであろう(ChU. VII, 11)。「自己(ātman)から ākāśa が、ākāśa から風が生じた」(TU. II, 1)。1 ここでは ākāśa は明らかに、われわれの言い方をすれば、諸実体のなかのひとつの実体である。しかしこの実体は、まさにそれゆえにこそ、そこに入り来るものに空間を提供する巨大な舞台であることをやめはしない。「ākāśa のうちに太陽と月の両者があり、稲妻と星辰と火とがある。ākāśa によって人は呼び、ākāśa によって人は聞き、答える。ākāśa において人は喜び、ākāśa において人は喜ばない。ākāśa において人は生まれ、ākāśa のなかへと人は生まれ入る。ākāśa を崇めよ」(ChU. VII, 12)。やや後代のテキストにはこうある。「彼はまさにその同じ ākāśa において一人の女に出会った」(Kena U. 25)。意味するところは、同じ場所において、ということである。これらすべてにおいて、ākāśa の表象はわれわれの空間の表象にきわめて近く立っていることは明白である。しかしそれは、私の思い違いでなければ、なお完全には一致していない。ākāśa はやはりまだ、天も地もそのうちにあるような無限で一切を包む空間ではなく、ただ天地のあいだの、そしてわれわれの周囲の、あの巨大な中間空間にすぎない。人は ākāśa をしばしば「エーテル」と訳す。近似としてはそれを認めてよいであろう。しかし本来の表象は、やはり一定の物質性において考えられた自由な中間空間の表象なのである。2
他方、時間表象の領域においては kāla という語に出会う。それは明らかにさしあたり、何ごとかが生起する、あるいは生起すべき時点、という意味においてである。「これが sviṣṭakṛt 供物(の奉献)のための kāla である」——「彼を生命は kāla の前には、すなわち正しい、自然に適った時点の前には去らない」。しかしどうやらこの語は、比較的早くも、無限の、一切の出来事を包括する時間を表す表現へと発展したように見える。互いに緊密に結びついた Atharvaveda の二つの讃歌(XIX, 53. 54)は、おそらくほぼ Brāhmaṇa 時代に由来するものであろうが、そこでは kāla が第一の神として語られ、一切の存在に迫り来る者、一切の存在を産み出した者、諸存在を包む者とされている。彼にまさる鋭い熱はない。「kāla はかの天を産み出し、kāla はこれらの地を産み出した。kāla に駆り立てられて過去と未来とが展開する」。1 とはいえ、Atharvaveda が時として突然、われわれにはまったく些末に見える何らかの存在者を——たとえば ucchiṣṭa、供犠の食物の残余を——取り上げ、それに向かって無意味な恣意をもって最高の、絶対的な存在者の述語を積み重ねる、そのやり方を思えば、ここでもまた単に「正しい瞬間」が問題であるにすぎない、という可能性は開かれたままである。それにしても、この二つの讃歌の言い回しは、この語のより充実した意味における「時間」の思想をきわめて強く示唆している。そしてこの表象に対しては、後代の言語においてもまさに kāla という語が通用しているのである。2
われわれはこの空間表象および時間表象についての余論から、Brāhmaṇa 群の視野を満たしている諸存在者の概観へと立ち返ろう。
鉱物界に関しては、ある Yajus の句に挙げられている金属の系列を強調しておきたい。すなわち金、青銅、鉄、銅、鉛、錫である。最も高く評価され、飽くことなく讃えられ、幸福をもたらし、生命と不死とを3 自らのうちに含む
金と並んで、他の箇所ではしばしば銀が挙げられる。まったくの敵意、深い蔑視が向けられるのは鉛である。それは柔らかく無価値である。それは「不正」あるいは「虚偽」(anṛtam)である。宦官が男でも女でもないように、鉛は金でも青銅でもない(ŚB. V, 4, 1, 10; K. XII, 11; TB. I, 8, 5, 4)。塩は相矛盾する評価を受ける。とりわけ厳粛な機会には塩味の食物を避けることが規定されるが、他方ではまた塩に食物の充溢の力が付与されている。1
植物界は時として、明らかに経済的な観点から、動物界と一括される。人間、馬、牛、羊、山羊、大麦、米——これらが「七つの村の家畜」2 である(K. VI, 2)。より頻繁には植物は水と一括される。すなわちそれらは「二つの食物」3 である(ŚB. VII, 2, 3, 2)。祭式において種々の樹木に、さらに蓮のような他の植物、数種の草などに4 付与される呪術的性質については、これ以上立ち入らず、動物に目を転じよう。動物のうちには四足獣(paśu)、鳥(vayas)、蠕虫類(sarīsṛpa)が区別される(ŚB. IV, 1, 3, 16)。5 先史時代の狩猟民に固有であった動物界への関係——すなわち親密な打ち解けと、動物的生命の測りがたい神秘に対するある種の畏敬との、あの混合——の名残は、まさに名残としてのみ残っている。いくつかの箇所では今なお動物界が神々の世界へと移りゆく。6 さまざまな動物種は一種の部族組織ないし民族組織のうちに生きており、蠕虫たちを蠕虫の王が支配している。彼らのあいだには家族も親族もある。野生の獣については、われわれが何よりも耳にする関心圏、すなわち
供犠の関心圏においては、ほとんど顧みられない。「野生の獣(字義通りには森の獣)は獣ではない1。それを供犠に供してはならない」(同書 XIII, 2, 4, 3)。
この無関心の例外をなすのは、とりわけ黒羚羊であり、その毛皮も、またその角も、秘められた力に満たされている。周知のように、後代には Manu 法典(II, 23)が、供犠にふさわしい土地を、黒羚羊が歩きまわる範囲にまで及ぶものとしている。今はこう言われる、「黒羚羊の皮は供犠である」、「これが brahman の姿である、黒羚羊の皮は」(ŚB. VI, 4, 1, 6; TS. V, 4, 4, 4)。2 その他の点では、経済的発展と一致して、供犠においても、また多様な出来事に共働する諸力についての祭官たちの思弁においても、動物としてはほとんどもっぱら家畜が現れ、その列挙はすでにわれわれの目に触れたところである。Rigveda におけると同じく、他の一切に遥かに先んじて立つのは牝牛であり、それは周知の仕方でインド人の最も途方もない崇敬と、同時にその愛情とを享受している。3 それは受肉した Aditi であり、束縛からの自由の女神である。それは生命の息であり、それは食物である(ŚB. IV, 3, 4, 25)。「神々は語った。乳牛と牡牛とが世界の一切を維持する。いざ、他の年齢段階(の牛)に属する一切の力を、われらは乳牛と牡牛のうちに置こう」……「それゆえ乳牛と牡牛が最大の益をもたらすのである」(同書 III, 1, 2, 21)。4
人間の動物に対する立場は、当然のことながら、
……すなわち二つの捉え方が可能である。たとえば、上述(S. 32)の Prajāpati とさまざまな存在者の類についての物語においては、人間と動物とは二種の別のものである1。両者が区別されるのは、人間の言葉が理解可能であるのに対し、動物の言葉が理解不能である点による(ŚB. IV, 1, 3, 16)。しかし他方では、たとえばあの「七種の村の動物」の一覧(S. 41)においては、人間が動物の一つとして数えられている。人間は「二足の動物」(同 VII, 5, 2, 32)、「動物のうちの第一のもの」(同 VI, 2, 1, 18)である。またその人間について、ふたたび「彼は動物たちを支配する」(IV, 5, 5, 7)とも言われる。そして——ギリシアの哲学者の ζῷον πολιτικόν に対する偶然の対応物として——「人間は供犠を行なう唯一の動物である」(VII, 5, 2, 23)2。
その他の点、すでに述べたことであるが、人間的存在の価値づけ——一方ではその弱さと制限性の意識、他方では人間的な力の意識——については、後段において倫理的思想圏との関連ではじめて論ずることにしたい3。そこではまた、次のような特殊な関心領域についても、
すなわち、あれほど強く発達したカーストの関心領域や、それに応じて後退している民族ないし国家の関心領域と同様に、人類のそれについても語られることになるであろう。Brāhmaṇa 群が人間の身体的=精神的本質を個々に分析する仕方についての論述は、本節の後の箇所に譲る。その際に避けられない細部が、ここで我々の関心の対象となっている概観をあまりに強く中断してしまうであろうからである。
さしあたり人間的存在に関してなお強調しておくべきは、Brāhmaṇa 群にとって人間とはきわめて優勢な仕方で男を意味する、ということである1。Veda の祭祀において女性がまったく従属的な役割しか演じず、通常は——ちょうど豊穣呪術が問題となる場合を除いては——傍らへ押しやられることは、周知のとおりである。女性に伴うとされる身体的不浄の観念、およびそれと結びついた呪術的な不気味さの観念は、「自己の主でも遺産の主でもない」(ŚB. IV, 4, 2, 13)女性たちに対する強い性の情容赦ない優越感と結びついている。そこでこう言われる。「正義と真理は供犠であり、不正は女である」。「不正なるものは女、Śūdra、犬、黒い鳥(烏)である」。「Nirṛti(破滅)に固有のものが三つある。賽子、女たち、眠りである」——あるいはより簡潔に「女は Nirṛti である」。「労働は精力であり力である。女たちはそれを失った」。「女たちは無価値なことにかまけている」2。とはいえ Brāhmaṇa 群は、折にふれて女性の美しさに目を向けることを
やめはしない。妻は自我の半分である、という言葉も見出される。もっともそこでは女性の生理的な不可欠性が考えられている——「妻をもたぬかぎり、彼は子孫を殖やさない」(ŚB. V, 2, 1, 10)。性的結合は Brāhmaṇa 群の空想を実に多様に捉えて離さないが、そこに好色な後味は認められない。この過程を取り巻く神秘、その驚嘆すべき、あらゆる存在を支え保つ作用を思えば、それも了解できることである。祭儀において二つの存在者が相並んで現われる場合、とりわけ一方が男性の名で、他方が女性の名で呼ばれる場合には、限りなくしばしば、それが交合として解釈される。——
個々の人格が、この学において大きな役割を演ずることはない——ここで人間について語るのは、それが世界生活の諸要因とみなされるかぎりにおいてであって、あれこれの師の言葉や、あるいはある君侯の体験が折にふれて言及されるかぎりにおいてではない。旧約聖書の「聖なる歴史」に比しうるようなものは存在しない。民族の存在しないところに、いかにして歴史がありえようか1。Rigveda を満たすその余響を伝える大戦争は忘れられている。最初の人間であり、大洪水からただひとり救われた Manu と並んで、遠い過去の唯一の重要な人物として現われるのは Ṛṣi たち、すなわち祭官的な祖先たちであり、彼らは折にふれて、人間からも「父たち」(祖霊)からも区別される固有の存在者の類として扱われる2。彼らは通常の人間よりも直接的に神々の傍らに立つ。神々によって吸い取られ隠された供犠を彼らは集め蓄えた(ŚB. III, 1, 4, 3 以下)。聖なるテキストと旋律を彼らは「見た」。彼らはとうに「正しき者たちの世界へと去った」(同 IX, 4, 4, 4)——その七という数において、彼らは折にふれて大熊座の星々と同一視される——そして人々は死者供養によって彼らを敬う。しかしある意味において彼らは働き続けており、その全体としても、また個々の人格としても、世界の運行を支配する神秘的な力のうちに自らを列している。「Agni を強めるのは、年々と、Ṛṣi たちと、現に存する諸真理である」(VS. XXVII, 1; ŚB. VI, 2, 1, 26)。「
Ṛṣi Vasiṣṭha は呼吸である……Ṛṣi Bharadvāja は精神である」(ŚB. VIII, 1, 1, 6. 9)。
人間界について述べたことに、補遺として次の指摘を付け加えておこう。すなわち、人間の手によって作られた対象、たとえば家、車、太鼓、賽子にもまた、実体的な存在、ある種の独特な生命と作用が備わっている、ということである。
働く存在者のうち、特別で、きわめて重要な一群をなすのが供犠である1。すなわち、供犠に関わる「三重の知」と供犠の個々の要素、つまりそれに属する諸火、祭壇、あらゆる種類の祭具、供犠の主催者と供犠祭官、献供、連禱、詠唱、そして個々のしばしば反復されるべき詩節部分から詠唱の演唱を組み立てる際の型がそれである。ここかしこで、特定の音や音類、格形の選択が特別な力の担い手として現われる。文法的関心の萌芽が示されているこうした空想は、しかし韻律の神秘的本質に向けられた空想には遠く及ばない。純粋に言語的なものは目立ちにくく、詩人たちにはおそらくおのずから生ずるもののように見えたのに対し、韻律の構成は労苦と技術を要し、そこで選択の余地のあったさまざまな可能性へと観察者の注意を導いたがゆえに、はるかに高い度合いで神秘的な力に満たされたものとして立ち現われたのである。
韻律をめぐる思弁において特に重きをなしたのは、韻律と数との緊密な連関である。数もまた、事物のうちに神秘的に働く力として強く注意を惹きつけた。数列は brahman(聖なる定式)として崇められる(ŚB. I, 5, 4, 6; NGGW. 1916, 724)。「数」を表わす一般的な表現(saṁkhyā)は、なるほどこの時期にはまだまったく稀というわけではなかった。人々が数一般の意味について教説を立てなかったのは当然であるが、それだけにいっそう熱心に追求されたのが、個々の数の演ずる役割である。事物の数への立ち入った注意は、すでに
Rigveda に見られ、のちに概念の世界へと向けられてインドの諸教説体系のきわめて目につく特徴となったのであるが(「数に支配された」哲学たる Sāṁkhya を想起されたい)1、それはすでにこの時期においても高度に開花している。後代において仏教の説法の大規模な集成が、そこで論じられる事物ないし概念が現われる数に従って配列された——一の書、次いで二の書、三の書、等々——のと同様に、人々は Rigveda や Atharvaveda の構成部分を数量関係に従って配列し、より小規模には Ekāṣṭakā(おおよそ新年の夜)への讃歌の詩節を、その大部分において、言及される神秘的存在者の数の昇順に従って配列した(K. XXXIX, 10)。その他これに類することは多い。
純粋な数がそれ自体として、数えられるものへの関係なしに実体化され、「二」という存在者、「七」という存在者が想定された、ということについては、私はしかし疑問をもつ。「二なること(dvandva)は力である」「千は一切である」(ŚB. V, 3, 3, 14; VIII, 7, 4, 9)と言われるとき、それはおそらく「二」および「千」という数それ自体に関わるのではなく、二つの事物ないし千の事物が存在するところには、しかじかのことが含まれている、ということを意味するにすぎないと私には思われる。馬供犠の祭式における一定の献供、これを純粋な数へ向けられたものと解するのはたやすいのであるが(VS. XXII, 34; ŚB. XIII, 2, 1, 5)、それもまた、そうした意味にきわめて近づいてはいても、やはり完全にはそうではなかろう。それに属する詞章は次のようである。「一に svāhā!2 二に svāhā! ……百に svāhā! 百一に svāhā!」——これは、私の考えでは、本来的には一、二という数に向けられているのではなく、単数ないし二数において存在するという性質をもつ存在者に向けられているのである3。ほぼ同じ方向に
一歩であったにちがいない。以上述べたことは、もちろん、たとえばあるものが pañcadaśa「十五肢からなる」「十五重の」と呼ばれるという頻繁な言い方と矛盾するものではない。「十五」という実体を想定することなしに、そのように語ることはできたのである。
事情は次の点にあるように思われる。すなわちテキストは、しかじかの数であることを直接に働くものとしてではなく、そのしかじかの数が帰属する具体的な存在者を介して働くものとして表象することを好むのである。このような仕方で数と結びつき、数に自らの力を分け与える存在者のうち第一に位置するのは、すでに触れたように韻律であり、その一定の音節数は規定上とりわけ強く前面に押し出された1。テキストは次のような言明に満ちている。「Indra の供犠力は十一音節である。(韻律)Triṣṭubh は十一音節である。Triṣṭubh は Indra の威力、力である。(かくしてそれは)Indra の威力、力を我がものとすることに資する」(ŚB. XII, 7, 2, 18)。すなわち十一なることは、自らの力によってその作用を及ぼすのではなく、十一音節の韻律の力によってそうするのである。
かくして数は、この神秘的世界像にその性格を与えるのを助ける本質的な要因である。神々も、あらゆる種類の存在者も、それぞれの数をもつ2。Viṣṇu には、彼が宇宙を貫いて踏んだ三歩ゆえに三が属し、Pūṣan には五種の家畜ゆえに五が属し、Indra にはその韻律 Triṣṭubh の十一音節ゆえに十一が属する。そして逆に、十一なるものが現われるところでは、それが単に算術的な側面から見られることはまれである。そこからは Indra の本質と力が現われ出るのである。はるかな過去において、今なお生き続ける三や七のような古い聖数を創り出した表象の様式は、今日なおも作用しており、
数
新たな形成に富んでいる。若い神である Prajāpati でさえ、自分の数、すなわち十七を与えられている。割り当ての理由は多くの場合明らかであるが、すべての場合にそうであるわけではない。結局のところ、空隙を埋めるために単なる恣意が働いたということもありえよう1。同じ数をもつものはすべて、ある意味で互いに属し合っている。「これは七詩節から成る(讃歌)である。Agni(祭壇)は七層の積み重ねをもつ。七つの季節があり、七つの世界の方位があり、七つの神々の世界があり……七つの韻律があり、七種の家畜があり(41頁参照)、七種の森の獣があり、頭には七つの呼吸力がある。神格の領域と自己の領域とにおいて七重であるものすべて、それらすべてを彼はこれによって(七詩節の讃歌によって)獲得するのである」(ŚB. IX, 5, 2, 8。同様のことは KB. IX, 3)。さて、何らかの神秘的目的のために特定の数を算出することが問題となる場合、その数を合計として与えるような事物を見いだすのに困ることはまずない。21という数を得たいのか。それは12の月、5の季節、三つの世界、そして一つの太陽を加えることによって得られる。あるいはまた、人間(puruṣa)が21重であることからも得られる。すなわち彼は10本の手指と10本の足指をもち、これに自我が加わるのである(ŚB. VI, 2, 2, 3. 4)2。とりわけ韻律の数において計算がぴったり合わない場合には、次の原則によって切り抜ける。「韻律においては一音節や二音節の違いは問題にならない」
力と性質
(という原則によって切り抜ける)1。これは実際、多くの詩人たちの韻律上の実践とまったく一致している。最後には、要求された結果さえ出てくるならば、あからさまな計算違いにも人はおそらく躓かないのである2。
さらに、世界を満たす実体の系列には、力・性質が続く。brahman すなわち Veda の語と Brahmane とに内在する霊的な呪術力、他方 kṣatra すなわち貴族の世俗的な支配力、これら最初の二つのカーストに内在する流動体、これらは二つの vīrya(「力」)と呼ばれる(ŚB. I, 2, 1, 7)。「熱」「Indra の力」「brahman」あるいは「brahman の輝き」が三つの vīrya である(K. XI, 1, p. 144, 16 ff.)。vīrya(「英雄性」)——vīra(英雄)の性質——の本来の意味は、力一般を表す表現へと一般化された。これは抽象を扱う能力と必要とが進展したことのしるしである。たとえば、牝牛はそれが生み出す種々の栄養物質に応じて十種の vīrya をもつ(ŚB. III, 3, 3, 3)。したがって、より古い、より狭い意味における vīrya が、より新しい意味における vīrya の下位区分として挙げられるという事態も起こりうる(同書 XII, 7, 1, 1. 3)。(狭義の)vīrya を生み出す手段としては、加熱が挙げられる(K. XXXVI, 8, p. 75, 19)。vīrya の表象には mahas(「大きさ」)の表象が近い。「汝らの vīrya、汝らの mahas であるもの」と言われる(ŚB. III, 3, 4, 25)。しばしば mahiman(mahas の同義語)として、存在者に内在する——あるいは内在するものとして幻想的に表象される——大きさ、あるいはそうした大きさの種々の様態が語られる5。「昼は、生まれてくる馬6の mahiman である。それより前に
力、性質、情動、行為
生まれたのである。夜はその mahiman であり、それより後に生まれたのである。これら二つの mahiman は馬の両側に生じたのである」(TS. VII, 5, 25, 2)。存在者の mahiman はその自己(ātman)から区別されるが、しかしそれ自身がまた一種の自己である。Kutsa と Luśa とが同時に Indra を自分のもとに呼んだとき、この神は二人の間で途方に暮れ、各自が一部分(aṃśa)を彼から受け取るという提案に従った。一方は彼の自己(ātman)を、他方は彼の mahiman を得た。「こうして彼は自己と mahiman との両者であった」(JB. I, 228, JAOS. XVIII, 32)。——これに近いもう一つの表現が tejas、文字どおりには鋭さ、また火の熱でもあり、生きた活力でもある。どの神も自分自身の tejas をもつ(TS. II, 3, 7)。樹木の tejas は縞(文字どおりには、樹皮の縞)のうちに宿る。「それゆえ、牛の皮の縞を剥がすと、樹木は枯れる」(ŚB. III, 7, 1, 8)。——Agni には輝き(varcas)が宿り、Indra には強さ(ojas)が、Sūrya には太陽の光(bhrājas)が宿る、ŚB. IV, 5, 4, 3 ff.。——同じように、「栄光」(śrī)1も存在者に内在しうる。ある創造神話が伝えるところによれば、生命力と śrī とは、ある不死の存在者の頭(śiras、śrī との語呂合わせ)に集中している。Prajāpati の願いに従って五匹の獣(śrī の複数形)は彼らの頭の中に宿り、それらこそ彼らの頭なのである(ŚB. VI, 1, 1, 4; 2, 1, 7. 11)2。
同様に実体的な存在をもつのは情動でもある。殺される供犠の獣の苦痛は、その心臓に入り、そこから焼串へと出てゆく。それゆえその心臓を地面の上や水の中に投げてはならない。かの苦痛が植物や水の中に入り込まないようにするためである(ŚB. III, 8, 5, 8 f.)。——同じ仕方で善き行為と悪しき行為とが表象される。罪責(enas, āgas)は一つの実体であって、罪ある者から他の者へ、たとえば父から子へと移りうるばかりではない。それはまた純粋に外面的に擦りつけられることも、あるいは黒い鳥が落とす汚物によって転移されることもありうる。これに対応して、それは焼き払われ、洗い
一般的な存在の諸力。有と非有
流され、押し流される1。Indra が Viśvarūpa の殺害によって Brahmane 殺しの罪責を負ったとき、彼はこの罪責を手で掴み、初めの一年はそれを持ち歩いた。それから彼はその罪責の三分の一ずつを大地に、樹木に、女に負わせて自由になることに成功した。そこから生じたのが、洞穴、樹木の赤い樹液、そして月経の血に汚された女である(TS. II, 5, 1)。人間の善き行為は供犠の祭壇(vedi)の内側にあり、悪しき行為はその外側にある。善き行為が悪しき行為よりも重く量られるか否か、それに彼の運命はかかっている(ŚB. XI, 2, 7, 33)。昼と夜の運行は、人間があの世で行った作品(Werke)を破壊する——ただし、彼をその危険から解放する知を彼がもっていない限りにおいて(同書 II, 3, 3, 11 f.)。
最後に挙げるべきは、次のような大きな一般的な存在の諸力である。すなわち名と形態2、法3、不法、真理、信(śraddhā)、苦行(tapas)、悪(pāpman)、死、不死性である。
結びとして、最も一般的な二つの抽象、すなわち有(sat)と非有(asat)。インド的精神の巧みさ、すべての限定と特殊性とを超え出てゆくその巧みさは、早くも早い時期に「有るもの」という表象にまで到達していた。それは単に、存在するものすべてを、より詳しい規定における天地ほどにも隔たった差異を捨象して、それらに共通する述語「有るもの」のもとに一つの大きな把握によってまとめることを学んだ、という意味においてだけではない4。それどころか人はさらに一歩重大な前進をなした。すなわち、そもそもいかなる規定をも自らのうちにもたないような有るものを表象したのである——水でも土でもなく、精神でもなく、ただ有るというだけのものを。もっとも、そこから先へ、この決して直観されえず、決して経験されえない「有るもの」を、最も充全な意味における唯一の有るものとして、全時間を貫いて及ぶあるいは全時間を超えて高く聳える ens realissimum として説明し、それと並んですべての限定された
有と非有
存在を第二次的なものとし、いわばつかの間過ぎ去る影あるいは単なる仮象へと引き下げるという、この思考の大胆きわまる行為は、後代に留保されていた。さしあたっては、事物の始原にして起源である、いまだいかなる規定ももたない有るものに、なお一つの場所が与えられたのである1。世界の存在に到達するためには、遠い道のりの最初の一歩として、まず有一般が成立しなければならぬということが必要と思われた。そのうえで初めて、これに第二の、それとは区別された成果が加わって、あれこれの限定されたものが、そして結局は世界の測り知れぬ多様性と運動性とが有へと到達したのである。しかしさらに進んで、かの有るものの起源が問われるならば——それは何から生じたのか。それはかの暗き胎から以外ではありえず、そしてその表象にはただちに有るものの表象が並び置かれた。すなわち非有るものから、である。あるいはそもそも非有るものを超えてさらに先へと突き進むことができるであろうか。すでに一人の Rigveda の詩人は、世界生命の最も遠い朝焼けについてこう語ることを敢えてした。「そのとき非有もなく、そのとき有もなかった」と。太初において、その圧倒的な原初性が驚嘆すべきものにおいて認められるあの太初において、事物の始原、それらの間で人が揺れ動くことのできたかの二つの始原は、当時なお一方も他方と同じく実現されていなかったのである2……
- 原著の印刷ページの区切りは HTML コメント(`<!-- p.54 -->` 等)で示した。
- 訳者による最小限の補足は〔 〕で示す。
我々は宇宙生成論の考察にあたって、原初的な弁証法の作業に立ち戻らねばならない。その作業は、有と非有との関係の規定に向けられていた。ここでは、非有の観念がさらにどのような文体で扱われてきたか、その特徴づけのために、なお若干の言葉を費やすにとどめよう。非有がひとたび宇宙生成論の定型的形象のうちに取り入れられるや、特徴的なことに、ただちにそれをこれらの形象へ強く同化させようとする傾向が現れ、そのために非有がもつ「非‐存在」という性格が忘却される最大の危険にさらされた。この非‐存在は、たとえば Parmenides のそれとはまったく別種の非‐存在であり、非有の非‐存在を厳しく徹底して真剣に受け止めたあの峻厳さは、ここにはほとんど感じられない。「この(宇宙)は実に初めにおいて非有であった。そこで人は問う、そこにあった非有とは何であったのか、と。それは ṛṣi たちである。彼らこそが初めにおいて非有であった」(ŚB. VI, 1, 1, 1)。「この(宇宙)は初めには無であった。天もなく、地もなく、空間もなかった。この非有であったものが『我は在らんことを欲す』という思いを抱いた。それは苦行を行った。この苦行から煙が生まれた」(TB. II, 2, 9, 1)。かくも速やかに非有は、cogito ergo sum にもかかわらず、思考しはじめ、奇蹟を行おうと身構えるいずれかの苦行者のごとくに行為しはじめるのである。そしてかくも速やかに、抽象の大胆な高みへと昇りつめた思想は、空虚な言葉の響きへと転落するのである¹。
実体の諸群。分類
我々自身による、有るところの・作用するところの諸実体の一覧から、今度はテクスト自体のうちに見出される、たいていは短い一覧へと目を転じよう。ここで最も重要なものとして現れるのは何か。どの程度まで秩序が支配しており、その秩序はいかなる観点に基づいているのか。
ここで言及に値する比較的古い文献が、しばしば支配的である原初的な無秩序を例示しうる。すなわち Sūryā の嫁入りの旅についての Ṛgveda の記述(X,
85, 6以下)である。花嫁と花嫁の車の装具が神秘的に等置される諸存在のうちに、我々は入り混じって、ある種の歌の類、思考、眼、天と地、典礼的なものと韻律的なもの、精神、祭詞、神格、耳を見出す。いくらか異なるが、しかしそれほど大きくは異ならないのが、ucchiṣṭa(供犠の残余)についての Atharvaveda の大讃歌(XI, 7)である。ここでは毎回、同一の詩節のうちに親近的な存在が並べられるのが常である。しかし全体としては、ここでもまた供犠的なものと宇宙的なもの、地上の自然的存在、心的なもの、人間の生活と行為に関わる観念が、無秩序に入り乱れて投げ込まれている。我々にとって前景に立つ Brāhmaṇa 文献の膨大な資料のうちからは、同様に混乱した列挙を二つだけ挙げておく。ŚB. V, 3, 5, 31以下における āvid 定型句の論究は、次の系列を生む。すなわち Prajāpati、brahman、kṣatra(上掲50頁)、出息と入息、家畜、天と地、そしてもう一度大地である¹。別の箇所——「彼(創造者として考えられた死)は、ここに在る一切のものを創造した。すなわち祭詞、祭句、祭歌、韻律、供犠、(人間の)被造物、家畜を」(ŚB. X, 6, 5, 5)。この brahman 的著者の視野において、まず Veda がその韻律ならびに供犠とともに現れ、最後になってようやく、人間と動物もまた存在するということを彼が思い出す様子が見て取れる²。
とはいえ、こうした世界像の混乱のうちにも、いくつかの点である種の秩序が見て取られる。
まず第一に、時にはかなり詳細に、重要なそして最も重要な世界の諸存在の集合を、いわば表の形に配列する構成が見出される。第一の系列は、たとえば方位、季節、神格などのそれぞれ第一の実例から形作られる。次いでそれに対応する第二の系列が、各種類の第二の実例から形作られ、以下同様に続く。こうした表は、Brāh-
manas に遡って、すでに Yajus の定型句そのもののうちに現れる(一例は火壇積みの儀礼から、TS. IV, 3, 3)。例示のために私は、ある Brāhmaṇa の一章に見出されるものを選ぶ。それは世界創造に関わるものである。「彼(創造者)は自らの口から trivṛt(stoma)を作り出した¹。これに従って、神格としては Agni が創造され、韻律としては gāyatrī が、sāman(祭歌の旋律)としては rathantara が、人間のうちでは brāhmaṇa が、動物のうちでは山羊が創造された。それゆえこれらは第一のもの(mukhya)である。というのも、それらは口(mukha)から創造されたからである。彼は自らの胸と両腕から pañcadaśa(stoma)を作り出した。これに従って、神格としては Indra が創造され、韻律としては triṣṭubh が、sāman としては bṛhat が、人間のうちでは貴族が、動物のうちでは羊が創造された。それゆえこれらは力強いものである。というのも、それらは力から創造されたからである」——そして同様に第三、第四の系列が続く(TS. VII, 1, 1, 4以下)。各系列の諸項が、ある種の内的な共通性によって結ばれたものとして表象されていることは明らかである。後の関連において我々は、それらの間に神秘的同一視さえ生じうることを見るであろう²。これらすべてのうちに、私には、太古の思考習慣が存続しているように思われる。原初的な文化水準においてきわめて広く流布している一つの表象類型、すなわち諸存在・諸事物の秩序と類縁関係についての表象類型が、あらゆる種類の存在——動物、植物、天体、方位——を、人間のトーテム集団・氏族などによる社会的集団編成に対応して配列しようとする傾向のうちに現れている³。Mallera という集団に属する呪術師(オーストラリア)は、同じく Mallera である呪具のみを用いることができる。それゆえ彼の遺体のためには、Mallera 階級の樹木の木材のみから作られたものが用いられる。この見方はさらに高次の文化圏においても存続する。バビロニア人の思考、中国人の思考は、見たところこれに浸透されている⁴。もともとは形をなさぬ迷信であったものが、
ここでは半ば学問的な色彩を帯びるにいたったのである。諸存在のあいだに対称的秩序を打ち立てようとするこれらの試み——その根拠とされるのは、我々にとっては多くの場合目に見えず、あるいは偶然的で無関係なものと映るが、遠く過ぎ去った時代においては最高度に生き生きとして決定的であった、諸存在の本性の諸特徴である——こうした試みのうちには、私の考えるところ、Yajurveda の定型句や、ここで問題となっている Brāhmaṇa の言明もまた数え入れるべきである。
さらにこの関連で述べるべきは、Brāhmaṇa と Upaniṣad が多くの場合——この点においてもまた世界像のある種の秩序化に向けて働きつつ——自らの立てる神秘的解釈を、一方では「神格に関するもの」(「adhidevatam, adhidaivatam」)として、他方では「自己に関するもの」(「adhyātmam」)として、二つの大きな類に分けているということである。その際「神格」として現れるのは、古い人格的な神々のみならず、およそ大宇宙の諸存在一般である(上掲14頁以下を参照)。ある観点では地・空・天と同一視される同一の典礼的形象が、別の観点では精神・気息・言葉と同一視される¹。あるいは同一の詩節が二重に解釈される。「自己に関して」は出息、精神、言葉、耳、入息、眼、自己に関して。「神格に関して」は空間、太陽、火(Agni)、月、風(Vāyu)、天と地、年を目して(AB. II, 40. 41)²。こうした箇所においては、供犠がその呪術的な効力を発揮すべき二つの大きな領域が互いに分離される³。この最も頻繁に、そしておそらく最も早くに立てられた二分の図式は、その後さらに拡張され、
すなわち第三に、供犠に支配されるあの二つの存在領域に、供犠そのもの(「供犠に関するもの」adhiyajñam)が加わる。これは brahman 的思索家たちにとって、かの二者に劣らず重要なものである。さらに時折は、なお種々の別のそうした領域も加わる。「諸世界に関するもの」、「諸 Veda に関するもの」等々である。より新しい Brāhmaṇa および Upaniṣad の時代においては、こうした分類を用いて作業しようとする傾向がまぎれもなく増大する。この文献の最古の部分は、その出現以前に位置すると考えることも可能である¹。いずれにせよ、これによって学問性にとってきわめて重要な一要素が獲得された。ひとたび「自己に関するもの」のような一領域が画定されるならば、人は必然的に、そこに属さないものを遠ざけつつ、そこに属するものを個々にわたって計画的な明確さをもって見渡すようになる。多くの重要な前進をもたらしうる道が踏み出されたのである。
五大
特別な考察に値すると私に思われるのは、とりわけ二つの領域からの諸存在の古い列挙である。問うべきは、五つの元素(すなわち ākāśa〔上掲38頁以下を参照〕、風、火、水、地)の教説がいかにして形成されたか、ということである。さらに、人間の身体的‐精神的存在、とりわけ精神的存在がいかに分析されたか、ということである。この両方の関係において我々は、Brāhmaṇa のうちに Upaniṣad の見解がいかに準備されているかを追跡することができる。この後の段階を本論究において考慮に入れないことは、それゆえ適切ではないと私には思われる。
Brāhmaṇa の流動的な表象の集積のうちには、後の元素系列の一部——時にはより大きな部分——が、他の存在との変転する組み合わせにおいて配列されているのが、まれならず見出される。「六つの広がり²が私を苦難から守らんことを、また火と地と水と迅速な力³と昼と夜とが」(ŚB. I, 5, 1, 22)。Agni Vaiśvānara についての一対話(同 X, 6, 1)は、この神秘的な Agni を順次に
地、水、ākāśa、風、太陽、天として解釈する。後の五元素のうちここで欠けているのが火であるのは、おそらくまさに Agni が全体の主題であるからにほかならない。別の箇所(同 XI, 2, 7, 6)では、ある連禱の十一の詩節が、これ(地)、火(Agni)、風(Vāyu)、空間、天、太陽、月、精神、言葉、苦行(tapas)、brahman に対して解釈されている。この系列が元素以外にいくつかの存在をも含まねばならなかったことは、たとえ当時その体系が存在していたとしても、儀礼的連関から要請される列挙全体の長さから帰結したであろう。しかし諸元素は相互にまとまって並んでいる¹。それらを固定した体系として捉えることからなお人がいかに遠く隔たっていたかを示すものとして特徴的なのは、とりわけ、一部は定型句から、一部はそれに付属する説明から成る一系列であって、そこでは互いに対応する多数の五組が並べられている。すなわち自我の五つの力(気息、精神など)、五つの季節、五つの韻律など。そこにはまた、火・風・太陽・方位・月という五組も現れる(ŚB. VIII, 1, 1, 5以下)。もし当時すでに五元素を知っていたとしたら、かくも間近をかすめている五元素を取り逃がすようなことがあったであろうか。また注意すべきは、これらの箇所で列挙されている諸存在が、決して他の一切がそれから成るような根本物質として現れてはいないことである。それらのうちに、宇宙において傑出した偉大な存在ないし力以上のものが見られていたと想定すべき理由はない。
さてこの発展をさらに Upaniṣad へと追跡するならば、そこではまず、これまで考察してきたものとまったく同質の言明に出会う。たとえばある Yājñavalkya 対話(BĀU. III, 7)において、「ātman の身体」として、彼によって支配されるものが次々に挙げられる。すなわち地、水、火、空間、風、天、太陽、方位、月と星、ākāśa(上掲38頁)、闇、燃光(tejas)²。「以上は神格に関してである³……いまや自己に関して」
——そして次が続く。気息、言葉、眼、耳、精神、皮膚、認識、精液。別の箇所(同 IV, 4, 5)では、ātman あるいは brahman は次のものから成る。すなわち認識、精神、気息、眼、耳、地、水、風、ākāśa、燃光(tejas)、非燃光、欲望、非欲望、怒り、非怒り、正、不正、一切。いま伝えた二つの列挙のいずれにおいても、後の五元素はまったく、あるいは大部分、隣り合って並んでいる。それらが相互に帰属するという意識がおそらく準備されつつあるが、まだ明瞭に存在しているわけではない。それらはなお他の諸存在から——BĀU. III, 7 において天や太陽などから区別されないように——明確には区別されておらず、またそれらが我々に馴染みの語義における「元素」であるということも見て取れない。
この「元素」の観念は、一切が水から生じたという内容の言明を度外視するならば¹、いくらか明瞭な形では、おそらくようやく Chāndogya Upaniṣad のかの宇宙生成論において現れる(VI, 2以下。拙著『Lehre der Upan.』69頁以下)²。そこでは「有」が燃光(tejas)を創造し、これが水を、これが食物を創造する。この三つの元素から——それらは後の思弁における三つの「guṇa」を準備するもののように見える——世界の存在が構築される。すべて赤いものは「燃光の形態」であり、すべて白いものは「水の形態」、すべて黒いものは「食物の形態」である³。火、太陽、月、電光——これらはこの三つの構成要素を自らのうちに含む⁴。人間存在の構成要素もそれらに遡る。すなわち食物の元素に遡るのは糞、肉、精神であり、それらはそれぞれ食物の最も粗大な部分、中間の部分、最も微細な部分から生ずる。
ここで原初的な仕方で根本元素に数え入れられている「食物」が、この地
位を保持しえなかったことは十分に理解できる。先に伝えたかの列挙の方が、元素の体系の確立に向けて働く運動にとって、より使いやすい基礎を提供した。必要だったのは、そこに一括されていた諸項のうちから、「自己に関するもの」を度外視しつつ、ChU. VI, 2 において——もちろんぎこちなくではあるが——用いられていた問題設定のおおよその意味において元素とみなしうるものを選び出すことだけであった。こうして天や太陽などは脱落した。そしてこれらの材料から五つの項から成る一覧が形成された。それについてのおそらく最古の証言が AĀ. II, 3, 1(§3 を参照)および AU. III, 3 に存する。すなわち「五つの mahābhūta(「大いなる存在」)」¹、地、風、ākāśa、水、光である²。次いで TU. II, 1——「この ātman(絶対的自己)から ākāśa が生じ、ākāśa から風が、風から火が、火から水が、水から地が、地から植物が生じた」(さらに同様に順次、食物、精液、人間が続く)。ここでは一方の世界根源と他方の有機的存在とのあいだに、ākāśa、風、火、水、地という元素系列が明瞭に浮かび上がっている³。先に挙げた箇所では順序が明らかに純粋に偶然的であるのに対し、ここでは明白に、絶対的存在からの発生により近く立つ最も不定なもの・無形態なものから、より緊密なものへ、そしてそれが最終的に確定的な形態へと流れ込む、という進行が存する。この配列は周知のごとく後代に保持された。私は、その成立がここに述べたような仕方で容易に説明されると考える。さらにそれがその後持続的に保たれたことについては、ある理論が寄与したかもしれない。もっともその理論が、すでに
かの系列の成立に際して働いていたとは、私にはほとんど信じられない¹。すなわち五元素と五感覚作用との結合であって、ākāśa には(より古い表象において方位にそうであったように)聴覚が宿り、以下の各元素ごとに一つずつ感覚作用が加わっていき、ついに地に至っては、それが聞かれ、触れられ、見られ、味わわれ、嗅がれるものとなる、という理論である。明らかに作為的な教説であり——ここには「聞こえる大地」という表象がある!——その典拠の状況から見ても、五元素系列の成立にとって決定的なものと見なすべき理由はない。
人間という人格。生命的および精神的な諸機能
身体世界の元素から、我々はさらに進んで、人間という人格の諸部分ないし諸力についての表象を扱うことにする。
人間存在の太古以来の二分法——きわめて大まかに表現すれば、身体と霊魂ないし生命——は、当然しばしば、また種々の形で現れる。あるときは「身体」(tanū)と「自己」(ātman)とが対置される(たとえば K. XXI, 5, p. 43, 17——「〔sāman である〕yajñāyajñīya は ātman であり、〔sāman である〕vāmadevya は tanū である」)。またあるときは tanū と manas(「精神」)が対置される(たとえば TB. III, 7, 14, 3)。またあるときは「肢体」(aṅga)と「気息力」(prāṇa)が語られる。Prajāpati はある一定の儀礼的形象を「自らの肢体と気息力から」創造する(AB. IV, 23, 1)。多くの場合、表現は身体(śarīra)が何か別のものに対置されるという方向をとる。神々は死に向かって言う。「今より後は何人も自らの身体をもって不死であってはならぬ。汝がこれを汝の分け前として受け取ったうえで初めて、知識または祭祀によって不死である者は、身体から離れて不死であるべきである」(ŚB. X, 4, 3, 9)²。ある亡霊は、身体をもたぬ sāman(祭歌)によって自らの身体(śarīrāṇi)が振り落とされたと語る。かくして ṛṣi たちと神々の身体も振り落とされたのである(JUB. III, 30)。では身体から分離するものが何であるかは、他の箇所が語っている。KB. VII, 4 では śarīrāṇi から「人間のうちにある神格」が区別され、次のように
列挙されている。精神(manas)、言葉、気息、視覚(すなわち視覚器官)、聴覚。これに次の箇所を並べ合わせるとよい——「これらが彼の五つの死すべき身体(tanū、すなわち実体、構成要素)であった。すなわち毛髪、皮膚、肉、骨、髄である。そしてこれらが不死なるものである。すなわち精神、言葉、気息、視覚、聴覚である」(ŚB. X, 1, 3, 4)。最後に次を引く——「彼から気息力が去ってしまったとき、彼の身体(śarīra)は膨れはじめた。彼の精神(manas)はなお彼の身体のうちにあった」(同 X, 6, 5, 6。AB. III, 8, 3 の定型句も参照)。
これらすべてから明らかに帰結すると私に思われるのは、ここでは今のところ本来、身体的なものと精神的なものとの区分が前景に立っているのではなく、死において後に残る身体と、そのとき身体から分離する非身体的なものとの区分が前景に立っている、ということである。指導的な動機としては、extensio と cogitatio の二元論のごときものはまだ発展していない。境界線は、若々しい思考にとって最も切実な仕方で、現実の一つの出来事によって引かれるところに置かれている。すなわち死によってである¹。それゆえ、いま引いた諸箇所が示すように、身体的なものと非身体的なものとの対立は、死すべきものと不死なるものとの対立と一致する²。非身体的なものは不死性をもつ³。
Brāhmaṇa 時代の思考は、後に決定的な意義をもつにいたる生成と存在との対置には、まだ関わっていない。しかし、たとえば「方位」や「年」において空間直観と時間直観のための表現が準備されるように(上掲37頁以下)、ここでもまた、なお遠くからではあれ、生成と存在というかの二つの根本範疇を用いた作業が予告されているように思われる。身体をもつ死すべきものからは、Sāṃkhya の生成し消滅する自然へ、仏教の無常なる此岸へと発展の線が通じている。身体をもたぬ不死なるものからは、不動にして有る Puruṣa へ、Nirvāṇa へと通じている¹。
しかしこの後代への展望から古代へと立ち返ろう。最古の讃歌は、その離脱が死を意味するところの本質的なものとして、あるときは manas「精神」を、あるときは asu「生気」を挙げる(あるいは両者を並べて挙げる)²。明らかに非身体的存在の二つの主要な力であって、そのいずれか一方を手短に名指すだけで足りたのである。同様に、いま挙げた Brāhmaṇa の諸箇所のより詳細な表現法もまた——それらがより詳しく述べている限りにおいて——身体に対置されているものが実際には複数の力であり、我々の言葉で言えば、一部は身体的生命の、一部は精神的生命の担い手であることを示している³。それらのうちから、一方では manas「精神」が、他方ではそれにおおよそ対応するものとして prāṇa「気息」が際立ってくる。後者は比較的新しい語、少なくとも新しい時代になって初めて用いられるようになった語であり⁴、asu とのおおよその等価性が直接に証言されている⁵。
この系列に属する個々の存在の列挙は、
我々の資料の性質からして当然のことながら、細部において多くの点で食い違っている。しかし全体としては、すでに引いたいくつかの箇所に現れ、Brāhmaṇa を越えて Yajus の祭句そのものにまで遡る五組が明らかに優勢である。すなわち精神、言葉、気息、視覚、聴覚である¹。これが、既述の箇所において一致している順序である。この順序は他所においても繰り返される。おそらくその意図は、一方では「互いに一つでありながら、しかしある意味では異なっている」(ŚB. I, 4, 4, 15)精神と言葉とを並べ、他方では同様に視覚と聴覚とを並べることにあったのであろう。そしてこの二つの対のあいだで、気息には中心的な位置が与えられていたのであろう(KB. VII, 4 を参照——「彼は中央において気息を名指す。というのも、この気息は中央にあるからである」)。しかし同一の、あるいはほぼ同一の五要素について、別の配列も見出される。すなわち TB. II, 5, 1 の詩節は順に、気息、精神、言葉、視覚、聴覚に向けられている。ここでは気息が先頭に置かれ、その他は精神‐言葉、視覚‐聴覚という対が先と同様である。K. IX, 13 も同様である。気息、視覚、聴覚、言葉、自己(ātman)。異なるのは同 XIII, 11——精神、視覚、聴覚、言葉、気息。同 XVI, 19——気息、精神、視覚、聴覚、言葉。AĀ. II, 1, 4——視覚、聴覚、精神、言葉、気息(「頭部にその座をもつ美しきものたち」として)。ŚB. VII, 5, 2, 6 は視覚と聴覚を異例にも分離して——精神、視覚、気息、聴覚、言葉²。ところどころでは気息の代わりに、出息と入息、あるいは出息・通息(vyāna)・入息といった特殊な気息の諸種が複数現れる。あるいは五項にさらに付け加えられるものがある。たとえば精液、身体(śarīra)その他が TB. III, 10, 8, 4以下に、生気(asu)、食物が JUB. I, 28以下にある。しかし全体としては、こうした異同にもかかわらず、かの五つの存在の群は注目すべき安定性を示している。
気息
さて人体の解剖学的考察は追わないことにして、我々はこの五項系列の個々の項をより詳しく扱うことにする。その筆頭に置くのは気息(prāṇa)である³。テクストが、
Ṛgveda の「交替神教」が神々に対して行うのと同様に、しばしば入れ替わりつつ、あるときはこの、あるときはあの実体ないし力を最も根本的なもの、すべてのうち最高のものとして讃えるとしても、そうした栄誉はとりわけしばしば、また力強く気息に与えられている。その離脱こそが死を意味するのである。「気息は動物である。というのも、それが自らの気息をもって呼吸しているあいだは、それは動物だからである。しかし気息がそれから去るならば、それは(単なる)丸太となって無用に横たわる」(ŚB. III, 8, 3, 15)。「気息力²によって人間は燃え立つ」(同 I, 5, 4, 1)。「気息は火であり、気息は不死である」(同 X, 2, 6, 18)。「人間における力は、その気息力の及ぶかぎりにおいて大きい」(K. XXV, 7, p. 112, 14)。「直立したまま、それ(気息)は眠れる者のうちで目覚めている。それは横たわることがない。それが眠れる者のうちで眠るということを、何人もかつて聞いたことがない」(AV. XI, 4, 25)。「人が眠るとき、その声は気息へと入り、その視覚も気息へ、その精神(manas)も気息へ、その聴覚も気息へと入る。彼が目覚めるとき、それらは気息から再び生まれ出る」(ŚB. X, 3, 3, 6)³。
さて気息の表象はたちまち多くの個々の気息の形態へと分解し、同時に本性上それに帰属する限界を越えて拡大していく。出息(prāṇa)と入息(apāna)⁴に加えて、vyāna(おおよそ「通息」)、udāna(「上息」)、samāna(「共息」)が現れる。これらの表現についての種々の説明は、すでにかなり古い時代に与えられている。インドの学問においてかくもしばしば現れる状態が、すでにここに見て取れる。すなわち、教説そのものは確定しておらず、確定しているのはそれを要約する標語のみであって、
その標語はある者にとってと別の者にとってとで異なる意味をもつのである。私は錯綜した、我々の目的にとって価値のない細部を追うことはせず¹、消化、排泄、げっぷ、放屁といった身体的過程がこの気息力の表象圏に取り込まれていることを確認するにとどめる。これらの見解の年代についてどう判断すべきであるにせよ、いずれにせよ原理的には同じ方向にあるのが、ある Brāhmaṇa が気息の身体的作用について一般化して述べる次の言葉である。「あらゆる肢体のうちに一つの気息が宿る」(ŚB. VIII, 3, 4, 4 ほか随所)。「気息はすべての肢体を貫通する」(同 I, 3, 2, 3)。「気息の上に諸肢体は基礎づけられている」(同 VI, 1, 2, 15)。それゆえ身体の百一の分節に百一の気息力が対応する(同 X, 2, 6, 15)。しかしこのように、異なる場所で働く種々の気息力が区別されるとしても、その本質と作用の統一性はなお保たれている。一方は他方の上に基礎づけられている(同 X, 3, 1, 9)。「中心をなす気息力であるところのもの……それが気息力の最内奥である。そこからあるものは上方へ、あるものは下方へと進む」(同 I, 4, 3, 8)。
「気息」の表象がこのように拡大された以上、さらに進んで、もともと気息と並置されていた精神、言葉などの諸力もまた「気息力」として捉えられるにいたったのは、驚くべきことではない。「この気息は頭部において五重に分けられている。精神、言葉、気息、視覚、聴覚である」(同 IX, 2, 2, 5)。「彼(Prajāpati)は自らの気息力から動物を形作った。精神から人間を、視覚から馬を、気息から牛を、聴覚から羊を、言葉から山羊を」(同 VII, 5, 2, 6)²。かくして prāṇa、apāna などというかの以前の気息力の五組と並んで、新たな五組が現れる。もっぱら身体的であった気息の意味が、ここでは精神的なものへと及んでいる。もっともこの命題を口にするにあたっては、我々がそれによって我々だけに馴染みであって古人には馴染みでない尺度を思想に当てはめているということを、想起しておかねばならない。古人はむしろ、こうした気息と精神的なものとの混合において、時にはさらに先へ進んでいる。「気息であるところのもの、それが認識(prajñā)であり、
認識であるところのもの、それが気息である」と、おそらく最古の部類には属さないある Upaniṣad は述べている(Kauṣ. U. III, 3. 4)。しかしそのことは、大局的に見れば「気息」および「気息力」にはまさしく呼吸の表象が——呼吸の諸形態として考えられたさらなる生理学的過程を含めて——結びついていたのであり、精神的過程の表象が結びついていたのではない、という事実を何ら変えるものではない。気息に捧げられた Atharvaveda のやや長い讃歌(XI, 4)は、この種の詩に特有の仕方で、気息、すなわち「生成せるもの、有るものと将来のものとのうちに入りきたったもの」を讃美するために集められうるかぎりのものを引き寄せている。しかし manas(精神)にとって特徴的であろうような諸特徴は、そこでは気息には何一つ帰せられていない。
かの讃歌や Brāhmaṇa の多くの箇所が「気息」の像を拡大し、途方もない大きさへと高めるのは、また別の方向においてである。これはこの表象群の発展における重要な出来事であり、ここでしかるべき重みを置かねばならない。「自己に関して」(上掲57頁参照)眠れる者の言葉、精神、視覚、聴覚が気息へと入るように、「神格に関して」は、消えゆく火は風のうちに散り、沈みゆく太陽と月は風のうちに入り、方位は風の上に基礎づけられている。両方の領域の出来事は同一である。「気息であるところのもの、それがこの風であり、それは浄めつつ吹く」(ŚB. X, 3, 3, 6—8)。かくしてかの Atharvan の歌の大部分は、気息をこの宇宙的に捉えられた姿において、すなわち稲妻を放ち、雷鳴を轟かせ、雨を降らせる風として讃美する。気息が——この気息が——草木に吼えかかり、広大な大地をその奔流で満たすとき、家畜は喜び、地上のすべての存在は喜ぶ。生命と香りが増す。大麦と米はこの気息の出息と入息である。Veda 的思考法にあっては、気息の表象がその強大な気息たる風を伴う宇宙の生命へと転移されずに終わるということは、ありえなかったであろう。
すべてを総じて、Brāhmaṇa 思弁における気息の扱いは、その特徴的な習慣と傾向を多く生き生きと示している。すなわち揺れ動く輪郭を弄ぶこと、種々の表象法のあいだを行き来しつつ掴み取ること、幻想的に一般化し途方もないものへと拡大すること、区別のための表現を積み重ねながらも、それらが多くの場合暗く不確定なままにとどまり、そこでは語の方が思想よりも強いものと
なっていること。しかしそれでも最後には、あらゆる変奏を通じて繰り返し響いてくる根本主題が、ある程度保持されているのである。
精神
気息に続いて、我々はかの五つの存在の系列のうち精神(manas)を考察する。
より新しい Veda 時代の美しい讃歌(VS. XXXIV, 1—6)は、manas を神的なるものとして讃えている。それは覚めている者においても眠っている者においても遠くへとさまよう。それは光のうちの唯一の光である。それは、賢者たちが供犠においてその業をなす手段である。それは認識であり、思考であり、把持である。それは過去、現在、未来を包み込む。よき御者がその馬を御するように、それは人間を御する——心臓のうちにその座をもつ¹、迅速な、最も速やかな manas が。
manas に個々にどのような機能が割り当てられたかを問うならば、我々はすでに Ṛgveda において、それが思考するものとしても、感受しかつ意志するものとしても、区別なく現れるのを見出す²。この広い範囲は
その活動領域を、われわれの取り扱っている時代においてもなお保持している。私はわずかな典拠を挙げるにとどめる。見るものとして、また聞くものとして眼および耳と呼ばれる ātman は、「思考するもの(manvāna)としては manas と呼ばれる」(BĀU. I, 4, 7)。「彼が manas をもって思考する(dhyāyati)¹ ところのもの、それを彼は言葉をもって語る」(TS. VI, 1, 7, 4。そのすぐ隣には、意志の領域に関わる直接的な表現がある。「彼が manas をもって赴くところ、それを彼は行なう」)。「私はその女を manas をもって知ろうと努める」(jijñāse. AV. XIV, 1, 56)。「それゆえ、人が背後から触れられた場合にも、人は manas によってそれを識別して知る(vijānāti)」──おそらく、誰が触れた者であるかを、ということであろう(BĀU.
I, 5, 3)。「その manas をもって知ることのない(avidvāṃsaḥ)迷える者たち」(同 VI, 1, 11)¹。次に意志および感情の領域について。ある神に対して次のように祈願される。「汝の manas を富を賜わることに向けよ」(AV. VII, 4, 4。すでに Ṛgv. I, 54, 9 にも同様の表現がある)。万物の始原についてはこう語られる。「かの非存在であったもの、それはその manas を次のことに向けた──私は存在するようになりたい、と」(TB. II, 2, 9, 1)。「もしある人がその manas をもってこの manas の働き(manasyati)を営むならば──『私はヴェーダの句を学習しよう』と。すると彼はそれを学習する。『私は祭儀を執行しよう』と。すると彼はそれを執行する」等々(ChU. VII, 3)。「私はわが manas において喜びつつ家に帰る」(VS. III, 41)。「Indra は彼に讃えられ、その manas において満足した」(AB. VII, 16, 10)。「manas によって人は欲望を欲する」(BĀU. III, 2, 7)²。ある愛の呪法にはこうある。「地上において風が草をかき立てるように、そのように私は汝の manas をかき立てる、汝が私を愛さずにはいられぬように」(AV. II, 30, 1)。このすべてにおいて現われ出ている、精神的器官としての manas の多面性、いなむしろ全面性は、より古い Upaniṣad の一つにおいてきわめて明瞭に表現されている。「manas によって彼は見る。manas によって彼は聞く。欲求、saṃkalpa³、疑い、信、不信、堅持、不堅持、恥、思念(dhī)、恐怖──これらすべてはただ manas にほかならない」(BĀU. I, 5, 3。AU. III, 2 をも参照)。
ここに挙げられた諸表現のうちの一つが、すでにこの時代において、後代の Sāṃkhya 哲学におけると同様に、manas とりわけ密接に結びつけられ、その活動領域を特徴づけるものとして好んで用いられる。すなわち saṃkalpa である。あらゆる水の合一する場所が海であり、あらゆる形象と音声の合一する場所が眼と耳であるように、あらゆる saṃkalpa の合一する場所は manas である(BĀU. II, 4, 11)⁴。最古の言語には saṃkalpa⁵ およびそれに属する動詞 saṃkalpay- はいまだ知られていないように見える。その根底にある語義はおよそ「正しい秩序のうちに、正しい
場所に置くこと」である。これはそれ自体としては、manas の働きに関わるかぎり、純粋に理論的な思想および表象の整序であることもありうるし、また実践的な観点からは、人が行なおうと考えていること、行なわれることを欲していることを整えることでもありうる。ちょうどわれわれが「ディスポジション」という語のもとに、単なる思想内容の配列と、決意や命令の配列との双方を理解しているのと同様である。多くの箇所は、saṃkalpa においては実践的なニュアンスが少なくともはるかに優勢であったことを蓋然的なものとする¹。かくして、決意を定めること、願望を確定することのうちに manas の主要な機能の一つが見られていたことが、多くの場合について明らかとなる。
われわれの考察してきた諸表現の、かくもよく理解しうる不確定性のただ中にあっても、しかしなお明瞭に認めうるのは、問題の時代においては本来的な、根本的な、純粋に精神的な本質存在は──「純粋に精神的」とは私は視覚・聴覚等に対立するものとして解する──まさしく manas、すなわちかの「神的な眼」(ChU. VIII, 12, 5)のうちに見出されていた、ということである。上に論じた五種の列挙において、かかる本質存在として現われるのは manas である。dhī は manas に属する(Ṛgv.)。この表現は逆転しえない。saṃkalpa の合一する場所は manas である(S. 71)²。人が manas をもってしかじかのことを願うところのもの、それが kratu である(S. 69 註 2)。かくして常に manas が根底に存する本質であり、他のものはその機能である。もっともそれらの機能自体もまた、一種の実体的存在を有するものとして表象されえたし、疑いもなく表象されたのである³。それゆえまた、死ぬということが生気(asu)の去りゆくこととしてではなく、
精神の去りゆくこととして語られる場合には、死において去りゆくものが定型的に manas と呼ばれるのである¹。
さて時の経過とともに、他の諸表象と諸表現とが、今のところなお manas と並んで副次的な妥当性をもつにすぎないものとして見出されるのであるが、それらが同等の、あるいはそれをすら凌駕する高さにまで昇ってゆく。古い仏教徒たちは、「眼、耳、鼻、舌、身」に対立させて、精神的なものについて「citta、manas、vijñāna と呼ばれるもの」として語った²。それゆえここでは、manas の取り扱いへの付録として、なお citta および vijñāna、ならびにそれらに属する動詞的表現が、Brāhmaṇa 文献および関連する文献において演じる役割について論じることとする。
citta の派生元である語根 cit- は、Ṛgveda においてなおきわめて明瞭な根本表象によれば、主体の側においては「気づくこと」を、客体の側においては「気づかれること、気づかれうる状態にあること」を意味する。とりわけ、ある人が、より眼の利かぬ者ならば気づかなかったであろう何ものかに気づく能力をもつというかぎりにおいて、また他方では、輝かしいもの、際立って光り輝くもの、もしそれほど眼を惹くものでなかったならば気づかれずにとどまったであろうものが気づかれるというかぎりにおいてである³。眼と耳とによる気づきと並んで、そこには精神的な気づきもまた属する。すなわちその対象が、気づく精神に対して、あたかも明るい対象が眼に対して、あるいはさほど明るくない対象が特別に鋭い眼に対して立つのと同じ仕方で相対するものとして考えられるかぎりにおいてである(それゆえしばしば謎や秘密を見抜くことについて用いられる)。さらに、ここでも切り離しがたい実践的方面への志向によって、この「気づき」はしばしば次のような形態をとる。すなわち、実現されるべき目標とそれへ導く道とを、なされるべき業とそれがなされねばならぬ仕方とを、鋭く、また事に通じた仕方で見据えることを知る、という形態である⁴。
われわれの取り扱っているヴェーダ文献のより新しい領域においては、それほど大量ではない特徴的な典拠のうちに、「気づく」というニュアンスがきわめて明瞭に現われている。Purūravas は「気づいた(aciket)──これがかの火である、と」(K. VIII, 10, p. 93, 19)。彼はそれが存在するとただ考えたのではなく(その場合には動詞 man- が置かれたであろう)、そうであることに気づき、洞察したのである。あるいは人は、牝牛が孕んでいることに気づく(vicittagarbhā, TB. I, 7, 3, 3)。しかしまたより一般的に、思考ないし認識一般をも意味する。たとえば「彼が manas をもって思考する(cetayate)ところのもの、それを彼は言葉をもって語り出す」(TS. VI, 1, 7, 4)。だがこのように表わされた思考には一つのニュアンスが付着しており、それにある Upaniṣad(ChU. VII, 5)が光を投じている。「manas よりも高きは saṃkalpa なり」とそこには言われ、さらに続けて「saṃkalpa よりも高きは citta なり。人が citta を生ぜしめる(cetayate)とき、彼は saṃkalpa を形づくり、その manas を働かせる。それゆえ、たとえ多くを知っていても citta なき者について、人は『彼は何ものでもない』と言う。しかしたとえわずかしか知らずとも citta をもつ者、その者に人は耳を傾ける」。ここでは明らかに、鈍重な博識者に対して、事物における本質的なもの、価値あるものを巧みに見て取る賢者が対置されている。その者はそれに基づいて正しい決意(saṃkalpa)を抱くのである。この箇所がすでに実践的なもののうちへ、意志の方向へと移りゆくものと見なされうるように、他の箇所ではそれがなお一層明瞭である。「わが citta に汝は向かうべし」──かくして恋する者は愛する女を意のままにする(AV. I, 34, 2)。「わが citta に汝らの citta をもって従え。汝らの心を私はわが意志(vaśa)のうちに置く」と、支配的地位を得ようと願う者は語り(同 III, 8, 6)、これに類することは頻繁に見られる。
われわれが動詞 cit- を手短かに「思考する」と訳そうとするならば、citta についてはさしあたり「思考されたもの」という訳が得られ、そこから
はるか後代になってはじめて「精神」という意味が発展してくる¹。しかるにこの「思考されたもの」は、当時の把握の仕方に応じて、一種の精神的実体として表象されている。Tvaṣṭar の呪法によって Indra の諸力が彼から去ったとき、彼の耳からその名声が、彼の尿からその力が流れ出た等々のとき、彼の体毛からはその citta が流れ出て黍となった(ŚB. XII, 7, 1, 9)。この実体(あるいは cetas)の manas という実体に対する関係については、これらすべての表象の不確定な性格からして理解しうることであるが、表現は動揺している。あるときは citta は manas のうちに「織り込まれている」と言われ(VS. XXXIV, 5)、あるときは──dakṣa とともに──manas が認識(prajñāna)であり cetas であると言われ(同 v. 3)、あるときは manas と citta とが並行して並び立つ(VS. XVIII, 2、AV. III, 6, 8 等)。またわれわれは上に(ChU. VII、S. 74)、manas よりも高きは saṃkalpa、これよりも高きは citta であるという序列にもすでに出会った。古来 manas がそうであったように(上記 S. 64 註 2)、citta もまた死において去りゆく本質存在として現われること²は、おそらくより新しい表象の仕方にはじめて属するものであろう³。
さてここで、仏教徒たちによって manas および citta と時に同義的に用いられたかの表現、vijñāna に移ろう。その語義は「区別して知ること、識別的に認識すること」である。「Ārya なる者と Barbar なる者とを区別して認識せよ」とヴェーダの詩人は祈る。われわれはすでに(S. 70)、背後から触れられた者が
manas によってそれを「識別して知る」(vijānāti)──おそらく誰が彼に触れたかを──と語る Upaniṣad の一節に出会った。「舌によって人は食物の味を識別して知る」(ŚB. XII, 9, 1, 14)。これらの箇所の一つにおいて「識別的認識」──われわれは手短かに「認識」と訳してよい──が manas の機能として現われるとすれば、より古い Upaniṣad においてわれわれは、man-(「思考する」)と vi-jñā-(「認識する」)との概念が、いわば段階的序列を形づくり、第二のものがあらゆる見かけからして第一のものよりも高い位置に立っているのを、しばしば見出す¹。かくして「聞くこと、思考すること、認識すること」(ChU. VII, 13, 1; 15, 4; 25, 2)が、また「見ること、聞くこと、思考すること、認識すること」(BĀU. III, 4, 2)²が語られる。感覚界において支配し、絶対的存在においては止揚される主観と客観との二元性について、ある Upaniṣad はこう言う。この世においては「一方は他方を見、一方は他方を嗅ぎ、一方は他方を聞き、一方は他方に語り、一方は他方を思考し、一方は他方を認識する」。しかる後、同じ表現をもって彼岸について、「何によって、また誰を、嗅ぎ、見等し、思考し、認識すべきであろうか」と。しかしこの叙述の結びには、ひとり認識にのみ帰せられるべき神格化とも言うべきものが置かれている。「それによって彼がこのすべてを認識するところのもの、それを彼は何によって認識すべきであろうか。認識者をこそ、彼は何によって認識すべきであろうか」(BĀU. II, 4, 14。IV, 5, 15 を参照。IV, 3, 23 以下をも見よ)³。これと調和して、Upaniṣad においてはこの「認識する」(vi-jñā-)および「認識」(vijñāna)という語が、とりわけ最後の、最高の秘密の認識が問題となるかぎりにおいて、注目すべき頻度で用いられている。ここにおいて、すなわち一切の重点が感覚界の背後に隠された彼岸的存在の認識にかかっているところにおいて、知的機能の命名にあたって、しばしば迷いでもある不安に探し求める「思考」の上に、その隠された目標を確固として捉え、永遠なるものを無常なるものから区別する「認識」というより高い領域が重ねられたということは、理解しうることではあるまいか⁴。──
認識と意志との術語についてのこれらの所見の後、なお簡単に感情の術語に立ち入るとすれば、これについては、少なくとも今のところ、多くを述べるべきことはない。恐怖、欲望、恥といった情動を表わす表現の集成が──それは現在私の手もとにない──実り豊かな成果をもたらす可能性はある。最古の時代に対する重要な進歩は、いまや快感情を表わす一般的表現が定着しはじめていることである。すなわち sukha であり、Ṛgveda においてなお唯一存する本来の意味によれば、それは車輪の轂の孔の具合がよく、それゆえ快適に走る車の形容語であった。これに加えて、最古の Upaniṣad においてはなお稀であるが、接頭辞 su-「よい」と dus-「悪い」との確固たる対応によって不可避的に導き出された反対語、すなわち不快感情を表わす一般的表現 duḥkha が見出される。眼によって形象を、耳によって音声を捉えるように、人は「身体(śarīra)によって快と不快とを」捉える(Kauṣ. U. I, 7)¹。「快を感じるとき人は行為する。不快を感じる者は行為しない」(ChU. VII, 22)²。この「快」「不快」という二つの表現を越えて、「感情」ないし「感じる」を表わす一切を包括する語³にまで、この時代においてもなお到達することはない。ギリシア人の語彙ですらこの点に欠落をもつことを考えるならば、驚くにはあたらない。
すべてを総じて言えば、ここでわれわれが知るに至ったような精神的諸機能の分節化は、なお相当に混沌とした様相を呈している。われわれはそれ以外を期待すべきではない。さまざまな、一部はきわめて具体的な根本表象の上に築かれ
──思考、認識、気づきと並んで見ること、目覚めていることをも含めて──それに応じてさまざまにニュアンスを異にする表現の一群が集まってきており、それらは変転する形姿のうちに緩やかに互いにかみ合い、あるいは互いに結びつき、それでもなお個々の比較的持続的な関係が、それらのあいだから浮かび上がってくるのである。表象生活、感情生活、意志生活の諸要素がきちんと整然と展開されているような、よく秩序づけられた枠組みを、この時代の人々が有していないのは理解しうるところである。身体的・精神的存在を「五蘊」──色、受、想、行、識¹──に従って分析する古い仏教の教説は、なお多くの望むべき点を残しているかもしれない。しかし Brāhmaṇa 時代の状態と比べるならば、この教説のうちに、あるいは次の古仏教の命題のわずかな言葉のうちに²、抽象能力における、確固たる秩序への意識的な努力における、いかなる進歩が映し出されていることであろうか。「三種の感受(vedanā)がある。快なる感受、不快なる感受、快でも不快でもない感受である」。
言葉(vāc)
以上の論述は、五種列における manas の位置に結びついたものであった。この列の残りの項目については、より手短かに片づけることができる。
まず vāc「言葉」である。
Ṛgveda 時代の末期以来(Ṛgv. X, 125)、また Brāhmaṇa 時代を通じて vāc に与えられた重要な地位³が、インド人一般の、語ることおよび語る技術への傾向と関連していることは、十分に信じうるところである。この傾向がその主要な座を有したのは、当然まさしく祭官の圏においてであった。そこでは人々は「言葉の諸形態」──Ṛg の詩節、Yajus の定句、Sāman の歌(ŚB. VI, 5, 3, 4)──を、神々と世界とを導く力として絶えず操っていたのであり⁴、またそこでは
一つの知が営まれていたが、それはかの時代にとっては当然、言い表わし伝達する言葉から切り離しうるものとはほとんど思われえなかったのであり、さらにそこでは早くから文法理論の萌芽が発展させられ、言語の文法的諸要素が呪術的作用の因子として利用されたのである。「私が愛する者は誰であれ」と Ṛgveda(X, 125, 5)において女神 vāc は言う、「その者を私は強大にする。その者を私は brahman となし、ṛṣi となし、知恵に富む者となす」。しかも vāc の最も純粋な形態の所有者であると自負されるのは、まさしく Brāhmaṇa 的学問の中心地が存するところである。「北方の国においては、特別の権威をもつ言語が話される。人は言語を学ぶために北方へ赴き、かの地から来る者に人は耳を傾ける」(KB. VII, 6)。
かくして、思想の言い表わしを司り、それによって混乱したものが判別される(ŚB. IV, 5, 1, 3)この力は、思考そのものと同様の高みにまで昇る。事物の名(nāman)は単なる外的な記号ではなく、その本質の一部なのである。「精神(manas)と言葉とは互いに一つであり、しかもある意味では異なっている」(ŚB. I, 4, 4, 15、上記 S. 65)。あるいは端的に、「思念(mati)は言葉である。言葉によって人は一切を思考する(man-)」(同 VIII, 1, 2, 7)。精神と言葉とが優位を争ったことが語られる(同 I, 4, 5, 8 以下)。精神は言った、「私は汝よりも大である。なぜなら汝は、私が把捉しなかったものを何一つ語らないからである。汝はただ私が行なったことを後から真似るのみであり、私の道に従うのみである。それゆえ私は汝よりも大である」。──言葉は言った、「私は汝よりも大である。なぜなら汝が知っていることを、私が顕わし、知らしめるからである」。両者が裁定を求めた Prajāpati は、精神の主張においても、その根拠づけにおいても、精神を正しいとした。しかし Brāhmaṇa 文献は、そのつど今語っている当の存在を特別の高みへ引き上げようとする傾向をもつがゆえに、vāc に対しても賛辞を惜しまない。他の箇所で他の存在がそうであるように、vāc もまた「気息力のうちの最高のもの」と呼ばれる(K. XIX, 10, p. 10, 19)。人が呼吸するとき、人は気息をもってではなく言葉をもって「私は呼吸した」と言うのである。「出息と入息とは言葉のうちに入りゆく。それは言葉から成るものとなる」。見ること、聞くこと、思考すること、触れることもまた同様である。「かくして自己の全体が言葉のうちに入りゆく。言葉から成るもの
となる」(KB. II, 1)¹。言葉に基づいて、Brāhmaṇa 文献に頻出する諸存在の一つの区別が成り立つ。すなわち規定されたものと規定されないもの、字義通りには「語り出されたもの」(nirukta)と「語り出されないもの」(anirukta)との、形づくられ明瞭に現われるものと、形なく沈黙に包まれたものとの区別である。言葉そのものは nirukta であり、これに対して精神ないし思念は anirukta である(ŚB. II, 4, 4, 5. 6)。彼岸の世界は anirukta である(K. XXVI, 1)。神々のうちで anirukta なのは Prajāpati であり、その本質は他の神々の本質よりも不確定な深みに宿っており、その暗い本性を Ka(「誰?」)という彼の呼称が指し示している。あるいはまた「Prajāpati はこの両者である。彼は nirukta にして anirukta であり、限られたものにして限られないものである」(ŚB. XIV, 1, 2, 18)。祭式の技術は当然、Prajāpati の両形態に(同上)、何らかの点で nirukta に、また anirukta に働きかけることに存する(同 VIII, 3, 3, 7)。かくして vāc の諸存在に対するさまざまな態度の上に、深く及ぶ諸関係と諸作用とが基づいているのである。
世界創造においてもまた vāc は一つの役割を演じる²。「言葉によってこのすべて(の存在)は作られた」(ŚB. VIII, 1, 2, 9)。創造者は「その言葉とその自己とによって」創造し(X, 6, 5, 5)、あるいは「その manas を vāc と交わらせることによって」(VI, 1, 2, 6 以下)、あるいは bhūḥ bhuvaḥ svaḥ という三つの聖なる語を語ることによって創造する³。これらの語のおのおのは三界の一つとなる(XI, 1, 6, 3)。あるいは彼は、「自らのもの、自らの伴侶」である vāc⁴ を注ぎ出し、万有となさしめる。この機会に神は、vāc の文法理論に精通していることを証明することを怠らない。すなわち彼は vāc を三つの部分に切り分ける。a、ka、ho──すなわち母音と二種の
子音¹ である。そしてこれらの三つの部分が三界となるのである(PB. XX, 14, 2)。
「神々は」と Ṛgveda(X, 125, 3. 6)において vāc は言う、「私を多様に分割した。私は天と地とに入りゆいた」。かくして人間の言葉のみが存するのではない。それは全言葉の四分の一にすぎない。他の四分の三は四足の獣の、鳥の、小さな虫の言葉である(ŚB. IV, 1, 3, 16)。樹木のうちにもまた vāc は宿る。それは樹木の材から作られた楽器の、太鼓の、笛の、琴の響きである(TS. VI, 1, 4, 1)。「神的な vāc」とは雷鳴である(BĀU. V, 2, 3)²。しかしこれら vāc の像のあらゆる展開と装飾も、その根底に存し中心に位置する表象を覆い隠すことはできない。それは人間の言葉の表象であり、その現実の、またとりわけ祭式的・呪術的な力をもって、人格の最も本質的な要素の一つとして現われているのである³。
視覚と聴覚。五つの感官
五種列のうちには、最後に視覚と聴覚とが残っている⁴。
そこに視覚と聴覚とが現われるということは、この列が確定された際に、後代のインドおよびわれわれになじみの「五つの感官」の表象(あるいは manas を加えて六つの感官の表象)がいまだ存在していなかったか、あるいは顧慮されなかったことを示している。私はむしろ前者であると考える。五大(上記 S. 58 頁以下)がそうであったのと同様に、五つの感官もまた、いわばわれわれの眼前で徐々にテクストのうちに成立してくるかに見える。五種列においては最も主要な二つのみが、他の諸存在と並列されて現われる。さらにわれわれは、大部分はなお Upaniṣad において、二つ以上の感官を挙げる箇所を見出すが、それらは他のものと混じり合っている。たとえば BĀU. III, 7, 16 以下では、五種列の五項目の後になお「皮膚」が、明らかに触覚の座として挙げられ、次いで認識(vijñāna)と精液とが挙げられる。ChU. VIII, 12, 4 以下では、視覚、嗅覚、言葉、聴覚、manas である。BĀU. II, 4, 11 では四つの感官が manas とともに相次いで挙げられるが、そこには他の諸存在が同等のものとして続く(諸「学問」を伴う心臓、諸業を伴う手など)。とりわけ興味深いと私に思われるのは ŚB. X, 5, 2, 15(JUB. IV, 26 をも参照)である。「人が眠りに落ちたとき、彼は(すなわち気息力によって)何ものをも知らない。manas によって彼は saṃkalpa を形づくらず(上記 S. 71)、vāc によって彼は食物の味を識別せず、気息によって彼は香りを識別せず、眼によって彼は見ず、耳によって彼は聞かない」。周知の古い五種列である。しかしここでは、語りかつ味わう舌の二重の本性に基づいて、vāc(「言葉」)は味覚器官へと解し直され、「気息」は嗅覚器官へと解し直されている。かくして触覚のみを例外として、諸感官が manas とともにここに揃っているのである。ついには Atharvaveda の後代の讃歌(XIX, 9, 5)において、端的に「五つの感官(indriya)と第六のものとしての manas」が現われる。──
さて、見ること、聞くこと等はいかにして成立するのか。知覚されるべき対象からの流出物が感官のうちへ侵入するのであろうか。それとも感官の力が対象へと流れ出て、それを捉えるのであろうか。
Upaniṣad 以前の時代については、私の見るかぎり、この問題はまったく問題にならない¹。そこでわれわれはそれを Upaniṣad にまで追跡するが、もっともここでもきわめて不確定な結果しか得られない²。明らかにこれらの思想家たちの空想は、意識的に確固たる方向をとることなく、その相互関係を確定することこそ課題であったはずの問題の諸要素を、その場その場の思いつきの赴くままに、たとえばたまたま提供された言葉遊びの導くままに、あちらこちらへと動かしたのである。「眼から諸形象が生じる。これがその sāman(祭歌)である。なぜならこれはあらゆる形象に等しい(samam)からである³。これがその brahman(聖句)である。なぜならこれはあらゆる形象を担う(bibharti)からである」(BĀU. I, 6, 2)。「眼は何のうちにその立脚地をもつのか。形象のうちにである。なぜなら眼をもって人は諸形象を見るからである」(同 III, 9, 20)。ここにおいてわれわれが、確たる思想内容をもたないこの空想的神秘主義の戯れと好みの言い回しとに直面していることは明白である。次の二つの箇所はいくらか多くを語っているように見える。「眼として一切の形象が彼(人間)のうちへ注ぎ入れられる。眼によって彼は一切の形象を得る。耳として一切の音声が彼のうちへ注ぎ入れられる。耳によって彼は一切の音声を得る」(Kauṣ. U. III, 4)。「意識(prajñā)によって眼(あるいは耳)に登りゆき、彼は眼によって一切の形象(音声)を得る」(同 III, 6。MU. VI, 6 をも参照)。第一の箇所は、主観へ到達する客観からの流出物、いなむしろ端的にそのように到達した客観そのものという表象を支持する。第二の箇所はむしろ、主観が客観へと出でゆくことを示唆するように見える⁴。この二つの箇所はすぐ隣り合わせに置かれている。結局ここでもまた、表象の確定した、意識的な形成が欠けていたのであろう。
上に述べた五感の体系──それに第六のものとして manas が属する──の形成について、われわれはここでもう一度立ち戻り、次のことを強調しなければならない。すなわちこの教説においては、古い五種列と比べて、明らかに次第に強まってゆく一定の傾向が認められる。それは、生命を自らのうちに包含する諸力の圏内から、精神的生命を代表するものを取り出し、それらを相互に結合し、純粋に物理的な生命力から分離しようとする傾向である。prāṇa(気息)にこの列における位置を残しておく場合には、それを(嗅覚の)感覚器官と解し直すことによって、他のより精神的な項目との同質性が与えられたのである。インド思想における精神的なものと物質的なものとの区別の形成を追跡しようとする者は、ここに提示された資料を意義なきものとは見出さないであろう。五種列と、はるかに進歩した Sāṃkhya および仏教の分析とのあいだに、われわれはここに一つの中間段階を有するのである。この流動の途上にある運動の記念碑を、私は ChU. III, 13, 1 以下にも見出す。そこでは prāṇa¹、眼(あるいは視覚)、vyāna¹、耳(聴覚)、apāna、言葉、samāna、精神(manas)、最後に先行するものと並行する対応項をもたない udāna という列が挙げられる²。五種列が物理的機能の列と精神的機能の列とに分解されているのが見て取れる。その際 prāṇa が古い列から取り出され、五つに分けられて自ら独自の列を形づくることになったため、当然、それがかの列において占めていた場所に空隙が生じた。この空隙は、この表象全体の発展から容易に理解しうるものである³。
中心的な魂の力
かくして五種列に従って身体的および精神的生命の個々の要素を知るに至った後、われわれはいまや、人がこの多様性をいかにして一つの統一へと結合し、それを一つの支配的な力に服属させようと試みたかを考察しなければならない。というのも、本質的な諸要素の純粋に外面的な並置──五種列はそれを越え出ることがなかったか、あるいはきわめて不確定な形においてしか越え出なかった(S. 79)──にとどまることには、当然ながら人は長く安んじていることができなかったからである¹。
そこでやがて、あるときは五種列の個々の項目自体が中心的な地位に進み出て、他の項目に対する一定の支配を引き受け、あるときはこの役割が、かの列の固定した構成要素に属さない独自の存在に帰せられることとなった。
かくして幾度にもわたり、さまざまな形において、気息(prāṇa)に主権が認められた。「置かれたものとは何であり、その上に置かれたものとは何であるか。気息が置かれたものであり、なぜならこの言葉は気息の上にいわば置かれているからである。また気息が置かれたものであり、四肢がその上に置かれたものである。なぜなら四肢は気息の上にいわば置かれているからである」(ŚB. VI, 1, 2, 15)。眠っている者においては声、視覚、聴覚がすべて気息のうちへ入りゆくという言説は、すでに上に伝えた(同 X, 3, 3, 6。上記 S. 66)。言葉、視覚、聴覚は「疲労と化した死によって」捉えられた。ただ「中央にある気息」のみは死に捉えられなかった。そこで他のものたちはすべてその優越性を認め、彼の「形態」となることを決意した。「それゆえそれらは彼にちなんで気息力(prāṇa)と名づけられる」。「まことに、かくのごとく知る者にちなんで、その者の属する家系は名づけられる。そしてかくのごとく知る者と優位を争う者は、干からび、ついには滅びる」(BĀU. I, 5, 21)²。
中心的な魂の力
他の箇所では、最高の地位、すなわち中心的な地位が帰せられるのは manas である。「これらの息の力は manas から生まれ、manas によって繋ぎ止められている」(ŚB. III, 2, 2, 13; VS. IV, 11 を参照)。「神々を繋ぎ止める Savitṛ」——Savitṛ とは manas である。神々とは息の力である(ŚB. VI, 3, 1, 15)。「manas は息の力の主宰者である。なぜなら manas のうちにすべての息の力が基礎づけられているからである」(同 XIV, 3, 2, 3)。「私は自分の manas とともに不在であった。私は何も見なかった。私は自分の manas とともに不在であった。私は何も聞かなかった」と(人は言う)。なぜなら、人は manas によってのみ見るのであり、manas によって聞くのであるから(BĀU. I, 5, 3)——ギリシア人における νοῦς ὁρᾷ καὶ νοῦς ἀκούει と同様である。
しかし、個々の力の一つを万物の中心に据えようとするこれらの試みが、長期的には満足を与えなかったのは理解できることである。これらの力のそれぞれに付着し、それを他の力から区別していた規定性、限定性は、その力が自らの本来の領域を越えて人格的存在の領域における普遍的支配を行使することを、いっそう困難にした。ところで、この存在の統一性と全体性の意識は、すでに古来より、五項の系列という通常の形式のうちには場所をもたなかった一つの表現において語り出されていた。すなわち ātman、「自己」である。ātman が本来「息」を意味していたことはほとんど疑いえない。ドイツ語のこの語〔Atem〕とインドの語とは、語源的におそらく相互に結びついている。しかしその根本義は早くから後退しており、そのためこの語は、人が必要としていたものを提供することができた。すなわち、それ自体としては魂の働きの個別的な一形式を表すことなく、これらすべての形式にとっての統一点をなすような、そうした一つの力についての省察のための足がかりである。
すでに他の側からも正当に指摘されているように、
——もっともこれは自明のことでもあるが——ātman「自己」という語は、とりわけ自己でないものとの対立を強調する。それは、親族・所有物・外界一般に対する自分自身の人格を名指し、また自分自身の人格の内部においては、外的なもの・知覚可能なもの・生かされているもの・支配されているものに対する、内的なもの・本質的なもの・生かすもの・支配するものを名指す。太古においては、神々も asura も「双方ともに ātman を欠いていた(anātman)」。というのも彼らは死すべきものであったからである。「なぜなら ātman を欠くのは死すべきものだからである」(ŚB. II, 2, 2, 8)。ここで人は、Buddha の anātman についてのあの説法を想起せずにはいられない。すなわち、身体的・精神的存在の諸要素はすべて ātman ではなく、それゆえ無常に、苦に陥っているという説である。Brāhmaṇa の原始的・神話的な表象と、仏教的思想の抽象的明晰さとの間には、何という隔たりがあることか。しかし両者は同じ発展の道の上にある。
ātman が、それによって支配される個々の生命力に対してもつ地位のより厳密な確定は、当然ながら動揺を免れなかった。多くの場合 ātman は——そもそも言及される限りにおいては——他の諸力の系列のうちの一つの特殊な本質存在として数えられた。ここでは典拠の一部のみを挙げる。ŚB. X, 1, 2, 4 では ātman、息、言葉。「なぜなら ātman、息、言葉は一緒だからである。……ātman は、生じるもののうちから最初に生じる」。AB. VI, 24 では十組の本質存在。ātman と言葉、視覚と manas、聴覚と ātman。VS. XIV, 17 では、生命、prāṇa、apāna、vyāna(上記 S. 66)、視覚、聴覚、言葉、manas、ātman(それからやや距離をおいて、先行するものとは並行的でない形で、光)。ātman が全体の頂点として最後に置かれているのは、おそらく偶然ではない。というのも、たとえそのような箇所において ātman が他の
諸力と並べて挙げられているとしても、なお ātman には名誉の座が与えられているからである。ātman こそ、その上に「息の力が基礎づけられている」ものである(ŚB. III, 1, 4, 23)。「この ātman は中央にあり、その周囲に息の力がある」(同 VI, 2, 1, 24)。そしてときに ātman 自身が息の力のうちに数えられる場合でも、その際にはやはり ātman の卓越性は、それが「名を持たない息の力」である(同 IV, 2, 3, 1)という点に示される。すなわち、具体的で名指しうるものから、ātman の隠れた本質性が際立つのである。ātman を生命機能の系列における一項として挙げるこれらの箇所の最後として、次のものを挙げておく。私——私の ātman——私の視覚——私の聴覚——私の prāṇa、私の apāna、私の vyāna——全体としての私(ahaṃ sarvaḥ; AV. XIX, 51, 1)。ここでは「私」が ātman から区別されている。
しかし他方では、ātman をむしろこの総体の表現とする、いやまさしく個々の力すべての総和とすると言ってよいような言明にも出会う。たとえば AB. II, 40 では、あるリタニーの七つの詩節のうち最初の六つが prāṇa、manas、言葉、聴覚、apāna、視覚に解される。第七のもの、すなわちリタニー全体を「取り巻いて置かれた」ものは「総体としての(samasta、字義通りには「合成された」)ātman」である——明らかに残りすべての総和である。同様の表象が AV. XI, 8, 31 からも得られる。眼——息——その他の ātman。したがって眼と息とがさらに他の本質存在とともに ātman を構成しているのである。
ātman と個々の力との関係についてのもう一つの表現は次のものである。すなわち、われわれが最初は個々の力と並ぶものとして、次いでその総体と同一のものとして見出した ātman が、それらすべてのうちに住まい働くものとして、さらには——これはそこからさほど遠くないことだが——唯一の本質的なものとして表象され、他のものはその現象にすぎないとされるのである。眼、嗅覚、言葉、耳、manas が対象へと向かうとき、それは ātman、すなわち眼のうちなる精神(puruṣa)等々である。「眼はただ見ることに役立つのみである」。ātman は「manas によって、すなわちその神的な眼によって、かの享楽を眺め、それを喜ぶ」(ChU. VIII, 12)。「人は彼(ātman)を見ない。というのも彼は分割されているからである。彼が息をすれば息と呼ばれ、語れば言葉、見れば眼、聞けば耳、思えば manas と呼ばれる。……彼を、ātman のみを人は崇めるべきである。というのもそこにおいてかの(本質存在)すべては一つとなるからである」(BĀU. I, 4, 7)。もっともこれらは Upaniṣad のテクストである。個々の力のうちに宿る ātman という表象がすでに Upaniṣad 以前の
時代に現れるかどうか、今のところ私には確定的に決することができない。いずれにせよ次のことは明らかである。すなわち、ātman 表象のより古い形態においてもすでに、後代の思想家の深遠さが Ātman–Brahman の理念、万有一如の理念を結びつけることのできた足がかりが見て取れるということである。
実体一般の生
われわれは、Brāhmaṇa の世界像を満たす実体の系列を、いやむしろ多くの系列を考察してきた。天と地から始まって、人間の有機体において働く諸力、そしてそれらの中心にある ātman に至るまでである。その際、多くの個々の本質存在の作用の仕方に触れることも避けられなかった。いまやわれわれには、それらの体験、その営みと働き、それらのうちにより明瞭にあるいはより朦朧と動く内面性について、一般的な像を描き出すことが課せられている。この像に諸特徴を提供する材料を選び出して並べることによって、われわれはこれを導入することにする。その際、それら実体と並び立ちながらも多くの場合それらと融け合っている人格的な諸力、たとえば神格もまた同様に取り上げられねばならない。
神々。その他の人格的なもの。 Prajāpati は「この三重の知識(三 Veda)を自らの自己のうちに注ぎ込み、自らの自己のうちに入れた。こうして彼はまさしくそれらによって、韻律、stoma(典礼の諸形式)、息の力、神格から形成された、万物の自己となった。これらすべてから形成された存在となって、彼は昇っていった。かく昇っていった彼こそ、かの月である」(ŚB. X, 4, 2, 27)。——「かの神格(Prajāpati)が昇っていったとき、それはその汁とともにこの(大地)を貫いて流れた。神々は彼を(再び)元の状態に据えたとき、彼をこの(大地)から集め合わせた」(同 VI, 1, 2, 29)。——「彼らはこれら七つの人格(puruṣa)を一つの人格とした。臍より上にあるものを、そこで彼らは二つ(の人格)を圧し合わせ、臍より下のものを二つ。一方の翼が一つの人格、他方が一つの人格、そして基底が(一つの人格)であった」(同 VI, 1, 1, 3)。——「われらのうちに、牛たちのうちに、あるいはわれらの家のうちに宿る悪しき夢は……」(AV. XIX, 57, 5)。
動物、植物。 牛は「その精神をもって計画する。それは神々のもとへ達する」(AV. XII, 4, 31)。——「長耳の(?)ヤマアラシがこう言った……」(同 V, 13, 9)。——「虫の王は殺された、そして首長も殺された。虫は殺され、その母、その兄弟、その姉妹も殺された」(同 II, 32, 4)。——「ここへ来たれ、賢き(薬草)よ、わが(呪)言の同盟者たちよ」——「すべての薬草は相集いてわが言葉に心を留めよ」(同 VIII, 7, 7. 19)。——「(自分の Brahman の樹木を欲する)者を、樹木は遠ざける。『われらの陰に来るな』と」(同 V, 19, 9)。——供犠のために伐り倒されるべき樹木には言葉がかけられる。「それは伐られることに好意的な心で坐している」(ŚB. III, 6, 4, 7)。
その他の自然的本質存在。 「太陽が古インドの尺度で〔?〕輝くその範囲だけ、それは大きい」(ŚB. XIV, 1, 1, 33)。——星辰は śakadhūma(糞煙の予言者? 私の Rel. d. Veda² 510 を参照)を自らの王とし、彼と語る(AV. VI, 128, 1)。——大地は歌う(ŚB. VI, 1, 1, 15; AB. VIII, 21, 9 等)。——大地は恐れる(ŚB. V, 2, 1, 18 f. 等)。——「精神(manas)という海の上で、言葉という鋤をもって神々は三重の知識(三 Veda)を掘り出した」(同 VII, 5, 2, 52)。——Soma は諸方位に向けて欲望を抱き、それらと交わる(同 III, 9, 4, 20)。——九つの息の力が三つの金属のうちに置き入れられている。「白きもの(銀)は、植物たちと合意のうえで、好意ある心をもって汝に有能さを授けるであろう」(AV. V, 28, 1. 5)。
人工物。 「家長が旅から帰るとき、家は不安に震えるかのようにこう言う。『彼はいま何と言うだろうか、何をするだろうか』」(ŚB. II, 4, 1, 14)。——(太鼓への呪文)「輝かしきものをもたらしつつ、汝の遠くまで響く声を知らしめよ、多くの者に名声を与えよ、王侯が王侯に相対するところで」(AV. V, 20, 9)。——(賽子から逃れたいと願う賭博者が賽子に向かって)「どうか、われらと和せよ。われらを憐れめよ。かくも激しく恐るべき呪力をもってわれらに向かうな」(Ṛgv. X, 34, 14)。——(呪いの軟膏に向かって)「汝は不死の知識をもつ」……「軟膏は三人の奴僕をもつ」(AV. IV, 9, 3. 8)。
供犠とその諸要素。 これは当然ながらとりわけ豊富に見られる。「供犠(yajña)は、この杖や衣のように手で掴めるものとしては目に見えない。神々は目に見えない(paro'kṣam)。供犠は目に見えない」(ŚB. III, 1, 3, 25)。——
「供犠は一人の男(puruṣa)である」(TB. III, 8, 23, 1)。——「(一人の祭官が他の祭官に呼びかけるとき、彼はそれによって供犠に向かって語っているのである。『われらに耳を傾けよ。われらの方へ向かえ』と。そして(他の祭官が)その呼びかけに答えるとき、供犠は彼らの方へ向かい(そして言う)、『そうあれかし、しかり』と。彼らの方へ向かい、種子となったそれを携えて、祭官たちは互いに(一人から他の一人へ)引き渡しつつ、供犠主に見られることなく進んでいく。満たされた器を持って進む者が(一人から他の一人へ)それを渡すように、祭官たちは供犠を(一人から他の一人へ)引き渡しつつ進んでいく」(ŚB. I, 5, 2, 7)。——「供犠はしっかりと足場を固めた。それは動き出した」(同 I, 1, 4, 8)。——「知る者が近づいてくると、供犠は喜ぶ」(KB. XXVII, 1)。——「供犠はガゼルのように驚きやすい」(PB. VI, 7, 10)。——「彼らは供犠を執り行うことによって供犠を殺す。——殺された供犠はもはや効力をもたない」(ŚB. II, 2, 2, 1. 2)。——「供犠は神々のもとから逃げ去った。それは黒いアンテロープとなって去った。神々はそれを見つけ、その皮を剥ぎ取り、それを携えていった」(同 I, 1, 4, 1)。——「供犠は馬となって神々のもとから逃げ去った」(PB. VI, 7, 18)。——神々は供犠(yajña、男性名詞)に言った。「言葉(vāc、女性名詞)は女である。彼女に語りかけよ。そうすれば彼女は汝を自分のもとに呼ぶであろう」。あるいはまた(供犠)は自ら考えた。「言葉は女である。彼女に語りかけよう。そうすれば彼女は私を自分のもとに呼ぶであろう」。彼(供犠)は彼女に呼びかけたが、彼女は遠くから敵意をもって彼を拒んだ。彼はもう一度呼びかけた。彼女は首を振った。もう一度。今度は彼女は彼を自分のもとに呼ぶ。「それゆえ女は結局は男を自分のもとに呼ぶのである」(ŚB. III, 2, 1, 19 f.)。——祭官は呪文によって供物に呼気と吸気、ならびに長寿(āyus)を分け与える。「『汝を眼のために』という呪文をもって、彼は視力を分け与える。これら(の力)は生ける存在に属する。かくして供物は神々にとって生けるものとなり、不死なる者たちにとって不死なるものとなる」(同 I, 2, 1, 21)。——「Ṛṣi たちは供犠のもとへ来たが、それは亀となって這い回っていた。そこで彼らは皆こう考えた。『これが供犠である』」(同 I, 6, 2, 3)。——「彼(祭官)はそれ(供犠菓子)に触れながら、『恐れるな、驚くな』という呪文を唱える。それによって彼はこう言おうとしている。『人間である私が、人間ならざる存在である汝に触れることを、恐れるな、驚くな』と」(同 I, 2, 2, 15)。——神が沈黙のうちに精神において思念した(dhyā-)ものは、供犠歌 Bṛhat へと変わる(PB. VII, 6, 1)。
抽象的な存在、力、性質、秩序、行為など。 ——「神々のもとから不死(amṛta、アンブロシア)が逃げ去った」。彼らは断食し、乳のみを摂ることに制限して苦行しつつ、それを探し求めた。「そのとき彼らはそれの(それが近づいてくる)音を聞いた。彼らは言った。『それが近づいてくる。もっと激しく苦行しよう』」。彼らは三つの乳頭に制限した(四つの乳頭のうち三つからの乳のみを摂った)。「そのとき彼らはそれを見た」。次に二つの乳頭のみ。彼らはそれを間近に見た。一つの乳頭。そのとき彼らはそれが近づくのを見たが、それを掴むことはできなかった。ついに完全な節制。そこでようやく彼らはそれを掴んだ(ŚB. IX, 5, 1, 1 ff.)。——神々と asura とは父 Prajāpati から真実と虚偽を受け継いだ。それらは最初は両者に等しく属していた。やがて神々は真実に固執し、虚偽を捨て去った。「asura のもとにあった真実はこれを見た。『神々は虚偽を捨て去り、真実に固執した。よろしい、私はそちらへ行こう』」等々(同 IX, 5, 1, 12 ff.)。——「この大地には、その上で語られる虚偽が混じり込んでいると言うべきである」(同 XIV, 1, 30)。——Vṛtra の殺害が自分によって成し遂げられたことを知らなかった Indra は逃れて「言葉のうちに入り込んだ」(AB. III, 15, 1)。——「彼(Prajāpati)は決しかねていた。『供犠すべきか、供犠せざるべきか』と。そのとき彼の偉大さ(mahiman)が彼に語りかけた。『供犠せよ!』 Prajāpati は悟った。『私自身の偉大さが私に語りかけたのだ』」(ŚB. II, 2, 4, 6)。——Prajāpati が自らを空にしたとき、Agni は彼の熱力を取って南へ運び去った。それは Kārṣmarya の樹となった。Indra は彼の強さを取ってそれとともに北へ行った。それは Udumbara の樹となった(同 I, 4, 1, 39)。——若い妻からは「夫を殺す身体(tanū)」、「無子の身体」、「無畜の身体」が追い払われる(ŚG. I, 28, 3)。——「悪しき幸運」(不運の性向)はあちこちに飛び回る。鉄の釘をもってそれは、人が不運を願う相手に釘づけにされる(AV. VII, 115, 1)。——季節は天界へと昇った。太陽はそれらのうちにしっかりと足場を得て輝く(ŚB. IV, 2, 5, 9)。——季節と月は Prajāpati と会話を交わす(AB. IV, 25, 1)。——Soma を取りに飛び立った韻律たちは、互いに語り合い、その音節を互いに分け合う。それによって韻律は現在の長さを得る(ŚB. IV, 3, 2, 7 ff.)。——Indra がその罪(Brahman 殺害の罪)を担って回り、この重荷を三つの
三分の一に分けて(大地に、樹木に、女たちに)解き放ち、そしてこれらの三分の一からさまざまな存在が生じるという物語については、上記 S. 52 を参照。——
これらの資料の集成は、さまざまな本質存在の群がいかに広範に互いに同種のものとして表象されているかを例証している。それらが現れる姿は、確固たる輪郭に囲まれているとは到底言えない。それらは好んで互いに変身し合う。あるいは、ある異質な力がそれらに新しい、予期せぬ外観を分け与える。それらは、それがそうであるところのものと並んで、まったく別のものでもある。供犠は一人の男である。これらの等置についてはさらに立ち入って論じることになろう。太古の民間信仰にとって、雷に打たれた樹のうちに雷の本質存在が現前し、足跡のうちにその跡を残した者の本質存在が現前するように、これらの実体は、それらが作用するところに存在する。太陽の輝くところ、そこに太陽はある。それらはすべて多かれ少なかれ同じ具体性をもって現れる。実体性と、同様に実体的な存在をもつ性質との間には、原理的な区別は存在しない。ある存在がある性質をもつということは、その存在のうちに、当の性質を体現する別の存在が宿っているということに等しいのである。供犠や Brahman 殺害のような出来事や行為、同様に年や韻律のような何らかの経過の秩序ないし形式——これらは馬や樹と同様のものであり、これらと同じように行為し、また受苦しうる。存在するところの存在者と、妥当するところの秩序との区別は、この思考にはまだ現れていない。ここでは掴みうる「それはある」のみが用いられている。この存在における確立、この実体化のエネルギーは——さらに付け加えるならば——次のところにまで及ぶ。すなわち、実際には一つの関係、一つの傾向を体現するにすぎない本質存在が、それにもかかわらず、この関係が実際に成立する以前においてすら、それ自体として存在するものと考えられる。そして後になってはじめて、その本質存在は何か神的な創造行為のようなものによってこの関係へと関係づけられ、その表現として刻印されるのである。もちろんその逆もまた然りである。すなわち、それなしには事物の推移を思い描くことができないような当の関係、当の傾向が、素朴にもすでに支配しているものと考えられる一方で、その関係を体現する役割をもつ本質存在の方はまだ存在しておらず、後になってはじめて存在に入るとされるのである。互いに独立していながら実際には同一の事態の二つの表現にすぎないこれらの特異な把握を、以下の箇所によって例証しよう。「彼ら(すなわち
世界を秩序づける神々)が供犠を行った後、彼らは東の方角を見た。彼らはそれを東の方角とした。これがこの東の方角である」(ŚB. XI, 1, 6, 21)。したがって東はすでにそこにあり、神々によって見られたのであるが、それは、東がそこに自らの場所をもつべきだという規定に先立ってのことである。さらに、太初に万物は水であった。すると一つの黄金の卵が生じた。「まだ生じていなかった(字義通りには「生まれていなかった」)ものが、当時の年であった。この黄金の卵は、一年の持続の長さのあいだ漂っていた」(同 XI, 1, 6, 1)。太初、ほとんどの事物がまだ存在しなかったとき、年もまた存在しなかった。しかし出来事は、時間の表象なしに、すなわち古い言い回しで言えば年なしには進行しえない。かくして、「一年の持続の長さのあいだ」という時間の幅がすでにここに存在するのであるが、年そのものの創造は後になってはじめて行われるのである。東の設置についての先に引用した箇所とは、次の頻出する言い回しを比較しうる。「Prajāpati は供犠を創造した。彼はそれを取った。それをもって彼は供犠した」(同 XII, 8, 2, 1)。供犠は、それが行われることによって存在に入るのではない。むしろ、それはすでに現れているのであり、ちょうど一片の木や月と同じように存在する。そして神は、それを取って供犠する。
たしかに、Brāhmaṇa においては、大まかに言って、神や人間について語られる場合にはその人格的本性がより前面に出、対象について語られる場合には対象的な本性が前面に出るのは理解できることである。前者は行為の主体である傾向をもち、後者はむしろ客体である傾向をもつ。しかしその区別は絶えず曖昧になる。人格には、非人格的な流動体として流れ回る能力が帰せられる。Prajāpati は大地を貫いて流れ、そこから再び集められる。
「集め合わせた」(AV. X, 2, 5)。年は万物の総和として「集め合わされた」ものである(ŚB. VIII, 4, 1, 17)。陰茎は山やさまざまな他の起源から「集め合わされた」(AV. V, 25, 1)。より古い時代からは Ṛgv. IX, 67, 31 f.、より新しい時代からは MBhār. I, 677 ed. Calc. をも比較せよ。この加算の可能性には、それに対応する分割可能性が並び立っている。馬の本質存在の三分の一は水のうちに入り込んだ(TB. I, 3, 5, 2)。
非人格的に見えるものが、人格的な生命に満たされているものとして現れる。生命なきものの領域は、われわれの表象にとってよりもはるかに小さい。天の諸方位は交わる。神々とまったく同様に、あらゆる種類の実体が——われわれの表象にとってそれに最も適さないものすら——、Brāhmaṇa の本質存在が特別の好みを示すあのことをする習慣をもつ。すなわち、逃げ去ること、身を隠すことである。いまやそれらは相互の了解のうちに生き、いまや不和のうちに生きる。存在、行為、受苦のあらゆる形式で、そもそも人が知りうる限りのものは、結局はあらゆる存在によって引き受けられうる。他者の生を生きる想像力は、限界を知らないのである。Indra が身を隠したとき、彼を探しに行ったのは「神々のうちの
Agni、Ṛṣi たちのうちの Hiraṇyastūpa、韻律のうちの Bṛhatī であった」(ŚB. I, 6, 4, 2)。かくして神、人間、韻律は完全に肩を並べて立っている。表象の仕方の交替、それによって供犠があるときは語り、聞き、喜び、逃げ去り、あるときは臼の中にあり、あるいは満たされた器のように手から手へと渡されるといったことは、せいぜい部分的にしか意識的な意図に帰することはできないのであって、むしろ、著者たちが一方の箇所ではもはや、他の箇所で言われていたこと、そしてわれわれには両立しないと思われることを、念頭に置いていなかったのだと考えるべきである。否、われわれにとって矛盾であるものこそ、古い表象そのものの本質的要素なのである。Ṛgveda において Agni、Apas、Uṣas が同時に男性的・女性的な人格でありまた自然存在たる火、水、暁光であるように、Brāhmaṇa においても、一つの同じ連関のうちに、別の折に別の機会に抱かれた表象を忘れて、同じ動揺が繰り返し見出される。私は上記(S. 89)に挙げた Prajāpati についての箇所を想起する。Brāhmaṇa の世界像をおのれのうちに再現しようとする者は、われわれ自身の思考習慣を捨て去り、この流動、変転、矛盾するものの錯綜のうちに入り込まねばならない。
さて、以上の引用が示すように、あらゆる種類の本質存在が人間的な情動を備え、人間のように行為するものとして表象されるとすれば、そこでは想像力に、しばしば直接に人間の姿における(場合によっては動物の姿における)人格化が浮かんでいたのであろう。文法的な性に応じて男性的あるいは女性的な姿である。供犠と言葉の物語(S. 91)では、言葉は女であり、供犠は男の役を演じることが明示的に述べられている。これが(S. 90 で)主張された供犠の不可視性(人間の眼にとっての?)とどう折り合うのかについては、あまりに確定的な断定を下すのは適当ではあるまい。Bhṛgu が彼岸を遍歴するとき、彼は信と不信(śraddhā, aśraddhā、いずれも女性名詞)を見る。前者は美しい女として、後者は
——奇妙なことに——過度に美しい女として。また怒り(krodha、男性名詞)は、黄色い眼をし、手に杖を持った黒い男として見る(ŚB. XI, 6, 1, 12 f.)。しかし表象は必ずしも人間の姿に固執するわけではない。Brahman は神々にとって認識しえぬ驚くべきもの(Kena Up. III, 15 ff.)として現れる。それは彼らに語りかける。この物語の全経過は、明らかに人間的な姿を思い浮かべることを許さず、何かしら不定の、異様な外観を思い浮かべさせる。
いま提起されるべき問いは、これらさまざまな本質存在の階級——神々、人間の手で作られた対象、さらには諸関係、諸秩序等々の体現物——の存在と作用について人が抱いた像が、内在する魂を自らのうちに包含していたかどうか、ということである。これを即座に肯定あるいは否定する者は、それによって、実際には概念的な不確定性のうちに漂っていた表象を、あまりに固定した公式へと濃縮してしまうことになろう。同じ本質存在が、あるときはわれわれの側からすれば魂ないし魂の力を推測させるような仕方で活動するものと考えられ、あるときはそうした痕跡を欠いている。古代人にとって、最初のケースにおいて、その帰結として実際に魂が表象されていたのはどこまでなのか、これはたいてい疑問のままである。とはいえ、そのような魂ないしそれに類したものが語られることが時折あるのは事実である。しかし、テクストの膨大な分量を考慮するならば、私に思われるところでは、それは特に頻繁でもなければ、強調されてもいない。私はいくつかの箇所を挙げるが、それらがすべて同等の証拠力をもつわけではないことも承知している。「汝の身から、大地よ、私が掘り取るもの、それが速やかに再び生えいでんことを……汝の心を私が傷つけることのなからんことを」(AV. XII, 1, 35)。——金属は「好意ある精神(sumanasyamānam)」を示す(AV. V, 28, 5、上記 S. 90)。——真珠は「自己性(ātman)を賦与されて水中を漂う」(同 IV, 10, 7)。——呪術の武器 Trisaṃdhi(「三つの関節をもつもの」)への歌より。すべての悪しき存在は「Trisaṃdhi の思念(cetas)のうちに崇敬しつつ留まるべし」(同 XI, 10, 2)。——ある Yajus の呪文。「この供物の自己(tman = ātman)をもって供犠せよ。その身体(tanū)と汝を合一せよ」(VS. XI, 6)。——供物には息、視力等々、すなわち生ける存在の力が分け与えられる(ŚB. 上記 S. 91)。——世界創造者は「三重の知識(三 Veda)のうちに万物を見た。というのもここに自己が
あるからである。すべての韻律、すべての stoma(典礼の諸形式)、すべての息の力、すべての神々の(自己が)」(ŚB. X, 4, 2, 21)。——(ある特定の祭式暦的な配置によって)「彼らは年のうちに息の力(prāṇa)を置き入れる」(TS. VII, 5, 6, 2)。
とりわけ詩的な箇所においては、比喩的表現の可能性を考慮に入れてよいであろう——もっともそれは、たとえば供犠の手続きによって年のうちに prāṇa が置き入れられる場合、年がそれ自体として prāṇa を獲得しえたかどうかを問うような、些末な詮索に強く傾くものではあるが。しかしそれでも私には、これらの表現から次のことを十分に確実に導き出せるように思われる。すなわち、真珠や供物や年のような存在に生気、生ける息等々を付与することが、可能なかぎり文字通りに理解されていたということである。しかしそれと並んで、次の箇所も考察されたい。Soma 供犠に先立って Soma が買われる。ある購入価格として黄金が用いられる。「彼(祭官)はそれ(黄金)を供犠主のもとへ持って行き、次の言葉とともにそれを下に置く。『われらのもとに汝の輝きあれ(黄金)』。かくして(供犠主)は自らのうちに力(vīrya、すなわち黄金の力)を受け取る。Soma の売り手はその身体(śarīra)のみを受け取る。それから Soma の売り手はそこから去る」(ŚB. II, 3, 3, 7)。したがって、この聖なる行為に用いられる黄金は、その身体のほかにもう一つ、それから分離しうるもの、それと比べて明らかにより重要な要素を含んでいる。しかしこの要素は魂ないし自己と呼ばれるのではなく、力と呼ばれる。それ自体としては、vīrya の存在は当然ながら魂の存在を排除するものではない。実際、疑いなく魂をもつ存在にもしばしば vīrya が付与される。しかしここで、身体に対する第二のものとして vīrya が対置されている以上、おそらくは魂は思念されていないと言ってよかろう。
このような蓋然性に対して直接の根拠が存在することは、当然ながら例外的である。しかし、実体の構造がまさにこのような仕方で表象されていたということは、まったく信じるに足る。すなわち、一つの身体、あるいは身体に類する何ものかがあり、そこに一つの力、あるいはある数の力が内在しており、魂はない——より正確に言えば、魂は明示的に否定されたのではなく、魂への思いが遠く、考慮に入らなかったのである。この意味で私は多くの呪術的手続きを理解したいと思う。そこでは vīrya という語やそれに類する語が用いられていないとしても、それは明らかに当の状況にぴったり適合したであろう。婚礼に際して花嫁が
その堅固さを得るために石の上に乗り、家畜の繁栄のために幸をもたらす物質が埋められるならば(私の Relig. des Veda² 498. 503)、そこにはたしかに、魂の表象の協働が必ずしも表現されている必要はない。それよりはるかに近いのは、当の対象に内在し、それらから発する諸力への思いである。もちろん、ここでもわれわれは、魂をもつこと、あるいは少なくとも生気をもつことと、他方で単に vīrya に満たされていることとの区別を、われわれ自身の思考習慣に応じて無条件に確固たる鋭いものとして表象してはならない。vīrya が多くの点で魂に比しうるもの、幽霊的な生命の気配のようなものとして考えられていたことは、十分にありうる。われわれは(S. 50 註 5)、mahiman(「偉大さ」)が一種の vīrya とほぼ同じものであることを見た。そしてわれわれは、Prajāpati の内奥の深みから、神の mahiman が意識ある存在として彼に語りかけることを想起する(S. 92)。
かくしてわれわれが到達した実体の生についての像は、明晰な輪郭を好む者を満足させることはほとんどできまい。魂をもつこと——明確な魂の表象を欠いた生気をもつこと——力に満たされていること、そしてこの力にもまたある種の精神性の特徴が付着しうること。これらすべてのあいだで、表象はいかなる確固たる形式にも縛られることなく揺れ動いている。ここでより確定的なものに固執しようとする者は、解釈するのではなく押しつけてしまうという危険に陥ることになろう。
本質存在とその現象形態のための一般的呼称。tanū, rūpa
われわれがこれまで論じてきた本質存在について、体系的な術語体系——それらすべてに対する最高の、最も一般的な呼称があり、次いで確固たる構成のうちに、それに含まれる個々の群に対する特殊な呼称があるといったもの——は、当然ながらいかなる厳密さにおいても展開されてはいない。見出される表現の仕方は、まったく未完成のままである。ここで人が、作用する実体に対する中立的な表現に出会うのは、次のような場合である。「汝(女)のうちにある恐るべきもの」——「それによって汝が流産する女となったところのもの」——「供犠において悪しく供犠されたもの」。より一般的な意味では、この時代においては
「神格」という呼称が用いられている。これについては上記(S. 15)に述べた。ここで挙げねばならないもう一つの同様に一般的な表現は「存在」(bhūta)である。この語の用法は動揺している。それは特に好んで生けるもの、人格的な存在について用いられる。「Prajāpati のもとへ存在(bhūta)が近づいた」と Śatapatha Brāhmaṇa(II, 4, 2, 1)は言う。「被造物(prajā)の主である存在」——そしてそうした存在ないし被造物としては、神々、祖霊、人間、動物、asura(S. 32 参照)が挙げられる。他方ではしかし bhūta はより一般的な用法でも出会われる。大地、天、太陽、宇宙空間が bhūta のうちに数えられる(TU. I, 7)。より後の時代には、周知のように諸元素が「大いなる bhūta」の名を得る。
より立ち入って論じねばならないのは、この連関において特別の重要性をもつ二つの頻出する表現である。すなわち tanū「身体」と rūpa「姿」である。
古い、インド・イラン時代にまで遡る tanū「身体」には、われわれはすでに「精神」を表す諸表現との対置において(S. 62)、また再帰代名詞の代替物として(S. 86 註 4)出会っている。ある人格ないし事物の身体的な、あるいは身体的なものとして表象された自己が、その tanū である。かくして Agni や Soma の tanū が語られる。また供犠のバター(K. XXX, 8, p. 191, 2)や苦行(TS. I, 2, 7, 1)のような存在も tanū をもつ。しかしとりわけ好まれるのは、ある本質存在の複数の tanū について
(前ページ註1の続き)語に内在する三つの力(命名、転義、暗示)についての教説を置いてみれば、古い時代と新しい時代との相違を測ることができる。
語られることである。それらはさしあたり、その本質存在に内在する「身体」として考えられた多くの力ないし性質を表している。Agni は神々と祖霊に供犠を運ぶ。したがって彼は一つの(神に)捧げる tanū と一つの祖霊に捧げる tanū をもつ(K. XXXVI, 13, p. 79, 12 f.)。Indra がある特定の供犠を「困窮からの解放者」として要求するとき、それは彼が「困窮を助ける tanū」をもつことに基づいている(TS. II, 4, 2, 1 f.)。妻からは、夫に死をもたらす tanū、無子の tanū、無畜の tanū が追い払われる(ŚG. I, 18, 3)。ここではさらに、当の本質存在の部分が問題になっているとも解しうる。それらは互いに同等に並んで全体を構成する部分である。Prajāpati は半ば死すべく、半ば不死であった。「これらが彼の五つの死すべき tanū であった。毛髪、皮膚、肉、骨、髄。そしてこれらが不死なる tanū であった。精神、言葉、息、視覚、聴覚」(ŚB. X, 1, 3, 2. 4)。ここでは著者の表象に即して、他の箇所で Prajāpati の十二の tanū の列挙に際して明示的に述べられていることを補ってよいであろう。「これが Prajāpati の全体である」(AB. V, 25, 21)。しかし tanū と本来の本質存在との関係は別様にも表象される。後者は、t. と呼ばれる従属的な部分から区別される。前者は ātman であり、後者は肢体(aṅgāni)である(TB. I, 1, 6, 3 f.)。あるいはまた、従属的な構成部分と並んで、全体としての存在(ある与えられた事例では供犠)自体が一つの tanū として数えられる(K. XXXIV, 17 p. 48, 4 f.)。人は好んである本質存在の「愛しい t.」について語る。そこでは区別が生じ、ある t. が他のものに対して「より愛しい」あるいは「最も愛しい」ものとして際立たせられうる(AV. XI, 4, 9; XIV, 2, 50)。とりわけ重要なのは、ある本質存在の好意的な、友好的な(śiva, syona)t. と恐るべき(ghora)t. とを区別し、それぞれを祭祀において正しく扱うことである。この多数性はしばしば多くの滞在場所に分けられる。「汝のすべての tanū よ、Agni よ、多くの場所にあるものよ」と Ṛgveda はすでに言っており、Brāhmaṇa はこれを次のように解説する。すなわち、Agni は多様な仕方で水のうちに、また植物のうちに入り込んだ
(X, 51, 1. 3)。より新しい一詩節は、大気のなか、天上、そして地上にある Agni の恵み深い tanū について語っている(K. VII, 13 p. 75, 14)。実在の出来事や現象を解釈しようとする意味深い考察――たとえば Ṛgveda において、水中や植物のうちに Agni の tanū が含まれているとされるような考察――と並んで、当然のことながら恣意的な空想がはるかに優勢である。酔わせる飲料 surā は Prajāpati の t. である(K. XII, 12 の終わり近く)。山羊は苦行の t. である(ŚB. III, 3, 3, 8)。そしてこの種の思いつきは無数にある。最後に述べておきたいのは、太古以来のもので、民間伝承においてかくも限りなく広く流布している「身体の外にとどまる魂」の観念¹が Veda のなかへ送り込んだ諸々の派生形が、ここにその接合点を見いだしたということである。「天における、地上における、そして広い空間における Soma の光」について語る一つの呪文に対して、ある Brāhmaṇa はこう注釈している。「かの者(Soma)が最初に神々の供物となったとき、彼は考えた。『私は自分の全自己をもって神々の供物となりたくはない』。そこで彼はこれら自分の三つの身体をかの諸世界に置いた」――しかしそれでも神々はそれらを手に入れることに成功する(ŚB. III, 9, 4, 12以下)。「神々と Asura たちとが(戦うために)相対していた。神々は勝利を目ざして、その愛しい(上述 101 頁参照)tanū を Agni のもとに置いた。(その際彼らはこう考えた。)われらが勝てば、われらはそれらのもとへ行こう。彼らがわれらを破れば、われらはそれらのもとへ逃れよう」(K. VIII, 15; p. 99, 4以下)。
このように tanū の観念は、一つの存在を種々の要素へ分解し、そのうちのあるものを活動させ、他のものを働かないようにし、全体の実体の諸部分をそこから外へ移し置き、その存在と他の諸存在との神秘的な連関のための定式を見いだそうとする願望に、さまざまな仕方で仕えている。もっともそのすべては、現実についての真剣な観察をほとんど含んではおらず、むしろ思いつきの遊戯であって、祭儀の諸状況と、そこで与えられているものに対して良かれ悪しかれ何らかの説明を見いだそうとする欲求とが、まさにそれを誘ったのである。
tanū の観念とは別の出発点から出ているにもかかわらず、rūpa(「形」)の観念はこれと幾重にも接している。
きわめて古い時代から²、rūpa はしばしば
nāman「名」とともに、「名と形」という固定した結びつきにおいて現れる(逆の順序でも現れる)。これらは「brahman の二つの大いなる巨大存在」であり、ある Brāhmaṇa が言うところによれば¹、brahman はそれらを伴って世界のなかへ入り込んだのであって、それゆえ諸事物は名をもち、その形によって認識されるのである。この思考にとっては――それに固有の様式にまったくふさわしく――「名」と「形」とは常に何らかの特定の存在の名・形であるとは限らず、むしろあちらこちらへ動きうる二つの巨大な怪物的事物が存在するのである。その一方がまさに「名」そのものであり、他方が「形」そのものである。
われわれはまず挿入的に、名の演じる役割について簡潔に語り、それから形へと進むことにしよう。
古い考え方はなお多く生きている。すなわちその考え方にとって名とは、単なる慣習的な記号へと色あせてしまうことからは程遠く、名づけられた事物の本質ときわめて緊密に結びついたもの、いやまさにこの本質の一部なのである。ようやく後代になって Upaniṣad(ChU. VI, 4)は、名についてある種の軽侮をもって、それは単なる「言葉への執着」を意味するにすぎず、これに対し名によって表現されない、名づけられたものの物質的内実こそが「真実」であると語る。このような合理主義的把握とは異なって、名が単なる響き以上のものであることが、幾多の観念や制度のうちに刻印されている。とりわけ神々のあいだで通用する事物の名は、人間のあいだのそれよりも高い程度において、その事物の本質を示す(ŚB. I, 1, 4, 4)。秘められた名は、その隠されていることによって、害をなす呪術が名を手がかりとして用いることから、名づけられた者を守る。「われは汝の名を知る」と、人は呪術によってその上に自らの力を働かせようとする存在に向かって言うのである(AV. VII, 12, 2; XIX, 48, 6)。dhiṣṇya 祭壇は、一つの名しかもたなかったときに具合が悪かったので、二つの名を得た。それゆえ、具合の悪い brāhmaṇa は第二の名を得るのである(ŚB. III, 6, 2, 24)。「生まれた息子には名を与えるべきである。それによって人は彼から災いを追い払う。第二の名も、第三の名も。それによって人は彼から災いをいよいよ遠く追い払う」(同 VI, 1, 3, 9)。
この文が採られている物語は、名と「形」との緊密な関係を具体的に示している。
世界創造の過程で生まれる少年に向かって、創造主はこう語る。「汝は Rudra である」。「彼が彼にこの名を与えたがゆえに、Agni はこの形となった(このように形づくられた)。というのも Rudra は Agni だからである。彼が泣いた(rud-)がゆえに、彼は Rudra なのである。彼は言った。『私はそれ以上に力あるものだ。もう一つ名を私に与えよ』」――そして名につぐ名が続き、そのそれぞれに常に一つの「形」が対応している(10 頁以下)¹。
したがって、祭儀において多面的な存在をその多面性においてできるだけ完全に捉えることが問題となるならば、人は好んで一連の名を用いることになる。「風の名」(TS. II, 4, 9, 1、7, 1 参照)、馬祀祭における「馬の名」(Āp. Śr. XX, 5, 9; 11, 1)その他は、この好まれた手続きの例である。そして個々の名が名づけられたものの特定の本質的特徴を表現するように、名それ自体もまたそれ自身の本質、それ自身の性質をもっている。「あざむくことなき目覚めた名」(VS. VII, 2)、「働きある(?)至高の名」(同 X, 20)、「侵しがたい聖なる名」(同 V, 9)がある。
さてさらに rūpa、「形」へと進もう。
音が聴くことの対象であるように、rūpa は見ることの対象である(BĀU. II, 2, 5; 9, 20)²。「これは見るための形である」と、すでに Ṛgveda は言っている(VI, 47, 18)。目に見えぬ風について、同じ書は(I, 164, 44)その飛翔だけが見られ、その形は見られないと言う。またある Brāhmaṇa は言う。「人は風が波打ち進むのを聞くが、それを見ることはない。というのも rūpa が彼から取り去られているからである」(ŚB. XI, 8, 3, 8)。一般に、ある存在は端的に、それが tanū であると言われるのと同じように、しかじかの rūpa であるとも言われうる。その際、もっともきわめて色あせやすい語義に固執するならば、強調は形の上に置かれ、tanū においては重点が身体性の上に置かれる。この意味において――もし私が正しく理解しているならば――ある文献に、呼吸のある限り rūpa もあると述べられているのは理解されるべきであろう。「しかし呼吸が去れば、人は一片の木のようになり、rūpa をもたぬものとして無用に取り残される」(JUB. III, 32)。屍はそのとき形なき塊にすぎない⁴。
rūpa を脱ぎ捨てて、ただ「その身体をもって」横たわっている。それらは、どうやら形なき塊とみなされているようである。
この「形づくられていること」の強調のうちに、われわれが――もっともなお不確定なものではあれ――質料と形相という動機の響きをまさしく聞き取るとしても、おそらく誤りではあるまい¹。同じ動機はより明瞭に、ふたたび rūpa の語に結びつけられて、すでに言及した(103 頁)ある Brāhmaṇa の報告――brahman がその二つの巨大存在「rūpa と名」を伴って諸世界のうちへ入り込むという報告――のうちに響いており、さらに同じくすでに触れた Upaniṣad の物語(ChU. VI, 2以下。上述 60 頁以下。私の『Lehre der Upan.』69 頁以下)――原初の存在、「有るもの」が最初の三つの被造物、熱、水、食物のうちへ入り込み、それらのうちで「名と rūpa」を分かち置くという物語――のうちにも響いている。かくして火、太陽、月、稲妻が生じ、それらのうちにはそのつど赤い rūpa、白い rūpa、黒い rūpa が含まれている。それらが熱の、水の、食物の rūpa である。もっとも、ここでは質料を捉える形相という思想が最後まで考え抜かれることには決して成功していないことが目につく。諸々の姿ないし形が置き入れられるところのものは、それ自体としては形づくられていない質料でなければならないはずである。ところがそれはむしろ「熱、水、食物」、すなわちすでに形成のある種の要素を自らのうちに担っている質料なのである。Sāṃkhya 哲学の prakṛti におけるような完全な厳密さには、ὕλη の観念はここではまだ達していない。さらに注意すべきは、火などのうちに含まれる赤・白・黒の rūpa についての記述において、この語が、合成されたものが組み立てられる際の構成要素という観念を自らのうちに取り込んでいることである。「火の火たることは消え失せた」と Upaniṣad は言う。「それはただ言葉に執着するのみである。それは一つの転変であり、(単なる)名である。三つの rūpa、それのみが真実である」。かくして合成されたものの存在から、真実はその諸要素のうちへ移されるのであり、しかもこれらの要素がここではその側で、その可視的な色ある現象に即して rūpa と呼ばれるがゆえに、この連関において r. は「転変」、単なる「名」に対置される本質的なものとして現れるのである。
しかし通常は、rūpa はここで得ているようなむしろ偶然的な用法とは異なって、正反対の役割を演じるのが常である。tanū と同じく、rūpa もまた単一の存在の存在についてよりも二つの存在の関係についてより頻繁に用いられ、一方を他方の現象形態として示すのが常である。かくして
本質と現象との区別という動機が刻印される。それはさしあたり空想と呪術信仰の圏内におけるものであり¹、そこから発展の進行につれて、より科学的な分析の圏へと近づいてゆく定めにあるのである。
このように用いられた rūpa の観念は、とりわけ好んで、同一の存在が多くの rūpa において自らを表すという形をとって現れる。これはこの空想が雑多な大量性を好むことに対応している。「姿につぐ姿(rūpaṃ-rūpam)へと施与者(Indra)はなる」とすでに Ṛgveda(III, 53, 8)は言っている。まさにこの神が好んで「あらゆる姿」という表現を用いる。かくして一つの傾向が認識されはじめる。それはさしあたりはなお混沌としているが、やがてより明瞭に汎神論的なものとして自らを開示する。すなわち、多くの現象するもののうちに一つの本質、一つの生けるもの、働くものがある、という傾向である。
しかし本質と現象という思考動機のための rūpa の使用をさらに詳しく例示する前に、あらかじめ述べておきたいのは、この動機とはもう一つ別の動機が未分化のまま結びついているということである。それは普遍と個別との動機である。この思考にとってそれは論理的関係ではなく、神秘的な出来事の沈殿である。個別的なものの多様性はここでは rūpa として普遍的なものの rūpa へと寄せ集められ、いわばそのうちで均されうる。あるいは一つの実体として考えられた普遍が、かの多様性へと分解し、そのうちに現象するのである。「季節たちは、相異なっており、互いに異なっていた。彼らは言った。『われらがこのままであるかぎり、われらは何も生み出すことができない。われらの rūpa をもって互いに合一しよう』。そこで個々の季節はそれぞれの rūpa をもって合一した。それゆえ個々の季節のそれぞれのうちに、すべての季節の rūpa がある」(ŚB. VIII, 7, 1, 3以下)³。「この者(すなわち右眼のうちの『人』ないし霊であって、死と同一
視される者)は、一者でありながら多様に被造物のうちへ入り込んでいる……そこで人は問う。『死は一つか、それとも多くあるのか』。『一つでもあり多くでもある』と答えるべきである。かの者がかしこに(かの世界に)ある限りにおいて、彼は一つであり、彼が多様に被造物のうちへ入り込んでいる限りにおいて、それは多くである」(同 X, 5, 2, 15以下。4, 3, 21 も参照)。ここで rūpa という表現が用いられていないのは、確かに偶然にすぎない。此岸における多くの個別現象が、彼岸なる一者の rūpa であるとも、十分に言いえたであろう。ここでさらに、普遍と個別という動機から全体と部分という動機へと移行する、rūpa についての次の一節を付け加えておこう。「彼は十の Agni(ここでは火壇)を積む……それらすべてを人は一つのごとくに名づける。年、それのすべてがその rūpa である。年の(rūpa)が昼と夜、半月、月、季節であるように、それらはみなその rūpa である」(同 X, 4, 3, 21)。
さて、これらのあまり目立たない把握から、rūpa 観念の主要類型へと移ろう。それは、ある時は理解可能な動機をもって、ある時はそうした動機なしに、一方の存在を他方の rūpa、すなわち他方の現象形態とみなす、まさに見渡しがたいほど大量の空想の遊戯である。それが当然ながらこの祭司的呪術営為のとりわけ熱心な関心と結びついていることは言うまでもない。牡牛は Indra の rūpa である――強力な神の強力な動物である(ŚB. II, 5, 3, 18)。三重に差し込まれた(?)刺し棒は三重の知識の rūpa である(同 II, 6, 4, 5)。修繕され新たに整え直された事物は、第二の実らぬ試みの後に繰り返される聖火の設置の rūpa である(K. VIII, 15, p. 99, 1)。バターと黄金は家畜の rūpa である(同 XXVIII, 4, p. 157, 7)。黒羚羊の毛皮は brahman の rūpa である(頻出)、等々。生殖(ŚB. II, 3, 1, 32)や韻律(AB. I, 6, 3)のような存在もまた rūpa をもつ。ある存在のこうした神秘的な現象形態と、その最も手近な、明白な存在とは、「隠された」rūpa と「目の前に横たわる」rūpa として区別される。Agni の本質が現前している薪は Agni の隠された rūpa であり、Agni 自身が顕わな rūpa である(ŚB. II, 2, 3, 18。同所 §8 も参照。別の意味での顕わな r. は同 XII, 8, 2, 15)。事物の日常的な見方と並んで、その秘められた秩序への眼差しが開かれるのである。ある存在の「言い表された、定まった」r. は
「言い表されない、定まらない」ものから区別される¹。ある時は人はそうした rūpa を「自らにつくり」、ある時はそれに「なり」、それで「あり」、それを「まとい」、それへと「入り込む」。そのとき人は自分自身が見られるのではなく、rūpa が見られるのである²。まったく直観的でない一つの rūpa――Agni の家畜 r.――がいかにして成立したかは、比較的明確に説明されている。「Prajāpati は Agni の rūpa への願望をもっていた。彼は諸々の rūpa へ入り込んだ少年を探し求めた³。そこで Agni は悟った。『父 Prajāpati が私を探している。ならば私は、彼が私のものと知らぬ rūpa になろう』。彼はこれら五つの動物、すなわち人、馬、牛、羊、山羊を見た……。この五つの動物へと彼は入り込んだ。彼は『五つの動物』となった。しかし Prajāpati は彼をこの姿においてもまた認めた。『これらは Agni である……。Agni は燃え上がらされると輝くように、眼は輝く。Agni の煙が出るように、それらの息は出る。Agni が自らのうちに置かれたものを焼くように、それらは食う。Agni の灰が落ちるように、それらの糞は落ちる。それらは Agni である!』」――そこで神は彼のためにその動物を屠る。「Agni たちのために。というのも彼は Agni の多くの rūpa への願望をもっていたからである」(ŚB. VI, 2, 1, 1以下)。ここで「しかじかである」、「しかじかの rūpa である」、「しかじかを rūpa としてもつ」、「しかじかへ入り込んでいる」という諸観念が同価値のものとして現れているのが見て取れる⁴。そして神とその動物的 rūpa との外観がいかに異なっていようとも、世界創造者は同一性の徴を発見することを心得ている。動物の眼からは Agni の輝きが照り出で、
動物の振る舞いのさまざまが、Agni について知られていることと比較されるのである。
以上のすべてを踏まえて、すでに先に簡単に触れた tanū と rūpa という観念の関係を、いまやより明確に表現することができる。
もともと両者はまったく異なったものとして考えられている。tanū は身体性の側から見られた存在、あるいはその身体的構成部分、ないしそうしたものとして表象された性質である。rūpa は現象の側から見られた存在、あるいはその多くの現象の一つである。両語を含む Indra についての Ṛgveda の一句は特徴的である。すなわち彼は自らの tanū のまわりに幻を作り出しながら、姿につぐ姿となる、というのである(III, 53, 8。X, 112, 3; 169, 3 も参照)。ここでは tanū が本質的なものであり、rūpa は現象の幻惑である。
しかしいまや、この区別は当然ながら容易にぼやけてしまう。tanū もまた存在から離れて独立に存在し、存在によって自らの外に置かれることがありうるのであって(上述 102 頁)、それはちょうど rūpa が外部に離れて存在し、存在によってそのように置かれうるのとまったく同様である²。そして他方では、rūpa もまた、tanū と同じく、目立った相違なしに存在それ自体ないしその構成部分の名称として立ちうるのである³。
ここで、いわば相互に調整され、正確に噛み合う表現の体系が用いられていないのは、当然のことである。むしろここでは互いに独立に、ある所ではこの、別の所ではあの把握と表現の仕方が形成されたのであって、それらは一方が他方からある時は分かたれ、ある時はその領域の一部において接し、重なり合い、溶け合っているのである。とりわけ rūpa が、その根本観念に寄り添いつつ、ほとんどプロテウス的とも言うべき多様さをもって、きわめて多岐にわたる思考動機のために用いられてきたさまは、以上において示そうと試みたところである。
諸々の同一化
以上の論述はすでに手短に、いまやより詳しく論じられるべき一つの主要な手段に触れていた。すなわち brahman 的学問が、世界の生を充たしている諸々の力と実体を活動させ、それらから望ましい作用を引き出すために用いる手段である。それは、それらを互いに同一化することである。「Marut たちは水である」。「Viṣṇu は供犠である」。「Prajāpati は年である」。「牝牛は呼吸である」。いやそればかりか、「水には三種ある。蛙と、(水生)植物 avakā と、竹の幹である」(ŚB. IX, 1, 2, 22)。知る者が、互いに同一である存在のうちの一方を捉えるとき、彼は他方――それはまさに別のものではないのだが――に対する力を得る¹。引用したような文は、まず Brāhmaṇa 文献に現れる。すでに Ṛgveda においては、たとえば神々の婚礼において霊(manas)が花嫁の車(anas)であり、天がその上の覆いであり、眼が塗り油であった、というような記述が読まれる(X, 85, 7. 10)。同じ Veda において、ある時は神 Bṛhaspati が、また別の時は人類最初の者 Manu が供犠と同一化されている(X, 13, 4; 100, 5。Ind. F. XXXI, 138 参照)。とはいえここではこの種のものは比較的まれである。古い神々への讃美は別の様式で保たれている。いま引いた諸箇所はこの集成のより新しい構成部分に属する。Yajus の呪文と Atharvaveda においては、予想されるとおり、こうした同一化ははるかに頻繁になる。しかしその本来の故郷は Brāhmaṇa 文献である。ここではそれらが絶え間なく連ねられて積み重ねられており、それはおそらく読者にとって、この文献層の最も顕著な、そして同時に最も奇異な特徴として現れるものであろう。この種の同一化にとって特徴的な
諸特徴を把握すること、しかしとりわけ、いかに不明瞭であろうともその思想内容と、まさにそのように語った者たちの精神的態度を把握すること――これは明らかにわれわれの主要な、そして同時に最も困難な課題の一つである。同一化はどこまで本当に真剣に受け取られていたのか。一方が他方で「ある」と実際に考えられているのか、それとも一方が他方を「意味する」だけであって、したがって単なる象徴とのみ関わっているにすぎないのか¹。
われわれはまず、たしかに大部分あまり愉快ではない課題、すなわち事実関係を詳細かつ明確に提示するという課題に取りかかろう。ただし、明確さがまさに現象の漠然とした性格を歪めてしまわない限りにおいてである。
Brāhmaṇa の根本主題から生じるとおり、諸々の同一化はとりわけ頻繁に――もっとも決して常にではないが――次のような形をとる。すなわち、ちょうど説明されるべき儀礼において呼び求められる神、あるいはそこに現れる祭具、供物、何らかの付属する祭儀的要素ないし自然的存在が、大宇宙の、あるいは小宇宙の一要素と同一化されるのである。言い換えれば、ここには、積極的に与えられた非合理的な神話と儀礼の所与と、他方における進展する時代のより合理的な思考様式との間の裂け目を橋渡ししようとする試みがある。たとえば互いに常に結びついている二神 Mitra と Varuṇa は、満ちてゆく月と欠けてゆく月であり、あるいは意志と知性、祭司身分と王侯身分、把握する者と行為する者である²。かくして同一の主語に対して、縦横に任意の数の述語が――私がこれらの語をどのような意味で用いているかは了解されよう――一息のうちに付与されうるのであり、また同じ述語が多くの主語と結びつくのである³。
Ṛgveda において Soma も、また戦車もそうしたものである。Brāhmaṇa からは、無数の箇所のうち KB. XII, 2 を挙げるにとどめる。供犠の解釈においては、悪しき力を打ち砕くための武器への欲求がしばしば現れるのであるから、これは容易に理解される。またとりわけ好んで、いま話題となっている存在が「一切」にほかならぬものとされる。これは無制限の本性と作用力を与える最も気前のよいやり方である。
一方が他方を排除するとわれわれは思うであろう。しかしここに、排除すること、排除されることなどどこにあろうか。同一化の可変的な性格は、時として明示的にも強調される。A = B、C = D という等式を立てたのちに、「あるいはまた逆にも」と付け加え、そこで A = D、C = B と置くのである(ŚB. III, 2, 1, 3。同様に VI, 4, 4, 10)。しかしながら、ある種の同一化には特別に固定した性格が備わっていることも観察されうる。神 Bṛhaspati が brahman であること、供犠が Viṣṇu であること、黒羚羊の毛皮が「brahman の姿」であること、供犠の灌頂(dīkṣā)によって聖別された者が胎児であること――これらは偶然や一瞬の恣意によって思いつかれた文ではなく、神話的・儀礼的な表象圏のうちにより深く根拠づけられており、まさにそれゆえにより持続的な種類のものであり、新しいものによって押し流されることに対してより大きな抵抗力をもつ¹。
特別な、しばしば繰り返される形態として、なお次のものを挙げておこう。すなわち、同一の存在が、自然の経過ないし儀礼において通過する一連の継起的状態において、互いに同種の一連の別の存在と同一化されることである。火は、燃え上がらされようとしていてまだ煙しか見えないときには Rudra である。より明るく燃えるときには Varuṇa である。完全に燃え、煙が最高の力をもって渦巻き昇るときには Indra である。炎が弱まるときには Mitra である。炭のなかに熾のみが残るときには brahman である。これらの状態の最後のものを支配している静けさ――それはなお生を自らのうちに担っている――が、かの
中立的な力能を体現するのにかくもふさわしいとみなされているのは、意味深いことに思われる(ŚB. II, 3, 2, 9以下。同様の系列はしばしば見られる)¹。
さらにここで特に挙げるべきは、より大きなあるいはより小さな存在の群、時には正式の体系相互の頻繁な同一化である。上に(55 頁以下)述べたように、存在ないし実体の系列全体が項ごとに――たとえば神格が階級、動物種、韻律と――対応づけられ、ある種の相互の神秘的照応のうちに置かれることが好まれる。そこから Brāhmaṇa の思考習慣は容易に直接の同一化にまで至る。最も単純な例。春は brāhmaṇa 身分であり、夏は貴族であり、雨季は庶民である(ŚB. II, 1, 3, 5)。あるいははるかに大規模なものとして、ある Upaniṣad(ChU. II, 2以下)において、供犠の旋律の五つの部分は五つの世界空間、すなわち大地、火、大気、太陽、天である。それらはまた五つの季節、すなわち春、夏、雨季、秋、冬である。それらは五つの呼吸力(上述 66 頁)、すなわち呼吸、言葉、眼、耳、霊である――さらにこの種の五つ組の一連のものが続く²。
さて、こうした等式にもとづいて同一の存在に対して与えられうる種々の表現のあいだには、すでに rūpa 観念の考察の際に述べたように(107 頁)、ある種の位階の差ないしその他の原理的な相違が考えられうる。すなわち顕わなものと隠されたもの、神的なものと人間的なもの³である。供犠の火である Agni は、供犠に用いられる薪においては「隠されたアグニ的な姿」において在るものとされ、これに対し Agni たち、すなわち火そのものは「顕わなアグニ的な姿」である(ŚB. II, 2, 3, 18。上述 107 頁)。供犠の火は「彼(供犠者)の神的な自己」であり、これ(彼の地上的な本質)は「彼の人間的な自己」である(同 VI, 6, 4, 5)。――
同一化の理解にとっていまや重要と思われるのは、それと同価値のものとして用いられる種々の表現に注意することである。かくしてわれわれは、最後に引いた引用の一つに、上で詳しく論じた語「姿」(rūpa)が、同一化された二つの存在の関係を示す標語として用いられているのを見いだす。またすでに先に(108 頁)、Agni と家畜の物語において、「A は B である」と「A は B の rūpa をもつ」という言い回しが互いに交替するのを見たとおりである。このような仕方で次のように言われる。「まことに雨季はすべての季節である¹……雨季はすべての季節の一つの rūpa である」(ŚB. II, 2, 3, 7)。「真実は水である。それゆえ水が流れるところで人は言う。『これは真実の rūpa である』」(同 VII, 4, 2, 7)。「Prajāpati は天界へ行くことを望んだ。まことにすべての動物は Prajāpati である。人、馬、牛、羊、山羊。これらの rūpa によっては彼はそれをなしえなかった」²。「Agni は神々から逃れ去った。神々は言った。『まことに Agni は動物である。動物によって彼を探そう。彼は自らの rūpa に姿を現すであろう』。彼らはそれを首尾よくなした。それゆえ、あらゆる動物もまた自らの rūpa に姿を現す。牛は牛に、馬は馬に、人は人に」(同 VI, 3, 1, 22)。すなわち、Agni が自らの rūpa である動物たちに姿を見せることは、一頭の牛が他の牛に姿を見せることと同列に置かれているのである。
rūpa に続けて、明らかに同様に同一化を含みあるいはそれに近く、一部は明示的な同一化と交替する他の諸表現³を取り上げよう。それらもまた同一化の観念を具体的に示すのに寄与するからである。
まず pratimā「模像」(字義どおりには「対応像」)である。Agni と Soma のための供犠獣によって、供犠者は自らを贖う。「その(動物)から食べてはならない。というのもそれは pratimā によって(すなわちその模像として)一個の人間だからである」(KB.
X, 3)。「まことに車がそうであるように(yathā)、供犠は pratimā によってそうである」(同 XI, 8)。「まことに供犠者の pratimā は供犠の菓子である」(TB. III, 2, 8, 8)。火壇の積み上げに用いられる 360 という数のある種の石について。「それらは夜々の(神秘的な)獲得のために、夜々の pratimā として作られる」(ŚB. X, 4, 3, 13)。近接した箇所ではこれらの石は夜々と直接に同一化されている(X, 4, 2, 2)。もちろんこの考え方は、原像と模像とのあいだに、押しつけがましく迫ってくる相違が感じ取られることを妨げはしない。次の一節はそれを感じさせる。もっともその後すぐに、特徴的な仕方でその相違を再び曖昧にしてしまうのだが。「彼(Prajāpati)が神々に自らの自己を与えてしまったとき、彼は自らの pratimā として供犠を創造した。それゆえ人は言う。供犠は Prajāpati であると。というのも彼はこれを自らの pratimā として創造したからである」(X, 1, 8, 3)。――これには「ように」(yathā, iva)を伴う比較が近い。そうしたものの一つは KB. XI, 8 においてすでにわれわれに出会った。同様に「というのも Prajāpati は供犠者のごとく(iva)だからである」(TS. II, 5, 11, 5)――これが「Prajāpati は呼吸である」(ŚB. IV, 5, 5, 13)と言われる場合と違った意味で考えられていないことは確かである。「広間のように(yathā)、年はある。広間の二つの半分のように、年の二つの半分はある」等々(K. XXX, 5, p. 187, 1)¹。
次に、派生形容詞による表現法に触れる。Agni、Prajāpati から āgneya, prājāpatya が作られるが、これらの派生語はもちろん「Agni に属する、Agni に由来する、Agni の本性をもつ」といった多様な意味のニュアンスをもつ。この種の派生語はしばしば、明示的な同一化とまったく同様に、あるいはそれと近接して混じり合って用いられる。馬は prājāpatya「Prajāpati の本性をもつ」ものである(たとえば ŚB. XIII, 1, 1, 1)。Agni は gāyatra「韻律 gāyatrī の本質をもつ」ものである(たとえば同 IX, 4, 3, 6)。動物は jāgata「韻律 jagatī の本質をもつ」ものである(たとえば同 XIII, 1, 3, 8)。この表現法が多かれ
少なかれ同一化と同価値であることは、そこでまさしく「韻律は動物である」(ŚB. VIII, 3, 1, 13)、「Agni は gāyatrī である」(同 I, 8, 2, 18)とも言われるときに示される。また、火壇の積み上げに際して祭官が牡山羊をもって一定の儀礼を行うことについて、「牡山羊は āgneya である。かくして彼はそれ(Agni、すなわち火壇)をそれ自身の自己(ātman)で装備する」(VI, 4, 4, 15)と述べられるときにも示される。
いま触れた Agni と牡山羊との関係は、別の箇所では次のようにも表現されている。「Agni の熱から牡山羊は生まれた」(VS. XIII, 51)。かくしてここでは、他の場合には同一化として現れるものが、他の存在から生まれたこととして表されている¹。これと類似の意義をもつものとして、さらにここで挙げておこう。しかじかの実体から成っているという観念である。Ṛgveda(X, 85, 10. 12)には、車が「霊」(manas。上述 110 頁参照)であるということと、それが「霊から成る」(manasmaya)ということとが並んで置かれている。さらに所有、所属の観念。Agni と gāyatrī の同一化と並んで「Agni の韻律は gāyatrī の韻である」という表現がある(ŚB. I, 3, 5, 4)。「春は brahman である」(同 II, 1, 3, 5)。しかし同時にまた「春は brāhmaṇa の季節である」とも言われる。さらに、これに最も近いものとして、支配することと支配されることの観念。長い一連の呪文において、神的存在が次のような図式に従って挙げられている。「Mitra、kṣatra(王侯的・戦士的な力)、kṣatra の主。Indra、力、力の主」等々(同 XI, 4, 3, 11以下)。形づくる神 Tvaṣṭar は諸々の姿である。しかし同時に「Tvaṣṭar は諸々の姿を支配する」とも言われる(同 V, 4, 5, 2. 8)。共同性、結合という観念もまた同一性と溶け合う。「彼ら(供犠の灌頂を受ける者たち)は神格 Agni と Viṣṇu のもとへ至るであろう。彼らは Agni と Viṣṇu との共同性と、その世界への参与とを獲得する」(同 XII, 1, 3, 1)。同様の、しかしいくぶん異なるものとして、呼吸は大麦である。
というのも大麦の上に呼吸が置かれているからである(意味するところは、穀物が生命を保つということである。AV. XI, 4, 13)。さらに、内在する力の所有という観念。「(韻律)gāyatrī は呼吸である。呼吸の大きさと力であるところのもの、それゆえにそれがこの千(の gāyatrī 詩節)である」、ŚB. X, 3, 1, 2。最後になお、変身への信仰を挙げておこう。これもまた同一化に際して働いていることがありうる。「(神々は言った。)われらはこの栄光を見たい。それは大地となった。まことにこの大地が栄光である。それゆえ、そこから最も多くを得る者が、最も栄光ある者となる」(ŚB. XI, 1, 6, 23)。「月は霊となり、心臓のうちへ入った」(AU. I, 2, 4)。しかしまた「月は霊である」とも言われる(ŚB. X, 4, 5, 2)。
私が思うに、Brāhmaṇa 文献の言語は、見られるとおりきわめて多様なニュアンスをもつ、互いに同一化された存在の連関に対する一般的な名称をもっている。すなわち nidāna、字義どおりには「結合」(語根 dā-「縛る」から)である。この同じ語は、その非比喩的な意味において Ṛgveda(VI, 32, 2)で、Indra によって解放される牝牛たちの縛られていることについて用いられている。すでに Ṛgveda(X, 114, 2; 130, 3)において明らかに準備されつつあるこの語の転義的用法が、Brāhmaṇa 文献の神秘思想において用いられるさまを、次の諸箇所が具体的に示している。供犠へ引かれてゆく動物の前に燃え木が運ばれる。「まことに供犠者は nidāna によってその動物である……その光とともに供犠者は、光を自ら有する者として、天界へ行く」(AB. II, 11, 5)。「まことに供犠者は nidāna によって供犠柱である」(ŚB. III, 7, 1, 11。I, 2, 4, 12. 13 も参照)。「まことに言葉は nidāna によって、それによって Soma が買われるところの牝牛である」(同 III, 2, 4, 10. 15)。nidāna の明瞭な語源的意味をこれらの箇所と突き合わせるならば、私にはここでこの語にいま述べた以外のいかなる意味を与えるべきか分からない¹。――
われわれはこれらの同一視の像を、さらに次の点によって完全なものとしなければならない。すなわち、人々がしばしばそれらに付け加えた根拠づけの例をいくつか提示することによって、である。というのも、そのような単なる主張だけでは十分でないという感覚が、多くの箇所に現れているからである。もっとも、これらの根拠づけはたいてい次のような性質のものである。すなわち、それを根拠づけとして認めるためには、近代的な思考の習慣をまったく脱ぎ捨て、あらんかぎりの感情移入の強度をもって、あの、無頓着に、恣意的に表象と戯れる思考の初期時代のうちへ、さらにまた「何でもできる・何をしてもよい」という祭官的気分のうちへ、身を置き入れなければならないのである1。
「動物とは気息(呼吸)である。というのも、それが自らの気息をもって呼吸しているかぎり、それは動物だからである。気息がそれから去れば、それは材木の塊となり、無用に横たわる」(ŚB. III, 8, 3, 15)。同じ同一視が、他の箇所では別様に根拠づけられている。「彼(創造主)は〔自らの〕諸気息力から動物を作った。すなわち意(manas)から人間を、眼から馬を……。それゆえ、彼がそれらを自らの気息力から作ったがゆえに、それらは気息である」(同 VII, 5, 2, 6)。犠牲獣の網膜は精液と同じものである。なぜなら両者はともに流れ出るものであり、両者はともに白っぽく、骨をもたないからである(AB. II, 14, 2)。ṛc(祭儀の詩節)は大地である。なぜならそれは大地の上で朗誦されるからである(ŚB. IV, 6, 7, 1)。水は法(正義)である。なぜなら水が豊かに支配するところではすべてが正しく運び、逆に降雨の不足が生じれば強者が弱者から奪うからである(同 XI, 1, 6, 24)。「中央の気息力」は Indra である。なぜならそれは他の諸気息力を支配し、それゆえ「燃え立たせるもの」(indha)と呼ばれるからである。ところで indra とは秘められた形では indha と同じであり、神々は秘められたものを愛するのである(同 VI, 1, 1, 2)。――この種の語源解釈がブラーフマナにおいてとりわけ頻繁であることは周知のところである。
ある特定の儀礼において、ある一人の王族階級(rājanya)の者が一撃を加える。「この者は明らかに Prajāpati に属する、すなわち rājanya は。それゆえ、一人であるところの彼が多くの者を支配するのである。そして Prajāpati は四音節であり、rājanya もまた四音節であるがゆえに、それゆえ rājanya は一撃を加えるのである」(同 V, 1, 5, 14)。――しばしば根拠づけは、「相等しい二つの大きさは互いに等しい」という原理にしたがう。「彼は〔それを〕そこに置く(本来はある種の祭歌の図式を指す。ここではそれを表現する煉瓦を祭壇の積み上げに際して置くこと)。stoma〔讃歌の型〕はまことに気息力であり、rṣi たち、すなわち讃歌の作者たちは気息力である。したがって彼はそれとともに rṣi たちをそこに置くのである」(同 VIII, 4, 1, 5。また XII, 1, 1, 2 その他をも参照)。――同一視が拒否されるという、自然にも稀な事例もまた特徴的である。たとえば graha という神秘的存在、つまり soma の汲み取りが問題となる。この語は同時に「掴む者」をも意味する。「名がその graha である。なぜなら名によって〔存在は〕掴まれるからである」。しかしこれには次の難点がある。すなわち、その graha が名であるのだろうか。われわれは多くの人々の名を知っている。しかしそれによってわれわれはまだ彼らを掴んではいない。食物こそが graha である。なぜなら食物によってすべては掴まれる(固定される)からである。それゆえ、われわれの食物を享受する者たちがいるかぎり(われわれなら言うであろう、われわれのパンを食べている者たちがいるかぎり)、その者たちを、われわれは掴んでいる(彼らはわれわれの手中にある)。これが確定した結論(考察の帰結)である(同 IV, 6, 5, 3 以下。Eggeling の訳では一部不正確である)。「ここで人は言う。これらすべてが動物である、すなわち山羊、羊、野獣であると。しかしこれらすべてが動物である、すなわち牛が」(同 XIII, 3, 2, 3)――明らかに意味されているのは、個々の動物種のうち最高のもののみが、しかも下位のものが動物的本質の全充溢を自らのうちに包み込むということである。ブラーフマナの作者たちが、もし同一視を受け入れ、それをかくも説得力ある仕方で根拠づけることに、より大きな困難を見いだしていたなら、その方がわれわれには好ましかったであろうことは疑いない。
最後に、互いに同一視された存在の連関に付与された作用力について、特徴的な箇所をいくつか挙げよう。
火の祭壇の積み上げに際して、Agni を表す黄金の人形が壁に塗り込められる。「〔祭主が〕この〔人〕を据えたのちには、
彼はその前を通り過ぎてはならない(つまり、『この Agni がわたしを害さぬように』と考えるのである)」(ŚB. VI, 4, 1, 24)。――祭火を設置するに際して、「Agni と太陽との間を通り抜けてはならない」(Āpastamba Śraut. V, 14, 10)。明らかに、太陽と、それと同一視された Agni との間には、人がそれを乱しうるような、あるいはそれによって害を被りうるような力が動いているのであり、その間に人が入り込めばそれらの妨げとなるのである。
新月祭・満月祭においては、水が祭火の近くに運ばれる。「水は女であり、火は男である……。その両者の間を通り抜けてはならない。すなわち、彼らが遂行する交合の間に割り込んではならない」(ŚB. I, 1, 1, 21)。――Viṣṇu ――彼は犠牲と等置される(前出112ページ)――は首を斬り落とされた。神々は「この首なき犠牲」をもってさまよった。しかし Dadhyañc は「いかにして Viṣṇu のこの首が再び付けられるか、いかにしてこの犠牲が完全になるか」の術を知っていた(同 XIV, 1, 1, 9. 17 以下)。注意すべきは、Viṣṇu の首を斬ることが結果として犠牲もまたその首を失うことになった、と言われているのではないという点である。そうではなく、第二のことは何の媒介もなく第一のことと一つになる、それは第一のことなのである2。
さてわれわれは、これらの同一視を規定し、当該の表象様式をその歴史的連関のうちに置くことを可能にする材料を、おそらく手にしたことになる。
まず明らかなのは、ここで問題となっているのが単なる
象徴ではないということである。古代人の意識にとって、ここには最も現実的な実在性と作用とが現れている。至るところで、同一性を巧みに利用することによって作用を達成することが目指されている。最後に挙げた諸箇所を思い起こしていただきたい。祭りの水と祭火とから、しかるべき距離をとらない者は、現実の男性的存在と現実の女性的存在との間の現実の交合を妨げるのである。そのつどの等置――火と男、水と女、Viṣṇu と犠牲――における主語と述語の現象上の差異の背後には、本質と力との同一性が潜んでいる。「牛」とは古代人にとって、後のインドの学問が牛を定義するように、単に「乳房・尾・こぶ・蹄・角を備えた物」ではない。むしろ Ṛgveda がすでにわれわれに教えているように、乳とは、この尾を持ち角を持つ物から生じるものであり、それもまた「牛」なのである。そして同様のことは、いま切り離されているかもしれないが、当該の存在から生じ出た部分についても当てはまる。
さらに、たとえば類似性、模像と原像との関係もまた同一性を意味しうる。もしわれわれが、B を模写するところの A は、それゆえに B とは別のものでなければならない、と結論するのであれば、ブラーフマナたちを理解するためには、その代わりに、あるいは少なくともその傍らに、原始的思考に固有な、より高度な文明のうちにもなおかくも多様に痕跡と残滓を働かせつづけている表象を計算に入れるのがよい。すなわち、模像のうちに模写されたものの生命が宿っている、模像は模写されたものである、という表象である。文明化した素描家が Mandan 族インディアンの野牛を何頭か描き写したとき、Mandan 族は言った、「この男がわれらの野牛を彼の帳面のなかに入れて以来、われらにはもはや食べる野牛がない」1。そして、像の類似性と同様に、そもそもおよそ何らかの一致する特性、一致する態度、いかなる種類のものであれ、なお緩やかな連関、接触、二つの物が互いに関係し合ったこと、あるいはかつて共に在ったことがあるということ、そうしたことが原始人の表象にとっては、それらの本質の共通性を根拠づけうるのであり、その共通性は彼らによって、われわれには奇異に見えるほどの強度をもって把握されるのである。単なる語、名、数――それによって物が数えられるところの――は、それらを神秘的な力で満たし、それらの間に神秘的な関
係を根拠づけ、一方を他方と合致させる。物というものは、われわれが見るような、あちらこちらに確たる境界をもって囲い込まれた形で存在しているのではない。そうではなく、無数の他の点において、それらは作用を及ぼし、影響に身をさらしている。要するに、それらは在るのである。A は、まったく異なって見える B と同一視されうる。なぜなら A はわれわれの A ではなく、B はわれわれの B ではなく、何か別のもの、より広いもの、揺れ動くもの、流れゆくものだからである。物に対するこの原始人の見方は、ブラーフマナ時代の神学者たちのうちになお多く生きている。そしてわれわれは確かに、彼らにとって、区別されたものの冷静に相互に離れた見方が、すなわち、互いになお密接な関係に立つ二つの物が二つの物であるという認識が、多くの点でさらに一歩前進していたと信じてよいのだが、それでも、あの Mandan 族の場合と同様、両面性の間の、神秘的な把握と理性的な把握との間の調停が見いだされず、そもそも求められてすらいないということに、われわれは何ら驚くことができようか。たとえば像の表象において、像には原像の生命が宿っている、その残響が――瞬間の気分と衝動がもたらすままに、あるときはより多く年長者に、あるときはより多く自我に触れ、そして後者の場合には冷静な用心深さから感じ取られるならば――こちら側の直接的同一視よりも節度ある表現を、優勢な関係に対して定式化することになるのだろうか。ここで人は、正しい線までしか進まず、それ以上一歩も進まないことを不安げに義務とする思考と語りの様式を思い浮かべている。同種のものである一方は他方である――あるときはこの定式に、あるときはあの定式に、より安易に、おそらくは最後の最も広く波及する定式に手を伸ばす。なぜ人は、驚くべきもの、作用力あるものを、短く力強く言い表すよりも、より弱いもの、より制限されたものにとどまるべきだというのか。最後に見落としてはならないのは、ブラーフマナのなかで語っているのは祭官であり、彼らはその職業上の習慣によって、洪水のような問いに対して、まさに同一視という形で最も好都合に、答えを用意していなければならなかったということである。ここで支配的な意図性のゆえにこそ、まさに人がもはや原始的見方の地盤の上を自然に、拘束されずに動いてはいないゆえにこそ、次のことも理解できる。すなわち、人は弓を張りすぎ、正式の狂躁を発展させ、古い、いわば真正の同一視を超えて、洪水のような新しい、その瞬間のために恣意的に考案された同一視を注ぎ出すに至った、ということが。
たとえば、動物の輝く眼から動物のうちに体現された Agni が現れ出るのを見る者は、上げられた両腕の二重性から Mitra-Varuṇa の二重性を〔導き出すのである〕。
しかしブラーフマナの同一視が、後方に向かって原始的表象を指し示すのと同様、それらは他方で前方に向かってウパニシャッドの tat tvam asi を指し示している。だが、ブラーフマナ文献におけるこの偉大な新しい思想の自己準備について語るのは、ここではその場ではない。
第二部出来事の連関
さてわれわれは問う。あのすべての存在の運動と行為はいかにして遂行されるのか、それらはいかなる力によって導かれるのか、いかなる法則に従うのか、と。
言うまでもなく、一般的な秩序についての表象が欠けているわけではない。それらは、出来事の目につきやすい規則性のうちに、自然の運行の自己同一性のうちに、道徳と法の確立した掟のうちに働いている。しかし、あらゆる出来事を、見かけ上は不規則なものをも含めて決定する必然性、という思想はまだ考えられていない。まさに断片的に、区間的にのみ、法則性は世界運行の混沌のうちへ届いているにすぎない。
ṛta、vrata
まず第一に、最古の時代から ṛta(「秩序」)の表象、すなわち世界法則の表象が受け継がれている。Ṛgveda においてこれは、あるときは自立した力として、あるときは神的意志の表現として、神々によって遂行され保護されるものとして現れる。前者の把握がおそらくより根源的であり、後者は、ṛta の観念を、物に対する神的支配力への信仰と調和させようとする自然な要求にもとづくのであろう。ṛta はしばしば、ある種の空想的な具体性の色合いを帯びて表象される。Ṛgveda は ṛta の座について語る――そこから曙光が来るのである――、また ṛta の泉について、ṛta の母胎について語る。Agni は ṛta の胎児である。ṛta は自然にはその規則正しい運行を、人間の行為には法と真理を指し定める。この両領域における作用のうちには、根本において二種のものがあるわけではない。自然の諸力もまた魂を持つものであり、それ自体としては、無法に振る舞う人間と同様、自らに課された秩序を犯しうるのである1。Heraklit のあの言葉によれば、
太陽はその度を越えることはない――もしそうしようとすれば、法の侍女たる Erinys たちがそれを見つけ出すであろう――と言われるが、それに劣らぬ崇高な言葉をもって、あるインドの思想家は、もっとも後代の思弁における全一者について、ṛta についても語られえたであろうことを、次のように述べている。
しかしその十全な生命力の段階を、ṛta の表象はブラーフマナ時代にはすでに背後に置いてしまっている。もし ṛta が忘れられていないとすれば、全体としてその名からは、しばしば「真理」とおおよそ同義に用いられる決まり文句以上のものは、あまり残されていない。ṛta の本質と、その掟の内容とをより深く探究するという課題に、思考はもはや取り組んでいない。
行為の法則性を表す、ブラーフマナが過去から受け継いだもう一つの表現は vrata である。私はこの語の考察を、倫理的表象圏の論述に際して再び取り上げ、より立ち入って論じるつもりである3。ここでは、この語がさしあたり、命令する者――たとえば Varuṇa4――が ṛta に対する支配力にもとづいて定めた命令と秩序を意味し、次いで、何者かに課された、あるいは彼らによって引き受けられた、自立的な秩序をも意味する、と述べるにとどめよう。人間の確立した生活習慣がその職業に応じて彼らの vrata として現れるのと同様(Ṛgveda IX, 112, 1)、動物の生活習慣もまたその vrata として現れる
(TS. V, 3, 1, 3)のであって、太陽(TS. IV, 3, 11, 3; AB. III, 11, 1)や月といった自然力の規則正しい振る舞いもまた同様であり、月は Varuṇa の vrata に従う(Ṛgv. I, 24, 10)。したがってここでもまた、最大の輪郭においてのみ自明のものとして眺められた自然法則性への関係が、人間生活の規制への関係と合致するのである。
神々と実体の因果性
ṛta と関連して、われわれはすでに通りすがりに、神々の立法的・統御的活動に触れた。これらもまた、まず第一には Prajāpati が、他の諸力と並んで――それらに対する境界画定は、ブラーフマナの思考様式にふさわしく、揺れ動いている――、存在秩序の創設者として現れる。Prajāpati は諸存在の種々の階級に対して、その存在の根本条件を確定する。月の規則正しい運行について、われわれはたった今、Varuṇa によって指し示された vrata の遵守にもとづくものであることを見た。それは別の箇所では、そこに関心を持つ神々の取り決めにもとづくものとして現れる。すなわち、月なる王 Soma は、その義父 Prajāpati に対し、月の家々に順に住むことを約束しなければならなかった(K. XI, 3)。ここにわれわれは、今度は神々の間で演じられる、あの古い、至るところに広まった起源譚の類型を見る。それは何らかの状態、振る舞い、いかなる種類のものであれ何らかの特性の成立について説明を与えるものである。ブラーフマナにおいては、儀礼上の秩序を神々の取り決めに帰する物語が無数にある。すなわち、ある神が、他の神の願いによって何らかの働きを成し遂げ、そのために犠牲儀礼において何らかの名誉ないし優遇を確保する。それ以来、犠牲に際してかくかくの秩序が妥当する、「なぜならその神は、それが自らの願いとして満たされることを条件としたからである」。さらにここでは、ブラーフマナ全体に広まっている言表、すなわち神々が無数の個別の事例において出来事に介入すること、Prajāpati が諸存在の争いを裁定すること、健康、長寿、その他の重要な財が神々によって与えられることについて1、簡単に想起するだけでよい。人間は犠牲と崇敬によって彼らに「近づき」、彼らを「満足させ」(prīṇāti)、他方では彼らに憎まれることのないよう用心する(ŚB. II, 3, 4, 4)。「犠牲を捧げる者は、
自らの犠牲によって、あるときは Ṛgveda の詩節によって、あるときは Yajus の文句によって、あるときは献供によって神々を満足させる。彼が神々を満足させたなら、彼は分け前にあずかったのであり、分け前にあずかったなら、彼は願いを述べる。彼が述べる願いを、神々は、彼が自分たちを満足させたことを想起して、彼に成就する」(ŚB. I, 9, 1, 3)。窮乏する者には次の助言が与えられる。「Agni は神々の口1であり、慈悲深い者である。彼を讃えよ」(AB. VII, 16, 7)。困難に出会うならば、賢い者は神をその弱い側から捉えることを心得ている。Indra への請願――今度は神々自身の側からのものである――が、まず拒絶された。神々は今一度願う。彼は彼らを、言葉もなく見つめるだけである。そこで彼らは彼の妻に近づく。彼女は言う、「明朝わたしはあなたがたに答えを与えましょう」。そして請願は聞き届けられる(AB. III, 21 以下)。かくして、神的意志、神的気まぐれの手に、世界を貫いて作用する因果性の戯れへの一定の関与が委ねられている。出来事のこの働きへの神々の介入は、人間の介入と同様に考えられている。それはおよそ神々が人間に似せて表象され、しばしばまさに最も選りすぐられた人間として表象されるのと同様であり、個々においては様々に色合いを異にする性格をもつが、全体としては ṛta の主にして守護者たる役割からかなり強く外れ、気まぐれで、当てにならず、貪欲で、争い好きで、醜い習慣に満ちている(上記22ページ以下)。その古い構造からしてまず第一に神々の恩寵の獲得を目指す祭儀は、儀礼神学者たちに、彼らを好意的にも悪意的にも働くものとして示す多様な機会を与える。あらゆる物語――たとえば Śunaḥśepa の物語を思い起こそう――は、神々と人間とがいかに互いに交わるかを示す、この種の特徴を含んでいる。しかし、広い地平に向けられた大きな流れは、出来事への神的作用にはまったく欠けている。そして、ブラーフマナの見方を最古の Veda 時代のそれと較べるならば、比類なき業績についての、計り知れぬ財の獲得についての、あの躍動する物語は、以前(9ページ以下)に神々が立つ水準の低下について述べたことと一致して、世界秩序と世界運行とを理解可能にするための諸動機のうちで、神的因果性、神的恩寵と
不恩寵とが著しくその意義を失ってしまったことを、認めざるをえない。それは古い時代からのその妥当性の残滓にすぎなかったのである。しかしブラーフマナ神学者たちの本来の好みは、別種の因果性に向けられていた。すなわち呪術のそれ、そしてとりわけ犠牲のそれである。犠牲はその作用の仕方において呪術に類似したものと考えられ、ますますそれに似ていったのである。
しかしこれらの潜勢力について語る前に、いま述べたことに次のことを付け加えねばならない。すなわち、いま記述したような作用の様式、神々に付与されたそれには、ある意味で、あの世界を満たす実体もまた関与しているということである。すでに述べたそれらである1。すでに見たように、それらには多くの点で魂を持つことの気配が伴う。それらは神々や人間のように感じ、欲する。それらは彼らと同様に、しばしば同様に予測不能に行為する。もっとも多くの場合、それらは特定の、法則性に近い作用を展開する。そこではとりわけ、次のような秩序が妥当する。すなわち、古い信仰によれば、類似のものが類似のものを引き起こすという秩序、たとえば水瓶を注ぐことが雨をもたらすという秩序、あるいは、一方が他方であり――たとえば牛は気息である――、それゆえ同じことを引き起こし、また同じことを被るという秩序である。水は不浄を洗い流すという恒常的な機能を持ち、目に見えぬもの、呪術的なものをも洗い去る。火もまた同様のものを焼き尽くす。Triṣṭubh という韻律は雷霆として働き、Indra 的な力を伴う。黄金は不死をもたらし、水生植物は迅速さと涼しさをもたらす。Apāmārga(「拭い去るもの」)という植物は、人が取り除きたいと願うものを拭い去る2。「固有の本性」(svabhāva)という抽象的表現は、出来事をその作用によって規定するのだが、これはまだ形成されていない。しかし言うまでもなく、個々においては、実体の振る舞いにおける恣意的な予測不能性が、とりわけブラーフマナがそれらに役割を割り当てる無数の物語のうちで支配的であることは、まったくよく知られている。それらが単に語られるだけでなく、
実際に何らかの目的のために行為へと移されるところでは、むしろ、あの後代の表現をもう一度用いてよいならば、それらの svabhāva が前面に出るのである。
呪術。yātu、māyā、brahman
実体の振る舞いが影響され、一つの目標へと導かれるところの最も主要な力は――もちろん、現実の現実性の地盤の上で動く、行為する介入は別としてであるが――呪術である。そしてそれと並んで、それと分かちがたく混じり合って、犠牲が立っている。呪術と犠牲との領域が、古代人の表象において、また自然的過程からいかに、またどの程度分たれていたかは、後に立ち入って論じられるべきことである。ここではさしあたり私は、この問いを取り上げることなく、呪術的因果性の様相をより詳しく記述することを試みる。その際、犠牲の領域にも多くの点で触れざるをえない。
呪術は、祭官的な、あるいは祭官によって承認され指導された行為の内外に現れる。外部に立つ、祭官から独立した呪術は、とりわけ yātu と māyā という決まり文句に結びつき、祭官的な、大部分が犠牲および祭祀一般と癒着した呪術は、brahman と tapas という決まり文句に結びつく。
yātu と māyā の呪術については簡単に済ませる。それは、われわれの史料が、それについてほとんど報告せず、明らかに最低の迷信に、また同時に曲芸師的な行為に属するこれらの表象の塊を解明するための材料をほとんど提供しない、というその性質にもとづく1。
māyā とは周知のように、善なる存在にも悪なる存在にも備わりうる秘密の力と技であり、一般的な能力と理解には把握しがたい奇蹟的作用を成し遂げるためのものである2。さらにこの語は、この作用そのもの、あるいはそのような技によって生み出された現象をも指す。というのも「姿を作り出し、
それらを互いに転換し、幻の姿を現出させることは māyā の主要な作用だからである。もっともそれが唯一のものではない。神的な māyā とは、天が固く立っていること、太陽と月がその軌道上で犠牲を巡り回ること、地上の砂粒を数えることを心得ていることでもある(TB. III, 12, 6, 1 以下)。māyā を行使するのは Ṛgveda の偉大な神々、とりわけ Varuṇa1である。また māyā を行使するのは狡猾で敵対的な存在である。前者も後者も、最古の文献においては Asura という名称のもとに一括されている。かくして māyā はまさしく本来 Asura の技であり、あるいは逆に、Asura とは māyā の技を備えた存在である。人間は農耕によって生き、七人の rṣi は brahman と tapas によって生きる。そのように Asura2は māyā によって生きる(Av. VIII, 10, 22 以下)。Veda 時代の経過のなかで Asura という呼称がますます悪しき魔物に限定されていったのに応じて、māyā もまた多くの点で忌まわしい、狡猾な呪術の意味を帯びるようになった。もっともそれほど強調された形ではなく、朗誦の大きな周期において Asura の名が挙げられる箇所で、聖典が「ここで彼は何らかの māyā を行うべし」と規定するほどではない(ŚB. XIII, 4, 3, 11)。そこで明らかに問題となっているのは曲芸師の無害な奇術である。そして曲芸師の国は、インドにおいては太古から存在したのであろう。したがって古い仏教文献もまた、民衆の娯楽における「māyā 使い」の登場に触れている(Jātaka IV, 495; VI, 277)。そしておよそ、māyā 表象の全体の根底に、人が超越的な領域へ投影した現実の曲芸師的存在が横たわっているのではないか、という問いを提起することもできる3。
決まり文句 yātu1についてさらに言えば、これは呪術的存在の、強く非難された特殊な方向を指す。すなわち魔物――それがまさに yātu と呼ばれた――の助けを借りて呪術がなされるのである。yātu はしばしば動物の姿をとり、梟、鷲、犬などの姿で、魔術師や魔女のうちに入り込むようにされ、それによって彼らは「y の容器」(yātudhāna, yātudhānī)となる。māyā 呪術からは yātu 呪術が明らかに区別されている。かくして、ある神秘的な崇拝対象について、「yātu として、Asura の māyā として」讃えられる(ŚB. V, 5, 2, 20)と言われる。これは、yātu 呪術者について一度「彼らは自らの māyā を誇る」(Ṛgv. VII, 104, 24)と言われることと、取るに足らぬ矛盾をなすにすぎない。
呪術のこれら二つの分枝の相互関係の問題よりも重要なのは、公認の、祭官によって行われ、あるいは推奨される呪術に対するそれらの立場という問題である。疑いもなく、Veda の祭官呪術者が自ら、あるいはその依頼者のために要求した多くの実践は、事柄としては、外部に立つ者や敵によって行使され、激しく非難され迫害されたものと、まったく同種である。しかしここでわれわれにとってとりわけ興味深いのは、双方において呪術のうちに働くと理解された力、因果性が、どの程度異なって理解され、その相違のうちに不信心な呪術と信心深い呪術との対立が反映しているか、ということである。
さてここで確認すべきは、一方では主として māyā が働いていたのに対し、他方では最も意義ある作用力として brahman が立っていたということである。brahman は māyā とは、まずその表象が特殊に、神に嘉される言葉、聖なる定式から出発し、それから当然、Brahmane 階級と犠牲とに内在する神秘的力全体の表現へと拡大した点で異なっていた2。しかし出発点の相違を別としても
両者の力は明らかにまったく異質なものとして考えられていた。すでに引用したあの箇所、諸種の存在の営みを短い決まり文句で記述し、その際 Asura に属する māyā に対して、Brahmane 身分の始祖たる七人の rṣi の brahman と tapas を対置する箇所(130ページ)がある。それに劣らず特徴的なのは、Ṛgveda 全体を通じて確証される見方、すなわち、神々のうちで他の何よりもまず Varuṇa――彼と並んでおそらくなお Indra も――が māyā の所有者であり、他方 brahman の所有者は神的 Brahmane たる Bṛhaspati である、という見方である。したがって、一方では Asura や忌まわしい yātudhāna が秘密の道を通じて出来事の運行に影響を与えることを心得ており、他方では Brahmane、Veda、犠牲が、日常生活のあらゆる力に対して比類なき神秘的優越性を持つ、と信じられていたのであれば、これらの才能のいずれもがまったく独自のものとして現れたことは疑いない。人はそれらの間の類似に気づいたかもしれない。それゆえ両者はやはり、それらが呼び起こす感情の調子に応じて異なるだけでなく、まさにその内的本質においても異なるものとして把握されたのである1。
外来の、不信心な呪術をこのように切り離したのちには、
いまやわれわれには、Brahmane 身分自身によって行使され、あるいは指導された呪術の作用の様式を考察するという課題が残されている。それについては当然、他方についてよりも比類なく豊かで、より立ち入った伝承が存在する。われわれの意図は、言うまでもなく、この呪術の個々の手続きを記述することにはない1。むしろ試みられるべきは、この呪術のうちに働く因果性を実体化した力についての表象を得ることである。
ここで前面に立つのは、すでに述べたように brahman である。すなわち聖なる定式と、その神秘的力の実体としての体現である。それは聖なる言葉のうちに宿り、Brahmane たちのうちにあり、人間の存在のうちにも宇宙のうちにも抗いがたく支配する。「Viśvāmitra のこの brahman が Bharata の民を守る」(Ṛgv. III, 53, 12)。「Agastya の brahman によって、われは虫を砕く」(Av. II, 32, 3)。「〔一つに〕まとめられた〔すべての〕力(vīrya)のうちで、brahman が最高である2」。最高の brahman は太初に天を広げた。諸存在のうちで Brahmane が第一に生まれた。それゆえ誰が Brahmane と争うことができようか(同 XIX, 23, 30)。
しかしこの最高の、あるいは速やかに最高となる力は、その呪術的作用を他の諸力とともに行使する。すでに上(130ページ)でわれわれは、Brahmane の始祖たちの特徴的な所有として brahman と tapas とを見いだした。brahman の識者たちは、聖化(dīkṣā)と tapas とともにその道を進む(Av. XIX, 43, 1 以下)。「なされたこと、捧げられたことは、brahman の力によって〔なされる〕。汝ら神々よ、汝らの tapas によって、これを祝福せよ」(同 72, 1)。呪術の投射物が呼びかけられる、「眼の投射物よ、意の投射物よ、brahman の投射物よ、そして tapas の投射物よ」(同 V, 6, 9)。とりわけ敵に向けられた呪術においては、その際 Aśvattha 樹の木材が
用いられる。「われは彼らをわが霊によって、わが思惟によって、そして brahman によって追い払う。われらは彼らを、Aśvattha 樹の枝によって追い払う」(同 III, 6, 8)。ここでは brahman と共同して、行為する者の人格的、精神的エネルギーが働いており、他の箇所ではこのエネルギーの呪術的高揚たる tapas が働いている。さらに呪術の道具が働いており、その際、この道具をもって遂行される行為が、言うまでもなく同時に作用因子として表象されている。brahman を決定的な力として言及する呪文には、それに劣らぬ一連の呪文を並べることができる。それらはこの種の呪術道具、護符などに同じ役割を割り当てている。
さてここでわれわれは、最近さかんに議論されている問題に出会う。その意義は、呪術の原理的把握にとって明白である。呪術のうちに働く因果性は、どのように考えられるべきか。問題となっているのは、――もちろん単に思い込まれたにすぎないのだが――純粋に機械的な、原因と結果との連結であり、呪術者はそれを動かすのだろうか。それとも決定的なのはむしろ、彼の人格そのものに内在する力、すなわち行為者であって、それは一語をもって「mana」と表現しうるものなのだろうか。おそらく観察されうるのは、現在かくも多様に見られる、非人格的・機械的なものに対する人格的なものの強調への好みが、この原始的表象世界の探究においても効力を持ち、人格的因子に有利な結果を得ようとしている、ということである。呪術者が敵に向けて害呪をかけるとする。それが意味するのは――ある才気ある人類学者2の言葉によれば――、彼が意志力に満ち、「mana」をもって敵の mana を圧倒しつつ侵入する、ということである。この過程の魂は呪文のうちに宿り、そこでは命令的な「べし(Muß)」が、単なる思念から離れて、精神的な投射物として目標へ向けて投げつけられる。呪文はこの「べし」の最も強力な体現であり、それはその傍らに立つ呪術的行為にも生命を分け与える。この行為、あるいはそこで用いられる呪術道具が独自の意義を持つように見えるとしても、それは実際には、呪術者が自らの人格を前面に押し出す代わりに、
よき職人がその全存在をそこに注ぎ込むように、実際には単なる道具にすぎないものに注ぎ込むためであり、そのため一瞥のもとでは、そこに作用する力の起源を見いだしうるかのように見えるのである。
ここに触れた見解に対して、インドの材料がどう関わるかを提示することにしよう。この特殊研究において見いだされた成果が、一般的な文化史の問題に対してどれほどの価値を持つかを評価することは、他の人々に委ねねばならない。
まず私は呪文と呪術的行為との関係を扱い、次いで作用が呪術対象から出るのか、それとも呪術者の人格と意志から出るのかという関係を扱う。
言葉と行為1については、次にいくつかの例によって、生じるものと見える類型を示そう。それらは主として、犠牲儀礼のうちに一歩ごとに用いられる小さな呪術的行為の集積から選ぶ。
1.祭主は Vājapeya 祭において柱へと登った。「人は彼に塩の袋を投げつける。塩とはまことに家畜であり、家畜とは食物である」(ŚB. V, 2, 1, 16)。――祭火が築かれるべき地所が問題となる。「そこで彼は水瓶を注ぐ……。水とは雨である。かくして彼はそこへ雨を置くのである」。もし彼が耕された地面だけに注ぎ、耕されていない地面に注がないなら、耕された地にのみ雨があり、耕されていない地にはないであろう。そしてもし彼が耕されていない地面だけに注ぐなら、耕されていない地にのみ雨があり、耕された地にはないであろう。それゆえ彼は耕された地面と耕されていない地面とに注ぐのである」(同 VII, 2, 4, 1 以下)。
2.「彼は犠牲に用いるべき水を、次の呪文をもって清める。Savitṛ の促しによって、汝らを、瑕なき清浄者によって、太陽の光線によって清める」(同 I, 1, 3, 6)。
3.「次いで彼は、そこに何か(草または灰)が落ちていたなら、それを次の呪文をもって投げ捨てる。撃ち払われたのは Rakṣas(有害な小鬼)である」(同 I, 1, 2, 15)。――「彼は Hotar〔祭官〕の座から一本の草の茎を、次の呪文をもって投げ捨てる。
追い払われたのは Parāvasu(「財を遠ざける者」)である。というのも Parāvasu とは Asura(悪しき魔物)の Hotar の名だからである。かくして彼はそれを Hotar の座から追い払う」(同 I, 5, 1, 23)。――犠牲に際して、忌み嫌われる植物 Apāmārga(「拭い去るもの」)の粒をもって、「〔敵の〕いる方角へ向けて捧げる……。彼に対して何事かをなそうと欲する者は……その名を挙げるべし。われらは某某を撃った。撃たれたのは某某である」。かくして彼は有害な存在、Rakṣas を撃つ(同 V, 2, 4, 20。Weber, Über den rājasūya 18 参照)。――戦において勝利を得るために、人は敵に向けて「白足のもの」1を送り出す。それは犠牲食の残りを塗られており、その下で特定の戦歌を朗誦したものである。その際こう言われる。「白足のものが、敵のあの列を越えて飛び去らんことを。今日、彼らの軍勢が混乱に陥らんことを」(Kauś. S. 16, 26; Av. XI, 10, 20)。――王の灌頂に際して「Brahmane が彼に振りかける……次の呪文をもって。Soma の輝きをもって汝に振りかける」――これによって彼は「力とともに」と言う――「Agni の光輝をもって」――これによって彼は「力とともに」と言う(ŚB. V, 4, 2, 1 以下)。
4.Vājapeya 祭において祭主は柱へと登った(上記1参照)。「彼はその頭をもって柱の上に身を持ち上げ、次の呪文をもって言う。不死なるものにわれらはなった」。これによって彼は神々の世界を獲得する(同 V, 2, 1, 14)。
5.「彼は、犠牲食を含む車の軛に触れて言う。汝は軛(dhūr)である。害する者(dhūrva)を害せよ」(同 I, 1, 2, 10)。――「彼は〔犠牲に定められた米を〕見つめる。風よ〔近づき得るように〕あれ」(I, 1, 2, 14。Kāty. Śr. II, 3, 16 参照)。
6.花嫁行列に際して、花婿は十字路で次の詩節をつぶやく。「道に潜む者らがわれらに出会わぬように」(ŚG. I, 15, 14; Ṛgv. X, 85, 32)。――旅立とうとする学生に、教師は静かに言う、「われは汝の内息と外息のうちへ入る」等々(ŚG. I, 18, 3)。
これらすべてにおいて、私は一つの段階的序列を見いだす。すなわち、呪文なき単なる行為の現れ(第1番)から始まって、一歩ごとに行為の内容的充実が減じ、
呪文の意義が増し、ついに(第6番)呪文が行為なしに単独で現れるに至るのである1。
第2番においては、完全な、その目的を実際に実現する行為が現れている。水は清められるべきである。それは実際に清められる――それは洗われる。呪文はここでは、それ自体として欠けるところなく存在する出来事を、より高い領域へと引き上げ、神的な力をそれに関与させ、その無瑕性を確認するという機能を持つ。
第3番の場合には、行為は俗な理解からすれば不完全である。悪しき敵が除去されるべきである。何かが除去されもする、しかしそれは一本の草の茎にすぎない。「白足のもの」は敵の軍勢を越えて飛び、そこに混乱を引き起こすべきである。それはその方向へ送り出されもする。それは到達するのだろうか。それはその作用を、その現象からして、その地上的本性がおよそ保証しないような仕方で及ぼすのだろうか。ここで呪文が介入する。それは目に見える行為と、それに目に見えぬ形で結びついた成果との間の隙間を閉じるのである。それは、投げ捨てるという行為が無関心な草の茎に当たるのではなく、魔物 Parāvasu に当たることを保証する。「白足のもの」がその方向へ飛び去るだけでなく、敵の列に達し、そこでその破壊的な業をなすことを保証するのである。
第4番においては、模像が実際になされたことから、類似性においてさらに遠ざかっている。以前にはたとえば、道に潜む者を投げ捨てることによって除去した。今や不死化を、頭を持ち上げることによって〔表す〕。呪文が架橋する隙間は増大した。呪文が初めて、行為のまったく不定な相貌に形姿と特徴づけを与えるのである。
第5番においては、行為はなく、影響されるべき対象への接触ないし単なる注視だけがある。それによって呪文の力が、そこにおいてのみ意図されたものが表現されるところの呪文の力が、その対象へと導かれるのである。Yajus の定式においてはきわめて頻繁に、
ここでついでに述べておくが、この番号の第一の位置に例示された類型、すなわち対象への呼びかけ「汝はかくかくである」が現れる。ブラーフマナの解釈は二つの把握の間を揺れ動く。一方では、たとえば「彼は次の呪文をもって車を取る。汝は Indra の雷霆である」。雷霆はまことに車であり、Indra は祭主である。それゆえ彼は言う、汝は Indra の雷霆である、と(ŚB. V, 1, 4, 3)。他方では、「汝は堅固である、固し」。これによって彼は彼を、この世界において堅固に、固くする(同 V, 2, 1, 25)。したがって呪文は、対象に一つの特性を、一つの存在様式を与えるか、あるいはそれをすでに現存するものとして確認し、対象の本質からこの隠された側面を引き出し、それを当該の方向において活動させるのである。
かくして、まったく理解しうることだが、呪文と行為との協働のきわめて多様な形態が観察されうる。観察者は、あまりに一定の体系を、あまりに一定の把握を、そこから引き出そうとすることに対して、自制を課さねばならない。まず何よりも目につくのは、行為が言葉に対して、より大きな可視性と把握可能性という利点を持つ反面、種々の前提条件を必要とし、空間のなかで固く突き当たる物の狭い、実際に実行可能な限界に縛られているという欠点を持つ、ということである。行為が達成しえないすべてのことを、より扱いやすい言葉が補うことができ、また補わねばならない。言葉は、意図された作用を命じ、あるいはそれを記述しつつ言い表し、――後者の場合には――それによって、模写されたものを模像がそうするように、それ自体を引き寄せる。ここには個々においてきわめて多様な状況がある。事情が、よく装備された犠牲装置ないし呪術装置の使用を排除するならば(十字路を通り過ぎる花嫁行列を思え。同様の例はきわめて多い)、まさに言葉のみが仕事をなすことになる。さらに、行為が可視的に現前する対象に向けられるか、遠く離れた対象に向けられるかに応じて、達成されるべき
作用が一見して達成可能であるか、あるいは信仰と空想にのみ近づきうるかに応じて、言葉にはおのずと、それに適合した役割が割り当てられる。行為が遠く離れた、近づきがたい対象を目指すならば、言葉はそれを、いわば隔たりを越えて運び、いわばその目標への道を指し示す。行為が対象の隠れた力を要求し、空想的ないし神秘的な作用を目指すならば、言葉のみがその力、その作用に近づくことができる。行為によってのみ不明瞭にしか表現されえない作用を、言葉が精密化するのである。他方、行為が何の媒介もなく、なすべきことをすべて実際になしうるところでは、言葉にはほとんど、その過程をその十全な意味において記述し、それをより高い力と目標とに結びつけるという以上の課題は残らない。あれこれの仕方で、呪術によって動かされた道具は「brahman によって鋭くされる」(Ṛgv. VI, 75, 16; Av. VIII, 3, 25 など)、「Bṛhaspati によって(すなわち brahman によって、彼はその主にして師である)駆り立てられる」(Ṛgv. X, 97, 15. 19)。これらの表現の十全で具体的な意味は、以上の論述から明らかとなろう。
この像の副次的な特徴を、ここで指摘しておく必要がある。積極的な方向において、作用をもたらすためには、言葉と行為とが好んで組み合わされるのに対し、消極的な場合には、不吉な行為を避けるのと同様に不吉な言葉を避け、両者の協働から初めて危険が生じるとは恐れないのである。当然のことながら、
何かを達成しようとする者は、当然そのためのあらゆる手段を動員するであろう。しかし恐れられるものを避けようとするならば、用心深い者はそれが侵入しうるあらゆる開口を閉ざすであろう。
さて、ここに記述した言葉と行為との協働において、結局はある一定の傾向が現れてくること、すなわち言葉をより重要なものと見なす傾向があることは、まったく否定しがたい。この傾向は、私が思うに、犠牲の領域において明らかに強く感じられ、呪術の領域にもほとんど無縁ではなかったであろう。この方向において作用したのは、上に述べたように、行為によってはほとんど表現しえない超越的な関係が、定式のうちには容易に明瞭に入り込む、ということであったろう。さらに考慮すべきは、定式は、行為の知識ではなく、大部分は潜在的に自らのうちに含む集成へと結合され、この形態において、高い荘厳性を備えた対象の姿をとり、意義ある生の一部を要求する教習課程をなしていた、ということである。定式、brahman は同時にまた、Brahmane を Brahmane たらしめるあの流体でもあった。したがって、階級の高貴さは聖なる定式の高貴さと一致し、後者が強調されるところでは前者もまた同様に強調されたのである。これに従えば、次のような言表が理解されよう。「この全犠牲は三重の Veda であるかぎりにおいて大である。この〔献供〕は Veda の形姿(rūpa)においてなされ1、その母胎にして座となる。かくして彼はこの三重の Veda によって再び犠牲を把握する」(ŚB. V, 5, 5, 10)。「そして次のように認められる。人が立とうと、歩もうと、座そうと、横たわろうと、いかなる犠牲行為が朗誦されようとも、この犠牲行為を〔それによって〕彼らは遂行する」(ĀG. III, 4, 6)2。かくして brahman、聖なる言葉と、そこに体現された力の実体が、それであった。それがついには絶対的存在の観念が前面に現れたとき、この最高者に名を与え、いわば仮面を与えたのであり、そのうちに形なきものの姿が可視となったのである。
さて、言葉と行為という選択肢から、第二の選択肢へ移ろう。作用するのは呪術者の人格的な力なのか、それとも彼の呪術の道具から出る、おそらく機械的と名づけうる因果性なのか。
ここでもまた、私が思うに、われわれの史料は明らかに複数の、もちろん互いに移行し合う類型を示している。確かにそれらの区別はなお本質的に推し進めることができ、それは以下で試みられるとおりである。さしあたり私は三つの場合を立てる。
1.呪術者は作用する力を自らの力として感じる。 たとえば Av. II, 33(= Ṛgv. X, 163)および IV, 36 がそうである。前者においては治癒されるべき者に呼びかけられる。「汝の両眼から、汝の鼻から、われは病を引き出す。汝の心臓から、汝の肺から、われは病を引き出す」。かくして歌全体が続き、結びにこうある。「Kaśyapa の引き裂く〔呪文〕をもって、われらは病をあらゆる方向へ引き出す」。それに属する儀礼書(KS. 27, 27)によれば1、この歌の朗誦に際して病者から、彼を縛っていた縛めが解かれる。第二の歌は病をもたらす小鬼(Piśāca)に向けられている。そこにはこうある。「われは Piśāca を克服し、彼らから所有を奪う。われは虎が家畜の主を〔苦しめる〕ように彼らを苦しめる。彼らは避難所を見いださぬ、犬が獅子を見たときのように。この村から、そこへわが強大な力が入り込んだこの村から、彼らは去らねばならぬ」。火について語られており、その火で Piśāca は焼かれるべきであり、それに属する Sūtra 本文は焼却行為に導く(この讃歌についての Bloomfield を見よ)。したがって呪術者は確かに Agni と同盟している。しかし歌の文言は、彼が本来の圧倒的な力を自らのうちに見いだすことを、なお明白に示している。
2.力はその座を呪術の道具のうちに持ち、これを通じて影響されるべき対象へと導かれる。 たとえばそれは Kuṣṭha 植物のうちに宿り、それをもって病が戦われる。それは「植物のうちで最も強力なもの」であり、神々から生まれた。「最高」がその名であり、「最高」がその父である。Himavat の北で(すなわち Kabul 地方で)それは生まれ、東方の民のもとへ運ばれた。そこで人々は Kuṣṭha の「最高の名」(最高の性質)を分かち与えた。Kuṣṭha は植物のうちで、猛獣のうちの虎に当たるものである。
「この人を、Kuṣṭha よ、われのために健やかにせよ」(Av. V, 4; XIX, 39, 4)。かくして治癒作用は、明らかに、軟膏の形で病者に頭から足まで塗り込まれる薬草の驚くべき性質に帰せられる(Kauś. S. 28, 13)。別の箇所では、病者に結びつける、治癒力ある植物から作られた護符について言う、「虎のごとくにあれ、この植物の護符は、破滅から守るものとして。あらゆる病を、あらゆる Rakṣas を、それはわれらから遠く撃ち払え」(同 VIII, 7, 14)。真珠の護符について、「神々の骨が真珠となった。魂を持つものとして、それは水のうちを行く。これをわれは汝に結びつける、生命のため、名声のため、力のため、百年の長寿のため。真珠の呪力が汝を守らんことを」(同 IV, 10, 7)。さらにブラーフマナの一節を挙げよう。王が王権の灌頂に際して振りかけられる水は、Udumbara の木の器に注がれる。「Udumbara は食物であり、力である。(かくしてそれは起こる)力を、食物の享受を自らのものとするために」。次いで彼は種々の種類の水を、そのうち流れる水を数え上げる。「力とともにこれらの〔水は〕流れる。それゆえ何ものもその流れを止めない。かくして彼は彼に力とともに振りかける」。さらに日光に照らされた水、「かくして彼は彼に輝きとともに振りかける、彼に輝く肌を与える」等々(ŚB. V, 3, 4, 2. 7. 12)。見て取れるのは、王が力を発揮し、輝く肌を得るべきであるならば、呪術によって彼に導かれる、力と明るさの作用は、彼に注がれる水のうちに宿っている、ということである。
3.力はその座を呪術の道具のうちに持ち、これは呪術者によって導かれ、当該の力がそれ自身の側で働く。 例:Av. IV, 20。呪術の草のうちに透視力が宿る。それは神なる鷲の眼球であり、Kaśyapa の眼、四つの眼を持つ雌犬〔の眼〕である。この草は、そこから作られた護符を身につける呪術者に、あらゆる呪術者と小鬼、悪しき魔物を見る力を与える。「彼らが空を飛ぼうと、天蓋を昇ろうと、地中に隠れようと、そのすべてを、この草がわれらに顕さんことを」。あるいは VIII, 5, 12。「この護符を身につける者は、虎であり、獅子であり、雄牛である」。
さて言うまでもなく、すでに述べたように、種々の類型は無限に混じり合う。たとえば呪術的な武器の卓越性と、それを扱うことを
心得る者の力ないし技とは〔混じり合う〕。両者が並び立ち、ここではおそらくこちらが、あちらではあちらがより強く称揚されるとしても、それを理解しがたいこととすべきではあるまい1。私はこれ以上の例を挙げない。Atharvaveda はそれで満ちている2。個々の場合に、どの類型が現れるか、またそれらの混合をどう期待すべきかについての確固たる規則は、当然のことながら、確定しえないであろうし、また確定してはならない。しかし時として、決定に影響を与える動機が認識されうる場合もある。Av. II, 33 においても V, 4(上記142ページ)においても、呪術は一つの具体的な対象を媒介する。前者は克服されるべき苦痛を描き出し、それに除去のための操作が向けられる。後者は治癒作用のために植物を持ち出す。理解しうることに、前者の本文は主体の行為を、後者は客体の力を前面に出す。無数のニュアンスにおいて、呪術者がその道具に語りかける調子もまた揺れ動く。支配し、命じるものから、しばしばへつらい讃え、懇願するものへ。時としてある種の弁明が、彼が近づこうとする力に対して響いてくるように見える。しばしば呪術者の態度は、多かれ少なかれ明瞭に人格化され、それにふさわしい崇敬をもって扱われた呪術対象へと向かい、突如として、あるいは目立たぬ移行のうちに、神々へと転じる。神々は、その力を活動させたその者たちである。あるいは彼らは彼らの傍らに立ち、同じ方向に働く。あるいは彼らはその位置に立つ。そこで好んで神々の全軍が呼び集められる。いわば特殊なもの、個々において確立した機能が何であれ、すべてが互いに助け合うべきなのである。できるだけ多くの力を同じ方向に活動させるという傾向は、至るところに明瞭に現れる。それは、用いられるべき呪術道具のうちに、到達しうるかぎり多くの力を導き入れるという点にも示される。当該の対象の特殊な由来の選択によって、他の実体との混合によって、聖別によって、場所と時点に宿る力の導入によって、そして名において、また数において
宿るさらに多くの手段によって1。これらすべては、無数の力の――顕わなものも隠れたものも――独立した、無秩序な混沌が、この世界と超地上的な国とを満たし、貫き、霊化しているという見方にとって、当然の政略である。それらのうち一つが――とりわけ意義あるものが――秘密の力に満ちた言葉であり、それは瞬間ごとに素早く手中にあって、手がなしうることを無限に凌駕し、あらゆる方向にしなやかに適合し、そこにある隙間を埋め、眠っている力を呼び覚まし、目標なき作用を目標へと導く。そしてさらに、まさにこの言葉を通じて、しばしばまた別様に活動する、行為者の意志が、多くの場合、他の諸力と並ぶ一つの力として働き、とりわけ、あらゆる道具にその役割を果たさせ、あらゆる力にその種類に応じて全体の連関のうちで場所を指し示す指導者の中心的役割として働く。事業を起こす者のこの自明の特別な地位のうちには、しかしながら、彼の道具から出る、彼らの固有の権利によって呼び起こされた因果性を否定し、あるいはただ引き下げるための、いかなる契機も存しない。さてわれわれは機械的因果性について語るべきなのだろうか。それはおそらくあまりに近代的な表現であり、非人格的で仮借なき定式に対する、当然以上に強く意識された、盲目的な出来事の服従を思わせるものである。ここで働く力は、
われわれが見たように、より非人格的な本質性とより人格的な本質性との間を揺れ動くのが常である。人はそれを操作するが、同時にそれに懇願もする。それらはあちらこちらへ置かれ、動かされねばならず、人間の願いに従わねばならない。それらは虎のように、あるいは逃げる敵対的な力のように、激しい情熱をもって突進する。しかしそれらはまた、今日も昨日も明日も一様にかくかくのように働くことに慣れた物としても働く。おそらく全体としては、呪術的存在のうちには人格的な生命性が、いわば学問的なブラーフマナのうちには非人格的な機構が、より強く現れているであろう。しかしわれわれは、呪術の本質を論じるここにおいて、出来事の自然必然的ないし自然法則的なものへの、より大きな、あるいはより小さな接近という一般的テーマを、その全範囲において汲み尽くすことはできず、後にそれに立ち返らねばならない。さしあたりわれわれは、われわれに得られた呪術的過程の全体像が、実際にはまだら模様であることを確認しておく。そこには、人格的な力、「mana」をあまりに強く前面に押し出すことによって達成されうるであろう、いわば優雅な統一性が欠けている。しかし、われわれが甘受せねばならないこの美的欠陥こそが、体系の透明な滑らかさよりも、歴史的な蓋然性にとって決定的なのではなかろうか。
以上において呪術における意志力の役割について多く語ったのちに、それに関連するいくつかの特殊な表象になお触れておこう。それらを、いま結びに至った論述の只中で扱うことは、妨げとなったであろう。
まず、当該の思想圏に近いもの――もっとも直接それに属するものではないと私は思うが――は、単なる思惟に呪術的な力を装備するという、しばしば出会う事態である1。儀礼の一定の箇所では、祭主あるいは祭官が特定の対象へ思念を向けるべきである。すなわち、豊かな強き息子たちについての詩節の朗誦に際しては、強き息子へと。Soma の若枝への圧搾石の打撃に際しては、打ちたいと願う敵へと。厳密に言えばこれは意志の発動というよりも、単なる表象作用である。そしてこの
表象作用は、私が思うに、本来は意図された作用を生み出すものとしても考えられていない。むしろそれを生み出すのは儀礼であり、詩節の朗誦などである。表象はいわば儀礼に宛名を付け、そこに支配する力に、どの方向へ活動すべきかを指示するのである。
意志力の呪術的効果に確かな権利をもって関係づけられうるのは、人が敵を「自らの霊によって、自らの思惟によって」追い払うと言われる場合である(Av.、上記134ページ。そこには呪術と近縁の樹枝と並んで brahman もまた挙げられている)。同様に、Brahmane が自らを侮辱した者を「その tapas とその憤り(manyu)とをもって追跡し、遠くから貫く」と言われる場合もそうである(Av. V, 18, 9)。すでに Ṛgveda(X, 83. 84)においては、魔物として人格化された「憤り」が讃えられている。彼は雷霆を投射物として携える(拙著83ページ注1を参照)。彼に向かって言われる、「最高の力を汝は担う、汝、克服者よ」。先に挙げた箇所と同様、ここでもまた憤りは tapas と同盟して現れる(83, 2. 3)。
これによってわれわれは、この関連においてなお語られるべき一つの力の考察へ導かれた。すなわち、意志力に少なくとも近く、いわば意志力の呪術的高揚と様式化として現れる、呪術信仰の異質な遺産たる tapas である1。tapas とは周知のように、文字どおりには「熱すること」2、断食・不眠・貞潔などによる苦行である3。空想には
tapas は時として一般的・普遍的な力として実体化されて現れる。かくして Ṛgveda(X, 190, 1)は「ṛta と真理とが燃え立つ tapas から生まれた」と言う。しかし実際には tapas は常に個々のものであり、それが自らのうちから、自ら自身のために生み出すものである。「彼は自らを苦しめた。彼は tapas を行った」とブラーフマナ本文はしばしば言う、創造しようと欲する世界創造者について。自らを苦しめること、自らを疲れさせることという契機は、実際 tapas にとって本質的である。śrama(「自らを苦しめること」)は恒常的にそれと並んで挙げられる。さらに、集中を乱しうるすべてのものからの、あらゆる自己放棄、あらゆる目標なき彷徨からの、厳格な自己解放の要求が現れる。強い tapas は長期間にわたる揺るぎなき固持を要求する。放縦な時間期間に耽る苦行的な力業の描出は、すでに最古のウパニシャッドの一つに先駆者を持つ。「この世界において施与を注ぎ、犠牲を捧げ、多くの年にわたって苦行する者」(BĀU. III, 8, 10)。かくして苦行者は「青黒い闇、掴む力」(TS. III, 1, 1, 2)を自らのうちに集める――地上的に言えば、神経の過敏、感受性の高まり、現実感覚の低下であり、可能と不可能との境界が消え、意志の制限が失われ、自らの力の感情が増大し、苦行者は自らにも周囲にも、他の者たちの存在から抜きん出て、別の、より高い領域に住むものとして現れる。tapas とは、見られるとおり、意志を一定の点に集中的に緊張させることとは異なる。それは呪術的な神秘的力を苦行者の内部に蓄積することであり、それはその後、任意の方向へ放出され、あらゆる種類の意志傾向に奉仕させられうるのである。
tapas が世界創造に際して演じた役割については、すでに触れた。「Prajāpati は願った、われは被造物を生み出したい、われは増えたいと。彼は tapas を行った。tapas を行ったのち、彼はこれらの世界を創造した。すなわち大地、空界、天である。これらの世界を彼は熱した(abhi-tap-)。彼は tapas を、すなわち熱を注ぎ出した。それらから三つの光が生まれた」等々(AB. V, 32, 1)――ここでは先に記述した tapas 観念の支配的要素と、熱の孵化作用という思想とが結びついているのであろう。そして創造力と同様に、tapas は見ること、認識すること、語ることの力をも授ける。「tapas によってわれは見た」と、ある Ṛgveda の歌い手は言う(VIII,
59, 6)、「太古の賢者(世界秩序者)が犠牲を広げつつ創造した場所を」。ブラーフマナには無数の物語がある。ある賢者が tapas を行い、そののち、その時々の困難を取り除く Veda を「見る」、あるいは彼に願いが成就される、というものである。「tapas から生まれた、神に嘉される言葉」(TĀ. V, 6, 7)が望まれる。tapas によって人は隠されたものを見いだす(Av. IV, 35, 2)。最高の秘密を認識しようとする者は、それゆえ tapas を行う(TU. III, 1 以下)。仏教的な苦行者たちが、死を賭した認識への努力ののちに、途方もない苦行を成し遂げるのと同様である。tapas によって苦行者は世界を正しい運行のうちに保つ(Av. XI, 5, 4)。tapas によって人は敵を克服し(同 V, 18, 9)、罪から清められ(Vas. Dh. XX, 47 など)、死に際して太陽へと至り(Ṛgv. X, 154, 2)、あるいは天界に達し(ŚB. X, 4, 4, 4)、Indra はかつて tapas によって太陽を獲得した(Ṛgv. X, 167, 1)。
tapas についてのこれらの所見の結びに、われわれはなお、すでに触れた(133ページ以下)brahman への関係に立ち返らねばならない。それはかくもしばしばそれと並んで挙げられる。両者は等しく可視的なものの領域から、日常的なものから切り離され、目に見えぬもののうちに立ち、超地上的な支配において比類なく優越している。それゆえ両者は、Brahmane の最も本来的な所有であり、その力の体現であって、世俗の権力者のそれとは区別され、しばしばそれと対立する(上記50ページ)。Ṛgveda の一節(X, 109, 4)によれば tapas に身を捧げた、Brahmane 血統の始祖たる七人の rṣi たちがそれである。Bhṛgu と Aṅgiras、とりわけ祭官階級の始祖たちであり、Yajus の定式(VI, 1, 18)は彼らを犠牲へ呼び寄せる。「brahman における生活」(brahmacarya)、すなわち青年が brahman を受け入れるために学ぶそれは、tapas の一形態である(とりわけ Av. XI, 5 を見よ)。そして brahman を受け取ろうとする学ぶ者と同様に、古い賢者たちも tapas によって初めての「見ること」へと能力づけられたのである(上記148ページ)1。
すべてにおいてなお明らかなのは、brahman と tapas とが、好んで結び合わされるが原理的にはまったく異なる二つの力であるということである1。前者は聖なる、あるいは呪術的な言葉の客観的本質性であり――この力によって人は働くことができ、そこに現存する力を自らのものとすることを心得ねばならない――、後者はむしろ主観的性格のものである。人格のうちに宿り、彼によって生み出され、それ自体としてはまったく非人格的な呪術力を、内的緊張によって熱するのである。われわれは見る。地上的・世俗的存在の諸力に対して、超地上的なものが一様に対立するのではない。われわれの前に現れるのは、決して互いに解消し合うことのない二つの潜勢力であり、両者は等しく、ある意味で超地上的なものとして承認される権利を要求するのである2。
供犠。供犠と呪術の因果性
以上で論じた作用様式の考察に際して、われわれは呪術の領域から――そこにわれわれは主として身を置いてきたのだが――しばしば犠牲の領域へと踏み越えた。しかしわれわれは、犠牲から出る作用について、なおいくつかの所見を挿入しなければならない。それらにはこれまで機会がなかった。しかしその次には、呪術と犠牲との間の厳密な境界画定を怠ったことについて弁明する義務がある。すなわち、宗教的な、第一には犠牲に体現された因果性が、どの程度呪術的なそれと同種のものと見なされてきたか、について語らねばならない。
犠牲は、人間が神々への崇敬を表すところの単なる行為をはるかに超えたものである1。神々自身もまた、この聖なる生の発露を行使し、それによって宇宙の秩序と自らの自我との調和を保つのである。「犠牲によって神々は犠牲に犠牲を捧げた」と Ṛgveda は言う。神々が誰に捧げたのかを問うのは無用である。彼らがただ捧げたということで十分である。とりわけ注意すべきは、犠牲がその存在を、何らかの存在がそれを遂行するということのうちにのみ持つのではないということである。むしろそれは自らの権利によって存在する2。それは個々において作用するだけではない――犠牲を捧げる者が、それによって自らの個人的関心の圏内で何かを達成するかぎりにおいて3。そうではなく、それはまた、自立した大国として、自らの存在の形態のうちで、あらゆる遂行に際して新たに効力を発揮する、世界における存在と出来事の恒常的な法則を指し定めるのである。われわれは、世界秩序の表象がこの時代には ṛta として強く色褪せていることを見た。ṛta の役割は、大部分、いま指し示した作用様式において犠牲へと移行した。総じてこう言い表される。「犠牲に『従って』(anu)このすべて〔存在〕が〔ある〕」(ŚB. III, 6, 3, 1)。「あらゆる存在、あらゆる神々は犠牲そのものである」(同 XIV, 3, 2, 1)4。そして個々においては、たとえば火の犠牲(Agnihotra)の論述にこうある。「彼が火のうちに捧げるもの、それを彼は神々に捧げる。それゆえ神々は〔存在する〕。そして彼が(匙から)拭い取るもの、それを彼は祖霊(Manes)と植物とに捧げる。それゆえ祖霊と植物は〔存在する〕。そして彼が献供の後に享受するもの、それを彼は人間のうちに捧げる。それゆえ
人間は〔存在する〕」(ŚB. II, 3, 1, 19)。「犠牲の頭1が斬り落とされたとき、その液がそこから流れ出て水のうちへ入った。まさにこの液によって水は流れる。まさにこの液を、人は、それがここに流れるところのものとして受け取る」(同 II, 9, 2, 1)。「Antaryāma-〔soma〕献供の後に、器を下方へ拭うがゆえに、羊は、草を食むとき頭を下げるのである」(同 IV, 5, 5, 6)。もし人が朝に火の犠牲を遂行しないならば、太陽は昇らないであろう(同 II, 3, 1, 5)。「二つのバター片は犠牲の両眼である……。彼はそれらを前方に捧げる。それゆえ両眼は前方にある」(TS. II, 6, 2, 1)。かくして、ある事情通に、何らかの世界秩序が何にもとづくかを問うならば、説明によればそれは犠牲秩序にもとづくのである。「brahman の識者たちは言う。犠牲者が犠牲から〔獲得するもの〕、それによって彼は、両側に切歯を持つ動物も、片側にのみ持つ動物も、ともに直立させて保つのだろうか。彼が一節を朗誦したのち、彼は juṣāṇa- 定式からバター片を捧げる。それによって片側にのみ切歯を持つ動物が直立するのである」等々(同 II, 6, 2, 2)。この種の言表と並んで、なお次のようなものも見いだされる。すなわち、逆方向において、世界と自然の関係を犠牲の関係から導き出すのではなく、逆に後者を前者から導き出すのである。かくして次の一節がある。「朝に太陽が昇るとき、それは弱く輝く。それゆえ人は朝の圧搾(Soma)に際して弱い声で朗誦すべきである。それがより近づく(より高く昇る)とき、それはより強く輝く。それゆえ人は正午の圧搾に際してより強い声で朗誦すべきである。そしてそれが最も近づくとき、それは最も強く輝く。それゆえ人は第三の圧搾に際して最も強い声で朗誦すべきである」(AB. III, 44, 5)。この平行化の類型は、先に論じられた類型と比べて、明らかにはるかに稀である。祭官的空想にとっては、その秩序を出来事の連関のうちで説明するものとして、あの別の類型こそが、適切な表現として、最も説得力ある解明として、最も強く推奨されたのである。
さて、上に示した問い、すなわちブラーフマナ神学の地盤の上で、犠牲において、あるいはおよそ
宗教的な行為において現れる因果性と、呪術において現れる因果性とが区別されてきたか、という問いに移ろう。もちろん意図は、われわれの枠をはるかに超える、宗教と呪術一般との関係という問題を扱うことではありえない。両者は、神々が助力を与えるのか、それとも作用する力が自らの力によって動かされるのかによって区別されるのだろうか。あるいはむしろ、一方には「聖なるものの神聖さによって満たされた」措置があり、他方には「雨乞いその他の呪術」があって、それらは何らかの聖なるものが関与しているという感情なしに行われるのだろうか1。私が誤っていないならば、この問題に対する原理的立場の影響のもとで、研究者たちの見解は個々において多様に分かれている。すなわち、何らかの一定の、その内容からしてまったく確立した事実が、呪術的として特徴づけられるべきかどうかについて〔である〕。用語をめぐる争いを私としては可能なかぎり回避しつつ、私はただ、ここで考察されるべき表象を、われわれの Veda 的領域が示すとおりに、事柄に即して叙述することを試みる。
「言語は呪術の実行者に、医者や祭官とは別の名を与える」ということが一般に述べられるとすれば2、私は当該の境界の推移を Veda 的インドについて、およそ次のように記述したい。一方には、すでに触れたように(130ページ以下)、忌み嫌われる、隠れてその本質を営む、害をなす呪術者、yātudhāna やそれに類する性格の者が立っている。彼らについては、今日ならばサボタージュやスパイのような語によって適切に再現されるであろう気分をもって語られる3。他方には、Veda に置かれた知と能力の所有者が立っている。すなわち犠牲祭官であり、彼は同時に、機能上の呪術と呼びうるものの実行者でもある。しかもそれは決して、治癒をもたらす呪術のみに限られるのではなく、疑わしい価値の目的のためにも〔用いられる〕。たとえば、誰かが尼僧や遊女を意のままにさせるようにすること(Sāmavidhāna Br. II, 6, 11)、あるいは直接に害をなす「攻撃」(abhicāra)を敵に対して、その殺害等のために〔行うこと〕(KS. 47, 1 以下など)4。人は
見て取る。境界線は宗教と呪術とを分かつのではなく、公認の Brahmane 身分によって承認され、彼と彼の友人の利益において行使される行為と、権限を持たぬ、確かにしばしばまさに他方の当事者の害になるように営まれる私的実践とを分かつのである。
とりわけ重要と思われるのは、この最初に挙げた領域の内部において、そこに現れる宗教的な行為と呪術的な行為との間の境界が――両者の区別をどのように定式化しようとも――まったく存在しないということである。同じ人物(brahmán)と、彼らに内在する、あるいは彼らから出る同じ力(tapas, brahman)とが、神々を自らの目的のために獲得するためにも、他方では、有用な、あるいは害をなす力を、事情に通じ、自らの力によって、何らかの目標へと導くためにも――たとえば雨を、神々による追随によってではなく、自ら呼び起こすためにも――働くのである1。同様にこう言われる。「Indra よ、われらのこの
brahman を〔聞け〕」、「Indra よ、汝のために作られた brahman を喜べ」(Ṛgv. IV, 40, 4; V, 29, 15)。また「Agastya の brahman によってわれは虫を砕く」(Av.、上記133ページ)。そして tapas として、人は神々による状態と同様に、それを Soma 犠牲のうちへ置き入れる(拙著『Veda の宗教』401ページ)。呪術の投射物を tapas の投射物と呼ぶのと同様である(上記146ページ)。宗教的行為と呪術的行為とは絶えず――私は繰り返す。いかにしてもその境界を引くのが正しいと考えようとも――一つの行為の内部で、分かちがたく混じり合い、性格は最も多様な移行のうちに融け合う。何らかの実体ないし力を活動させることが問題であるならば、人は、非人格的な現象と人格的な現象との間を、また、それらについて語る調子、より懇願的なものとより命令的なものとの間を、絶えず往き来する。神性と関わることが問題であるならば、人はあるときは――最古の時代にはとりわけ――恩寵へ、自由な応答への希望へと向かい、ブラーフマナ時代にはそれは強く後退している。あるときは――後代にはおそらくより頻繁な事例である――たとえば無数の「願望供犠」の説明においてそう言われるように、人は神の恩寵をまったく確実なものと感じる。(彼はこれとあれとを犠牲に捧げる。かくして彼はその神に、彼にふさわしい部分をもって近づく。彼は彼のためにこれとあれとをなす)1。神に対して何らの強制も
〔加えられない〕という意味において、彼が意志に反して何かを強いられることはないが、しかしその予測可能な本質からして規定された作用が期待される、という〔意味においてである〕。この期待の確実性は明瞭に言い表される。「かの神々は雨を支配する。彼らのもとへ彼は、彼らにふさわしい部分をもって行く。彼らは Parjanya(雨神)に雨を降らせる。そして彼が雨を降らせようとしないときも、彼はやはり雨を降らせる」(TS. II, 4, 10, 2 以下)1。この場合、一方の神々の確実に定まった従順さによって、ついには他方の神が、その意志に反してであれ、まさに強制されるのである。しかし時として、神は直接に祭官の手の内の道具とされ、あるいは彼によってまさに暴力を加えられる。「Soma の献供によって、Varuṇa は彼に、その者のために犠牲が捧げられる者に、Varuṇa の縛めから〔解放をもたらす〕。Dadhikrāvan によって彼は彼を清める」(TS. II, 2, 5, 1)。「かの者が支配権に達しようとするならば、Aśvattha 材の七本の杭を中央の轅(?)に打ち込む、次の呪文とともに。ここにわれは某某を縛る、Āditya の支配権に至るまで。しかるのち彼を、Āditya たちが、その英雄たちが縛られているところへ至らしめよ」(同 II, 3, 1, 5)2。これらの、一方の仕方において神的媒介を要求する把握と交替して、ついにはきわめてしばしば、一つの考察様式が現れる。それは犠牲を、人が一柱の神へ、その名がいわば全体の標題をなすにすぎない神へと、儀礼から意図された作用への因果連関を直接に
もたらすものとして走らせ、実際にはまったく触れることのない神なしに、意図された作用を経過させるのである。「彼が Indra に、害を遠ざける者に犠牲を捧げることによって、彼はそれによってあらゆる害を追い払う。彼が力ある者に犠牲を捧げることによって、彼はそれによって自らのうちに力を置く」(同 II, 4, 2, 4)1。
われわれの側としては――私はそれをまったく適切と考えるが――われわれの体系の目的のために、二つの場合の移行と混合によって惑わされることなく、われわれの注意を、一方では助力をもたらす神的恩寵と、他方では自らの力による行為との区別に向けるべきであるとしても、われわれはやはり、次の事実を隠すべきではない。すなわち、古代人の意識にとって、われわれが扱わねばならない歴史的領域の内部で、神的恩寵の助けによる行為と、自らの力によるそれとの間の境界線は、まったく存在しなかったということである。同じきわめて明確に特徴づけられた力(とりわけ、すでに述べたように brahman と tapas)が、行為する主体の側から双方の場合において投入され、過程を貫き、それに、把握可能な日常的存在からの分離という決定的な特徴を与え、超人間的な存在ないし隠れて働く因果性へと接近させる。そのような同種性に対して、われわれが再構成しようとする把握においては、明らかに第二次的に、あの神秘的な領域で計算に入れるべき要因を、まさに神々として、また与えられた神的恩寵として名指すことになる。
さてこれらすべてに際して、感情の調子はどうであったか、とわれわれはなお問わねばならない。brahman は、この広く多様な作用領域において、この点で何らかの区別をなすのだろうか。すなわち、人が Indra に、Varuṇa に犠牲を捧げるのか、それとも治癒呪術や害をなす呪術を行うのか、という区別を。Ṛgveda 的古代については、多くの讃歌から語りかけてくる親密さと感動とが、当時すでにおそらく支配的であった、神々との交わりにおける自信に満ちた乾いた事務的態度と並んで、なお過大なもの、神秘的なものへの畏敬の念を伴っていたと想定してよいであろう。
しかしこの気分がブラーフマナ時代に多くを保っていたとは考えにくい。われわれは上(9ページ以下)で、いかにして神々の水準が低下し、自らの力による行為への信頼が増大したかを示した。地上の神々――として Brahmane たちは自らを感じ、また名づけたのだが――が、個々の場合においてその特別な性質に応じ、また対応する伝統的慣習に応じて、その天上の同僚たちを、彼らが秘密裡に指導しているとされる世界諸力の運動への協働へと呼び寄せるとき、その技術的な日課の遂行を伴う自信に満ちた気分が損なわれることは、まず稀であったであろう。人は聖にして最も深き深みを研究し、その道を知っていたのである。Brahmane たちが、これらの――識者にはまったく隠されていない――事柄について語る調子よりも、畏敬に乏しい調子は、想像しがたい。
自然的因果性
神々や実体の、しばしば予測不能に恣意的な営みと並んで、宗教的ないし呪術的に方向づけられた出来事――それによって人は世界が満たされていると信じたのだが――と並んで、当然のことながら、そのような気まぐれや影響から独立して、われわれなら自然秩序に完全に従うと言うであろう過程が、欠けていたわけではない。そのような出来事において作用する力と法則性とに表現を与えようとする太古の試みには、われわれはすでに上(124ページ以下)で触れた。私が考えているのは ṛta である。もっともそこでは、自立した世界法則という表象と、神的意志の流出という表象とが、理解しやすい太古の不明瞭さのうちに混じり合っており、さらに確固たる秩序という思想もまた、過程を貫く因果連関という思想へは、ほとんど明晰化されていない。すでに述べたように、ṛta の観念はブラーフマナにおいては後退し、その位置に多くの点で、存在と出来事の秩序についての表象が現れる。それは犠牲秩序にもとづき、これを模写するのである(150ページ)。しかししばしば、存在と物の存在を支配する連関と規則性についても語られ、その際、そのような関係が付着しているようには見えない。あらゆる空想的な神秘主義は――そこまで届く経験、あるいは生活のうちに一歩ごとに押し寄せる思い込まれた経験に対して、いかにして人を盲目にしうるであろうか。
「二種のものが生命の糧である。根を持つものと根を持たぬものと……。根を持たぬものは家畜であり、根を持つものは草である。根を持たぬ家畜が根を持つ草を食べ、水を飲むとき、そこからこの樹液(乳)が生じる」(ŚB. II, 3, 1, 10)。「彼(風)はこのすべての雨を膨らませ、それが降り落ちる。雨から草が生まれる。〔家畜が〕草を食べ、水を飲むとき、そこから乳が生じる」(同 I, 6, 3, 7)。「Agni(火)はここから雨を高みへ運び去る(この煙が高く昇る)。それを Marut たち(嵐)が導き入れる。かの太陽がその光線とともに下方へ向かうとき、それは雨を降らせる」(TS. II, 4, 10, 2)。「稲妻は、雨が降ったのち、雨のうちへ入り、消え去る。それはもはや認識されない。同様に月は満月に雨のうちへ、太陽のうちへ、太陽は火のうちへ、消えた火は風のうちへ〔入る〕」(AB. VIII, 28)。これらはある程度自然的な過程の記述である。前者の結びの文がまた、良質の空想の一部を含んでいるとしても、それはやはり自然的世界の限界の内部で動いており、その関係を、他の箇所でしばしば観察されるように、犠牲の過程やそれに類するものへ還元することはしない。手短に、後代の発展のうちへ入るために、私はここに次の所見を付け加えたい。すなわち、ウパニシャッドにおいてこの自然科学的な種類の、出来事の考察は、そこでもなお祭儀的・神秘的なそれによって絶えず混じり合わされてはいるが、しかし前進しつつあることが認められる3。わずかなことを挙げるにとどめよう。ChU. VI, 5ページ以下では、享受された食物の分解が語られる。「最も粗いものは糞となり、中間のものは肉となり、最も微細なものは霊となる」。同様に飲まれた水も分解される。人間は、さらなる経過のうちで、飢え、渇く。なぜなら水が
食べられたものを、熱が飲まれたものを運び去るからである。そこにはもちろん、この即物的な説明の試みに、たちまち空想的な語源解釈が結びつく(ChU. VI, 8, 3. 5)。熱は風を引き止め、世界空間を熱する。「そこで人は言う。それは押しつけている、それは灼けている、雨になるであろう」。熱こそが、これを最初に示し、それから水を流れさせるものである。そこで稲妻が上方へ、また横に走り、雷鳴が起こる」(ChU. VII, 11, 1)。かつて Ṛgveda において人格的な神格であった水や火が、そのような箇所ではいかに異なって立っていることか。Agni は賢い祭官であり、母なる Āpaḥ であった。次いでブラーフマナにおいては、なお主として呪術的存在であり、隠れた力に満ち、隠された仕方で作用し、また被る。今やついに自然的本性である。熱は風を引き止め、世界空間を熱する。そこで水が流れる――かつては雷雨の神 Parjanya が、吼える雄牛としてその精を注ぎ、樹木と悪しき者たちを打ったところで。Thales は、Okeanos と Tethys の位置に水を据えたと言われる。ここインドにおいてわれわれが観察するものは、遠からず比較しうるものである。
したがって当然のことながら――もちろん緩慢な――進歩が、出来事のうちに自然的因果性を見いだす点でなされたとしても、因果性についての原理的な洞察装置は、なお完全に初期の段階にあった。言語は確かに、その発達した名詞変化から、因果関係の指示のために「共に格」(具格)と「どこから格」(奪格)という形式を提供していた。すなわち手段ないし道具の、また行為の出発点の、したがって容易にその根拠の〔指示である〕。ここでは前置詞 anu もまた挙げられるべきであり、これは「〜に従って、〜に応じて」の表現である。しかしなお人は、当該の関係へ、「原因」と「作用」というカテゴリーのために固有の明晰な表現が刻印されうるほどに深く入り込んだ反省を向けることからは、遠く隔たっていた。ここにおいて、われわれの扱う時代には、手探りの端緒以上のものはほとんど存しない1。
主要な関連用語である古典語の kāraṇa と kārya、すなわち「原因」(本来は「作用」)と「結果」(本来は「作用されるべきもの」)は、まだ欠けている。因果性の表象圏に後に現れるその他の表現のうち、いくつかはすでに存在する。すなわち Ṛgveda 時代からすでに hetu、「衝動」である。賭博者は、その不幸な賭博の「衝動によって」(文字どおりには hetoḥ)忠実な妻を自らから遠ざける(Ṛgv. X, 34, 2)。気息、それは他のすべての力が彼らを見捨てたときに存在のうちに残ったものであるが、それが原因(hetu)であり、それによって彼らは滅びなかったのである(ŚB. II, 5, 2, 2)。祭主は犠牲を告げる月を、雲の hetoḥ によってではなく見る(同 XI, 1, 4, 1)。呪術的手続きは原因(hetu)であり、それによって病は耳と口から遠ざかる(Av. IX, 8, 3)。衝動という具体的な表象は、なお至るところに透けて見える。しかし、雲を月の不可視性の原因として挙げる者は、あの直観像から著しく遠ざかっており、因果性をすでにより抽象的に考えているにちがいない。
具体的な表現がそこにおいて、支配的な不定の因果性カテゴリーの呼称として傾いているように見える二つの他の箇所は、ウパニシャッドの次のものである。「Sāman の道(gati)とは何か」――理解されるべきは、Sāman は何へ還元されるのか、である。「音である」と彼は答えた。「音の道とは何か」。「気息である」と彼は答えた。「気息の道とは何か」。「食物である」と彼は答えた。「食物の道とは何か」。「水である」と彼は答えた。次いで続けて、「この世界の道とは何か。ākāśa(上記38ページ以下)である」と彼は答えた。「まことにこれらすべての存在は ākāśa から生じ、ākāśa のうちへ入って静まる。ākāśa はそれらより古い。ākāśa はそれらの最高の目標である」(ChU. I, 8, 4 以下; 9, 1)。ここでは「道」の表象がさしあたり、当該の本質性がどこから来るのかに関わっている。それに指し示された存在を通る道である。この表現は、出発点の指示としても――もちろん十分に不定にではあるが――原因の指示としても理解されうる。作用されたものと物質的原因との区別に関しても不定であり、後代の術語における nimitta と upādāna の〔区別である〕。結びにおいてついに「道」は、他方において同時に目標の表象をも包括するものとして現れる。そこへ道が導くところの〔目標である〕。全体はこの
思想質量の未完成な状態をよく例示している。そこでは将来の思想運動の方向が、初めて予感的に描き出されているのである。
同じウパニシャッドの別の箇所(VI, 8, 3 以下)は、すでに触れたように、水が人間によって享受された食物を運び去ること、そして明らかに補足して考えられるべきことに、それから身体が構築されることを語る。この関連においてこう言われる。「わが親愛なる者よ、生え出たこの芽を認識せよ(意味されているのは、それは根なしではありえないということである)。それは根なしではありえない。そしてその根はその食物のほかのどこにあろうか。同様に、わが親愛なる者よ、芽である食物のために、根として水を見いだせ。水である芽のために、わが親愛なる者よ、根として熱を見いだせ。芽である熱のために、わが親愛なる者よ、根として有るものを見いだせ。有るもの、わが親愛なる者よ、これらすべての存在は根を持ち、有るものをその場所とし、有るものをその基礎とする」。ここでは原因が、その現存が確実なものと前提され(「芽は根なしではありえない」)、しかも causa materialis として現れる――「根」という、身近で、後代に頻繁となる像のもとで。それから生じたものが「芽」である1。
これらの臆病な端緒が、因果性カテゴリーを操作することへ向かって、あらゆる不確実性を超えて確実に到達したというには、なお距離があると感じられる。しかしそれは明らかに、はるかに広く、より確固として発展した仏教の思想技術に比べれば〔なお遠い〕。仏教はその教義の基礎として「(一方が他方に)依存して(他方から)生起すること」(paṭiccasamuppāda)という定式を立てる。そこでは至るところで、「何を基礎として、何から生まれ、何から生じたか」を問い、次のように論じるのが常である。「これが有れば、あれも有る。これが生じれば、あれも生じる。これが有らざれば、あれも有らざる。これが滅すれば、あれも滅する」2。ブラーフマナ神学者たちの思考は、まだそのような問いを
意識的な一貫性をもって追求することに向いていなかった。主として呪術的力によって支配され、そこでは至るところで一方が他方でもあり、無数の他のものでもある世界は、あまりに混乱しており、正しい地盤の上に問いの立て方を置くには〔適さない〕。さしあたり実際、自らの呪術の作用に期待する呪術者には、必然性についてのある種の影のような表象が対峙しているのであり、それは奇怪な因果秩序にもとづいているのである。そして後代においてはとりわけ、karman(行為の報い)についての教説の増大する意義が、根拠と帰結との結合をその一貫した妥当性と堅固さにおいてますます決定的に評価することを学ばせる、という点に寄与している。しかし、そのような思想方向の真剣な追求は、犠牲儀礼の探究者たち、ブラーフマナ文献において語る者たちには、到来しなかったのである。
このような事情のもとでは、避けがたい問いに対して、完全に確定した答えが得られないように見えるのも理解できる。その問いは、上述の論述の近くで、言い表されぬまま絶えず動いていた。すなわち、超自然的な、たとえば宗教的ないし呪術的な因果性と、一方における自然的なそれとの間に、区別が感じ取られていたのか、という問いである。
これはおそらく、われわれの道で出会う最も困難な問いの一つである。現象が置かれている雰囲気は、あまりに漠としている。手探りでのみ、私はここで前進を試みる。
私は、原始的思考にとって自然的なものと超自然的なものとの区別が明らかに存在しなかった、という点から出発する。比較的後代の段階においては、他方でこの区別が確立している。両者の間には一つの道が横たわる。したがって問いは、ブラーフマナの神学者たちがこの道をどこまで進んだか、という形をとる。
さて、われわれが正しく観察したように、当時、自然的秩序についての表象の端緒がいかに不確かであったとすれば、超自然的なものの明確な分離が初めから語られえないことが帰結する。至るところに、比較的純粋な、秩序に従った出来事についての表象の断片が散らばっており、それらは空想とともに、突然の思いつき、世界を満たす力の予測不能な気まぐれについて〔語る〕。自らの日常生活の行為においては、それでもやはり多かれ少なかれ
信頼できる、目に見える帰結の経験が、あらゆる行為について、ある種の「自然的なもの」の感情と結びついていたにちがいない。そしてここでこそ、なお最も決定的に――もっとも相対的な確定性においてのみではあるが――あの計画的な把握可能性から、祭儀的・呪術的行為の秘密に包まれた特殊本性が際立つのである。それは隠れた道を行き、独自の、奇怪な前提に結びつき、例外的なものと神秘とを含む要素に満ち、それらは互いに引き合い、結びつき、相互に高め合った。そこでは特別な種類の清浄が要求された。人は断食し、目覚めていた。より大きな機会には、人は dīkṣā の再生儀礼によって、新しい存在へ、神々の近くの別の世界へと移された。人は独自の韻律で、一部は独自の間投詞を伴い、時にはまさに狂人の言葉のように響くテキストを語り、歌った1――太古の賢者たちによって「見られた」、その古く確立した文言におけるテキストであり、その知識は自ら、森のなかで秘密裡に、高められた戒律のもとで獲得したものである。人は、独自の聖別を受けた対象、マングースや蛇や Gandharva が知っている草を用いた(Av. VIII, 7, 23)。そのような事物をもって、人は行為を遂行した。その際、意図された成功が、通常の行為の目に見える仕方では現れないこと、その過程が独自の領域を通って進み、目に見えぬ、あるいは特別に装備された眼にのみ見える力がそこでその本質を営んでいることが、押し迫らざるをえなかった。区別があったのである。人が着物を必要とし、それを作る、あるいは作らせる場合と、三本の木片を蜘蛛の巣で包み、呪文を唱えて火に入れ、煙のうちへ吸い込む場合、あるいは兵士が戦いで敵に矢を射る場合と、祭官が「白足のもの」を呪詛とともに敵に向けて送り出す場合とでは。第二の種類の行為において、いかにして作用が成立するかを問うならば、絶えず、物はその一般に知られた本質と並んで、なお隠された姿を持ち、神々は隠されたものを愛する、と語られたのである。これらの手続きと儀式の多くには、ただ Brahmane のみが
近づくことができた。あるいは人は Brahmane を「前に立てる」ことを要さねばならなかった。すなわち、自らあの神秘的な性格に与る人間、上位の世界の市民を〔要した〕。Brahmane 的領域の外部には māyā の国、yātu 呪術の領域が横たわり、そこでは梟の妖術、犬の妖術、唾の妖術がその本質を営んでいた。かくして、祭官的呪術と祭祀とにおいて作用する力は、その相違にもかかわらず、それらすべてが一つのある種の例外的性格において合致することが、やはり感じ取られていたにちがいない。すなわち、より高い、あるいはより低い程度において、非日常的なもの、圧倒的なもの、秘密のものという要素を含み、少なくともわれわれの超自然的なものの表象の方向に横たわる、という性格において。
多くの点では、しかしながら、そのような行為と通常の行為との境界は、決して鋭いものではなかった。多くの、より小さな、より不明瞭に特徴づけられた呪術行為は、日常の営みのうちに、ほとんど区別しがたく混じり合った。一歩ごとに、その問い――もし人がそれを立てたとしても――は、答えられぬままであったろう。すなわち、個々の場合において、一方が他方と異なるのかどうか、という問いは。そしてもし人がさらに、当該の問いの立て方を、自らの行為の領域から、外の大きな世界における出来事へと向けたならば、その手がかりは完全に失われたにちがいない。というのも、行為の意識が、彼の行為に伴う気分を与えたところの、区別の材料が〔失われたからである〕。確かに信じうることは、人が呪術や祭祀において動かす多くの力にとって、異常なもの、驚くべきものの表象が、それらの自立した、あの人間的・祭官的行為から独立した作用が見られると思われたところでも、支配的であったということである。血の雨が降ったとき、猛禽が肉を嘴に咥えて家に舞い降りたとき、そのような前兆は他の眼をもって、日常的な出来事とは異なって眺められた。黒い羚羊の毛皮、brahman の体現は、他の眼をもって〔眺められた〕、他の任意の動物の毛皮とは。しかしここでも、人がその影響のために超自然的な力を必要とする力の存在と行為は、それらの力がその種類ないし気まぐれに従って行為するにせよ、われわれによって妥当と認められた出来事の秩序の外部においてであれ、必ずしも異常なものとして現れる必要はない。物は、それらを brahman によって導かれうる力によって働かせるために、決して
brahman を待つ必要はなかった1。もしそれらが、その独立した生と働きにおいて、たとえば「模倣的呪術」におけるのと同様に、類似のものによって類似のものをもたらすように見えるならば――そのような過程が、いかに不定な感情によってであれ、「自然的」あるいは「超自然的」と判定されたと、確実に言えるであろうか。そのような働きに、物は明らかに等しく、世界運行の無数の異常な出来事も、またきわめて日常的な出来事も依存しており、それらは互いに区別しがたいのである。そして絶えず、同じ秩序、同じ出来事が、最も多様な源泉から導き出され、場合によっては同じ権利をもって、自然的とも超自然的とも判定されえたであろう。もし今 ṛta として、あるいは諸存在の vrata として現れたものが、次には犠牲秩序の模像へと還元されるならば、それは一度は自然的なものの国に属し、次には超自然的なものの〔国に属する〕のか。人は感じる。ここでどうしても遂行しえない考察に、物が入り込んでしまったことを。われわれが認識し、あるいは推測しうるのは、部分的に、より明瞭に、あるいはより不明瞭に感じ取られた区別が、顕わなものと隠れたものとの、日常的なものと例外的なものとの、無害なものと不気味なものとの、人間的なものと神的なものとの区別である。そのような区別が、自然的なものと超自然的なものとの対立へと形成されるためには、すでに述べたように、自然的因果性の表象の練り上げが、実際にそうであったのとはまったく別の段階に到達していなければならなかったであろう。われわれの探究した領域には、およそ次のようなあまりに大まかな把握は、最も当てはまらない。すなわち、世界に届く超自然的力の連続体2――そこへ祭主や呪術者が介入する――とか、一種の第四次元――そこで祭儀的・呪術的過程が演じられる――といったものは。ブラーフマナの教師たちの眼に対して混沌と入り乱れる諸力の混沌は、そのような定式の単純さのうちに押し込むことはできないのである。
付録 宇宙開闢論
ブラーフマナの世界存在と出来事についての像を描く試みに、私は付録として、世界創造ないし世界成立についての彼らの表象への一瞥を結びつける1。ここでもまた当然、すべての細部が集められるべきではなく、可能なかぎり基本的特徴を際立たせるべきである。
より古い Veda 時代から、これらの表象はきわめて混乱した状態で受け継がれた2。そしてブラーフマナ作者たちの思考が置かれていた条件は、ここに明晰さをもたらすにはまったく適していなかった。ここには、世界の生成を理解しようとする真剣な、深く食い込む努力、この生成したものの歴史を、生成したものの像から解き明かそうとする努力はなかった。導きとなる関心は、まったく別のものであった。儀礼芸術家の群れは、こぞって犠牲儀礼の測りがたい塊をそれぞれの仕方で解釈しようと努め、説明されるべきものを、世界成立の過程からの何らかの思いつきの助けを借りて、そのつどきわめて安価に、最高の尊厳を、一種の内的必然性を確保することを、とりわけ好都合と見いだした。このようにして、物の始まりについての、無数の、たいていはごく短く、容易に構成された言表が生じ、それらはある特定の儀礼を動機づけることに帰着するのであり、それゆえ一方が他方と、もし事情がそうでなかったならばそうであったに違いないほどには、矛盾しないのである3。ところで個々のものが自ら矛盾することも十分に多い。たとえばある存在が、その成立がたった今報告されたばかりで、すぐ後に再び成立するとしても、それは少しも支障とはならなかったのである。
ある種の比較的確固たる基本特徴が、この思いつきの混沌のうちにも認識されうる。
ブラーフマナの時代には、強く発達した神々への信仰の時代が先行しており、そこでは確かに、世界を創造し世界を秩序づける多くの神々の活動についての、様々に変化する表象が支配していた。その時代はすでに、神的多数性を統一へ、あるいは少なくとも神々の世界を一つの中心の周りへ集めようとする傾向を有効なものとしていた。同時に、われわれが見たように、神々への信仰の強さが減退しつつあったにせよ、なお当面は、非人格的な生成過程による世界創造という表象と並んで、神的創造者による世界創造という表象が生きており、それどころかおそらくそれに優位していた。そこで当然のことながら、第一の、中心的な神についての表象と、世界創造者についてのそれとが結合せざるをえなかった。創造者たりえたのは、他のすべての神々の前に存在した神のみであった。いかに様々な試みの型があったにせよ、Prajāpati、「被造物の主」が、ある意味で最高神の地位に確立されたことは、上(26ページ以下)に示した1。彼こそが、世界創造についての大部分の報告あるいはより短い言表が、その中心に立つところの者である。
さて彼の行為、誰の眼にも見られたことのない「創造」を表象可能なものとするために、二つの身近な過程が手がかりを提供した。それによって、以前に存在しなかった何かが存在へともたらされるのである。一つは生殖と出産であり、もう一つは手工業者の仕事である。「被造物の主」は、その本性からしてむしろ第一の創造様式へ傾いた。ここで作用したのは、第二の表象型が、彼によって加工される素材を前提とするということであろう。そこから、避けがたくはないにせよ容易に、二元論へと導かれ、それは、物の始まりに一つの存在のみを想定しようとする強い傾向に反したのである。生殖・出産の表象には、それに対応する困難が、すなわち親のペアの必然性が対立した。しかし同じ強さではなかった。この驚異の
世界においては、出生、あるいはそれに比較しうるものが、様々な仕方で進行しえたのである1。
まさにここに出口を見いだそうとする努力が、Prajāpati の行為に対して支配的な表現から明瞭にうかがえる。それをわれわれは「創造する」と訳すのが常である。すなわち動詞 sṛj- である。ブラーフマナの無数の物語はこう始まる。「Prajāpati は願った。われは被造物を生み出したい。われは多数でありたい。彼は苦行を行った」2。苦行を行ったのち、彼は創造した――そして次のような対象が続く。たとえば「これらの世界、大地、空界、天」。
sṛj- とは、さて出産の表象に近く、文字どおりには「(自らから)放ち出す」3である。Ṛgveda は「放つ」についてしばしば語る。たとえば矢を放つこと、競走馬を、走らせる牛を放つこと、あるいは Indra が岩の閉塞から川に出口を開くことなどである。創造について、Veda はこの語をそのごく後期の歌の一つにおいて初めて用いる5。もしそこで――
表象がより確固たる軌道に達したことを示すものとして――おそらく職業的な創造者 Prajāpati の登場と同時に、言語がこの語 sṛj- を「創造」の適切な表現へと刻印したのだとすれば、そこには一方で「自らから放つ」という表象がなお生きており、他方では、出産への依拠が、私が信じるところでは、認めうるのである1。前者に関しては、多くの特徴的な箇所のうちから二つだけを挙げよう。「Prajāpati は被造物を創造した(sṛj-)……。彼は自らのうちに力を汲み尽くした。それは彼から力とともに上方へ放たれた(sṛj-)」(TB. I, 1, 10, 1)。「Prajāpati はあらゆる存在を創造した(sṛj-)、呼吸するものも呼吸しないものも、神々も人間も。(そこで Pr. は疲れ果て、死を恐れた2。)彼は自らに考えた。いかにしてわれはこれらの存在を再びわが自己のうちへ、わが自己のうちへ入れうるであろうか」(それが彼には儀礼的呪術によって成功する)(ŚB. X, 4, 2, 2 以下)。したがって創造とは、以前に彼のうちにあった内容から創造者を空にすることである。さらにしかし、この「自らから放つ」はおよそ「産む」と同じほどである。それゆえそれは、たとえばこう言われる場合に依拠する。「Prajāpati はあらゆる存在を孕んだ」(ŚB. VIII, 4, 2, 1)。「これ(年)はそれを、年が続くかぎり〔自らのうちに〕孕み4、その経過ののち彼はそれを創造した(放った、asṛjata)。それが
生まれたのである」等々(同 X, 6, 5, 4)。したがって sṛj- によって指される過程には、いわば妊娠が先行し1、sṛj- の対象は後に「生まれた」と呼ばれる2。私はなお次を挙げる。「〔Prajāpati は〕彼を生み出した(prajanayat)3。何を生み出したにせよ(あるいは彼らを生み出したかぎりにおいて)、彼は創造した(sṛj-)」(同 VIII, 4, 3, 20)。しかしこれらすべてから見て取れるのは、sṛj- の表象が一方では性的生殖の表象に影響され、他方ではそれからある程度切り離されて、その自立した相貌を発展させたということである。すなわち、男性原理と女性原理という交合する二重性ではなく、自らから世界を「創造する」一人の創造者が〔現れる〕。
「創造する」というこの最も頻繁な表現には、さて特徴的な等価性において第二のものが並ぶ。nir-mā-、「準備する、作る」、文字どおりには「何か(素材)から測り出す(そして形作る、作り上げる)」である3。後代の言語はこの語を、建物や都市の建造について、器を作る陶工について、テキストを著す作者について、また類似のことについて好んで用いる。多数のブラーフマナの箇所が、何らかの素材から作り出すという意味を裏づけている。rṣi たちは「この Metra から煉瓦を作った(nir-mā-)」(TS. V, 3, 5, 4)。あるウパニシャッドでは、夢見る者はこの世界から素材(mātrā)を取る。「彼はそれを砕き、自ら自身から作り上げる(nir-mā-)」――かくして彼はその夢の世界を成立させる(BĀU. IV, 3, 9)。さて創造に関するこの動詞の使用のいくつかの証拠を〔挙げよう〕。「Prajāpati は願った。われは被造物を持ちたいと。そこで彼はその口から三重〔の Veda〕を作った(nir-mā-)。それに神性として Agni が作られ(anu-sṛj-)、人間のうちでは Brahmane が、動物のうちでは牡山羊が〔作られた〕……。胸と腕から彼は Pañcadaśa4を作り、それに神性として〔作られた〕」(TS. VII,
1, 1, 4)。見て取れるのは、ここで nir-mā- と sṛj- とが交替していることである。実際、別のブラーフマナ(PB. VI, 1, 6 以下)には1、同じ物語が、本来伝えられた形では nir-mā- とあるところに、一貫して sṛj- を置いた形で見いだされる。――「Prajāpati は願った。われは被造物を持ちたい。われは多数でありたいと。彼は苦行を行った。苦行を行ったのち、彼はこの十二日の犠牲を自らの肢体と気息力のうちに見た。彼はそれを(nir-mā-)自らの肢体と気息力から十二重に作った」(AB. IV, 23, 1)2。証拠の塊を概観すると、私が何も見落としていなければ、動詞 nir-mā- が――sṛj- とは異なり――「被造物」(「後継」、prajāḥ)という目的語と結びつかず、これが sṛj- にきわめて頻繁であることが見いだされる。その代わりに nir-mā- にはとりわけ頻繁に(もっとも sṛj- にも現れるが)、奪格ないしそれに相当するものが、何から創造者が作ったかの表現として現れる。すなわち好んで ātmanaḥ、ātmano 'dhi、「自らの自己から」である。この最後の細部は意義なきものではないように思われる。それらから、いくつかの注目すべき所見が引き出されうる。nir-mā- はその語義からして、創造を生殖・出産としてではなく、一つの素材から製品を測り出すこととして把握する。そこには本来、創造者と並ぶ物質的原理の表象が近い。人は Ṛgveda(X, 81, 4)の問い、「何が森であったのか、何が木であったのか、そこから天と地が刻まれたのか」に立ち返る。しかしブラーフマナにおいて働く空想は、むしろ物の始まりに創造者を一人だけ置くことを好んだ。それでは創造のための素材として何が残っていたのか。明らかにただ創造者自身である。かくして創造されるべき本質性は「自らの自己から」、「自らの肢体と気息力から」、「自らの口から」作られ(nir-mā-)ねばならなかった。その際、Puruṣa(「人」、Ṛgv. X, 90)の Ṛgveda 的創造犠牲の記憶が共に働いたのであろう。彼の「口は Brahmane であり、腕から Rājanya が作られた」等々である。しかしそのすべてにおいて、nir-mā- の表象は sṛj- のそれに強く近づいた。それどころか、この微細な
区別に傾かぬ思考にとっては、ほとんどそれと一致せざるをえなかった。かくして「何かから放つこと」と「そこから作ること」とは、双方の語義が直接に忘れられたわけではないが、しかし「創造」の表象に対するおおよそ等価な表現として存在したのであり、われわれはまさにそれらに「創造する」という名を与えるのである。
sṛj- と nir-mā- によって指される行為の代わりに、いまや、多かれ少なかれ広まった、創造的活動の他の形態が現れる。あるいはそれらは、宇宙開闢的過程のさらなる経過においてそれに加わる。
まず第一に性行為である。それは sṛj- の表象から、それが誕生に似た何かでありながら、いかなる先行する性的結合(mithuna)をも自らのうちに含まない、というかぎりにおいて離れている。さて mithuna を創造過程の先頭に置くことは、すでに述べたように、物の始まりに創造者が一人だけ存在したという見方によって困難とされていた。それでもこの、それ自体身近な動機は、様々な道を通じて創造の表象へと入り込み、より正しくは、その太古の位置をそこで主張したのである1。両性具有的存在の犠牲は、次のように説明される。「Prajāpati は、彼が被造物を創造しよう(sṛj-)と願ったとき、交合のための第二の存在を見いだせなかった。そこで彼はあの〔両性具有的な〕姿をとり、自らの拇指と結合し、被造物を創造した(sṛj-)」(K. XIII, 7, p. 189, 14 以下)2。神的なペアの表象――たとえ交合の直接的な言及がなくとも――は、物の始まりにおいて次の箇所にも現れる。それは同時に、原初存在の重要な統一性を、言及された困難の解決なしに固持している。「Prajāpati はこの全であった。Vāc(言葉)は彼の所有、彼の第二のもの(すなわち伴侶)であった。彼は考えた。われはこの Vāc を放とう。彼女はこの全へと広がり出るであろう。彼はこの Vāc を放った。彼女はこの全へと広がりつつ行った」(PB. XX, 14, 2)。さらに同じ神的ペアが明示的に mithuna として言及され、しかも上述の困難に立ち入ることなく4、
「Prajāpati はこの〔全〕であった。Vāc は彼の第二のものであった。彼は彼女と交合した。彼女は胎児を受けた。彼女は彼から去った。彼女は被造物を創造した(sṛj-)。彼女は再び Prajāpati のうちへ入った」(K. XII, 5, p. 167, 15 以下; XXVII, 1, p. 137, 8 以下)1。mithuna の表象は、次いで創造史のさらなる経過において好都合に用いられる。すなわち、最初の被造物がすでに存在するや否や、あるときは Prajāpati 自身が、あるときは創造された存在たちが、この道によって創造をさらに進めることは、身近なことである(ŚB. VI, 1, 2, 1 以下; 1, 3, 8)。
創造のさらにいくつかの形態、あちらこちらに出会うものについて、ここで簡単に述べておこう。創造者は犠牲を捧げる。そこから太陽やその他のものが生じる(ŚB. II, 2, 4, 6 以下)。彼は讃歌を唱えつつ歩き回る。そこで創造されるべきものが成立する(同 X, 6, 5, 1)。彼は自らの霊のうちで(dhyā-)自らを思う。そこで彼は霊のうちで孕む(MS. IV, 2, 1, p. 20, 15)。彼は自らの霊のうちで思いつつ考える。彼の霊のうちにあったものが Sāman Bṛhat となる。彼は語る。彼の言葉が、そのうちに内在する Sāman Rathaṃtara を胎児として誕生へともたらす(PB. VII, 6, 1 以下)。彼はすでに創造された被造物に触れて言う、「あれ。より多くあれ」。かくして新しいものが生じる(ŚB. VI, 1, 1, 10)。彼は創造されたものを熱し(abhi-tap-)、それによって他のものをそれから生じさせる(KB. VI, 10 そしてしばしば)。彼は創造されたものを「互いに離して置く」(vyākṛ-)、形なきものに形を与える(ChU. VI, 3, 1 参照。K. XXXVIII, 1, p. 100, 20)。彼はあれこれを手工業的な技巧をもって作った。かくして彼は大地を据え、天を飾った(K. XXXVII, 9, p. 89, 4)。彼は自らを十重に分ける(K. IX, 11, p. 112, 10)。あるいは彼は創造されたものを太陽、風のうちへ分け、また火のうちへ〔分ける〕(ŚB. X, 6, 5, 3)。彼は創造を自らの気息力から引き出す(KB. VI, 10)。彼が創造したのち、Prajāpati は三重の知のうちへ入る。一つの卵が生じ、そこから Brahman が現れ出る(ŚB. VI, 1, 1, 10)。創造者のそのような、創造されたもののうちへの参入は、あちらこちらに〔現れ〕、しかしこの思想発展の段階ではまさに
頻繁な動機ではない1。かくして別の創造史では、Prajāpati が、以前は互いに融け合っていた被造物のうちへ、姿とともに、次いで名とともに入る。明らかに彼らに境界画定と名指し可能性とを与えるためである(TS. II, 2, 7, 1。ŚB. XI, 2, 3, 3 を参照)。一つの本質性が他の本質性のうちへ入るというこの表象は、ブラーフマナにおいてそれ自体としてきわめて身近であるが(108ページ)、しかし世界創造との関連においては、私が正しく見るならば、後代の思弁ほどには近くない。そこでは創造者は Ātman であり、あらゆる被造物に内在し、それらを生かす。しかし Prajāpati は通例、「外から突き当たる」神の役割を演じる。それゆえ「入ること」が彼の特殊な習慣に属さないことは理解しうる。
さて創造史の経過において、創造者が最初の本質性を存在へと呼び出したのちには、まもなくこれらが何らかの仕方で創造の業のさらなる遂行に働く――水が泡を作り、泡が粘土を作る等々(ŚB. VI, 1, 3, 2 以下)。あるいは創造の位置に「生成」2、一方が他方から〔生じること〕が現れる。後者の場合はわれわれを、これらの物語のもう一つの主要類型へと導く。すなわち、およそ創造者を先頭に立てず、原初実体を〔立てる〕類型である。それから次いで、生成の運動が創造の運動よりむしろ出発するのである。もっとも両類型の多様な混合を伴わないわけではない。しばしば、生成した存在のうちに、まもなく創造者が現れ、彼が直ちに運動を生成から創造へと導く。あるいは原初実体は、それからさらなる本質性が「生成する」であろうと期待されるのだが、それ自身が人格的な創造者となる。空想はまだ、一方の表象様式と他方との原理的区別を固持することからは遠く隔たっており、一方の方向に従う運動が他方の方向の記憶の影響を受けることを拒まない。これらの創造史においては、内的法則に従う
大きな構想が発展するのではなく、小さなところで、たまたまそうなるままに、思いつきに思いつきが接ぎ木されるのである。
世界生命の頂点に置かれる実体は、一部はより具体的、一部はより抽象的な性質のものである。それらからの全の生成は、あるときは実際に遂行されうる、また明らかに実際に遂行される表象であり、あるときはむしろ、生きた表象の位置に単なる言葉が現れたという印象を与える。
好んで原初存在とされるのは水――「もろもろの水」――である。「もろもろの水から」と教えられる、「このすべては生まれる」(ŚB. VI, 8, 2, 3)1。「水がこの全であった、初めに、洪水が」(同 XI, 1, 6, 1; TB. I, 1, 3, 5 そしてしばしば)。しかしここで表象は容易に人格的なものへの転回をとる。より正しくは、人格的なものと非人格的なものとがここで融け合っており、ほとんど本来の転回を必要としない。「もろもろの水」は――Prajāpati の同様の状況とまったく同じく――「願う。われらは増えたいと。彼らは自らを苦しめた。彼らは苦行を行った」。そこで一つの卵が生じ、そこから一人の男、Prajāpati が〔生じた〕――むしろ、さしあたり未来の創造者である子供であり、彼は一年の齢である。彼はその最初の発語の試み、一音節ないし二音節の短い言葉をなし、また立つことを学ぶ(ŚB. XI, 1, 6, 1 以下)2。あるいは報告はより短い道で原初水から Prajāpati へ至る。「水がこの全であった、初めに、洪水が。そこで Prajāpati は、風となって、蓮の葉の上を漂った」(K. XXII, 9)。「水がこの全であった、初めに、洪水が。そこへ Prajāpati は、猪となって潜った。その鼻が
これほど長かった、これほど多くの粘土を彼は引き出した。それがこの〔大地〕となった」(K. VIII, 2。より詳しくは Macdonell, JRAS. 1895, 179)。ここで Prajāpati が体現している猪は、かつて宇宙開闢的な存在そのものであったのだろうか(ŚB. XIV, 1, 2, 11? TĀ. X, 1, 8?)。あの初期時代の残滓であり、その思考様式をわれわれは今日なお、低い文化段階の民族のもとに多く見いだすのであるが、そこでは飛蝗や兎が世界を創造し、物の始まりには水と麝香鼠がいるのである。またわれわれがたった今、すでに以前(173ページ)にも出会った宇宙開闢的な卵のうちにも、周知のように、大地を越えて無限に広く行き渡った、確かに太古の表象が存する1。ここには、原初水から人間に似た姿の Prajāpati への移行を媒介する役割が帰する。他の箇所では卵はより後の位置に現れる。すなわち、Prajāpati がすでに存在し、被造物を創造した。今や彼は、その被造物のあれこれと交合しつつ、卵を生み出し、そこからさらなるものが生じるのである(ŚB. VI, 1, 2, 1 以下)2。あるいは、そこから生じる被造物にすべての重みがかかるという表象の代わりに、それ自体が、割れるとき、その様々な構成部分において宇宙の大きな本質性のうちへ〔入る〕。その殻――一つは銀、一つは黄金――は大地と天となる(Manu I, 13 を参照。Jaim. Br. の Caland, Over en uit vit heil. Jaim. Br. 46 をも見よ)。その皮膜は山、雲、霧となる。しかし主要なものは、そこから生まれた者、すなわち太陽である。「それが生まれたとき、その後に轟音と歓呼が起こり、あらゆる存在とあらゆる願いが〔起こった〕」(ChU. III, 19)。
われわれは、そこから世界が生成し、あるいは創造された原初存在に立ち返る。世界の始まりの水には、Ṛgv. X, 129, 3 によれば闇、暗い混沌が近い。この表象は後にも見いだされる。すなわち Manu(I, 5)において。それが――私の現在知るかぎり――本来のブラーフマナ時代には代表されていないのは、おそらく偶然であろう3。無形の質料の表象もまた――もし人が「有るもの」(すぐ後を見よ)を
そのように理解しようとしないならば――明らかにまだ欠けている。人格的な創造者とそのような原初実体との間の不定な境界に、ŚB. X, 6, 5, 1 以下の報告が保たれている。「初めにここには何もなかった。死によってこの〔全〕は覆われていた、飢えによって。というのも死とは飢えだからである。これは思想を捉えた。われは自己を持ちたいと。――そして彼は Brahman を生じさせる」。もう一つの原初存在が ŚB. XI, 2, 3, 1 に挙げられる。「この〔全〕は初めに Brahman であった。それが神々を創造した」1。さらに別のもの、霊(manas)が ŚB. X, 5, 3, 1 に導かれる。この一節は技巧的である。「初めにこの〔全〕はいわば有るのでもなく、有らぬのでもなかった。この〔全〕はいわば有り、またいわば有らざるものであった。それが霊(manas)であった……。というのも霊はいわば有るのでもなく、有らぬのでもないからである」2。われわれはすでに上(52ページ以下)で、二つの最も広い抽象、有るものと有らぬものについて語った。ここでは簡単に、いくつかの宇宙開闢論が――われわれはウパニシャッド文献へ踏み越えてよく、また踏み越えねばならないのだが――あるときは有らぬものを、あるときは有るものを世界発展の頂点に置くことを指摘するにとどめてよい3。有るものについては、絶えず「どこから」という問いが提起されうるのだが、有らぬものが最も遠い遠方へ、最も深い深みへ届くように見えた。それは、いわば、初めのそのまた初めの位置に、自明の要求をもって立つものとして提示された。「有らぬものがまことにこの〔全〕であった、初めに。そこから有るものが生まれた」(TU. II, 7; TĀ. I, 11, 1; Av. X, 7, 25; XVII, 1, 19。すでに Ṛgv. X, 72, 2. 3)。しかし疑いが起こった。いかにして有るものが、自ら有らぬものから生じうるのか。Uddālaka は Śvetaketu に言った。「有るもの、わが親愛なる者よ、これがこの全であった、初めに。一つのみ、第二のものなく。ある者たちは言う、有らぬものが
この〔全〕であった、初めに、一つのみ、第二のものなく、と。この有らぬものから有るものが生まれるべきであると。しかしそれはいかにしてありうるのか、わが親愛なる者よ。いかにして有らぬものから有るものが生まれえようか」(ChU. VI, 2)1。今や人はさらに、絶対的な無への信仰と、絶対的な有へのそれとの間の媒介を、様々な道で試みる。そこには上に挙げた ŚB. X, 5, 3, 1 の一節が属するように見える。それは、あらゆる可能性を汲み尽くすという後代の仏教的な仕方に近く、原初状態について、有らぬものに触れつつ――というのも「それはいわば有った」からであり、また有るものについても語りつつ――「それはいわば有らなかった」と〔語る〕。あるいは、他のどこかで有らぬものが有へと転じるのである。その端緒はおそらく TB. II, 2, 9, 1 に感じ取れる。「初めにこの〔全〕は何かではなかった。天もなく、大地もなく、空界もなかった。これが、有らぬものが有るものとして(すなわち、まさに有らぬものであったものが)、思想を捉えた。われは有りたいと」。この一節は、Uddālaka の問いの一種の予備段階と見なされないだろうか。有らぬものはいかにして、いわばその無から出てくるのか。おそらく偶然ではないと思われるのは、「有らぬものが有る」(asad vā idam agra āsīt)という表現が、物の始まりにおいて有らぬものがやはり有り、一つの有を持っていたことを指し示すという点である。「有る」を繫辞として、また「実在する」として、かくも容易に忍び込む取り違えによって、有らぬものにとって有への暫定的な橋が架けられ、それは自らの願い「われは有りたい」によって、完全に妥当する有へと働き出るのである。次の一節は、有らぬものを初めから一つの有るものとして、なお明示的に現れさせる。「有らぬものがこの〔全〕であった、初めに。それが有るものであった。それが成立した」等々(ChU. III, 19, 1)3。
さて創造過程のさらなる経過である。すべての頂点に Prajāpati が置かれようと、水や有らぬものが置かれようと、創造、生成、自己分割、卵からの出現が――今や表象されるのが常であるように――〔置かれようと〕、いずれの場合にも、たいていきわめて簡潔な創造報告はそもそも、そこで世界像の頂点に立つ大きな本質性を追い、それに支えを与え、そのうちに最も不可欠なもの、最も偶然の少ないものが現れる、というほどまでには練り上げられていない。そこには年、天の領域がある。すなわち、それらとともに時間と空間が成立した。そこには曙光、太陽がある。昼光から昼が作られ、闇から夜が〔作られる〕(ŚB. XI, 1, 6, 11)。そこには霊と言葉がある。Veda、神々、Asura たちがある1。しかしその間には、すでに見たように、まったく別種の存在もある。それらは他の段階の精神発展を思い起こさせる。すなわち、猪が大地を海底から取り出すこと、また亀、創造者によって圧搾され水中に投げられた大地の樹液から生じたもの2――別の箇所(ŚB. VII, 5, 1, 5)では、Prajāpati 自身が亀の姿で諸存在を創造したのである。
創造のうちに秩序、進歩、一つの目標への働きが認められるかどうか、という問いが提起されうる。創造への動機は、創造者に帰せられるのが常であるが、初めからそのようなものを期待させはしない。それは無数の場合に、「彼は願った。われは多数でありたい、被造物を生み出したい」というものであった3。それは、単に人間的な孤独への嫌悪を意味するように見える。かくして Prajā-
pati はかつて、創造された存在――それは鳥である――が彼から遠ざかり、彼が以前と同様に再び一人になったことを嘆く(ŚB. II, 5, 1, 2)。そして古いウパニシャッドの一つ(BĀU. I, 4, 2, 3)には、原初存在たる Ātman(自己)が、その孤独のうちで恐れる、と記されている。恐れは消えるが、しかし彼はやはり心地よく感じず、第二のものを願う。創造の根底にある世界計画は、そのような動機づけの幼稚さとほとんど調和しない。同様に、創造者の意図についてのはるかに深い把握とも〔調和しない〕。それははるか後に、Maitrāyaṇa Upaniṣad の結びの言葉に表現されている。「真理を味わうために、虚偽は二重性となった、偉大な自己は」。
かくして実際、被造物の完全性を目指す、宇宙の構築へと働く創造的努力は、創造についての報告のうちにほとんど認めえない。あるときはこれが、あるときはあれが、物語る者に思いつくがままに、あるいはそのとき扱われている儀礼が彼のしなやかな空想を導くがままに、そこではもちろん時として何らかの秩序と理解しうる順序が自ずから生じることもある。たとえば Soma 祭の聖別(dīkṣā)については、こう言われる。創造者はまず蛇を創造し、次いで鳥を創造する。彼はさらに創造しようとする。彼は三度目に生じる――両者〔の間に〕何らかの創造が置かれえたであろうか――聖別された者の言葉(dīkṣitavāda)を〔創造する〕。「彼は語った。そこから彼は被造物を創造した」(TS. III, 1, 1, 1)。別のときには、彼は法(dharma)、天、空界、大地、雨、羊、家畜、植物を創造した。動物には気息力、感覚、生殖能力が与えられ、彼らは「これらの世界のうちへ置かれた」(TS. V, 3, 6, 1 以下)。無秩序と端緒との混合が、ある種の秩序へと〔向かう〕。太陽と天との間に法がかくも異様に立つ。しかし人はやはり、まず宇宙の大きな部分を、昼と夜のうちに時間の運動を完全に成立させ、次いで初めて被造物を生じさせ、彼らはその装備を生に必要な力とともに受け取る、ということを見落としていない1。まったき混乱を再び次の
系列が示す。創造者は霊、Gāyatrī という韻律、およそ韻律を、犠牲を、Veda を、Viṣṇu を、植物を、Soma を、家畜を、そして神 Indra を創造した(TB. II, 3, 2. 3 以下)。創造史の一つの形(ŚB. X, 5, 3)は、被造物の系列のうちにある種の秩序を、「創造されたのち、可視となることを願い、名指しうるもの、身体を持つものとなった」(āvis, nirukta, mūrtimat)というかぎりにおいて表現している。すなわち、少なくとも意図からすれば、不定なものからより大きな定性への進歩である。もっともその遂行はなお十分に漠としている。かくして眼が耳を創造し、耳が業を、業が火を〔創造する〕。「火は業よりも可視である。というのも業によって〔火は〕生じ、業によって人はそれを燃え立たせるからである」。時として、身近であったように、秩序原理として、すでに以前(55ページ以下)に本質性の集群化に用いられた図式が用いられる。そこでは、一柱の神格、一つの階級、一つの韻律などが、同種の力と本性のものとして互いに配列される。秩序づけられた創造報告 TS. VII, 1, 1, 4 は上(56ページ)に挙げた。もう一つ(AB. V, 32)は、まず三つの世界――大地、空界、天――を成立させる。それらから、あの三重性に対応して三つの「光」が生じる。すなわち三つの世界に属する神々 Agni(火)、Vāyu(風)、Āditya(太陽)である。次いで、同様に対応して三つの Veda が〔生じる〕。かくして音 a, u, m へ、聖なる言葉がそこから形成される構成要素へと至る。
創造における人間の特別な地位については、ほとんど語られていない。「人間(文字どおりには『男』)」――と、ある報告は言う――「は Prajāpati に最も近く立つ」、他の動物と比べて(ŚB. II, 5, 1, 1)。かくして、TU. II, 1 の、段階的に互いから生じる本質性の系列は、すでに進んだ時代を示すように見えるが、人間を目指す。すなわち Ātman、絶対的自己から、まず ākāśa(上記38ページ以下)が、次いで順次、後に固定した順序で大地に至るまでの元素が(61ページ)、次いで植物、食物、種子、そして人間(男)が〔生じる〕。別種の、より奇怪で、より混乱した、おそらくより古いのが AU. I, 1. 2 である。創造者は
世界空間を創造した。次いで彼は、それらを守護者とともに供えるために、水から一人の「男」を引き出した。その口、鼻などから Agni や Vāyu のような神格が生じた。彼らには、そこで彼らが固く立ち、食物を得るための場所が欠けていた。「彼は彼らに一頭の牛を導いた。彼らは言った。これでは十分でないと。彼は彼らに一頭の馬を導いた。彼らは言った。これでは十分でないと。彼は彼らに一人の人間を導いた。彼らは言った。おお、これはよく成し遂げられたと」――そして言葉、気息などの姿で彼らはそのうちへ入る。かくして動物は人間への失敗した試みとして振る舞い、人間は創造者の成功した業なのである1。
すべてにおいて、これらの創造史のうちにもまた、ブラーフマナの特質と、思考の発展におけるその地位とが明瞭に映し出されている。そこには、世界存在の謎を真剣に受け取り、それに苦闘する心構えがほとんど示されていない。むしろ、絶えず変化する姿が互いに接ぎ木される空想との気楽な戯れである。ここには最古の時代の奇怪な様式への逆戻りがあり、あちらには確かに、強力な抽象への前進的な手探りの、無器用な大胆さがあり、それは次いで、十分に容易に言葉遊びのうちへ失われてゆく。天才の力をもって圧倒的に働く創造者はおらず、その技をあちらこちらに戯れさせる、時として不完全な成功しかもたらさぬ呪術者がいるのである。そこから世界生命への展望が開かれることのない創造、まして倫理的価値と目標への〔展望が開かれることのない〕創造ではなく、あれこれの儀礼規則の些末さへの〔展望が開かれる〕創造であり、その根拠づけのためにブラーフマナは世界創造の全装置を動かすのである。
あのウパニシャッドの宇宙開闢論、すなわち三つの根本元素――熱、水、食物――の柔軟さと確実さをもって世界を形成させるもの(ChU. VI, 2ページ以下。『ウパニシャッドの教説』69ページ以下)2は、いかにブラーフマナが
語りうるところのほとんどすべてを、ひとたび踏み出された軌道上の前進における一貫性において凌駕していることか。そしてそこからさらに、いかなる道がなお歩まれねばならなかったことか。Sāṃkhya 教説が世界存在を構築するところの展開の系列に至るまで、あるいは仏教の因果性の定式に至るまで――それは世界生命の出来事と苦とを、学問的考察の一様な歩みをもって一歩一歩、最後の起源にまで遡って追跡するのである。
(翻訳終わり)
第三部存在の諸価値。倫理的諸観念。
Veda における倫理の位置
我々は今や次の問いを提起する。すなわち、我々がこれまでその像を考察してきた存在と生起の領域において、人間の生存にとって意義ある諸価値はどこに見出されたのか、と。人は何を善として希求したのか。何を回避したのか。行為に課された義務とは何であったのか。
先行する諸考察においてすでに、資料はほとんど一貫して、原典テクストからの小さな断片としてのみ寄せ集められうるにすぎなかったが、いま述べたばかりの表象圏に関しては、まさに全く同じことが当てはまる。言うまでもなく、brāhmaṇa の時代には、何らかの倫理的問題について実際にまとまった仕方で思考し、それについて自らの見解を表明しようなどとは誰一人思いつかなかった。これらの問題は、そもそもそうしたものとしてまだほとんど発見されていなかったのである。なるほど所々に短い文句が――ときにはおそらく諺(nivacana)が――見出される。事物がどのように運び、人間がどのように行為するのが常であるか、あるいはどのように行為すべきであるかについての文句であり、たとえば見かけの存在と真の生存価値とを互いに対置するという要点をもつものである。たとえばこう言われた。「傲慢は破滅の始まり(文字どおりには「口」)である」と。あるいは、おそらく修辞的効果への配慮が全くないわけではなく、こうも言われた。「熱意をもって真実を語る者は、多くの強力な庇護者をもたず、多くの財ももたない。しかし最後には彼はうまくゆく……熱意をもって不実を語る者は、塩地のように繁茂し、多くの財をもつ。しかし最後には彼はうまくゆかない」と。――「人間が一切の食物を我がものとしうるとは、いったい人間とは何者か」。――「誰が人間の明日を知ろうか」(SB. V, 1, 1; IX, 5, 1, 16. 17; V, 2, 2, 3; II, 1, 3, 9)。――「何人も己が身内に害をなすことはない」(TS. V, 1, 7, 1)。――「動く者は、じっと坐っている者を支配する」(同 V, 2, 1, 7)¹。
「人がよい衣服を着ていれば、人々は『あれは誰か』と問う。彼はその外見において完全だからである」(SB. XIII, 4, 1, 15)。「舞い、歌う者に、女たちは最も好んで関わりをもとうとする」(同 III, 2, 4, 6)。これは、たとえばエジプト人においてすでにきわめて古い時代に見られるものに比べて、はるかに幼稚な種類の世間知である。
(本文つづき)後代の、徳を説く処世の知恵に満ちあふれたインドの文献とは異なり、こうした文句は今のところ稀であり、決してより立ち入った考察へと展開されることがない。その他の点では我々はさしあたり、言語が善―悪およびそれに類する表象のために有している諸表現に依拠し、それらをそのニュアンスにおいて研究するほかない。さらに、散在してはいるがともかくも豊富なテクストの言明から、いかなる財が望ましいものと見なされたかについて、それほど貧弱でない像を得ることができる。徳と義務についてはそれよりはるかに少なくしか聞かれず、さまざまな人間的性格がそうした理想と要求に適合しているか否かについては、ほとんど何も聞かれない。祭式と呪術という、生の一切の目的に対する主権的手段が、まさにその他の行為および心的存在の質と規範についての思考を、完全に背景へと押しやってしまったのである。
もちろん brāhmaṇa についても、倫理――かくも要求の高い表現がここで許されるとすればであるが――のうちには、それを作り出した人々の支配的なエートスが反映している、ということが妥当する。しかし以下においては、そのエートスから出発して倫理をそこから導出することは試みられない。我々はより控えめな道を選び、まずこの倫理そのものを、認識しうると思われる限りにおいて叙述する。その後で、我々にここで開かれてくる、生および心的生存――そこからかの思考様式が生まれ出た当のもの――への展望について、簡潔に語ることにしよう。
ただ、いま述べた方向にある一つの特定の観点だけは、すでに今ここで指摘しておかねばならない。
ヴェーダの神学者たちが自らを取り巻いていると感じていた世界は、我々の世界のように秩序整然としており、呪術的な妖異と底知れぬ不気味さから浄化されていた、というわけでは決してなかった。我々はすでに見た。いかなる諸力が――地上的・日常的なもの、神的なもの、呪術的なものが互いに入り混じって――そこで働いていたか、いかなる規則、いやむしろ、不確かで陰鬱な、解きほぐしがたく互いに交錯する生起の慣習に従っていたかを。そうであるならば、人が希求した財は多くの場合呪術的な財であり、人が恐れた
害悪は呪術的な害悪であらざるをえなかった。たとえば貪欲から聖なる秩序を犯すことによって人が犯した罪過(enas)は、犠牲獣がその吼え声によって、あるいは黒い鳥が落とした汚物によって人間の上にもたらした罪過と混じり合った。そうであれば、我々が倫理的と呼ぶ義務も、きわめて異なった種類の命令と同一線上に置かれざるをえなかった。すなわち、真実であることと食物タブーの遵守とが、また brāhmaṇa は挨拶の際に右腕をしかじかの高さに挙げ、kṣatriya, vaiśya, śūdra はしかじかにより低く挙げるという義務とが、同列に置かれたのである。
後代においては、dharmasūtra が、「dharma」(「法」)という表象がこれら一切を等しく包括する様をきわめて明瞭に示している。そして、我々が扱っているより古いテクストが、その性質上これを同じように可視的に前面に出さないとしても、それらは同じ事態の痕跡を十分に示している。もっともこの事態はそれ自体としてあまりに自明であるから、そうした痕跡すらほとんど必要としないほどである。したがって、近代的な言い方でいう倫理的表象領域を叙述しようという我々の試みは、一つの区画づけをもって作業するのであるが、真実のためにはこの区画づけについて、それが――そもそも遂行しうる限りにおいて――まさに我々自身の所産にすぎないことを指摘しておかねばならない。もっとも次のことは付け加えうる。すなわち、一定の箇所において、発展の一定の線上においては、倫理的なものをかの多様な思想圏の相互浸透から解き放とうとする、多かれ少なかれ明瞭な端緒がすでに早くから現れている、ということである。そうしたものに注意を促す機会は、以下の論述の中で得られるであろう¹。
Rigveda における倫理的なものの用語
倫理的なものの術語について²。 我々の扱っている時代が、倫理的な価値・反価値、あるいは倫理的領域に触れる価値・反価値、是認と否認のために用いる諸表現は、当然ながら大部分、より古い言語慣用から発展したものであり、それは Ṛgveda に見られる。したがってここで、少なくともその大綱について一瞥しておくのが適切である。
前面に立つのは、すでに上(124頁以下)で述べたかの表象、すなわち Ṛta、世界秩序の表象である。それは自然の生起に対してと同様、人間の行為に対してもその掟を与える。「Ṛta を語りながら、いかにして我々は anṛta(非 Ṛta)を口にしえようか」と、双子の Yama は(Rigv. X, 10, 4)、彼を近親相姦へ誘い、それを詭弁によってのみ神意にかなうものとして示そうとする姉妹に対して言う²。人は Ṛta を「真実」と訳してきた。そしてこれに基づいて、インド人は導きとなる倫理的概念、すなわち善を真と、それに対応して悪を不真と一致させたのだ、という近年表明された見解が成り立っている³。しかし私にはかの訳は許容しがたいと思われる。Ṛta はむしろ本来「秩序」を意味するのであって、正しいのはただ次のことだけである。すなわち、一方では秩序と真実の表象(ṛta と satya)が発展の過程で互いに密接に結びついたということ、他方では特に ṛta の反対語(anṛta)がまさしく「不真」を表す表現へと発展した、ということである⁴。しかし「真なる」「真なるもの」を表す本来の語 satya は、当然ながら同様に特別に高い善という意味で用いられるが、私に思われる限りでは、我々が端的に「善」と語るときに考えるような意味を帯びることは決してない。むしろ satya は、人間相互の交際に関わる場合には、言葉の信頼性、約束の遵守を意味し、生起の一般的な進行に関しては、人が期待してよいことが実際にも起こるという確実性、事物の秩序が
あるべきようにまた実際にあり、それによって我々の存在を確かに支えているという確実性を意味する。
注(p. 187) 注1 ここではただ簡単に指摘するにとどめるが、すでに印欧語時代が、是認と否認を表す最も一般的な表現として接頭辞 su- と dus- を有していた。言うまでもなくそこにあるのは、望ましきものあるいは避けるべきものの種々の類型のうちに共通なものを把握するような高度の抽象ではなく、自然生長的な不確定性である。――先に述べた Ṛgveda の術語についての論述については、Bergaigne, Rel. védique III, 210ff. を参照されたい。
(p. 188 本文つづき)Ṛta に、また互いに(たとえば Rigv. V, 72, 2 を参照)近い位置にあるのが、さらに二つの表現である。両者はいずれもごくわずかに異なるニュアンスにおいて「法則」の表象を、とりわけ第二のものは「義務」の表象をも表現する。すなわち dharman と vrata である¹。
dharman は文字どおりには「保持すること」「保持されたもの」である。神的意志あるいは非人格的な世界の力が、諸秩序を不変の確かさのうちに保持するのである。自然における生起の諸秩序がそうである。しかし同様に、あらゆる種類の行為と体験がそれによって規定される諸秩序もまたそうである。「神々は祭式によって祭式を捧げた。これらが最初の dharman であった」(Rigv. I, 164, 50)。祭火は「最初の dharman に従って」点じられる(III, 17, 1)。敬虔な者は「dharman に基づいて子孫によって自らを存続させる」(VI, 70, 3)。他方 vrata については、語源学は「言葉」すなわち「命令」といったほどの本来の意味を与えるように思われる²。これと一致して、Ṛgveda における vrata の語法においては、いわば二つの当事者が特に好んで浮かび上がってくる。vrata は、一方の側から見れば、たいていは或る神のものであり³(「神々が作った堅固な vrata」I, 36, 5; X, 65, 11 参照。Varuṇa においては「vrata が岩の上におけるがごとく揺るぎなく安らう」II, 28, 8)、他方の側から見れば、神的意志に従う或る存在のものである。dharman におけるよりも明確に、弱くあるいは強く、一方を他方に服従させる隷属の色合いが感じ取られる。Indra の vrata のうちに(処格。これがここでは典型的である)Varuṇa と太陽は立ち、その vrata に諸河川は従う(I, 101, 3)⁴。Par-
注(p. 188) 注1 これにはさらに dhāman、すなわち「置くこと」「置かれたもの」を並べることもできよう。私はこれをここでは措いて、私の論文 NGGW. 1915, 180ff. を参照されたい。
Bergaigne の誤り(III, 249)に基づくものであり、彼自身すでに Journ. asiat. 1884, I, 236 でこれを訂正している。この箇所と同様に VIII, 32, 28 も解すべきである。
(本文つづき)janya(雷神)の vrata のうちに(再び処格)大地はひれ伏し、あらゆる獣が動き出す(V, 83, 5)。敬虔な者は(神々の)vrata に従って正直に生きる(I, 136, 5)。人から人へも vrata の支配する力は働きうる。王の vrata のもとで国土は栄え(X, 60, 4)、「わが vrata のうちにわれは汝の心を置く」と婚礼に際して花婿は花嫁に言う(Pāraskara I, 8, 8)。vrata は特に好んで、支配的な意志が誰かに課する何らかの持続的な態度に関して用いられる。それゆえ次のことも理解できる。すなわちこの語がさらに進んで、そうした意志への思考が後退するにつれて、すでに Ṛgveda において、生業や儀礼的な遵守事項が個々の人間をその遵奉に拘束する特殊な義務圏について用いられ始めるということである。「人々の vrata は多様である」と或る詩人は言い、それから大工、医師、祭官、鍛冶の特別な生活秩序について語る(IX, 112, 1以下)。また「vrata のうちを歩む brāhmaṇa」――一年のあいだ隠棲してその遵守事項を守る者たち――に、蛙が――皮肉であろうか――比せられる。蛙は一年のあいだ沈黙を保ち、雨季が再び鳴き始める合図を与えるまでそうしているのである(VII, 103, 1)。
さて dharman、vrata の侵犯、罪過あるいは罪(āgas, enas)――この表象が呪術的な汚染の観念と融合していることについてはすでに触れた(51頁以下)――は、一方では神の感情を害するものとして、神の怒りを呼び起こすものとして現れる。我々は日ごと Varuṇa の vrata を、神々の vrata を侵してきたことを意識している(I, 25, 1; X, 2, 4)。「いつ私は Varuṇa の近くにあることができようか」と彼は問い(VII, 86, 2)、へりくだった祈りと祭式によって神を宥めようとする。Ṛgveda の神々への讃歌において、この罪の把握が力強く前面に出てくるのは当然である。しかし我々には、もう一方の把握を同じく古いもの、いやむしろおそらくより古いものと見なすべき根拠がある。すなわち、神の情動とは無関係に、enas は病素のごとき有害な実体として罪ある者に付着しており、その感染を滅ぼすか、あるいは害のない遠方へと逸らすために呪術的な浄化の手続きが行われるのである¹。
さて、秩序の表象圏から財の表象圏へと目を転ずるならば、Ṛgveda において最も顕著な表現は vasu である¹。それはおそらく、この語が親切で救いをもたらす神々を指す語として特に好んで用いられたことに基づくのであって、他の点では vasu が形容詞として「良い、救いとなる、益をもたらす」の意味で用いられることはむしろ稀である。少なくとも原級においてはそうである。これに対して比較級と最上級においては、かの妨げとなる契機がより弱くしか働かなかったため、「幸をもたらす者」という意味と「より幸ある者」という意味の両方が生じている。より良い者、より良きものをより多く与える者として、神は「父よりも善き贈与者」(VIII, 1, 6)と呼ばれる。また他方では、祈願者自身が「より多くの vasu」すなわち以前よりも幸福で富める者であることを願う(II, 17, 8 その他)。実詞としては vasu は「財、所有」を意味する。歌人は数限りなく神に対して、神こそが vasu の主であることを想起させ、そして自分に vasu を与え、割り当て、もたらしてくれるように乞い求めるのである。
さらにここでは śrī² の語に言及しておきたい。それが重要であるのは、この語が Ṛgveda において既に、そしておおむね、美の表象がそこにおいて表出される最も明瞭な名称として、Ṛgveda の語彙のうちに直接認められるからである。ある種の美が、幼稚な、あるいは野蛮な趣味に対して現れるがままの形で捉えられているのは当然である。それは輝きと光沢と一つになっている。装飾と飾り立てとが主役を演じている。既に Ṛgveda において śrī³ は――後により決定的に進展してゆくところの――美しい現象との関係から解き放たれて、輝かしく、華麗な幸福、すなわち人生において高い位置を占めるところの幸福を指し示すようになり始めている。
「良い」に対しては、「悪い」「禍しい」「劣悪な」の表現として pāpa が対立する。それによって言い表される不興は道徳的意味において解されうる。すなわち、良からぬこと、卑劣なこと、成功しないことを語る者は pāpa である。ṛta と真実とに無縁である者、血族相姦を犯す者は pāpa である(IV, 5, 5; X, 10, 12)。しかし pāpa はまた卑しい者、より高き者の背後に退かねばならぬ者、みじめな者、境遇の悪い者をも指す。人は神に呼びかけて、寛大であれかし、自分と崇拝者とを pāpatva(「みじめさ」)に陥らせないでくれと願う(VII, 32, 18 その他)。pāpa と bhadra「幸福をもたらすもの」との Ṛgveda における対置に
ついては、最古の Veda の乏しい資料を後代のそれによって補うならば、次のような対立に到達する――こうした思想圏はそもそもそのような対立のうちを動いているのである――。すなわち、そこでは常に pāpa が、良い、繁栄する、成功する、美しいという最も種々の色合いにおいて対置されるのである¹。術語が、それ自体としては鋭く形成されていないとはいえ、否定的側面においては肯定的側面におけるよりもなお一層あいまいな像を示すことは、十分に理解しうるところである。
より若い Vedic 期における用語
要約するならば、我々はこの Ṛgveda 的表現の圏を、インド・イラン的な言語財と全く正当に結びついたものとして見出すのである。倫理的な根本概念は、予想されるとおり、純粋にそれ自体としてではなく、外倫理的な表象と融合して現れるのを常とし、その基層をなすところの、より外的で、より把握しやすい表象から内的なものとして分離されることは、ほとんど、あるいは全くない。我々はさらに、言語が用いる最も重要な標語に即して、より若い Veda 期――それこそが我々の考察の本来の領域をなすのであるが――が、この観点においてどこまで Ṛgveda を超え出たかを追跡してゆく。
遠い前代に由来する古風な具体性を備えた ṛta の表象は、既に上(S. 125)で世界生起において働く因果性が考察された際に述べたごとく、Ṛgveda においてそれが有していた生命を、今や大いに失ってしまった。これに対して強く前面に出てくるのが、真実・不真実という概念対である。「神々はその秩序のうちを歩む。すなわち真実のうちを。それゆえに名声は彼らの分け前である」(字義通りには「彼らは名声である」)(ŚB. I, 1, 1, 5)。「〈彼は(師が弟子に)言った、この不死なる語を、すなわち真実を〉」(同 XI, 5, 3, 13)。「これ(万有)は二つのものである。第三のものは存在しない。真実と不真実とである²。」「神々は真実であり、人間は不真実である」(同 III, 3, 2, 2)――他の箇所では、神々とその魔的な敵たる asura との対立が、真実と不真実との対立と結びつけられている(S. 17)。神々が真実を、それが自らにとって不都合なところでは、しばらくの間わきに
置きうる(S. 25)ことは、既に見た。しかし、真実と不真実とのこの対立が、少なくともいくつかの瞬間においては、Brāhmaṇa の思索者たちに明らかに一つの決定的な、全存在を支配する対立として現れたという事実には、そのことは何ら影響を及ぼさない。かくしてそれは、善と悪とを語る場合と同様の高みにまで昇ったのであって、しかも、以前に述べたように、内容的にはこれらの表象と何ら重なるところがないままにである。
より確定的な表現法への本質的な進歩は、より若い Veda 期において、dharman と vrata の語に関して成し遂げられた。
より正確に言えば、問題は dharman ではなく、それとほぼ同義のより若い語 dharma であり、この語の前に dharman は消滅こそしないものの、強く後退する¹。dharma において今や「法、権利、秩序」という意味の、自然の秩序ではなく行為の秩序へと向かう特殊な方向が想定されている²。王の灌頂に際しては次の句が唱えられる。「dharma の守護者が生まれた」(AB. VIII, 12, 5)。王自身は言う。「dharma は我が国において効力を有すべし」(KS. XVII, 19)。「最高の地位に昇った者、その者に人は dharma の事柄において、すなわち法的な事柄において向かう」(ŚB. V, 3, 3, 9)。万物の初めに、創造主が四つのカーストを創造した後、「彼は自らを超えてより高きもの、dharma を創造した。それが支配の力である
――支配の力、それが dharma である。それゆえ dharma より高きものは存在しない。それゆえ、より弱き者は、あたかも王に対するかのごとく、dharma を頼みとしてより強き者に対抗する。まことに dharma であるところのもの、それが真実である。それゆえ人は言う、誰かが真実を語るとき、〈彼は dharma を語る〉と。また誰かが dharma を語るとき、人は言う、〈彼は真実を語る〉と」(BĀU. I, 4, 14)。「水は dharma である。それゆえ水がこの(地)上に至るとき、すべては dharma に従って進む。しかし雨が降らずにとどまるとき、そのときには、より強き者がより弱き者から奪い取るのである」(ŚB. XI, 1, 6, 24)。太陽の確固たる運行に対するのと同じ仕方で、人間の行為の確固たる法にも関わる古い dharman 表象に対して、dharma の概念は重要な進歩を意味している。少なくとも相対的に確定した諸連関の圏、確定した認識領域が、今やその特殊性において取り出されたのである。かくしてまた、それほど長くない後に、この領域の学問的取り扱いが、たとえ拙劣なものではあれ、「Dharmasūtra」において試みられることになったのも故なきことではない。これらのテクストの一つ(Āpastamba Dh. I, 7, 20, 6 以下)には次のようにある。「〈dharma と非 dharma とは〉歩き回って〈これが我々である〉と言うことはない。神々も精霊も祖霊もまた〈これが dharma である、これが非 dharma である〉と言うことはない。むしろ dharma とは、アーリヤ人たちが称讃する行為であり、非 dharma とは彼らが非難するそれである」。かくして記述された dharma の広い範囲のうちには、今や確かに、上に触れたところの、互いに全く相異なる事柄が並んで場所を占めることとなった。かくして Dharma のテクストは、遺産相続や刑法をも、また挨拶の形式や、弟子の期間を経てそれを締めくくる沐浴を済ませた男子のふさわしい振舞いをも扱い、あるいはまた自由への喜捨や真実性の称讃をも、怒り、感覚的欲望、節度なき食事への戒めをも扱うのである。法と習俗と道徳との区別は、まったくもって遠く隔たっていた¹。
121)を参照するよう促す。すなわち Manu の現れ方の変化について――最初は偉大な供犠者、次いで立法者、というのである。
dharma と同様に、vrata にもまた、より若い Veda 期においては、より確固と限定された表象が結びついた。Ṛgveda の言語にまで遡る端緒(S. 189)に接続して、この語は、一般に要求されるものを超え出て特定の存在(者)ないし特定の状況に妥当する、特殊な振舞い方や遵守事項の呼称となった¹。ソーマ祭のための灌頂(dīkṣā)を受けた者は、「灌頂を受けた者の vrata」を遵守する(AB. VII, 23, 1)。新月祭・満月祭に際して人は、次の句をもって遵守事項(祭餅を食すること等)に踏み入る。「Agni よ、vrata の主よ。我は vrata を遵守せんとす。我はそれをよくなしうるように。我はそれに成功するように。」そして相応に、供犠の完了後には次のごとくである。「Agni よ、vrata の主よ。我は vrata を遵守せり。我はそれをなしえたり。我はそれに成功せり」(VS. I, 5; II, 28)。Dharmasūtra の vrata に関する語法が dharma と区別されることについては、これらのテクストの一つが、その一般的主題を次のように告げることが証拠を与えている。「今より我らは、(識者たちの)一致によって規定された振舞いから成る dharma を叙述しよう」。後の箇所では「人は dharma によって世俗的目的を追求してはならない」。同じテクストからは既に、dharma と非 dharma とが歩み来って「これが我々である」と言うことはないという言明が伝えられている(S. 193)。しかし他方ではこうである。「今より我らは、(弟子の期間の終わりに)沐浴を済ませた者のための vrata に従う」。「独身から家長の vrata へと移る者について」。「水甕は水なきままであってはならない。これが家長の vrata である」。特定の願いを有する者のためには、「彼は臍から膝に至る衣を着る。彼は日に三度沐浴する。彼は火で調理されていない食物のみを享受する……。この vrata を彼は一年間
行う」(Āpastamba Dh. I, 1, 1, 1; 7, 20, 1; 他方 I, 11, 30, 6; II, 1, 1, 15; 8, 18, 4)。これらの vrata から、一つの別の時代の精神が、儀礼のますます進む倫理化が証しされる。それは賢者 Manu が言うがごとくである。「一つの vrata のみを人は遵守すべし。真実を語れかし」(ŚB. XIV, 1, 1, 33)。――
財を表す表現と「良い」を表す表現のうちでは、古い vasu が実詞として(「財、所有」)、また形容詞的比較級(「より良い、より恵まれた生活状態の」)および最上級として保たれている一方、既に以前から稀であった原級はほとんど消え去っている。śrī においては(上 S. 190 参照)、「輝かしい生活状態」の意味が、「美」という根本表象に対して強く前面に出てきたようである。しかしこの表象圏においては、特に注意を要する二つの表現がある。一方は最古の言語にはまだほとんど知られておらず、他方はそこでは、ここで問題となる用法へ近づき始めたばかりの語である。すなわち puṇya と sādhu である。
puṇya は後に、報いをもたらす行為と罰をもたらす行為との鋭い対立を伴う業(karman)説において、善なるものの側における最も顕著な標語となる。この語は Ṛgveda においてはごく最近の二箇所にしか現れないが¹、まさにここで我々が扱う時代においてより頻繁となる。それは次のことを意味する。すなわち、幸福、安寧、繁栄を賦与された、という意味。さらに、幸福をもたらす、安寧を増す、という意味である。「我らに puṇya を語れ」と、かの Ṛgveda の詩節(II, 43, 2)において、その鳴き声から良き前兆が期待される鳥に向かって言われている。そして Brāhmaṇa においてはこうある。「Prajāpati が知る者、その者は puṇya となる」(TS. I, 6, 11, 4)。「すべての神々は初めには互いに同じようであった。すべては puṇya であった」(ŚB. IV, 5, 4, 1)。「puṇya である者、その者が歩み入るとき、多くの者が従う」(K. XXVII, 10, p. 150, 15)。(ある特定の供犠は次のことをもたらすべきである)「その者の父と祖父が puṇya であり、その者が(自ら)達成しない者」(同 XIII, 5, p. 185, 3)。(別の供犠はもたらす)「かつて puṇya であって、後に劣悪となった者――かつて彼が puṇya であった当の神格、その神格が彼を放ち去った、それゆえ彼は劣悪となったのである」――この神格がそのとき
śrī(S. 190)と呼ばれる(同 XIII, 6, p. 188, 3f.)¹。豊穣の年は puṇyasama と呼ばれる(TS. III, 3, 8, 5)。ここに見られるとおり、puṇya はもともと悪の対極としての善を意味してはいない。ところが、幸福とはただ一定の性質をもつ行為によってのみ得られるものだと知るカルマンの教説が次第に鮮明に形をとってくるにつれて、puṇya という語には、そうした行為の表象が、すなわちわれわれの言葉でいう善行の表象が結びつくようになり、他方でインド的な言い回しはここで循環をなして進む。「(puṇya によって)幸福となるのは puṇya の行為によってであり、悪しく(みじめに)なるのは悪しき行為によってである」(BĀU. III, 2, 13)。かくして、satya-anṛta の語対(S. 191)と同様に、puṇya と pāpa もまた、宇宙全体に及ぶ根本的対立の指導動機となる。かの Yājñavalkya との対話において、彼が夢の中をさまよう魂の多様な形をとった存在について描き出すあの箇所で、puṇya と pāpa という表現がいま一度、他とは異なるしかたで繰り返し用いられる。すなわち、彼が「puṇya を見、pāpa を見る」(BĀU. IV, 3, 15 など)と言われるのに対し、深い眠りにおける完全な至福の状態には「puṇya に触れられず、pāpa に触れられず」あることが属するのである(同
§ 22)— Deussen は「善から — 悪から」と訳す。これは不当ではない。ただしその際、善の表象がここでは、それが自らを示す現象形態、すなわち幸福および幸福をもたらすものから、まだ切り離しえないことを考慮するかぎりにおいてである。
この幸福というニュアンスの代わりに、上に挙げた二つの語のうち第二のもの、すなわち sādhu の意味するところの根底にあるのは、目標を正しく達成するという表象である。リグヴェーダにおいて sādhu は「行く」「導く」という動詞と好んで結びつく。まっすぐに進み行くことから、目標に到達することへと話は及ぶ。目標に当たる矢、射手は sādhu であり、神々のもとへの道を見出す讃歌もまた sādhu である。行為(kṛ-)の性格づけとして、一般に、また、もはや正しさが成果のみに向けられているのではなく、有益で友好的な行いの表現として、この語が用いられることも稀ではない。これらの用法は、われわれが取り扱っているブラーフマナ時代においていっそう強く現れ、かくして sādhu には道徳的に是認するというニュアンスが展開する¹。この語は倫理的思想圏にとって意味を獲得するのである。いくつかの典拠を挙げよう。太陽について言われる、「この一切は sādhu をもって遍歴する(中性)」と。あるいは asādhu(「非 sādhu」)をもって、と。そしてこの一切を太陽は sādhu において秩序づける。祭主は、太陽が自分にとっては「sādhu をもって」「sādhu において」進みますようにと願う(ŚB. II, 6, 3, 8)²。ここで太陽について語られているのは、明らかに何らかの行為ではなく、その目標が達せられるか失われるかということであって、むしろそれは被造物に対して、あるときは善において、あるときは悪において、意志を貫くということである。したがってここにはまだ倫理的評価はない。同じく、「sādhu をなすべきか asādhu をなすべきか、それを誰が知りえようか」(BĀU. V, 12, 1)と言われるときにも、倫理的評価はない。道徳的評価への展開は、次の諸箇所におけるように成し遂げられた。「この世で sādhu をなすもの……そして asādhu をなすもの」は、かの世界において量られる。知者はそれを免れる。彼はこの世で道を確立する。そして善行(sādhukṛtya)が、彼の悪行(pāpakṛtya)ではなく、決定を下す(ŚB. XI, 2, 7, 33)。ここに sādhu の道徳的意味が
明らかである¹。義務に忠実な(dhṛtavrata)王が何でも好き勝手に語り行うのではなく、「彼が sādhu を語り sādhu を行うこと、それが彼のあり方である」(同 V, 4, 4, 5)と言われるときにも、明らかに同様である。私はウパニシャッドの箇所を付け加えよう。この世の対立を超えて高くある ātman については、「善(sādhu)の行為によってより大きくなることも、悪によってより小さくなることもない」(BĀU. IV, 4, 22)と言われる。知者、完成者を、「私はいかなる sādhu を怠ったか。いかなる悪(pāpa)を私はなしたか」という問いが苛むことはない(TU. II, 9)。結果として、この二元性は puṇya-pāpa の対と大差なく重なり合う。ちょうど否定的な項である pāpa が両者に共通するのと同様である(S. 191 を参照)。puṇya への接近を特徴づけるものとして、次のウパニシャッドの箇所がある。「人がいかにあり、いかに振る舞うか、それに応じて彼は(次の生において)なる。sādhu をなす者は sādhu となり、悪しき(pāpa)をなす者は悪しき者となる。puṇya の行為によって puṇya となり、悪しき行為によって悪しき者となる」(BĀU. IV, 4, 5)²。この表象像は、sādhu と puṇya という二重の表現において、両語の異なる語義に応じていくらか異なった陰影を帯びる。だが根本においては、いずれの場合も同じことが語られているのである。
諸善
ブラーフマナ時代の財と義務についての諸観念
これまでの論述は、主として道徳的秩序、財、善、権利の用語法に関わってきたが、そこには当然ながら、これらの表現において自らを言い表す思考と欲求と行為の特質への随時の眼差しが落とされていた。全体として、倫理的標語の考察によっては、われわれがいま向かおうとしていること、すなわちブラーフマナ時代の倫理的諸観念について、可能なかぎり生き生きとした、まとまった像を与えようとする試みへの導入と準備がなされえたにすぎない。
人が所有を望んだ財とはいかなるものであったか。この世界にはまことに多くの願望がある(TB. III, 9, 3, 3)。「海が諸々の願望のように測りがたいごとく」(K. IX, 12, p. 114, 14)、「人は願望に満ち、成就には乏しい」(同 VIII, 11, p. 95, 2)。
諸々の財
諸テキストはこれらの願望を、何よりも、その達成に導く祭式と儀礼を記述するというしかたでわれわれに知らせる。その際、それらの願望は当然ながら名指しで挙げられる(例えば TS. II の最大部分において)¹。さらに、明らかに主要な規則的願望の全範囲を包括するように定められた祈願が、いくつかの箇所に見られる。
このように「願望祭」との関連で挙げられる財は、しばしばまったく一般的な性質のものである。例えば「繁栄」(bhūti)、「獲得」(sani)、「私が財において富める者となりますように」、「災い」(pāpman)からの解放など。さらに際立って現れるのは、子孫、家畜、あるいはその両方が同時にであって、明らかに両者の二重性が一体のものとして感じられていた。次いで、食物の豊かさ、黄金、村落の所有、自らの一族の頂点に立つ地位、感官(indriya)の力、とりわけ視力、雄弁、長寿、そしていつの日か天界(svarga loka)へ至ること。より特殊な願望、部分的には特定のカーストや状況に結びついたものとしては、まずバラモンにとって、魔力に満ちた「ブラフマンの力」(brahmavarcasa)がある。バラモンに息子が生まれるとき、ある種の儀礼が行われる。彼の顔の輝き、ブラフマンの力に、彼は「鋭さ」(tejas)、食物の豊かさ、感官の力、家畜を与えられる(TS. II, 2, 5, 3f.)。他の儀礼によってバラモンは purohita(王の家司祭)の地位を求め、あるいは豊かな贈物を受けとることを求める。君主は王権を、自分の国への帰還を、追放されたときには、戦いにおける勝利を求める。人は「君侯と民との和合」を、すなわち民の服従を、貴族なる「食う者」がその「食物」を妨げられずに享受することを供犠する。バラモンを害する儀礼もあり、「民をバラモン(バラモン身分)のうちに消え去らせる」ためのものである(TS. II, 3, 3, 5)。さらに人は雨を、病からの解放を、あるいは皮膚病や不能といった特定の苦痛からの解放を望む。人は悪霊による迫害から逃れることを、殺人の不当な嫌疑から浄められることを、他人に害を与えるために効き目のある呪術を行いうることを、また、Varuṇa が介入することなく一年間その誓言を破りうることを望む(TS. II, 2, 6, 2)。
諸々の財
上述の二つの一般的祈願¹のうち、一方は通常の供犠の通例の定式に属し、次のように述べる。「この供犠において、おお供犠者よ、天と地の両者が汝に好意あるものとなりますように。滋養を滴らせ、災いなく、恵み豊かに、幸いをもたらし、新鮮な湿りを与え、広き牧場をもち、安全を授け、天が雨を降らせ、水が流れ、幸いと糧を恵み、汁と乳を豊かにもち、近づくによく、その上を歩むによき両者となりますように……。長寿を彼は得る(供犠者は)。子孫を彼は得る。富を彼は得る。親族のうちで首位を彼は得る。さらに彼が神々を敬いうることを彼は得る。供犠のためのより豊かな備えを彼は得る。天界での生を彼は得る。すべての愛しきものを彼は得る。」もう一つの祈願は、大いなる王の儀礼である馬祀祭に属し、民全体、あるいは少なくとも諸身分の利益に及ぶ。祈願者にとってはとりわけそれらの福利が重要である。「ブラフマンにおいてバラモンが生まれますように、ブラフマンの力に富む者として。王国においては君侯が生まれますように、英雄、射手、強き的中者、車を駆るに力ある者として。牝牛は乳に富み、牽くに強き駄獣、馬は速く、婦人は多産に、戦士は勝利をおさめ、若者は集会において雄弁でありますように。英雄なる息子がこの供犠者に生まれますように。願いのままに Parjanya はわれらに常に雨を与えますように。穀物は実り豊かに熟しますように。労働と安息がわれらにありますように」²。
諸々の財
不可視の内的な財のうち、望ましいものとして現れるのは、明らかに、諸力の意識に達し、それを直接に目に見える成果へと転換するもの、例えばさまざまな種類の「鋭さ」「ブラフマンの力」「呪力」である。そのようなものとして、多くの点で知識もまたその呪術的効果とともに数え入れられうる。人間存在の価値についての反省がなお絶えず及ぶ範囲では、急速に過ぎ去る仮象的な財と、真実の、結局は — たとえかの最後の瞬間においてであれ — 勝利を保つ財との区別が、まったく欠けているわけではない(S. 184)。そのような区別と近縁なのが、時折「願望」がその総体において、明らかに無条件に価値あるものへと向けられたもの、すなわち「天界」に対置される場合である。「天界のためには神々の車が繋がれ、人間の願望のためには人間の車が繋がれる」(K. XXII, 1, p. 57, 1)。まことに、その思想はすでにブラーフマナ時代に — おそらくその終わり間近に — 紡ぎ出されており、それがのちにウパニシャッドと仏教において財と価値の主義にとって根本的なものとなった。すなわち、あらゆる願望に対する正しい態度とは — つまり願望に付随する無常なるものに対する態度とは — それを捨て去ることである。「これについては次の詩がある。知によって人はかしこへと昇る、そこでは願望が消え去っている。かしこへは供犠の贈物¹は達しない、また苦行者も、知をもたぬ者も」(ŚB. X, 5, 4, 16)²。かくして人は、ウパニシャッドがのちに与える定式化(KU. II, 1)からもはやさほど遠くはない。「一つはより善きもの(śreyaḥ)、他の一つはより愛しきもの(preyaḥ)。より善きものを掴む者には幸いがある。より愛しきものを選ぶ者は、その目標を失う。」
これによって、彼岸の財のうちどのような地位を占めるのかという問いが触れられることになる。
死の恐怖への、また死後に来たるものへの眼差しは、ブラーフマナ時代においてもまた生の
(前ページ注2の続き)語られている。それらは絶えず呪術的なものの領域にまで及んでいる。というのも、そこでは不可視のものの贈与を見ることが問題であり、夢は敵意ある呪術に対して不可避のものを意味し、それはむしろ扇動者へと投げ返されるべきであり、そしてそれと同種の完成が見出されるからである。— 興味深い仏教的な願望の列挙は Jātaka 84 に見出される。だがそれをもってすれば、われわれの論述に立てられた限界を越えてしまうであろう。
1. すなわち、供犠の贈物への報いは贈与者をかしこまで導かない。 2. Av. X, 8, 44 も参照。これは確かにかなり後代の詩である。
……ん、すなわちここで発言権をもつ健康な者たちにとって、それが第一の関心事の位置を占めることはない。とはいえ、Rigveda の古い時代におけるよりも、今やそれについて語られることは多い。死と彼岸へ向けられた思想が強大になってゆくというこの典型的な現象が、反省の増大するこのような時代において、インドにおいてもまた繰り返し現れないはずがあろうか。世界像の全体をその領域へと引き込んだ空想の活動が、この点を素通りすることがどうしてありえようか。その際なお勘定に入れておいてよいのは、これらの思想と憂慮とを強調することが、祭官の影響力にとって、祭官の貪欲にとって、有利にこそなれ不利にはなりえなかったということである。今や人々は「かの禍、すなわち死」について語る——死はあらゆるものにまさる禍なのである¹。それゆえ不死は「この一切のうちで最高のもの」である(ŚB. VIII, 7, 4, 18)。われわれの言い方をすれば、最高善である。もっとも神々は、人間の身体を、ひとたびかぎり死の神にその取り分として与えてしまった。それゆえ身体を伴った不死はかの神々自身にのみ属し、人間には拒まれている(ŚB. 前掲箇所;X, 4, 3, 9)。しかし祭式の技術は——それは今のところなお、道徳よりもはるかに決然と主導権を握っているのであるが——少なくとも、身体から解き放たれた者に不死を確保し、彼を、彼岸において脅かす「再死」から解放することを心得ている。こうして諸儀礼の解釈においては、その直接の意味が何であれ、しばしば彼岸との関連が前面に現れる。「祭祀の全体は一隻の船であり、天へと導く船である」。「祭祀には一つの基礎があり、一つの終結がある。すなわち天界である」(ŚB. IV, 2, 5, 10; VIII, 7, 4, 6)。元来彼岸に関わるものとしては、葬礼のほかに、とりわけ選ばれた者のために行われる、鳥の形をした祭壇の神秘的な築造がある。この鳥は祭主を天へ、太陽へと運び上げるであろう²。「かなたにはより多くの夜がある」³と人は言う。また「この世界は美しい。だがそれよりも壮麗なのはかの世界である」、あるいはある Upaniṣad が数量的に評価しているように、人間の百の歓喜は、天を獲得した祖霊たちの一つの歓喜に等しい、と。ここでもまたわれわれは、此岸の一切の善が彼岸の……
……それの前に消え去るという後代の立場への移行が、Brāhmaṇa においてすでに緒に就きはじめていることである¹。だがそれはやはり端緒にすぎない。ここで語られている一切の関心事を正しい遠近法のうちに置こうとするならば、全体としてはやはり、追い求められる善は主としてこの世の目に見える、手に取りうるものである、ということに変わりはない。各人はそれらのうちから自分の望むものを選んでよい。教育者としての職分を自らに帰することのない祭官の学問は、それについて助言を与えることはせず、選択と必要に応じて、委託を受けそのために報酬を得る祭官が、祭祀の装置をまさに望まれた善へと合わせて調整するのである。
Brāhmaṇa の評価においては生の総決算がまったく好意的に出るということ——少なくとも、かの装置を自分のために働かせうる立場にある者にとっては——、それはすでに述べたところに含まれている。もっとも、まさに幸福の充溢そのものが危険をはらんでいるという感覚がまったく沈黙しているわけではない(「栄える者、第一の地位を獲得する者には、罪責がまとわりつく」AB. I, 13, 11)²。また、十分に理解できることであるが、「人間は影のように禍をまとっている」(ŚB. II, 2, 3, 10)といった言葉も見出される——とりわけ、すでに見たように、死という禍を。「誰が人間の(生あるいは死)について知ろうか」。「誰が一年生きることを確信していようか」(ŚB. V, 5, 2, 2; TB. I, 8, 4, 3)。さらに他の禍も加わる。飢えである。「死とは飢えである」(ŚB. X, 6, 5, 1、XIII, 3, 5, 2 参照)。「破滅(Nirṛti)に属するものが三つある。賽子、女、眠りである」³(MS. III, 6, 3)。「人間は祭祀にとって清くない。彼は虚偽を語るがゆえに、内側から腐っている」(ŚB. I, 1, 1, 1)。そのような禍と罪とが存在することは、まことに自然なことである。Prajāpati は真理と光であるのみならず、虚偽と……
……闇でもある(ŚB. V, 1, 2, 10)¹。彼は Asura たちの父であるとともに神々の父でもある。なにゆえ創造者の胎から善のみが生じうるはずであるのか、それは見通しがたいであろう。神義論の問題は彼にとっては存在しない²。こうして人々は、その瞬間がそう促すときには、かの一切の禍を口にするのであるが、それでもなおいっさいの諦念からは遠く、自然な生の喜びを保ち続ける。人間にまとわりつく「内なる腐敗」は、祭式の技術によって取り除かれうるのであり、また現存在の無常についての嘆きは、人がそれをいかに好んで確実な所有物として自分のものにしたいと願っているかを感じさせる。それゆえ、誰かが「その完全な生涯を測り尽くす」ことは、しばしば幸福として提示される。「人間の不死とは、彼がその完全な生涯を測り尽くすことである」。「百年あるいはそれ以上生きる者は、この不死を獲得する」。それゆえまた、天へ導くべき諸儀礼にも、それらがあまりに早く人を地上から引き離してしまうことを妨げるような転換がしばしば与えられる。なるほど、祭主の願いがまさに天のみに向けられているという例外的な場合も考慮されてはいる。すなわち、儀礼をそれに応じて形づくる者たちは「天界を獲得するが、彼らは下界のこの世に長くとどまることはない」。しかし通例、人は天上の善のために此岸の生の善を投げ捨てることを急ぎはしない³。またこれらの支配層——おおむね平穏で快適な現存在を享受し、無条件・無限定な善を指し示す思想によっていまだ刹那の享受を破壊されていなかった人々——において、これ以外にどう感じることができたであろうか。
善
多様な善についての諸表象は、見られるとおり、また上に論じた術語からも明らかになるとおり、善なるもの——すなわち……
……あるいは単独で至高の高みに君臨する世界権力、あるいは悪と支配権を争う世界権力としての善なるものの表象へと、まとめ上げられたり高められたりはしていない。そのような発展への端緒はたしかにあるが、しかしまさに端緒があるにすぎない。われわれはすでに(S. 191)、真理と虚偽との対置のうちにそうした端緒が存することを見た。この対置は善と悪との対置に近づいてはいるが、しかしその内容を汲み尽くすものではない。同様に、いくぶん言葉数を重ねて、ある Brāhmaṇa の箇所は一方に「真理、幸福、光」を、他方に「虚偽、禍、闇」を挙げている。表現のこの積み重ねは、そこに、漠然と浮かんでいる観念に正しい名を与えるための語が欠けていることを感じさせる。そしてこれらの対立を世界像のうちで実際に貫徹すること、表象群の総体をそれへ向けて方向づけることには至らなかった。神々と Asura との対立(S. 17)についても、ここではそれ以上の展開はない。Veda の神々の本質が「善なるもの」の性格を本来含んでおらず、そのある種の上塗りを受け取ったにすぎないのと同様に、それに対応して、かの対立もまた「善」と「悪」の、定義しがたい色合いを帯びているにすぎない。したがって、あらゆる価値の総体にして源泉といったものはなく、その威厳が人間に呼びかけて、自我感情の垣を打ち破りその奉仕に身を捧げさせるような理想もない。価値はまさに、孤立した自我にとってのみ存在する。こうして一切は細分化され、繁栄をもたらすもの、目的に到達するもの、puṇya、sādhu といった表現で事足りるのである。普遍的な理念と目標に対しては、Brāhmaṇa に反映している思考と意欲は、まさにいまだ成熟していない。そして後に成熟の時が到来し、インドの精神が、絶対的実在と合致する絶対的価値という思想を捉え、Plato 的な善のイデアに対してそれなりの対応物を作り出すとき、どうであろうか。そこでは謎の解答は善なるものではありえない。というのも、最後の高みへの上昇は別の方向を取ったからである。闘われ、勝たれ、努められ、獲得されるところに、頂上はない。頂上はそれらすべての彼方に、永遠の平安の静かな王国、無願望・無営為の存在の王国のうちに聳え立つ。そこでは Brahman の全一性の前に、sādhu-puṇya と pāpa という動揺する対立は消え去っているのである。
義務
さて、人が追い求める善に与り、脅かす禍を避けるためには——何をなすべきか、いかにあるべきか。というのも、ただそれによって達成されるべき成果を顧慮してのみ、一定の行為……
……あるいは存在の仕方が要求されるということは、おのずから明らかだからである。倫理的な命令に対して、それとは独立の、それ自体に帰属する服従の要求を認めるということは、Veda の神学者たちには当然ながら縁遠い。さて、かの問いに対する Brāhmaṇa の答えは、周知のとおり、身近なものである。すなわち、祭祀を行い、聖なる呪術を営み、あらゆるタブーを避け——これは小さからぬ課題である——、それに属する聖なる知識を獲得すべきである、と。理想とされるのは、敬虔な者や賢者というよりはむしろ、祭主であり知者である。倫理的義務や徳への注目は、それに比べれば背景に退いている。それが活発になるのはようやく、人が祭儀の領域と祭官的関心の領域から離れはじめるところ、すなわち Upaniṣad においてである。したがって、すでに先に述べたように、Brāhmaṇa において義務や徳について語られることが善について語られることよりもはるかに少ないのが理解できるとすれば——祭祀において問題であるのはまさに善の獲得だからである——、さらに同様に理解できるのは、なお義務のほうが徳よりも先に語られるということである。人が何をなすかは、人がいかにあるかよりも早く、より目に見える形で注意を惹きつける。実際、人間の性格を捉え描写する能力は、今なおまったく端緒の段階にある¹。
宗教的・祭儀的な表象と倫理的な表象とが、人間はいかに行為すべきかという問いに関して未分離であることは——これは当然予期されることであるが——、たとえば Upaniṣad においてきわめて明瞭に現れる。永遠の存在に太陽、月、河川が従うように、と そこには言われている、その命令に、施与する者、神々への祭祀の遂行者、祖霊への供物の献供者が従う(BĀU. III, 8, 9)。すなわち、自然の秩序と並行する人間行為の諸規則のうちに、われわれの言い方でいう施与という倫理的命令²と、祭祀という祭儀規定とが並び立っている。両者はすでに古くから複合語 iṣṭāpūrta(祭祀と施与)のうちに結び合わされ、……
……同種のものとして並べられている¹。この関係はさらに顕著に、TU. I, 9 の義務の一覧のうちに現れている。そこでは真実であることと自己克服とに並んで、聖火の世話と火の祭祀とが現れる。正しく、繁栄をもたらす行為に対する特に際立った名称は、すでに見たように puṇya である。しかし最も重大な puṇya——われわれの言葉でいえば最大規模の倫理的行為——を成し遂げるのは、馬祀(Roßopfer)の遂行者である(ŚB. XIII, 5, 4, 3)²。
倫理的なものと宗教的なもの——さらに同様に呪術的なもの——との境界づけの不明確さは、倫理的命令と神々の意志との、当然ながらまったく動揺している関係のうちにも現れている。Rigveda において Ṛta がそうであったのと同様に、今や dharma、vrata(上 S. 194)もまた、あるときはそれ自体に立脚し、それ自体のうちに人間にその力を感じさせる能力を担っており、あるときは神が「dharma の主」である。罪はあるときはそれ自身の本性によって害をもたらし、あるときは「不正が行われると、Varuṇa が(行為者を)捉える」(TB. I, 7, 2, 6)——ついでに言えば、このことは、夕方には虚偽を語ってはならない、なぜならそれは Varuṇa の時であるから、という戒めを帰結する(TB. I, 5, 3, 3)。かくも容易に、倫理的命令は、その時々に支配的な事情のもとで罰する神に捕らえられることを恐れるかどうかという顧慮に場所を譲るのである。神々の意志から独立した「業の果」という思想(KB. XXVI, 3)³、とりわけ……
もまた、輪廻の信仰が現れるやいなや、「人は自ら作り出した世界のうちへと生まれ入る」(ŚB. VI, 2, 2, 27)という観念は、やはり同様に存在しており、しばしば強調してきた神々への信仰の弱体化に応じて、それに対して比重を増してゆく。もっともこの観念自身がこの時期においてすでに全く確固たる形態に到達していたわけではない。神々を多かれ少なかれ迂回するこの信仰、すなわち行為の罪と罰との機械的作用に対する信仰は、儀礼と呪術とに対する一切を圧倒する信頼を背後に有する力に対しては、なお現時点では後退した位置にあるのであるが、それ自身もまた——ここでわれわれは上(S. 195 以下)に述べたところに立ち返るのであるが——呪術信仰の強い色合いによって特徴づけられている。ヴェーダ時代の考え方にとっては、そもそもあらゆる出来事において現実的なものが絶えず呪術的なものと混じり合っているのであるから、そのような混合は、倫理的秩序とその人間の運命への神秘的な作用のごとき、かくも隠された事柄が問題となる場合には、最も欠けることがあり得なかった。実際、われわれの意識にとって倫理的行為が占めている位置に、ブラーフマナ時代においてはしばしば「倫理呪術(Sittlichkeitszauber)」とでも呼びたくなるようなものが立っている、と主張しても言い過ぎではあるまい。それは、原始的な法慣行や医療の実践がしばしば一種の呪術的行為であるのと同様であり、またヴェーダ祭官の言語技術および言語音の取り扱いが、あるいは Upaniṣad における宗教哲学的討論²が、それに即してみれば呪術的過程として現れるような一面を有しているのと同様である。試みに、ブラーフマナのいくつかの箇所が真実性の戒めをどのように扱っているかを見よ。夜の初めには、真なることを述べる、ある祭詞を唱えねばならない。「その後に人が虚偽を語ったとしても、それでもなお(それによって)真実を語ったのである。なぜなら夜の初めに人は真実を語るのだから」(KB. II, 8)。儀礼のある定まった箇所において人は沐浴し、darbha 草によって浄化される。なぜなら人間は不浄であり、それは彼が虚偽を語るからである。水によって、草によって彼は浄められる(ŚB. III, 1, 2, 10; 3, 18)。「われらがこの過ぎし
三年のあいだに語った虚偽、あらゆる災厄、あらゆる困窮から、水がわれを守らんことを」(Av. X, 5, 22)。かくのごとくヴェーダの祭式においては、そもそもあらゆる種類のものが、病素のごとくに洗い流され、押し流され、焼き払われ、一言でいえば呪術によって除去されるのである。ここに現れる倫理的なものの捉え方を、次のように記述してよいのではあるまいか。すなわち、倫理的なものが初めから不可分に織り込まれていた呪術的表象の、決して少なからぬ残滓が、なおそれに付着しているのだ、と。
倫理的呪術と進展する把握
しかしながら、いま諸文献から集められたこれらの特徴においては、この時代の見解はただ一面からのみ現れているにすぎない。他面において、倫理的なものがその覆いから脱け出すことのはるかに進んで見える言明も、欠けてはいないのである。ある種の清めの儀を遂行するとき、「歯の生えぬ子供におけるほどの罪責も残らない」と言われる(ŚB. IV, 4, 5, 23; PB. XVIII, 1, 24 を参照)。別の文献では「生まれるときの子供におけるほどの罪責、それだけが彼のうちに残る」(K. XXXVI, 5)とあるが、これはやはり「全く残らない」の意であろう。ここでは一面において純粋に外面的に儀礼へ浄化力が帰せられているとはいえ、他面においてはその表象は明らかに、新生児は、およそ子供がそうであるように、ほとんど罪なきものである、という方向へ向かっている。ここでは明らかに罪は、遺伝あるいは外部からの機械的な飛来という考えを後退させつつ、自分自身の行為のうちへと移し置かれているのである。まして、いかなる心情をもって施しを与えるべきかについての規定ないし勧告(TU. I, 11, 3、下記参照)——もっともいくらか新しい時代に属するものではあるが——は、倫理的なものについてのより進んだ捉え方、重心が単なる行為から内的な感情へと移動したことの記念碑と
みなしてよいであろう¹。これらの規定に直接続く指示も、同種の精神を呼吸している。「もしお前が、ある行為あるいはある振舞について疑いを抱いたならば、そこにいるバラモンたちが——良き判断力を有し、注意深く、緊張を保ち、粗暴さを免れ、法を愛する者たちが——いかに振舞うであろうかを見よ。彼らが振舞うであろうごとくに、お前も振舞うがよい」——この格率については、そこに心情の自由が語られていること、そしてそれが、倫理的行為を文字への奉仕に、祭祀的ないし呪術的な外面性に固執させることとは、およそ調和しがたいものであることは、あらためて強調するまでもない。——
個々の義務
諸義務の体系的な分類ということは、もちろんこの時代にはまだ考えられていない²。人はあちらこちらで若干の主要概念を緩やかに並べるにすぎない。時には、たとえば語呂合わせやそれに類するものに導かれて、いくらか堅固に組み立てられた短い一覧を与えることもあるが、それはまさしくかの偶然的な動機がもたらす限りにおいてのみ及ぶのであって、全領域を包括しようとする試みとして評価することはできない。考察の対象となる言明の主たる在り処は Upaniṣad であり、そこでは、すでに述べたように、純粋に祭祀的なものが後退したことが、この種の関心により自由な余地を与えたのである。Upaniṣad 的思弁の特殊性はここではほとんど影響を及ぼし得なかったのであるから、そこで語られていることは全体として、ブラーフマナ時代においても同様に支配していた、あるいは少なくともそこで準備されつつあったであろう見解の、おそらくいくらかさらに発展した表現とみなしてよいであろう。
いま問題としている種類の列挙¹としては、ChU. III, 17 を挙げるべきである。「苦行、施与、正直(ārjava)、(生きものを)害さぬこと、真実性」²。
さらに TU. I, 9 に立てられた義務の一覧がある。そこでは各項目に常に、著者にとって明らかに他の一切を貫きかつ制約する主要義務と見えたもの、すなわち「ヴェーダの学習と教授」³が付加されている。その一覧はこうである。「ṛta⁴、真実、苦行、自制、(内的な)静穏、(聖火の)管理、火の供犠(上述 S. 207)、客人(の尊重)、人間らしさ⁵、子孫、生殖、繁殖」⁶。テキストはこれに付言して、この一覧の代わりに、種々の教師のうちある者は真実のみを、他の者は苦行のみを、第三の者はただヴェーダの学習と教授のみを挙げる、なぜならこれこそが苦行なのだから、と述べている⁷。
Connect. Acad. XV, 34)。——ある Upaniṣad(ChU. V, 10, 9)は、地獄に堕ちる者として次の罪人を数え上げる。金を盗む者、surā(酔わせる飲料)を飲む者、師の妻と姦通する者、バラモンを殺す者、第五にこれらの者と交わる者。なお TB. III, 7, 12 が enas についての重要な一章であることを指摘しておく。わたしはいまのところ、ブラーフマナ時代のこの主題に関する若干の言明に簡単に触れるにとどめざるを得ない(enas 一般については、なお上述 S. 51 を見よ)。より立ち入った取り扱いは実り多いものであろうが、その際には多くの点で v. Negelein の prāyaścitta(贖罪)に関する内容豊かな研究 JAOS. XXXIV, 229 以下に接続することになろう。
同じ箇所(TU. I, 11)にはさらに、学習を終えた後に教師が弟子に与えるべき指示が見出される。それはこう始まる。「真実を語れ。法(dharma)を行え。ヴェーダの学習を怠るな。師に愛しき贈物¹を捧げた後、汝の家系の糸を絶やすな。汝は真実を怠ってはならぬ。汝は法を……汝の幸福を……汝の繁栄を……ヴェーダの学習と教授を……神々と祖霊とに対する義務を怠ってはならぬ。母を神のごとくに扱え。父を……師を……客を神のごとくに扱え。非難の余地なき行いを、汝は行うべきであり、他のいかなるものも行ってはならぬ。われらが良き振舞として行うところのもの、それに汝は励むべきであり、他のいかなるものにも励んではならぬ。バラモンたちがわれらより高い地位にあるところではどこでも、彼らに座が設けられるまで、汝は休んではならぬ²」。それに続いて施与についての特別な規則があり、これについては後に立ち返る。さらに、すでに上(S. 210)に伝えた指示、すなわち疑わしい場合には判断の確かなバラモンを規準とすべし、という指示が続く。
わたしはここに、上に示唆した仕方でより偶然的な観点に方向づけられている、義務の短い列挙を二つ付け加える。まず、本来のブラーフマナ時代のものとして、「負債」として挙げられる一連の義務がある。何人も三つの(あるいは四つの)「負債」を負って生まれる。Ṛṣi たち(ヴェーダの聖仙と讃歌作者たち)に対しては彼はヴェーダの学習³を、神々に対しては
供犠を、父祖(祖霊)に対しては子孫を遺すことを負う(さらに場合によっては、人間に対して客をもてなすことを)(TS. VI, 3, 10, 5; ŚB. I, 7, 2, 1 以下)。次に、より新しい時代のものとして、ある Upaniṣad(BĀU. V, 2)に見出される da, da, da という戒めをめぐる語呂合わせがある。これは倫理的内容が祭祀的およびそれに類する付加物から自由であるという点でも注目に値する¹。Prajāpati は彼の三種の弟子たち、すなわち神々と人間と Asura たちに向かって da, da, da と唱えた。そして雷鳴の声が da, da, da と繰り返す。これは何を意味するのか。それは dāmyata「汝ら自身を制せよ」、datta「(施物を)与えよ」、dayadhvam「憐れみを行え」²を意味する。もちろんまさにこの三つの戒めが取り出されたのは、かの音節をめぐる言葉遊びに基づいている。とはいえこの箇所は、後代の道徳的な文献との比較が示すように³、後の時代に通用した倫理的見解の範囲内に全くとどまっている。dāmyata と dayadhvam との要求は——datta については問題の余地がないが——ブラーフマナ時代にまで遡るであろうか。dayadhvam については、わたしがこれまでに見出しうる限り、未決のままとせざるを得ない⁴。しかし dama については実際にあるブラーフマナの箇所が語っている。神々は言う、「われらは真実より成り、dama より成ることを求める」(KB. IX, 1)。
最後に、ある特定のカーストに課される義務、およびこのカーストに対して他の者に課される義務の列挙がある。バラモンには四つの規範(dharma)がある。バラモンの家系に生まれること、ふさわしい振舞、(学識等の)名声、人々に対する霊的な配慮(字義通りには彼らの「成熟させること」)⁵である。他面において彼には四重の要求権が帰属する。すなわち尊敬、贈物、
不圧迫性、不害性(ŚB. XI, 5, 7, 1)(1)。この箇所には、おそらく、後にダルマ文献が個々のカーストの義務体系全体について描き出したあの詳細な図像の先駆けを見てとってよいであろう。というのも、その図像においては当然ながら、広い範囲にわたってカーストの特殊性が、万人に共通の人間的なものを押しのけて前面に出てくるからである。
真実・布施・克己
以上に触れられた個々の義務について、なお若干の補足的な考察を加えておく。原始的な把握と、より深められた倫理性との併存が、絶えず見てとられる。すなわち、「倫理性」という語が呪術的な意味で用いられる場合の把握と、深化してゆく倫理性との併存である。
とりわけしばしば、かつ力強く、真実の要求が掲げられている。anṛta(「非 ṛta」)は、早くから「虚偽」という特殊な意味を帯びるようになった。虚偽を語る者は、その最良の木を、根に至るまで枯らしてしまう。木は枯れ、滅びるのである(AĀ. II, 3, 6)。罪を犯した者は、真実に従って罪を告白すべきである。「告白によって罪は軽くなる。というのも、そのとき真実が現れ出るからである」(2)(ŚB. II, 5, 2, 20)。ところで、既に言及されたあの言表(S. 207)——それは Varuṇa の支配を顧慮しつつ、一定の時刻についてとくに、すなわち日中においてのみ真実を語ることを命じている——は、真実性をこの時間についてのみ規定しているのか、それとも、真実は一度語られればしばらくのあいだ呪術的に効力を持ち続け、それゆえその後は嘘をついてもよい、という趣旨なのか。同様に、水の力が一定の草によって虚偽から浄められうる、ということも述べられていた。そうであってみれば、真実が無条件の掟としてではなく、むしろ一定の儀礼的連関に対して妥当する遵守事項として現れ、しかも次のような規則が見出されるとしても、驚くには当たらない。「その遵守事項とは、すなわち、彼は真実を語るべきであり、また黄金を身に着けるべきである」(KB. VI, 9)(3)。ではいったい、そのような外面性から、契約締結の小手先の技術から、Varuṇa の語 ṛta は、どのようにして立ち上がってくるのであろうか。この祭官は聖火を点じようとはしなかった。なぜなら彼は自ら
それと結びついた真実の義務を完全にかつ全面的に果たしうるとは感じなかったからである。彼はそれゆえ今後は沈黙せざるをえないであろう。「聖火を点じた者は、虚偽を語ってはならない。しかし、語る者が虚偽を語らないということはありえない」(1)(ŚB. II, 2, 2, 20)。
第二の、とりわけ強調される義務、すなわち布施の義務(2)——それはとりわけ聖職者に対する気前のよさを意味する——においても、同様に明瞭に、外面的な把握と深められた把握との併存が示される。人は布施によって天界に至る橋を築くのである(MS. IV, 8, 3)。布施のもたらす呪術的作用という報酬については、正式の料金表が存在する。「牝牛を与える者は、それによって自らの生命を守る。衣を与える者は、それによって自らの生命を長からしめる」等々(K. XXVIII, 5; 類似のものは後にもしばしば、例えば Vasiṣṭha 29)。他方、人格化された「食物」が言う。「私は食物である。食物を食う者を、私は食う」(TB. II, 8, 8, 1)。すなわち、私は滅ぼす、他者に——つまり祭官に——与えるべきものを自ら食う者を、である。時代が下るとともに、布施の推奨が、その称揚においてまさしく狂気じみた際限のない乞食的貪欲の逸脱にまで高められていったことは周知のとおりである(3)。それと快い対照をなして、ここには、布施という事柄においては然りをも否をも言いうるのでなければならない、という言葉がなお聞かれる。「正しい時に与えるべきであり、正しい時に与えるべきではない」(AĀ. II, 3, 6)。そして偉大な自由さをもって、外面的な行為から心的なものへと注意を向けかえつつ、先に(S. 212)言及された生徒のための指示は、教師の説示の末尾で、布施という主題を次のように扱っている。「信頼(4)をもって与えるべきである。信頼なしに与えてはならない。幸福をもって与えるべきである。羞恥をもって与える
べきである。恐れをもって与えるべきである(1)。一体感(2)をもって与えるべきである」(TU. I, 11, 3)。
最後に、より後代のインドの倫理的気分にとって特徴的な、そしてブラーフマナ期において初めて現れ出る要求、すなわち自己制御(dama)の要求について、若干の考察を述べておく。この観念そのものは明瞭であるが、それを生き生きと具体化するために、より後代の言表——ウパニシャッドからのものではない——を引くことがおそらく適切であろう。完成した賢者たちを、BĀU. IV, 4, 23 は「解脱し(śānta)、自己を制御し、静けさに達し、忍耐強く、集中した者たち」と描く。自己制御と内的平安とのこの結合は、しばしば繰り返し現れる。例えば TĀ. X, 8. 62. 63 では、とりわけ次のように言われる。「自己制御こそ最高のものである。そう、バラモン学生たちは常に言う。それゆえ彼らは自己制御に住する。平安こそ最高のものである。そう、森において隠者たちは言う。それゆえ彼らは平安に住する」。法典(IV, 246)は言う。「自らの行いにおいて堅固に、柔和に、自己を制御し、粗暴な振舞いから遠ざかり、何人にも苦痛を与えることのない者、かかる戒めに従う者は、自己制御と布施とによって天を得る」。古い仏教の詩句(Dhammapada 94)は、「平安(samatha)へと至った者たち、御者によく制御された馬のごとき者たち」の「感官」を称賛する。それゆえ、自己制御において制御された感官(indriya)が見られると想定してよく、また、あるブラーフマナの一節(ŚB. XI, 5, 7, 1)が「感官の制御」を求むべき善と呼んでいることも、この連関に位置づけることができる。Sāṃkhya の用語法においては、同時に先に挙げられた Upaniṣad の諸箇所と響き合いつつ、KU. III, 5. 6 が同じような制御について語っている。「認識(vijñāna)において貧しく、manas が緊張していない者(上 S. 69 ff.)は、その感官は常に従順ならず、御者に対する悪しき馬のごとくである。しかし認識において富み、manas が緊張している者は、その感官は常に従順であり、御者に対する良き馬のごとくである」。あるバラモンは
牝牛について、それが「女性的存在として制御されている(dāntā)」と言っている(TB. I, 7, 1, 4)。この着想の奇矯さにもかかわらず、少なくとも我々にとってこの箇所が有する意味からすれば、そこから次のことを読み取ってよいであろう。すなわち、インドの平和愛好的理想である dama には、女性的な特徴が付着していた、ということである。それに近いところに、dama をそれ以外の点で親近的な Sophrosyne から区別するものが求められるべきであろう。節度ではない。節度は、内的調和に基づきつつ、最大の力強い活動と両立しうる。そうではなく、自己自身のうちへの引きこもり、沈黙、忍耐、放棄なのである。今まさに芽生えつつある諸傾向のただなかで、ブラーフマナにおいて、今なお微かにではあれ、この理想が姿を現しはじめるのである。
この倫理の根本性格
倫理的なものについての諸テクストの、ここに考察された言表を振り返ってみるとき、おそらく次のように感じられるであろう。すなわち、これらは硬い素材から作り出された人間たちのものではない、と。我々はここに、Gaṅgā と Yamunā のほとりの村々における、アーリヤの牧畜者・農耕者、そして何よりも祭官たちの思想を認めるのである。そこには、強靭な人格が現れ出ることはなく、自由それ自体を担う偉大で高貴な特徴も現れない。また、瑞々しい波打ちのうちにあり、力強い緊張のうちに諸力を行使し、事物の外見からその本質へと迫ってゆくような生も現れない。むしろ、自然生長的な鈍重さと、半ばしか仕上げられていない生の諸形式である。氏族的本質の古い連関は強く緩み、人間性の、あるいはまた全存在するもの一切の親近性という新しい連関は、まだ形成されていない。その中間に立つのは、国民の連帯ではなく、カーストの、すなわちとりわけ上位カーストの結束である。ここには貴族があり、その頂点には小さな専制君主がおり、そのかたわらには、恐れられ、不気味な呪力を振るうバラモンたちがいる。バラモンの身分、すなわち最高の位を要求することを憚らなかったその身分から、バラモン的存在の特徴が貴族から離れ、貴族が明るく照らし出され、そこにいくらかの野蛮なきらびやかさが現れ出ることが求められる。まったくの背景には、意志なき民衆の大衆が立っている。支配者の側には抑制なき恣意があり、被支配者の側には力なき屈従がある。このジレンマの正しい側に、すなわち「食う者」の役割に生まれつき、「食物」として生まれつかなかったという幸運に恵まれたならば、人は快適に生きてゆくことができ、各人は自らのエゴイズムに自由な進路を委ね、その日その日を、衝動から
衝動へと生き、自らの存在の全体については、ましてや万人の存在については、ほとんど顧みることがない。欲求と願望はとりわけ豊かな安楽に、祝福に向けられる。祝福とは、好都合な天候がもたらすもの、そして健康、長寿、多様な秘密の力の所有である。よく生まれついた子孫が、この存在を継続させるであろう。あのギリシアの詩人が最高の善、すなわち健康を、第二の善として掲げたもの、δεύτερον δὲ καλὸν φυὰν γενέσθαι は、まさにここに存する。強き者が身を守るべき争闘は、当然ながら欠けてはいない。しかし祖国的理想の情熱は、これらの闘いには無縁である。そして、それらすべてを越えて、死と彼岸についての反省へと至るとき——その反省はおそらく祭官的利害関心によっても駆り立てられているのであるが——、それでも人は、地上の幸福を確保するのに効き目のある手段が、必要とされる相当の出費を惜しみさえしなければ、天へ、太陽へ、不死へと導いてくれることを知っているのである。
全時代に固有の、財と義務についてのあらゆる観念が聖なる呪術的要素と絡み合っていることは、我々の典拠テクストの偉大な著者がまさしく祭官身分であっただけに、いっそう感じ取りやすいものとなっている。世俗的生活の義務を実践することは、主要義務、すなわち祭祀的義務に対する、第二次的な補完にすぎない。地上的な諸義務あるいは諸徳に関して言えば、徳性がそれ自体のために語られることは、当然ながらほとんどない。商業や生活態度における人間に、日常的存在の行動力と、利害対立のうちにおける自由で確固たる姿勢を与えるような事柄は、ほとんど見出されない。ギリシア人が δικαιοσύνη という語と結びつけた諸観念については、なおさら少ない。古代インドの法全体もまた、なんと子供じみた立場に立っていることか。善き事物についての喜びは、いくらかの有害な呪術や不実によってそれが獲得されていない限りにおいてのみ、容易に妨げられずに済む——というのも、それを手に入れる手段はいくらでもあるのだから——Varuṇa とともに知られるように。祭祀に固く結びつけられた布施の義務には、主要な重みが置かれている。すなわち、何よりも祭官身分の必要に対応し、バラモンたちがその托鉢行において他者の義務として尊重することを学んだあの義務である。真実性の義務は高い名誉のうちにある。それは、必要な場合に自らの本質を忘れ
去り、祭官的な思慮がその軌道から滑り出させるのがよいと判断するときには、しなやかに身を屈めるという点で、都合がよいのである……
しかし今や、新しい諸展開がこのすべてのうちへと働きかけはじめる。増大しつつある成熟、より厳格な真剣さ、より内的な深化の時代が告げ知らされる。倫理的諸理念は、祭官的呪術観念の覆いから自らを解き放とうとする傾向を示す。「慈悲」、「自己制御」という標語が語り出される。人は——ここで考察された視野においては、まだ第一歩をもってではあるが——その後 Upaniṣad を経て仏教へと導いた道に足を踏み入れるのである。もっとも、人間の生を形づくる造形的な倫理を創り出すことは、Sāñcī と Bharhut の芸術家たちに人体を造形的に形づくることが拒まれていたのと同様に、インドの思想家たちにも拒まれたままであった。倫理的・宗教的天才性の偉大な投擲は、生の形成の領域においてではなく、ただ生の否定においてのみ、インド精神に成功しえたのである——その限界においても、その豊かさにおいても、描き出すことがかくも限りなく困難な、この精神に。
第四部ブラーフマナにおける思考の様式
認識手段
われわれはブラーフマナの原始的思考が働いているさまを見てきた。残された課題は、その作業様式の特異な諸特徴をひとつの像にまとめ上げることである。
この試みに先立って、まずかの思索者たち自身が自らの行為とその前提条件について、その置かれた状況のもとで語ったことの主要点を概観しておこう。それは当然ながら乏しく、また脈絡を欠いている。「思考について思考したことがない」という Goethe 的な賞讃は、あの時代においてはまったく自分自身で獲得するのが常であった。
後代の哲学諸体系が、周知のごとく認識手段(pramāṇa)について詳細に論じ、その数をさまざまに挙げていることは知られている。たとえば Sāṃkhya はそれを三つとする。知覚(pratyakṣa、本来は「眼前に立つこと」)、推論(anumāna)、信頼すべき伝達(āptavacana, śabda)である。これに相応する考察がブラーフマナの古代にとってはおのずと縁遠いものであったことは、当然である。私の見るかぎり、ただ一箇所、明らかにブラーフマナ文献の最も新しい末流に属する箇所(TĀ. I, 2, 1)¹ において認識手段の列挙が見出されるということ、それはこの教説がやはり人の推測するよりも古い時代にまで遡ることを示している。そこにはこうある。「伝承(smṛti、字義どおりには想起)、知覚(pratyakṣa)、伝達(事情に通じた者の側からのもの、aitihya)、そして推論(anumāna)——この四つである」。
顕現せるものと隠されたもの。超自然的なものの「見ること」
いま挙げられた標語のうちのひとつは、ブラーフマナの本来の本文の集塊のなかで、いま触れたばかりの脈絡と少なくとも近縁ではあるが、しかし明らかに著しく古風な水準に位置する脈絡において、重要な役割を演じている。すなわち pratyakṣa ないしその反対語 parokṣa、「眼前に立つ」と「眼から遠ざけられた、隠された」である。ブラーフマナは実際つねに、儀礼の、そして一般に事物の外的現象の背後に横たわる隠された意味をもって操作している。前者は後者、すなわち pratyakṣam に対する parokṣam である。rūpa(「形態」)という範疇を論じたさいに、ある本質の眼前に立つ rūpa が、隠された神秘的な rūpa から区別されることについてはすでに述べた(S. 107)。ブラーフマナ文献においてかくも好まれ、そこで提示される解釈のなかでしばしば役割を演じる空想的な語源解釈も、好んで同じ対立を援用する。そこで与えられる語の派生は、しばしばその語の実際の形態に完全には適合しない。そのときこそまさに parokṣam が存するのである。たとえば、他の諸力を燃え立たせる中心的な呼吸力は、それゆえ indha「燃え立たせる者」である。「それを人は Indra と呼ぶ」、隠されたしかたにおいて。なぜなら神々は隠されたものを愛するからである(ŚB. VI, 1, 1, 2)。かくして思考は「隠されたもの」の高い評価へと向かう。その究明と描出において人は容易な勝負をしてきたのである。そしてそれに応じて、神々が憎むところの「顕わなもの」(BĀU. IV, 2, 2)へのある種の軽視へと向かう——このことは、神的なものと人間的なものの事物に対する態度という好まれた対置によって、時としてこう表現される。「人間のもとでの pratyakṣa は神々のもとでは parokṣa であり、人間のもとでの parokṣa は神々のもとでは pratyakṣa である」(PB. XXII, 10, 3)。かくして遠くから、小さな、しばしば些末で混乱した空想の戯れのうちに、世界観照の様式が準備される。それはのちに大規模なものとなって、隠されたもの、真に存在するものの前に感覚世界を色褪せさせるのである。「真なるものの真なるもの」を不可視のもの、不可聴のもののうちに見出し、それが「ただ精神によってのみ観られるべきもの」であるとすること——これが準備されてゆく。この思想は、ギリシアの哲学者たちのもとに現れる、純粋思考に対する感覚知覚の軽視と近縁であり、しかもまた特徴的なしかたでそれとは異なっている。すなわち、かの秘義、「知られたものとも異なり、また
知られざるものとも異なるもの」を観るというブラーフマナ的な観照は、Parmenides の νοεῖν とも、Platon の弁証法的技術とも、まさしく同一ではないのである。
しかしわれわれは、ブラーフマナのうちにはまだその端緒しか存在しないような思想の道筋に踏み込んでしまっている。そこでは、いま論じた parokṣa に対する pratyakṣa の低評価とは、きわめて理解しやすい対照をなしつつ、しかしまた偏見のない自然さをもって、まさに見ることこそが確実性の最も確かな源泉として賞讃されもする。「虚偽を人は言葉によって語り、虚偽を人は精神によって思う。眼こそ真である。『お前はそれを見たか』と人は問う。『私はそれを見た!』——これが真である」(TB. I, 1, 4, 1. 2。さらに多くは Lévi 165)¹ ²。
「見ること」には、tapas に基づく、通常のものを凌駕する視覚の高進もまた属する(上記 S. 147 以下参照)。リグヴェーダの歌人が太古の秘義を「tapas によって観る」ように、あるブラーフマナには、ṛṣi たちが天界へ導く韻律を「tapas によって見た」とある(TS. V, 3, 5, 4)。ここに、われわれがのちに仏教において出会う見解が準備されている。それによれば、認識は日常的なしかたで「熟慮によって獲得され、疑いに貫かれている」か、あるいはヨーガ的な「内なるものの集中(samādhi)」によって到達されるかのいずれかである³。
「見ること」はまた——あるときは tapas に基づき、あるときはそれについて語られることなしに——それにおいて ṛṣi たちに聖なる讃歌、歌、儀礼が啓示されたところのものでもある⁴。リグヴェーダ時代においては、讃歌の成功した詩人が、まったくわれわれの理解するとおりに、自らをその作者として、すなわち
「車のごとく
巧みに技をこらしてこの歌を造り上げた」
者として自覚しているのに対し、ブラーフマナ時代はこの経過を別の光のもとに見る。聖なる歌あるいは旋律は、brahman なる知識の総体、三重の知とともに、事物の始原にまで遡るものであって、
「作者」によって——たとえその者が ṛṣi であろうとも——生み出されうるものではなかった¹。にもかかわらず、ある種の創始者としての地位が、古い伝承によって、また脇へ押しのけることのできない本文自身の多くの言表によって、ṛṣi に帰せられている。この両者は次のようにして統一される。すなわち ṛṣi をいわば、諸本文が彼岸の遠方から人間の視野へ入ってくるさいの、その最初の受領者とするのである。彼は本文を「見る」。本文はそれ自体としてすでに存在しており、しかも供犠やそれに類する本質存在と同様に、ある種の身体性、人格性の気配を有している²。あるいは、時として言われるように、ṛṣi は儀礼を「見出す」。あるいはまた、超地上的な存在、もしくは何らかのしかたで超地上的な知にあずかる存在が、本文を、儀礼を啓示する。ṛṣi たちのうちでただひとり Indra を面と向かって見た Vasiṣṭha に、Indra は stomabhāga 句を教える(TS. III, 5, 2, 1 その他)³。「Gandharva に取り憑かれた」(憑依された)乙女が、黄金の鳥が啓示を授ける(KB. II, 9; VII, 4)。供犠獣を分配する正しいしかたを Śrautarṣi Devabhāga は「見出した」が、彼はそれを誰にも伝えることなくこの世を去った。そこで「人間ならざる」存在が Girija にこの知識を伝えた。「それ以来、人々はそれを学んでいる」(AB. VII, 1, 6 以下)。ブラーフマナあるいはアーラニヤカの諸本文が、そのつど問題となっている知の世代から世代への伝承を示す大きな師系表は、その究極の起源を神々の世界に置く。それはたとえば Āditya「太陽」に遡り、あるいは Indra, Prajāpati, Brahman に遡る。これらが師の師たちのうちで最後の者である。かくして、聖なる知の由来を問う問いへの解答において、神的なものと人間的なものとの間に媒介がなされる。そのさい神的な要因には、世界生活におけるその地位についての全体的な
見解に相応して、決して摂理的な働き、人類の教育といった大局的に構想された役割が帰せられるのではなく、むしろ機会ごとに、その場かぎりの気まぐれに従って、超地上的な力は人間にここで一片、そこで一片と、計り知れぬ知を分け与えるのである。
思考、mīmāṃsā
自然的な、あるいは超自然的なものへ高められた感覚知覚と、啓示、伝承と並んで、精神的所有の基礎づけとして当然ながら思考活動もまた認識されていた。われわれはすでに別の脈絡において、人格の諸要素のうちで眼と耳に並んで manas、「精神」または「思考」、この「神的な眼」(ChU. VIII, 12, 5)が位置することを見た¹。計画的に営まれる活動としての思考についての意識は、man-「思考する」の意欲動詞 mīmāṃs-、本来は「思考しようと努める」の用法においてきわめて明瞭に現れる。それは疑わしいものの、たとえば儀礼をいかに執行すべきかの、あるいはある意味の考量についてしばしば用いられる。これに属する名詞 mīmāṃsā、字義どおりには「思考への努力」は、のちに周知のごとくヴェーダに基づく儀礼哲学および形而上学の名称となるが、すでにこの時点で儀礼上の探究やそれに類するものを指す術語となっており、その語法はきわめて確立していたので、この語は省略されて自明のものとして補われうるほどであった。たとえば章の冒頭の図式的な形において、字義どおりには「さて供犠潅頂の告知について」とあるような結合においてがそれであって、そこには「さて当該の告知についての mīmāṃsā、すなわち儀礼学的討議が続く」と補われねばならない²。mīmāṃsā と並んで、ここでこの脈絡に属する第二の意欲動詞形成を挙げておかねばならない。すなわち動詞 vicikits- と名詞 vicikitsā、「疑う」、「疑い」であって、字義どおりには「識別しようと努める」ことである。これもまた同様に、意図的で意志に導かれた思考についての意識の証左である。
思考の様式
さらに、探究と動揺とがそこへ向かって努める確実性は sthiti、字義どおりには「立つこと」、確立と呼ばれる。さまざまな意見が討議されたのち、正しい意見について「これが sthiti である」と言われるのである。——
さていまやわれわれは、認識過程についての古人の見解から、彼らの精神的作業そのものの記述へと向かおう。
それは、まだ自己規律の端緒にすら目覚めていない作業であり、自分が果たして正しく見たか、正しく思考したかという配慮に目覚めていない作業である。彼らが扱う素材は、そのような慎重さへ人を教育するには不向きなものである。というのも、それはその加工者の業績についての証明書を発行しはせず、実地の検証がどう出るかを容赦なく示しはしないからである。そしてそれがたまたま示しうる場合においてすら、人はそれによって惑わされるような心構えを持ってはいない。何かの計算において数が合わないとしても、多少の増減はどうでもよいのである。現実的なものから人は身軽に非現実的なものへと飛び移り、またそこから一瞬のあいだ現実の領域へと飛び戻りもする¹。そして、かくして空想の構築物全体がその確証を得たことを満足とともに認めるのである。人は語を制御して、それが言うべきこと以上を語らぬようにしようとは考えない。思考と語は目標を越えて究極のもの、極限のものにまで飛び去り、好んで存在するものすべてについて語り、同時に二つの本質存在の何らかの関係、連関をたちどころにその同一性へと変じてしまう。外部に立つ者からの批判は、祭司階級が俗人の洞察に対して首尾よく閉ざしてしまった工房における、この陽気な営みを妨げはしない²。すみやかに身にまとうのは
Oldenberg: ブラーフマナ文献の世界観 15
〔…〕見解であって、それは知者・学者の一人が権威をもって提示し、学派においては信心深く復唱される。むろんこのことは、別の見解が同じように権威あるものとされ、両者の矛盾が未解決のまま、しばしば気づかれもせずに残るということと、十分に両立するのである。
さて、こうして概括的に描き出された精神的活動の特質を、より細部にわたって認識しようと試みるならば、その根本的な特徴として、直観的に見る力の弱さが浮かび上がってくるように思われる。造形芸術の歴史においてインドが遅れて舞台に登場し、控えめな役割で満足しているのであるから、宗教の領域においてもまた直観的なものに対する感覚はわずかしか発達していない。古い vedaの神々とその行為の像には、生き生きとした明確な輪郭が欠けている。そして Brāhmaṇa 群は、[判読不能] 表象に満ちている。神々は逃げ出した供犠の牝牛を、諸季節を用いて追いかける。水は苦行を行う。声は諸季節のうちに立って語る——これらすべては、どうして直観しうるものであろうか。これに反抗するような感覚は、まったく生きていない。これらの像、というよりはむしろ非-像を組み立てている個々の表象要素は、たまたま行き当たるがままに互いに投げ混ぜられる、単なる計算用の駒(Rechenpfennig)にすぎない。pratyakṣam、すなわち感性的に知覚しうるものは、あまりに顧みられることが少ない。神々が愛する事物の見方は parokṣam である。ついでながら指摘しておくが、古代インドにおいては、聴覚の働きと要求とが視覚のそれよりも高い位置を占めていたように思われる。文法学者たちのもとで早くから示される音声観察の鋭さ、また後には音程のきわめて繊細な把握が、そのことを示唆している。もっとも、ここでわれわれが取り扱っている連関においては、この才能は発揮されえなかった。しかし視覚に関して言えば、いま強調した混乱が、直観的に見ることへの自然的素質の弱さに基づくのは一部にすぎない、と想定してよいかもしれない。他の一部については、思考の営みを支配していた関心がまったく別の方向を向いていたということが、ここに与って力があったであろう。問題であったのは、その本来の意味がたいていこれらの神学者たちの視野のまったく外にあり、さらに多くの場合その本来の本質から遠く隔たってしまっていた諸儀礼を、いかなる代償を払ってでも解釈し、それらに
(前ページからの続きの注)……的意識の、しかしそれは司祭的全知の真剣な自己抑制とはほとんど言えない。
一般概念
現世的および来世的な祝福の確実性を刻印することであった。このような課題は、不可避的に、手に取るように明瞭な直観性の圏域から遠く外へと導いていった。ここで要求されていたことを成し遂げえたのは、まさにインドの空想がそうであったように束縛を知らぬ空想のみであり、しかもそれは、聖なる夢と呪術の圏域が有り余るほど自由に供してくれる従順な素材を用いて働くのである。そこで、太古の表象様式の特性を多くの点で無際限にまで昂進させつつ生み出されたのが、われわれがすでに見知ったあの世界像である。それは真理と直観性においても、また詩情においても等しく貧しい。そこでは空間量と時間量とが互いに入り乱れて波打ち、何らかの存在が行うことは、どれほど性質を異にする他の存在であってもまた行いうる。そこではすべてが気まぐれと恣意のままに、あるときは流体として流れ出し、あるときは人格として語り、あるいは欲する——要するにそこでは、すべてが任意の連関において他のすべてと結びついており、しかも最も好んでは、端的にそれと同一なのである。
さて、この表象の混沌のうちに、後にインドにおいてかくも独特かつ大胆に発展することとなる概念的思考の萌芽がいかにして現れてくるかを観察することは、重要である。「いずれの季節にも」と人々は言った、「すべての季節の形態がある」(S. 106)。それによって、おそらくは不器用ながらも、しかし明瞭に、一般概念そのものが把握されている。個別的なものの上に立つ包括的な一般概念の、いくらか豊かな蓄えを形成するという点では、Brāhmaṇa 群においてはもちろんまだその途上にあるにすぎない。「世界の方位」や「年」といった具体的表象から、純粋な空間直観・時間直観の意識がようやく発展してくるのと同様に(S. 37 f.)、ここでは例えば、個々の感覚を表す語のかたわらに、感覚一般を表す語はいまだ置かれていない(S. 77)。すべての概念のうち最も一般的なもの、すなわち「有」、より正確には「有るもの」が Brāhmaṇa 群のうちに存在し、いなすでにより古い時代にも存在していたとしても、私は、当の思考の達成をその概念の広さに相応するほど高く評価すべきだということを、証明済みのこととは考えたくない。あらゆる限界を超え出るような全存在の総括は、かの最後のぼやけた遠方のこちら側に確定すべきであったような何らかの一定の境界線を鋭く認識することよりも、思考にとってはおそらく容易に成し遂げられたのである。Brāhmaṇa 群において最も発達していないのは、予想されるとおり、直観しうるもの
あるいは感じうるものにも、事物・性質・作用にも関わらず、むしろ因果性・被制約性等のような関係に関わる概念である。「原因」を表す語が形成されはじめていることは、すでに示された(hetu、上 S. 160)。「結果」を表す語は、私の見るかぎり存在しない——ただし、その原因が「根」と呼ばれるところの「蕾」という、時おり現れる比喩的表現(S. 161)をそれとして認めようとするのでなければ。被制約性の関係はもちろんそれ自体としてはよく知られている。言語は古い昔から条件文の図式を備えているのである。しかし「条件」という概念の定式化にまでは到らなかった。後の哲学的思考がその柔軟さを証示することになる術語のうち、大半はまだまったく、あるいはほぼ完全に欠けている。いくつかの例を挙げるにとどめるが、いま因果性の術語について述べたところに対応して、kārya「結果」および kāraṇa「原因」(上 S. 160 参照)が欠けているばかりでなく、viṣaya「客体」(これはおそらく最初に KU. に現れる)、viparyaya「反対」(ただし viparīta は KU. にある)、pravṛtti と nivṛtti、すなわち「活動、作用」と「停止、不作用」、さらにはたとえば(規則などの)「有効性」と「無効性」も欠けている¹。たとえば Sāṃkhya Kārikā にまで、あるいは古仏教の諸文献にまで進むだけでも、この種の表現の使用可能な装備において、並外れた隔たりが認められる。とはいえ、Brāhmaṇa 群にはおそらく期待されないであろうような術語のいくつかは、実際にはすでにそこに存在している。prakṛti「基本形、根本原因」の存在は、そこから派生した prākṛta「本来の、自然の」(ŚB. に複数回)が証示している。「差異」については、後に一般的となる bheda が、私の見るかぎり新しい Upaniṣad においてはじめて現れるのに対し、この意味ではすでに、たしかにいくらか重苦しい nānātva(本来は「多様性」)が存在している²。この語の場合と同様に、言語は総じて接尾辞 -tva によって、また -tā およびその他の二次派生の仕方(たとえば ānantya「無限性」等を想起せよ)によって、
意味の上でわれわれの -heit に対応する抽象名詞の形成を、きわめて容易に可能にしている。きわめてしばしば、空想的な語源解釈——たとえば aśva「馬」を、腫れ上がった(aśvayat) Prajāpati の眼から生じたものとする類の——は、次のような言い回しへと帰着する。「これが馬の馬性である」、言い換えれば「それゆえに馬は馬と呼ばれる」。aśvatva について、このような語源解釈のうちに含まれる以上のことが語られえなかったかぎり、われわれは、単に ἵππος についてのみならず ἱππότης についても語ることができたということの価値を、さほど高く見積もらないでよいであろう。しかし -tva による抽象名詞は、やがて論証の進行のうちで、より真剣な用法にも供されるようになった。たとえばある古い Upaniṣad においては、次の思想が遂行されている。すなわち、感官の働きは、見る者と見られるもの、聞く者と聞かれるものとの対置を前提とするがゆえに、ただ多性の領域においてのみ考えられうるのであって、一切一者の世界においては成立しえない、という思想である。とはいえ、真の見る者・聞く者である Ātman に、見る力・聞く力が欠けているわけでは決してない。ただ、彼が見聞きしうるような、彼とは別のものが存在しないだけなのである。さてこの連関において次のように言われる(BĀU. IV, 3, 23)。「なぜなら、見る者は見る力を失うことがない、その不滅性のゆえに(avināśitvāt)」——ここでは「…のゆえに」という理由づけが、抽象名詞「不滅性」の奪格によって表現されている。これは、後の学術的言語が複雑な種類の理由づけをも一語のうちに圧縮することを好む、そのことの最初の前奏曲である。すなわち -tva によって、しばしば長く込み入った複合語から「…性」という抽象名詞が導き出され、そこから奪格が形成されるのである。「x-x 性にもとづいて」¹ ²。
定義
われわれはすでに見た。Brāhmaṇa 時代においては、諸概念はなお多くの場合、具体性という幼児の靴のうちに深く留まっており、その結果それらは絶えず実在的な存在として、いな人格的な存在としてふるまうということを。すなわちそれらは走り回り、喜び、殺されるのである。不死は歩み寄ってくる。その足音が聞こえる。諸季節と諸月は、ある神と会話を交わす(S. 92)。確かにこの種のことは、あらゆる概念について、たとえばいま挙げた nānātva や avināśitva についてはおそらく、表象されはしなかったであろう。しかし全体としては、概念の世界は、手に取りうる事物と人格の世界からきわめて不完全にしか分離していないのである。
さて、このような状況のもとで、時の経過とともに成熟してゆく思考が必ず進み到らねばならぬ諸要求——すなわち、用いるべき概念が定義されること、さらに諸概念が互いに、その本質に相応する並列関係および従属関係のうちに置かれること——は、いかなる有様であろうか。これらの課題の解決の端緒は、Brāhmaṇa 群のうちに存在するであろうか。
あらかじめ明らかなのは、この時代が定義の技術を作り出すことに成功しないであろうということである。定義において知が、いっさいの不明瞭さを断ち切りつつ自らの所有を確保するのだとすれば、まさに不明瞭さ、すなわち表象のあらゆる境界の曖昧化こそ、Brāhmaṇa の思考が生きている当の要素なのである。「供犠は人である」、「供犠は年である」。人々はこのように語ることに慣れており、また、すでに見たとおり、馬(aśva)の「馬性」(aśvatva)を、それが腫れ上がった(aśvayat) Prajāpati の眼から生じたという点に見いだすのである。このような思考の雰囲気のうちでは、定義することはほとんど成功しえない。人々は、そのために必要な操作へと構えているのではなく、はるかに決然と、人格的に思い描かれた概念の体験について何らかの奇跡譚を語ることへと向けられている。未知のものについての説明への欲求は、むろん今でも感じられてはいる。他人が多くを約束するような表象を操っているのを見て、自分もその知識に与りたいと願う者の心の状態を、人々はきわめてよく知っているのである。しかしこの欲求は、むしろ神秘的同一視によって、さらにはもちろん、
(p. 229 の注 2 の続き)idammaya, adomaya(BĀU. IV, 4, 5)。「これこれのための場所——文脈から明らかになるところの、これあるいはあれのための場所」という表象は、tatsthāna(AB. VI, 5, 2、逐語的には「そこ-場所」)という一語で表現される。
Upaniṣad 時代において絶対的自己が問題となる場合には、直観的な見ることへの指示によって満たされるのが常であり、定義に似た何かによって満たされるのではない。学びを渇望する brahman たちは、Vaiśvānara(Agni の神秘的形態)の本質について教えを受けたいと望む。彼らは Vaiśvānara を「正確に知っている」王 Aśvapati のもとへ赴き、教示を乞う。彼は彼らに順次問う。「汝は Vaiśvānara を何として知るか」。一人は答える、「大地として」。他の一人は「水として」、等々。それに続いて教示がなされる。「これが Vaiśvānara である、すなわち Puruṣa(霊、字義どおりには「人」)である。この Agni Vaiśvānara を、Puruṣa の性質をもち、Puruṣa の内に確立しているものとして知る者、その者は再死を克服し、完全な生を得る」(ŚB. X, 6, 1)。この様式の説明であって、われわれの意味における定義ではない。人々が事物の本質を捉えようと試みるのは、そのような説明においてなのである¹。ただ稀な場合にのみ、日常的で、より高い飛翔を脇に置いた即物性のうちに、問題となっている概念について解明を与えようとする欲求が突き破って現れる。これらの場合のうち最も際立ったものは、私には次のものであると思われる。ここにはおそらく、Brāhmaṇa 群において出会われるうちで最も適切な定義、すなわち「これこれとは、…であるときのことである」という素朴な形式の定義が存している。次のように言われる。「もし人がその心のうちに願うならば、『これを得たいものだ、
「わたしはこれをなそう!」というそれが kratu である。しかしそれが彼のもとで成就するならば、それが dakṣa である」(ŚB. IV, 1, 4, 1)¹。
概念体系
さらに、諸概念相互の並列(Koordination)および従属(Subordination)における秩序に関して言えば、同一の上位概念のもとに従属する同種の諸概念からなるある種の単純な系列が、古くから確固たる知識の所有に属していたことは自明である。四季、カースト、諸ヴェーダ、祭官職などが、その定まった順序において、また季節などの一般概念とともに熟知されていなかったなどということは、およそ考えられないであろう。先には、こうした概念系列相互のあいだにある種の神秘的な等価性が好んで付与され、その結果、あらゆる系列の第一の項どうしが、また同様に第二の項どうしが、そのつど同じ諸力に満たされたものとして、ある意味で同一のものとみなされた次第を示しておいた(55 頁以下)。それによって、たしかに幻想的傾向に強く浸透された概念体系の構築へ向けての注目すべき一歩が踏み出されたのであるが、他方、関心の働き方がより活発でなかった箇所、あるいは相互の帰属関係がより認識しがたかった箇所では、はるかに大きく立ち遅れたままにとどまったのである。五感官と五元素とが、頑強に自己を主張しつづける異種のものとの混淆から解放された系列へとまとまるまでに、どれほど長い時間を要したかは、すでに上に示したとおりである(58 頁以下、82 頁)。これは驚くにあたらない。というのも、そこでは観察者の関心が客観的事態の冷静な吟味へ向けられることがいかに少なく、それに代わって幻想的な連関の遊戯へといかに強く向けられていたかを考えてみればよいからである。しかし誤解してはならない。そのような遊戯も、ひとたび観察の対象がインド人にとって好都合な位置にあった場合には、当該の現象ないし概念の鋭利な把握、的確な分類を、決してあらゆる事情のもとで排除するものではなかった。語の末音と語頭音とが文の連関のなかで出会う際に生ずる音声上の諸過程は、おびただしい量の神秘説によって覆いつくされた(「前分は地である。後分は天である。その結合は空界である」等々、無限に)。だがそのことは、人々が
この領域における事実上の諸関係について早くからきわめて透徹した観察を行ない、それを確固とした、鋭敏に定式化された諸概念の体系にもたらした、ということを妨げはしなかった¹。アルファベットの諸音の分類は、その数に対応する神格 Indra, Prajāpati, Mṛtyu(「死」)と関係づけられた²。しかしそれにもかかわらず、その分類そのもののうちには、まさしく天才的な音声分析の力が発揮されていたのである。vacana「数」、vibhakti「格形」などの文法的範疇がブラーフマナ時代に熟知されていたことは周知であり³、それは、すでに当時においてもインドの思考が、好都合な事情のもとでは鋭く把握された概念体系の構築に十分能力を有していたことを、十分すぎるほど示している⁴。
好都合な事情のもとでは——文法において、われわれはまさにインド精神の選び抜かれた愛好領域と関わっているのである。大局的に見れば、やはり、ブラーフマナが用いて作業する概念装置と、その作業の仕方とが、まったく幼稚で漠然としたものであるという事実に変わりはない。たとえば、ブラーフマナの思弁においてかくも強く前面に現われる prāṇa(「呼吸力」)の概念がいかに扱われているかを見てみるがよい(上掲
66 頁以下)¹。一方では、呼気と吸気という古い二元性が、不明瞭に把握された五つの機能(prāṇa, apāna, vyāna, udāna, samāna)の五元性へと拡張され、それらについては相互に矛盾する説明が与えられた。語のほうが概念よりも確固としていたのである。他方ではまた、まったく別の方向において、五つの prāṇa が意・語・息・視・聴の五元性として解釈された。こうして人々は、五つの prāṇa の一つの体系の代わりに二つの体系を所有することになった。prāṇa という概念に魅了されて、人々はそれをまったく異なった仕方で主導動機として用いたのである。その際、後代とまったく同様に²、数に重きが置かれた。五元性が好まれたが、しかしその五元性はあるときはこう、あるときはああと解釈された。さらに他の見解もあった。人々は六、七、八、九、十、十一、十二、十三の prāṇa を数えたのである。ここにきわめて明瞭に示されるのは、概念体系を構築する容易さには事欠かなかったということである。欠けていたもの——大多数の場合に欠けていたもの——は、これらの体系を事態の明晰な分析の上に基礎づけること、すなわち、語を支配する一定の表象を、語の背後に霧散してしまうことのないように保持することであった。——
命題の相互嵌入。三段論法の萌芽
ブラーフマナの学問の表象と概念とが活動を開始する諸文および小さな文群は、文法的にも論理的にも、たいていはきわめて単純で、変わることのない構造をもっている。ある祭儀が規定され、そこでは対象 A あるいはそれに属する呪句の語 A が或る役割を演ずる。「A こそまさに(vai)B である」(A は、つねに問題となっているところの神秘的等価性において、宇宙的・心的等々の本質 B と関係にある)³。「まさにその(eva)B を彼はそれによって動かす(あるいは、わがものとする、等々)」。この図式はもちろん拡張されうるものであって、その際、複数の文の相互の噛み合わせ——そこから結論を表現する結文が展開する——に対して、
——われわれの論理学において三段論法として最も鋭く形成されているような思考運動に対して——紛れもない理解が現われているのである¹。このことは、そうした文を相互に結びつける助辞の用法に示される。典型的な規則性をもって、かの単純な基本図式におけるように、前提文ないし大前提は vai によって、結論文は eva によって標示される²。さて、両者のあいだに、一方と他方との結合を作り出す中間文が置かれる場合——それはまさしくわれわれの三段論法の小前提に相当しうる——、その文には khalu vai という助辞結合が典型的である²。たとえば TS. VI, 2, 5, 3 では、供犠灌頂の受者が断食の食物として乳を摂る理由が説明されている。「乳によってこそ(vai)胎児は生長する。ところで灌頂を受けた者は(khalu vai)胎児のごときものである。乳が彼の断食の食物であることによって、彼はまさに(eva)自己自身を生長させる」。ここで強調されているのは、中項(「胎児」)を介して、khalu vai によって標示された運動のうちに、大項(「乳による生長」)において表現された述語が導き入れられる先が、まさに彼自身、灌頂を受けた者(小項)である、ということである³。この表象世界の幻想的要素を、推論に似た何ものかへと整列させようとする、ささやかな端緒。それは、おそらくあまり真剣に努力が払われることのなかった技術である。全体としては、人々が振りまわすことに慣れていた諸教説は、それが語られる際の自信のうちに十分な支えをもっていた。論証の技術を形成すべき動機は、そこにはほとんどなかったのである。
帰納
帰納と呼びうるような思考の運びは、ブラーフマナには、扱われている対
象からして容易には身近なものとならなかった。特殊なもの、個別的なものから一般的認識を導出することは、当時の思考が能力をもたなかったような弁証法的な計画性をも前提としたであろう。そのうえここでもまた次のことが妥当した。すなわち、目当てとする認識を、いっさいの予備的手続きなしに、ただ自分が思い描いたとおりに端的に主張するほうがはるかに簡単であるのに、なにゆえ個別的事象の集積を通るこの労苦に満ちた道を歩まねばならないのか、と。しかし注目に値するのは、その後 Upaniṣad の時代、すなわちより堅固な基礎づけを促すような問題が現われ、思索の真剣さと、同時に、ひとたび踏み出した思考の方向を保持する力とが成長した時代には、ただちに、帰納的手続きへのある種の接近を認めてよいような論述に出会うということである。たとえば、或る Upaniṣad(BĀU. IV, 5, 6)において Yājñavalkya が、夫が愛しいのは夫のためではなく自己(Selbst)のためである、妻が愛しいのは妻のためではない、子らのためではない、富のためではない、というように、これらの存在ないし所有物のいずれもがそれ自身のゆえに愛しいのではなく、自己のゆえに愛しいのだ、と諸命題を連ねてゆき、そして次の結論へと導いてゆくさまを見よ。すなわち、一切(の存在)が愛しいのは一切(の存在)のためではなく、自己のためである。自己をこそ見、聞き、思念すべきである、と。さらに、これと同様に、多くの比喩の連ねられ方のうちにも帰納的な運動が存するのではないか。同じ Upaniṣad に言う、太鼓が打たれるとき、外にある音を捉えることはできないが、太鼓を捉えたならば、音をも捉えたことになる。法螺貝が吹かれるときも、琵琶が弾かれるときも、関係はつねに同じである。ここには、特殊なものから生ずる一般的法則が念頭に浮かんでおり、そこから、語り手の関心が向けられているもの、すなわち Ātman の捉えがたさ(BĀU. 同所 § 8 以下)が理解可能となるのではないか。Upaniṣad と比較してさらに一歩を進めたもの——ついでながら後代に一瞥を投ずるならば——は、古仏教における帰納の計画的な遂行である。たとえば「無我」の説法(Mahāvagga I, 6, 38 以下)において、Buddha はまず「形態(色)」が自己ではないということから始める。もしそうでなければ、人は自分の形態を意のままに処しうるはずである、と。次いで感受(受)についても同じこと。表象(想)についても同じこと。「形成作用(行)」についても同じこと。認識(識)についても同じこと。かくして順次に
すべての khandha、すなわち身体的・精神的存在の諸要素について、その規則的な順序において述べられる。いずれもみな自己ではなく、無常であり、苦であり、変化に服する、と。あらゆる特殊なものの考察から結論として生ずる一般的認識は、明示的には語られていないが、しかしその一般性においてまさしく意識のうちに存在している。すなわち、khandha は総じて自己ではなく、苦である、と¹。この仏教の説法を、ブラーフマナの思考様式についての比較的な想起とともに読むならば、人はここで、内容的に人間の人格の分析において、また同様に形式的にも、あらゆる特殊なものを方法的に見渡すことから一般的認識を生ぜしめる技術において、インドの思考がブラーフマナの能力をはるかに超えてどれほどの進歩を成し遂げたかを、明瞭に感じ取るであろう。
より大きな思考連鎖の取り扱い
かくして、最後にブラーフマナの思想的構築物を全体として見渡すとき、当然のことながら次のことも示される。すなわち、大規模に構築するだけの力を、当時の人々はまだ本当には所有していなかった、ということである。祭儀の膨大な量は、たしかに、きわめて大規模な叙述を作り出す動機を与えた。しかしそこにあったのは、根本においてはむしろ個別事項の高い堆積、あるいはそうした堆積の一連であって、生きた力によって統一を保たれた全体ではなかった。そして実際、時とともに、無数の部分儀礼の神秘的解釈と並んで、供犠全体の解釈がますます現われるようになったとき、そこでもまた、個々の思いつきの集積を越え出ることはほとんどなかったのである²。一般概念を用いて作業すること、より大きな思想の連鎖を見渡す力と確実さ、ひとたび語られたことを保持し、それとさらに語られるべきこととを統一へと結び合わせる訓練——これらすべては、大筋において——おそらくは急速に先駆した文法学の天才的な業績を別とすれば——なお端緒の段階にとどまっていた³。それは教え
ずかしいのは、ブラーフマナを、後代に――もっとも、はるかに後代にではあるが――まさに同じ対象を扱った諸労作に照らして測ることである。私が念頭に置いているのは Pūrva-Mīmāṃsā、すなわち祭式と祭式テクストの哲学である¹。この、飽くことなく詭弁のなかを掘り進むスコラ学によって、人はどれほど強く反発を覚えようとも、そこに――たとえばヴェーダの語句の種々の類型の区別において、あるいは主要祭儀とそれに従属する副次祭儀との区別において、前者と後者との関係の論究において、さらにきわめて多くの他の教説において――鋭利な分析の、また巧妙に考案され堅固に形づくられた概念装置の樹立と貫徹の、きわめて注目すべき能力が表明されていることを、見誤ることはやはり不可能である。ブラーフマナは個々の細目についての緩やかな空想を紡ぎ、そこから諸祭儀の全体についての同じく緩やかな空想へと進む。Mīmāṃsā は、はるかに深く切り込んで、たえず一般的なものへと、すべての個別的なもののうちで働いている諸力へと、またあの奇妙に複雑な機構がそれに従って作動している諸秩序へと、突き進んでゆく²。この分析と総合の技術を、ヴェーダ祭式という疑わしい空中の領域においてではなく、むしろより実在的な現実の地盤の上で観察してみよ。そしてその際、インド人の才能にとって好都合な位置にある領域に目を向けてみよ。自然科学ではない。私は先に文法学を挙げておいた。完全に発達した文法学の業績のうちに、Pāṇini の体系や Patañjali の議論のうちに、多くの過度の技巧、詭弁、いな不自然さが潜んでいるとしても、それらの思想家たちがいかなる鋭さをもって最も困難なものを見透かしえたことか、いかなる深みにまで彼らは
到達しえたことか! ブラーフマナ時代からインド学問のこの開花期に至るまでには、たしかになお遠い道のりがある。しかしこの道を歩み始めるための出発点は、ブラーフマナの混沌のうちにも、たとえかすかにではあれ、すでに現れていたのである。
回顧
我々は振り返り、総括する。
ブラーフマナ時代は過渡期である。宗教的存在の古い基盤は揺らいでいる。新しい基盤はまだ獲得されていない。単純に信じつつ過去の神々に固執することは、もはや終わっている。深く根を張り、あらゆる生活習慣と、また最も強い物質的利害とも絡み合った祭式の諸形式は、なるほど存続しているが、その古い意味は失われている。人はもはやそれを正当化することができない。他方、自らの思考は、まだ完全な支配権を獲得してはいない。それはなお、自ら主権的に定めた道を歩もうとはしない。それは世界像を構想するのではなく、一つの世界像の断片をもって古い祭式の装置を築くのである。かくして、この思考は、存在するものからその秘密を奪い取ろうとする情熱に乏しく、生気なく冷やかに、一つの中途半端な状態のうちに漂っている。
なるほど自信は、これらの精神に欠けてはいない。彼らには一瞬のうちにすべてが成功する。彼らはあの硬い客観というもの、すなわち探究の困難な現実、思想のどのような誤りをもたちまち不可避的に暴露するあの現実を、持ってはいないのである。そうではなくて、彼らは気まぐれのままに、自分の像を作り上げる。それを慎重さへと教育し、この戯れにおける安価な満足を乱すはずの経験が、欠けているのである。自ら作り出した形象は、たやすく通り過ぎてゆき、たえず入れ替わり、互いに矛盾しあう。たとえば、ある祭式の手続きが崩壊した世界創造者を再び作り直すべきである、と言われるとき、実際には、彼らのために犠牲が捧げられるところの、そういう欲求を彼らは何も持ってはいないのである。そうではなく、人が犠牲を捧げるのは、現世と来世における祭主の利益のためであり、次いで司祭への報酬のためである。それについて他に何が言われようとも、それは精神において深く根ざしてはおらず、十分な真剣さを欠いている。
そして、人が語るところのものは、いったい何であるのか。人はどのような像を見ているのか。
そこには神々がいる。あるときには彼らは行為する人格でありつづけ、なるほど神的な威厳には乏しく、日常的な、いな卑俗な性格にまで引き下げられている。あるときには彼らは祭式機構の意志なき構成部分となっている。とりわけ彼らは、その背後に真に存在するものが現れてくるところの、透けて見える覆いとなっている。すなわち世界を満たす諸実体である。
これらの実体は――その一部は自然的生に属し、他の一部は人格の生に、あるいはまた祭式・祭式典礼の領域に属する。というのも、ここには世界の諸領域と諸季節、諸呼吸力、祭具、韻律、その他そうした本質存在の見渡しがたい群れが並んでいるからである。太古の呪術信仰は、呪術的な諸実体、諸力、諸流動体への信仰のうちに、その一部を有している。始まりつつある自己観察、心理学的分析の不器用な端緒は、自我の諸力をも生み出している。もしも今や、リグヴェーダの過去とはまったく異なる度合いにおいて、祭式の諸力能と諸秩序もまた実体へと凝縮され、一連の未分化な中間物が現れてきたとすれば、それは飽くことなくその糸を紡ぐ司祭的思弁の所産である。
さて、かくも多様な起源から生じたこれらの存在の現存在は、いかに表象されているのか。すべてをすべてに変えてしまう手品師のように、人はその像をあちらこちらへと呪術的に動かす。あるときにはそれは人格的存在のうちに、低い生の表現、恐怖、気まぐれ、欲望をもって、姿を現す。あるときにはそれはむしろ流動的なもの、浮遊するもの、一種の周囲を流れる、あるいは陽気に浮遊する、あるいはまた緊密な物質として現れる。それが具体的な自然存在にかかわるのであれ、抽象的なもの、おそらくはある祭式規定にかかわるのであれ、いずれにせよ、その本質存在の境界を明確に規定するものは何もない。それぞれの実体にどのような存在ないし作用が付与されるかは、人が見たり体験したりしたものによっては決定されず、あるいはごく僅かな部分においてのみ決定される。それはむしろ気まぐれによって決定されるのであって、その気まぐれは、この存在、この作用を――次の瞬間にはまったく別のものを――帰属させるのである。天と地と韻律と太陽と、呼気と吸気と祭文の神聖さとは、その作用を一つの解きがたい絡み合いのうちに互いに絡ませあう。それらは、何らか計算しがたい思いつきがそれらを駆り立てるままに、あるいは司祭的呪術がそれらを導くままに、その諸力をもって互いのうちに入り込み、
互いの前を走り去り、身を隠し、互いの上に固く立ち、互いを打ち砕く。二つのもの、一対が現れるところでは、対の結合が生じるのが常である。十一という数――英雄的力が発揮される。なぜなら Indra の韻律は十一音節を有するからである。とりわけ重要なのは、これらの存在と事物とが、まったく技巧なしには互いに組み合わされないということである。組織という語は、たしかに祭式のため、祭主のため、司祭のための百もの装置からなる一装置にとって、適切な語ではない。存在と事物とが最もよく成し遂げるのは、それらが互いに次のように連結されることによってである。すなわち、儀礼的行為を惹き起こす契機が、一方の端に――祭場に――あり、他方の端に――彼岸に、未来に、願望と希望の世界に――もたらされた作用が生じる、というように。それをもたらす連結は、きわめてさまざまな形式と強固さの度合いをもちうる。人はそこで選り好みをせず、そのような形式を区別することにほとんど不安なほど考えを及ぼさない。しかし二つの本質存在の最良の連結は、それらの同一性が唯一の連結であるということである。原始的呪術の直観方法は、事物の輪郭を曖昧にさせた。ブラーフマナはそれを極端にまで高める。彼らは、すべてをすべてと同一視するというあの、彼らにとって特徴的な熱狂を展開する。それは、自然と人間的現存在とのあいだに隠された本質的同一性を予感する、あの思慮深い感受とはまったく別のものである。むしろ恣意と衒学である。それは、その時々の関心に従い、その時々の思いつきに従って、今はこの等式を、次にはあの等式を立てる。それらの存在とはかくも多くのものであることを意味する。それは、いかに多くの他のものでもある、ということである。
しかしながら、ブラーフマナの思考について述べてきた個々の点は、そのような非現実性の混沌のただなかにも、やはり発展の内的必然性に応じて、秩序への特徴と現実の真剣な把握とが欠けてはいない、ということに対して盲目にさせてはならない。まずここかしこに、おそらくはるかに遠い過去からの範型に従って、一定の本質存在の群が、持続的な対応関係のうちに並び立って現れる。それぞれの群は、世界建築の一定の領域にかかわり、その内容は次のように分けられる。神々、階級、季節、生命機能、韻律。これらの群のあいだに表象される等価関係は、たしかにまったく空想的である。しかしそれらは思考の教育にとって重要である。表象の混乱のなかで一定の
基本線を確保し、一定の順序を一挙にすべてに妥当させることにおいて。四大元素の体系、五感の体系が形成されはじめる。さらに注意は心的生活の諸要因へと向かう。かくして Upaniṣad の努力が、また仏教が、心的機構の正しい取り扱いによって最高の目標へと至る道を準備する。同様にブラーフマナにおいても、たとえゆるやかにではあれ、道が開かれ、あるいは少なくとも接近しつつあることが告げられている。すなわち、非物質化の獲得と洗練、いわば現存在の広がりを見渡しうるものとし、その内容への洞察を深める、ある種の一般的カテゴリーの獲得である。自明で自ずと理解される、身体的なもの――死において後に残るもの――と、身体なきもの――あるいはより微細な身体性――すなわち死において脱け出るものとの区別から、人は物質的なものと精神的なものとの対置の方向へと進んでゆく。不死なるものと死すべきものとの対立が準備される。それに劣らず、存在と生成との対立も。素材と形相のカテゴリーを用いて作業しようとする端緒が――たしかにきわめて弱々しいものではあるが――現れている。倫理的領域においても、あたかも善と悪との対立の、より原始的な諸形式が発展させようとしているかのように、肯定的価値と否定的価値との対置がさまざまに見られる。本質存在の振舞いについての、またそれらのあいだに生じる出来事についての認識は、ここかしこに、より客観的な、現実により忠実に形づくられた外観をとる。空想的で気まぐれな呪術的過程の傍らにも、やはり時として――Upaniṣad においてはますます範囲を広げつつ――一つの出来事が観察される。そこには、事物のある種のさらに進んだ経過が示されている。すなわち、古い因果表象を、今やたしかになお原始的な作業ではあるが、因果性のカテゴリーの方向へとさらに発展させたと言いうるのである。言語の可塑性は、抽象的論証に適した表現を提供しはじめる。おそらく最も成果に富むかたちで、事実の分析は、インド的才能にとって特別に好都合な領域における、法則性の発見へと進んでゆく。すなわち言語である。その考察がいつの日かインド学問の輝かしい頂点をなすであろうことを、ブラーフマナは――もちろん事柄の本性上、ただ個々の痕跡においてのみ――予感していた。それらがはるかに明確に示しているのは、ここでは自然認識がただ
弱々しくしか発展せず、歴史的理解はさらに弱々しくしか発展せず、聖なる基盤から解き放たれた哲学的世界観に、おそらくは創造がより輝かしく、より大胆に、より予感に富む思想形成と、抽象の精妙な戯れとに支配権が帰し、経験世界への忍耐強い浸透にはそれが帰さないであろう、ということである。
いま触れた思想圏にとどまりつつ、我々はここで最後になお、インド思弁のかくも広範な領域を支配する理念が、ブラーフマナにおいていかに、またどの程度に有効となっているかを、思い浮かべておかねばならない。すなわち、あらゆる存在の統一という理念である。すでにブラーフマナ時代以前に、Rigveda の詩人たちのあいだで全一存在の予感が現れていたこと、そしてブラーフマナの後には Upaniṣad が、ただ一つのものが「真なるものの中の真なるもの」の完全な存在、永遠の価値を自らのうちに含むところの、一つの本質存在という理念を、力強く展開したことは、周知である。この発展においてブラーフマナ自身はいかなる位置を占めるのか。
大体において明らかに答えられるのは、統一目標への思考の傾斜が、ここでは干潮の段階にある、ということである。前面には祭式の思想圏が立っている。それは、外界と規定的に対立して立つ個人の利害を目指す。彼が求めるものは、健康、子孫、牛の群れ、勝利である。死の彼岸には、天上の喜びの理想と「再死」の防止とが姿を現す。人は、古い祭式讃歌が満ちているところの願望の近さから、なおそれほど遠く離れてはいない。そこにおいて祭主は、あまりにも直接的な諸欲求に取り囲まれて立っているので、自らの固有の本性を全宇宙のうちに消し去る存在の統一への衝動が活発になりうるほどではない。なるほど、世界の起源への問いが提起されるならば、ブラーフマナの統一表象もまた現れてくる。世界がただ一つの根から成長せねばならぬことは、まったく自明のことである。そこで空想には、「存在するもの」「存在しないもの」のような、すべてを包括する原存在が現れる。しかし世界生活そのものにおいては、この統一はいかなる役割も演じない。ここにはなお、宇宙は無数の個別存在の色とりどりの混乱した舞台でありつづけ、それらの運動は、いかなる共通のリズムに従うことも、いかなる万人を結ぶ目標へと向かうこともほとんどないのである。そして、空想的考察がここかしこに、はかない戯れのうちに、あれこれの存在を
一瞬のあいだ最高の高みへと持ち上げ、それを「この一切のもの(存在)」と等置するとしても、それはやはり無数の他の思いつきのなかの一つの思いつきにすぎず、脈絡なく浮かび上がってはまた消えてゆくものであり、安直な言葉によって際限もなく誇張された、あれこれの本質存在への讃美にすぎない¹。かかる幻想は、およそあらゆる相異なるものをかの仕方で同一視することへの習熟が一般にそうであるように、おそらくは万有一者の理念を準備するのに役立つのであろう。しかしそれは、存在の深みに触れるような真剣な思考の営みではない。
だが、これらの錯綜から抜け出して統一の思想をより決然と捉えることを促すのに寄与するのは、まさに上来くり返し触れてきたあの過程である。すなわち、見渡しがたい存在のうちに一定の秩序と区分を定めはじめること、これである。本質存在と過程とからなる、それ自体で完結した一定の諸領域——たとえば祭祀、たとえば自我——が、その内部での統一的連関が生き生きと表象される区画として浮かび上がり、中心的な力能——brahman、ātman——がその全周を生命によって貫き流れる。あれとこれとを同一のものとして表象する、飛躍力に富んだ空想の能力は、それゆえに弱まりはしないが、しかしより確かに秩序づけられた表象の集塊のただなかで、その空想はみずからのためにより堅固な軌道を用意する。その、より浮薄でなくなった働きは深化を獲得する。かくして人は、さまざまな存在領域を、深みに隠された同一の根本本質の等価な現象として、いよいよ真剣に認識することへと近づいてゆく。そしてついに Upaniṣad の思弁が、その敷居を越える最後の一歩を踏み出すのである——その敷居まで導くことしか Brāhmaṇa の教師たちの空想にはできなかったのであるが。かの諸領域の一方の中心にあるものと、他方の中心にあるものとは、一つである。それは唯一者であり、そのうちにのみ一切の生命が、存在の一切の内実が根拠づけられている。自我は、おそらくすでにこの時点で神秘的な沈潜へと沈み入ることに慣れており、みずからを万有のうちに、万有をみずからのうちに観る。自我は日常の利害への囚われから、輪廻の不安とその幼稚な浄福への希望から、みずからを解き放つ。他の諸方向が Brāhmaṇa から出発して生成しつつある実証的学問へと導いてゆくのに対し、ここではあの貧しい表象世界から、宗教的・哲学的思惟の高みへと至る道が開かれたのであり、そして
遠くに、ひそやかに、しかもインドを通じ、世界を通じて響きわたりつつ近づいてくる Buddha の足音が聞こえるように思われるのである。
補遺
S. 85. 五者系列における中心的な力としての呼吸に関しては、とりわけ「Saṃvargavidyā」に注目すべきである。これについては Lüders が SB. Berl. Akad. 1916, 278ff. で明敏に論じている。
S. 135ff. 儀礼の呪句と儀礼の行為との関係を論じた際に、Brāhmaṇa がしばしばくり返す言明に言及すべきであった。すなわち、祭祀において完全なものとは「その形態において完全なもの」(rūpasamṛddha)である、と。それはつまり、呪句がそれに対応する行為を指し示している場合のことである(AB. I, 4, 9 その他しばしば)。
索引
abhicāra 152ff.
罪責における意図 210 A. 1
抽象的本質存在 92。抽象作用 228f.
adhidevatam, adhyātman 57, vgl. 59. 61
Āditya と Aṅgiras 16
情動 51
āgas 51f. 189
agnicayana 13
ākāśa 36. 38f. 58ff. 160. 181
万有一者 243f., vgl. 123
普遍と特殊 106f.
没道徳性 25
護符 142
anātman 87
anna 42 A. 4. 60
anṛta 187. 191 A. 2
antarikṣa 38 A. 4. 39
羚羊、黒い—— 42. —— 羚羊の皮 164
anu 115 A. 1. 159
Aśoka 207 A. 1.
天文学 233 A. 4, vgl. 35f.
asu 64f. 72
Asura, Asuras 17. 92. 130. 204f.
呼吸 6 A. 1. 65ff. 84. 85. 234. 245. —— 止息 146 A. 3
Atharvaveda 7. 153 A. 1
ātman 86ff. 100 A. 2. 101
bandhu 4 と A. 2. 117 A. 1
概念、一般的—— 227f. —— 概念の人格化 230. Vgl. 92f.
概念体系 232ff.
bhajana 107 A. 1
bhūta 100
像 114f. 121f.
鉛 41
brahman 97. 129. 131f. 133f. 139f. 148f. 153f. 156. 164
Brāhmaṇa 文献 1ff. 96 A. 1. 110
バラモン(brahman) 3. 9f. 140. 152f. 163. —— その思考の様式 3f. 120f. 225f. 241f. 等々
仏教、その因果性の考察 161. 183、その身体的・精神的存在の分析 78、帰納 236f.
budh, buddhi 75 A. 3. 76 A. 4
混沌 176
cit, citta 73ff.
da、三つの—— 213
dakṣa 69 A. 2. 232
dama 213. 216f.
dayā 213 A. 2
定義 230f.
思考の働き 224
dharma 186. 192f. 207
dharman 188. 192
Dharmasūtra 186. 193
dhyā, dhyāna 70 A. 1. 76 A. 3. 173
diṣṭa 125 A. 4
占術呪法 133 A. 1
宇宙開闢論における猪 175f. 179
宇宙開闢論における卵 173. 175f.
他の存在への入り込み 108. 174
元素、五—— 58ff.
enas 51f. 186. 189. 211 A. 7
認識手段 220f.
倫理的なもの 184ff. Vgl. 道徳
語源解釈 118f. 221. 229
eva 234f.
色 51 A. 2
定型句、聖なる—— 131. 133. Vgl. Yajus、呪術
女性 44f. 200 A. 2. 203
生命力能の五者系列 65ff. 82
gati 160
施与の義務 213. 215f.
祈禱 200
思考、その呪的力 145
聴覚 65. 81ff. 226
精神 65. 69ff. 86. Vgl. manas
幾何学 233 A. 4
視覚 65. 81ff.
形態 vgl. rūpa
雷雨 36f.
灼熱 vgl. tejas
神々、その群 15f. —— その水準の低下 9ff. 240. —— その因果性、その作用 126f. 154ff. 167. 223f. —— その生命 89. —— 神々と人間 19f. —— その弱さ 22ff. 127. —— 神々と実体 13f. 33. 59. 240. —— 「神々の罪」 24. —— その行為 18. —— その完全性 19ff. —— 神々と Asuras 17. 18 A. 2
文法学 80. 233. 240
Gṛhya 祭式 153 A. 1
guṇa、三つの—— 182 A. 2
善なるもの 204f.
財 190. 198f.
hetu 160
天と地 35
Hiraṇyagarbha 27
同一視 14. 56. 110ff. 241
Indra の Vṛtra 討伐 18
帰納 235ff.
年 37
彼岸 201ff., vgl. 不死
幻術師 130
ka「誰」 28 A. 2. 29
kāla 40
kāma 179 A. 3
karman 162. Vgl. 行為
kārya, kāraṇa 160. 228
因果性 126ff. 242. —— 自然的因果性 157ff. Vgl. 神々、祭祀、呪術
khalu vai 235
子供、その罪 209
宇宙開闢論 166ff. Vgl. 世界創造
力(vgl. vīrya)、実体としての—— 92
kratu 69 A. 2. 232
牛 42. 121
人工的対象、その生命 90
kuṣṭha 草 141f.
無生物 95 と A. 1. 104
身体と霊魂 62f. 84
論理 118. Vgl. 220ff.
ロゴス 81 A. 3
光の領域、光の空間 36. 38. Vgl. ākāśa, antarikṣa
快および不快の感情 77f.
mahas, mahiman 50f. 92. 99.
「マナ」 134. 144 A. 2. 145. 146 A. 2
manas 64. 69ff. 224. Vgl. 精神
manuṣya 43 A. 2
物質 105. Vgl. 宇宙開闢論
māyā 106 A. 1. 129ff. 164
人間、被造世界における地位、動物との関係 42f. 181f.
「人間性」 211
Mīmāṃsā 224. Pūrva m. 156 A. 1. 238
鉱物 40f.
mithuna 172f., vgl. 45
月 35
道徳 25. Vgl. 倫理的なもの
mṛtyu(死) 204 A. 1
釘打ち 155 と A. 3
名 103f.
自然的なもの 157ff. 162ff. Vgl. 超自然的なもの
非有 52ff. Vgl. 有
nidāna 117. 161 A. 1
nir-mā 170f.
nirukta, anirukta 80
Nirvāṇa 64
啓示 223
祭祀、その存在、その意義、因果性、作用 4. 11. 24. 46. 90f. 94. 129. 132 A. 1. 149ff. 206f. —— 祭祀における Prajāpati 31
交合 vgl. mithuna
pāpa 190. 196. 198
parokṣa 221. 226
paṭiccasamuppāda 161
人格、人間の—— 62ff.
人格化 96f.
植物 41. 90
義務 205ff.
惑星 36
Prajāpati 11. 19. 26ff. 80. 89. 92. 94. 101. 108. 126. 147. 150 A. 4. 155 A. 3. 167ff. 179f. 203f.
prākṛta 228
pramāṇa 220
prāṇa vgl. 呼吸
pratimā 114f.
pratyakṣa 221. 226
puṇya 21 A. 2. 195ff.
puruṣa 43 A. 2. 64
Rakṣas 17 A. 5
空間 37ff.
言語 65. 78ff. Vgl. Vāc
雨 36f.
Ṛgveda、思考の術語 69 A. 2。倫理的なものの術語 186
Ṛṣis 45, vgl. 222f.
「赤きもの」 26 A. 2
ṛta 124f. 130 A. 1. 150. 157. 187. 191. 211 と A. 4
Rudra 16 A.
rūpa 50 A. 5. 102ff. 114
sādhu 197
塩 41
samaṣṭi 228 A. 2
sam-bhṛ 94 A. 2
saṃkalpa 71f. 74
sampad 113 A. 2
Saṃvargavidyā 245
Sarasvatī 81 A. 2
satya 187
創造すること 116 A. 1
亀 179
睡眠 203 A. 1. 3
美 190, vgl. śrī
創造者 vgl. 世界創造、Prajāpati
罪責 vgl. āgas, enas
負債、三つないし四つの—— 212f.
霊魂と身体 97f. —— 霊魂の統一と中心的力 85ff. —— 外に留まる霊魂 102. —— 諸存在への霊魂賦与 97f.
輪廻 208
見ること、直観性 226. —— テクスト等を「見る」こと 222
有(および非有) 52f. 177f. 227. 243
自己制御 vgl. dama
siddhi 235 A. 1
銀 41
感官、五—— 82
道徳性 vgl. 倫理的なもの、道徳
道徳性の呪術 208
太陽 35
諺 184
śraddhā 215 A. 4
śrī 51. 190. 195. 196 A. 1
sṛj 168ff.
星 35f.
sthiti 225
実体 11ff. 32ff. 54ff. 89ff. 99ff. 113. 128. 143. 154. 240. —— 神格として名づけられた実体 15. 34. —— 宇宙開闢論における実体 174ff.
svabhāva 128f.
三段論法 229 A. 1. 235
-ta(接尾辞) 228
tad 177 A. 3
tanū 50 A. 5. 100ff. 104 と A. 1. 109
tapas 129. 132ff. 146ff. 153f. 156. 168 A. 2. 222
行為(vgl. karman) 51f. —— その作用 207f.
tejas 51. 59 と A. 2. 60 A. 4
神義論 204
動物 41f. 90
動物の言語 81. 95 A. 2
死 202f. Vgl. mṛtyu
トーテミズム 43 A. 1
-tva(接尾辞) 228f.
超地上的なもの、超自然的なもの 149. 157. 162ff. Vgl. brahman 等
語られざるもの 29
不死 3 A. 1. 63. 64 A. 1. 101. 204. Vgl. 彼岸
Upaniṣad 随所に。とくに次を挙げる 5. 7f. 63 A. 1. —— その思弁 88f. 123. 244. —— その因果性の把握 158ff. —— 感覚知覚の把握 83. —— 義務の教説 210
原因 228. Vgl. 因果性
Vāc 172f. Vgl. 言語
vai 234f.
vajra 111 A. 3
varṇa 114 A. 3
Varuṇa 15 A. 2. 22. 112 A. 1. 207
vasu 190f. 195
ヴェーダ、四つの—— 153 A. 1
隠れたるものと顕れたるもの 113. Vgl. parokṣa
讃歌の作者性 222f.
韻律 46. 48. 92. 96
変身 117
vijñāna 75f.
vīrya 50. 98f. 101 A. 1
幻視 222
Viśvakarman 26
無偏見 209 A. 1
vrata 125f. 188f. 194f.
vyaṣṭi 228 A. 2
真実(および虚偽) 21 と A. 1. 187. 191f. 205. 208. 214f.
水(宇宙開闢論における) 175
世界の諸方位 37
世界創造 80. 147. 166f. Vgl. Prajāpati
生成と存在 64
価値 184ff.
意志 69ff.
意志力 145
風 68
知識、その呪的な力 5
願望祭 31. 150. 153 A. 1. 154f. 199
「根」 161. 228
Yajus 定型句 12. 137f.
yātu 129. 131. 152. 164
Yoga 149 A. 2
数 16. 46ff.
呪術。その因果性 129ff. 149ff. —— 人格的な力と道具 141ff. —— 呪句と行為 134ff. 245. —— 呪術と宗教 152
時間 37. 40
論及されたより重要な箇所
Aitareya Āraṇyaka II, 3, 2 — 43 A. 2
Aitareya Upaniṣad I, 1, 2 — 95 A. 1
Atharvaveda II, 33 — 141. 143
IV, 20 — 142
IV, 36 — 141
V, 4 — 142f.
X, 1, 21 — 27 A. 3
X, 2 — 6
X, 8, 44 — 201 A. 2
XI, 7 — 55
Bṛhad Āraṇyaka Upaniṣad
II, 1, 17 — 82 A. 1
III, 3, 2 — 228 A. 2
III, 4 — 231 A. 1
IV, 3, 29 — 77 A. 3
IV, 5, 6 — 236
Chāndogya Upaniṣad
III, 13, 1ff. — 84 と A. 3
VI, 2ff. — 60. 105. 178. 182
Jātaka 84 — 201 A.
Kauṣīt. Upaniṣad III, 3 — 235 A. 1
Mahāvagga I, 6, 38f. — 236
Maitr. Upaniṣad、結びの詩節 — 180
Pañcav. Brāhmaṇa X, 2, 4—7 — 95 A. 2
XVI, 16, 4 — 32 A. 2
Ṛgveda II, 12 — 27
III, 53, 8 — 109
VIII, 32, 28 — 188 A. 4
VIII, 59, 6 — 168 A. 5
X, 66, 9 — 188 A. 4
X, 90 — 171
X, 90, 12 — 169 A. 3
X, 121 — 27f.
X, 129, 1 — 53 A. 2. 177 A. 2. 178 A. 1. 2
X, 129, 4 — 179 A. 3
X, 145, 5 — 143 A. 2
X, 163 — 141
Sāmavidhāna Br. I, 1, 5f. — 169 A. 3
Śatapatha Br. II, 3, 1, 19 — 151
II, 6, 3, 8 — 197
VI, 1, 1, 8. 10 — 166 A. 3
X, 5, 3, 1 — 177f. 181
X, 6, 5, 4 — 166 A. 3
Taittirīya Br. II, 2, 9, 1 — 178